2023/01/01

お正月は気分循環性障害の反省から…

■ 鬱の回復は2~3年かかる
 
正月早々、夜更かしとお餅で調子がくるって、廣瀬ドクターの動画を再視聴中です…。
 
去年、2,3月の鬱発症で、治ったと感じたのが8月で、現在1月1日ですが、今日はめちゃメンタル調子悪かったので、反省中です。
 
原因は、たぶん、お餅食べすぎ(=糖質過多で、ナイアシンによる分解が追い付かなかった、& 腸内環境悪化)。お餅は一日一個限定ですね。やっぱり食事は用心しないといけないですね…。
 
ここしばらく、めっちゃ元気があり、やる気で(ノルアドレナリン)、イケイケ路線だったので、揺り戻しが大きい。
 
運動習慣をまだ取り戻していないので、まだアクセル踏む段階ではない。
 
こちらは、長期かかるという話。早稲田メンタルクリニック。
https://www.youtube.com/watch?v=9dO__xIipWQ&t=95s

■気分循環性障害ーAC-境界性人格障害(診断)

 

廣瀬ドクターのとつとつとした語りは、心安らぎます。

■ まとめ

・気分循環性障害とアダルトチルドレン(AC)は表裏一体。ACの生育環境=機能不全家庭、繊細な子供の気分の変化を親が調節できない家庭で育つ=気分循環性障害になる。

 ・もともと繊細な子供がなりやすい。(HSP)

・機序

(我慢・頑張り・自責)で、頑張りすぎる → (怒り・悲しみ・自己破壊性)になる

(我慢・頑張り・自責) → (伝える・協力・客観的な責任分析)に変えることが大人になること

 (我慢・頑張り・自責)= いい子 (しずかちゃんタイプ)で症状が軽くなると、鈍感つまり、ま、いっかと流せるようになる。

ちょっとしたこと が きっかけで、気分の調節ができない、というのが症状

・デパケンが第一処方

・医薬を求めない場合、タウリンを選択

・HSPには、B6、亜鉛、ナイアシン

・月経前症候群がある場合、漢方は、加味逍遙散、抑肝散

・SDSを受けると気分循環性障害が分かる

■ 驚いた

車を運転しながらあの壁にぶつかったらどうなるかな~とか、欄干に立って飛び込んだらどうなるかな~というのは、私にとって非常に慣れた妄想で、子供のころからあるので、吹き消すのは慣れっこなのですが…またか~みたいな感じ…

しかし、これってほかの人にも共通の症状だったんですね… 

これの強烈なのが希死念慮なんですね…。

クライミングでは、あまりにリスク感性が低い人に会うと、わざと落ちて意味が分かるようにしてやりたい!という怒りと自傷の衝動が起きることがあります。

例えば、白亜スラブの時は、自己確保で登りましたが、自力解決せず、わざとずっと待っていようか?そのほうが相手のためでは?と考えたりしました(笑)。 

この動画を見て、鬱の作られ方が分かるようになると、血も涙もないクライミング界から足を洗って全くの正解だと分かりました。

 ■ 身近な人(配偶者)や依存症に向かう

(我慢、頑張り、自責) → (自己否定=過食症、ギャンブル依存、アルコール依存、買い物依存) 

だそうです… 最近、飲酒を捨てました…。赤ワインを好んで飲んでいたのですが、アルコールは、ビタミンBを消耗するので…。最近、やっと見ても平気になりました。

怒りは、自責 だけでなく、身近な人に向かうのだそうです…

これは、そうかも?

■ 今回の不調のキッカケ めっちゃ些細なことでした‥

毛糸のセーターで、ハウスダストでアレルギーが出たのですが、そのあと、ずっと鼻詰まりが取れず、自律神経失調症になりました…。なんと、手首を温めて、回復。

お腹を冷やしてはいけないとか、ちゃんと気を付けていたOL時代…山をやって筋肉がついたので、その必要がなくなったのですが、ここ数年で前に戻っているので、再度体を作らないといけないですね。

反省して、筋トレを取り入れるようにしないといけません。 

https://www.youtube.com/watch?v=4V7IoI-fcuQ

この動画によると、長期鬱の人は、起床後4時間以内に運動をするようにすると良いようです。私は朝一の運動は、ふらふらしてしまうのですが、食後に運動を取り入れるように工夫してみようと思っています。

■ タンパク質の充足

こちらの動画によると、アルブミン4.5がタンパク質充足の目安のようです。

https://www.youtube.com/watch?v=4t1Tn4JcFMI&t=101s

藤川医師は、BUN20を目安にしています。 そろそろ私も血液検査を受けないとですが、病院で受けると高額なので、正月明けくらいに、郵送で出来る検査を受けれるといいなと思っています。 

■ プロテイン強化ワッフル

お餅でメンタル悪化したので、餅は午後、一日1個限定ですね。

今使っているプロテインが水に溶けにくく、上手く飲めていなかったので、ワッフルにしています。

卵1個、小麦胚芽、バナナ、もしくはリンゴ、オートミール、プロテインパウダー、シナモン、を混ぜてワッフルメーカーにかける。ナッツを足してもOK。

 ■ 現在のサプリ状況

朝:B50、ナイアシン1000㎎、ビタミンc1000㎎、VA

昼:オメガ3、VC1g、

番 :亜鉛、マグネシウム、ナイアシンアミド1000㎎

補食: 10時 プロテイン5g  15時プロテイン5g

 これにタウリン500㎎を朝晩で追加するようにします。糖質を摂り過ぎた場合はギムネマを食べておくと糖質を帳消しにできます。

余った糖質はすべて体脂肪になります(笑)。

■ 参考プロテイン 運動しない日の最低量 体重×1g

ヨーグルト 50gで タンパク質 1.75g (200g入り 4日分)

ブリー 25g 5g (125g入り =5日分)

イワシ味付け 19g ※ 肉類は大体、100gで10g前後のタンパク質となる 赤身

油揚げ 1枚 4.7g (2枚入り、二日分)

温泉卵 1個 7g  (10個入り、10日分)

納豆 50g 8.5g (3P 3日分)

プロテイン 10g (5g×2)

豆腐 50g 3.5g (300g 6日分)

■ 参考

うつぬきや

https://icsphere.com/

 


2022/12/31

心理的虐待の言い訳に自己責任という言葉が使われている山の世界

 ■ 自覚できない虐待とは?

この本より引用です。https://amzn.to/3WGaZ2L


心理的虐待やネグレクトとは以下のようなことです。
 

「小学生の時に熱があって息苦しかったのに、そのくらいで学校を休むなと言われて家を出された」

=ネグレクト。
 

「学校で苦しそうにしているのに先生が気づいてくれて、計ったら40度あって、親が呼び出された。すると親は不機嫌で、なんで熱なんか出すんだ、となじられた」

=心理的虐待。
 

「学校でいじめられて親に相談したら、ああ、そうなの、で終わりだった」

=心理的ネグレクト。
 

このような場合、周囲からは虐待は見えません、ということです。


■ 私のクライミングで起こったこと…と同じですね…

 「岩場で肉離れし、立つだけでも痛かったのに、そのくらいなんだ、と言われて家に帰してもらえなかった」

=ネグレクト。
 

「岩場でいやいやながら登って、苦しそうにしているのにトニーが気づいてくれて、普通の思いやりある関係性で登ったら、楽しく登れた。すると相方は不機嫌で、なんで俺とは登れないんだ、と態度でなじられた」

=心理的虐待。
 

「無謀な登攀について行けず、ベテランに相談したら、もっと危険な登攀…二人を一人がビレイする状態…で登る羽目になった」

=心理的ネグレクト。
 

このような場合、周囲からは虐待は見えません、ということです。

ほんと、このような関係性はTOXIC(毒になる関係性)ということなので、愛情あふれる関係性でない場合は、最初からスタートしない、というのが大事です。

■ 登攀力だけではなく、お金や物でつながる関係

というのも、

 心でつながらない

ので、難しい関係になるかもしれません。

もちろん、能力には偏りがあるのが人間なので、ある人がリード向き(ランナウトを怖がらない、突破力がある、確実な支点構築が得意、ロープワークが確実)で、他の人がフォロー向き(担いでも登れる、ビレイが確実、など)というのはあると思いますが、その関係性の中で、

 権利意識

もっと相手から搾り取ろう、という意識が生まれると、これはヤバい関係性です。

 

 いや~ JFAが助けに来てくれた。ありがたかった。それほど、九州のボルトはヤバかったんですね。

 

死と無執着について

 ■ 仏教の目指すべきゴールである無執着とはどういう境地なのか?

ーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーー
仏教は肉体が壊れても苦痛に耐えなさいという教えではありません。それは極端な苦行ということで、禁止だと教えています。

では無執着と何が違うのかというと、心を育てていった先に、肉体にも何にも囚われない(不動)の精神的な境地があり、仏教ではそれを悟りと言いますが、その境地が究極の幸福(安楽)だと説いています。

そういう境地の方が実際に存在していて、その人たちは肉体に対して、どのような態度を示すことができたのか、その一例が紹介した経典に記録されていたということです。

一般人の精神は、我欲で汚れていますので、何よりも肉体を大事にします。あるいは、貪瞋痴によって、肉体を何より疎かにします。


この両極端では、どちらも間違えた結果となってしまいます。

ですから、肉体は丁寧に扱って、心を育てなければ意味がないというのが仏教と理解しています。心を育てるためには肉体が必要です。肉体の上手な使い方も学ばなければいけません。

ですから、心を育てる人であれば、生きることと肉体の維持のバランスが取れる思っています。

まず肉体を無闇に酷使しない、壊さないようにする。壊れたら修復する。

しかし、肉体が壊れることは止められない、死ぬことは避けられないので、完全に壊れる前に、死んでしまう前に、できる限り心を育てる努力をする。

心を育てた分だけ、肉体が壊れても苦しみを減らすことができる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 引用終わりーーーーーーーー

■すでに覚った人(阿羅漢)が自分の体(肉体)に対して、執着しない態度とはどういう感じなのか?

ーーーーーーーーーーー

洞窟に住む僧侶が蛇に触れ、その毒の影響で肉体が壊れ、住む場所を汚してしまうので、他の僧侶に頼んで自分を洞窟から運び出してもらう

ーーーーーーーーーー▼相応部経典 第1六処相応 第7ミガジャーラの章 7「ウパセーナ蛇経」(Upasena āsīvisa sutta)(パーリ語 光明寺経蔵)

■ クライマーバージョン

クライミングにおいて、肉体の保護、つまり、文字通りの命綱であるロープワークや、登攀能力の補強なしくて、岩場に向うのは、自殺行為、つまり、無謀です。

敗退を前提としないロープ構成で行く、懸垂下降が出来ないロープ長というのも、同じく、無謀であり、極端な態度です。

適切にプロテクションをとらない、という心も同じで、そこにあるのは、

です。クライミングにおいては、肉体を酷使する羽目に、頼んでいなくてもなることがあります。

私はー25度になる雪山でキャンプしていたところ、冬フライなのに雨が降ってきてしまい、テントずぶぬれになったことがあります。これなど、頼んでいなくても、肉体を酷使せざるを得ない目に遭うということですよね?

日ごろのトレーニングをおろそかにする、ということも肉体を丁寧に扱わないということだと思います。

しかし、一般クライマーにはないことですが、死に瀕することがあります。

私の師匠の師匠は、キノコ汁の毒に当たったそうです。その方はきのこ取りの名人で、みんなに食べて良いキノコとそうでないものを選り分けてくれたのだそうですが、その選り分けた後のを間違って口に入れてしまったのだそうです。

キノコ汁で亡くなるとは、お釈迦様の亡くなり方と同じですね。

その方は、緊急で入院したりせず、ご自身の死を受け入れて、静かに息を引き取られたようです。

一般に、肉体への執着が強いと、

 男性なら 強さ への執着

 女性なら 美貌 への執着

が生まれ、自分がもはや若いころのような肉体強度の強いアルパインルートに行けないことを、苦々しく思い、しがみついてしまい、

 誰か若い人に担がせてでも、行こうとする

ことになってしまうようです。

プライド(慢)が高すぎて、俺のために飯と酒を担いでくれるならビレイしてやってもいい、という態度になってしまうということですね。

そんな高慢は、手放し…無執着ということ…が進まないから、起こることなのだろう…

と仏教を聞くようになり、分かるようになってきました。対等の関係性、互いに感謝できる関係性でクライミングは登るべきであり、

  ただ登ってくれるだけで相手に感謝できない、

と感じられるとき… つまり、相手が負担だ、とか、相手によって自分の生命が脅かされる、と感じる時は、

登らない (無執着)

という判断が良きこと、だと思います。

クラックの岩場


2022/12/30

山での死を仏教的に理解する

■ もう頑張ってる

クライミングで、頑張れ、と言われるのが嫌でした。

なぜなら、すでに120%、頑張っており、これ以上、頑張れば、死に至るのではないか、特に、わざと危険なことを冒して粋がって見せるのがクライミングだと考えている人たちの同調圧力に負けて、40年もののカットアンカーでバンバン落ちながら登るのは、死へ至る近道である、と私の知性がいうから。

しまいには、過去のトラウマまでフラッシュバックしてきていました… 父にプールに突き落とされた3歳児の記憶が突然よみがえっていました…

50歳になれば、もう、誰からも頑張れ!と言われないと思って(笑)、ホントにやっとゴール!と思って、ホッとしたんだが…、マウンテンバイクのほうで、あらー、積み上げた体力貯金がなくなっているね~!ということで、ちょっと残念です。

■ 期待に沿っても反発しても影響

周囲の期待(=同調圧力)に振り回されていたんだな~と振り返る。

自分を変えさせられることによって関係を維持しなくてはならないくらいなら、その関係は、Toxicである、と思う。

私は十分、母や先生の承認欲求のために子供時代をささげたので、もはや、誰かの承認欲求のために生きていたくはなく、自分に由って生きていきたい。

自分に由ることを自由という。自分に由ること、自分のせいであることを自己責任、という。

甲府時代は、アンダーエスティメイト(君には出来ない)で自由を阻害され、福岡時代はオーバーエスティメイト(こんなこともできないのか)で自由を阻害されている。

クライミング界では、自己責任でしょ、の言葉を、自分勝手におれはしていい、けが人を放置していい、ビレイを交代しなくてもいい、破談寸前のボルトだと相手に知らせずに、相手を登らせてもいい、という意味に使っていたりします。

それ、無責任って意味ですよね?むしろ…


■ 他者との同調=教育の日本社会

他人によって生きることを是、とされ、それができることを”大人”とされることを、スマナサーラ長老は、ロボット化、と言う。つまり、教育。

教育は、ロボットのプログラムをプリインストールしようとしている、と言う。特に日本の教育はそうでないか?と思う。胎教なんて最悪のようですね。

■ 深い共感が癒しをもたらす

今日は、長老に深く共感されたことがどんなに大きな癒しだったか、ということがしみじみと感じられた。

そして、弟が死んだということが、なんだか自分の喪失、として初めて感じられた…

■ いい加減なリスク管理での死について

クライミングや山でも、

 いい加減な考え

のために、人はポロポロ死んでいるんだが、

 その人たちの命の価値が軽いのが切ない、

教えてやらねば!と思っていたが、それは

 私の仕事ではない

ことが分かった。

そう考えてしまったこと自体が、事故↓だったんだということだ…



そのような業を背負って生まれてきた人たちなのだ…ということが、仏教を聞くようになって分かるようになり、またどうせすぐ転生するんだろうな~と思うようになった。

互いを思いやるような関係性をクライミングで築き上げなかった人たちや、自分の今世の課題を前に進めなかった人は、たぶん、何万回も生まれ変わる業を積み上げているので、逆に言えば、永遠の命があるのと一緒のことになる。
 

ので、山での死については、そこまで悲しむ必要はないようです。彼らは、山で死にたい(それがカッコイイ)とすら思っているかもしれませんね。

それよりも、永遠にそれを繰り返して転生するのだろう…と見える

 山好きという業の、力強さ

にすごくびっくりしています。山に登ることを、まるで100%良いことのように肯定するのが世間の見方ですが、それは正確ではありませんね。山で不幸になっている人もいます。

アドレナリンジャンキーだったり、家庭が壊れたり、辞められない止められない状態の方とか…

一般に山が好き!というのは、非常にポジティブに受け取られていると思いますが、仏教的には、それは、単なる

 渇愛

です。それも、異常な方に入る。現在は山ブームで、異常渇愛、もよく中身を見れば、ただ

 みんなと同じことをしたいという同調圧力への降参つまり、ミーハー

あるいは

 名誉欲

ってことが多いです。幸福とバランスよく生活に取り入れましょう。

■ 参考 仏教における死

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 コラム|智慧の扉「死を想うことは精進の原動力」(2021年1月号)
 みな人生の計画を立てますが、誰の計画にもひとつだけ「死」という確実な予定は含まれていません。生きていることが暗黙の前提で人生の計画を立てているのです。しかし、実際にはどこを見ても死が見えます。物事が壊れていく(変化する)ことは、毎日・秒ごとに見えています。それなのに、人間は死について、あり得ないことだと思っています。私たちが築いてきた社会・知識・政治などすべては、死という現実が存在してはいけないものであるかのように振る舞っているのです。日常的に死と隣り合わせの医学でさえ、死を避けるための知識体系になっているのです。医学は人を生かすための学問であって、死は最大の仮想敵になっています。
 仏教では、このアベコベな人類の生き方を転換するために、「死は確実な現実である」とくりかえし確認することを推奨するのです。そのためにお釈迦様が提案しているのは、死をシミュレーションすることです。具体的には、「死ぬとき私の心はどうなっているだろうか?」と考えるのです。そうすると、まだ貪瞋痴が残っていることを発見できます。貪瞋痴の心で死んでしまうと最悪です。そこで「いつ死ぬかわからないのだから、とにかく心の汚れを落とさなくてはいけない」と修行に励む原動力とするのです。

ですから、「死」という確実な現実を認めることが、超越した心に成長するため欠かせない原動力となると憶えておいてください。死を想うことは、心に安穏をもたらし、人生を成功に導く秘訣なのです

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2022/12/29

壁での雪崩

■ 雪崩が起こる場所での区別 

私はアルパインアイスをしていたので、冬の沢の雪崩は警戒心があったのですが、壁で起こる雪崩について分かっていなかったので、アドバイスを貰いましたので、掲載します。

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壁でも雪崩は出ます。

私は剱岳で80度くらいの傾斜の岩に、新雪が20センチも付着したのを見たことがあります。

これ雪崩になって落ちました。

クライマーが吹っ飛ばされ、スノーバーでセルフをとっていたのでセーフでした。スノーバーは45度くらい曲がっていました。
 

人生クライマーで山野井さんがマカルー西壁前のトレーニングに、唐沢岳幕岩に行って降雪。壁一面の巨大スノーシャワーとなり、あれは雪崩と同じです。
 

12月一周目に私は黄連谷右俣のインゼルを越えたあたりで、自分の足元から雪崩を起こし、完全埋没したことがあります。運良く自己脱出が出来ましたが、口の周りの雪を除くまで、呼吸ができずに意識が遠のきました。後数秒で意識がなくなったでしょう。

新雪20センチで、雪崩の長さは30メートルでした。

こんなチンケな雪崩でも人は死ぬと思いました。私は以後雪崩については過敏警戒するようになりました。 

今年の4月1日の赤岳南峰リッジ取り付き近辺の雪崩事故は、事前の予兆があったときにエスケープしていれば避けられたかもしれません。

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確かに摩利支天に登りに行ったときは、前日30cmの新雪だったので、雪崩の警戒をし、滝に近づく前に

 弱層テスト

をしました。

福岡の山岳会レベルだと、阿弥陀北稜、南稜、主稜線の縦走くらいはするのかもしれないと想像しますが、いくら太平洋気候の八ヶ岳でも、前日30cmのときは、警戒が要ります。

余談ですが、雪崩講習会は、4-5万円講習費がかかりますが、出る価値があります。日山協のより、労山の講習会の方が細かくて、埋没と搬出もあり、価値があります。

一般縦走で雪になれたら、次はラッセルの山となるかなと思いますが、九州のメンバーがなれている大山は、湿雪です。乾いた雪の雪崩とはまた違う感じがしました。

どちらにしても、九州では雪について体験知を深めていくことはできないと思うので、いきなりヒマラヤでーす、となるのかもしれません。

数年雪国で暮らすと、雪や寒冷についての知識も増えるような気がします。 

八ヶ岳のように寒いほうが濡れに対する管理は楽ですが、濡れると寒くない雪山でも寒い雪山になってしまいます…。ヤツ程度の縦走でも、大学山岳部君たちは、凍傷で下山とかになっているので要注意です。

温かい九州と違って、寒い八つでのアイスはビレイは、ダブルのブーツが要ります。基本的に装備不足が目立つような気がします。 

あと黄連谷は正月前じゃないとダメというのが通例です。



期待への反応を変える課題

期待への心理的反応についてはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=lq_jAzB3G6s&t=192s

私も勉強していたゾーンの著者、マーク・ダグラスの心理学のまとめです。

■ パワークライミング

クライミングでは、私がしたいと思っていないこと

=イケイケどんどんなクライミング

=ぶいぶい言わせるクライミング

を、なんでみんなが私に期待して来るのかなぁ…と、思っていました…。あるいは、九州クライミングのまとめ役とか…。

私は、転勤で来ているだけで、定住する人ではないので、リーダーシップをとってもすぐに入れ替わることになるだけです。意味がないでしょう。

今は人がスッカラカンに去って、超快適化してきました…。

■ BMC トラッドフェス

UIAAからのトラッドフェス参加のお誘いが来たときは、相手の期待値が分からず、混乱しました。

もしかしたら、純然とした親切で、誘ってくれたのかもしれませんが…相手の意図が分からず、混乱しました。

もしかしたら、期待を読むことに慣れ過ぎて、相手の

 純粋な好意

を読み取る能力が欠如しているのかもしれないです。ひも付きではない親切ですね。

紐付き親切=期待、ひもなし親切=行為

この切り分けは大事ですね。

しかし、今もって期待値の切り分けは出来ていないかも…。

ここは、乗り越えるべき課題ですね。

要注意!分かりやすい成功を求めると不幸になります

■ 不幸になる機序 

5分ほど瞑想して、何を間違ったのか?明らかに分かりました… 
 

小さな不満

億万長者とか、世界一周とか、年収一千万円とか分かりやすい成功をぶら下げる成功者という名の詐欺師に、あなたも私みたいになりたいでしょう?と言われる

いや、なりたくないけど…と言っても、そんなはずはないはずだ!と言われる

そうかなぁ…と思って取り組む

今の生活が色あせて不幸に思える  ←比較

不満がうまれ、本当に不幸になる

つまり、見掛け倒しの成功者の成功を真に受けるとダメです。見掛け倒しではなく、登山界で言えば、ピオレドール受賞者のような真の成功者の表面だけをなぞってうらやむのもダメです。

■ クライミングバージョン

高校山岳部

登山ガイドになる

俺だって、めぐり合わせさえよければ佐藤ユースケと思う ←比較

目の前の家族やお客さんに感謝できない

アチコチ浮気して回る

家庭不和

不幸

■ 私のバージョン

パワーこそクライミングに必要なものだ!と言われる

そうかなぁ…

指を見せて見ろ、なんだ、曲がっていないじゃないか?お前はクライマーじゃねえと言われる ←比較

やってみる

怪我

やっぱり違う

そもそも、クライミングできなくなる

不幸

恨む

不幸

■ 一般クライマーバージョン

普通に山登りしていてステップアップでクライミングする

5.12登れるの~すごいねーと言われる(ホントは全然すごくない)

そうかも?と思う

ウエアが派手になり、イケイケクライミングを自己PRするようになる

クライミングの成功…ブイブイ言わせる?を周囲から期待されているように錯覚する

実際は、普通のクライミングライフ  ←比較

仲間に感謝できない

要求が過大になる

仲間が去る

不幸

■ キラキラライフ

結局、共通の、不幸の原因というのは、

 どこか架空のキラキラライフをやっている人と自分を比べる

ように迫ってくる”詐欺師”とか”世間”とか、”俺だって”&”私だって”の自尊心とか、自分の中の妄想…得体のしれない何か…漠然としたもののような気がします。

つまり、存在しない”欲”に向って生きると、非常に不幸になります。期待値が、この世のものではないために、追いつけないからですね。

欲… 将来どうしたいか?ということを目標にして生きるのは、漠然としたありえない目標、例えば、登山で言えば、〇〇歳でピオレドール賞を受賞する、とか、はダメですね。少年よ、大志を抱け、は時に不幸の道です。個人の努力で影響を起こすことはできないからです。

そういう目標ではなく、”3年後に北岳第四尾根を登りたいから、今は毎週2日人工壁に行き、週末はピッチ数を稼ぐために外岩”、とか、計測できるような目標を、

 お尻から考えて、現在、何をしておかなくてはいけないか?

ということに落とし込めば、実効性のある努力になります。

■ 嫉妬心は慢

クライミングにおいて

 キラキラライフ=著名クライマー

一般生活において

 キラキラライフ=世界一周 月収1千万

みたいな感じで、名誉の欲や、物質の欲、をニンジンのようにぶら下げられると思いますが…

それは、

一体、誰の欲なのか?

っていうのが、かなり問題です。 

親の欲の場合は、親の自己承認欲求の手段にされていたり、コーチの場合も自己承認欲求の道具にされていたりします。

私は熊本高校へ進んだときは、中学の担任の先生の自己承認欲求の道具にされました。

■ 圧倒的な幸福にも、ネガティブ面はある

例えば、ピオレドール賞も、生涯功労賞を受賞した山野井さんの淡々とした様子を見ると、”あれ?あんまり嬉しそうではないんだな…。面倒なことが増えたのかな?”とか(笑)、ギリギリボーイズの皆さんにしても、知名度を上げるために苦労しており、”受賞ってだけで、後は、安泰、ってないんだな…”とか、色々分かりますよね(笑) 。

去年あるクライマーに、こちらで著名なクライマーのフォローを情報収集目的で薦めました…ら、

「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」

という返事で、

 取り巻きに囲まれてちやほやされること

が彼の真の願いで

 ボルダリング三昧

ではないことが分かりました…。これは幼児的願望、ってものです。https://www.youtube.com/watch?v=iElAjP1HZ44

でも、取り巻きに囲まれて、ちやほやされたい…って、この先、一生ありえない状態ですよね… 。この要求を満たすのは、お母さんに甘えるしかありません。恋人でも、一方的にちやほやするってないです。恋人は愛されるために得るものではなく、愛するために得るものなので。

多分、日本人の生活って、世界で稀に見る豊かな生活で周囲の人も同じくらい豊かなので、幸福がイマイチ実感できないというのが、コアにあると思いますが…、ガチで確実に言えることは、

 明日、食べるものがない、寝るところがない、それ以外は全部幸せ、

ということだと思いますよ。

そういうのを分かるために山に登っているんだと思うんですが。


 

2022/12/28

アルパインロックのグレーディング表

■ 使い分け

私は、沢用、アイス用、アルパイン&一般登山用、フリークライミング用、とブログを使い分けており…というのは、自分が行きたくなったときに過去の記録を捜すのが分けていないとやりにくいからなんですが…

このブログは、フリークライミング用なので、グレードというのは、デシマル以外はいいか~と思って特に掲載していなかったのですが…

九州では、”アルパインロック”と”フリークライミングのマルチ”が、まるでごちゃ混ぜに語られており、フリークライミングどころか、インドアのスポーツクライミングの流儀で、脆い支点のアルパインに行くことが普通のように扱われているようなので、掲載。

アルパインのルートに行くときは、セカンドもトップもセルフレスキューのトレーニングをし、知識を共通化したうえで、セカンドは、ロープアップされない場合に備えて、ロープ登高、もしくは、自己確保での登攀をマスターしていないと、セカンドでも務められません。

これは、フリーのマルチでも同じです。

アルパインロックの場合は、

 1)一番難しいピッチグレードが、落ちないで、つまりオンサイトで登れる能力と、

 2)気象知識、

 3)ロープに使われてしまうのではなくロープを使う技術、

 4)アプローチをこなす体力、

 5)敗退時に備えた支点構築と懸垂下降の技術、

 6)敗退が起こった時にも何とか出来るだけのロープ長、を考えることができる計画立案能力、

 7)山での一般的生活能力 (排泄、寒冷の対処、落、テント泊、読図、一般登山の常識)

が必要です。

大体、男性クライマーは一番難しいピッチグレードがレットポイントで登れるから何とかなるだろう…と思っているような節がありますが…

現代のルートは、残置のボルトがあったとしても、それが落ちれるボルトとは限らない…たとえハンガーがついていて、新品のペツルにそっくりだとしても…です。 

ですので、一般に、マルチは2グレード下、というよりも、40年経過したカットアンカーのルートでは、もっと厚いマージンが必要です。

(例:5.9がオンサイトできるから、5.7では多分落ちないだろう=NG、安全マージン薄すぎ。5.11がオンサイトできるから、5.8はめったなことでは落ちないだろう=OK、安全マージン、まぁ大丈夫)



 ■ 菊地さんの『日本の岩場』より




 

6級の難しいルート 例:奥鐘



 

 

フリークライミングにおけるクリエイティブ性とは何か?の予習

こんなアドバイスを頂戴しました。

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岩の優良ルートを沢山登らないと、ジムでよいルートはセットできないと思います。

ジムのよいルートとは、ルートのグレードのムーブとフィジカルが釣り合っているということです。

外岩の良いルートとは、10aのルートを10aのムーブと、10aのフィジカルが必要ということです。

力のある人は最適ムーブをしないでも登れるのですが、そういうクセをつけると、たとえば限界グレード13aを登ろうとして、さらに難しいムーブ(最適でない)ことをすることになります。

13を登る上手な人は、初見で10aを10aのムーブで登ります。最適でないムーブ(10cムーブ)でも、登れるはずですが、そんなことはしません。

これが上手なクライマーということです。

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なるほど、と思いますね。ボルダー出身の人は、同じルートを登っても動的で、ひやりとすることが多いです。ジャンボさんが同じところを登っていると静的で、足を組み替えていました。アルパイン出身の登りこんだ人たちは、ホント足を細かく拾います。手では登っていないことが多いです。もちろん、ハングになったら、手も必要ではあるんですが。

薄被りで練習するのが良いと教わっていましたが、手先行の登りなので、反省して足先行を意識しようと思いました。

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草野俊道さんの設定したルートは8級でもムーブがあって面白いそうです。

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九州に草野さんのルートってあるんだろうか…。

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フィジカルで登っている人がガイドをやると、講習生は悲惨です。技術的指導は何もできません。

核心を越えて、よれよれの講習生に、「さっさと登れ、そんなところで休むな」ですから。

ホールドの持ち方やレストのやり方は指導しません。

3年くらい前にクリス・シゃ―マが御前岩で14cに苦労しました。1日では登れなったです。力が落ちて来たんでしょう。現在41歳ですけど。

一方、ユージは現在52歳ですがまだまだ登れます。近頃二子で14d登ってます。

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■ 私の経験

九州で知った開拓者の米澤さんのルートは、典型的パワールートでした。

米澤さんはさすがのクライマーで74歳になってもツヨツヨで、45歳で12まではRPできるクライマーですら、米澤さんの10bで落ちていました。

私は米澤さんのことを知る前に、鬼が鼻岩で、米澤さんの10Aをほんとに10Aだと思って、リードで取りついてまったのですが、途中クリップするゆとりが出せずに、トップアウトしました…。あれは絶対10Aではないですね…。

あとで、九州であそぼうという会をしている方が、「おれ、米澤さんの10cは登れない」と言っていてその方はいつも11までは楽勝で登るので、米澤さんの課題が辛いことに気が付きました。

九州では、ムーブというよりパワーが中心の課題設定になっています。

以前の師匠、青木さんとは、彼が慣れていない初めて見る課題をオブザベして行きたい!となったところ、ちょうど彼が登れるところは、私が登るのに適していました。昇仙峡はトポないので、岩そのものを見て青木さんが登りたくなり、登ってみて、”これ、5.8やで~、登ってみー”という感じだったので、ちょうどよかったのです。

ところが、岩を見てグレードを判断する習慣がない現代のクライマーと岩場に行くと?

トポで見て、5.9をほんとに5.9だと信じています。これは危険です。

以前、八面の下部エリアに行ったのですが… 実は、そこ、地元のクライマーがリボルト候補の筆頭にしており、ボルトが劣化していることが知られて、誰も登らないところでした(汗)。

日向神でもオールアンカーのところに連れていかれ、どう?と聞かれ…(汗)。いや、どう?と聞かれても…と、言葉に窮すことになりました。いくら楽勝で登れそうでも、ボルトが悪いところには取りつけませんよね?

ということで、現代のクライマーというのは、クライミングのメッカ山梨で10年登っても、

  ボルトの良しあしは見分けられるクライマーには育っていない

という意味です。

九州がカットアンカーであることに気が付いたのは、私が最初のクライマーなのでしょうか… なんせ、誰も指摘しないので、新規ボルトもカットアンカーみたいなことに比叡ではなっていました…(汗)

つまるところ、支点の見極め=リーダー性、なのでリーダー性はない、ってことです。

ルート選びは、易しいところ、ではなく、

 支点がしっかりしているところを選ぶ、

というのが基本です。沢とかでもそういうルートファインディングになると思うのですが…。

そういうのができていない人は、易しいから、と言って支点になるものがないところを落ちれば死に至る高さまで登って行って、そして、降りることもできなくなっていますよね?

いや、ほんと死ななくて良かったです。

彼のために言うと、相手にだけ、悪いボルトを薦めるのではなく、東さん開拓の野岳ですら、カットアンカーなんですが、本人も、バンバン落ちながら5.12を登っていました。

ボルトの見分けがつかないのは、九州の人に限らず、たぶん関西の人も同じで、

 グージョンとカットアンカーは見分けられていない

と思います。カットアンカーは、カムより強度が低いですよ。

■ クライミングは、ビレイヤーとクライマーの協力の結果作り上げるもの

は6Aの課題で、ラオスで、各駅停車で行ったのがあるのですが…。

短い6Aだったので、傾斜が強く、ずっとハングしているので、恥ずかしながら、一ピンごとにレストで、ビレイヤーにはホントに感謝しました。

ビレイヤーの方も、よかったね~という感じで、喜んでもらえました。その時は夕暮れ時なのに、ギャラリーがいて、登り終わると、拍手が出たので、ちょっと嬉しかったです。

6Aでも、別のもっと素直な課題があるとは思ったんですが…その課題は、思い入れが生まれました。私の超苦手系課題ってことです。

その時は

 ビレイヤーと一緒に作るクライミング

というのを感じました。オスカーというスイスの若者と登ったんですが…。オスカーは、7Aまで登れ、体の大きいクライマーでしたが、他の6Bで下部核心ので、必死になっていたんですよね‥ それで、お互いに、パワーが課題だね~みたいな雰囲気に自然となり、彼の四苦八苦の後、私の番、みたいな感じの6Aでした。

オスカーとはビレイヤーとクライマーの間の絆が築けた、と感じられました。

■ 絆不全症?の日本人男性

前回、ある国際ガイドの方とラオスに行った時、私が彼と組むのは嫌になり、周囲に根回しして、オスカーじゃないですが、長身のスイス人の若者を見繕って組ませたことがありました。

そのスイスの人、11くらいでそこまで上手じゃないので、ちょうどレベルもあっていたと思うし、国際ガイドの方はリスク管理にたけていたと思うので、ぴったりだったと思うのですが…身長もおなじくらいだし…。それに国際ガイドの方は、とっても喜んでいました。

それでホッとして、これで私の役目はすんだ!とおもったら…、二人は翌日は登っていませんでした…。せっかく根回ししたのに…。

私の勝手な空想では、日本人男性の

  日本男児的な態度が、世界標準ではないのではないか?

と…

だっていくら国際ガイドでも、フリークライミングの世界では、誰しも

平民

ですよね? アルパインクライミングは身分制度でカーストがありますが、フリークライミングは、民主主義国家ですよね(笑)? 

アルパイン出身の人はなんか、関係ない実績で、尊敬されたがっていませんかね?

例えば、指がないとか…で、自慢するとか…。国際ガイドの資格あるから、俺が作る支点の方がエライ、とか…。支点は、頑丈であれば、ノットのタイプは何でもいいですよ。

それは、一般登山で、俺は○○株式会社の社長だ!と言って偉そうにするのと同じだと思うんですが…。

フリークライミングでは、世界最高難度を登るまで、延々と、

 どのグレードの人も質的に同じことをしているだけ

です。

12登る人が、9登る人よりエライ!って思っているのは、アルパインの身分制度なのではないかと思います。

■ アルパインの人が言う実績も大体においてええ加減なもの

アルパインの人は、エイドに逃げても、それを言わないことが多いです。

アルパインの人は、Aゼロしてしまっても、登れた、と自分を丸め込む癖は、フリーでは改めたほうがいいです。

現代のフリークライミングの強化ギプスみたいなクライミングジムがいっぱいある時代で、

 エイドで初登

って発表するのは、時代錯誤のような気がします… それは立派なことというより、むしろ恥ずかしいことに分類されるのではないでしょうか…。これは私の私見ですが。

きちんと登れるような人たちは、いくら初登でも、フリーでない限り、発表して自慢しようとは思わないのではないでしょうかね?

その辺は現代のトップクライマーがどのような記録を上げているか?研究して、スタイルに対するそのクライマーのこだわりを研究しないと見えてこないと思いますが。

そう言うのを見せるために、佐藤ユースケさんなどのトップクライマーは記録を発表しているんだと思うのですが、違うんですかね??

逆に言えば、スタイルを書かない記録というのは、大体、しれっとエイドで抜けている、のかもしれませんね…(笑)

神津牧場 シャイアンV+級。私のリード課題。うまくプロテクション打てたなと思って嬉しかった事例。この時はVないような気がしますが。

なんで醤油樽がダメで、シャイアンをリードしなさい!になってしまったのか?当時の初心者の見識しかないワタシには、当時、謎でしたが、現在の解釈ではこうです。

シャイアン=下部が優しく、上部が垂直という課題は、初心者に向いている。クライミングでは上では落ちても大丈夫というのが常識なので。

醤油樽=ずっと段々がある=ビレイが難しい、落ちれば段に当たるというので、醤油樽は回避され、十分Ⅵ級が登れるようになってから、Ⅴ級をリードするほうが安全、ということなのでしょう。

アイスだけでなく、フリーも、この作戦の方がいいのではないかと思います。



2022/12/27

制動する手の位置が悪いビレイ

元になっている動画はこちらです。


 

待機時の制動手の位置が間違っています。ビレイ器より下にないと制動は効きません。

九州でもこのようなビレイをする人ほんとに多いです。

 

リードへの移行は啐啄同時

■ 早い段階でリードをとらせる害=アルパイン教育をフリークライミング教育に持ち込む害=俺様思考

かもしれないと、ふと気づきました。


アルパインクライミングでは、ザイルのトップは責任が重い(トップは落ちることは許されない)

セカンドにもトップの立場(や苦労)を分からせるために、易しいⅢ級やⅣ級でリードさせる


簡単なので、ザイルトップの責任感が分からない & 簡単なので大ランナウトが普通


意図は先輩の立場を分かってもらうことなのに、意図に反して、えー?こんなのも登れねぇの?と言うようになる


 ランナウトの危険は認知できないクライマーに育つ

もしくは 認知したとしても、やせ我慢して登る

ランナウトに耐えることがリードなのだと誤解する

その価値観を、フリークライミングに持ち込む

↓ 

自分もそういう教育を受けたのだからと、他の人にリードを強いるようになる

怖いもの知らず&ロープの配置が悪いクライマーが出来上がる

 

例:ダブルのロープは使い方をマスターしていない、あるいは、すぐロープスタックするようなスリングもしくはカム配置なのに、登りながら気が付けない、など…

…と、こういう機序になっているような気がします。

というのは、

 RPグレードの高さと実際の岩場での行動がミスマッチ感

がある男性の先輩がいて、その方の記録にふとめぐり逢い、え?というドえらい早い段階で千波の滝をリードしていたからです。

その方のアイスクライミングのムーブは、私よりも洗練はされていなかった…師匠の判定です…ので、ふと思いました。

私は師匠からリードのススメを貰ったのは、6級の氷柱がスイスイ登れるようになってから、です。

4級は最初から楽勝(ザック担いで登りました)でしたが、広河原沢左俣ですら、リード許可下りず。リードはしていますが、と言っても、本当に初級のところでした。5級の氷を登っていた程度の時は、私は醤油樽の滝は、段々で立てる(レスト出来る)ので、リードできるのではないか?と思っていましたが、師匠は嫌がっていました。許可はおりませんでした。

■ 男女差?

男性と女性でリードしていいよ、という許可が与えらえるスキルレベルは違うのかもしれませんが…。

つまり、男性は薄いマージンで、女性は厚いのかもしれませんが…。

それでも、初期から、リードしろ、の圧力があるのは、良くない教育方針のように思いますね…

もちろん、依存心があるのは良くないですが、かといってリスクを小さく見積もるクライマー…つまり、慢心があるクライマーってことです…は、クライマーとしての基本能力開発に失敗している。リスクは適切に見極められるように育てないといけません。

男女差より、個人差が、高所への恐怖心には大きいです。私の夫は、私より当然、体力も上で、筋力も強いですが、高所は怖がって全くダメです。

■ 啐啄同時

そったくどうじ、は、卵が孵るときは、内側から殻が割られる、という意味です。

卵が孵化する瞬間を待たず、外から卵の殻を割ると、中身の雛は死んでしまいます。

リードもそのようなものではないかと思います。

つまり、本人が自信をもって、リードに進みたいと思い始めてから、進ませるということです。

なんせ最近の人は、インドアジムでスタートしているので、

 支点の強度を疑うことがなく

 すぐ落ちることを是としており

 すぐにダイナミックムーブを使う

のです。これでは、日本の支点が40年ものの外岩で安全に登れるはずがありません。外岩リードでは、

 支点の強度がヤバい、

 ランナウトしているので、落ちていい箇所と悪い箇所がある

 ダイナミックムーブは使ってはならない

というのは、教えないと彼らは自発的に気がつくには、何年もかかるか、もしくは事故ったり怪我してから、ということになります。 

外岩では、墜落NG、テンションOK、です。

■ 自分の育てられ方は間違っていたな…

私の教育は、アルパイン流の教育で、最初の確保は雪上ですし、三つ峠なんて2度目からリードしていましたし、西湖の岩場のアイゼントレのところは2度目からリードでしたが、考えてみるとⅣ級のところなので、まあ、いいか、と今では思いますが、現代のアルパインクライミングは、フリークライミングを基礎力とすることを考えると、やはりフリークライミング流の教えられ方のほうが良かったなと思います。

あのタイミングでは、支点のことを学ぶべきだったなぁと思いますが、教えられたことはなかったように思います。なにせ、落ちないので、支点の存在価値希薄だからです。

落ちないところでは、支点の強度の大事さ、というのは身につまされないので、身につかないです。

だから、フリークライミングの時代に変遷しても、スポートルートなのに支点がボロイことを受け入れるような、そんなクライミング文化になってしまっているのではないでしょうかね?

■ リッジの古いリングボルトやハーケン

日向神でも、残置のハーケンやリングボルトが残っているリッジのルートがありますが、

「これ、ボルトにするべきと思う?」

と聞かれ、返事に窮しました。

いや、あれで落ちる人、いないですよね…みたいなルートだからです。どう考えても25kNの強度のボルトは、オーバースペック。

一般登山者でも、普通の人は、まず落ちないレベルです。もちろん、左右は切れ落ちているんですけど…。怖い人は来ないですよね。なので、リッジが好きな人というのは、ある程度、

 高度感(見せかけのこわさ)は平気で、本当に落ちるリスクだけを怖がる人

です。

アルパインクライミングでは、見せかけのこわさと、本当のリスクを切り分ける能力が必要です。

例えば、甲斐駒の黒戸尾根って、私にとっては転滑落するようなところあったっけ?くらいな登山道で、難易度的にあれで怖い人には、アルパインのルート無理では?と私には感じられましたが、それでも、一般山岳会の会員レベルの人たちでは、落ちている人いますよね…。男性でもです。

さらに言えば、スリップというのは、本人の意識で防げるか?というと防げない。

Ⅱ級のアイス…つまり、凍った平坦なところ、って意味ですが、それで転ぶ、”6級アイスはすいすいフリークライミングのムーブでこなすクライマー”なんて、なんぼでもいます。

スリップ時の保険という意味のロープと、フリークライミングのロープの意味は全く違う。

それにも関わらず一緒に理解されているのが、事故多発の思想、なのではないかと思いました。

■ ロープの意味の違い

フリークライミングの場合は、ロープは頼れる心のよりどころ、って感じです(笑)。ロープが信頼できるから、つまり、ビレイヤーが信頼できるから、ツッコむ勇気が出る、って話です。ロープが信頼できない=登れない、です。

アルパインクライミングの場合は、ホントにただの保険、万が一の保険なので、使わないで済むのが成功の証です。

その意味の差を教えそこなうのが、

アルパインの論理で、フリークライミングを教える教授法スタイル、

という気がします。

結果として、

イケイケクライマー & 無謀を自慢してしまうクライマー

が出現してしまうのでは? 

それを40年ものの支点でやると、ロシアンルーレット状態です。

こう考えると、イケイケの方、無謀の方、天国に一番近い男と言われて誉め言葉だと考えてしまう方は、

失敗した教育の被害者

なのかもしれません。

つまり、本来は、しばらくセカンドで登って、ランナウトの危険や、自分の登攀力と課題が要求する登攀力がミスマッチしないように分かるようになってから、リードに進むのが良い(そったく同時)が大事なのに、そういう風に育てられず、急かされて育てられ、

他の人にも恐怖心を乗り越えることがクライミングゲームだ

と無理強いするようなクライマーに育つ、ということです。

■ 怖くないラオス

なんせ、私ラオスでは全く怖くなく、たった2週間で一年分くらい成長したんですよね…

それだけ日本での環境がストレスフルで、私の成長を妨げていたということです。

九州のクライミングカルチャーでは、甲府時代より、さらにストレスフルになったので、ここではクライミングで成長することは冷静に考えても、無理ですね。

  野岳よ、お前もか…のボルト。カットアンカー… 早くリボルトされませんかね? つまり、九州ではきちんとした開拓者でもカットアンカーだったってことです… 安物買いの銭失いどころか、安物買いの命知らず、ってことになっています…

2022/12/26

マウンテンバイクで使われていない道の価値を再構築する!登山におけるクリエイティブ性とは何か?の研究

■ 思ったより疲れてなかった

昨日は、MTBの大会に出ていました。研究のためです。

しかし、右膝の脱臼の後、2年もきちんとした運動をやれていない…クライミングでボルダーに行くのは危険極まりないし、ヨガの仕事は蓮華座を組めない…というので、仕事でも運動習慣を失いました。

また栄養欠損で鬱…作った筋肉も失いました…ので、体がフレイル化している自覚があり、筋肉痛でヤバいかもしれないと恐れていましたが、思ったより大丈夫でした。と言っても、明日辺りに来るのかもしれませんが…(笑)。

近所の温泉に入ろうと2件もトライしましたが、一件は廃業、一件はすごい混雑のようだったので、帰宅後、速攻でお風呂に入りました(エプソムソルト入り)。とりあえず、今日もあまりくたびれていないようです。

■ 自分を知る

ルートのクリエーションのほう、どうルートを設定するか?というほうが、私は、レースよりも興味があることが分かった。

■ マウンテンバイクの特性

マウンテンバイクは、実際は登山で使うような山の中を走るものではなく、どちらかというと登山の等級では、価値がないとされた道を使うものです。

UIAAのⅡ級、つまり、平坦な道、を徒歩より素早く走り抜けるためのものです。登山で楽勝のⅢ級(一般登山道)の道すら、マウンテンバイクがあると、もう担いで上がらないといけなくなり、バイクがないほうが楽です。Ⅳ級(鎖場レベル)なんて、とんでもないです。

ちなみにクライミングはⅤ級から上(ロープが必ず必要)の事です。(マウンテンバイクでも、降りる方はⅢ級までは行けます。周囲が切れ落ちていないなど、条件が良ければⅣ級程度まで降りれる男性の強いライダーはいるかもしれません)

そういうことなので、マウンテンバイクで走れる 

  ”自然の中の道”

というのは、いわゆるハイカーが嫌がって誰も来ないような道、です(笑)。

■ 事例

これは昨日使ったルートの 一部ですが… 読図で、この地図内の

 黒実線の道

のようなのをたどります。黒実線がたくさんあって、道路が近い=目の付け所、のようです(笑)。

時に車道や、白い実線レベルの道を使い、スタートとゴールへループ状にコースにまとめる。

この道の選択や構成にクリエイターと言われる人のセンスが現れるのだそうです。

■ 登山価値のない道

里山の登山に行くと、よく登山道以外に、この道どこへ続く道なのだろう?というのが出てきますよね?大抵は、どこにもつながっていない道ですが、たまに地元の人が使っている道で、ほかの道と繋がっていることがあります。そういうのをつないでコースにします。

私は甲府時代に、裏山の愛宕山では色々な地図に載っていない道を知っていました。

そのような道をつないで、自転車で約25㎞ほど走るというのがレースの概要です。自転車で行く場合は、

  乗車率の高さ、

が、ルートの良しあしの判断基準となるそうです。

この地図の◇のところは、道がループになっているのをたどると、間違いで、その先の北上するのをつなぐと、この地図にはないですが、尾根道に出ます。大体登山でも顕著な尾根には必ず踏まれた後がありますよね。あれは、みんなが楽しく遊んだ後だと思うのですが。

この地図で、鉄塔のマークをまるで囲みましたが、高圧線の場所とは離れた位置に鉄塔が出ています。

登山における読図との差は、登山では、ピーク、尾根、谷、コルを読む、ということになりますが、マウンテンバイクで使う道は、里山の人工物が多い道なので、記号と現実を照合する、のが多いことです。もちろん、傾斜が読めたら助かります。等高線一つで10mですが、マウンテンバイクだと、10mの登りも、12,3kgの重し付き、ってことです(笑)。

自転車が得意なのは長い下りかな…

■ 里山はあまり好きでないけど、探検は好き

私はずっと以前から、ちょっとした里山のすそ野の、誰も来ないようなところに道がついていたりするのを、へぇ~おもしろいなーと思うような人でした…。

夫とも甲府の愛宕山周辺を探検して楽しみました。筑紫野の暮らしのころは、よく近所の川辺を散策に行っていました。

福岡は、都会すぎて、そのような身近な、普段着の探検がない…。出かけた先に小さな発見、近所の野良猫道、発見!みたいな路線というか…。そういうものが、大都会は、街ビルでありますよね、裏路地に店があって、へぇ~とか。そんな感じの知らないことを発見するのが好きな子供でした。たぶん、じっとしていてほしいという母親の都合に合わせさせられてきたからだと思うのですが。

■ トレーニングギプスのマウンテンバイク 

マウンテンバイクは前述のようにちょっとした坂ですら、筋トレマシーンです(笑)。

今回は、風邪気味?だったので、やたら登りがつらく、初心者だけのツーリングクラスに参加しているのに、置いて行かれそうになる…ので、おかしいな?と思っていたら、下りでも皆に追いつけなかったので、はて?これは自分の体力低下だけの話ではない、おかしい、というので、途中棄権して、読図でスタート地点に帰ったのですが…。

車道をヨレヨレと一番軽いギアにして漕ぐ私を、大会スタッフの方が心配して、車から応援…なんか、感動の名シーンやってるよ??と思っていたら(笑)、なんと、最後の1㎞くらいのところで、後輪がパンクしていることに気が付きました…。

スローパンクチャーってやつです。パンクだから、スピードがまったくでなかったのね…と分かりました。

もちろん、トレーニング不足というのも純然とした理由としてはあると思うのですが。他に、考えられる要因としては、まだ悪性貧血が全快ではないのかもしれません。葉酸とB12は充足したとしても、女性の場合は慢性的に、Fe の不足があると思うので、そろそろそちらに取り掛かるタイミングかもしれません。Siboはだいぶ良いのではないかと思うので。

今回は、途中棄権したので、より一層

 車の走る道と、クリエイターが用意した里山の見捨てられた道の差

が分かりましたが、

見捨てられた道をうろうろするほうが、植林の中だったり、竹林の中だったり、ため池の堰堤の上だったり、なんだかんだで変化に富んでいます。

車道を走ると、店しか発見がないですね。あるいは、神社だの、人が作った人工物です。つまり、

 車道=店、見えるものみんな人工物

ということが分かった。車道にいるだけで、人は目に入るものに対して、先入観を持たざるを得ない宿命にあるということです。

車道から離れてみると、資本主義社会から、切り捨てられた様々なもの…が、ほこりをかぶって、誰か見出してくれる人を待っています。例えば、竹林、ため池、ブルーベリー農園、イノシシの罠、高圧電線の鉄塔…そのために苦労して付けられた道…ということです。

■ 好奇心

 こっちに行ったら何があるのかな?

という程度の好奇心が満たされることは、非常に幸福なことなのだ、と思いました。

これは、アーティストデートと言われるものだと思います。https://torinoweb.work/2022/04/25/spiritual003/

これからは、うろうろしてみようと思ったりした大会でした。私の家の近所は、あまりうろうろし甲斐がある場所はなく、ちょっと郊外に行かないと、出かけて楽しい場所はないようです。

■ 町でも楽しかったサンフランシスコ

そう言えば、私は1年いたサンフランシスコでは、6回も引っ越しました…(笑)うろうろして、町の中を知り尽くすのが楽しかったんですよね。

そう言う風にウロウロするのが、私の言葉で言えば、

 探検、

です。

■ アルピニストやアルパインクライマー とは?

こうしたことに照らし合わせると、

一般にアルピニストと言われる人たちは、高所登山の手段(酸素ボンベ、シェルパ、スポンサー、広告宣伝)という手段を使って、このウロウロを、高所で行う人たちなのでしょう。

山野井さんたちのようなアルパインクライマーは、ロープが出るレベルの登攀、山に対するリスク認知力、気象や天候のスキを突くことができる機動性、スピード、寒冷に耐える肉体能力の高さ、などによって、登頂を成し遂げるというゲーム…を行っている人たちの事でしょう。

もちろん、一般登山者レベルの肉体能力でも、すでに踏み固まれたところを道標に導かれた山をするのではなく、読図によって進んだり、沢の道、岩の道、氷の道、など、様々な要素が易しいレベル…5.7~5.9…であっても含まれた、

 オリジナルなルート

をたどることは可能でしょう。

既存ルートの踏襲に踏みとどまっているだけでは、全然、創造性というのは開発されません。

つまり、主体性=創造性、なのかもしれませんね。

つまり誰かがここを歩きなさいと言ったところだけを行くというのは、創造性はゼロですね。クライミングの課題でも、同じです。

そうではなく、創造性を発揮するには、

 自分の計画で自分の道を作る、

ということです。それは既存ルートの組み合わせでも、そのクリエイターの思想、設計というのはうかがえます。

私のパートナーたちの立てる計画は、パートナーの私を考慮せず、自分の喜びを最大化するだけのものでした…

■ 大人だった…

昨日は、私は、病み上がりから久しぶりだったので、遠慮してツーリングクラスに参加したのですが、ツーリングクラスですら、足を引っ張る有様でした。

なので、ちょっとしたご褒美が用意してあるポイントまで遠い段階で、だいぶ時間を浪費させたので、皆さんに申し訳なかったのですが、誰一人、

「迷惑なんだよ」

って態度の人が、いなかったのが驚きでした…というか、そのことに驚いている自分にも驚きですね… どんだけ悪環境で今まで登っていたのでしょう…。これが普通の大人社会なんだな~としみじみとしてしまいました。

現在、クライマーが登っている環境は、非常に雰囲気が悪い環境みたいですね…。

最近、山岸さんのテレビで、東野さんがワイドクラックに挑戦するという企画がありましたが、あとで記録を調べてみると、私は昇仙峡のワイド5.9+を2日目で登っていたようなので、あれ?と思いました…もうほんとに、

 登れない人扱い

えー、これくらい登れよ、みたいな扱いを受けたのですが、そんな扱いを受けるほど、ヒドイ状態ではないような気がしました。経験値・体力・技術ない割に、よく頑張っていた方では…?

まぁ、周囲の期待が高すぎるという害があったのかもしれませんが。

今回の仲間は、これが普通の大人集団なんだな~と思いました。人間性回復です。

実はパンクだったので、最後の1㎞くらいから、自転車を押す羽目になり、その際、地図上でチラッと近道が見えたので、車が通れる車道を離れたのです…すると、ゴールに到着後、大会スタッフの方が心配して、

「いなかったね、すれ違ったかな」

と声をかけてくださりました… 。びっくり!なぜ驚いたか?というと、平地で迷子になるとか、クライマーの場合ありえないので、どうせ一人で帰れるでしょ!と、怪我しようが、なんだろうが、放置されるのが、クライマーの常識って感じだからです。

実際、岩場で墜落して怪我したクライマーを、偶然見たときに、全く関係ない通りがかりの私が介抱して電車に載せ、大阪駅まで随行しました…同じ会の人は、見ず知らずの私にその人あずけっぱで、自分は岩場に帰ってしまいました…。

私も岸良の岩場に行ったときは、肉離れをしたのに「それは困る」と言われ、福岡に返してもらえなかったし、自分で4時間運転して帰還しました…。

転落して頭を打っているのに駐車場に着くなり、じゃあね、と放置されたこともあります。

つまり、クライマー界は、血も涙もない世界みたいですね…。

私もそれに染まっているかもしれないので、気を付けようと思いました。

■ さて、仏教の話です

私は、仏教的な善行為を積み上げる人生を生きていたいので…

何が善行為で、何が悪行為か?

ということに興味があります。仏教で教える善、は、俗世間の善行為とは時に、だいぶかけ離れています。

自然界の不思議を発見することを、センスオブワンダーと言いますが、これは、ただの無知の表明だったのかもしれません。

ただ山の中で朝日が昇るのを見たり、夕日が沈むのを見ると、人の人生が何万年も生死を繰り返してきたように、自分自身の命や、生活の日常が、些末なことに思えてきたりします。

それは、非常に良い悟りの感覚ではないか?無常の味わい方ではないか?と思うのですが、どうでしょうか。

暫くそういう気持を味わっていないので、山に出かけて朝日を見る、という活動は再開したいかもしれません。