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2023/06/06

【クライミング界の実情】親ガチャ(日本の岩場)外れている日本の若手クライマーたち

■ 親ガチャ外れている日本の岩場

日本の岩場って、親ガチャ、外れました… の親みたいなことになっています。そもそも、欠陥がある人なのに、その人が親だから、子供の側は、親のすべてを受け入れるしかなく、結局、有能になって親の欠陥を補うような人になってしまう…というような状況なんだよなぁ・・・

例えば、落ちれば死ぬランナウトをミニマムボルト、と言って、譲らなかったりする。

そこで落ちれば、地面まで落ちてしまう場合、それは、ミニマムボルトとは言わない。ただの役に立っていないボルト、と言う。

しかし、性的被害者の世界では、とっくの昔に破棄されている被害者有害論(チカンされるお前が悪い)が、クライミングの世界では、自己責任論として、いまだに世間を闊歩しており、落ちるお前が悪い、ってことになっている。

は? フリークライミングって、落ちること前提のクライミングなんですけど…?? 

教科書的には、落ちていいのがフリー。なのに、日本の岩場では、落ちれば死ぬことがあり、警告の定例であるRがついていない。

ので、子供の側つまり、クライマー側が過剰適応して、結局、日本の若いクライマーは、Rつきを、あたかもそうでないかのように、ばんばん登れる、世界でもまれにみる有能者になってしまっている…例えば、倉上さんとか、中島さんとか。

倉上さんレベル、中島さんレベルを趣味の一般市民クライマーに要求すれば?

そりゃ、死者がボロボロでるわなぁ…

日本では普通なのに、海外に出れば、だれでも超有能者であるという現実と似ている。私も20歳でカリフォルニアで一人暮らしを経験したが、自分の名前と住所が書けるだけで、超有能者扱いであった(笑)。日本ではかたずけられない人、も、アメリカでは、とってもオーガナイズドな人。

あ、そうか、分かった。私にとってのクライミングは、私は

 過剰適応を拒否した、という輝かしいインチャ卒業の事例か… 

また過剰適応させられそうになって、それを嫌がり、拒否したことは、正常なメンタルを証明することになるよなぁ・・・。

欠陥だらけの日本の岩場なのです。欠陥だらけの親。

それでも、日本のクライマーはそこで登り続けるしかない…。親を捨てる頃合い…自分がクライマーとして自立できそう…な頃合いになったら、自立(海外へ行く)しましょう。

そうでないと、過剰適応をさせられてしまうことになります。


2023/01/24

日本の岩場の問題点

■ 自分さえよければ、人はどうでもいい

自分さえよければ相手はどうでもいいという自己中心性を 

 ”クライミングは自己責任” という標語の、いわゆる都合の良い解釈

ってのが、クライミング業界では当然であると受け入れられていますが、それは、

 悪の正当化

です。

クライミング界の自己責任は意味が違います。クライミング界においては、開拓者の無責任=自己責任と置き換えて、大体、意味が適合しています。

■ 開拓者の免責がクライミング界の自己責任

開拓者が設置したボルトの安全性には責任を問われない、

という暗黙のルールが、クライミング界の

 自己責任

です。というのは、開拓者に責任を問うと開拓する人がいなくなり、岩場は開拓されないままになるからです。

 また年十年も外岩に鎮座し続けるボルトが腐食するのは避けられず、そんな先の不確定要素まで、責任が持ちづらい、というのが現状ということもあります。

しかし、日本の岩場の問題は、

 1)ボルトが何年経年しているのか?情報が開示されていない 

 2)岩場を管理する人が明示的でなく、誰もが責任を避け合っているので、責任の所在が分からないように、あるような、ないような具合にされており、危険なルートが危険であると誰にでも分かるように明示的に指示されていない

 3)そのため、過去の経緯を知らない、その土地で新しいクライマーは、40年経過した、異種金属のカットアンカー(新品でも必要な強度がないもの)を使って登らざるを得ない。そのボルトの朽ち具合は、外目から判断することができない

 4)現在は昔とは違うクライミングスタイルで事故を誘発しやすい

 (昔=アルパインクライミングのスタイルをフリークライミングに適用=全然落ちないで登る、

  今=スポートクライミングのスタイルをフリークライミングに適用=すぐ落ちつつ登る)

です。 

https://iwatosawa.com/climbing-anchor/

  クライミングは自己責任 は、ボルトの安全性についてのみ言えることである。

拡大解釈して、自分さえよければ人のことはどうでもいい、という人はパートナーとして不適です。山は助け合い、という標語を知りましょう。

■ 九州では、カットアンカーを使い続ける悪習慣が継続中

九州に来て驚いたことは、古いボルトを撤去して、新しいボルトに置き換えるときに、クライミング経験が3年程度しかないワタシでも、普通はまず

 FIXE社

と検索し、強度的には満たされたボルトの中から、どう型番を選ぶか?という思考回路になりますが、そうはならず、いまだに強度不足が明らかであるカットアンカーを使い続けようとすることです。

いやビックリした。こちらにあるボルト解説は細かいのでご参考に。

https://iwatosawa.com/climbing-anchor/

■ 目上の人は、情報弱者です  … 情弱の指導者という問題

 目上の人を敬うというのは、目上の人が間違ったことをしているときに指摘しない、ということではありません。 

九州では、指導する側の情報弱者度合いが強く、スポーツクライミング(人工壁の指導)をそのまま外岩に横スライドしただけの指導が平然と行われています。

人工壁は、どこで落ちても可能なような作りに作られていますが、外の岩場では違います。

外の岩場では、3ピン取るまでは死んでも落ちるな、が正しい指導であり、落ちる時も、衝撃荷重2の墜落は避け、1の墜落およびテンション、にとどめるべき、というのがクライミングのメッカである長野の標準指導です。 

マルチピッチに行く場合は、セカンドでも、確実なビレイ、懸垂下降、自己確保による登攀はマスターしてから行くものです。九州では全くスキルゼロの初心者をマルチの岩場に連れて行っています。ローワーダウンすらできない人を見ました。

■ ボルトはクライマーの命を守る最後の砦

ボルトは、クライマーの命を守る最後の砦です。

25kN以上の強度があるものを使い、適切な施工を行うことができる確実な人材に施工を頼んだうえ、命を守るように適切に配置されるべきです。

認知症があるような人はこの作業には当然ですが、向かないです。

■ 意図的に行ったランナウトはただの無駄

岩そのものによる要求ではなく、意図的に行ったランナウトで、落ちた時、命を守ることができないボルトの配置であれば、ただ岩を傷つけているだけです。そこにボルトがある意味がまったくありません。

     普通、終了点は、このように上下にオフセットしているのが現代の終了点です

このように横に並んでいる終了点の開拓者は全くの情報弱者であることがうかがえます。この事例では、チェーンとリングの配置にも無知がうかがえます。

 

    これはカットアンカーです。全くを持って、現代の開拓には適していません。