■ 道しか歩いていないと、道がないと歩けなくなる
先日、バイト先で、肉に包丁を入れている姿を見て、上手だなぁ…と思い、筋肉に沿って包丁を入れるのか聞いたら、その通りで、慣れていれば、肉のほうから包丁が入る先を導いてくれるそうだった。やっぱり。
山も一緒だ。尾根と谷が読めるようになると、山のほうが、こっちですよ、と言ってくる。
特に尾根はそうです。細い尾根(=険しい尾根)ほど、歩くべきところは限定されます。逆に、広い尾根(=安全な尾根)は、幅が広く、どこでも歩けてしまえるため、どこを歩くべきかというのは分かりにくいものです。
そういえば、瑞牆山で、「どこを歩いたらいいんですか?」とおばちゃん登山者に聞かれたなぁ… 岩ゴロゴロの道ですが、どこを歩いてもいいのです。
道しか歩いていないと道がないと歩けない、と思い込んでします。
山と同じで、人生のほうが、こっちだよ、という道を行けばいいんですよね。
■ ボルトルート
ボルトルートしか登らないのと、ボルトを探して、ここは5.10代だからこの辺にホールドがあるはず、という登りになります。
ボルトを追いかけることで、ホールドの在り処が予想できるような逆説現象がおきるということですね…
それは、開拓、という行為とは正反対の行為です。
何が出てきても、なんとか対応できる力、というのをつけることが先で、そのような、悪智慧のほうが後でないと、
「あ、俺、ボルトルートしか登らないから、エイド技術はいらないんだよ」
という言う話になります。
「あ、俺、登山道がある山しか登らないから、読図技術はいらないんだよ」
「あ、俺、山小屋があるところしか登らないから、テント泊技術はいらないんだよ」
「あ、俺、無雪期しか登らないから、雪洞泊技術はいらないんだよ」
これは、価値観ではなく、単なる ”努力しないことの言い訳”です。 間違ってはいけません。