■ 同じことを毎回やり続ける
最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・
バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。
バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。
流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。
最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。
これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)
余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。
■ 山瞑想が不要に
・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)
かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。
ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???
■ 再定義
ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。
始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。
その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。
次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。
次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。
ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。
ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。
次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!
山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。
ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。
つまり、また質が重要になったということだ。
ということで、まとめると
景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質
という変遷をたどっている。
山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。
私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。
というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。
なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。
■ 幸せの再定義
フィジカルのアップ。精神の充実。