大阪、熊野、加古川、福岡の3つの場所では、加古川のお母さんたちが一番大変そうだった。
それは、”お金がないとただ存在することすら許されない”ように生活が仕組まれているからだ、というのが、あるお母さんの言い分だった…
私も分からないでもないんだが…お金を手放してみた結果、ある程度は思い込みだったなぁ…と振り返って思う。
足りないお金を足りるようにする、には、
・収入を増やす
・支出を減らす
の2つがあるが、収入を増やすというのは時間資産も減る。支出を減らす、という方向が今の時代は、時代の気分かもしれない。
■ 都会の人の”困ったら帰れる場所”作り支援施設
ゲストハウス兼シェアハウスみたいな?
・自給自足で、
・いつ行っても誰かがいる場所で
・人手はいつでも歓迎の場所
ってことで当然、田舎。中途半端な、”とかいなか”は、超・監視社会なので生きにくそうで、過疎の田舎がいいと思います。
例えば、長崎大村みたいな経済的に困っていない田舎は、都会への対抗心がすごく強く、”温暖地の長崎だって桃作れるもん!”みたいな農業になっており、脱石油型の農業が進む土壌としては、非常に後ろ向き。都会から近いから、都会の人が立ち寄りやすいけど、全然向いていない。
都会から近いと、都会のおこぼれで、生きれる可能性が増えるという意味でもあり、自給自足より、農業イベントで、生計立てるほうが楽みたいなことにもなる。イベント依存の人たちは、コロナ禍で弱点を露呈したと思う。
人を移動させる観光業で儲かろうというのは、結局は、観光業ではなく、石油産業を潤すだけになる。人の移動=交通系石油産業の一人勝ち。例えば、今回の熊野ゆきで、一番お金が儲かった人は、現地のホストではなく、トヨタレンタカー。行くのと帰るのにしか使っていないのに。一番安いのでも、ピカピカの車で、日本ではレンタカーはオーバースペック。
食べれなくなったとき帰れる田舎を作る
という活動をしたい人、クライマー界にいないかなぁ…。クライマーとは、クライミングさえ出来るなら、他には何も要らないという人種であるはず。そういう人は、自給自足が与えれた環境のすべてであっても、クライミングさえできれば満足するはず。
食べれなくなったとき帰れる田舎を作る、そういう人の流れを確立する活動に興味があります。
1)田舎に常駐して受け入れる側の人 (→ 地域おこし協力隊がやっている公営のゲストハウスなど)
2)都会に常駐して行きたい人を集める側の人 (→ ジム)
3)都会人と自給自足人の間を埋める教育ステップを担う人 (プログラムディレクター)
3)がやれそう。
1)の人は、頭の固い人だと、田舎に骨をうずめる気で来てね、みたいな理不尽な覚悟を来る人に強いない態度が一番大事だろうなぁ。昨今、田舎では、移住人材取り合いなのです。
2)は、ぐるりの久本さんが活躍中。
■ 大人もやるべし
Wwooferの若者は、大体分かっていて、困ったとき帰れる場所探しをしていると思う。
しかし、退職間際の大人もやるべきでは?
なんせ田舎って、
じいちゃん、ばあちゃんでも、普通に労働戦力として生きていける場で、都会にいたら、定年退職後することない人は、生きる屍みたいになっています。