2019/10/31

登攀のさらなる地平線を求めて

■ 本格的登山の成功の要因

私は一般の人ができないような本格的な登山をすることができるようになりましたが、これは登山においてやってきた質問が良かったからだと確信しています。

その問いとは?

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最悪の場合、どういうことが起こるか?
それに対処できるか?
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です。本格的登山では、敗退できる限り、どのようなリスクを取ることも可能です。

■ 目標達成のための質問

「どんな結果を出したいのか?」
「どうして欲しているのか?」
「達成するためには何をすべきか?」

私にとっては歩荷トレでした(笑)。あと週二日半年のビレイ習得。

今は山が端境期で、新たな目標が、経済的ゆとりになってしまいました。

■ 自分を力づける質問

「これの素晴らしいところは何か?」
「この問題の良い点は何だろう?」

■ ネガティブをポジティブに変換する質問
 
「どう使えるか?」
「(〇〇のために)この状況をどう利用できるか?」

■ うまく行かないことをやり遂げる場合 

「どうしたらより良くできるか?」 

何をやるにせよ、最初はうまく行くことを期待してはならないというのがポイントと思います。

山も、最初は一人で山に入れないくらいビビっていました。レイプされた事例とか人殺しにあった事例を持ち出して脅されていました。

■ プロセスを楽しむ

「このプロセスをどう楽しめるか?」

何を達成したかではなく、どう達成したか?が大切です。

マイケル・ジャクソンは成功していますが、不幸です。不幸であれば成功しても意味がない…なぜなら、なぜ成功したいのか?というと、幸福になるためだからです。

■ 「今、何を与えることができるか」

これはすでに熟達者の域です(笑)。

与えたことを気が付かない人もいますが、そうであっても、念押しはしないようにしています。

■ 最近の収穫は何か?

「この経験で何を学んだか?」

日ごろよくやっている。

■ 割合

質問の作成に8割の時間を割くそうです。実際、私はそうしているような気がします。

問いの作成が時間がかかる。データの収集期間だからです。私は山をやっているときは、

「山をやるとは何か?」

という問いを持っていました。

登攀になってからは、

「登攀で死なないためには、何をすればよいか?」

が大質問でした。ほかに

「登攀を含む山をやるとはどういうことか?」 → 相互協力して山を作れる人間性
「クライマーとはどのような人たちなのか?」 → 無邪気な人たち
「クライミング人生における成功とは何か?」 → 登攀で死なないこと&死ぬまで登ること

等の問いを持っていました。すべて答えを得ました。ほかに

「大体の日本の登攀ルートを登れるだろう登攀グレードは何だろうか?」
 (仮定:5.11登れれば日本中の登攀ルートはほぼほぼが登れるのでは?)

「自立したクライマーとは何か?」
「なぜギリギリボーイズに参加する最低要件は、40kg 5.12なのか?」 →リーダー要件
「20代の男性山岳部部員が目指すべき実力の目安とは何か?」→ 40kg、5.12
「なぜ日本の課題は私にとって楽しくなく、海外は楽しいのか?」→ ランナウト
「確実なビレイをしてもらうには、私は何をすべきか?」→ 落ちる
「私がクライマーとして成長するには何が必要か?」→ オキシトシン
「私はクライミングで世界に何が貢献できるか?」→ 別に貢献しなくていい
「〇〇さんは、なぜ私と登ってくれるのか?」→ ビレイが上手だから
「落とされて殺されないために何をするべきか?」 → ビレイ徹底解剖
「このクライマーに私が教えてあげられることは何か?」→ ありすぎ

というような数々の問いを持っていました。

■ 大きい山&マルチピッチ

「なぜ私は大きな山には燃えてこないのか?」

という問いも持っていました。簡単なマルチであれば、今のスキルでも、やはり、私も高いところが楽しいようです(笑)。高さは怖くなくて、高さではなく、

パワー消耗が怖い

みたいなんですよね。要するに上半身に自信がそこまでないって話。

師匠の青ちゃんなどどっかぶりアイスでのパワー持久力系で、超やる気スイッチ入っていました…超逆三角体形ですもん…。高さに惹かれるだけなら、傾斜が寝たトワンソンポッポが一番、と言うハズです。アイスは簡単なので、早晩距離や高さでは感動しなくなります(笑)。

私が問うべき問いは、

 「私が登って楽しい登攀ルートはどこか?」

で、米澤さんが教えてくれたところがぴったりでした。また後輩を連れて行きたいです。

それには誰が必要か?となると、そこに行ったことがない人で同レベルの人か、ビレイが確実でなくても、まぁ落ちないので、後輩が必要です。

■ 問題解決にかかる8:2の法則

問題解決そのものは、2割で良い、そうです。確かに問いができてしまえば、あとは問題の探求に突き進むだけで、データ収集の時間です。

■ しつこく続ける執着心

問いは、問い続けると、答えが得られます。答えが見つかった時、その問いの使命と、その問いによる成長が終わった時と感じます。

最近、私にはあるお別れがありました。それは、

 師匠の庇護のもとで登るクライミングは終わったよ、

という意味でした。

 あなたはもう十分クライマーとして自立できるよ

というのが天からのメッセージでした。

私は人生で明らかに問い続けていることが別にあります。

「私はどのようなミッションを抱いて生まれてきたのか?」

です。私はクライマーとしては、3流どころか、4流、5流ですので、クライミングができるということは、私の人生にとって何らかのツールであるはずです。

英語ができるということもツールでしかありませんし、外国に強い、とかもツールでしかありません。

私の生まれ落ちた環境…

 日本人であること、
 シングルマザーの生まれであること、
 女性であること、
 長女であること、
 もともと体力が高いらしいこと
 子供がいない女性であること

は、おそらく、そのミッションを遂行するために必要な資質であろう、と思います。

そのミッションが、分かりやすいもの… 田部井さんみたいな女性初〇〇峰初登頂、みたいなものであることは絶対にないです。それは外野の根拠なき期待と思います。

しかし、私に与えられた福音(ラッキーさ、選ばれている感じ)は、とても強く感じます。

この運命の糸がどこに私を手繰り寄せようとしているのか?

というのが私の現在の質問です。

以上質問そのものは、マイケル・ボルダックから引用しています。