■ また喧嘩別れ(笑)
青ちゃんとまた喧嘩した。喧嘩の原因は、もう本当にしょうもないことで、
1)私が行きたいと前日に頼んでおいた北漢山、縦走(6H)、朝から、だらだらやる気なし。私のしたいことの足をわざとひっぱったこと、
2)翌日はインスリッジ(易しい岩稜登攀)のハズだったのに、ショイナードBと医大ルート2ルート、と朝に急変。私の足を考えてのことか?と思ったら、アプローチですら4級で、むしろ大変なルートだった。つまり、結局のところ、思いやりという訳じゃ全然なかった。
というもの。なぜこのような相手を振りまわす行動をするのか?というと、小さい子供と同じことで、
相手の愛を試している
のだと思います。不安が背景にある。不安は加齢によるものかなと思ったりもしたのですが、違うだろうと思います。相手を振り回すのは、愛に不安がある人の特定の行動で、情緒不安定ということです。安全基地がない。愛着の問題です。
前回の喧嘩は、”残置があるのに、なんで懸垂なの!”でした。私は、クライミングに来ているので、クライマーとして合理的な行動ではない場合、当然ですが、意義を唱えます。それがパートナーとして責任ある行為だからです。
しかし、龍洞でパートナーを募集していたら、デートクライマーの存在を知りました。デート(=彼女への接待クライミング)が目的であれば、クライミングで合理的と思える行動が二の次であることは分かります。ラブラブでいる、というのが目的だからです。それなら、青ちゃんの行動も説明がつく。
1)はラブラブで歩くのが目的だから、のんびりしたかっただけで、まさか、私の足を引っ張っているとは思っていなかったのでしょう。
2)は昨日は相手にサービス(=合わせる)したのだから、今日は俺がしてもらう番と思っただけでしょう。
私はレスト日は、エキスパート、と書いてある箇所に、負傷した足で一人で行くのは不安だったので、一緒に行ってもらいたかったのです。翌日のマルチ2ルートは、肉体的に無理、でしたので、そんなに行きたかったのなら、他のメンバーと行ってもらっても怒らなかったのです。クライマー同士なので、気持ちは分かります。
ということで、もしかして過去の言動から推測すると、青ちゃんはクライミングを劇場としたデートを私としたいのであって、別に私をクライマーとして育てたかったわけじゃないのかもしれません。
たぶん…、娘さんの身代わりに私が登ってあげていただけかもしれません。彼にとって最も大切な人は娘さんだからです。でも、娘さんはクライマーではないので。
私にしょっちゅう娘さんの自慢話をしていました。
■ クライマーとして愛されなければうれしくない
ということで、私はなんとなく、自分が誰かほかの人の身代わりで登っているような気持なのです。期待している役割を演じるよう、強いられているような?
褒められたら謙遜しろ、というのは明らかなコントロールでしたし。
例えば、娘さんは身の回りの世話をしてくれるそうです。そして、飛行機のチケットをとってもらいたがったり、私にもその役割を期待しています。が、そんなこと、クライマー同士はしない。
結局のところ、私は私のクライマーとしてのニーズを満たしてくれる人が好きです。
ビレイをしてくれ、私が登れそうなルートを教えてくれ、あるいは新しい岩場を紹介してくれる人です。
私を可愛いな!と女性として個人的に好きになってくれるのは、それは予想外に光栄なことで、うれしいですが、もう売り切れていますし(笑)。以前、青ちゃんは、お酒を飲んでいるときに
”わがままだけど可愛いから許す!”
と私に発言して、私をビックリ仰天させました…。あれは驚いたな。
これだけ、合わせさせられておいて、わがまま、と称されたことも驚いたが、それ以上に 可愛いから許す、には、さらに驚いた。いや~、まさか、可愛さが核心だったとは。
私は可愛さで、誰かに登ってもらおうと思ったことは一回もありません(笑)。
私が欲しいクライミングパートナーは、私のビレイをきちんとしてくれ、私が楽しいと感じる易しいグレードでも、嫌々ながらではなく、ちゃんと安心ビレイしてくれる人です。
夏に行った志賀でも、今回のインスボンでも、私のクライマーとしてのニーズは後回しにされ、私は愛されてない、クライマーとして大事にされていない、と強く感じました。
いっくら、可愛いって言われても、私のクライマーとしてのニーズを満たしてくれない人では…。何のためのクライミングパートナーなんだか。
というので、世の中にごまんといるという噂の、”愛人クライマー”、あるいは、”彼女クライマー”の不満や不都合、そして、不自由…を非常によく理解できるようになりました…。
こういうことだったのか…。
以前は、M川さんのこともあって、こうした ”愛人クライマー&彼女クライマー”を軽蔑していました。それなりにトレードオフがあり、大変と言うことが分かった。
愛人クライマーの立場に立ちながら、自分の必要なニーズを満たしてくれるよう、相手をコントロールするのは、それなりに上級者の心理操作テクニックが必要です。私はそんなコントロールはしたいと思っていないので、関係解消、大いに結構です。
■ シングルマザーを助けない親は悪か? 答え:悪です。
青ちゃんとの間のことで、書いておくべき、大事なことは、青ちゃんの娘さんのことです。
クライマーとして知り合っているのに、娘さんの話ばっかりしていることには、最初から大きな違和感がありました。
一般にクライマー同士は、今後登りたいルートなど、クライミングの話題で持ちきりで、あれ?あの人独身?えっと…あ、実はしらない…って感想に陥ることが多いからです。結構、相手が誰と恋人関係にあるか?はどうでもいいっていうか。青ちゃんについては、まぁ、とりあえず、娘さんを愛しているんだろうなぁと理解。
娘さんは夫を亡くした寡婦のシングルマザーです。男の子一人。
私は自分がシングルマザーの3人兄弟長女なので、シングルマザーと言う人たちには、特別、同情的です。他人ごととは思えない。特に女親です。
私の母は、夫を失ったとき(我が家の場合は離婚です)、最初に父親や母親、私の祖父母を頼りました…しかし、母が欲しかった援助は得られなかったのです。
祖父には愛人がおり、祖母は自分自身も離婚したてで再建中でした。家族がバラバラ、です。
もともと、私の母の実家は、その土地で知らない人がいないほどの裕福な家庭だったのです。母はド田舎から、東京女子美に進学したという、かなり優遇されたお嬢様でした。
青ちゃんの娘さんも、同じような出自でした。両親ともに大阪市の公務員。大阪市職員と言えば、全国にとどろく高給取りで知られています。
娘さん、大学に進学するだけに1000万円もかかったそうで、芸術系の大学でした。母とそっくりです。
違いは?親に助けてもらえなかったこと。
青ちゃんの娘さんは、母と同じ、シングルマザーになったわけですが、違いは、お金持ちの祖父母が子育てを助けているという点でした。
特に奥様。その様子を知るにつけ、私自身は、母への憐みの気持ちが強くなりました。娘さんと同じように、母も、おばあちゃんに助けてもらいたかった、ハズです。母が3人の子を抱えて路頭に迷ったのは、28のときで、まだ小娘です。祖母はまだ50代です。
一方で青ちゃんの娘さんは30半ばを過ぎるまで、経済的な独立が遅れたとしても、親が娘の面倒を見続けた、というご家庭でした。
青ちゃんの自慢は、娘さんが芸術家として生計が成り立つまで、「10年かかりました」と言うことでした。その時の誇らしげな口ぶりは、一仕事成し遂げたのは俺、という半ば、疑問なノリも入ってはいましたが、娘さんへの愛を感じさせるもので、母を強く愛していた私としては、とても心安らぐものでした...。
母には愛してくれる両親が、特に父親の経済力が必要だったのです。
母の父=私の祖父は、孫の私が、”おじいちゃん”と呼んだことに腹を立てました(笑)。孫におじいちゃんと呼ばれて、傷ついた、っておかしな話でしょう。当時、私は6歳で、祖父は、妻と別れ、元愛人と新しい家庭を作っているところでした。60代ですでに引退して悠々自適の生活でした。
まぁ、私はクライミングで、男性としての自信を喪失中の年齢層の男性に多く出会って、まぁ、祖父のこの態度も、仕方ないかも…と理解するようになりました。
登れなくなっていく自分、男性性を失っていく自分…と言うのは不安なものでしょう。
そして、自分より若い女性というのは(別に美女でなくても)、そのような自分から現実逃避させてくれる存在だということは、夏の佐久で知りました。
しかし、どんな人間も、老いには逆らえません。年下の女性に頼られる=一時の痛み止め、に過ぎない。
そういうわけで、私にとって、青ちゃんの家庭生活を聞かされること、は、過去の私の生い立ちを再計算するうえで、非常に役立つ、参考情報が得られる場、でした。
■ グレード至上主義
クライミングをするうえで、グレードは大切な目安、目盛り、のようなものではありますが、
グレード至上主義
については、その弊害を、最初の師匠の鈴木さんに、すでに早くも指摘されていたのでしたが、私はその意味する 行為が、どういうことなのか?よく分からなかったのです。
グレード主義的登り方というのは、5.9が一本登れたら、次はもう、5.10Aという登り方をすることです。
日本の外岩クライマーの9割は、罹患中です。これには、2つの理由があります。文化的土台と岩資源の少なさ、です。
文化的土台として、特に、RP信仰が強いのが、フリーの世界ですが、これは別に悪いのではなく、険しい道、楽しくない道、と言うだけのことです。世界中でそんな道を強いられているのは、日本人くらいかもしれないです。
なぜなら、RP主体=グレード信仰で、登ってしまうと、5.9が一本登れただけで、すぐに5.10Aに進まなくてはならなくなり、えんえんと四苦八苦、と言うことになるからです。
オンサイトはクライミングの最上の形態です。まぐれの一本ではなく、安定したオンサイトを繰り出すには、下位グレードでオンサイトを相当数、貯める必要があります。
ところが日本には、(フリーでは)易しい課題はほとんどありません。
しかたなく、RPを重ねることになり、そうこうしている間にオンサイトしても楽しくなくなるのだそうです。どこまでMなんでしょう!
というわけで、岩場資源の乏しい環境のために、9割の人が楽しくない道を歩んでいるのが、日本のフリークライミングです。
日本ではグレードは混乱しており、5.9でも実質は5.10bなどがザラにあります。
こういう事情のため、いつまでたっても、グレードを本来的な意味の目安にして、取り付くことができない。結局、グレードが与えてあってもなくても、ルートを見極める目が必要です。
日本では結局、グレードピラミッドを構築して登る、という理想論は実践できない、ということです。
と言うような事情をトータルに理解したのが、山梨を離れた2年でした。
山梨では、グレード偏重主義が、まぁ当然だと思われている、かなり危ないクライミング思想が中心です。そこが文化の中心地なので、それは、日本中に広がりを見せています。
が、その異様さに気が付くには、
1)きっかけとして、グレードピラミッド理論を本で読んで知る熱心さ、
そして、
2)証拠集めとしては、海外の登攀に行って、適正グレードと適正ボルトにおけるスポーツクライミングを知り、日本の特殊性に気が付く、
その2点をクリアする熱意と時間、お金をかける以外ないだろうなと思います。