2016/08/15

フィジカル

■ 同じことを毎回やり続ける

最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・

バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。

バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。

流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。

最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。

これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)

余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。

■ 山瞑想が不要に

・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)

かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。

ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???

■ 再定義

ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。

始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。

その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。

次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。

次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。

ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。

ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。

次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!

山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。

ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。

つまり、また質が重要になったということだ。

ということで、まとめると

景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質

という変遷をたどっている。

山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。

私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。

というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。

なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。

■ 幸せの再定義

フィジカルのアップ。精神の充実。