■父との葛藤
両親の離別で、6歳から父は完全に人生から姿を消したので、私は父を知りません。が、別に父を恨んでいるわけではありません。
ただ子供には、教科書やノート、食べ物、と言った生活上のニーズは満たされる必要があり、そういうものが満たされない子供時代を過ごしたので、それは一種の
虐待
と同じことであったと今も昔も思っています。両親の離婚で起きたことは物質的な欠乏です。しかし、私自身はなぜか、そこで鍛えられて強くなりました。
一方、両親の離婚では、心理的には欠乏は訪れず、むしろ、不安定な状態から安定的な状態になったので、良かったと思っています。学業で私は優れていたので、父親代りを見つけることは難しくなかったためです。
父性的な男性に惹かれるというのは、アダルトチルドレンであった私にとって必然で、同年齢の男性だと、どうしても子供っぽくて、話自体が合わなかったのです。
私にとって初めての恋人デイビッドは、35歳、私は21歳でした。これでも、付き合ってみると対等で、私が期待した父性的な包容力、私を伸ばしてくれるというのは、期待できない感じでした。私に必要だったのは、私の才能を伸ばしてくれる父性のある男性でした。
■ 男性の人間的成長は女性の20年遅れであること
私にとって、クライミングという活動は、男性にとって人間的成長するのに、どれほどの長い時間がかかるのか?を垣間見れる機会でした。
仲間への思いやり、共感する力、そう言った力が、女性と同じ程度まで、大きくなるには、男性には、20年くらいの月日がかかるのだということが分かった。
つまり、父が私たち兄弟を母に産ませた、20代の男性なんて、ただの子ども、だったということが分かりました。
なぜ、父が子供を孕ませた女性を捨てたのか?という長年の問い…謎…も、納得がいく答えが見いだせました。
ただ、ただ、子どもだった、責任が怖くて、しっぽ巻いて逃げた、それだけです。
無責任男ではありますが、20代の男性に何が期待できるでしょう?
父でなくとも、多くの男性は社会的制裁を恐れて、家庭に収まっているだけで、社会が怖くなければ、父と同じことをする男性がほとんどでしょう。そうじゃない、人間的に成熟した男性を見出すほうが、難しい…と思います。
男性は、セックスにおいて、結果責任を全く想像していません。ただただ欲望の開放でしかない。食べる、寝る、遊ぶ、と同じです。ですから、節制(ブラフマチャリヤ)ということが言われるわけです。
自分を律する力、節制する力というのは、子どものころからできる子とできない子に違いがあり、マシュマロテストというので、結構有名です。
これは、知性の問題のようです。長期的損得を考えるだけの知性が必要というわけです。
■ 山は癒し、クライミングは男性の観察
私にとって山は、人間性を回復するための癒しの時間でした。オキシトシンの時間とでも言いましょうか?
一方、クライミングが主体になってくると山は、チャレンジや達成の時代に入りましたが、それは、男性たちの観察機会でもありました。
よく思い出したのは、弟です。私は、弟についても、強力な喪失体験をしています。
弟の急死です。夜普通に寝て、朝起きたら冷たくなっていた、という亡くなり方をしたそうです。彼が24の時の話です。私はまだ26でした。
弟とは私は年齢が近く、男の子というのは、本当に子供だなという印象で、ともに成長しましたが、思春期以降の肉体的な体力差が著しく、とてもかなわないという思いを持っています。体力差、腕力差は、弟には分かったようです。私は子供時代の延長戦にある体力で、弟のほうは、そうではなく、思春期に入って、指数的に飛躍的に伸びた体力でした。途中まで同じだったのに。
クライミングや本チャンでは、男性たちは、そのことが分かっていない、と思えました。私には、彼らが前提として当然のようにもっている体力がないということが、男性には分からないのでは?と感じていました。そのために、無理なルートに行きたがり、それについて行った場合、山に喰われるのは一番弱い、私ではないか?と。
それで一生懸命それを訴えることになりましたが、結果としては、男性たちが女性の体力について理解することを助ける、ということになったと思います。
私は男性の無知…何に対する無知かというと、女性の体力やパワー腕力に関する無知…のために、男性には許されても女性には許されないギリギリ路線に、相手はそうと知らずに、無理をさせられてツッコまされる羽目になるのを恐れていました。ベースが無知なので、相手を悪いと責めることができない。
そこで、欲しかったのが父性が発達し、男女の体力差も、山での事故も、すべてを理解できる経験値を持った、年配の男性です。つまり、師匠です。
若い男性に拉致されるという、私に襲い掛かりそうな不幸な出来事から、
守ってもらいたい
という気持ちがありました。それは、会で、「君たち二人には〇〇はまだ無理だよ」というような話です。会という枠組みで、別に構わなかったのですが、現実問題、会も、守ってくれる、も、なかったです。ので、個人のリーダーの方を頼りました。
こうした心理プロセスは、私の夫には見えていなかったかもしれませんが、私は庇護が必要だったのです。
そして、夫は私が必要とする庇護を与えられない人でしたので、クライミングになって以降、私の戦いは孤独の戦いでした。これが夫と心理的に距離が離れた理由です。夫は私の恐怖、私の体験、私の苦悩、私の成長、私の葛藤、そう言うものは一切理解していませんし、理解しようという姿勢すら、見せたことがありません。そのことについては、人生のパートナーとして不服に思っています。クライミングはしなくても、メンタルのバックアップをすることは可能だからです。
女性はおそらく、自分を守ってくれる男性を愛するようにできている、と思います。肉体的危険から、守られたいという思いが、非常に強くあります。払しょくが難しい。
私が一番求めていたのは、頼りになる男性、肉体的に私との体力差を理解しており、私を大事にしてくれる男性、つまり、弟、でした。
■ビレイについて
クライマーを守ると言えば、ビレイヤーです。私は、ビレイヤーとの心理的絆をもって登ったことは一回もありません。
師匠の青木さんですら、私が必要な心理的バックアップはくれたとは言えません。私がもらったことがあると感じているのは、トニーと登った6Aのフルメタルジャケットのみです。非常に励まされて登り、なおかつ、他にもクライマーが見守ってくれました。
落っこちながら、各駅停車で登ったのです。
このような登りを今後はしていく必要がある… となると、心理的距離感は、今まで一緒に登っていた青木さんとよりも近くなります。
私にとって心理的距離が近いことは少し怖いことです。
その怖さは、喰われるんじゃないか?みたいな怖さです。男性の節制心に期待したいですが、女性のパートナーであれば、その心配の必要がない。そのために、女性と登りたいという気持ちがあります。
私は母性に優れていて、自分自身が誰かの安全基地として、機能することには慣れがあるからです。アダルトチルドレンとして、私自身が長年、母の安全基地役、母の母、を務めたためです。
■ 私が母性を生かす場所
は、期せずして、クライミング、ということになりました…
子どもを持たない、というのは、時間的な失敗のためです。夫の精神的成長がなかった、私自身が自分の人生を子供が持てる生物学的年齢以前に確立する、ということの2点で失敗したからです。
母親本人に”自分の人生”がないと、子どもができれば、子どもが母親の人生そのもの、に成り代わってしまいます。それは母子ともに不幸なことです。私の母に起きたのは、それでしたので、同じ轍は踏むまいと私は幼いころから思っていました。
私の母は、私が生き甲斐でした。それは子供にとって不幸なことで、つまり、私は子供の自分を不幸な子供と位置付けていました。この気持ちは今も変わりません。
健康な卵子を生産することができる38歳のタイムリミットで、自分の人生を見つけられていない、ということは、子どもを持つ機会を永遠に逃した、ということです。
私は海外に暮らすという夢を持っており、その夢に最も接近したのが、32歳でのテレコムニュージーからのヘッドハンティング時でした。その後、35歳で夫の転勤により、永遠に労働市場からは姿を消すことになりました。すでに10年たっています。
今、労働市場に復帰しても同じように活躍可能だと思いますが、自分より判断力の劣る、知性に劣る男性に、使われる立場に立ちたいとは、全く考えることができません。
私がこの10年に自信を深めたのは、自分の知性と判断力リーダーシップと言った”男性性”についてなのです。そこらの男性より優れていることを、自分で自分に証明したと思います。
■判断力
私が登山、そしてクライミングにおいて自信をつけたのは、判断力においてです。私の知性は、ほとんどの人を上回って、良き判断が下せています。
私は、経験値による判断力には当然、経験自体が少ないので、論理的根拠がなく、判断力不足によるリスクを感じていました…。
しかし、ほとんどの経験値は、私の場合、地頭力、推測力、でカバーできるみたいです。
この推測力は、多くの人には、直観力、と傍目には見えるようですが、そうではなく、ちゃんと根拠があり、説明可能です。
私は、カウチサーフなどでは、賢明で、盗みを働きそうな人、トラブルになりそうな人、を避けています。客を選ぶというようなことですが…。それができないとトラブルで大変な思いをすると思います。
こうした力をさらに確信したのが、今回の韓国でした。推測力には、自信を深めました。調査力もです。
さらなる高みに自分を連れて行くには、信頼できるビレイパートナーが必要ですが、それは得難いものであると感じています。
何しろ、必要なのは女房役で、強いリーダーではないからです。
私自身のほうが、肉体的な強さという1点を除いて、リーダーであり、司令塔であり、強いリーダーです。ので、リーダーが二人は要らない、となります。
実は私は、父親自身を私の内に見出してしまった、ということです。子供がない、というのは、私のような、冒険を愛する女性にとって必然なのかもしれません。
とはいえ、私は男性と同じ、パワーを誇示する山をしたいとは思っていないので、別の価値を提示する、別のスタイルを模索しています。
まとめると
・達成感、グレード更新だけではないクライミングをできる人
・ビレイヤーとして、リードクライマーとしての私の心理的砦になれる人
・私自身がどこを登るか?などの判断するので、その判断に境界線の侵入を行わない人
・男女の体力差について十分、見地がある人
が求めるパートナー像です。 反対を書くほうが分かりやすいので、書いておきます。
・ジムで5.11が登れるから、バットレス4尾根行けると思う人 =NG
・これくらい登れるんじゃね?と思ってリードしなさいと命令する人 =NG
・カムエイドや疑似リードを飛ばす人=NG
・男性と同じ基準で私を判断し、ダメ判定を押す人=NG
・私を落として、頭7針縫わせる人= NG
です。