■ 男性の認知
最近、心理学の学習中で、男性の認知っていうのは、
女性に親切にしたら、そのお返しに立ててもらう権利が発生する
になっているんじゃないのかなぁ…と思ったりするんが、どうだろうか?
■ クライミングの教え方が、18歳男子大学生を基準にしている件
基本的に昔の新人像って
大学に入って初めて登山をスタートした18歳男子大学生
ということになっている。
体力絶頂期、暇、知性あり の3点セット
という条件。昔の大学生って、とっても暇で、持て余した体力と知力を注ぐ先を求めていたので、大学山岳部で初登記録をいっぱい作っていたんである。
ところが、現代の大学生って
お受験突破で抜け殻、忙しい、昔と比べて猫も杓子も大学生なので大学は知性の証明にならない
である。なんせ私の後輩、東工大院生でしたけど、やっぱり、人まねビレイでしたからね。
九州でも九大で教えている先生が、エイドをアルパインの神髄だと思って全然理解していなかった。
だから、知性はあっても教育が古臭いまんまだと同じことです。
しかも、現代の新人、は、大学生でもなく、18歳でもなく、男女。
だから、昔の基準を新しい新人に当てはめても、当てはまらない。
■ 男性社会とは?
女性の受容力・適応力に依存して、男性が自分の世界観のゆがみに気が付かないまま放置されている社会=男性社会
なんではないかな?
女性は、生まれ持って、適応力が強い。受容する力も強い。
それに便乗して、男性が、女性の世界や肉体的限界に気が付かないで、自分の基準をテキトーに押し切っているのが、日本の男性社会なのでは?
なので、立ててもらえない₌怒る、べそをかく、仕返しする、すねる。
しかし、女性にとっては、この反応は面食らう…なぜなら、対等の関係になっていないから。
この反応から、男性側は、立てられて当然だと思っている、ってことになる。
立てられるというのは、ギブ&テイクが、ギブされても、ありがとうなしでOKだ、と言う意味だ。
■ 川俣尾根事件
そういえば、川俣尾根事件というのも、あったなぁ…
私が川俣尾根に登った記録を出したところ、ある山ヤが自分の会の、会山行にしれっと私の記録を拝借した。その会の人は、川俣尾根を知ってるなんて、なんて通な山ヤだ…とその人への尊敬の念を高めていた。それを見た私は驚いた。えー?川俣尾根って、私が行きたいということで、苦労して開発した場所なんだけど???
その方は、どうせ分からないと思って、私の山をしれッと取っていったわけである。その後、明神主稜でも同じことが起こった。まぁ、いいけど…。ルートは誰のものでもない。
これは、先輩のアラーキーでも同じことが起こった。初心者のころ、私のために師匠が考えてくれた山があったが、彼、その名前を聞いたら、私から聞いたのに一人で行ったんですよね。つまり、人の山を盗んだわけだ。そのあと文句を言ったら、「一人で行きたかった」そうだったが、それなら、私や師匠に恩返しするか、ありがとう、の一言くらいは必要だろう。
このように現代の山ヤさんの主たる悩みは、どの山に行ったらいいのか、分からない、と言う悩みだ。
行きたい山くらい自分で決めろよ、ってやつ。お受験の弊害なのか、男性でも自分の山ではなく、会の山とか、師匠の山とか登っているだけの人が多い。まぁ、そういう山で、徐々にどのタイミングでどのような山に登るべきか、理解していくのが昔の人だったわけだが。
2人とも、
自分の発想不足を、私に補ってもらっていた
わけで、その人の会の若い人、さすが〇〇さん、って言っていた。
その上、私が入会希望者で行くと、その山選びの秀逸さについて、私が選んだ川俣尾根を上げて、会のアピールをしてくれたけど… いや、それ私の山なんですけど?ってなりますよね?
肝心のその山ヤさんは、あなたには、すでにうちの会は簡単すぎると思う、なぜならあなたは、もう一人で読図で歩けるから…、ということで、自分のすねにある傷をすでに感じていたようだった…。
■ 自分の足で山をやっている人がいない…??
別に難しい山をしたいと言っていないし、川俣尾根とか明神主稜って、はっきり言って命がかからない簡単な尾根であるんで、私の行きたい場所探し能力の秀逸さは感じるが、グレード主義の人が、どーだ!と自慢するような尾根ではない。
私が歩んだルートを横取りすることを大体の人は何とも思っていないみたいで、それは、
人まね
を当然のように受け入れるポピュリズムの弊害なんではないだろうか?
本当の山ヤなら、自分のしたい山、を突き詰めるべきだ。
■ 旗立岩主稜で落ちていた
私は良い会に入って仲間が欲しかったので、この会に入会しないよう促されたことは、要するに、本来の手柄が誰にあるか?見えてしまうと俺の立場が悪くなるって考えただけなんじゃ?と疑っていたんだが…
本当に会に実力がない、むしろ、私が参加すると、私のほうが危険になるかもしれないということが、旗立岩で落ちている記録で分かった。
旗立岩は、関東では、本格的な山岳地帯のアルパインに行く前段階の人にとって、その人がアルパインの特性を備えているか、いないか?を打診する基準みたいになっている山だ。
ロープも当然出るが、支点もきちんと作れる必要があり、ルートファインディング能力も試される。
そんな入門レベルの山でその会の人は落ちていたんで、その会は、会員のスキルの見極めが甘いってことだ。そんな会と登ったら、こっちの命もないかもしれないし、レスキューを出す側になる可能性が高い。それで、この方が自己保身のために言っているではないことが分かった。
しかし…だ。
日本登山体系にも載っている著名な山ヤさんが率いる会なので、その会で、このレベルか…
ということになってしまうんである。日本の登山者のレベル低下問題がいかに深刻か?ということが分かる。
日本の登山教育は、かなりやばい。
■ UIAA
私はご縁があってUIAAの事務局長と知り合いになったので、私のような、どこともつながっていない未組織登山者がUIAAのコネを持っていても仕方ないので、ほうぼうの、上位山岳団体とつながっている山ヤさんに、UIAAが日本からの理事を募集している(国連の常任理事国みたいなもの)ので、誰かつながってくれないかと探した。
上記の会の方にもお願いしてみたが、この方は、私なんてそんなとても務まらない…という答えだった。この方は日山協の雪崩講習会では教える側にいた人なんである。そんな上級者で、務まりませんと尻尾を巻くのだから、登山歴の浅い私が務まらないとかんじるのは当然のことであろう…
ほかに、ひろけんさんや、若手なら、倉〇さんやら声をかけたが、結局、誰もUIAAと日本との懸け橋にはなっていないようで、かなり残念な結果になった。
というわけで、日本はいまだに世界の登山の流れ、あるいはクライミングの流れから、すごく時代遅れになったままになっているんである。
いやはや、どうしたら、日本の
”俺は男だー!系岩場” が、 ”一般市民が、ちゃんとしたフリーで登れる岩場”
になるんでしょうね?
今のボルト状況だと、フツーに人工壁並みに落ちまくっていれば、ロシアンルーレットであり、それをロシアンルーレットとして楽しむ場、みたいなことになっており、技術探究志向になっていない…。岩との対話はお留守である。
今の日本の岩場で許されるのは、テンション登りであり、ハングドッグ登りってわけ。
大問題なのは、クライミングそのものを内発的に登って楽しむ場にもなっていない、ことだ。
ただ、俺は生きているぞー!と社会の中で発散し損ねた屈折したエネルギーを発散する場になっているから、いつまでたっても、ナイトボルダリングでうるさい、とか言われ、岩場が閉鎖になる。
せっかく、世界トップクライマーの平山ユージさんが、議員の協力を取り付けせっかく町おこしにクライミングを使いましょーということになったのに、功績者を訴訟して足を引っ張るクライマーが出たりしている。
オールドクライマーのいこじな固執も激しく、いくら小山田さんみたいな現代のトップクライマーが、岩場の開拓で貢献しても、実際の岩がある町には一円も降りない、みたいなことになってしまうのである。
男性は自分のちんちんを通して世界を見るのをもうそろそろ辞めるべきである。もっと大きな視野を持ちましょうよ。
そんなことしている場合じゃないくらい、。日本自体が、まじやばいんですよ?