■ 恵ちゃん
最近、良い友達ができた。彼女とは初対面の時、わぁ、きれいな人だなぁと思ったんだけど、もう一度会ったときに、お顔をまじまじと見たら(失礼だったかもしれないが)、やっぱり、きれいな人で、見飽きないなぁと思った。”美人は3日で飽きるから結婚するな”と、言った、子供が6人いる先輩がいたが…、あれ、嘘なんじゃないの?美人は、何回見ても飽きないかも。
その彼女が、クライミングで出てきた、私の子ども時代のトラウマの再演を辛抱強く、聞いてくれるので、
なんで私が?
という憤りが、徐々にほぐされて行っている…。
■ ほんの些細なうっかりに命がかかる活動…怒って当然
クライミングは、チェーンソーもだけど、ほんの些細なミスで、自分が死んだり、相手を殺すことができる活動だ。
リスク認知の甘さというのは、リスクのないクライミングしかしてこなかったというのが正しい。
だから、私が受けた仕打ちは、そんな些細なことで怒るなんて…と流してしまえる内容ではない。殺されかけたと同じ意味だからだ。深刻に反省が必要だ。納得するまで深く反芻して、学んだ教訓が石に刻んだ教訓となり、決して教訓が消えないようにすることが大事だ。
そこのところが、無執着を是とする仏教仲間には理解ができないと思うが仕方がない。
殺されるという臨場感がない人たちの集まりだからなぁ…。メンタルを病む人は私も病んでみたが、全くの甘ちゃんと思えることが私の生い立ちからは多い。頑張る前に病んでダメになっているように見える。
■ 教訓:かっこよく見えるために登っている人と登ってはいけない…意図が大事
まったく、男どものクライミングに対する誤解やクライミングをエゴの充足に使いたいという心理ニーズは根強い。
クライミングできる俺がカッコイイ~ というのが、一般論として、男性はどうしても手放せず、逆に、
俺をかっこよく見せてくれるクライミングだけする、
ということになっている人もいるかもしれない。
そういう人は、意図がカッコよく見えることなので、リスク管理については後回しで、ガイドをしていたり、経験年数が10年もあっても、のど元過ぎればで忘れてしまい、真剣な考察を与えていないことが多い。
だから、結果としてとても危ない上、それが止むことがない。ヒヤリハットから学習しない。
なぜなら、かっこいいクライミングこそが善だと信じている限り、あるがまま、をみることはないからだ。
しかるに セーフクライミングをしたい人は、意図を見分けて避けるべきだ。
■ 落ちろ落ちろ
私は山梨時代は、なかなか気楽には落ちようとしない点を、往年クライマーから、評価されたクライマーだった。 九州では逆で落ちろ落ちろと言われる。
師匠の青木さんは、「俺はすぐ落ちるクライマーは嫌いだ」と公言していた。だから私と登ってくれたわけだ。
日本の岩場にはリスクがあるんだが、そのリスクは、暗黙知になっており、明言化されていない。
<明言化されていない暗黙知リスト>
・落ちて良いボルトと落ちて良くないボルトがある
・古い岩場の5.10代は5.12が登れるようにならないと安全には取りつけない
・ボルト間隔が、日本人男性の標準身長に合わせてあるので、背の低い人には、より危険
・2000年以前に開拓されたところはグレードがバラバラであてにできない
■ 3ピン目以前に落ちてはいけない
一般に山梨でクライミングデビューするクライマーは、
「3ピン取るまでは死んでも落ちてはいけない」
と教わっていると思う。 これはフリークライミングの教科書が言っていることとは違うが、現実に即せばこうならざるを得ない。
■ 9割落ちるクライミング
ただ、入門期を過ぎると、
”落ちながら上達するハングドック式(RP式)フリークライミング”
の洗礼を受けるわけだが、フリークライミングで5.13レベルを登っているような人は、「俺、9割落ちている」「1ピン目掛けれたらどこで落ちてもいい」と言っていた。
当然だ、限界グレードを上げるわけだから。これは、スポーツクライミングの考え方だが、フリーでも限界を上げだすとそうならざるを得ない。
これは、古い日本の岩場の5.10代では、プリクリップなしには実践はできない。
■ 古い岩場では5.10代では落ちながら限界をあげるクライミングはできない
しかし、それを5.12の登攀力が前提になっている ”日本の5.10代” でやることは、死へ直結する道だ。
上手く言語化出来ていなかったが…。
結論的には、山梨でそう教えてくれた彼は、高難度を登っていたので、
高難度=ごく最近のルート=ボルトが新品
という公式が当てはまり、
40年経過したカットアンカー(そもそも十分な強度がない上、腐食していると想定できる)
ではない。
九州でも、高難度を登る人は恵まれており、その人のために新しくルートを切り開いてもらってボルトも新品を打ってもらう。身長に合わせて打ってもらうので、オーダーメイド、というわけだ。
しかし、オーダーメードと比べて、既製服、と言えるような5.10代や5.9で、外岩でバンバン落ちて限界グレードを上げるという登りは、不可能だ。
特に九州の古い岩場には適用できない。ボルトの経年劣化は40年だからだ。しかも、元々使われているボルトの品質が、カットアンカーであり、新品でもカム程度の強度しかない。
公式:バンバン落ちていいかどうか?は、ボルトの品質次第。
九州では、熊本の会にお世話になる気でいたが、どうもスポーツクライミングの理論を外岩に無邪気に当てはめているようで、私を落とそう落とそうという意図が透けてみえ、北風と太陽みたいに、落とそうという北風が吹けば吹くほど、私が嫌がるという公式にあった。
(俺のビレイが信用できないのか!というおごりの気持ちが相手にあったらしいという気づき が今生まれた。ビレイ以前に九州ではボルトが信頼できない)
■ ボルトじゃなくて、ビレイヤーへの信頼
私は落ちて良い岩場、兜岩で1ピン目をかけた後、当然キャッチしてもらえると思って落ちたら、全くロープテンションがなく、落とされてしまって頭を7針縫ったことがある。
その経験が、安直な墜落を戒めているのか?というと、そうでもない気がするが… だとしても、不思議はない。頭がカチわれていたら死んでいたわけで。
私が落とされた理由は、兜ではボルトにはない。兜岩は比較的新しい岩場だ。現代のジム上がりクライマーを考慮して、私ですら要らないと思うような低い位置にすら、1ピン目が付け足されている事例を5.8で見たことがある。
では、何が問題だったかというと、
ビレイヤーのビレイスキル。
下部では細かく、ロープ操作が必要で、少しも出し過ぎてはいけないのだ。上では別に少し出し過ぎても、大事になることはない。
■ビレイヤーのスキルというのはどうやって判定できるか?
ビレイヤーを見ながら、登るというのは、クライマーとして登っている最中は不可能だし、先輩の荒木さんが「俺のビレイに落ちてもいいよ」と何度となく、言ってくれたが、彼のビレイが信頼できないというよりも、クライミングに対する理解が不安だった。
彼は、もしかして、あまり理解が深くないのかもしれない…というのが、常に私の不安の根底にあった。誰にどうクライミングを教わったのだろう…なぜヨセミテに何度も言って成果が上がらないのだろう…。その様子が分からないので、問題の根源も分からなかったし、彼は、男女の差を分かっていないと思えたからだ。女性の立場に立つ視点が欠けているかもしれない。
ならば、その無知により、私が危険に陥っても認知できないかもしれない。 それがまさしく、3歳の幼児をプールに突き落とした父の姿だった。彼はただ赤ん坊は教えなくても泳げると思っていただけなのだ…。
もう一人の親しくしていたキーボウさんは、オリンピックでスポーツクライミングのビレイを習得しておられ、流して観客を魅了するというスタイルは、外岩には絶対にない、ので、どうしても、ビレイの捉え方、考え方に不安が払しょくできなかった。彼のビレイには何度か落ちてみせてキャッチを確認しから、ビレイはいいのだが、提案してくれるルートが…。
例えば、大蛇山などは、私が登ったとたんにJFAのリボルトの対象になっていた。つまり、ボルトがぜい弱だという判断が客観的な目でなされたわけで、それは落ちながら登ることを薦めるルートではないということになる…。つまり、初心者向きの課題を選ぶ目は、ないのかもしれないということだ。
https://allnevery.blogspot.com/2021/01/blog-post_2.html
■ 自分より重たいビレイヤーの場合は、奥村式を採用してもらうべき
ぱっつんビレイもだめだけど、だらりんもダメで、信頼できるビレイは、奥村式なんだが、奥村さんの講習会には来られなかった。
奥村式というのは、自分より体重が著しく軽いクライマーをビレイする場合は、握った手の幅分のスラックを出す、ということだ。
私みたいな小柄な人が重たいクライマーをビレイしている場合は必要ない。体が勝手にショックアブゾーバーになるからだ。
■ 迷ったらハードプッシュはNG
というのは、これは、山梨時代からだが、
「迷ったらハードプッシュ!」
という原理原則が外岩に応用されがちで、ハードプッシュというのは、力で解決、という意味だ。あるいは動的ムーブ。
この選択肢のとり方は、予備パワーや、使っていない潜在パワーが大きいと想定できる、青年期~壮年期男性が取れば、それはある程度、根拠がある選択肢だし、誰でもセカンドの時やトップロープの時は、ハードプッシュで構わない。
このハードブッシュで自分の眠れる野生が目覚める若い男性が多いのは知っているが…それは万人向けの戦略ではない。9割のクライマーが男性なので、主流ではあるにしても。
マジョリティが取る戦略が、一概に正しいわけではない。
一般に、みんなと同じ=正解、と思考停止で思っている人には、これが理解できない。
■ ムーブ解決が私の取るべき道
少年期の男性や、老年期の男性、あるいは、女性全般などは、迷ったらハードプッシュは取れない戦略だ…。
そもそも、私の肉体に、火事場の馬鹿力があるか?どうか?と問えば、ないとは言えないが、それに頼り続ける戦略が正当化できるほどの潜在パワーか?というと、かなり疑問だ。
山梨時代から、「男子は、いつもパワーだよりなんだから…」とあんまりムーブの洗練に対しては、期待しないでいた。私にムーブの指導なんて出来ないだろうと思っていた。
荒木さんもジムでのセッションで、大勢で登ると、どうもムーブ派ではなく、肉体の強度で耐えている人であるようだったし、悪いことではないが、誰が見てもムーブ解決タイプではないってことだった。
パワーがない人にとっては、
「迷ったらハードプッシュ」は、死に至る道であり、取りたくても取れない選択肢
と思っていた。そういう人は、とにかくムーブで解決するしかない。
■ 切羽詰まると出るムーブ
リードが楽しくなってきたのは、私が思ってもみないムーブを肉体の叡智が繰り出せるということが、段々分かってきてからだった。
体は頭よりも賢い。
私はリーチが、中学生程度しかない。ので、核心前にクリップすることができないが、それでも、これまで、プリクリップからは縁遠くきている。意地でもプリクリしない、のは、ほかの人に付け入るスキを与えないため。
さらに言えば、これは核心前にクリップしてしまうと、安心してしまい、出るべきムーブが出ないからだ。
2~3トライで、逡巡していて、自分でも思って見なかったムーブが出たときが何度かあり、これが切羽詰まらないと出ない。
まだ、それで落ちたことがない。いつも、3回目くらいには、ひやりと冷や汗をかきながらも、内心、
えーこんなムーブやったことなかったけどできたー!と自分でもびっくり
しつつ、核心を越えている。それは、意外でもあり、驚く瞬間だ。
■ 繊細な長ヌン是非の判断
ので、長ヌンで伸ばしてくれる人を見ると、ありがたいけど、ありがたくないような、何とも言えない複雑な気分になっていたものだった。
師匠の青木さんは、私が恐れつつリードしていると、見ていられず、「降りてきなさい」という。ルートを見る目が確かそうで、素直に従っている。
私が思うには、危険個所以外では、長ヌンやヌンがけリードはイラナイ。
危険個所というのは、リーチの問題で掛けたくてもかけられないのにも関わらず、落ちれば骨折確実、という箇所だ。例えば、斜陽のようなの。あれは、私はリードでは取りつかないだろう。
あるいは、3ピン目以下に核心がある場合。
3ピン出す前に、手繰り落ちの危険があるようなら、ヌンがけリードのほうがよい。
大事なことは、その見極めであり、その見極めをパートナーとすり合わせていくことだ。
下部であるほど危険だ、というのは、元よりクライマーの常識だ。
■ 相手の立場が見えない人だと
男性は、迷ったらパワープッシュで、自分の肉体的パワーが発散されることに快感を感じているので、なかなか女性が何を楽しみにして、クライミングしているのか?ということが分からないみたいだ。
以前、御坂山岳会にいる頃、奇特な先輩が、ユージさんのベースキャンプに付き合ってくれた。私は、その先輩のやり方で登ると、自分が快調に登れる以前…アップで、ぐったりと疲れてしまって、普通に取れるグレードもとれなくなった。
つまり、最初からどっかぶりを登るとか。これは師匠の青木さんが自分の体を目覚めさせるためにいつもそうで、私には全然合わないので、参ったのだった。1本目からどっかぶり。
城ケ崎でも同じことがあった。親切なクライマーが一本目で、どっかぶりの易しいクラックを薦めてくれたのだが…。それは彼には親切でも、私には、最初に核心がある、というだけで後の登りが出なくなるのだから…全然適した課題ではないということになってしまう。
私は一日のクライミングの初めでパンプしてしまったら、一日を棒に振ることになる。
男性は先に疲れてパワーを消耗してしまわないと、ムーブ主体の登りに切り替えられない。 これは保科ガイドでのクライミングで、皆疲れてからが本番なので分かった。
だか、女性にはそのひと手間はイラナイ。足で登れる易しい課題で、クライミングの勘を取り戻して、体が温まってから、 本気トライ、というのが、私のベストな流れだ。ごく普通のスポーツ理論と同じだ。
かつて、吉田和正さんが、私に、「もっとレストしろ!ジムに長居しすぎだ!」と怒って言ったみたいな状況になるのだ…普通の人工壁で。パンプは、翌日まで続くから、翌日だって登れない。
人工壁ってかぶっているでしょう、垂壁でも薄被りですよね?
これは、小学生時代の小松由佳さんの記事だが、
リーチが短い=人工壁は苦手、外岩では1ピン目がかけられない
と問題が明らかにされている。子どもというのは160cmない人たち、6年生で140cm代、中1で150cm代。
彼らは、大人になって背が伸びると問題解決されていくが、大人で小柄な人は、男女問わず、解決されずに問題が残り続ける。
今後、日本の岩場が、ダイバーシティ、つまり、女性や老人、子供を取り込んでいくならば、ピン間隔が170cmの平均身長に合わさっている点は、改められないといけない。
■ 男性の登り方と女性の登り方は違う
カチ主体の日向神みたいな岩場でも、結局のところ、力を発散しまくる男性のペースで、力を発散して登っていたら、あっという間にエネルギーのタンクはゼロになってしまう。私はぐったりして、出る筋力も出なくなる。
結果、ビレイしかすることがない、となって、なんだかパートナーの男性にばかり、有利に働いてしまう。
一般的に子供や女性は何時間でも登っていられるのは、そもそも、オールアウトしない、そもそも節約して登っているためだ。
だから、女性でも、例えばインスボンのスラブだのクラックだのでは、一日中登っていても、マルチ2本+ショート2本くらい…ロープスケール50で一日15本くらいは平気で登れるわけで、使っている筋肉が違う上、出し方も違うという話だ。足腰の筋力をオールアウトするってないでしょう。
おおざっぱに言えば、持久型と瞬発型の違いだと思ってください。
■ 女性経験の少なさ
上半身の筋力というのは、それくらい男女で差があり、女性は人にもよるだろうが、そもそも、男性のようにプリインストールされているわけではない。
それが、やはり、男性で、特に女性の兄弟がいなかった人とか、家でお母さん以外の女性と生活したことがない人は、理解ができないようだ。
一度、きつくしまったサーモスの口を開けてもらいたいと、お願いしたら、「なんで俺に頼むんだよ」みたいな対応をされ、えーッと思った。我が家では男である弟に頼むのが当然だったし、相手にとっては、大したことではないので、本人もそれが普通だと思って対応していた。だいぶ前におにぎり食べさせてやったじゃん、と思ったんだよなぁ…。そのギブアンドテイクは、相手はもらえるのが普通だと思って、私の行動食、おいしい~と食べていたからなぁ。 まぁ、えー?私の分、食べないでよ、とは思ったが、まぁ弟みたいだし、いつか貸しを返してもらえばいいか、と思ったんだった、当時。
ところが、こうした兄弟間の女性経験がない人だと、相手が女性だと、もらいっぱなしで返礼なし、が普通に感じるみたいなんだな…女性の原形がお母さんにマッチしている訳で。これは夫も同じだ。
いつでも、どんな時でも僕のためにスタンバっている人=お母さん。
しかし、現実の女性はそうではない。人間だから、当然、怪我もすれば、病気にもなるし、疲れもするし、イライラしているときもある。人間なら誰にだって手助けが必要な時があるのだ。
男性は、怪我しているお母さんに、ご飯作って、というのだろうか…?
兄弟なら、中学生くらいから、顕著に体力差が出てきて、まるで勝負にならないというのが、一緒に育つと分かるはずだ。
だからと言って、女性が能がないわけではなく、チェーンソーだって使える。休み休み行けば。
そんなこんなで、女性の能力に対する一般的な理解、というのが欠けており、欠けていることに、なんとなく気づきはあるようで、「女性はスラブが得意科目」と声をかけてくれたり、「ムーブがいい」とあえて気を配ってくれたりしたが、それは、なんとかおだてて自信をつけさせ、パワームーブに傾けようというのが狙いであり、本心ではないのは、分かっていた。
仮に私がそれに折れて、パワームーブで外岩をトライするようになったら、早晩、怪我をするのは、私の方になるわけである。
■ 男性性に魅了されている人たち
本当に女性の能力に感心する、というのは、男性としての肉体能力に本人が魅了されているうちは起きないのかもしれない。
あるいは、誰か女性に対して、恋に落ちて、女性の強さを心から実感するようになるまでは、起きないのかもしれない。
なぜなら、人の心は、好ましいもの、と思っている間は、それが唯一の解になってしまうからだ。
男性が持つ瞬発パワーを好ましいものと思っていれば、いくらクライミングはムーブですよと言われたところで、俺やっぱりいつもパワーで解決しているしなぁ、ホントなのかなぁとなってしまい、パワー以外の解を信じることはできない、ということです。
だから、彼は自分より非力な人が自分以上のグレードを登って見せないと、納得は出来ないのではないでしょうかね?
■ 肝心のところで心が離れる
という以上のような理由で、私が核心部で、逡巡し始め、つまり、ムーブが出そうなスイッチが入りそうになると、下のビレイヤーは、「早くしてよー」という心理状態になっていて、そこで早くしたら、私にとっては、せかされてスイッチが入らず、ただのハードプッシュで
面白くも有効な戦略でもない
ので、登っている私の方は、
「もう!分かってないなー!今いいところなんだから!!」
という状態になり、全然、心の歯車がかみ合わない、のだった。
私には、
私が核心部でいい状態に入っている、と理解できるビレイヤー
が必要で、それは彼でないことは確かなようだった。たぶん、大体の男性クライマーをビレイヤーにしてもダメなんじゃないだろうか?
クライミング歴40年と豪語していた人ですら、クラックで人のカムセットで登ることが、低身長の私には、安全でも何でもないことが分かっていなかったみたいだし…。
ある一つのクライミングというのは、クライマーとビレイヤーで作り上げるもの、
だが、それが
相手のリードに寄り添う、という心の働きが必要、
というのが、
いつもいつも寄り添ってもらうだけの側、だと、寄り添い方を理解できない
のは、親の心、子知らずで、子だった人が親になって初めて親の気持ちが分かる、というのと似ているのかもしれない。
親になっても、それが訪れない人がいるように、ビレイヤーになれば、すべてのビレイヤーが、クライマーの心に寄り添えるわけではないだろう…
各種のクライマーが紡ぎ出す、クライミングの歌は、人それぞれなのだからして…。
■ 私のクライミングの歌
私のクライミングの歌は、高グレードでなくても、ロープがスタックしたり、ランナウトしたり、あるいはカムが抜けたりとか、そのような悪ガキっぽさがない、品行方正さ、を現在のところ、目指しており、やむを得ない場合以外は、ランナウトはしない。
もちろん、クラックを登っていれば、やむをえないランナウトには岩の形状上、出会わざるを得ないから、その時にランナウトに耐える力は持っているんだが、わざわざそれを見せびらかしたい、そうして、勇気あるクライマーだとみんなに認められたい、という気持はない。
私は写真にとってほしいとパートナーに頼むことはない。ので、めったに写真がないのだが、この2枚は、私のリードスタイルが分かる貴重な2枚。
アイスでのリード結果クラックでのリード結果
こういうのが、いいクライミング、と私は思っているんで。
落ちたらカム三つ飛んだとか、いいクライミングと呼べない。下のビレイヤーが、”死亡事故を自分は目撃する羽目になるのではないか?”と恐れるようなクライミングは、わざとはヤラナイ。わざとしなくても、そういうことはあるのがクライミングだからだ。
ウオーッと叫んでギリギリをアピールしたい!というのは、全然ないんだな…
叫んだら、なんてったってムーブが出ない。
同調圧力は、特に嫌いだ。ラオスでは和気あいあいとしていたが、同じように登れなくても、なんだよ、あいつってのはない。なんせ、フランケンユーラに住んでる奴が、私より登れなかったけど、誰も馬鹿にしていない。
台湾ではアメリカのヨセミテ仕込みの奴と登ったが、私がセカンドで行ったマルチは、彼の方が私に付き合ってもらって悪いね、という態度だった。連れて行ってやる、っていう傲慢さはなかった。
アルパインだって、12の力で8か7の山にしか行かない。逆に言えば、8か7の実力がいる山に行くのに、12の力をつけてからしか行かない。阿弥陀北稜は楽勝だと分かっていたから行っただけだ。楽勝だと思っていても、そうでないことがあるのが山だから、一升瓶で大酒飲んで6人の大所帯でわざとハンデつける愚行はしない。
ギリギリっていうのは、やっていい時と悪い時が見分けられるようになり、敗退も確実になってからやるものですよ。