2016/08/24

幸せが先で、結果が後

■ 幸せが先

クライミングをする人は、クライミングが楽しいから、クライミングをする。バレエをする人もバレエをするのが楽しいからバレエをする。

楽しい=幸せ

「なぜ幸せになりたいのですか?」

この質問にはもう答えはない。誰だって幸せになりたい。 

幸せになるための方法や手段として、クライミングや山がある。

つまり、本当の夢や目標は、〇〇山、例えば、エベレストではない。山は

「(自分が)幸せになるためには、この方法がいいんじゃないかな」

と思っている一つの手段にすぎない。

■ 楽しい人と楽しく登る

私たち・・・クライマーが、本当に欲しいものは、何だろうか?

高い登攀能力や優れたパートナーではなく、実は‘一緒にクライミングしていて楽しい!って感情’だ。

ただ、”感情”を手に入れるための手段・・・山行、あるいは、そのためのパートナー確保・・・を最終目標(幸福)だと勘違いしないことがすごく大事なのです。

クライマーだから普通にしていれば楽しいはずの山を楽しくなくする元凶は

 ・勝ち負け偏重 
 ・取引的な考え方

だ。

■ よくある間違い

たとえば、「結婚したら幸せになれる」と思って多くの人が結婚する。

ところが、結婚している人の何%が今でも幸せを感じ続けているだろうか?

そう思うと、結婚は幸福の条件ではない。

つまり、結婚する(した)ことで、その後ずーっと幸せでなければ、幸せという目標達成したとは言えない。

同じことが山にも言える。

■ 自分で自分を満たし、その後に満たされる

すごい山歴なのに、それで、まだ満足していない。自尊感情が満たされていない。

だから、嫉妬します。幸福な人に対して、嫉妬が辞められない。

有名ガイドを悪く言うとか。

ですが、嫉妬の元凶は、自分が満たされていないからなので、どうしようもない。

どれだけ山に行っても満たされない。

多くの人は手段を達成することに多大な時間やパワーを使います。

一般的には、金銭、名声、、女性なら結婚、山なら、すごいルートや、海外遠征のような人にすごい奴だと印象付けるためのもの・・・そういう何かを手に入れても、手に入るのは一瞬の幸福で、持続的な幸福感を手に入れることはできないです。

幸福は、他人が自分をどう思うかにはなく、自分が自分をどう思うか?にあるからです。

■ 永遠に足りない

今、「これが足りないから幸せではない」と考えている人は、どんなに恵まれた環境になっても、今と同じように足りないものを探し出して幸せを遠ざけます。

どんなに素晴らしい山に行っても。どんなに素晴らしいパートナーを得ても。

他の人から見たら苦境であっても、幸せを見つけ出して幸せになれる人もいます。必ずしも潤沢と言えない資金の中で進学した時、多くの人が助けの手を差し伸べてくれました。

今私に助けの手が差し伸べられているのも同じ理由からです。

人は与えられて当然と思っている人ではなく、困っている人を助けたいと思うもの。

ないことではなく、あることに集中しましょう。

内面を磨くということは、持てるものに満足を感じられる自分自身になることです。

いいことがあったから一瞬幸せになる、というだけの感情の応報反応ではなく、

周りの出来事に関係なく自分自身で幸せになる。

いわば、意図的に幸せを見出せるということ。ありがたいと言う気持ちが土台です。

■ ありがたいを連続していたら、

幸せを作り出していたら、勝手に夢や目標を実現してしまった・・・

というのが私の過去のパターンでした。

楽しくて本を読んでいた → オールAになってしまった
海外に憧れていて、英語を勉強していた → カリフォルニアから仕事のオファーがきた
海外で楽しく暮らして帰ってきた → TOEIC925点。
元々パソコンが好きで中学の頃プログラミング自習&エナメル線クラブ → 開発者
英語&開発&マネジメント → 海外出張
仕事が楽しい → ビジネススクール
ビジネススクール → 商社の仕事
バレエを楽しく続けていた → ヨガイントラ
商社の仕事 → 自由快適&登山快適

いつも、なんだか、わくわくしていただけのことで、”わらしべ長者”。

山も同じで、素晴らしい師匠を得てしまいましたが・・・勝手に素晴らしい相手が向こうからやってくるってのが私の印象です。

まぁ、危なっかしいから心配、ということもあるかもしれませんが・・・(笑)。

いつも素晴らしいパートナーが得れて、私はホントに幸せ者だなぁ~と思っているからかもしれません。