2023/01/28

質か量か?の二元思考 → バランス思考(にくい線を行く)

■ ある先輩の言葉

これは、違う分野の人のセリフですが、山より一歩先を行く過疎?限界集落化?したアウトドアスポーツの世界で、生き残っている人のセリフ。

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体力・知力・判断力といった「力」や、地図を見る目・地形を見る目・人を見る目といった「目」が必要な、本当に面白い、まさに『大人の遊び』だと思います。


判断する力を維持する為に、力は最小限に抑えたい・・・。と言ったような、自分の中での「力」の配分も必要になります。

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■ 第三の価値は、バランスでは?

登山の価値は、歴史的に見ると、(未知) → (困難)と進んだ。困難度の中では、(辺境)→(デカさ)→(技術的困難)と進んで、もう進化の極みで、停滞状態が長い。
 
停滞というのは、つまり二極化、ということで、ずーっとトップはトップで安定、平は平で安定、ということだ。
 
アルパインクライミングで総合的にトップクラスの登山はどのようなものか?とみると、エベレスト時代はとっくに終わって、長く続いたK2の時代もすっかり終わっており、両方とも大衆化され、現代のトップクライマーはK7でも、誰か片づけてくれな気分なようだ…。
 
というので、トップクラスの人材不足感も甚だしい。
 
クライミングと言っても、スポーツクライミングの方に目を移すと‥‥子供が世界チャンピオンで、オリンピックどころか、出場前の年齢の子どもの方が登れる、みたいな話になっている…なんせ14歳がクライマー人生のピークっていう現代…なので、大の男を含め、スポーツ愛好人口の大部分が面白くない…下り列車に乗る旅…なんだが…。
 
私はてっきり、仏教が教えるように、競争を捨てたらいいのではないか?と思っていた。
 
しかし、スマナサーラの長老の本を読んでいたら、慢は慢で制せ、と書いてあった(汗)。
 
どうも釈迦族は非常にプライドが高い一族だったらしいんですよね。そのプライドは、善に対するプライドだったようですが。
 
競技を離れる、競争を捨てる、というのは、大部分の人にとって、悟りを拓けないのと同じで、現実ばなれした解、らしいんだな。
 
言い方を変えれば、社会のシステムから外れる、ってこと。常識とか、体制とか…なんせ競争社会なんだから、既存の社会システムを離れる、っていうのが、究極的には、目的になるんではないか?と思っていたのだ。
 
しかし、出家ではなく凡夫では、戦い(体制、システム)を捨てるのは、かなり難しく、バガバッドギーターでは、戦いは、当然悪なのにアルジェナは戦士(笑)。お釈迦様みたいに悟りを拓けない人は、アルジェナ流に清濁併せ飲むしかない…。
 
が、既存のものさしである、競技で、一等賞が取れないなら、数…何個登りました、とかだろうか?量でNo1とか…の提案で、ガッカリだった。そんなの、退屈でしょう。ひねりが無くて。千日回峰行と同じで、誰だって時間さえあればできてしまう…
 
ひねりというのは、
 
 ・勝ちにつながる要素が多く、なおかつ、
 ・運にも左右されて容易に勝てない、
 
というのが、面白味という意味ではないだろうか?
 
■  大人の遊び
 
さっきの大人の遊び、を例に取ろう。
 
”力”の一分野をとっても、(体力)、(知力)、(判断力)と3つもパワーが必要で、”目”、という技術という分野をとっても、(地図を見る)、(地形を見る)、(人を見る)と3つもスキルがいる。 
 
 パワー ×3 = 体力、知力、判断力
 スキル ×3 = 地図を見る、地形を見る、人を見る
 
しかも、パワーロスを抑えたい=(自己理解)&(力の配分)=(経験による向上の要素)
 
で、経験によって向上するというとことは、スキル積み上げ型。
 
つまり、ポッと出のひよっこには勝てないということで、それは、経験の量的なものが強みになる。つまり、加齢で下がっていくものではない。
 
端的に言えば、
 
 にくい線
 
を行くトータル能力体系での勝利につながる、そのような大会設計をしている、という意味である。
 
現代のクライミングのコンペにはない設計ってわけ。現代のコンペなんて、大人はすぐに飽きて、全然、参加していない。コーチ職は、結果、自己犠牲の極みになってしまっている。
 
25歳以上の年齢、でワールドカップに出ている、という人って、アイスのクライマーだけではないだろうか?(実際、登っているのはドラツーだけどね)
 
■ にくい線
 
というのが、私の登山計画する力と似ているというか… 私は企画する、設計する、意図する、というところに面白さを感じるタイプなのだ…。そして、サイを投げて、結果がどう出るか見る。
 
例えば…女性初心者のテント泊入門なら… 女性=パワーない、虫嫌い、寒さに弱い= 遠いところダメ、下界のテントサイトダメ、風強いところOK、なら、春秋の海岸系のテント泊は大丈夫だろう…とか、山を選ぶにも、ピストンではなく、縦走系でアップダウンが緩やかなのを選ぼうとか…
 
あちらが立てばこちらが立たない、という価値の体系の中で、
 
秤にかけるように、バランスをとる、その判断をしていくのが大変面白い
 
 のです。
 
とくに、自然の中で。なぜなら、自然界では、誰も悪者がいないからです。
 
会社だとこうはいかない。あーあ、そういうことすると、どうせダメになるよ、と分かっているのにやらないといけないでしょう、会社では。
 
私は、山を、一回一回の企画が成功したか?という感じで登っているので、うまく行ったこと=勝利、は、単なるオマケです。
 
コンペで、順位などは、単なる情報、ってことになります。例えば、アイスでWI6がスイスイTRクリーンで登れる=岩根カップで5位ってことは、5段階評価で行けば、大体標準、3+くらいな実力らしいな、とか。
 
色々考えて、これまでパートナーシップで嫌な目にも合ってきたけど、情報、としてみると、このタイプの人はこうなんだなーという情報収集になって良かったです。
 
今日は自転車屋さんで色々聞いたら、誘惑に負けやすい、という資質が、反社会的行動に落ちる人には強かったそうです。
 
■ 一等賞じゃなくても平気になる=成熟
 
いつまでも、一つだけの物差しで測る世界で、一等賞を取りたい!って気持ちが手放せないと、5.15を70歳で登るのは、生物学的に無理だから、若いうちに著名なルートに行って名声を手に入れた後、することが無くなってしまいます。
 
それで、総量で競うことになる。ルートトータル数で一万行こう!とか。でも、一個一個の山の質が悪くなったら、山やっている意味がないですよね?
 
そこは、時代の制約というか、寅子先生ですら、オメガオイルの商品にホメガオイルという商品名をつけてオヤジギャグみたいなことになっているのですから、時代の制約っていうのから逃れられる人はいない。私の母の世代…団塊の世代…は、どうしても、何かで勝った!と思わないと気が済めない、済まない、という面があるのかもですが。
 
しかし、団塊2世の私の世代は、そんなの、確実にない上、陳腐化すらしていますからね。
 
人生は、椅子取りゲームっていう心理はなく、もう最初から、椅子ない(笑)。椅子は作るもの、でした。
 
座る椅子があるから、という契約で、その契約に合うように、”いい子にしなさい”、”早くしなさい”、”ちゃんとしなさい”と、サラリーマンサイボークになるように育てられたのに、成人したら、 ”あなたは何ができる人ですか?”って聞かれるわけで、契約大幅に反故にされました。何ができる?って何でもできるようにしつけられたんですけど(笑)?
 
私は学生のころ、国際会議の事務局やっていました。書類関係ですが、なんとバイトの私の方がその事務機局で一番能力ありました…(汗)。こんな調子なので、競争で勝っている、っていうのは、もう当たり前のことで、それを使って
 
 何を創造するか?どういう椅子を作るか?
 
ってことに興味が移動しているって話なんです。価値の創造、って話です。
 
自尊心病は、世代の縛り、世代の病であり、年配の上の人ほど根深いです。すでに豊かさが当然である時代に生まれた若い人が見たら、うんざりするでしょうね…。
 
70代、80代から、お願いだ、俺を尊敬してくれ…俺を祭り上げてくれ…という願いを感じさせられてしまうと、シラケます…。本来、その年齢では、そういうものは成熟の果てに乗り越えられているべきものだからです。10代が、競争にこだわっているのを見たら、ほほえましいですが、老人だと、お気の毒に…、って感じです。
 
仏教では、中道を薦めます。中道とは偏りがない、弦を張り過ぎない、という意味で使われますが、一歩進んで、
 
 にくい線となる仕組み作り… 
 
能力があるだけでは勝てず、才能があるだけでも勝てず、運だけでも勝てない…そういう競争の仕組みを作ることができれば、大人は飽きずに楽しめるのかもしれません。
 
クライミングの中では、アルパインの領域が、最も幅広くマウンテンアクティビティの中で、にくい線を行く山の価値を価値創造しやすいのかもしれません。
 
 
ロープのたるみに注目。リードより、トップロープで落ちる方が、落ちる距離も大きい。
 
 ロープたるんでいる=トップロープクリーン。
 
テンションレスを英語でこういう風に言うらしいです。
 
”テンション”って和製英語ですよね。外国人は言わない。”ロープ張って”、って意味じゃなく、”ビレイヤー緊張して”って意味になる(笑)。
 
海外で登ると、テンション、って可愛いね、と言われます(笑)。


時代錯誤を辞めよう! 現代アイスシーンについて、去年の今日のメモ

■去年のメモ

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八ヶ岳で一番手軽なバーチカルアイス… アプローチ5分なので、楽勝系ですが、本格的なバーチカルアイスが楽しめるので、ゲレンデ練習にお勧め。
アイスも凝って毎週行って、2本バーチカル連続でも別にパンプもしなくなり、成長したなぁとか言っていたのに…今となっては、すぐにパンプするようになったのではないかなぁ…
つい昨日おとといで、佐藤祐介さんが行ったらしく、発達も良いそうで、なんだかな~羨ましいな~という感じだ。
石原さんという、もっと上級のアイスクライマーの女性がすごいバーチカルアイスの投稿を乗せており、そっちは、角木場のように歩いてトップロープが張れる氷ではなく、リードで第二登の記録… こういうのを見ていない九州の人が、九州の氷で、凍った~と初登で喜んでロクスノのあげてしまうのは、まぁ、仕方がないというか、アイスシーンがどうなっているのか?想像もつかないだろうから、いつまでも、昔、黄連谷が初登されていたころのような感覚でも仕方ないかもしれないが…ロクスノの側は把握しているべきだろうと思うが… 寄稿者がいないという問題でもあるんだろうかなぁ…
清高さんは、記事が足りないと泣きつかれていると言っていたしな…
しかし、なんで、ボルトの話とか、そういう役立つことはロクスノは、書かないのだろうか…
なんだか、角木場の昔の写真が来て、しみじみ、時が停止している九州のことを思ってしまった…
私のクライミング時計も九州に来て以来、止まっています…

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以下、アイスクライミング界で、一般ピープルの私の写真と記録的登攀をなされた石原さんの写真です。アイススラブを登ることに趣味で楽しかった以上の意味がないというか、人に自慢するような記録でないとか、それで一流クライマーの仲間入りができるとかいうレベルでないことは、これらの写真を見れば、一目で分かると思うんだけどなぁ。


こーゆーのが、”記録”である時代に、90度以下の”大滝”を上げられても…こみねっちなんて720mを登っているんですよ?私だって55m×3で、平気なくらいですから…

ちなみにグレード表。見てないのでは? WI4=誰でも登れる。




2代目の自転車… 共感は選択的に

■ マウンテンバイクという”難しい買い物”

近所の自転車屋さんなら、最低5か所は巡ったし、福岡ライダー御用達、正屋も、はるばる行ったし、車を飛ばして色々行ったけど…マウンテンバイクという買い物は、すでに登山で洗礼を受けていた私にも、ホント難しい買い物なんですよね…。

■ 分かっている人がほとんどいない

というのは、メーカーの店、ジャイアントでも、マウンテンバイクは、”そもそも売れない”ので、知識がある店員さんがいない。店員さんがそもそも、「乗るところがないので、売れないんです」という。取り寄せると、納車は9月です、という具合だ。

形がマウンテンバイクでも、おいてあるのは、全部クロスバイク。違いはフレームを見れば、サスペンションがついていない。

サスペンションがないと、山は凸凹しているので、不快な乗り心地になるんだが、重さという代償もついて回るので、結局、その人の好み、というところに落ち着く。

しかし、初心者には、そんなことは分からないのに、店員さんは、ハードテイルにしますか?フルサスにしますか?とか聞いてきたら、売れるものも売れない。

一般的に、本格的なアウトドアアクティビティでは、初心者ほど、手厚いギアが必要だ。これは法則だ。

技術の不足をギアでカバーするためだ。クライミングで例えるなら、ATCではなく、ATC-XPを買わないと、初心者クライマーは、折り返しビレイの方法を知らないので、セカンドの確保ができなくなる。

さて、マウンテンバイクの話題に戻ろう。大事なのは、ディスクブレーキ。今どきディスクブレーキでないなんて、という言葉が、今どきグージョンでないなんて、という岩場と同程度の感覚だ。安物買いの銭失いなのだ。そこは、フレームがカーボンか?アルミか?というのとは違う。アルミでも良いものは良い。

私が今回、チャリを乗り換えたのは、規格的な問題だ。タイヤ径は、29インチ以外は市場から駆逐されつつある。

私は体が小さいので、29インチはかなり大きく感じられ、逆に小さいのを求めてしまったために、中古のマウンテンバイクを購入することになったが、その時も詳しい人が紹介してくれた相手から購入。それは、小さいほうが私はコントロールしやすいという誤解があったため。タイヤ径は大きくないと、障害物を乗り越える際の摩擦がたりない。業界もそれを学習して、タイヤ径が大きくなったのだそうだ。

■ 機能には金を払うが、承認欲求に払う気はない

それでも6万で、6万あれば、新品のクロスバイクは、平気で買える。

つまり、その中古バイクも、元々かなり高額だったってことだ。20-30万円はしたのだろう。人が見るたびにこれは、すごい、とうなる。

買った私本人は、どこがすごいのか、いまいちわからずに、自転車とりあえず何でもいいからないと、山を走れない!という気持ちで買ったからだ。 

■ 冬靴を買ったときのこと…

思い出すのは、冬靴を買ったときのこと。1足目だが、大阪も東京も山道具屋、全部回ったが、置いていない。やっと出してきてもらった女性用の冬靴は、4年倉庫で眠っていました、ってものだったが、保温材がないものだったので、山が嵩じたら(=縦走はあっという間にマスター)、すぐお蔵入りし、ダブルブーツを買い直すことになった。縦走なら、ずっと歩いているから、シングルブーツでいいのだが、ビレイがある山を冬にするとなると、凍傷はリアルな脅威で、一回目で、指が黒くなった。

クライミングジムで、「あ、凍傷になっているね」と軽ーい感じで教えてもらった。本人は、あれ?靴が当たって豆になってる、くらいの感覚で、まさか凍傷とは思ってもみなかった。

シングルの冬靴→ダブルの冬靴、となったように、26インチのフルサス・ディスクブレーキ、カーボンフレームの中古MTBから、29インチのフルサス、メリダへ…。6万円から、20万円のステップアップになった。

アイスクライミングだけではなく、ダブルブーツはだいぶお世話になった。高かったがそれだけの価値はあった。シングルブーツは、今では、春山でしか出番がない。このメリダ車も、ガンガンお世話になる予定だ。

■ アウトドアの買い物の特徴…店員さん自体が無知

しかし、アウトドアの活動というのは、どんな活動でも、正解、にたどり着くまでに、紆余曲折させられる…その間の無駄な出費… シングルブーツは49800円で、ダブル6万円を買えなかったのは、店員さんが無知だったから(笑)。

店員さん自体が冬山を分からないし、アイスクライミングする女性にも会ったことがない。

一般にダブルなんて、高所登山する人しかイラナイと店員さんは教え込まれているが、それは、登攀がある登山が一切わからない人の頭の中。

山で登攀する=ビレイ時間はじっとしている=遭難した時と同じ、だ。冬山で体が、温かくいられるのは、ずっと動いているからであり、適切なウエアなどのギアが不足しているとき、凍傷を避けるために寝ないで行動し続ける人もいるくらいだ。

自転車も同じで、MTBのモンベルみたいな、ジャイアントの社員でも、山を走ったことがないし、走っている女性ライダーに合ったことがない。女性どころか男性ライダーすら知らない。MTBといえば、YouTubeで見るもの、みたいなことになっているらしいのだ。

だから、今の自転車ブームはロードバイクのこと。ロードバイクは本格的っぽ過ぎて怖いという人が、ハンドルがフラットのマウンテンに来るが、要するにほしいのは、かっこよさ。機能ではない。機能で買う人は、ニーズが満たされればすぐに購入決断する。

というので、今回はめでたく平山さんと繋がったことで購入できた。

機能的に過不足のない自転車を購入できたと思う。

■ 自分の価値を言語化するということ

平山さんは、たぶん、自分の価値をまだ全然、言語化できていないみたいだった。

クライミングで初めてロープを購入する前に、天野和明さんという世界中が尊敬するピオレドール受賞者に、9ミリ中頃、と教わって買った、みたいな感じだったが、この説明では、だれにもわからないだろうしなぁ…。

平山さんのマウンテンバイクの経歴もかなりスゴイ。が、それでは、彼の価値の説明にはならない。私のように、鼻が利く人にピン!とくるだけ。

彼には、マウンテンバイクを適切に”処方”する能力がある。 処方箋能力、だ。

平山さんのお店: https://allnevery.blogspot.com/2023/01/blog-post_13.html

■ 一般ピープル

平山さんのお店に1,2時間いたら、飛び込みのお客がだいぶ入ってきたが、どのお客さんも、山を走ったことがないので、ただ単に、

かっこいいから

というので、MTBを求めてくる人たちで、主たる狙いは、アスファルトの上をかっこいいアウトドア風(ホントの機能がないもの)つまり、ビームスが出しているようなアウトドア風衣類に身を包みたい、の一環としての自転車、を求めている人たちだった…。

一人のおじさんは、いい人で、山で乗る、用途がないだけが、ボトルネックのようだったのだが、平山さんは山に誘わない。その様子を見て、えらいなーと思った。

というのは、私はクライミングでは、外岩に出る資格の無い人を本格的という形容詞がつき、ある程度の覚悟がいる外岩の世界に呼んでしまっていたかもしれないからだ。それは良くない。自ら入ってくる人だけを助けるべきなのだ。それを自覚して、今宿のジムの店長なる人物は断った。なんも分かっていないボンボンだった。捨て台詞は、私が思っているより俺は分かっている、だそうだった(笑)。分かっていないことを分かっていない。

もう一人の女性客は、単なるかっこよさの追求がその人の求めているものだった…承認欲求ってことなんだが…。それだと普通の女性は、20万円とか払う気には、なれない。機能に”命がかかっていない”、”安全性がかかっていない”と、人間が承認欲求のために出せる金額なんて、たかが知れている。安ければ安いほどいい、みたいなことになるため、アマゾンには、2-3万円のマウンテンバイク風自転車があぶれている。福岡には、ブランド買い取り古着屋があふれている。

余談だが、安いマウンテンバイク風自転車は、ちゃんとしている人には、”なんちゃって商品”とバレている。それは素人さんでも分かるので、なんとかバレないメーカー名の、安物が欲しいのだ、そういう人は(笑)。

それで、ノースなどのちゃんとしたメーカーでも、ブランド名ロゴは付いているが、最高級ラインのハードシェルと同じ見た目の安物バージョンを売ってる。街着には十分だからだ。それで、ホントに最高級ラインを持っている人は怒る。誤解を受けるので。そのため、通にしか分からない小さい差をメーカーは付けないといけなくなる。自転車なら、それはサスペンションだろうか(笑)?

平山さんはそういうお客さんにも、丁寧に解説していた。

歯科タービンでセールス大阪府トップになったことがある私の意見は、このお客さんに機能解説するのは時間の無駄だよなーと思った。黙ってお客さんが欲しいのが何なのか深まるまで帰すのがいい。いい自転車なんで値引きはないからだ。値を引いてはいけない。

私以外のセールスは、値引き競争に参加してひどい目に遭ってた。

なんせ、お客さんが欲しいのは、緑色のおっされーなチャリで、ネックは価格であり、たったの6万円も承認欲求に出せないのだ。ウエアもなんちゃってアウトドア風で固めている人だったから、彼女の主訴がカッコよさであることは分かる。

私だったら、タダでもいらない、フルサスでもないクロスバイクで悩んでいるようだった。彼女が欲しいのは、ただの承認欲求で、悩んでいるのは、もっと安く承認欲求を満たしてもらいたいから。

福岡にはそんな人ばかりがあふれている。おっされーに金出す人って意味。ビームスとか、そういうの人気ですよね。あー、バカバカしい(これは私の私見です)。

余談だが、田舎の人は、なんちゃってアウトドア風の人とリアルアウトドアの人の区別がつかない。年配の人も同じだ。

だから、私が凍傷を避けるためにダブルブーツを履き、ビレイパーカを着ていても、おしゃれでそうしていると思って、ブランド物がどうたら、とぶつぶつ文句を言ってくる。

そりゃ、おじいさん、おばあさんは、氷点下でアイス登らないからいいよねぇ。

あるいは、農家出身の人は、誰にでも分かるブランドのロゴがついた服を着て、”田舎者だと思ってバカにすんなよ、ちゃんとしたものを着ているぜ”、と突っかかってくる。馬鹿にしている人、誰もいないのに、本人の妄想がそうさせるのだ。しかも、そのロゴが…ラルフローレンとかのひと昔前の奴だったりして、情報弱者ぶりを表現していて、痛い。

そんなこんなで、”承認欲求地獄”に生きている人が多いのが地方都市であり、猫も杓子もアークテリクスを着ている(笑)。大濠公園を大自然だと思って、自転車乗っている人がアークテリクスのヤッケを着て、ビアンキの自転車に乗って、自己満足している。大濠公園しかないんだから、仕方がないのかもしれないが…。それを指摘しても、大濠公園が本モノの自然じゃないことは分からないみたいだった。福岡の次の2番になる熊本では、闇はもっと深い。洋服代で身を壊す人もいる。

承認欲求だけの世界に生きているということは、本質的には、その人は、

 まだ人生を生きていない。 

つまり、気の毒ではあるわけだが、本人はそんなことは思ってもみない。6万円の自転車が買えない、のは、承認欲求に自分が囚われているためだ、ということすら分からないのだ。

ほんとに欲しいのが承認である、という自覚があれば、何を買えばいいのか?も分かるだろう。ブランドロゴがついた一番の廉価品だ。なんなら中古でも良い(笑)。

クライミングも同じで、”3級しか登れないのに、2段をノーマットで登りたい”、とか、”ロープがあっても意味がない、脆い岩場である根子岳が登れるようなアルパインクライマーになりたい”、とか、意味している内容は、

 ・私は自分の頭でちゃんと考えていません、

 ・私を動かしているのは、承認欲求で、皆と同じことがしたいだけです

という2点でしかない…。だから得るべきものは、仲間入り。

ベテランたちは、このような承認欲求に対して、寛容だ。

 承認欲求には俺も動かされていたよなぁ、共感するよ!

ということで、受け入れられているんだが…その共感が、事故の温床になって、初心者ボルダラーがノーマットで外ボルダーをして岩場が事故り、事故で岩場が閉鎖になり、クライマー全員が登れなくなる。九州にはアルパインのルートが根子岳を外せば、ないと言えばないので、しかたないなぁ、うーん…と甘受しては、根子岳で延々と死者の名前の列が増える…。(脆いルートを何とかする技術もギアも、この世に存在しない)

そんな結末になっているのだ。 

業界的教訓: 共感力は、生命を保存する方向に選択的に使いましょう。


2023/01/26

丁寧に体験の質を積み上げるのが好き

■ 言語化が難しいという病気

今朝は昨夜早めに寝たので早朝覚醒…。しかし、夢も見ず、ぐっすりで良いお目覚め。外はまだ真っ暗だ。

パートナーシップが問題になるクライミング。人の長所は欠点の裏返し、なので、人というのは相性次第で、どんな人にも必ず良い相性のパートナーというのはいるものだと思う。

とはいうことは、大事になるのは、自分のクライミングを言語化して伝えることができる能力。だが、言語化というのは、意外に難しいもの…。

■ 解釈の齟齬があった…

周りの人が勝手に私を誤解する、

というのもあった。例えば、

 真実 =ムーブが出かかっている

 誤解 =落ちるのを怖がっている

のだと解釈する場合。

■ ビレイヤーはクライマーから信頼されてなんぼのものです

あるいは、例えば、今ムーブが出そうでいいところ、ちょうどよく、落ちたくない!というプレッシャーがかかって、いいところで、

 「さっさと登れよ~」とか、

 「落ちればー」とか

言うビレイヤーだと、出るムーブが出なくなるんですよね…。

そこはビレイヤーがクライマーを邪魔してどうする?と思うんだが…。ビレイヤーっていうのは、クライマーから頼りにされてこそ、なんぼ、という価値のものではないですかね?

クライマーに負担になる=逆転したビレイヤー。

子どもに負担になる親=逆転親子。

上司を部下が指導=逆コーチング。

親子関係から始まって逆コーチングは、ライフワークかもしれません。

内向的なクライマーにとっては、そういう逆転ビレイヤーは価値がない。 いくら内向的でもクライミングには命がかかり、誰もそれを肩代わりできないのだから、クライマーはどのような手段を使っても、自分の意思を遠さなければいけない。

自分の意志を通すというのは、これが人生課題、かもしれない。

昨日は、

 自分がどういうクライミングが好きなのか?というのが、だいぶ吐き出せた…

というのが、ホントに良かったなと思う…

(が、これは、あと6回くらい回転させないと、中身が充実しないものなのだ、ということも分かる。)

それは、嫌な経験をたくさん積んだから… こうしてほしい!が分かるためには、こういうのがいや!というのが分かる必要があったのだろう…

だから、嫌な経験を積ませてくれた人は、ホントは、天使、だったのかもしれない。

■ 嫌なことは好きを知るために起こる

Aは嫌、Bは嫌、Cは嫌、…でEは好き…みたいな感じに、Eが好きだということを理解するために、AとBとCを経験したんではないだろうかと思う。

例えば、ABCの3つくらいで、4つめに好きなことがある、くらいだと、好きの強度は、そこまで強くないかもしれない。なんだかな~な経験が3つで、好きな経験が1つなら、そこまで、その一つに執着心は湧かない。

が、A、B、C,D,E,F,G,H,I,J…と、私の場合は10個くらい、NO!と言わざるを得ない、嫌な経験が積みあがった。それだけ経験すると、

 好き、

が強固になると思う。なかなかその体験というのは、得難い、ということだからだ。貴重性が高い経験と言っていいと思う。

■ 安心の根拠 = コツコツ

コツコツしている、やるべきことをやれている、と感じられると、私という人間は安心する。

それは、例えば、子供のころ、NHKのラジオ英語を聞いていた時の気持ち、と似ている。

今は英語をしゃべることができないが、将来のどこかの時点でしゃべることができるようになるだろうというレールの上に載っている、という感覚だ。

その感覚がクライミングでは、九州に来て失われた。このままいけば、いつかは、〇〇だって登れるようになるでしょう、という感覚ということだ。

それが、むしろ、このままいけば、死に至るかもしれない、という感覚にとってかわられてしまった…(汗)。

これまでの成功体験…心からの充足感…というものを振り返ってみても、コツコツした努力が結実した時に得たもので、棚からボタモチみたいな成功…は、あまり連想できない。

連想できないから、現実感がなく、そんなのホントなのかな?という気持になって、疑心暗鬼になってしまう。

一発逆転、なんて人生にあるんだろうか?私の個人的経験はないというのだが、そういうのを求めている人もいるから、その人はその人の内的世界では、それもありだ、という確信があるのだろう…

私には、全くないんだけどなぁ…。


 

Why Become a Mountain Guide? / British Mountain Guides

2023/01/25

My Climbing Style 8 Rules

Rule One I do respect Onsight. The second best is YOYO style.

Since I am a short climber, usually I have a hard time reaching to a running bolts, so I prefer to climb down when I don't feel safe enough and confident to put rope above me, instead of trying on a random chance of clipping on a rope with unsteady foot holds. 

Rule TWO  Have your own Home ground

Rule Three  Climbing God lives in details

I do like to climb with complete beauty of rope work. The cam popping off, or rope got stuck, or such, are minus point to me... I like a confident, beautiful climb that I can feel total freedom on a rock, or ice.

Rule Four  Rope drag is NOT a successful climb
I don't consider this a success.

The below is my ice lead, and the photo is taken to examine how well or bad, I did. I felt very a deep content after seeing this, my lead result.

I prefer to clean up my own pro, since I can check my lead result,for my better learning so far. I consider myself still learning. 

Rule Five I don't worship climbing caste

Japanese climber likes ranks. so they can boss around. I don't like the culture.

Rule Six  Take care of each other

It is already dangerous so taking care of each other is important.

Rule seven  Take a proper educated action

Japanese crag is mostly 40 years old, and bolts are as old, and not just that , sometimes it is runout very much... it depends on a climber who developed. 

Avoiding such developer is a wise choice.

Rule Eight  Mutual respect

I belay you so you belay me.


山業界で起きていることはこれなのかも

■パワハラ、職場いじめがなぜ起きるのか、どう対処したらいいのか、精神科医目線で解説します【精神科医・益田裕介/早稲田メンタルクリニック】

早稲田メンタルクリニックの、益田先生の動画解説です。

登山をするようになり、ヒロイズムの害やナルシズムの害を直接に感じるようになりました…

害の事例:

1)一升瓶を担いでいく阿弥陀北稜7人パーティ…結果3人凍傷

2)俺一高…俺だって佐藤祐介?!

3) 女性が参加すると、事故率がアップする? かっこつけたくなるそうです…

4)失敗した登攀でむしろ自己肯定感が上がる問題

5)アルパインクライマーとフリークライマーの反目に巻き込まれる

6)俺の言うとおりにしろ問題… それは18歳男子学生向け指導

結局、どこにでもいる会社の困ったチャン、なんですが…なんでそれで60代になれたのかな…?みたいな感じで、なぞでした。あまりにも長い間、子供のままで振舞うことが通用するというのは、納得がいかなかったからです。(今では、女性がそれを許してきたんだろうなぁと思います)

私は子供時代は成績がなんもしないでもトップだったので、子供間の競争からは守られ、成人の初期にアメリカにいたので、社会人になるころの競争からも守られてしまい、会社も良い会社に次々と恵まれてしまった…というのがあるみたいです。そんな下品な世界にいなかったというのがあるかな…。

男性の競争社会への免疫がなかった、というので、九州に来て、だいぶ揉まれました(笑)。

全く実力とは関係ないところの競争なんだということが分かりました。この益田先生の動画を見て、一体何が起こったのか、整理がつきました。

ほんと、謎だったけど、謎が解けて良かったです☆

これで、分かったうえで業界を泳いでいける、ということになるような気がします。

どんな男がいいんだ? AMEGA有資格者がいいな~

■ 「お前はどんな男がいいんだ?」

これは、昔、まだ私が山岳総合センターでのリーダー講習を終わって、初めてシングルロープを購入しようかというころ、入会した歴史60年の山岳会で、新年会に出たら、言われた言葉です。

その時は即答できず、「うーん、私より歩荷が強い人!」と、かなり、とりあえずな返事を返しました。

その頃、ギリギリボーイズでピオレドール受賞者の天野和明さんがやっている講習が、読図講習会という名目で格安で開催され、その山が兜だったので…もちろん、クライマーの皆さんは知っていますよね?…で、こりゃめっけもん!当代一流のトップクライマーに、色々、世間話で、知恵がもらえる大チャーンス!と思って、会のメンバーを誘ったのですが、この講習会の意味が分かる人が、皆無、で、私一人の参加となったのでした…。

で、その講習会で、先輩として天野さんは、あれこれアドバイスしてくれたんですが…(「最近のシングルは9ミリ中頃だよ~」とか… 会の先輩は、まだ11ミリ時代にいるらしくて、あれ?となった…)

その時に、会の新年会で、「お前は、どんな男がいいんだ?」と聞かれた話をネタとしてしました(笑)。

天野さんみたいな、親切な先輩、お兄さん、というような方がいいなぁ(笑)。

その講習会でも、天野さんがどんなにすごい人かも含め、分かっている人はいなかったです。読図自体も、です。抜き打ちで、「はい、これは?」 「○○番目の支沢!」 即答で答えられる人は私のみ…で、他の人はみんな、栗城さんがスゴイ、南谷マリンさんがスゴイ、と誤解しているような、巷のオジサン・オバサンの”登山客”でした。山岳会にいる人のほうがうんとましでした。

正直、天野さんほどのすごい人でも、このレベルの人たちを対応せざるを得ないなんて、めちゃ気の毒~と思ったりしました…。

山梨の山岳会では、さすがに南谷さんや栗城さんを山ヤ認定している山岳会会員はいないと思いますが、福岡はさらに登山文化の砂漠なので、普通にいます。

九州では宮崎はクライミングのメッカですが、宮崎の自然学校に天野和明と言っても、だれもわかりませんでした。それくらい、登山文化砂漠ということです。九州では、全く実績のない人が高度に持ち上げられており、それの根拠は、体力一点豪華主義を実力と思っている、という誤解によります。

それだけ、九州全域で、登山文化砂漠が進んでおり、いっぱしの山やを気取っている人でも、2名のクライマーを1人がビレイするとか、動いているものに道標付けて気取っているとか、登山レベルの衰退が、もはや誰にも隠し切れないレベル感になっています。

クライマーレベルですら、終了点の2点のボルトは、いまだに横に並んでおり、岩の質に合わせたボルト選択ではなく、ただ今まで使っていて安いから(100円以下)という理由で、カットアンカー…  それ、40年前ですよ!という状況です。

これらは単に、勉強不足、リーダーシップ不足、今率いている人がサボっているという意味です。

山梨においても、九州においても、山岳会は、きちんといた岳人が不足しているか、いても高齢すぎて、指導体力がない、ということになっています。

しかし、きちんとした知識がありさえすれば、カネならあるのですから、解決可能なのです。

年に一回程度、著名人を講演者として招く活動が、どの県レベルの山岳連盟でも開催されています。それにまったくのきちんとした山やではない、南谷さんみたいな人を呼んで、お金の無駄遣いをしたり、地元の名士扱いされている人に、大昔のヒマラヤの話をさせるのではなく、きちんと現代クライミングで名をあげている人に話をさせることです。

九州なら奥村さんや山野井さん、平山ユージさんに講演を頼むべきです。

夜は、強いクライマーは残って懇親会にすれば、ちゃんと適した人に適したアドバイスが行くでしょう。

■ 提案1 高度クライミングメンター制度

私の、日山協への提案は、

 高度クライミングメンター制度

を設けて、例えば、九州=奥村さん、関東都市圏=山岸さん、信州=ジャンボさん、ときちんとした実績を上げているクライマーに、

 年間計画でアドバイザー(社外取締役みたいなもの)

に就任してもらうことです。そうすれば、大ハズレ、は少なくとも防げるでしょう。

ヒロケンさんやガメラさんは、全国レべルで、お目付け役と思うので、彼らが生存できるくらいのアドバイザリー料を出してやればいいのにと思います。

山岳組織はお金はたんまり持っています。会員から巻き上げるだけで、有効な使う先がないからです。

■誰もが佐賀県のように助成があるわけでない

佐賀県の樋口先生は、奥村さんから良い影響、つまりクライミングの正当なカルチャーの継承、を行っています。(残念なのは影響を及ぼせる範囲が、指導中の人たちかせいぜい北部九州止まりなことですが、仕方がありません)

もちろん、佐賀県は県レベルで、

 スポーツエリート育成に潤沢に予算

を使っており、そのようなメリットがあるからこそ、出来ていることですが、先生の元クライマーとしての経歴がなくては、たとえ助成金があったとしても、誰にでもできることではありません。

私自身も同じように人材を見極める目はあると思います。

先日、ある自治体の山やという人とお話したら、吉田和正と言って分かってくれて、ホッとしました。九州では、吉田さん自体、誰?って感じでした。下手したら、平山ユージさんすら知らない人がいそうな勢いです。

私も、人のことは言えず、九州に来る前は、新貝勲?誰?って感じでしたし、今でも、長友敬一?誰?って感じですが、さすがに、現代クライマーは知っています。

小山田大(鹿児島)も、知っていましたし、今を時めく、門田ギハード(大分)も岩根アイスで面識がありました。私のアルパインアイスのバックグランドで、経歴3年であれば、それくらい知っていれば、合格ラインと思います。

来てすぐ、九州岳人の本を数冊、読んで(当然のマナーでしょう)、米澤さんのことは会う前から尊敬していました。ので、お会いした時は感激でした。読んでいない相方は、道迷い老人だと思ったそうです。

日本の登山文化は、落ちぶれうる最低限のところまで、落ちぶれてしまっています。どこまで堕ちれるか?みたいなボトムヒット挑戦中になっています…。なんせ、トンデモビレイ横行、くらいなら、海外でも見受けられますが、もう、動くものに道標付けて「これで良し」なんて言って威張っているレベルですよ… 正当派山や最後の良心の砦、沢やが…です(汗)。最後の聖域、沢ですら、そんな落ちぶれようなのです…。

これは、日本国大衆の大幅なレベル低下で、ゆゆしきことです。

これを聞いて、やばい!という危機感がスイッチオンにならない人が信じられないレべル感です。

本州に出てしまっている、きちんとした山が分かる山屋が、それぞれ、出身地の地元の山岳団体に、アドバイスを与えれば、すぐにも解消できるようなことです。(福岡は井上D助さんがいますよね)しかも、お金もかからず。

ちなみに私の強みは、本物が分かること、です。大学山岳部でもなく、30代後半と体力のピークはとっくに終わったのちにスタートした登山歴トータル10年で、王道を理解できているのは、私の独学の強みが生かされた結果です。

■ 山岳団体の上の人が参考にすべき 雑誌

1)文登研 登山研修 https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/tabid/215/Default.aspx

2)ヒマラヤ → 高所登山 日本ヒマラヤ協会

E-mail haj@kde.biglobe.ne.jp

3)Climbers  → 入手先不明

ロクスノは、どうも、偏った取り上げ方になっており、あまり読むべきところがないかもしれません。執筆しているメンツも40年同じ、みたいなことになっています。

■ そもそも、現代の若者は、雑誌というか、文字自体を読みません

言うまでもないことですが、日本山岳会とかの会報を見ても意味がないです。おじいさんたちが昔話を語る会になっているだけです。余談ですが、九州では、地域の町内会は、80代が権力のトップに立っており、その地で生まれ育った65歳でも、”まだ下っ端”だそうです。

同じことがクライミング界にも起こっており、80歳が、20代、30代の若者が主体のボルダラーに、クライミングの喜びを語れるでしょうか?無理ですよね!

とっとと50代、40代の実績がある、若者が憧れることができるクライマー、生き方を含めて価値を語れるクライマー、に権限移譲すべきなのです。(例:山野井泰史、山岸尚将、横山ジャンボ、小山田大、佐藤祐介、天野和明)

実績というのは、世界的な登攀ができるというのは基本的要件で、それだけではなく、視野の広さに基づき、現代の膠着状況に、解決案をもたらせる、という意味です。語れる、というのは、登攀グレードでは解決できません。知性と十分な社会人経験が必要です。

世界で登っていると当然ですが、国内で登っているだけでは見えない視野の広がりがあります。九州内だけでなく、他所も知っている、というのも視野の広さにつながります。

視野が狭い=視点が低く、第三の解、が出せないというので、突破できる案は発案できないです。

■ 提案2

Youtubeチャンネルで、トップクライマーが自らクライミングトークを録画して、月間1000円程度の有料コミュニティを運営して配布する、というのを日本のクライマーは誰もやっていません。

アメリカでは、アレックス・オノルド君やトニー・コードウェルが、クライミング教育チャンネルをすでにやっています。イギリスのヘイゼルもやっています。日本のトップクライマーも、安定した収入源を得る手段としてYoutubeは良い方法です。

トップクライマーと自認する人は、○○を開拓しましたと、お金には一円もならない結果報告だけの日記を上げるのではなく、自主財源作り(サブスクコミュニティ)に取り組んでみてください。

そういう話が私が協力したい方面であり、スポーツクライミングのコーチになりたいと思ったことは一度もありません。   (アルパインのクライマーなんだから当然ですよねぇ)

それこそ、現代的なクライマーの自己実現の道であると思います。 

(なら、お前がやればという声が聞こえてきそうですが、5.10止まりの人のクライミング指南を聞きたい人がいると思いますか? 私は何度も言いますが、海外でも一般クライマーと同等に登れますが、いわゆるアイドル=世界的クライマーではないですし、なりたいと思ったことは一回もありません。すごい人がどのような人なのかという日本人の発想の乏しさが問題です。別に私がスゴイという意味ではありません。)

台湾ですら、AMEGA有資格者から指導が受けられます。日本はどうでしょうか?



2023/01/24

私のクライミングスタイル 8原則 My 8 Limbs of climbing

■ 原則1 オンサイト重視&ヨーヨースタイル  Onsight or Yoyo

私は、たとえケミカルに打ち換えられたスポートルートでも、安易に墜落してハングドッグするのは、ちょっとなーと思います。

安易な墜落をする人の言い分は、力をセーブしたい、という理由が多いです。

私は、オンサイトがダメなら、一度も落ちずに粘って、一旦クライムダウンして、ノーテンションでレッドポイントする。が、私の2番目に気に入っている登り方です。

 落ちる時って、落ちようと思って落ちている訳じゃありません。やむを得ず、落ちてる。

そこをあえて落ちて、ハングドッグで解決しよう、というので落ちるのは、安易に感じて、私の生き方と合いません。外道のような気がします。

大体、そもそも、ハングドッグで解決できた試しがありませんし(笑)。

ま、どうせ、ラッペルで作っているルートは、開拓者すら、オンサイトしていません。なのでこれは、開拓者に対するリスペクトがどうこうという話ではなく、自分がすぐロープにぶら下がるというやり方が嫌いなのです。

アイスだってトップロープ祭りですが、トップロープクリーン(ノーテンション)でしか登ったことがありません。

また5.10cのジャーマンスープレックスをTR→RPという手順で登り、そのあかつきに、

ガマスラブオンサイトをゲット、

というような、ある程度背伸びしたグレードでRPを稼いで、2グレード下に本気トライというのが安全な成長だと思います。つまり、5.12Aをオンサイトしたいときは、12cdをRP中ということになりますが、この幅は上達すると違うスケールなのかもしれません。

 ■ 原則2 ホームグランドを持つ  Have home ground

ホームグランドの山を持て、と習いました。つまり、あっちにいったりこっちに言ったり、色々な岩場を味見する前に、ホームグランドの山で技術を確立しろ、ということです。

ホームグランドの山では、何度も通うのが大事です。

フリークライミングの場合は、ホームグランドは、ジム、ということになると思います。

また5.10cのジャーマンスープレックスをTR→RPという手順で登り、そのあかつきに、

ガマスラブオンサイトをゲット、

というような登り方で、ジャーマンスープレックスはホーム課題ということになると思います。 

アイスでは私のホームは湯川でした。

■ 原則3 丁寧に登る God lives in details

簡単なグレードのところで学ぶべきことを学ばず、ロープワークがいい加減なまま、そのグレードを登る人が、当然、備えているだろうと思われる能力を備えないで、高度なルートに行くと、何かちょっとした掛け違いが起こった時に、

 死

という結末を迎えるリスクを単純に上げ続けているだけの活動になってしまいます。

その人はそれが山をやるということだ、と思っていて、そのような生き方が”かっこいい”と思っているので、改めることはありません。 

世俗的な言葉で言えば、ちゃっかり、ということです。真の実力はないにも関わらず、評判や名声だけは得たい、ということで、きちんとした努力をしていないのに、結果を求める心です。その人の世界観なので、山をする、しないに関わらないのかもしれません。

現代のクライミングは、一度もちゃんとしたクライマーになっていないと一般の人は実力が測りえない状況なので、ただクライマーってだけでスゴイ!と言われるという誤解があり、そこにちゃっかりが通用してしまう現状があり、それに便乗を許しているクライマーも存在する、という社会背景が、さらに同種の人を惹きつけ、簡単に得れた名誉に執着させます。(例:栗城さん、南谷さん)

そういうことが起こってしまうのは、山をするということが分かっていないためで、分かれば、そういうことはしなくなるものだ、と思っていたので、長い時間かけて、相手に教えようとし過ぎてしまいました…。あまり賢くなかった、死んだ弟を投影していたためです。

私個人は、実力で得たのではない栄誉をもらうことには、興味はありません。

今までそのような栄誉をもらったこともありません。

すべてコツコツとした努力が土台にあったと思います。運は、チャンスが来る前に努力によって準備ができている人にとって、チャンスとなるだけです。

努力が無ければ、運が来てもチャンスと見なして掴むことはできません。

■ 原則4 ロープドラッグした場合、完登と見なさない Rope drag is NOT a success

ショートでは、ロープドラッグした登りでも、ほとんどのクライマーは、オンサイトやレッドポイントと見なしています。 

しかし、これでは、山でロープを使うとあっという間に登れなくなります。20mしかないショートだから、なんとかなっただけです。ロープがスタックすれば、ビレイもきちんとされていません。=危険ということです。

 したがって、これを完登と見なす習慣は、山では通用しません(次の写真)。

下のアイスは、私がリードした結果ですが、どこにもロープドラッグはないです。このような登りを習得することが私がしたいクライミングです。丁寧に登れた時、深い充足というか、満足感を感じます。

完璧主義として非難する人もいますが、ただ登れただけで、ボルト一つに二人がぶら下がったとか、ロープアップできなかったのでセカンドには自己確保で登ってきてもらった、とか、私の中では全く成功とは感じられません。

そのため、セカンドに回収してもらうより、自分で回収したほうがいいと思っています。 

■ 原則5 クライミングカーストに屈せず、クライミングの多様な価値を推進する I don't worship climbing caste

これは、海外のクライマーのパートナー募集ですが、この人は若い男性のようですが、5cー6Bを登って何ら恥じることはしていません。

現代では、世界中で、子供、女性を含むクライマーが登っています。

誰もが同じ道を通るので、別に5.10代やナインを登って恥ずかしいことはありません。

クライミングカーストを押し付ける人には屈しません。

なんせ、登れる方がエライってカースト、クライミングの価値を貶めていますから。

指導者ですら、クライミングカーストにやられていることがあります。それは、ジュニアを育成するときに、相手にもっともっととけしかける暗示が、自分にも入ってしまったということでしょう。

5.14をビレイしている人が、「私はもう登れなくて、せいぜい8です」と謙遜しておっしゃります。

しかし、僭越ながら申し上げれば、グレードを上げることだけ教えるなら、馬鹿でも教えられます。指導者の真の価値は、クライミングの多様な価値を、子供たちに伝えてやること。クライミングの価値をできるだけ多く伝えることができる能力が指導者としての価値のものんさしであり、コーチ、指導者、ベテランの役目であり、登れさえすればオッケーというような教え方をした場合、なれの果ては、

  自己肯定感の低い大人クライマー

ということになります。超高難度を登るクライマーで、高難度以外の目標が見いだせない、そのような人はごろごろいます。

人間は誰でも、25歳ごろに肉体的な成長のピークを迎え、登攀の能力もそこから下がります。

2段を登る先輩が、「あの頃の俺はすごかった」と言っていました。30代の人です。したがって、大事なことはグレードに囚われず、クライミングに対して多様な価値を見出しつつ、良いインパクトを自分の人生に得て登る能力のほうです。

■ 原則6 仲間と助け合う…ギブ  Take care of each other

私が提供できる価値は、オールラウンドにクライミングを理解していることです。山のリスクも理解でき、トラッドも登れ、アイスクライミングも登れて、海外にも行けるクライマーは多くはありません。私はアイスクライマーです。

また、私が価値として持っているものは、その日の良きクライミングを組み立てる、ツアーコンダクト能力です。このままいけば、ヘッデン下山になるな…とか、すぐ感知できます。

迷ったときに道を見出す力である、読図も強みです。

ステップアップしつつ登るには、無理のないステップアップの課題を見出す力が、必須の能力ですが、これが失われたために、現代のクライマーは、ジムで選ぶのと同じようにグレードだけで選ぶしかなくなります。

■ 原則7 適切な適応行動をとる Take a proper educated action

開拓者によっては、中間支点の配置が下手くそで、2ピン目がランナウトしている場合もあります。ランナウトしていれば、ボルトが強固でもグランドフォールします。

ちなみにそのような配置をする開拓者は、地元では名前が割れています。九州では、新原さんのルートは危険と知られています。そのように、あらかじめ名前を聞いておき、その人の課題は避ける、というのが、適切な適応行動です。

ボルトが40年経過しているときに、バンバン落ちるクライミングを行うことは、不適切な行動です。正しい適応行動は、テンションで登る、落ちないで登る、です。

私は正しい適応行動をとる知性の高いクライミングを目指しています。

■ 原則8 合意形成を重要視する respect mutual respect

自分さえよければよい、という損得勘定でつながった関係で登りたいとは思いません。

双方が満足するクライミングライフを築いていきます。

クライマーと岩場のある地域自治体との関係も同じです。

仲間の安全は、自分の安全と同じように目を見張っているべきです。そうでなくては、クライマー失格というより、そもそも、人間失格、です。

過去、クライマー業界は社会不適応の人間失格者の集まりのようなところがありました。時代は変わりました。そのような人の掃き溜めにならない、クライミング教育の確立こそ、時代の要請、です。 教育がわざと社会不適応者を作り出すような行動は改めるべきと思います。

日本の岩場の問題点

■ 自分さえよければ、人はどうでもいい

自分さえよければ相手はどうでもいいという自己中心性を 

 ”クライミングは自己責任” という標語の、いわゆる都合の良い解釈

ってのが、クライミング業界では当然であると受け入れられていますが、それは、

 悪の正当化

です。

クライミング界の自己責任は意味が違います。クライミング界においては、開拓者の無責任=自己責任と置き換えて、大体、意味が適合しています。

■ 開拓者の免責がクライミング界の自己責任

開拓者が設置したボルトの安全性には責任を問われない、

という暗黙のルールが、クライミング界の

 自己責任

です。というのは、開拓者に責任を問うと開拓する人がいなくなり、岩場は開拓されないままになるからです。

 また年十年も外岩に鎮座し続けるボルトが腐食するのは避けられず、そんな先の不確定要素まで、責任が持ちづらい、というのが現状ということもあります。

しかし、日本の岩場の問題は、

 1)ボルトが何年経年しているのか?情報が開示されていない 

 2)岩場を管理する人が明示的でなく、誰もが責任を避け合っているので、責任の所在が分からないように、あるような、ないような具合にされており、危険なルートが危険であると誰にでも分かるように明示的に指示されていない

 3)そのため、過去の経緯を知らない、その土地で新しいクライマーは、40年経過した、異種金属のカットアンカー(新品でも必要な強度がないもの)を使って登らざるを得ない。そのボルトの朽ち具合は、外目から判断することができない

 4)現在は昔とは違うクライミングスタイルで事故を誘発しやすい

 (昔=アルパインクライミングのスタイルをフリークライミングに適用=全然落ちないで登る、

  今=スポートクライミングのスタイルをフリークライミングに適用=すぐ落ちつつ登る)

です。 

https://iwatosawa.com/climbing-anchor/

  クライミングは自己責任 は、ボルトの安全性についてのみ言えることである。

拡大解釈して、自分さえよければ人のことはどうでもいい、という人はパートナーとして不適です。山は助け合い、という標語を知りましょう。

■ 九州では、カットアンカーを使い続ける悪習慣が継続中

九州に来て驚いたことは、古いボルトを撤去して、新しいボルトに置き換えるときに、クライミング経験が3年程度しかないワタシでも、普通はまず

 FIXE社

と検索し、強度的には満たされたボルトの中から、どう型番を選ぶか?という思考回路になりますが、そうはならず、いまだに強度不足が明らかであるカットアンカーを使い続けようとすることです。

いやビックリした。こちらにあるボルト解説は細かいのでご参考に。

https://iwatosawa.com/climbing-anchor/

■ 目上の人は、情報弱者です  … 情弱の指導者という問題

 目上の人を敬うというのは、目上の人が間違ったことをしているときに指摘しない、ということではありません。 

九州では、指導する側の情報弱者度合いが強く、スポーツクライミング(人工壁の指導)をそのまま外岩に横スライドしただけの指導が平然と行われています。

人工壁は、どこで落ちても可能なような作りに作られていますが、外の岩場では違います。

外の岩場では、3ピン取るまでは死んでも落ちるな、が正しい指導であり、落ちる時も、衝撃荷重2の墜落は避け、1の墜落およびテンション、にとどめるべき、というのがクライミングのメッカである長野の標準指導です。 

マルチピッチに行く場合は、セカンドでも、確実なビレイ、懸垂下降、自己確保による登攀はマスターしてから行くものです。九州では全くスキルゼロの初心者をマルチの岩場に連れて行っています。ローワーダウンすらできない人を見ました。

■ ボルトはクライマーの命を守る最後の砦

ボルトは、クライマーの命を守る最後の砦です。

25kN以上の強度があるものを使い、適切な施工を行うことができる確実な人材に施工を頼んだうえ、命を守るように適切に配置されるべきです。

認知症があるような人はこの作業には当然ですが、向かないです。

■ 意図的に行ったランナウトはただの無駄

岩そのものによる要求ではなく、意図的に行ったランナウトで、落ちた時、命を守ることができないボルトの配置であれば、ただ岩を傷つけているだけです。そこにボルトがある意味がまったくありません。

     普通、終了点は、このように上下にオフセットしているのが現代の終了点です

このように横に並んでいる終了点の開拓者は全くの情報弱者であることがうかがえます。この事例では、チェーンとリングの配置にも無知がうかがえます。

 

    これはカットアンカーです。全くを持って、現代の開拓には適していません。


2023/01/23

クライミングパートナーは必要か?=不要なパートナーシップを解消して前進すべき

■ 友達って必要ですか?【精神科医・樺沢紫苑】

 

■ 一人でいるより、より安全になるか?

クライミングでは、基本的に 二人一組で登ります。

クライミングパートナーの 善悪、の判断は、スバリ

 一人で登っているときより、より安全性が向上ているか?

です。

例: けがをしたのに家に帰してもらえない → 一人でいるより安全性が低下している

   自分の課題を登らせてもらえない → 一人でいるより、相手のビレイに時間を食うだけ、リソースが自分に回らなくなっている

   自分のロープを課さないと相手は登れない → 上に同じ

   相手は運転できない → 上に同じ

   相手のクライミングスタイルを無理強いされる → より危険になる

   リードを無理強いされる → より危険になる

とこのような場合は、パートナーシップ解消、が 自分にとってプラスの選択肢です。

■ トップロープソロをしましょう

なにしろ、トップロープソロで、ハングドッグと同じ状態になります。自分でロープにぶらさがり、自己確保ができる能力(ギア)があれば、それで外岩でのムーブ解決は解消できてしまいます。 

■ 有効なパートナーシップ

自分一人でいるよりも、安全性が向上する。

例: ビレイヤーが、カムスタックしているよと教えてくれる

   自分のロープを濡らしてしまい登れなくなったときに、貸してくれフォローしてくれる

   そこは長ヌンではないかと指摘してくれる

   運転を変わってくれる 

   困ったときに助けてくれる

   クライミングのポリシーを互いに尊重し合える

   互いに向上しあえる

■ 弟子入りは二人一組が定番です

ベテランやクライミングガイドについてクライミングを覚える段階の時は、通常二人一組で弟子入りするのが良いです。

教えてもらったことを実践する仲間が必要だからです。 

■ 以上のようなことを総合すると、現代の教え方は

1)グリグリのビレイから教える

2)懸垂下降をきちんと教える

3)トップロープソロのセットに慣れさせ、一人で自己完結してトップロープ(ハングドッグでのムーブ解決)が可能な状態にする

4)トップロープソロが可能な岩場で、外岩のあれやこれやに慣れさせる(気候、日照、水分、外トイレ)

4)パートナーは、適したクライミングスタイルのもの同士のみを組ませる

5)適した相手が見つかった場合のみ、リードに進ませる (信頼関係の構築)

というステップでの指導が適していると思います。

■ 困ったときにいなくなるヤツ

= 自己中クライマーです。そんな人はさっさと去りましょう。

どのような人間関係でも、

   困ったときに助け合えるのが真の友情

 です。山でピンチ、岩場でピンチの時に、どんな人と一緒にいたいですか?

 

明晰夢 解析 と 私の個性

■ 明晰夢

私は体質的に高メチレーション。エネルギーであるATPを作る回路が高速回転タイプ、なのですが、そういう人は幼いころから、明晰夢を見るようです。明晰夢を見て、覚えているくらいなので、そこが神秘思考への入り口となっています。

最近、明晰夢を見るという本を読んでみたら、意図して明晰夢を見れるようになりました。なんだか、簡単でした。寝る前に瞑想すればいいだけ、です。

しかし、明晰夢は、夢のお告げ、ではなく、記憶の整理、とか、感情の再体験のようです。

昨日の夢は

ーーーーーーーーーーーーーー

  • 夕食にレストラン街をほっつき歩く・・・いい店がない →(山梨でヒマになりクライミングすることになる)
  • 男性の友達と一緒に食べに行くことになる → (クライマー仲間)
  • その子と出かけるがなぜかレストランへ行くのに断崖絶壁を通らねばならず、私はクライムダウンをあきらめる → (私には危険すぎ)
  • 先行したその子がエスカレーターに乗っているのが見える → (よかったね~という気分)
  • 後続で女性のハイキンググループ一団が来るが、危なくてとても降りれないことをアドバイス → (女性クライマー同士の連帯)
  • するとみんな行くのを辞める → (そうよね)
  • ところが、私は紙バッグをその断崖絶壁へ置き忘れて来てしまう → (夫)
  • 取りに帰る → (夫のメンタルケア)
  • 別の男性が降りてくるところで、リヤカーを急な段差で降ろそうとしている →(頼れる男性クライマー仲間?)
  • 私は身軽なので、その段差を登っていく、紙バッグ見なかったか?聞く → (助けてもらう)
  • 顔を見たら、なんと小学生のころの友達で水泳が超下手くそだったのに上達した子と自衛隊のクライマーを足して二で割ったような顔の子 →(自分と違う成長の軌跡を描く人たちで、その成長に信頼する)
  • 助けてくれてありがとう的に去る → (和解)
  • 紙バッグを置き忘れた場所はすぐ近くだったのに、なぜか遠ーくになっている → (夫)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

という夢でした。(は解釈です)

■ 私の世界観に近いクライマー

私はほとんどガイド登山は興味がなく、大体ガイドさんは、

パートナーが見つからないときに、行く場

みたいな感じなのですが・・・つい先日、ちょっと見たら、このようなガイド活動だったら是非したい!と思うようなガイドさんがいらっしゃいました。

https://www.candcjp.com/

スペインのクライマーズハウス

https://solanagranada.com/accommodation/

このような和洋折衷なライフスタイルが、現在私が送っているライフスタイルと、最も近いライフスタイルです。

これは、私の母が団塊の世代で、現在70代くらいですが、その世代の人にしては、ハイカラで、チェゲバラやらビートルズやらで育ったこと、和食を食べ続ける伝統ではなく、百科事典が家にあるとか、ハイテク機器が家にある、という世界観で育ったためです。(貧乏家庭なのに14歳でワープロを触って学級新聞をガリ版からワープロに変更し、プログラミング言語を習得しています) 

つまり、 和 より 洋

     伝統 より 革新

     保守主義 より 理想主義

      Jポップ より 洋曲

という世界観で育ちました。実際、炊飯器は無くても、パン焼き機があり、こたつがなくても、食器洗い機があります。

例えば、パチンコ店やブックオフで流れているようなBGMは、私は下品だと感じて耐えれず、BGMは、長年コロラドパブリックラジオ(CPR)です。別に演歌を聞きたい人がいても、その人を否定する気にはなりませんが、よそで聞いてって感じです。耐えられない。

山小屋バイトでは、それで非常に苦労しました。 他にも北岳登った時に、高齢者の団体登山がラジオで大音量で、演歌を流しており、いやひどい目に遭いました。

なので、私は保守派の男性クライマーはとても相性が良くありません。生活自体が、すでに西洋化している上、海外の習慣の取り込みも一般日本人より多いからです。例えば、ナイフをパンにバター塗るときに使うので、ナイフは出番が多いですが、箸は個別ではなくて、家族みんな同じやつです。お茶碗もお父さんの、お母さんのと日本では分かれていますが、我が家では、全員同じお皿です。そのほうが食器洗いの家事の都合上便利だからです。

なので、伝統的な家父長制を快適と感じる男性は、私と一緒にいると、自分の箸と茶碗がないだけで大事にされていないと感じるでしょうが、アメリカ人男性なら、夢にもそんなことを思わないでしょう。

例えば、運転なども、私は、福岡から長野まで運転可能で、一人でも全く平気ですが(なんせ、自分のペースで休息できる)、日本人男性といるときは、相手に合わせて運転させてやっています。なんせ男が運転すべき、という気持ちが日本人男性はとても強いです。(しかも、危険運転を上手な運転と思っていたりもしますし、俺が俺がと言っているのに、任せたら任せたで、なんで俺がと被害者妄想がある)

なんとなく愚痴っぽくなってきそうな気配になってきたのでここらで辞めますが、マイルドな帰国子女と考えてもらったらいいかもです。

昨日、カフェで、豪華客船でバイトしていた男の子(35歳)と話をしてきましたが、私の時代感覚は、彼と同じくらいで、同年代の女性一般と比べても、西洋化が著しく、あんまり文化的に会わないです。

海外出張に出ているときは、一人で夕食を食べたことはありません。その辺にいる同じ境遇の人・・・大抵が西洋人男性に声をかけて、夕食、食べています。そうすると大体面白い話が聞けて、見聞が広がるから、というだけです。

というので、自分らしく生きれる場所、というのは、洋7:和3くらいな環境で、その環境を得るのに日本では苦戦しています。