■ みんなの兄貴だった佐藤さん
佐藤さんは、山梨では、誰もが知るアニキ分であり、クライマー男子で知らない人はいない。ダントツのトップクライマーだ。
アレックス君が、フリーソロをやる前に、甲斐駒のスーパー赤蜘蛛のフリーソロをやったので、実はアレックス君並みにスゴイのに、世間が、スーパー赤蜘蛛を知らなかったので、世間に与えた衝撃のインパクトが小さかったのが非常に残念だった…。この場合しょぼいのは世間であって、彼のほうではない。いかに日本のアルパイン界隈がしょぼくなっているか?を示しているに過ぎない。
九州では、初心者が登れるような寝ている5級アイスを初登したくらいで、その地域では知らない人がいないくらいのスーパーヒーローになれることを考えると、スーパー赤蜘蛛フリーソロが、いかにお買い損商品か?ということが分かる…(笑)。
実は、スーパー赤蜘蛛のすぐ後に、ピラニアで佐藤さんにばったり会って、「おめでとうございます!」と声を掛けたら、嬉しそうにしていた。佐藤さんは、いつも記録に”パワージェル半分”とか、食べたものを細かく書くので、そのことを知りたかったが、聞き損ねた(笑)。
パワージェル1パック、より、”半分”、のほうが記録として優れている、という意味が、文脈から読み取れる。前にリハーサルで登った時は、1パックとか2パックとか必要だったのだろうか…とか、その辺のことが聞きたくなった。
この動画では、佐藤さんのすごさを表現するような、適切な質問がされていない…。こんな内容だったら、その辺の普通のクライマーでも語れるような内容で残念だ。
この事故は広く報道はされたので、クライマーなら知らない人はいないような感じだが、その後、比較的すぐに回復され、はた目には普通に登っているように見えていた。
佐藤さんは、”ランナウト王子”で知られているクライマーだった。そういう人でないとフリーソロなんてしない。そのような人が墜落を経験した後、どのような変化をたどるのか?そこが私が知りたいことだったが、それは語られていない。
■ 正しいアニキの在り方
佐藤さんのおかげで、山梨では、無知なクライマーの、過信による、無謀なアルパインへのトライが阻止されている。
山梨でも往年のクライマーは、自分の40年前の普通が、でっぷりと太ってメタボになってしまった老年期にいる自分でもできる、という幻想をもっており、(一升瓶)×(冬山)×(初級アルパインルート)に行ってしまう。
例えば、私が初見で単独で行った阿弥陀北稜は、単なる入門ルートで、初級ルートですらないが、私の会の先輩は、6人で上記の状態で行き、3名の凍傷者を出している。
教える先輩の側がこのような体たらくなのが、往年のクライマーの自画像である。しかも、そのことに自覚がない。世間も、体たらく具合が分かる知識がない。
そのような場合、若い人は、私のように、初見であろうが単独で行った方が厄介者を抱え込まない分、安全が増えると判断する”超自立系”と、先輩がお荷物だろうが、会から、可愛がられた方が得と考える”ヒモ系”に分かれる。ヒモ系は、だいたい、あごでこき使われることになる。それにそもそも登れない人が多い。九州でヘタレ扱いされている私より登れない30代男子なんて、ざらにいるのだ。
そのどちらの選択肢も取らない場合…が、ほとんどなんだが…、男子は、自分に適したレベルの山を選ぶ選択眼が形成できないまま、周りの人が行っているから…という安易な理由で、高度な山に突っ込むことになる。
どうも、男子たちは周囲の仲間と比べて、あいつが行けるなら俺も行けるだろうという安直さで、自分の実力を判定しているようだった。
それでも、大体、ヒエラルキーで並んでおり、フリーの実力順に並んでいれば、それで大体の安全は確立していたのだった。
私の周辺の知り合いでは、5.13をコンスタントに登れた人がおり、彼は佐藤さんに一度拉致されて、低体温症になりかけ、自分にはアルパインはちょっと…とフリークライミングに専念することにしたそうだ。そう、アルパインよりもフリーのほうが100倍ローリスクなのだ。ゲレンデにいる限り。
その辺の理解も、九州ではおろそかなように思う。セルフレスキューの訓練もなく、支点の知識、登り返しの技術も教えないで、セカンドでマルチピッチにデビューさせている会を多く見る。
例えば、山の会との顔合わせ山行で行った比叡で、となりに石井スポーツの店員の二人組がいたが、なんと、片方は全くの初心者で、単なるローワーダウンができず、30分以上も膠着状態だった。成人した若い生きのいい男性が、ですよ?
私がいた山梨アルパインクラブは、別に特別良い会ではなかったが、それでも、初めての岩場でローワーダウンができないレベルの人は、そもそも岩場に来ない。人工壁でそれなりに登ってからしか、岩場に行かないからだ。ローワーダウンができないって、普段どうしてたん?レベルだ。
さて、佐藤さんだが、山梨では、才能がある男性クライマー、ちょっと芽が出てきたかな?という登れる男子は、どうも自分のクライミングに連れて行って、世界的クライマーの系譜につながる資質があるか、どうか?チェックしてくれていたようなのだ。男子の側としては、
佐藤さんから声がかからないんじゃ、俺はそんなレベルじゃないな…
と暗に分かったようだった。
強い男子は、一度は拉致されていたように思うので、声がかからない=そういうレベルでないということだと思う。
だから、山梨では、レベルも保たれ、トンデモな事故も、相当勘違いがヒドイ人だけに限定されていたのだろう…。(それでもクライミング初年で中山尾根に行って墜落した人がいる)
それがない九州に来て、佐藤さんの存在だけで、事故が未然に防げていたことが分かるようになった。
それだけでなく、往年クライマーの第二の青春に、若者が食い物にされる被害…例えば、デート山行の歩荷要員として起用されて、美味しいところは、空荷の美人クライマーが持って行ってしまう…とかも、未然に防いでいたかもしれない。
九州でも、小山田さんとか、将来性のある男性クライマーをヘッドハンティングしたらいいんではないですかね?そうすると、小山田さんから声がかからないっていうことは…?みたいな思想になるのかも?
■ 佐藤さんとの思い出
この動画、佐藤さん、えらい年を取っていて驚いた。
山梨にいたころ、まだ初心者で一本も人工壁のリード壁をやったことがないデビューの時、ある会の人と待ち合わせしていたのだが、なんと私はハーネスを忘れてしまっていた…。すると、ピラニアでザックを背負って行ったり来たりと登っていた人が、ハーネスありますよ!と、貸してくれたことがあった。その時はその人が佐藤さんと知らず、借りたんだが、えらいくたびれたハーネスだった。その後、ジムの帰り際に、貸してくれた人が佐藤さんだと教えてくれた。そのジムのお兄さんは室井さんだった(笑)。どっちもどっちでスゴイ人です。ホント山梨では恵まれていましたね。
その後、私はアイスのクライマーなので、鉱泉フェスにいって大学生の後輩をゲットしたのだが、その時、奥さんとドラム缶を囲んで世間話したりした。グラッパさんでは、偶然、さやかちゃんと一緒に登ったかことがある…。ちょうど同じくらいの課題を登っていたので…。とてもやさしいパパで、自分がすごい奴だ!ということを気取らない、普通にいい人でした。
実は、私は伊藤さんもアイスでご一緒したことがあり、天野さんとは読図の講習会に参加してちょうど山岳会に入会したころで、色々教えてもらったことがあり、故・吉田さんの場合は、ビレイヤーをしていたのですが、どの方もとても気さくでざっくばらん… 俺を崇めろ!みたいな空気感が出ている人は、ほぼいませんでした…。
九州では、俺を崇めろ!みたいな人ばかりで疲れます…
”男を立てる文化” って言われていますが、立ててくれる人がいないと、立たないような、メンツだったら、その程度ってことですよ。
セルフライジングって言葉がありますが、すごい人は普通にしていても凄いですからねー。
スーパー赤雲フリーソロは、現代のレベル感でスゴイ記録ですが、4級40mランナウトとか、10dの課題に10bをつけて、しかもボルト配置が悪く、初心者が取り付いて、ビレイが適切でも大事故になり、その事故を見て、俺たちは違う…と自己満足に浸るとか、もう金玉どころか、普通の人としての人間力、小さくて困ります…。
返す返す、こんな下手くそインタビューではもったいない…もっとちゃんとマシな質問の仕方しろよ!って思ったインタビューでした…。
佐藤さんと為末さんが話したら、さぞ面白かろうと思ったりします…なんせパワージェル半分とかそういう繊細さのレベルですから…。