これは、あるサイトからの引用ですが…
「みんながそう言っている」「昔からそうだ」「それが常識だ」の3点セットは、理屈での説得ではなく、同調圧力と慣例です。
”みんな”は、常に正しいわけではありません。⇒ 現に九州では、トンデモ手作り支点が、現役状態です。
”慣例”は、常に正しいわけではありません。⇒ 現に九州では、トンデモ手作り支点が、現役です。繰り返しですが…。それについての問題意識もゼロでした…。
”年配の人の経験値”も常に正しいわけではありません。⇒ 昨今では若年クライマーのほうが海外の岩場で海外の人と登っているので、クライミング経験としては豊富である、という可能性もあります。海外で登っても、現地クライマーと交流が無ければ、おっかなびっくりで現地を体験しているだけで、経験の幅は広がっていないかもしれません。
■ 理屈で考えるのが大事だが、理屈が嫌いな体育会系という欠点が…
日本の学校教育では、学力、と 体力、で人を序列化し、選抜する傾向があり…その場合、学力と体力は、両立しないと考えられている節があります。
しかし、本当はそういうものではなく、頭が良くなるためには、運動しかない、と説いている本もあるくらいです。
クライミングは、従来型のマッチョ系ではない人のほうが有利であるという珍しいスポーツで、そこに面白みがあります。
スポーツの中では高度に知能的、ってことです。ムーブに関しては確かにパズルのような面白みがあります。
それなのに、安全管理、リスク管理に関しては、なぜか、
丸投げ
なのが、不思議です。ムーブの解析にかけるのと同じだけの情熱をかけて解決するべきなのが、クライミングにおけるリスク管理です。
そもそも、そこが掛け違っており、誰もリスクについて、精査していません…
そもそも、クライミング経験が豊富な人=リスク回避に長けている、という前提自体が、基本的には、吟味されなくてはなりません。
私の知っている方(ベテラン会長職)で、穂高でエイドの支点に足をかけたために墜落してヘリ救助という方もいましたが、これもそもそも、残置のモノを信頼してはいけないと普通はクライミングの初期に教わるものです… なぜそのような行為をしたのか?と普通は思うはずです。
私は落とされて7針縫っていますが、普通に1本目かけてからですし、ボルトはグージョンで岩場の開拓時期も新しい岩場でしたので、クライマーのリスク認知的には、私には落ち度はありません。ビレイヤーの選択に間違いがなかったとは言えませんが。
一方、山にあるエイドルートの残置をうかつにも信頼して墜落だと、やはりリスク認知には、欠如があると言わざるを得ません。アルパインルートに行きたがるような人に対して、まず一日目に教えるのが、”残置を信頼しないこと”、”残置はただのアクセサリー”、ということだからです。
むろん、フリークライミングのクライマーは、ボルトへの信頼が前提にあるクライミングでこれはあてはまりません。ボルトは確実に墜落を止めるというのが、フリークライミングの前提なのですから。
日本の古い岩場では、ボルトが信頼できないボルトルートのフリークライミングという掛け違い現象が起きています。
ボルトルート(スポートルート)と同じ論理を適用はできません。アルパインと同じ論理を適用するなら、プロテクションは自分で設置できなくてはなりません。できないようであれば、リスクは、フリーソロと同じになりますので、登ること自体が不可能になります。