闘病ブログとクライマーブログは似ていますよね…
更新が突然止まる=死亡
いくつ知ってるかなぁ…そういうの。吉田さんもそうだし。杉野さんもそうでしたよね。
面識のないアイスクライミングの山やさんもそうでしたね…
ブログ=安否確認、みたいな部分はありますね。
闘病ブログとクライマーブログは似ていますよね…
更新が突然止まる=死亡
いくつ知ってるかなぁ…そういうの。吉田さんもそうだし。杉野さんもそうでしたよね。
面識のないアイスクライミングの山やさんもそうでしたね…
ブログ=安否確認、みたいな部分はありますね。
■ 反省をしないという悪習慣
山やは、山に行った後、山行報告書を書かされるのが、山岳会の習わしなんですが…。
昨今それをしない山岳会が多い。
白亜スラブでロープが上がらなかった先輩もブログも書かず、山行報告書の義務付けがない会の出身で、行ったら行きっぱなし…つまり、一つの失敗が次の成功へつながっていない人でした…。今思うと、だから、10年以上のキャリアがあっても、ロープが上がらないとか、終了点を見落として、1点に二人がぶら下がる羽目になるとか、そういう失敗したクライミングを成功体験にして自己肯定感が上がりまくってしまうのだろうと。
つまり、
マイナス × プラス = マイナス
です。
マイナスの経験 × ポジティブ思考 = 次も失敗
です。
ま、正直に言うと、反省するのがめんどくさい、が本音だと思います。
リード”してやっている” のに、”そんなにごちゃごちゃ言われるのなら、お前とは行かない” というのが正直な気持ちだろうと思いますが…
リード”してやっている” も間違いだし… ”ごちゃごちゃ言われる”のは、命を預かる責任上当然で、嫌なら一生セカンドやって、って意味だし… ”お前とはいかない”も、こんな人と行きたい人いるの?みたいなことになるわなー
普通の感性のクライマーから見ると…。普通はスイマセンと謝っている姿、反省している姿で、普通…。
でも、そうならないで、すごく自己肯定感が上がるというのは、そして、もし、これが若い男性クライマーたちが山を楽しむ理由ならば… まぁ、事故は減らんでしょうなぁ。
だって、反省するどころか、むしろ、このような意味合いでの
ギリギリ
のほうが楽しいって意味でしょう…(汗)。
■ ギリギリボーイズ の ギリギリ
ギリギリボーイズという言葉が、一昔前には、アルパインの強い人たちの代名詞みたいな感じでしたが…今では立派な地位に就かれていると思いますが…
言葉のギリギリの内容をしっかり世間に伝え損ねていたのかなぁ…
世界に認められたギリギリ…Girigiri…
全く違う意味で日本に定着、ってなっていないかね?
それは、元をただせば、山行報告書を書かない習慣から…
■ マイナス要因は集客上書けない
しかも、昨今は、山行報告書はブログ上。となると、仲間以外の不特定多数も見る。
つまり、入会候補者も見る。と、マイナスなこと、ヒヤリハットなこと、とか書けないです。
入会候補者来なくなりますから(笑)。
危ない会と思ったら、誰も入らない。
でも、会で危ないのは、約1名とか、だったりします…特定の人がアブナイことが多く、みんなでその特定の人を阻止したり、守ったりしていることが多いです。
大抵はそのような人は、みんなのサポートなんか要らん!と思っていることが多いのですが、そう思っているのは見えていない本人だけで…ものすごく助けられていることにあまり気が付ける人間的器がない場合が多いのです。
ので、会のブログを見ても、アブナイ会か危なくない会かはわからない。
行ってみて、生を体験してみないと分からないです。
講習会が頻繁でない会は、スキルレベルがバラバラで、リスク感性不在の人が大きな顔をしている場合も多いような気がします。
大事なことは、
ヒヤリハットから よく反省して、次の山につなげる、
ということです。これが、マイナス × マイナス = プラス ということの中身です。
食べれなくなったとき帰れる田舎を作る…という活動の要諦
■ 自転車で沢
っていうのに参加してきました。
一番最初のロードの登りが、体力下がっていて、きつかった…。やっぱり、3年もきちんとした運動をしていないと、ホント、体力下がりますね…。ここ3年、インドア派に舞い戻っているからなぁ…。でも、仲間が良くて、とても楽しめた。
マウンテンバイク2度目でいきなり、沢に行くか?!っていう気がしないでもないですが、練習するにも、乗って良い場所が分からないのが初心者。
今回は、沢のコンディションも良く、こけたのも、3回くらいで済み、マウンテンバイクのタイヤも良くグリップして楽しかったです。
■ めちゃ好みでギア入りました!
沢の凸凹にタイヤが引っかからないように用心しながら、どんどんスピードを上げていくのですが…
1)マウンテンバイクの乗り方自体が、まだコツがつかめていない 例:タイヤの食い込み、グリップ力、
2) どんだけ体力がいるのか?自信がない… 病み上がりなのに今また怪我するの嫌だなぁ。
の2点の理由により、恐る恐る。
注意力が必要でありながら、スピードの方も上げていく、スレスレ感、とでもいうのでしょうか。自己効力感とでもいうのでしょうか…。その辺りのバランスをとる感じが、
そうそう、私が求めていたのはこれ!って感じ。
沢登りでも、忍者歩きに習熟して、楽勝化していくと、にんにん…と言いながら、段々早回しになっていきますよね。その結果、すごく早い!みたいな?
そういうのが好みです。
■RP型クライミング
なんせ、RP型のクライミングって、ぱっぱとこなす、というのがないんですよね。ずっとじわじわしている。ので、ちっとも集中力って感じではない。
例えるなら、ピラティスみたいなのがRP型クライミング。集中力を途切れさせることはできないにもかかわらず、動きの幅せまーい、ちいさーいみたいな感じ。ほとんど動かない。
MTBは、例えるならヨガのヴィンヤサみたいでした…ずっと動きが連続で途切れることがない。
今回のライドは、集中力も必要なら、スピードも必要、みたいなのが、アルパインクライミングちっくでした。
やっていることも、かなりヤバいので、大げさとも思えるプロテクションをして、参加しました。プロテクションを貸してくれたのですが、これは、クライミングに例えるなら、トップロープみたいなものです。
■ 遡行価値がないという沢に価値がでるかも
平坦すぎて遡行価値がない、とかされる沢も、自転車で行けば、危険度満点で、たのしめるのかもしれないですね。ただ登りはちょいしんどいカモですね。性質上、下るほうが楽しいですが、下りはスピードが出過ぎてしまうので、リスクは増大。
MTBはMTBでそれなりにルートへの審美眼というのが必要ですが、沢やの価値観が、壁、に偏っているのは分かった。登攀的に面白くなかったら価値がない、ということに価値観が偏り過ぎなのは、やはり、記録で競争し合っていた、競争主義社会の遺産、とでもいうものでしょうね。
沢には登攀を求めず、美しいから行く、ということでも良いと思います。ウォーターウォーキングの九州版のトポがあればいいのかも?
■ ルールを課さずに
米澤先生は、岩登りを難しくするのは、簡単だ、とおっしゃっていました。
どんなボロ壁でもハンデをつければ、難しくなり、難易度を上げるには、自分に課すルールを増やせばいいのです。
たとえば、5.9が楽勝だ、というのなら、40kg担いでその5.9を登ってみるとか。このホールを使わない、とか、クライミングシューズではなく登山靴で登ってみるとか、自分でルールを決めて難しくすれば、どんな壁でも永遠に遊べるとジャンボさんも言っていたなぁ。
■ 統制vs開放
マイルールと正反対なのが、ボルダー。ノールール。
ボルダーは、究極にルール不在で、例えば、オンサイトする場合は、”誰かの登りを事前に見てはいけない”というクライマーの常識っぽいことも、結局のところ、無視されて、”ビデオトポ”とか言って、リードから入った人には信じられないような事態に陥っています。(人の登りを見て登っても、オンサイトっていうのかなぁ…)
ボルダーは着地が核心ですが、そのこともあまり語られないですし…MTBって、私から見たらかなり危険行為ですが、その危険行為をしている人たちからは、クライミングはもっと危険だと思われているようで、その根拠は、参加している人の性格、によりそうでした。
こちらに、バイク事故を起こす人のタイプ…が分類されていて興味深いですが…
https://bike-lineage.org/etc/question/traffic_accident_trivia.html
ーーーーーーーー
この2タイプの性格の人が事故を起こしやすい。
両者の共通点はNP値が低いことで要するに
「他人への思いやりが無い人ほど事故を起こす」
という話。
ーーーーー
NPというのは、Nurtured parentの略で、思いやり深い親、という意味です。反対はFCです。FreeChild。
ボルダーは、どんな形でもスタイルは問われず登れたらいい、という訳で、ビデオトポで人の登りを見てしまっても完登。なんとなく完登って言う言葉で、曖昧に、ごまかされているような気がしないでもないですが。
初見、という言葉は、解釈の幅が大きくなっているのかもしれません。
まぁ、今の時世、リードの世界でも、トップロープノーテンで登って、オンサイト!とガッツポーズしている若い人がいるくらいですからね…。
■ アルパインクライマー向きの性格 vs ボルダー向きの性格
「その岩場、俺は簡単すぎて登るところねー!」みたいな、言葉は、基本アルパインのベテランには、愚かな言葉、として響くようです。難しくするのは簡単なのに…みたいな。
しかし、もしかすると、価値観がそもそも違うのかもしれないですね。
前に、アルパインの先輩が、「俺ボルダーが一番すき」と言ってきたとき、まぁ、言葉は悪いのですが、性的快楽の代用なのだろうなぁと思いました。
一気に出し切って、”瞬間で終わり”みたいなのが、男性の射〇ちっくというか…。腕力もオールアウトなので、そのあと、しばらく登れないですし…。
ヨガでは、奔放な性は、禁じられていますが、なぜかというと、創造性のエネルギーが減るとされているからです。性の力は動物=肉体としての再生産力、つまり創造の力、でしょう。肉体を精神に置き換えても、同じ力が創造を生むわけです。
しょっちゅう、自慰行為をするとエネルギーが創造性に転換しないで、ただ不毛に消耗してしまうと言われています。人間が心身共に持っているエネルギーは限りがあるわけですね。ヨガでは、そのエネルギーを賢く使え、と言っているわけです。
ボルダーは一瞬で消耗系… 女性の私は、あんまり楽しめないというか、これの何がいいのかしら?みたいな感じです。
山でも、雪の山=長くて疲れる系、のが好きなわけですから…(笑)。持久系と瞬発系の人では、好みが合わなくても当然ですね。
■ 体力低めにも限界がある。最低ラインには届いていたようです
今回のライドは、実は沢のライドの中では最も基本形で、初心者に優しい体力低めコースでした。とりあえず、落ちた体力でもギリギリセーフで参加できた。正直、もう一息体力がほしいところでした。要・体力回復。
大勢で行くので、体力余って退屈、な男性もたくさんいたと思うのですが…、そこは、リーダーが素晴らしい人で心得ていて、ところどころ、停滞して、脚力自慢の男性たちにチャレンジ課題を提示していました。こんなリーダーが登山の世界でも、昔は普通だったのです。今ではすっかり絶滅危惧種になりましたが。身長180cmの大きな人です。体力ある人がない人を慮る以外、アウトドアで安全ってないですからね。あるほうがないほうに無理させると、ないほうは必ず怪我します。
体力余っている男性たちには、MTB版ボルダーみたいな感じで、小さい坂(支流の涸れ沢)を駆け上がるわけですが…。どんどん傾斜が上がっていて、これクライマーでもクライミングシューズがいいのでないと登れないでしょ、みたいなの。コケコケのスラブです。
45度くらいから一応クライミンググレードというか、足だけで登るには限界みたいになってきますが、登山の流儀では、45度~80度くらいまでは、日本では、5.7(鎖場程度)とおおざっぱに片付けられており、全然細かく分類されていませんが、自転車で登るとなると、
45度と80度の傾斜では大違い
ですね。まぁ、人間の脚でもそうですが。さらに違いが際立ちます。
ちなみに余談ですが、アイスクライミングでは、90度以下は全部、初心者課題です(笑)。45度のアイスなんて、登る人いるの?くらいなレベル感で、誰も登る練習しないですが、それくらいで、滑って、すってんころりんをやってしまい、大怪我する人もいます。アイスではⅡ級が一番怖い。90度を超えるとかぶっているという意味なので、6級ですが、6級は完全に腕力頼みですが、ぶら下がれるほど氷が頑強って意味で、自分が落ちない限りは安全度は逆に高まるともいえるし、気温を見極めないと、氷柱ごとまるごと壊れることもあります。6級は女性はいきなり厳しくなります。6級登れるクライマーでもⅡ級で死んでいます。ちなみに私が楽しいのは5級です。
あ、話がそれてきましたが、今回もマウンテンバイクで一番筋肉痛なのは、胸筋です。
上半身の筋肉は女性は使う機会がなく、全然、鍛えられていないからなぁ…。
長い登りで使った大腿四頭筋のほうは、大丈夫でした…。足腰で踏ん張れる系なら、なんとかなるかもしれません…。
というので、今回は
出来るかできないか分からないことにチャレンジして、出来た!
というので、とても楽しかったのでした。
打ち捨てられた林道も、自転車なら、快適な道だし…。
気に入ったので、また歩きにいくかもしれない。
■ 次回用備忘
http://www.utonosyo.com/facilities.html
大阪、熊野、加古川、福岡の3つの場所では、加古川のお母さんたちが一番大変そうだった。
それは、”お金がないとただ存在することすら許されない”ように生活が仕組まれているからだ、というのが、あるお母さんの言い分だった…
私も分からないでもないんだが…お金を手放してみた結果、ある程度は思い込みだったなぁ…と振り返って思う。
足りないお金を足りるようにする、には、
・収入を増やす
・支出を減らす
の2つがあるが、収入を増やすというのは時間資産も減る。支出を減らす、という方向が今の時代は、時代の気分かもしれない。
■ 都会の人の”困ったら帰れる場所”作り支援施設
ゲストハウス兼シェアハウスみたいな?
・自給自足で、
・いつ行っても誰かがいる場所で
・人手はいつでも歓迎の場所
ってことで当然、田舎。中途半端な、”とかいなか”は、超・監視社会なので生きにくそうで、過疎の田舎がいいと思います。
例えば、長崎大村みたいな経済的に困っていない田舎は、都会への対抗心がすごく強く、”温暖地の長崎だって桃作れるもん!”みたいな農業になっており、脱石油型の農業が進む土壌としては、非常に後ろ向き。都会から近いから、都会の人が立ち寄りやすいけど、全然向いていない。
都会から近いと、都会のおこぼれで、生きれる可能性が増えるという意味でもあり、自給自足より、農業イベントで、生計立てるほうが楽みたいなことにもなる。イベント依存の人たちは、コロナ禍で弱点を露呈したと思う。
人を移動させる観光業で儲かろうというのは、結局は、観光業ではなく、石油産業を潤すだけになる。人の移動=交通系石油産業の一人勝ち。例えば、今回の熊野ゆきで、一番お金が儲かった人は、現地のホストではなく、トヨタレンタカー。行くのと帰るのにしか使っていないのに。一番安いのでも、ピカピカの車で、日本ではレンタカーはオーバースペック。
食べれなくなったとき帰れる田舎を作る
という活動をしたい人、クライマー界にいないかなぁ…。クライマーとは、クライミングさえ出来るなら、他には何も要らないという人種であるはず。そういう人は、自給自足が与えれた環境のすべてであっても、クライミングさえできれば満足するはず。
食べれなくなったとき帰れる田舎を作る、そういう人の流れを確立する活動に興味があります。
1)田舎に常駐して受け入れる側の人 (→ 地域おこし協力隊がやっている公営のゲストハウスなど)
2)都会に常駐して行きたい人を集める側の人 (→ ジム)
3)都会人と自給自足人の間を埋める教育ステップを担う人 (プログラムディレクター)
3)がやれそう。
1)の人は、頭の固い人だと、田舎に骨をうずめる気で来てね、みたいな理不尽な覚悟を来る人に強いない態度が一番大事だろうなぁ。昨今、田舎では、移住人材取り合いなのです。
2)は、ぐるりの久本さんが活躍中。
■ 大人もやるべし
Wwooferの若者は、大体分かっていて、困ったとき帰れる場所探しをしていると思う。
しかし、退職間際の大人もやるべきでは?
なんせ田舎って、
■弁明
このブログで、前に
という風に若い男性向けに書いて、”でも、お前は入らねーんだろ!”みたいな矛盾を抱えていますので、一応、弁明用に書いておきます…。
ちなみに、フランベさんは、こちら。
■ 派手な山vs渋い山
私は、山梨では、長野県山岳総合センター、リーダー講習というのに1年のアルパインリーダー教育を受けた後、御坂山岳会、山梨アルパインクラブの2か所に所属しました。山梨アは最初の人工壁時代の半年だけです。御坂では人工壁やらないので。
ちなみに、現代アルパインクライミングで、人工壁ヤラナイで山だけでってありえないです。なんせ人工壁を経由しないと、ビレイの習得は形だけで、先輩は落ちないから持っているだけで良いとなります。
御坂山岳会は、家庭的で、成熟した、大人の会でした。会の呉林さんという山行部長が、元々信州大学の人で学生時代から社会人山岳会に属し、渋い山の候補をたくさん持っていたのです。渋くて本格的な山ということです。大学山岳部が行くようなのは、派手でみんなが行くような山です。
これを鹿島槍で例えると、大学山岳部的山=鹿島槍北壁や東尾根、渋い山=ダイレクト尾根、って感じです。ダイレクト尾根の前座、入門バージョンが、鎌尾根。私は、初めての会山行で鎌尾根に行っています。
このように同じピークを捉えるでも、渋い好みと派手な好みでは、全然、違います。
一般に、若い男性クライマーは、勉強不足なので、誰かが行ったという噂で聞いたことがある、という意味で、 大体、東尾根に行きたがりますよね。そんなのには、付き合わない。
付き合って成り立つ根拠が見いだせない。行きたがる人の技術が…。スタンディングアックスビレーとか習ってから行っているのか?とか、滑落停止技術習得済みなのか?とか…不明です。
私が行った鎌尾根でも、SABは必要で、会の33歳室野君は、雪訓受けていなかった。そのような人でも、万が一転んでも、まぁそうそう大怪我にはなるまい、という場所を選んでいるわけです。が、一般のアルパイン男子は、そういう万が一想定はなし、です。
よほどしっかりした会でない限り、山の選び方は教わっていない。安曇野の方の会で、新人が立てた山行計画の、ツッコミ、をしてくれる会がありましたが、そこは、なんと会の集会が毎週…。月1が平均です。毎週レベルって…よっぽど真剣なんですね。
で、そういう訳で、私は若い男性が山行部長の会は、私がすでに40代になってから山をスタートしているという理由からも、参加はリスクがあります。これは自覚の問題です。
つまり、① 選ぶ山が派手すぎるリスク → 山には順番があるという掟違反
■ 天敵リスク付きの会には入れない
私は、まじめに、最近の基本的山の技術を、ちゃんとした筋の人たちから、お金を自腹で払って教わってきた人なので、ペテランクライマーからは、天敵扱いされます。
誤解なきよう言っておきますが、ベテラン、ではなく、ペテラン。ベテランからは愛されることが私は多いです。
ペテランクライマー 習ったの大昔、技術古い、ギア古い、体力下がってる、中古車
私 習ったの現代、技術新しい、ギア新しい、体力ない、新古車
みたいなことになり、 体力がないこと以外は、ペテランクライマーのプライドを逆なで。ピカピカのギアをもって、スタンディングアックスビレーだって?お前に止められるのか?って、いちいち挑発したくなります(笑)。(実際、止めています)
往年の方が、ギアの古いのを、苦にしているのは、ギアが高いからと、年を取った今となっては、年に数回のために、買い替えで大枚はたくのは、ちょっと…という純粋に経済的な理由です。
私の方も、山をスタートしたのが最近なので、わざわざ棒フレンズ買う人いるわけないですし…、沢用のハンマーもピカピカ。経験の浅さを表現していますが…だからってって、わざと古いギアなんて買う人いません。師匠がくれた、鋼鉄製のビナ、重くて、現役には使えない。
ので、互いに、嫌な気分になりつつも、互いに仕方がない理由。
最悪なのは、こうしたペテランクライマーが、”学歴コンプレックス”、や、”俺なんて大したクライマーじゃねえコンプレックス”、を持っている場合…
「おれ(山梨)一高」に始まり、「おれ、同志社大山岳部」とか…
「おれだって黄連谷」 とか、「おれだって〇〇」と…
昔の山自慢が始まるんです…。大体そういう方って、会の中で、鍋奉行…、食事担当です。
私は、師匠の青木さんのデナリの話も聞いたし、宝剣の話や冬富士の話も、機嫌よく、ふんふん、と聞いてあげる心の広ーい岳人ですが…、青木さんはちゃんと、現代でも、韓国のロングな、どっかぶりアイスとか、チャレンジしていましたから…。アックスも現代のハンドル付とセミチューブを両刀使いだったりし、過去にとどまっているだけのクライマーではなかったです。だから、話を聞くのであって、今、何にも山の課題と取り組んでいない人の話を聞いても…。
さらに前に私の天敵だった御坂の先輩は、プライドのために、阿弥陀北稜で仲間三人を凍傷にしてしまいました…私は行かなかった山です。でも、あの山、私という存在がいたから、やりたくなったのかも?どうだ!俺だって!ってやりたくなるのは、彼のさが(因)ですが、私(=俺より弱そうな新人)がいなければ、刺激されなかったのかも?(縁) つまるところ、因+縁=生起。
というので、新中古車の女性と高齢ペテランクライマーという組み合わせは、ただ存在するだけ、息をするだけで、猿と犬です。
リスク増大。 → エゴで山に登ってはいけない
② 天敵リスク
■ しかも男子は感知できない
しかも、男子というのは、精神年齢が幼稚気味で、往年のペテランクライマーのプライドが、女性クライマーの存在そのものに刺激されて、ぴくぴくと痙攣しているのが感知できない。
つまり、私が、ペテランに嫌がらせを受けても感知できないのです。男尊女卑が、男性に感知できないのと一緒で、最初から自分たちには、人畜無害なペット状態なのが、ペテランクライマーなのです。
同じように女性クライマーも、人畜無害のペット、と思っていると思いますが…。
「どうせ俺たちがリードしたところをフォローで登るしかできない人たちだから、かわいそうだから、混ぜてあげるよ!良かったらだけど…」程度の考えだと思います。
御坂の時は、くれさんがいたので、ある程度は分かっている人がいたのです。大体、ペテランクライマーは、本当のベテランから見ると、問題社員化しています。問題社員化している本人は、昔のままの俺と思っており、自覚がない、です。このくれさんの立場の人は大変で、ペテランのガラスのプライドを守りつつ、女性の側の成長もサポートしてやらないと不満がたまるということで、昨今、女性の方が体力で勝ったりしますし… くれさんには、ほんと悪かったな。
③ 守ってくれる人がいない → 人材に多様性が生まれる素地がない
■ グレードごとにステップアップじゃなくて、各グレードでの完成度の高さ、があるんですよ
その考えには、グレードが高い山が登れる方が上、という漠然とした前提があるから…だと思いますが…。
山ってそういうものじゃないんです…
例えば、鹿島槍で言えば、
鎌尾根、ダイレクト尾根、東尾根、北壁、とピラミッド状にグレーディングされていますが、北壁が登れたら、鎌尾根がそつなくこなせるか?というと??? こなせないんですよ。全く別物。
鎌尾根には、鎌尾根での、”美しい登り”と”雑な登り”があります。ダイレクト尾根も多分同じ。東尾根も同じ。
美しい登りというのは、
ロープを出すべきところの判断が的確で、そつがない、
ということです。大体、山って毎回、コンディションが違いますから、鎌尾根レベルでも、何年か続けていくとか、回数を稼ぐと、質が上がってきます。その”質”の意味での勝負なんですよ。
なんせ、私は八ヶ岳の権現は、満足するまで、10回くらい登っています。この権現という山が、自分なりの基準で卒なく、完璧に登れたってまで…って意味です。
一方、男性クライマーは、質には拘らず、どんなに失敗した登りでも、一回行ったら、それで完了、登れた、行ったことがある、とし、次のステップの山に行きたがる人が多いです。下手したらルート間違いで、その山に登っていなくても、行ったことがあることになってしまう。私からみたら、雑、ってことです。雑の例は、白亜スラブです。ロープが上がらないとか、支点一個にぶら下がるとか、失点だらけ…。登れたってことには、私だったらならないです。
でも、それがその人が行きたい山、なんだから仕方ないしねぇ…。
④ 質よりグレードに侵されている → 結果として技術が積みあがっていない
■ 結論
というわけで、以上、
① 選ぶ山が派手すぎるリスク → 渋くて良い山が好き (山には順番があるの掟)
② 天敵付き → 避けるしかない (エゴで登らないの掟)
③ 守ってくれる人がいない → 残念 (多様な人と多様な山に登れの掟)
④ 質よりグレード → 質志向 (技術を大事にする掟)
という4つの理由で、私とは、合わないんです…。誰でも私の立場だったら、こうなると思います。
でも、どんな人たちとでも行けるのが、ゲレンデよね?というツッコもありますよね?
つまり、フリークライミングで岩場に行くショートの岩ってことです。
同じショートの岩をしながらも、同床異夢で、別の目標を持ちながら、同じ課題を登ろうとするわけでしょう…
しかし…ゲレンデでも…登りたいスタイルが合わない。
私がRP的な登りは要らない、バンバン経験値を積むために易しい課題をたくさん登りたいと思ったところで、現代の主流は、2,3本、同一グレードが登れたら、次…とやるわけですから、私のような人は少数派なので、あまり楽しめない状況が続くでしょう…。
私にしても、私の登攀の厚みを増やす、とは思えない活動に付き合うことになるし…。
というので、フランベさんは、いい会だと思いますが、自分は参加はしたくないわけなんです。お金と時間が無駄になってしまう。
■ Move→フランベ
フランベは、前進がMoveという会で、高田さんという往年のクライマーが率いる会です。
高田さんに育てられた山本君という、さわやかな青年が会の中心人物ですが、いい奴です。せっかく私が支点ビレイをされて、危険にさらされているのを教えてやったのですが、ありがとう、ではなく、人の批判ばかりするな、という逆ギレパターンの反応をされてしまいましたが、福岡では、きちんとしたアルパインの教育は40年、50年遅れの教育しかなされていないと思うので、教わっていないから、感知できなかったんだろうと思います。
今でも、支点ビレイは悪くない、それは、リダイレクト(方向を変える)のためにしていたのでは?などと、間違ったビレイの、かたを持とうという指摘をもらうこともありますが、壁に背を向けて、木にATCを括り付けているだけでしたので、全然、そういう状況的にこれがベスト、仕方がない、とか、意味のある支点ビレイではありませんでした…。
ちなみに されていた山の記録。全く気が付いていない。記録には、いいことしか載っていない。これだけ、現実の認知に差があるということです。私は肝を冷やした山も、彼らにとっては快適な山。
なにしろ、私は、ATCを落としても、カラビナで懸垂して屋根岩二峰の初めてのフリーを貫徹した人ですから、万が一のときに役立つ技術は、肩がらみを含め、一通り教わっています…が、支点ビレイはやってはいけないと最初にフリーのクラスで言われました。
クライミング教育では、状況別ベストプラクティスを教える発想があったら、今みたいな混乱が防げるのでは?
■ ほかの選択肢がない
私が、若い男性にフランベを進める理由は、他に選択肢がないからです。
福岡では、ピナクルという若い人の会がありますが、アルパインは冬山合宿が会のレベルを規定すると思いますが…私が単独で行けるようなところでとどまっていますし…。気の毒ですが、私自身、会に属する理由が見出せませんでした。属しても私が得るものがない(汗)。もちろん、福岡の山は知らないので、教えてもらったら楽しいかもしれませんが、低山好みではないしなぁ…。
想山会も、米澤先生は私にはよいと考えていたようですが…中高年の、槍で渋滞な会、になってしまっており、そこは最初からすっ飛ばしたレベルの山を山梨でしてきた…読図がいる山からのスタート、なので、この会もどちらかというと足手まといです。中高年登山者は考え方が危険なので、むしろ避けていますし…。
伝統の福岡山の会は、送られてきた写真で、没。一人が2名をビレイって…。そんなビレイ、誰が許容できるんです???
っていうので、一番いいのがフランベ。山本君、とってもさわやかな青年だし。技術的にもしっかりしていました。ただ会が私には合わないってだけです。
なので、私がおススメする、という意味のところ、分かっていただけたでしょうか?
男子、頑張ってね!
開拓 よき思い出 なんじゃこりゃ~レベルのビレイ 左が私続き
フォースか?パワーか?
■ 「偽りの成熟を示す子ども」
私は、発達障害気味の自己愛マザーの長子
なので
「偽りの成熟を示す子ども」 「小さな母親」
=母親の望む人間になった
のでした。(『結局、自分のことしか考えられない人たち』P85)
ちなみに、自己愛の強い親が生み出す子ども像は、他に「特権意識モンスター」もいます。
■ 小さいころからアトピーがあり、アメリカで良くなりました
アトピーは、自分で思っている自分vs周りの人が持つ自分のイメージとのギャップ
がある場合に悪化するそうですが、私のアトピーが軽くなったのは、アメリカでした。アメリカでも、ラオスでも、あるいは、龍洞でも、私の提示する、自己イメージを、そのまま受け取ってもらえるので、快適。
日本では、お前はこうあるべきだろ、と強いられます。良き妻とか、良き娘とか、女は男を立てるものだろ、とか。
が、その自我を
本当の自我でしょ、
ということにされると、アトピー発症、ですね。
50代にもなって、沢でMTBに乗っている女性 = お転婆
ってことなんで…。社会規範には縛られていない人であることは明らかなのに、縛ろうとしないでください。
Adult自我より、FreeChild自我が本当の私。バレエを習っているときも同じでしょう。Aではなく、FC。
もちろん、FCの行動を実践するのに、アダルト自我を使って計画を立てるわけですが…。
やっていることは遊びです。真剣に遊ぶ。
私は、アダルト自我を使って真剣に遊びたいのに、FC自我を使って、ええかげんな計画で、遊ばさせられると? 苦痛です。
例えば、阿弥陀北稜に一升瓶抱えて宴会山行するみたいな愚かな行為、ということです。 ほかに、白亜スラブもですね。岸良もか。お子様とは登れない。
■ エゴグラム
精神科医の医師によるとTEGー3というのが、性格を分類するスタンダードだそうです。
交流分析の手法による性格分類ですが、
危ない性格のクライマー
を発見するのにおそらく利用できるでしょう。
バイクの事故が多いタイプ、というのは、すでに分析されているようでしたので。
私が思うには、強いクライマーはみな、アダルト自我を使って、クライミングに取り組んでいる人たちであると思います。そもそもクライミングは遊びですが、その遊びを、大人の知性で真剣に取り組むと?色々なことが可能になって、ずいぶん面白いことができる、ということですね。
https://be-counselor.com/ta-egogram?fbclid=IwAR31WdxT43IubVQFo6O0p-3-glTahZdD6DtCrAxIAbBYVpvB5l87-UeTRSI
■ 健全な集団は健全なリーダーシップに宿る
■温泉山みず木でのこと
黒川温泉に、渓流沿いの露天風呂がある温泉があります。
ここに入ったのですが…面白い現象が…。
私ここは、川で冷やして、温泉で温めて、という温冷交代浴ができるから、好きなんです。
入ってしばらくしてあったまったら、川に降りてザブン!冷える~ってすぐ温泉に戻ってあったまる。
温冷交代浴は、筋肉痛、乳酸を取るのに一番良い入り方です。
これを私がしていたら…みんなが大注目!そしてその様子をそばで見ていた70代女性のおばあちゃんたちも、私の後に続いて…。 一人で入っていた若い女性も、一人旅の不動産屋さんの女性も、みんな、川に入ってみる…。
「子供のころを思い出しました(にっこり)」
とおばあちゃんの一人に言われました。
実はみんなしたかったんですね。
男子はたまに裸で川にドボンしていますけど…女性はなかなかそのような機会がない…。
山みず木さんでできます(笑)。
■ 白亜スラブのような、失敗したリードを、成功体験とし、自慢の種にしてしまう誤謬が生まれるわけ
は、やはり、
アルパインクライミング教育の失敗
に、因を約50%程度は、求められるものでしょう…。本人の責任…資質を含めて…が、50%はあるとしても。
それにしても、彼はヨセミテ、何度か行っていましたから、ビッグウォールにもチャレンジしており、ということは、アメリカンエイドは分かっているハズで、岩角に設置したカムでロープがスタックすると、ロープが上がらなくて、にっちもさっちも行かなくなることくらい、学習済み、だと私は思っていたのですが…どうも違ったようです。心のメモに、”ヨセミテに、何回行っても、クラック登りの基本を分かっているとは限らない”と書いておきましょう。
結局、このように、10年以上の経験があるクライマーであっても、
経験から自学自習する、
というのは、
本人の振り返り力、反省の力による
ところが多く、
各種の人気ブログを読んでも、一般に、どのような失敗をどのように反省したのか?は記述されていないことが多い
ですから、あまりカンニングできない…。カンペがないと、どうにもできないのが現代人なのです…。
■ 自己愛による探索行動 + アルパイン教育の不足 + 反省力の不足 + カンペなし
という4つの素因によって、起きているのが、
きちんとしたクライマーと言える状態になる以前の、アホっぽいクライマーの死
です。
自己愛…無敵神話…による探索行動は10代の若者に多い行動です。幼児がとんでもないところに行ってしまうのと同じで、親の愛に守られているからこその無敵神話。
■ 良き手本を持つ…
今の時代の良き手本、なら、誰になるのでしょうか? アルパインなら、ダントツ、
佐藤ユースケさん
だと思うのですが…。ジャンボさんなら、本当に良き事でしょうなぁ…。ラジオで聞いた会話に一番父性を感じた。もちろん山野井さんでもいいのですが、山野井さん、すでに生神のレベルだからなぁ…。佐藤さんも生神に近いですが。
山野井さん、ユースケさん、ジャンボさん、は、いうなれば、美術館で見るモナリザとか、ゴッホとかのレベルです。自分との距離感が離れすぎていて、まるで相手の行動原理が理解ができないレベル。
先日は大阪で個人ギャラリーに行ってきましたが、ギャラリーでは、現代の作家たちがしのぎを削っているリアルな会話が楽しめます。すると、ちょっとした豆知識、カンペですね、みたいなことを話しています。選ぶべき鉛筆の種類とか、どうやって描けるようになったか?とか…。
このようなレベルの人材が現在のアルパイン業界で、ほぼゼロとなっています。私のおススメは
石田登山塾のブログを読み込むこと
です。こちら
http://ishidatozanjukunisshi.blogspot.com/
アイロンさんブログ
どちらの方も対面して、お人柄を知っていますが、信頼できるクライマーです。
これは、私のデッサンと、その結果、出てきた水彩画ですが…
このデッサンを見て、デッサンの基本的素養がない、と思う人はいないでしょう。私は中学までは、クラスで一番か、2番に絵がうまい子供でした。デッサンでは 評価は5でした。
…しかし、だからと言って、
現代のゴッホとか、ダビンチとかになれると思う人はいないでしょう。
このデッサンを見て才能のきらめき、を感じる人もいないでしょう。
こちらは、その結果、水彩にしたものですが…ハイライトを残す練習というので、習作です。
この絵を見て、絵がなんたるか?分かっていないと思う人はいないですが、だからと言って、水彩画家になれる才能があると思う人はいないでしょう。
これが私が何度も、このブログで言っていることで、男性クライマーで、どうしても、「俺だってチャンスと環境が整えば、佐藤ユースケになれた!」と思ってしまう人が、理解し損ねていることです。
私を見て、クライミングの素養がないと思う人はいませんが、だからと言って、現代クライマーの系譜につながると思う人がいるわけありません。41の手習いですよ?勘弁してよ。
■ 私自身が何度も、主張していること
私自身が、何度も主張しているのは、私は、クライミングを絵に例えると
(デッサン力ゼロ、水彩?何それ美味しいんですか?レベルの人)ならば、指導できますが、
(男性クライマーで、俺だっていつかはユースケ!)とか思っている誤解の深い人は、指導できない
ということです。若い国体クライマーとか含め。
その人たちは、誤解が深く、プロの登山ガイドでも誤解がとけないレベル感ですから、一般クライマーがとけなくても、仕方ないかもしれません。
どんなに言っても私の言うことの意味わかりませんし(自己愛が強すぎて、正面から見れない)、分かる素地(そもそも、美術館レベルの登りと、個人ギャラリーレベルの登りが峻別できない、自分のレベルを正確にアルパイン業界で位置づけできない)がないからです。
私は子供のころから、美術館に通い、世界の巨匠の絵画に触れて大きくなりました。ので、現在、街角の画廊に行っても、作家さんと会話が楽しめるわけです…
このアルパインクライミングバージョン、もしくはフリークライミングバージョンは、最初から山岳総合センターに行くか、無名山塾に属すか?で悩み、沢では海外遡行同人に呼んでもらって一流の遡行やクライマーに触れ、相当に老舗で伝統がある山岳会に属さないと起こらない…ちなみに私の場合は、ラッキーだったのは、クラブ蒼氷の先輩と初期はクラックを登りに小川山に通っていたことです。そのあとは、大阪労山の登山学校の元校長先生である青木さんという大阪のクライマーと登っていました。青木さんから見ても、どのクライマーもダメクライマーのようで、私は組む人がいなかったためです。
九州に来て、荒木さんという山梨時代に知り合った先輩と登っていましたが、私は山梨アルパインクラブは半年ほどしか属しておらず、ここのようなレベルの市井の山岳会は、福岡の山岳会とどっこいどっこいの教育レベルで、私が上記に述べたようなことは、教えもできないし、きちんとした教育体制もない、ということです。
いうなれば、私は美術館の絵(山岳総合センターでのリーダーコース)と蒼氷(市井のギャラリー)の両方を見てきたから、NG山岳会を見て、それがNG山岳会と分かるわけです。
しらなかったら、間違った教えでも、丸ごと受け入れるしかありません。
■ 山岳会の教育レベル低下は深刻ですよ
福岡の山岳会は、山梨の市井の山岳会より、教育の質は、さらに輪をかけて落ちており、指導者が、二人のリードクライマーを一人でビレイする、なんて非常識な行為も行っています。そんなビレイで登らなければならないくらいなら、会に参加するほうが害になるレベルかもしれません。
どれくらいアルパインクライミングの教育レベル低下が激烈か… ご理解いただけ、対策を練っていただけたら、幸甚です。なんせ、命を危険にさらして、得た情報ですから…。
本当に重要な情報というのは、このようなもので、クイックドローをヌンチャクと呼ぶのはやめましょう、なんていうのは、教育的指導ではなく、単なる揚げ足取りです。
クライマー業界で、ヌンチャクと言って通じない奴は、クライマーになる以前なので、教えてやってください。そっちの方が教育者のとるべき指導です。どこの世界にもスラングはあり、教科書通りというだけを教えるのは教科書がやることで、生身の指導者がやることではありません。
以上、心ある上級クライマーの方、山の世界の神様、よろしくお願いいたします。