2022/07/28

食べれなくなったとき帰れる田舎を作る…という活動の要諦

 食べれなくなったとき帰れる田舎を作る…という活動の要諦

1)いきなり〇〇を避ける。
 
例:いきなり土地を買う。土地購入って自分が住み慣れた場所でも、かなり高度な能力が必要となる技です。でも、都会の非人間的な部分に疲弊した人って、藁をも掴むということで、大枚をはたいてしまう人が多く、そこに付け込む田舎人も多い。行政でも同じで、前に浮羽で行政の人に案内してもらった地域のおススメ移住物件って、なんと土砂災害の通路。行政だから誠実な物件が転がっているとは限らないのだ。
 
2)無理しない
田舎へ行くのも、都会の文化との差が激しいので、自分に無理がない範囲でにじり寄っていく。
 
動物好きじゃない人が、いきなり牛や豚の放牧の手伝いに行くと、豚の群れに入って行って餌をやるのは怖いかも…。
 
虫が嫌いという女性は多い。そうなると殺虫剤となる。と環境の上流で殺虫剤を巻かれると被害が甚大。虫が嫌いという人は、田舎っていいな、と思えるまで、都会にいるほうが人類にとっていい…
 
が誤解に基づくこともある。
 
例:キャンプ場は標高が低いので虫だらけできもいが、高い山の縦走では、虫なんていない(山で虫を克服した私が証言)
 
3)知識を持っておく
例えば、農業でも自然農の知識、放牧なら育種とかの知識、たい肥作り、林業の全体像、チェーンソーが使える、刈払機が使える、ユンボが使える、など…。崩落地名や崩落地形の知識は、災害大国日本では必須。
 
知識がないとそもそも、合理的選択ができない。
 
4)合理的選択に偏り過ぎない
けっこうテキトーっていうのがいいことは多いです。都会人は、仕事で、目標達成になれているので、優秀な人ほど、KPIは?とか考えてしまい、自分の好き!ではなく、お得!とか合理的か?で考えてしまう。合理思考が邪魔して、好き後回しになると、すべてが満たされているのに、何かが満たされていないとかになります…(笑)。
 
5)精神的拠り所を持つ
何をモットーにするか?でもいいのですが… 私は、環境、です。
 
山に登って、環境に反する活動をこれ以上しても仕方ないよなぁ人類と思ったからですが。
精神的拠り所は、何でもよく、目先の損得に振り回されない、という目的に資するものなら、何でも良いように思います。
 
ビルゲイツ?イルミナティ?が利用しているのは、ずばり”人間は貧すれば鈍する”という原理だと思います…。困ってしまえば、どんな悪行でもやってしまうのが人間で・・
 
例えば、補助金行政などは、その原理をうまく利用して、本来環境的に矛盾するという林業に皆を導いている…自伐型林業を推進している人ですら、生活のためのお金に困って”下草刈りしてくれませんか?”とか言います。自伐をやっていたら下草刈は存在しないんですよ…でも、下草刈っていう項目にしないと補助金が降りないので日当が出ないです…。片方で下草刈りしながら、片方で自伐型を進めるという、ブレーキを踏みながらアクセルを踏むみたいな葛藤がある活動をしないといけなくなります。
 
案)”○○パーセントお金に縛られない自給自足人”
 
実際の自給自足率のことではなく、
 
思想的な自由度
 
が大事かと思います。都会の価値観に縛られて生きると、お金を持っていてもいなくても、ゼロパーセント。一つの会社に全存在を掛けているので、安定どころか、リスク分散という意味ではリスク100%。
 
私はだいぶ自給自足スキルが溜まってきたので実践を伴っていない50%自給自足人みたいな感じですが…加古川で感じたのは、皆の囚われは、”普通” に対する囚われでした…
 
親が子供の学費を見ないといけないという囚われが強いと、高額な教育資金をねん出しようとして、今、目の前の子どもの成長を見たり、ニーズに答えたりし損ねる…。心配しなくても大学へ行かなくても生きては行けます。大卒でなくても、畑を耕す能力は増えない。それより、ちゃんとグロービスでクリシン受講したほうが、なんぼかいいかも?と思います。
 
老後2000万円問題なんて、人を奴隷的な企業文化の労働に縛り付けるために捏造された陰謀なんではないかと思うくらいです。