2019/10/16

共依存(恋愛依存症的)からの脱出

■ 水澤都加佐氏の著書との出会い

この著者は、アンガーマネジメントの本で、出会ったのですが…というのは、約一名、私を怒らせるのが得意な人がいるからでした…。しかし、ふと

共依存

というキーワードで、この同じ著者の本を読んでみて、

「なんだかな~これ、ワタシとあおちゃんじゃん」と思っています。

結論、やはり共依存で不健全な関係性だと結論。

私は、過剰に頑張る癖は、ありますが、それでも、自他の境界線はしっかりしており、変な奴は、追い返せるスキルをちゃんと持っています。それは、”パートナー遍歴”で明らかですが…。こないだも、ロープ持っていない変なボストン人、追い返したし。

山自体が初心者のころ、私を共依存関係に持ち込もうとしている、登山ガイドさん(ら)の様子が分かり、撃退したことがあった。私当人にとって、危なくないことを、アブナイアブナイと連呼する人たち、だった。その手には乗りませんよ、で解決。

今回も、私がクライミングで国際交流を実現したい!という思いを持っていることを、足元に見て、ロープを持ってこないくせに、登らせてもらおうとする変な奴は追い返した。まぁ、当然ですが、二日目は竜岩で人工壁の予定だったけど、登らせてやらなかったよ。私は得るものないし。

しかし、この水澤都加佐氏の著書に会う前は、共依存的だなぁ、いやだなぁ居心地悪いなぁ、とは思っても、

コミュニケーションのすれ違い、

くらいに思っていた。努力で相手を理解するというのは誰にとっても必要であり、年を取れば誰でも大なり小なり、わがままになるものだ。それは誰しもなので、人間同士の許しあいである。

私のニーズを踏みにじられることがあったとしても、向こうには私のニーズが分からないため、それで合意したルートに行かず、自分の登りたいのに行ってしまうのだろう、と。好意的に解釈していた。

しかし、これは別のリーダー格の人たちの行動を観察して、やはり、おかしな行動だと結論した。Y澤さんもK島さんも、私がリードできる初級ルートを、きちんとフォローについてくれた。

一般に、後輩に今何が必要か?は、山ヤだったら、誰だって分かるものなのだ。だってそれは、私ですら、後輩にすることだから。

私はクライマーとしては、いいように扱われていた。ニーズの侵害。結局のところ。私が怒りを感じるのは、当然で、アンガーマネジメントなんて必要なかった。私のクライマーとしてのニーズを踏みにじっているからだ。それを確信した今回の共依存関係の学習。

私のクライマーとしてのニーズを踏みにじられているにも関わらず、私が関係修復に奔走するというのは、暇人は得難いという1点による。しかし、それは、一人で登れるようになったことで解消だ。トップロープフィックスで登ってりゃいいでしょう。

■ 肉体の負傷については鈍感

Y澤さんの場合、思いやりにかけた人でもなく、リーダーとして女性を率いた経験値が低いわけでもない。しかし、私が肉離れして歩くのも困難なとき、けがの程度がまったく分かってもらえなかった。

一方、けがの程度が深刻なことは、怪我が多い青ちゃんはすぐ分かってくれた。が、どれくらい無理が効くか?もしくは、効かないか?は、全く分かっていなかった。

例えば、この膝でマルチ2ピッチ、つまり10ピッチって無理ってのは分からなかった。

無理って言っているのに、2マルチ登ろうとし、そして、登れないことについてガッカリした様子すら見せた。

つまり、男性は肉体の負傷(痛み)に対しては、感度が著しく低い。

痛みや負傷に対しては、共感力が著しく低いのだろう。

その場合は、具体的な事例がないと、相手の立場を想像ができないのだと思う。女性の体力に対する想像力しかり。

これは思いやりがないという話ではない。なぜなら、私のスーツケースを一緒に来た同行者が代わりに持ってやらなかったと言って、腹を立てていたからだ。確かに怪我している人がいたら、荷物くらい元気モノが持ってやれよ、と思うが、私はキャリーを引っ張る分には問題なかった…歩荷で背中に担ぐとか持ち上げるとかがダメなだけで。それは持ってくれたのだ。下りの階段とかで。

もし、マルチルートで、負傷しても上に行くしかない、という状況だったら、この膝は、本当にライジングしかなかったという、ほうほうの体で、シュイナードBは登った。一番避けていたワイドだった。ワイドは嫌だというのは、先に伝えてあった。

■ 脱臼などは、回復に長い時間がかかる

ので、今考えるとマルチではなくショートに変える、って話なら分かる。

どの程度登ってOKかは、登ってみないことには、本人すら、よく分からない状況だったからだ。

縦走は歩けていたので、それくらい平気だろうと、誤解を与えたのかもしれないが、初日のDulegilは、通常の人の倍の時間をかけて歩いた。私のひどい膝の様子を見て、ある女性が「こんな状態で歩いたんですか?」と驚いていた。つまり、私も女性の範疇の中では、かなりMタイプなのだ。

私自身も、膝は、3週間、と整形の先生に言われ、そうかと思い、インスボンに言った日に台湾、龍洞へのチケットを買ってしまった。1か月も先なら、登れるはずと思っていた。

ところが、先日、日向神で、同じ怪我…膝の亜脱臼…の経験者に岩場で会い、そんな話ではなく、単に日常生活に支障がないという回復が3週間であり、元のパワーが100%回復するには、半年かかるそうだった。6か月先とすれば、3月だ。だから、100%戻るまでは、最高グレード更新などはありえない。

トレーニング期に入ったというのは返上で、完全リハビリ期である。

■ 喧嘩してはくっつく

結論として、

 喧嘩分かれ、再度くっつくを繰り返している

のは、この人とだけなので、やはり問題がある関係性なのだと結論。

喧嘩すること自体は悪い事ではない。雨降って地、固まる、というのは、幸福なパートナーシップに大事なことだ。

しかし、これは違うなと実感している。恋愛依存症の症状にそっくりだからだ。

私の側だけに相手への理解が深まり、相手は私を理解する姿勢も見せず、私に対する理解も深まっていない。深めようとする意志も見られない。

■ 善意での行動

正直、インスボン、私自身は、すごく行きたかったわけじゃなかった。

ただ毎年行き30回以上通うって、それだけ強い想いがあり、すごいことだと思ったのだった。一緒に行く人がいないらしいのは、クライマーとしては気持ちが分かり、同情した。私自身もラオスに毎年行きたいが、行く人がいないのだ。それで、気の毒だなと。私は時間の自由が利くためだ。

しかも、九州から今後韓国に行くというのは、将来性の大きな選択肢だった。一緒に同行して欲しい人もいた。

ので、私が行きたい初級の登攀ルートにも、行ってくれるならば、まぁ問題がない。

が、問題となるのは、当然ながら、変わりばんこで行きたいところを交代しないといけない場合だ。

彼は常に自分の行きたいところしか登らないし、私が登りたくないところを登らせる。しかも、負傷して嫌だと言っているときにすら、だ。それはしかし、境界線の侵害だ。

自分のニーズが私のニーズを上回って当然と言う態度であり、私は当然ながら怒る。私の怒りは正当なもので、なんで、それで交渉が決裂するのか?

それは、このままの俺を愛してほしい、なんていう話じゃない。そんなものは、ただのわがままを美しく飾った言葉でしかないのだ。私はしたくないことをしなくていけないという理由は一つもない。

しかし、あーだこーだと毎回作戦に翻弄されている。典型的なのは、ドタキャン。この行動パターンは読めていたので、今回は、私が行きたいところについては、事前に予防線まで張っての末、と言うことだった。

相手の自立を奪う行為というのは、他にもあった。例えば地下鉄を使ったほうがタクシーより自立度は高い。自立させたくなければ親切を装ってタクシーを使うだろう。海外ではタクシーはほかに選択肢がない時の奥の手である。余談になるが、私は仕事で、一週間タクシーと通訳を雇って、…つまり道案内と通訳…各地を回る仕事をしていたのだ。この2つさえ雇用する経済力があれば、どんな国でも、まずどうとでもなるのだ。その典型がウエストンの穂高登山だろう。

まぁ今回のインスボンはそんな抵抗ばかり、ネガティブな環境下にあってもすら、自分のしたかったことを貫徹できた、ということで、私の人間的成長にとっては、

成果

だった。インスボンは、広大な山地のほんの一角なので、すみっこだけを見て、分かった気になるのも、なんだ視野が狭いなぁと以前から思っていた。未完の仕事が終わり、満足。

ソラクサンは行きたかった上、ファン君から、チャンスも与えられたのに阻止されたので、また誰か別に同行者を見つけていきたい。ソラクサンは、アイスで可能性がある場所なので、アイスでご縁がある方がいたら、一度、可能性を打診してみたい。

そういう方はぜひご連絡を。アイスは、私はすでに中級者です。が、岩と同様、フォローをしてくれる人を求めています。(まぁ海外では全員トップロープが張れる場がいいとは思います)