2022/12/04

発達障害 × クライマー

■発達障碍者支援について

クライミングの師匠がADHDだったり、私の次のパートナーも多動だったりし、また私を落としたクライマーも発達障害っぽい人だったりしたので、発達障害×クライマーの問題は深刻そうだと思って学習しています。

どうも、「俺は支援されて当然だ」という感じが強かった…のは、周囲に合わせてもらう時間が長かったのでしょうか…。私は子供のころから、めちゃ定型発達というか…クラスの遅れている子をカバーする立場だった…ので、この人と一緒なら大丈夫、という匂いというか、そういうのがあったような気がします。頼られるということです。


現代の発達障害の支援は、

定型発達の側が、発達障害の困り感をどれだけ理解し支援できるか?



という対策に尽きる感じがあります。人間同士の”共感”というのは、同質性 に起因するそうです。


つまり男性は男性に共感し、女性は女性に共感するって感じ。おおざっぱに言えば。

発達障害の人は、人口の1%程度だとすると、共感されにくいです。クライミングの中では女性は5%程度だと思いますが、女性の立場からみた客観的な事実は、いくら事実であっても、


俺はそうは思わない
 

の一言で却下されてしまいます。そりゃそうです。自分は手が届くでしょう…

例えば、リーチがないためにホールドに届かないというような、そのような明らかに客観的な事実であっても…です。

■ クライミング界は、過去の数の普通ではなく、多くの人を迎え入れる方に動いている

つまり、現在起っていることは、数の暴力、ということです。マジョリティは困っていないという根拠で問題が改善されない。

しかし、世界では、子供たちが5.13を登り始め、リーチの問題やボルト間隔が不適切である問題は認知されています。

■ 田舎との類似性

そして、マジョリティの数による暴力で正当性を得てきたのが日本の田舎の思想。

間違ったことでもみんながやっているとやめられない… たとえば、田んぼの害虫ウンカに対する防除は、日本に来る頃には薬剤耐性をつけて飛来しているので、やっても無駄、って専門家が言っても、言っても、となりもやるから、うちも…という精神構造を辞められないです。

まったく客観的事実に基づかない、非科学的な態度で、物事を受け入れてしまっているっていう結果になるのですが、それに対して、みなが
 

 そういうもんだ、仕方がない
 

とあきらめるというのが、なんとも言えない無力感というか、脱力感です。
 

九州は特にそれが顕著で、まぁ山梨でも同様の点は散見したのでしたが…それでもそうでない移住組の世界もありました。九州では移住者は肩身が狭いようで、なんだか、私のうんざり感を募らせます。


合理的客観的事実に基づく判断こそ、仏教が説いているものです。

これは、なぜ科学的根拠がないことも右へ倣えこんなことになるのかな?という疑問に対してのある人の答えです。 私がこうかもしれないと思うだけでなく、誰でもそう思うかもしれません…

シンプルに頭が悪いんじゃないでしょうか。
あと、自分で考えない。
善悪の価値基準ない。
多様性を認められないから、発展しない

 

2022/12/03

執着に値するものはなにもない

■スマナサーラ長老の初期仏教Q&A(01 Dec 2022 ゴータミー精舎)

 

■ 長老に相談

長老の見解は、私が自分自身で下したものと、大まかに言って同じだったので、裏付けをもらったようでホッとしました。

長老の深いため息が、私の気持ちをとても如実に表現していて、とても深い部分で、共感されたというか、そんな気がします。

問題から逃げないこと。

これが、私がこの世で後世に伝えたいものなのかもしれません。

わずか6歳の女の子にもできたことなのですから…きっと皆さんにもできます。

アルパインクライミングにおいては、38歳で山を始めた人にも、数年で阿弥陀北稜程度はソロで登れるわけですから、みなさんにもきっとできます。

フリークライミングにおいては、41歳で始めた人にも46歳で海外へ一人で行ってクラック登って帰って来れるわけですから、みなさんにもきっとできます。

■ クライミングにも同じように向き合いました…

問い)現実に向き合うとは?

答え)山岳総合センターでクライミング技術を学ぶ

 山岳会が廃れていることに気が付き、独学する

 クライミングガイドから学ぶ

 ボルトの安全性を自分で確認する=カットアンカー事件にも気が付き、

 クライミング教育の不在に気が付く=UIAAのスティーブ・ロングさんに「アルパインサマー」の出版依頼をする… 

つまり、向き合うとは、そのような行動を起こすこと、です。

ただ、私としては普通のことをしただけですので…。九州のみなさんが嫉妬するには値しません。

別に山梨は特別良い環境ではありません。チャンスがゴロゴロと転がっていても、勉強していない人の手からはスルーされます。

■ 突き抜けた人のブログにヒットしました

今日はこちらのブログにヒット。

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 『なんだよこれは!?』

って思うくらい気持ち悪いくらい、ちやほやされるわけ。

そうするとすぐ調子に乗っちゃって。

20代だから。


20代でそんないっぱい売り上げて。

代表になってテレビ出て。

いろんな人が寄ってきて。

ものすごいいろんな電話がかかってきて。

持ち上げられて。


そうやっているうちに、

誰がいい人で誰が悪い人か、全然わからなくなった。

 

今考えると、下心のある人がいっぱい現れてたんだよ。

それと、妬みで陥れようとする人がいっぱい来た。


そういうのだらけになっちゃった。

ーーーーーー

これだな。福岡で私に起こっていたこと…。

私の成果だけを、トンビが油揚げをさらうように取ってしまいたい、と思っている人が多かったように感じました。

■ もっともっと = 貪欲

 以前学んだバガバッドギーターでは、

もっともっと

の世界、を避けるように言われていました。

良いものは、もっともっと、とならないものなのです。

少量で十分満足するもの、それが良いものです。

ギャンブルにしても、クライミンググレードにしても、得れば得るほど、さらに欲しくなります。

クライミンググレードに関しては、私自身がすっかり満足すると、それを周囲の人は、否定して来るほどの熱心さです…人ごとなのに(笑)。

もっと上をめざせって?上に行きたいと思ってもいないのに?

41歳からやっているんですよ?5.11で何の不服があるでしょう?

すべての人が5.12を登るまでは手綱を緩めてはならないというのは、男性の基準です。それが壮年期男性の最低レベルだから、という理由ですが、そんなの信奉しているのは日本人だけです。

長老の話してくれた塩水のたとえ…

 欲は満たしても満たしても満たし足りない=グレードは上げても上げてもキリがない

です。人は老いるもの。その逆風に逆らって、もっともっととグレードを追いかけるのは、若い時は楽しいでしょうが、大人には、意味がなく、詮無いものです。

■無執着を実践すること

クライミングにおいて、私の”お役目”は、終わったのではないか?と思うのです。

頑張っても、この世に残すもの・得るものは、何もない。

執着に値するものは何もない。

長老からは、逃げなかったことは素晴らしいことだ…と褒められました。

それは、クライミングにおいては、山と向き合う、ということですね。クライミングのリスクに向き合うということです。

その点において、私の、

問題から逃げない

という人生訓は、骨の髄までしみ込んでおり、クライミングでも決して逃げずに、問題に向き合ってきたのだ、と声を大にして言うことができると思います。

誇りに思っています。

■ 人生とは、苦から苦に進むもの… 

私は、苦から苦への進化、…これが受け入れられなかったのかもしれません。

今あるクライミングの苦が、やっと楽になろうかという段階で辞めること…ラオスでは、クライミングは苦ではなく楽です。死ぬ、ということはないフリークライミングのそのままのありようで登れるからです。その”楽”を取っていいものかどうか?理解が困難でした。

ちなみに、日本ではフリーは、容易に死に直結するものとなっていますので、私のようなグレードを登る人で安全に登りたければ、自動的に海外に押し出されるのが現状です。

■人は業の罠(常識外れの渇愛 Avijja)にはめられて、自己管理ができなくなる。

何事も中道が良いというのは、お釈迦様が最初に目覚められた悟りです。

弦を張りすぎず、緩めすぎる、ちょうどよいくらい…

クライミングという活動では、弦を張り詰めすぎている人が多いように思います。いかに張りつめているか?の勝負、となっているような??

そのような在り方に気が付いて、そちらへ進まなかったことは私の強さと言えるでしょう。

■期待して何かを得ても、仲間がそれを壊してしまうだろう…

仏教ですら、偉大なる真理であったとしても、つまり、壊そうとしても壊せないものなのに…内なる仲間から破壊活動をされている…そうです。

仏教ですらそうなのだから、クライミングでそうであったとしても、仕方ないですね。

私がカットアンカーは40年前のものですよ、今のボルト間隔は日本人男性の平均身長にマッチしているわけだから、低身長の人は、より多くのリスクを被るのですよ、と言っても、聞く耳を持たないでしょう…

業界内の自浄作用は期待できないということでもあります。それは仏教においても同じなのですね。

いくら私が母を愛した娘でもその行為は実を結ぶことはないでしょう… 仏教でも同じことなのですから…

そもそも、自分さえよければ後はどうでもいい、という精神でやっているのが、往年クライミングだからです。 

クライミング界の発展とか、日本のクライミングが世界と比べておかしな方向にガラパゴス的に発展していることとか、あまり眼中にはないでしょう…

しかし、私は別にクライミングには恩も借りもないのです… むしろ、私のほうが様々なものを提供してきた気がします。

執着に値するものはないもない…と開き直ることが大事みたいですね。

愛着を捨て、使ったら捨てる、ということだ、というアドバイスです。それがこの5年間でなかなかできなかったことでもあるでしょう。

■ 義務を果たしてサヨナラ

義務を果たしてサヨナラ、義務を果たしてサヨナラ…

これが、私が唱えるべきマントラなのかもしれません。

しかし、今日は、私よりも強烈に同じような経験をして、同じような解にたどり着いた若い男性の話を読み、私のような特殊環境なんて、

 まだまだぬるま湯

と思うことができました。 山納銀之輔さんという方です。私もエコビレッジが作りたいのです。

■ 巨大な欲望

常識外れの渇愛を持っている=クライマーかもしれません。

特にナルシズムが原動力の方。

承認欲求というのは、非常に恐ろしい側面があります。例えば、誰にも馬鹿にされていなくとも、お前は俺を馬鹿にしている!と私がチェーンソーを持っているだけで思うことができるのが男性の劣等意識なのです。私の側の問題ではなく、見ている人の色眼鏡の問題です。

そのように、欲が妄想に巨大化する前に、捨て去ってしまうのが仏教の教えです。

 ■ 異常精神は仏教には、治せない

そのような妄想を持ってしまった心=異常精神、渇愛がコントロールできない人は、無間地獄に落ちるのですが、それは、他に害を犯さないように地獄に押しとどめられるのかもしれません…

異常精神というときに思いつくのは、山岳業界では

 三浦さんや栗城さん

です。多くの人は、彼らが得た名声という富や経済力を基盤にした(だけの)登山結果に、俺だってカネさえあれば、という、羨ましいという思いが禁じ得ないと思いますが、仏教的に見ると、羨ましいどころか、名声を得ることなく、人生をコンパクトに家族の愛で彩ることができることは福音です。自らの幸福を名声のために差し出すことはないようにしましょう。

つまり、それが分からないことは、魂が幼いということです。だれですか?俺だって佐藤祐介と言っていたのは…(笑)。

言っていた人の登攀力を知っていますが、とても5.11だってフリーソロ出来ないと思いますよ?昔の山屋がフリーソロできたのは、5.9なんですから。佐藤さんは5.12です。それだけの地道な努力をされているということなんですよ?

同じことで私が英語が話せたり、海外に一人でポンと出かけれること、あるいは海外でパートナーを見繕って登れることについても嫉妬があったと思いますが…あるいはパタゴニアのウエアを着ていることについてもですね…(笑)。

それは、私が小学校の低学年の時代から、ラジオ英会話を聞いていたから、とか、自分の努力で外資で勤める学歴を得たからとか、そういうような理由です。棚からボタモチなんて、どんなエリートの人にだってあり得ません。実際、私は熊本高校卒ですから、県内では随一の進学校にいたわけですが、クライスメートはみな必死で努力しており、親友は一橋に行きましたが、努力家でした。努力なしで成果を得ているというのは、現実を知らない、甘ちゃんの発想ではないかと思います。

そもそも、パタゴニアのウエアを店員向け割引価格で買うほうが、正規プライスで買うより恵まれていると思いますが?なぜ人を妬んだりうらやんだりするのでしょう?

ま、私も、クライマーにおいては、ウエアは、ボロければボロイほどかっこいい、と思いますが…

■ 執着に値するものは何もない 

確かに執着に値するものは何もないのですが、次の道が見えないと、どうしても手放す気になれなかった…というのが私の弱さかもしれません。

 

2022/12/02

Why Become a Mountain Guide? / British Mountain Guides

外国でガイドスキルを得る方が日本で教育を得るより有効な解だと思います。

日本のアルパイン教育は、世界各国と比べても、非常に遅れているかもしれません。

なんでこんなことになったのか?私にはわかりませんが…

2022/11/30

東野幸治×山岸尚将 アドベンチャー魂 ワイドクラック

■ テレビ放送でワイド…

アドベンチャー魂|Bs-tbs 火曜よる9時 【全国無料bs放送】
「神が作った道を登りたい」そんな山岸と共に 東野幸治がワイドクラッククライミングの世界へ 想像以上の過酷さに悪戦苦闘! まるで赤子のごとく泣き叫ぶ!? 東野も尊敬を超え畏敬の念さえ覚える山岸の冒険 山岸を虜にするワイドクラック

という番組を見ました。

山岸さんといえば、不動の拳ですよね!

ワイドって、クライミングのメッカ、山梨でも、けっこう

もの好きな人向け というか、上級者向けというか… 特殊クライミングというか

よくやるね~みたいな感じのクライミングでした(笑)。東野さんが、2mくらいで敗退していたので、なんか嬉しかったですよ(笑)。

■ みんなの期待値が高すぎる… もう頑張ってる!という証明

私は不必要に焦ったり、パニックになったりはあまりしないので、なんか…、

 私への周囲の期待値が高すぎる

という問題があるのではないか?と思いました。

東野さんって、私より体力ありそうですよね(笑)。 それで、2mなんですけど…。

私は41歳でクライミングスタートしたのですが、43~44歳くらいで初心者でワイド登っていました(笑)。大したところは登れませんよ。不動沢だとあげこまるが懐かしい思い出だな~

その昇仙峡でワイドを登っていて、3回目くらいで一応登れていたりしたのは、意外に早いのではないか?というような気がします。

なんか、私は十分頑張っていたみたいですよ?

■ よく勉強していると有名人にあった時、それに気がつける

クラック初年度に、小川山レイバックで、蒼氷の先輩に会って、クラックを一杯登らせてもらったおかげです。ホント、ありがたい先輩だったなぁ…。

実は私はこの時別の男性クライマーをパートナーにして登りに行っていたのですが、その人、”蒼氷”という言葉を聞いても、”この人たちから聞いておかなくては!”と思わなかったみたいなんですよね… だから、私が色々技術的な質問するのを「早くかえろーよー」となっていました。

私は運が良いと思うのですが、それは、登山の本を一杯読んで、色々頭に入っていたからです。チャンスは、勉強している人に来るものなんだろうと思います。

こちらが、当時勉強していた本です。

 『教科書になかった登山術』https://amzn.to/3GU8t41

登山にマルチ、ワイド、アイスと、幅広く書いてあるのでお勧め。

■ 技術がしっかりしている=先鋭的

私は易しいルート、入門や初級のルートに、体力低い人向けの時間配分で登ろうと思っており、ぜんぜん先鋭的な登山には興味がなかったですが…(当然ですよね!)

どうして先鋭的な人たちか?というと??

  技術がしっかりしている人たち=先鋭的なことをしている人たち、ということになってしまう

からです。 

山梨でも若い男性クライマーや山岳会に属していない人たちは、クライミング教育がないせいか、やはり危険だったような気がします。

■ 手抜き登山

 フリーソロ=手抜き登山

なんか、やっぱり

すごい人はちゃんとしている

と思って嬉しかった。




■ 自覚のあるなし

クラックは、私には、指力がなく、フェイスはしんどかったので、ハンドジャムやフィストで登るなら、なんかいい感じだったので、好きだったのです。

2度目はなんと、カムエイドでリードで取りついてしまい、ビビって降りてきました(笑)。 私も当時は、分かっていない無謀なクライマーだったってことです。

ただ違ったのは、分かっていないのではないか?という自覚があったことです。

初心者は何が分かっていないのか分かっていないです。ホント。

九州では、ベテランでも分かっていないままで、教える側に回っています…

■ 「それ、擦り傷ですから!」

それ、骨折とかじゃないんで、擦り傷ですから、怖くない、というセリフがありました。

ワイドって、山岸さんも言っていましたが、内面登攀って感じで、岩に密着しているので、怖くないんですよね。

落ちても擦り傷だし…。 

(落ちてはいけないワイドもあります)

ワイドでは、体幹を作っているところだったんですよね…。

私にとっては、目の前しか見えないオフィズス系のワイドは、露出感があまりないので怖くないというのが魅力でした。

外面登攀…フェイスは、私は、最初から怖くて、これは慣れが必要だなと思っていました。

当時は沢で出てくる程度のリズムがいいなと思っていたのです…。歩く歩く歩く登る、みたいな…。今では登る登る登るでずっと登っていますが…(笑)

その頃を思えば、ものすごく遠くまで来ました。

今では、トップロープフィックスで一人で登っても平気なくらいですから…。しかし、私が思うには、初心者にTRフィックスの登攀を教えるべきだろうと思います。なんせ登りたい時期っていうのは、その頃が一番熱量高いですし。その時に登れないと、上達のチャンスを取りこぼしますね。

いや~凡人の到達点としては、一人で台湾へ登りに行ったり、ラオスに行ったりと、自分を褒めてあげたいと思いました。

一定の完成だな…

■ おまけ

山岸さんのブログ

https://ameblo.jp/y-naomasa/

https://allnevery.blogspot.com/2022/07/blog-post_17.html

https://allnevery.blogspot.com/2016/11/blog-post_10.html 

https://allnevery.blogspot.com/2017/07/blog-post_98.html 

https://allnevery.blogspot.com/2016/11/blog-post_10.html

クライミング初心者が知るべき、外岩の客観的事実

■こころが汚れない方法

と題するスマナサーラ長老の説法の解説です。

https://www.youtube.com/watch?v=MsmzYqpyo70

 
1)見=客観視 

 → きちんとできれば預流果に達する
2)防護=やらないことにする
3)受用=やってみる
4)忍受=耐え忍ぶ
5)回避=避ける
6)除去=取り除く

7)修習=訓練

 





 

 

■クライミングによる事例 

1)客観視: カットアンカー問題、リーチ問題、パワープッシュ問題、初心者用リード課題問題

2)やらない: 怪我を避けるため、ボルダーをやらないことに意志的に選択する
3)やってみる: ためしに食わず嫌いはせず、ボルダーをやってみた
4)耐え忍ぶ: 周囲の無理解による侮蔑…40年前のカットアンカーで落ちろ落ちろの合唱に耐えしのぶ
5)回避: そもそもクライミングをわざと危険なことをしていてかっこいい=マッチョイムズと考えるタイプの人、およびリスク認知をしないでグレードだけで判断する人を回避する
6)取り除く: 安全なところでは落ちても大丈夫なので、フォールに対する恐れを取り除く
7)訓練: ムーブ訓練、歩荷訓練、自分のスキルに遭った適切な岩場に行くこと

以上です。

 ■ クライミング預流果に達しそうです

以下の事項は、客観的事実です。

1)日本の課題は、開拓者の身長に合わせてボルトが打たれている

2)低身長でリーチが短い人は、そうでない人よりも、リスクが大きい

3)160cmの人にとって5.9であったも、140cmの人にとってはその同じ課題は5.9であるとは言えない。

4)日本の古い岩場の5.10代は、5.12の登攀力を前提にボルトが打たれており、身長があったとしても安全に取り付けるとは言えない

5)日本の古い岩場で、リードしながらグレードを上げるには、岩場を訪れる以前に、5.12までは落ちないで登れるスキルが、一般的に必要

6)2000年以前の岩場は、ランナウト等の危険の他、ボルト劣化の危険がいまだに健在

7)カットアンカーとグージョンをきちんと見分けられ、ボルト設置年を知る必要がある

8)パワープッシュは、非力な人にとっては有効な選択肢とは言えない

9)初心者に向いたリード課題は、下部に核心がなく、ランナウトしておらず、ボルトが確実で、まっすぐに登るもの。なおかつ、ビレイヤーが、落ちてもキャッチしてくれることが確実で、不必要に流したりしない人。

10)制動確保とか言って流すのは、フリークライミングにおいては陳腐化して久しい。

11)フリークライミングではなく、アルパインクライミングの倫理観で外岩を登っている人が指導者に主流なので、きちんとフリークライミングそのものを教えていない

12)フリークライミングではなく、スポーツクライミングの倫理観で外岩を登っている人が指導者に主流なので、抜けたり破断したりするボルトで、落ちろ落ちろ、ということが多く危険。

13) ボルダリングは、ランディングでの事故が最も多い。怪我が多いクライミング形態。

2022/11/28

良い支点の実例 …見て盗む

 これはFBで回ってきた、ある方の支点の写真ですが…。

技術は盗むもの、ですよ…

というのが、分からない現代ジム出身クライマー男性のために掲載。捨て縄は、JDTあるいは、ADT、と呼ばれるもの、アメリカンデストライアングル、とか呼ばれるものの上に、現代の主流である支点が構築されています。

この支点の方式、関東では一気に普及したと思うんですけど…

九州までその波は、何年待っても来ない。

というのは、普及する人たちは、

・レスキュー隊の一員である

か、もしくは

・クライミングガイドである

か、もしくは、

都岳連などの講習会の指導者

であるからです。

こういうところに、

各山岳会のメンバーが一人か二人参加して、

「へぇ~、こうやるらしいぜ」というのが伝播手段…。

こういうのを知ってる方がカッコイイ、みたいな価値観です。

現代では、山岳会にいるより早く、クライミングガイドにつくことで、最新技術が学べます。

山梨では、外岩にいれば、誰かが作った支点を見て、へぇ~と思えば、それを真似するので、みんなに広まりますし、アルパインをやる人は、外岩ルートをしない人はいないです。なんせ、フリークライミングは、アルパインクライミングの基礎です!というので、基礎叩き込みの場、と認知されています。

ジムクライマーも山梨にも多いですが、大体のジムクライマーは、ピラニアだの、で、まっとうなクライマーからクライミングを教わるので、リードへデビューするときに、一通りのことは言われるのではないかと思います。この道は私は通っていないので、想像ですが。

つまり、5.12が登れるのに、この終了点を知らないとか、ありえないってことです。

まぁ、昨今では、一日で5.13登れてしまう男の子もいるらしいですから、ありえないことではないみたいですが、安全技術、ロープワーク技術=クライミング技術で、

登れること=クライミング技術が高いではない、

と奥村さんも言いきっていました。九州の指導者の技術レベルの古さというか、陳腐さ…例:動くものに道標付けておかしいと気が付かないレベル…は、救いがたしです。

2022/11/27

B50を食品で摂るとしたら?

■ビタミンB50の中身

これは比較的安価(872円)な製品の一例です

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チアミン(チアミン硝酸塩、ビタミンB1)  50mg  4,167%
リボフラビン(ビタミンB2)  50mg  3,846%
ナイアシン(ナイアシンアミド)  50mg  313%
ビタミンB6(塩酸ピリドキシン)  50mg  2,941%
葉酸  667mcg DFE(葉酸400mcg)  167%
ビタミンB12(シアノコバラミン)  50mcg  2,083%
ビオチン  50mcg  167%
パントテン酸(D-パントテン酸カルシウム)  10mg  200%
カルシウム(炭酸カルシウム、&リン酸2Ca)  130mg  10%
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■ ビタミンB1 100gあたり

多そうなものをピックアップ…

豚ヒレ肉(赤肉)1.32mg  → 50mg取るなら、3.7kg
大豆(国産・黄大豆)ゆで0.17mg
玄米ごはん-0.16mg 

 以下、省略な感じの計算結果。一日50㎎のビタミンB1を食品から取るのは不可能そうです…

■ ビタミンB6

このビタミンは、体のあらゆるところ、細胞内で、補酵素として働くので、充足していないと筋肉の合成もされないし、神経伝達物質も作られない…ので、必須。

にんにく1.53mg

ということで、これも50㎎取ろうと思ったら、ありえない量を食べないといけないということになります。


■ ビタミンB12

無いと、巨赤芽球性貧血になる、というビタミン。
 

しじみ 68.4μg

まあ、これはすぐ充足するので、計算するまでもないかもです…ただ毎日シジミ100g食べるかというと?

 

■ ナイアシン メンタルのビタミン

 まいたけ(乾)     64.0mg
たらこ(焼き)     57.0mg

インスタントコーヒー     47.0mg

 これは、あっという間に充足できる。毎日たらこパスタという訳にはいくまいが…。

ナイアシンはナイアシン療法という特殊療法が、世の中には存在します。メンタルのビタミンと言われる。

■葉酸

焼き海苔 1900μg
味付け海苔 1600μg
岩海苔 1500μg
鶏レバー(生)/煎茶 1300μg
抹茶/干し海苔/かわ海苔 1200μg
牛レバー(生) 1000μg
豚レバー(生) 810μg

女性の妊娠中に不足すると、発達障碍児が増えると思われるが、日本では、小麦への強制的な添加がされておらず、海外では強制添加されているので、

発達障害、鬱、認知症

などの増加の原因は、葉酸不足ではないか、と思われる。クライマーにも多いADHDやASD…多動の人はかなり多そうです。

しかし、アメリカから小麦を買うにしても、鉄と葉酸を米国と同等程度に添加する、というのは国の施策としてやってもたやすいことでしょう…。

なぜやらないのかな?

■ サプリを買うほうが結局は安い

というのがこの記事の言いたいことなのですが…サプリを購入する場合、例えば、B12がメチルコバラミンか、シアノコバラミンか、という点が選択のポイントになったりします。

葉酸が合成かどうか?というような点より、シアン化物を体内に蓄積しない、という点のほうが重要に思える。

しかし、サプリ業界は、例え細くても毎月毎月買うもので、これが、永遠に続くとなれば、それなりに水道代、電気代みたいな、側面があります。

それで、だいぶ、依存的になることによるメリット、消費者が買い続けることにより、一定の収益性が出るわけなのですが…。

あんまり高価なものは、この点を利用した価格設定のように思うので、サプリの品質に細かい条件付けをしない方がいいような気がします。

B50を取る場合と、食品だけで済ます場合と比べると、

 取るに足らない小さな差

のように思えますので。本来は食品で取れて当然なのではないかと思います。人体というものは。

しかし、現代の野菜は、緑の革命以前の栄養価の3分の1と言われているんですよね…

つまり、食べてもあんまり栄養がないってことです。一方で砂糖が安くなり、糖質は何も言わなくても入ってくる。B群は、糖質を消化するのに使われてしまいます。 というので、現代食は、B群を消耗しやすいのです。

というのが、872円で解決できるとすれば、かなり有効な手段のように思います。


最近の兆しと話題

 ■ 日之影町の可能性…ボルダラー×自伐型林業に光明

九州での出来事を相変わらず総括中…。

日之影町は、今日も小山田さんが頑張っており、なんだか神々しいほどだ。

日之影では、自伐型林業が町長を上げて推進され、研修林も整備されたそうだ。素晴らしい。

■ ボルダーのほうがロープより危険

念のため、一応断っておくと、私はボルダーはヤラナイ。

というのは、私は関節が非常に柔らかい。人には、軽い衝撃でも、私には、重大な事故につながるからだ。

ランディングが、ボルダーでは最も危険なところであり、ボルダーって、ロープでキャッチされるクライミングより、危険だ。ランディングで、膝が脱臼しただけで、2年の休養を余儀なくされている、現在進行形の経験者。

とはいえ、岐阜県の事例を考えると、誰か、地域おこしに心がある人が、

 ボルダリングによる地域おこし×自伐型林業 

で、生計を維持しつつ、地域に入れば、

 環境保全型観光として、ボルダリングによるユニークな観光開発が進む、

という可能性は大いに感じる。

私がボルダーもできれば良かったですけど、人の能力は、全知全能ではないので致し方ないですね。

林業にしても、女性の先駆者を見ても、施業プランナーなどのホワイトカラー職であり、ゴリゴリのブルーカラー職は女性には体力的に無理があるかと思います。

登山のガイドでも、月に何日山に行って平気か、数えてみたのですが、13日はきつく、11日くらいがマックスっぽかったです。

私が得意科目なのは、多文化共生、です。ゲストには外国人一杯で、なおかつホワイト人材ばかりです。

■ 田舎のよそ者排除は縄張り意識

田舎は縄張り意識のとりこになっているんだなぁ…と最近、とある動画を見て納得した。

縄張り意識というのをかみ砕くと、基本的には、”俺のものだ!”という我執だ。

子どもが、「僕のおもちゃ、貸さない」と友達におもちゃを貸すのを嫌がっている状態。

日本人はアメリカから来た考えだと思っていると思うが、アメリカでは、昔から、シェアするような教育が標準で、おもちゃを貸さない子供は、幼稚園で、だいぶ強くたしめられる。

日本の田舎では、変な縄張り意識があって、よそ者、という言葉で、それを端的に表し、排除するのだが…それをやっているところでは、それが我執であり、当の村生まれの若者さえ都会に追い出してきた、つまり、過疎化や限界集落化の原因は、縄張り意識なのだ、という自覚が、なぜか生まれない…。

自覚がないということは、それを改める気がない、ということ…。

いい加減、身につまされてもよさそうなものだけどなぁ。 若者が出ていくのは、なぜなのか?ってことに。

我執を離れられない基本には、取れる作物が限られていたという江戸時代レベルの現実認識があるのだが、実は、それは100年ぐらい前の現実。今は日本は、隅から隅まで豊かになって、年貢を納めていた時代の貧しさは、100年前の過去のこと…控えめに言っても、とっくの昔…になっているのだが、それを手放すことが出来ない、というのが一般的に田舎に起こっていることのようだ。

多分、そうした思いに囚われて本質が見れないでいる間に、その背後では、

 巨大な搾取

が行われていそうなんだが…例えば、一部の素材生産者である伐採業者だけが、ものすごく儲かる上、その後の植林という苦役も外部経済化されており、

 植林計画なき伐採

が可能という産業構造が、疑問視されないという”常識”…それを 普通だ、と思って、特に問題視していないのは、日本人の、その中でも特に田舎の人の強い思考だ。 

戦後教育で、

 普通に考えたら、おかしいことにおかしいと言う

ということが、右へ倣え思考でおろそかになってしまっているのだろう…。

おかしいことには、おかしいと言わなくてはならない。

なぜなら、結果として、村(自分)に良いものを排除して、悪いものを温存するという、顛倒の妄念がおこっているから…

端的に言えば、岩場にせよ、村にせよ、よそ者が開拓するなど許さん!となるわけだろう…。

私は九州生まれなので、よそ者ではないし、一緒に登っていた先輩も佐賀なので、二人ともよそ者とは言えないけれど、やっぱりよそ者、山梨から殴り込みをかけられた、という扱いをされたんだろうな。

都会コンプレックスがあるってことなのかもしれない。

そういうことを考えると、先日、とある過疎の村で、私よりも背が小さいおじさんがいて、チェーンソー使うときに、盾になってくれ、ホントにあの人は天使だったなぁ…と思う。私の守護天使(笑)。

■ 時代はシェアした人から勝って行ってる

田舎の過疎の町が、縄張り意識で、よそ者を排除して、内輪だけで自己完結してしまいたいと考えるのは、おそらく自殺行為だろう…。

日本の人口が縮小していくということは、どこかの村は、廃村になることを意味するわけで、その廃村になることを避けうる規模、というものがあり、維持可能な最小規模を見出す必要がある。人口が平衡を保つために必要な移住者数というのが割り出せる。その数を確保したら、それ以上は基本的にはイラナイ。その最小の規模で、維持可能な数を知る必要がある。

その意味では、八女の黒木町は、すでに世界に向けて開かれており、外国人や若い人の移住者も多く、すでにコミュニティを形成しつつあり、多文化共生はひと段落している田舎なので、日向神が混乱した岩場であることは、かなり残念なことだ。

■ NHK 『遺体を捜す人たち』

https://www.nhk.jp/p/rs/M65G6QLKMY/episode/re/J9N5XGP5Y1/

聞き逃し配信もあるそうです。

以下私の体験談。

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 アイスクライミングに一緒に行こうと言われたが、その日は会の冬山合宿の日だったので、断った。ら、その人が、パートナーがいないからと…冬富士に行ってしまった。冬富士なんて素人が気軽に行く山ではなく、現地の人でも毎日富士山を眺めて、無風のタイミングを見つけてそれ!と行くような山。富士山は単独峰なので強風は舐めてかかれない。案の定遭難し、携帯電話でレスキュー要請したが、NZの携帯を日本でローミング使用していたため逆探知できず、出動した隊は、別のオロク(死体)を発見して帰ってきた。発見したのは、半年後で当然だが遺体。

ということが山梨時代にあった。冬の富士山5合目は、テント泊している人一杯で、その辺でアイゼントレしているのは普通です。が山頂までというのとは話が違います。そんなことは、昨日今日、ポイっと登山を始めた人にはわからない。山頂も5合目も同じ富士山。なんなら、浅間神社から歩く”下界の登山道”も富士山。
私は積雪期の富士山山頂には、5月に言っていますが楽勝でした。
アイスクライミングができるなどと登攀のグレードだけで山を測るとものすごく危ないです。山のイロハが全く分かっていないで、自信満タンで登ってしまう。

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この事例からも導き出せるように、

 スポーツクライミングでグレードだけが上がってアウトドアのリスク認知がゼロの人

が、自信がある分、一番危ない、です。

グレードがさほどでない、体力もさほどでない、という人たちは、そもそも、自信満タンでないので、自分の力を超えるようなことをしようと思いつきさえしません。

リードできない人は、終了点の作り方を知る必要がない、というのと同じです。

しかし、バンバン登れるようになっても、終了点の作り方を知らないと自分で自分をピンチに追い込んでしまいます。この彼のように。 

振り返っても、ホント、”登れるだけで、その他のことを何も分かっていない人”を後輩にもらったりしたら、登れない人を貰うより厄介です。

なんせ、登れる方が上っていう階級社会を当然視して、育っているので、リスクを指摘しても、いうこと聞きません。

こちらがしてあげていること自体が、そもそも認知できないので…、つまるところ、お返しや感謝も、当然ながら、”ない”ですし。

そう考えると

登攀力だけをやたら上げるだけの教育、

そのような教育が、最も悪いクライミング教育、です。

一生、人工壁しか登らないで、プラスチックだけするなら別ですが、外岩に進みたいと思うなら、山のリスク認知が先で、グレード追求は後というのが、短命で終わらないためには必要そうです。

        結果を顧みず快楽にふけりたい=無謀なクライミング

同じことで、学業の結果だけ、テストの点数だけを求める教育が一番悪いのかもしれませんね。

登れたら、スタイルは関係なしの、ビデオでムーブを盗み見してしまうボルダーも同じかもしれません。


  図書館に行けば一杯こんな本あるけどなぁ…

2022/11/26

ちょっくら雷山…普段着の山

■紫外線量

今日はお天気がかなり良かったので、近所の山、雷山へ。

いつも思うのだが、紫外線の量が福岡は足りない…カラッとしない。今日は、これは!とスイッチが入る天気で、思い付きの山。10時に家を出ても、登れる(笑)福岡の山はちっさい。山梨ではありえない小ささだ。

雷山はこの辺では、一番好きな山。下の植林がきっちり手入れされていて、沢がキレイだから。あとは駐車がややこしくないのがいい。

■ 瞑想  

最近、瞑想について学習が進んだためだが、やはり、私の山は瞑想だということが、はっきりした。

足を右、左と唱えながら、いつも歩いていたが、これは、原始仏教のヴィパッサナー瞑想と同じ。唱えることを仏教ではラベリング、という。歩く瞑想だ。

簡単に言えば、ものすごく丁寧に足置きする、という意味です。クライミングでは、猫足、というやつ。

■ めんどくさい = パワームーブなのでは?

先輩の荒木さん、瞑想苦手だったよなぁ…いつだったか、ヨガに何人かで来てくれた時、きょろきょろしちゃって全くダメだった。多動かな。

私の考えでは、めんどくさい、という気持が勝ると男性は、”えーい”とパワームーブに傾く。青木さんがそうだった。彼にとっては足を細かく拾うより、腕力任せの方が早い解決法だからだ。

だから、パワームーブで解決するタイプの人の、仏教的な意図は、めんどくさい、なのではないかなぁ?

■ 気づき

お金も同じで、実は何でもカネで解決しようという日本人体質は、めんどくさがり、という意味ではないのだろうか?

日本ほど便利な国はないと言われるが、不便を嫌うあまり、不便に伴っていた、

心理的便益、

例えば、瞑想的な生活…も失ったのが、戦後の国民生活という気がする。その心理的便益と現実社会の便益が釣り合う点はどこなのだろうか?一説は昭和30年代なのだが、アーミッシュは1950年くらいと考えているようだし。

例えば、薪の生活は不便だが、その生活がもたらしてくれていた心の充足、というものがあっただろう。

■ 気温が高い

気温も高いので半袖で歩いたら、周りの人に寒くないのかと聞かれた…。日中20度の気温なんですよ…。20度って…冬じゃないよ。九州の下界は冬とても暖かい。

小山田大さんは、九州の中では寒い日之影ですら、冬でも上裸だよ? 服着てたら、違和感あるくらい上裸定着している人だよなぁ…

周りの人は、すごくちゃんと登山ウエアを着ていたが、これも、気温や環境を考慮した結果ではなく、TVの影響、つまり、都会的な流行の結果でしかなく、本質的にミーハー全開、というのが福岡の県民性だと思った。 つまり、福岡=東京コンプレックスの強い町って意味だ。マスカルチャーに迎合しており、それだけならまだしも、他者にも迎合を強いるのだ。

アンチ東京、が好きかもしれない。大阪はゴーイングマイウェイな町だよなぁ… 別に東京が悪いわけではないが。

■ すべての植物たちが幸せに暮らしている自然の中に立つこと

山が好きなのは、色々な植物たちが、どんな形であっても、住むことを許されているから。

多様性が豊富な様子を見ると、なんだか、

理想の世界

にいるという気がしてくる。単一作物の田畑は、豊かには見えず、日本の同一性優先の国民生活を思わせられ、なんだか嫌なんだよな。

ただし、つたの絡まった木だけは、宿っている本体をいつか殺すんだろうと思って、戦慄している…。

この木は、下部半分以上が、あばたで木肌が荒れて醜いことになっていたが、上の方は生きていて、

「まぁ、色々あったけど、今は幸せ」

と言っているかのようだった。

こういう風に、メッセージを植物から受け取るから、自然の中にいるのが好き。

仏教では

植物の在り方から学べ

と言われるが、

植物は、まったく与える以外の意図をもっていないかのようだ。

例えば、このもみじ。

一切害をなす気がなく

私の木陰をどうぞ

と言っているだけ。

それがしょぼくても…どうです、このしょぼさ。

だからと言って、意図の価値が下がるわけではない。

■ 競争中の人々

いつもの道を通っているが、久しぶりで、前に来たときは、アメリカ人のニッキーと来たなぁと思った。

人と歩くと急いで歩くはめになるよなぁ。

ニッキーちゃんもだが、今日登山道で会った人たちも、

競争、あるいはスポーツ

としての登山しか知らない。それでも、瞑想としての効果は、現れるだろう。それがスゴイことだ。

あ、しゃべりながら山を歩いても瞑想にならないが。

■ 山頂以外が良き山

今日も上の、のっぱらが良かった。 ここは山頂ではない。山頂だけが価値ある場所ではない。

山頂から下った、スキー場のあと。なぜかパイオニアツリーは、入っておらず、草原が維持されている。山梨では、大菩薩嶺という人気の山の奥に、まったく人が通らず無視されてしまっている、狼平という、平原が広がる区間があり、そこがこんな様子で、好きだった。私は基本、平原が好きなのです。平原が。ログハウスを建てて暮らしたい。

手入れが入って丸太で土留めが作って会った。今日は、格別、空気が良い日だった。上はカヤの、のッぱらでここが一番好き。

麓にいかづち神社があるが、イチョウの木の紅葉で、地面が真っ黄色に絨毯を敷き詰めたようになっており、気持ちが良かった。このイチョウ、下部で、全く違う木を合体して宿していた。


下山したら、いつも立ち寄る窯でオバチャンとお話。言葉の布施。善行為。

地元の人たちの話…雷山村には20件住んでいるのだそうだ。

気分よく下山して帰ってきた。

のんびり運転しても16時。


退職後の人には、ちょうど良い環境だろうなぁ…

 

 

 

 

 

 ■ 競争 も スポーツも 少し違うんですよ…私が欲しいのは、自然から学ぶこと

こんな調子で、クライミングもしたい。つまり

競争、& スポーツ

として、クライミングに取り組みたい人と登ることは、私にとって不幸の道。

 いくらパートナーに困っている人がいる、気の毒だなぁ、付き合ってあげようかね、と私が思ってしまったとしても…。

基本彼と登ったのは、気の毒だからです。=休み不定休=パートナー貧乏。

それは解消されたのではないかと思う。それはそれで良かったことだ。

さてと、それでも今は、

 自分をおろそかにするクライミング

をしたことを反省している。 あげられる以上の親切を上げないというのが課題だな。

 

2022/11/25

約50gのタンパク質を摂取するタンパク質食材リスト

タンパク質食材 

ヨーグルト 50gで タンパク質 1.75g (200g入り 4日分)

ブリー 25g 5g (125g入り =5日分)

イワシ味付け 19g ※ 肉類は大体、100gで10g前後のタンパク質となる

油揚げ 1枚 4.7g (2枚入り、二日分)

温泉卵 1個 7g  (10個入り、10日分)

納豆 50g 8.5g (3P 3日分)

豆腐 50g 3.5g (300g 6日分)


で、トータルタンパク質が、45.45となった… 卵を一日2個にすると、50gちょいごえ。

こんなにたくさん食べないと、50g行かない。

カロリーは 520kCalくらいだった。 これなら、筋肉をロスせず、なんとかなる量なのかも? 

■ この食材を基本にしたレシピ

朝: 卵とトースト、ヨーグルト もしくは、味噌汁と豆腐・揚げ 海苔 イワシ缶 もしくは納豆ご飯

昼:  納豆ご飯、 肉もしくは魚100g

夜:揚げやいたん、ブリー、肉もしくは魚100g

■ リジン対策 大豆製品

豆腐、納豆、あげ、の類を毎日少しづつ食べるというのが、バランスのカギになるかもしれません。リジンの底上げになるので。

■ アミノ酸スコア100 乳製品

乳製品は、発酵していない、牛乳そのものを食べると、乳糖不耐症で、お腹が壊れる人が多いです。発酵しているチーズ、もしくは、ヨーグルトで、しかも、加糖されていないものにしないと、効果が得られないと思われます。

おやつで食べる、というのもアリかもしれません。

■ アミノ酸スコア 100

卵。大豆が取れない地域で、大豆食ができないのに、卵を食べれないとなると、困りますね…。

卵は、ほんと、アミノ酸スコア100のお助け食材と言えるものです。一日1個以上は摂るようにしたいものです。

■ 運動=プロテインではない

運動しているとプロテインが必要だ、という印象が根強くありますが、運動とプロテインは関係がなく、プロテインは、体を作る元、なので、全員に必要です。幼児を含め。

体を作っているのはアミノ酸、燃料になっているのがカロリーです。

動いていない人がカロリーを取ると太ります。当然ですが…

■ タンパク質を中心に献立てる

という行動改革が必要なのですが、タンパク質のスコアが低い生活から、スコアが高い生活へはかなり大きな1歩のように思います。

日本の伝統食は、動物性たんぱくが低くても、アミノ酸スコアが高い生活だったのかもしれません。長寿食に限りですが。

植物性食品で、アミノ酸スコアを十分と言えるだけ上げるには、かなりの量を食べねばならず、米なら女性3合、男性5合食べたうえ、大豆製品をその3分の2取る必要があり、現実的にはカロリーオーバーになってしまいます。

玄米菜食以外の、ベジタリアン食が、アミノ酸スコアの要求を満たすには、どれくらいの量が必要なのか?ということになってしまい、専属のシェフでもいない限りは、カロリーオーバーの道をたどりやすい気がします。あるいは、運動で超過するかですね。

そうなると実現できる人はかなり限られてしまいます。凡人は、ラクトオボベジタリアンくらいな感じが良いかもしれません。

ちなみに以下の食品は私は避けています

・米国産輸入小麦粉 日清など

・サラダオイル

・米国産牛肉

・ブラジル産鶏肉

・放牧でない卵

・無農薬ではないお米

・産地化している場所の野菜 例:長野のレタス、つま恋のキャベツ


2022/11/24

クライミングのパートナーについてと私が奏でるクライミングの歌

■ 恵ちゃん

最近、良い友達ができた。彼女とは初対面の時、わぁ、きれいな人だなぁと思ったんだけど、もう一度会ったときに、お顔をまじまじと見たら(失礼だったかもしれないが)、やっぱり、きれいな人で、見飽きないなぁと思った。”美人は3日で飽きるから結婚するな”と、言った、子供が6人いる先輩がいたが…、あれ、嘘なんじゃないの?美人は、何回見ても飽きないかも。

その彼女が、クライミングで出てきた、私の子ども時代のトラウマの再演を辛抱強く、聞いてくれるので、

なんで私が?

という憤りが、徐々にほぐされて行っている…。

■ ほんの些細なうっかりに命がかかる活動…怒って当然

クライミングは、チェーンソーもだけど、ほんの些細なミスで、自分が死んだり、相手を殺すことができる活動だ。

リスク認知の甘さというのは、リスクのないクライミングしかしてこなかったというのが正しい。

だから、私が受けた仕打ちは、そんな些細なことで怒るなんて…と流してしまえる内容ではない。殺されかけたと同じ意味だからだ。深刻に反省が必要だ。納得するまで深く反芻して、学んだ教訓が石に刻んだ教訓となり、決して教訓が消えないようにすることが大事だ。

そこのところが、無執着を是とする仏教仲間には理解ができないと思うが仕方がない。

殺されるという臨場感がない人たちの集まりだからなぁ…。メンタルを病む人は私も病んでみたが、全くの甘ちゃんと思えることが私の生い立ちからは多い。頑張る前に病んでダメになっているように見える。

■ 教訓:かっこよく見えるために登っている人と登ってはいけない…意図が大事

まったく、男どものクライミングに対する誤解やクライミングをエゴの充足に使いたいという心理ニーズは根強い。

クライミングできる俺がカッコイイ~ というのが、一般論として、男性はどうしても手放せず、逆に、

 俺をかっこよく見せてくれるクライミングだけする、

ということになっている人もいるかもしれない。

そういう人は、意図がカッコよく見えることなので、リスク管理については後回しで、ガイドをしていたり、経験年数が10年もあっても、のど元過ぎればで忘れてしまい、真剣な考察を与えていないことが多い。

だから、結果としてとても危ない上、それが止むことがない。ヒヤリハットから学習しない。

なぜなら、かっこいいクライミングこそが善だと信じている限り、あるがまま、をみることはないからだ。

しかるに セーフクライミングをしたい人は、意図を見分けて避けるべきだ。

■ 落ちろ落ちろ

私は山梨時代は、なかなか気楽には落ちようとしない点を、往年クライマーから、評価されたクライマーだった。 九州では逆で落ちろ落ちろと言われる。

師匠の青木さんは、「俺はすぐ落ちるクライマーは嫌いだ」と公言していた。だから私と登ってくれたわけだ。

日本の岩場にはリスクがあるんだが、そのリスクは、暗黙知になっており、明言化されていない。

<明言化されていない暗黙知リスト>

・落ちて良いボルトと落ちて良くないボルトがある

・古い岩場の5.10代は5.12が登れるようにならないと安全には取りつけない

・ボルト間隔が、日本人男性の標準身長に合わせてあるので、背の低い人には、より危険

・2000年以前に開拓されたところはグレードがバラバラであてにできない

 ■ 3ピン目以前に落ちてはいけない

一般に山梨でクライミングデビューするクライマーは、

 「3ピン取るまでは死んでも落ちてはいけない」

と教わっていると思う。 これはフリークライミングの教科書が言っていることとは違うが、現実に即せばこうならざるを得ない。

■ 9割落ちるクライミング

ただ、入門期を過ぎると、

”落ちながら上達するハングドック式(RP式)フリークライミング”

の洗礼を受けるわけだが、フリークライミングで5.13レベルを登っているような人は、「俺、9割落ちている」「1ピン目掛けれたらどこで落ちてもいい」と言っていた。

当然だ、限界グレードを上げるわけだから。これは、スポーツクライミングの考え方だが、フリーでも限界を上げだすとそうならざるを得ない。

これは、古い日本の岩場の5.10代では、プリクリップなしには実践はできない。

■ 古い岩場では5.10代では落ちながら限界をあげるクライミングはできない

しかし、それを5.12の登攀力が前提になっている ”日本の5.10代” でやることは、死へ直結する道だ。

上手く言語化出来ていなかったが…。

結論的には、山梨でそう教えてくれた彼は、高難度を登っていたので、

 高難度=ごく最近のルート=ボルトが新品

という公式が当てはまり、

40年経過したカットアンカー(そもそも十分な強度がない上、腐食していると想定できる)

ではない。

九州でも、高難度を登る人は恵まれており、その人のために新しくルートを切り開いてもらってボルトも新品を打ってもらう。身長に合わせて打ってもらうので、オーダーメイド、というわけだ。

しかし、オーダーメードと比べて、既製服、と言えるような5.10代や5.9で、外岩でバンバン落ちて限界グレードを上げるという登りは、不可能だ。

特に九州の古い岩場には適用できない。ボルトの経年劣化は40年だからだ。しかも、元々使われているボルトの品質が、カットアンカーであり、新品でもカム程度の強度しかない。

公式:バンバン落ちていいかどうか?は、ボルトの品質次第。

九州では、熊本の会にお世話になる気でいたが、どうもスポーツクライミングの理論を外岩に無邪気に当てはめているようで、私を落とそう落とそうという意図が透けてみえ、北風と太陽みたいに、落とそうという北風が吹けば吹くほど、私が嫌がるという公式にあった。

(俺のビレイが信用できないのか!というおごりの気持ちが相手にあったらしいという気づき が今生まれた。ビレイ以前に九州ではボルトが信頼できない)

■ ボルトじゃなくて、ビレイヤーへの信頼

私は落ちて良い岩場、兜岩で1ピン目をかけた後、当然キャッチしてもらえると思って落ちたら、全くロープテンションがなく、落とされてしまって頭を7針縫ったことがある。

その経験が、安直な墜落を戒めているのか?というと、そうでもない気がするが… だとしても、不思議はない。頭がカチわれていたら死んでいたわけで。

私が落とされた理由は、兜ではボルトにはない。兜岩は比較的新しい岩場だ。現代のジム上がりクライマーを考慮して、私ですら要らないと思うような低い位置にすら、1ピン目が付け足されている事例を5.8で見たことがある。

では、何が問題だったかというと、

 ビレイヤーのビレイスキル。

下部では細かく、ロープ操作が必要で、少しも出し過ぎてはいけないのだ。上では別に少し出し過ぎても、大事になることはない。

■ビレイヤーのスキルというのはどうやって判定できるか?

ビレイヤーを見ながら、登るというのは、クライマーとして登っている最中は不可能だし、先輩の荒木さんが「俺のビレイに落ちてもいいよ」と何度となく、言ってくれたが、彼のビレイが信頼できないというよりも、クライミングに対する理解が不安だった。

彼は、もしかして、あまり理解が深くないのかもしれない…というのが、常に私の不安の根底にあった。誰にどうクライミングを教わったのだろう…なぜヨセミテに何度も言って成果が上がらないのだろう…。その様子が分からないので、問題の根源も分からなかったし、彼は、男女の差を分かっていないと思えたからだ。女性の立場に立つ視点が欠けているかもしれない。

ならば、その無知により、私が危険に陥っても認知できないかもしれない。 それがまさしく、3歳の幼児をプールに突き落とした父の姿だった。彼はただ赤ん坊は教えなくても泳げると思っていただけなのだ…。

もう一人の親しくしていたキーボウさんは、オリンピックでスポーツクライミングのビレイを習得しておられ、流して観客を魅了するというスタイルは、外岩には絶対にない、ので、どうしても、ビレイの捉え方、考え方に不安が払しょくできなかった。彼のビレイには何度か落ちてみせてキャッチを確認しから、ビレイはいいのだが、提案してくれるルートが…。

例えば、大蛇山などは、私が登ったとたんにJFAのリボルトの対象になっていた。つまり、ボルトがぜい弱だという判断が客観的な目でなされたわけで、それは落ちながら登ることを薦めるルートではないということになる…。つまり、初心者向きの課題を選ぶ目は、ないのかもしれないということだ。

https://allnevery.blogspot.com/2021/01/blog-post_2.html

■ 自分より重たいビレイヤーの場合は、奥村式を採用してもらうべき

ぱっつんビレイもだめだけど、だらりんもダメで、信頼できるビレイは、奥村式なんだが、奥村さんの講習会には来られなかった。

奥村式というのは、自分より体重が著しく軽いクライマーをビレイする場合は、握った手の幅分のスラックを出す、ということだ。

私みたいな小柄な人が重たいクライマーをビレイしている場合は必要ない。体が勝手にショックアブゾーバーになるからだ。

■ 迷ったらハードプッシュはNG

というのは、これは、山梨時代からだが、

 「迷ったらハードプッシュ!」

という原理原則が外岩に応用されがちで、ハードプッシュというのは、力で解決、という意味だ。あるいは動的ムーブ。

この選択肢のとり方は、予備パワーや、使っていない潜在パワーが大きいと想定できる、青年期~壮年期男性が取れば、それはある程度、根拠がある選択肢だし、誰でもセカンドの時やトップロープの時は、ハードプッシュで構わない。

このハードブッシュで自分の眠れる野生が目覚める若い男性が多いのは知っているが…それは万人向けの戦略ではない。9割のクライマーが男性なので、主流ではあるにしても。 

マジョリティが取る戦略が、一概に正しいわけではない。

一般に、みんなと同じ=正解、と思考停止で思っている人には、これが理解できない。

■ ムーブ解決が私の取るべき道

少年期の男性や、老年期の男性、あるいは、女性全般などは、迷ったらハードプッシュは取れない戦略だ…。

そもそも、私の肉体に、火事場の馬鹿力があるか?どうか?と問えば、ないとは言えないが、それに頼り続ける戦略が正当化できるほどの潜在パワーか?というと、かなり疑問だ。

山梨時代から、「男子は、いつもパワーだよりなんだから…」とあんまりムーブの洗練に対しては、期待しないでいた。私にムーブの指導なんて出来ないだろうと思っていた。

荒木さんもジムでのセッションで、大勢で登ると、どうもムーブ派ではなく、肉体の強度で耐えている人であるようだったし、悪いことではないが、誰が見てもムーブ解決タイプではないってことだった。

パワーがない人にとっては、

「迷ったらハードプッシュ」は、死に至る道であり、取りたくても取れない選択肢

と思っていた。そういう人は、とにかくムーブで解決するしかない。

■ 切羽詰まると出るムーブ

リードが楽しくなってきたのは、私が思ってもみないムーブを肉体の叡智が繰り出せるということが、段々分かってきてからだった。

体は頭よりも賢い。

私はリーチが、中学生程度しかない。ので、核心前にクリップすることができないが、それでも、これまで、プリクリップからは縁遠くきている。意地でもプリクリしない、のは、ほかの人に付け入るスキを与えないため。

さらに言えば、これは核心前にクリップしてしまうと、安心してしまい、出るべきムーブが出ないからだ。

2~3トライで、逡巡していて、自分でも思って見なかったムーブが出たときが何度かあり、これが切羽詰まらないと出ない。

まだ、それで落ちたことがない。いつも、3回目くらいには、ひやりと冷や汗をかきながらも、内心、

 えーこんなムーブやったことなかったけどできたー!と自分でもびっくり

しつつ、核心を越えている。それは、意外でもあり、驚く瞬間だ。

■ 繊細な長ヌン是非の判断

ので、長ヌンで伸ばしてくれる人を見ると、ありがたいけど、ありがたくないような、何とも言えない複雑な気分になっていたものだった。

師匠の青木さんは、私が恐れつつリードしていると、見ていられず、「降りてきなさい」という。ルートを見る目が確かそうで、素直に従っている。

私が思うには、危険個所以外では、長ヌンやヌンがけリードはイラナイ。

危険個所というのは、リーチの問題で掛けたくてもかけられないのにも関わらず、落ちれば骨折確実、という箇所だ。例えば、斜陽のようなの。あれは、私はリードでは取りつかないだろう。

あるいは、3ピン目以下に核心がある場合。

3ピン出す前に、手繰り落ちの危険があるようなら、ヌンがけリードのほうがよい。

大事なことは、その見極めであり、その見極めをパートナーとすり合わせていくことだ。

下部であるほど危険だ、というのは、元よりクライマーの常識だ。

■ 相手の立場が見えない人だと

男性は、迷ったらパワープッシュで、自分の肉体的パワーが発散されることに快感を感じているので、なかなか女性が何を楽しみにして、クライミングしているのか?ということが分からないみたいだ。

以前、御坂山岳会にいる頃、奇特な先輩が、ユージさんのベースキャンプに付き合ってくれた。私は、その先輩のやり方で登ると、自分が快調に登れる以前…アップで、ぐったりと疲れてしまって、普通に取れるグレードもとれなくなった。

つまり、最初からどっかぶりを登るとか。これは師匠の青木さんが自分の体を目覚めさせるためにいつもそうで、私には全然合わないので、参ったのだった。1本目からどっかぶり。

城ケ崎でも同じことがあった。親切なクライマーが一本目で、どっかぶりの易しいクラックを薦めてくれたのだが…。それは彼には親切でも、私には、最初に核心がある、というだけで後の登りが出なくなるのだから…全然適した課題ではないということになってしまう。

私は一日のクライミングの初めでパンプしてしまったら、一日を棒に振ることになる。

男性は先に疲れてパワーを消耗してしまわないと、ムーブ主体の登りに切り替えられない。 これは保科ガイドでのクライミングで、皆疲れてからが本番なので分かった。

だか、女性にはそのひと手間はイラナイ。足で登れる易しい課題で、クライミングの勘を取り戻して、体が温まってから、 本気トライ、というのが、私のベストな流れだ。ごく普通のスポーツ理論と同じだ。

かつて、吉田和正さんが、私に、「もっとレストしろ!ジムに長居しすぎだ!」と怒って言ったみたいな状況になるのだ…普通の人工壁で。パンプは、翌日まで続くから、翌日だって登れない。

人工壁ってかぶっているでしょう、垂壁でも薄被りですよね?


 これは、小学生時代の小松由佳さんの記事だが、

 リーチが短い=人工壁は苦手、外岩では1ピン目がかけられない

と問題が明らかにされている。子どもというのは160cmない人たち、6年生で140cm代、中1で150cm代。

彼らは、大人になって背が伸びると問題解決されていくが、大人で小柄な人は、男女問わず、解決されずに問題が残り続ける。

今後、日本の岩場が、ダイバーシティ、つまり、女性や老人、子供を取り込んでいくならば、ピン間隔が170cmの平均身長に合わさっている点は、改められないといけない。

■ 男性の登り方と女性の登り方は違う

カチ主体の日向神みたいな岩場でも、結局のところ、力を発散しまくる男性のペースで、力を発散して登っていたら、あっという間にエネルギーのタンクはゼロになってしまう。私はぐったりして、出る筋力も出なくなる。

結果、ビレイしかすることがない、となって、なんだかパートナーの男性にばかり、有利に働いてしまう。

一般的に子供や女性は何時間でも登っていられるのは、そもそも、オールアウトしない、そもそも節約して登っているためだ。

だから、女性でも、例えばインスボンのスラブだのクラックだのでは、一日中登っていても、マルチ2本+ショート2本くらい…ロープスケール50で一日15本くらいは平気で登れるわけで、使っている筋肉が違う上、出し方も違うという話だ。足腰の筋力をオールアウトするってないでしょう。

おおざっぱに言えば、持久型と瞬発型の違いだと思ってください。

■ 女性経験の少なさ

上半身の筋力というのは、それくらい男女で差があり、女性は人にもよるだろうが、そもそも、男性のようにプリインストールされているわけではない。

それが、やはり、男性で、特に女性の兄弟がいなかった人とか、家でお母さん以外の女性と生活したことがない人は、理解ができないようだ。

一度、きつくしまったサーモスの口を開けてもらいたいと、お願いしたら、「なんで俺に頼むんだよ」みたいな対応をされ、えーッと思った。我が家では男である弟に頼むのが当然だったし、相手にとっては、大したことではないので、本人もそれが普通だと思って対応していた。だいぶ前におにぎり食べさせてやったじゃん、と思ったんだよなぁ…。そのギブアンドテイクは、相手はもらえるのが普通だと思って、私の行動食、おいしい~と食べていたからなぁ。 まぁ、えー?私の分、食べないでよ、とは思ったが、まぁ弟みたいだし、いつか貸しを返してもらえばいいか、と思ったんだった、当時。

ところが、こうした兄弟間の女性経験がない人だと、相手が女性だと、もらいっぱなしで返礼なし、が普通に感じるみたいなんだな…女性の原形がお母さんにマッチしている訳で。これは夫も同じだ。

いつでも、どんな時でも僕のためにスタンバっている人=お母さん。

しかし、現実の女性はそうではない。人間だから、当然、怪我もすれば、病気にもなるし、疲れもするし、イライラしているときもある。人間なら誰にだって手助けが必要な時があるのだ。

男性は、怪我しているお母さんに、ご飯作って、というのだろうか…?

兄弟なら、中学生くらいから、顕著に体力差が出てきて、まるで勝負にならないというのが、一緒に育つと分かるはずだ。

だからと言って、女性が能がないわけではなく、チェーンソーだって使える。休み休み行けば。

そんなこんなで、女性の能力に対する一般的な理解、というのが欠けており、欠けていることに、なんとなく気づきはあるようで、「女性はスラブが得意科目」と声をかけてくれたり、「ムーブがいい」とあえて気を配ってくれたりしたが、それは、なんとかおだてて自信をつけさせ、パワームーブに傾けようというのが狙いであり、本心ではないのは、分かっていた。

仮に私がそれに折れて、パワームーブで外岩をトライするようになったら、早晩、怪我をするのは、私の方になるわけである。

■ 男性性に魅了されている人たち

本当に女性の能力に感心する、というのは、男性としての肉体能力に本人が魅了されているうちは起きないのかもしれない。

あるいは、誰か女性に対して、恋に落ちて、女性の強さを心から実感するようになるまでは、起きないのかもしれない。

なぜなら、人の心は、好ましいもの、と思っている間は、それが唯一の解になってしまうからだ。

男性が持つ瞬発パワーを好ましいものと思っていれば、いくらクライミングはムーブですよと言われたところで、俺やっぱりいつもパワーで解決しているしなぁ、ホントなのかなぁとなってしまい、パワー以外の解を信じることはできない、ということです。

だから、彼は自分より非力な人が自分以上のグレードを登って見せないと、納得は出来ないのではないでしょうかね?

■ 肝心のところで心が離れる

という以上のような理由で、私が核心部で、逡巡し始め、つまり、ムーブが出そうなスイッチが入りそうになると、下のビレイヤーは、「早くしてよー」という心理状態になっていて、そこで早くしたら、私にとっては、せかされてスイッチが入らず、ただのハードプッシュで

 面白くも有効な戦略でもない

ので、登っている私の方は、

 「もう!分かってないなー!今いいところなんだから!!」

という状態になり、全然、心の歯車がかみ合わない、のだった。

私には、

 私が核心部でいい状態に入っている、と理解できるビレイヤー

が必要で、それは彼でないことは確かなようだった。たぶん、大体の男性クライマーをビレイヤーにしてもダメなんじゃないだろうか?

クライミング歴40年と豪語していた人ですら、クラックで人のカムセットで登ることが、低身長の私には、安全でも何でもないことが分かっていなかったみたいだし…。

ある一つのクライミングというのは、クライマーとビレイヤーで作り上げるもの、

だが、それが

 相手のリードに寄り添う、という心の働きが必要、

というのが、

 いつもいつも寄り添ってもらうだけの側、だと、寄り添い方を理解できない

のは、親の心、子知らずで、子だった人が親になって初めて親の気持ちが分かる、というのと似ているのかもしれない。

親になっても、それが訪れない人がいるように、ビレイヤーになれば、すべてのビレイヤーが、クライマーの心に寄り添えるわけではないだろう…

各種のクライマーが紡ぎ出す、クライミングの歌は、人それぞれなのだからして…。

■ 私のクライミングの歌

私のクライミングの歌は、高グレードでなくても、ロープがスタックしたり、ランナウトしたり、あるいはカムが抜けたりとか、そのような悪ガキっぽさがない、品行方正さ、を現在のところ、目指しており、やむを得ない場合以外は、ランナウトはしない。

もちろん、クラックを登っていれば、やむをえないランナウトには岩の形状上、出会わざるを得ないから、その時にランナウトに耐える力は持っているんだが、わざわざそれを見せびらかしたい、そうして、勇気あるクライマーだとみんなに認められたい、という気持はない。

私は写真にとってほしいとパートナーに頼むことはない。ので、めったに写真がないのだが、この2枚は、私のリードスタイルが分かる貴重な2枚。

      アイスでのリード結果
 
      クラックでのリード結果

こういうのが、いいクライミング、と私は思っているんで。

落ちたらカム三つ飛んだとか、いいクライミングと呼べない。下のビレイヤーが、”死亡事故を自分は目撃する羽目になるのではないか?”と恐れるようなクライミングは、わざとはヤラナイ。わざとしなくても、そういうことはあるのがクライミングだからだ。

ウオーッと叫んでギリギリをアピールしたい!というのは、全然ないんだな… 

叫んだら、なんてったってムーブが出ない。

同調圧力は、特に嫌いだ。ラオスでは和気あいあいとしていたが、同じように登れなくても、なんだよ、あいつってのはない。なんせ、フランケンユーラに住んでる奴が、私より登れなかったけど、誰も馬鹿にしていない。

台湾ではアメリカのヨセミテ仕込みの奴と登ったが、私がセカンドで行ったマルチは、彼の方が私に付き合ってもらって悪いね、という態度だった。連れて行ってやる、っていう傲慢さはなかった。

アルパインだって、12の力で8か7の山にしか行かない。逆に言えば、8か7の実力がいる山に行くのに、12の力をつけてからしか行かない。阿弥陀北稜は楽勝だと分かっていたから行っただけだ。楽勝だと思っていても、そうでないことがあるのが山だから、一升瓶で大酒飲んで6人の大所帯でわざとハンデつける愚行はしない。

ギリギリっていうのは、やっていい時と悪い時が見分けられるようになり、敗退も確実になってからやるものですよ。

2022/11/23

俺様思考 は 抑圧された男性の頭の中にある

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性は自然な現象だ。 それについては いっさい思い悩まなくてもいい。

ーーーーーーーーーーーーーー By OSHO


■ 九州では、男性は男らしさに抑圧されている?

九州に来てから、やっぱり環境が悪いのでは?と思うこと

vs

いや、それは主観で日本中どこも同じ…

の間で、決着がついていないことの一つが、

  九州では、ことさら、男性は、 男らしくあれ、

の抑圧を受けており、その結果、俺様思考、なのではないか?ということです。

■ チェーンソー事件

先日チェーンソーの会で、私の胸高になるところに積んだ丸太を玉切りするようにけしかけられた。そのおじさんはびっこを引いており、仲間内でも、出来ない子、のように見受けられた。

私が断ると、そのおじさんは、お前はエラソーだ!と言ったのだが、なんで私がエラソーなのか?

どっちかというと、自信がなさそうにしているので、わざわざ小さいチェーンソーを持ってきてくれた人がいるくらいだったぞ?

私より背の低いおじさんがいて、俺にも危険だ、というので、かばってくれたので助かったが、今まで起きた登山で危ないシーンというのは、大体、男性の中でも、

出来ない子

が、勝手に私をライバルと決め、私を陥れようとしている、ようにしか感じられないんだが…。

■ 妄想は私の中ではなく、”できない”おじさん族の中にある


被害妄想なのかしらね、と、ずっと思っていたが、チェーンソーの事件で、

 これは別に私の被害妄想ではなく、

 しかも私の側に非があることでもなく、

勝手に、序列を頭の中で想定しているおじさんがいて、その人のヒエラルキーの中では、

 私が、その人の地位を脅かしているために起きている

んではないかと思う。

阿弥陀北稜事件もそうだし、九州で起きた数々のヘンテコな事件もそうだし…。

つまり、彼らは、登れる女性の出現によって、地位が脅かされるのを恐れている、とか、俺が俺様で無くなるのを恐れているのでは?そもそもが砂上の楼閣なのに、俺ってかっけーとやっているほうが問題で、私は別に問題ではないような?

だから、私は何も変わっていないのに、海外の登攀では、普通にしていて、普通に登れるわけである。 誰にもバカにされたり、わざと危険な目に合わせられたりせず。ごく普通に。

しかるに、怒りの感情を想起するのが、正しい反応のような気がする。

私に社会性がないということで責められる点があるなら、

 正しく怒って来なかった

ってことかなと思う。 

そもそも、41歳でクライミングをスタートした人に脅かされる地位なんて…大した地位じゃないって意味なんでは…?