2021/07/21
露悪(サイコパス)が社会的に許されない件について
■ いじめそのものより露悪が悪い
今回は、小山田圭吾さんの過去の愚かな過ちはともかく、それを露悪的(自慢げで悪いことをしても開き直っていること)に語ったことが、結局、長年、過去の過ちについて、罪悪感すらない、という人間性、つまりサイコパスであること、が露呈して、オリンピックへの関与が取りやめになったほか、彼の社会的生命は、これで断たれたも同然ですが、それが
国民のうちから出た批判…つまり自浄作用によるもの
で…良かったのではないでしょうか?
これを文化などと評して受け入れるようになってしまっては、日本社会は、かなりお粗末です…。他国の民度を笑っている場合ではありません。
■ 過去だからと言って、チャラにならない
現在52歳とこのことで、イジメていたのは中学生だとすると、すでに40年近く前。露悪的行為で雑誌のインタビューに答えていたのは、30年近く前、
…だそうですが、それでも、ほとんど犯罪と言える、その行為とその悪質さについての自覚の無さ…は、社会的に許されず、成功は剥奪されました。
それは日本社会が、善悪の判断を失っていないということで良いことのように思います。
■ 他山の石
同じことでクライマー達も、いかに昔の事だったにせよ、例えば、那智の滝を登ってそれを宣伝に使った過去とか、谷川岳行くのにキセル当然したとか、小川山のレタスを盗んだ、とか、反省というか、反省しているのなら、恥ずかしそうにしたほうがいいですよね…。露悪ではなく…。
まぁ、こういう事件に限らず、露悪的な趣味で、
岩場を汚したり、
わざとランナウトして、相手を恐怖に陥れそれを見て楽しんだり、
挑発したり
ロープを軽視して命を軽んじるようなことをしたり、
そして、それらを統合して、それを武勇伝としたりする精神
は、今後はクライマー業界内から自発的に自浄作用として、きれいにしていった方がいい…
そうすることが賢い選択となるだろう、と言うことが分かったのが、この小山田圭吾事件です。
■ うるさ方
クライミング業界では、現在、ボルトが危ないよ、とか声を上げているクライマーは、私と井上D助さんくらいで、一般クライマーのほうは、ゆでガエル状態です。
新しくクライマー業界へ入ってきた現代新人クライマー達への教育的要素がある資料もないので、リスクに気がつくことがそもそもできない。海外で登れば気がつきますが、それ以外に気がつく方法がない…ので、多くの人は、何をそんなに…大げさな、という状態です。
…が、日本の岩場はまじ世界的に見てもヤバいレベル感ですよ。分からないのは、無知だからの一点です。
バブル崩壊も、私の大学の先生は、”今に恐慌が来る”と予言していたんですよね…経済学的指標で普通に予見できた未来だったのでした…バブル崩壊。どうもリーマンショックも同じで、予見していた人は予見していました…。同じようなことだと思うんですよね。
色々な事実を精査してみれば、あちゃー!という状態にあることが分かるけれど、誰もこのボルト何年に打たれたもの?と問うてみないから、無知という状態で心の平穏があるだけです。
小山田圭吾さんも40年近くもの間、誰からもとがめられていなかった。今の岩場と同じですね。
それは、誰も彼がそんなひどいインタビューを世に出したことを気にも止めていなかったからです。
本人は、世間を舐めていたんでしょう…許されると確信していない限り、堂々と障碍者を笑って見せる、などという言ことは起こらないはずなので。
つまり、アンダーグランドだから大丈夫と思っているクライマー業界と同じ構図です。見つからなきゃ悪いことをしても大丈夫って心理ですね。
クライマーも小山田圭吾さんの事例を他山の石として、これまでの
現実逃避&露悪趣味&見つからなきゃ大丈夫主義
について、改めて行ってもらいたいものです。
これを行政の人が読んだら、余計岩場の使用許可は、降りなくなるであろうと思われる名著 |
2021/07/20
小山田圭吾さんの障碍者イジメ事件
■ 悲しいな…
小山田圭吾さんの障碍者イジメ事件…で沢田君という障害のある青年が、いじめられてもなお、小山田さんを友達だと認識していたらしい言動がうかがえること…とても切なく、悲しい。お母さんの身になったら、なおさらだ…。
敵を味方と間違える…ってこと…。
子どものころ、学校に江崎君と言って、奇行したりする子がいた。金魚の餌を食べたり、自分の爪や鼻くそを食べたり、お母さんが入院中でお父さんだけなので、世話が行き届かず、制服も洗われていない… 私は級長だったので、いつも席替えでは江崎君の近くに配置され、いじめられないよう見張る担当だった。
江崎君は知恵遅れも少しあった。というか、たぶん、幼児退行…。休んだ時には、プリントを持って行ってあげる担当で、ある時は江崎君の家が余りに汚いので、掃除して帰ったことがあるくらいな家の様子だった。
そんな江崎君も、中学高校になると、数学の才能を発揮するようになった。江崎君は、熊本では、成績の良い第二高校に進んだ。女子校から、共学に変更になった年だった。
通学方面が似ていたので、ある時、江崎君と通学でばったり会った。江崎君は、「ねぇ共通模試何点だった?」
その言葉に何しろびっくりした。なぜなら、私は江崎君がかすりも届きもしない圧倒的な優等生の地位を中学では築いており…ダントツの生徒だったからだが…その私と張り合うという発想が…驚いたのだが、それに驚いた自分にも恥じた… 私ってば、江崎君を下だと思っていた、ということだったからだ。
たしかに、低学年のころから見ており、学校でうんち漏らしたり、おしっこ漏らしたりしているのを知っていたんだが…。でも大きくなったら、数学はすごくよくできる子だったんだよな…
私は、ほかの障害がある子も時々助けてあげることがあり、異様に背が小さくて、病気のためにお腹が出た子だったんだが…ある時、幸せそうな姿を見て、本当に反省したというか… 障害があってもなくても、人は存在だけで価値があるというか、価値がない、かわいそう、という価値観を植え付けられていたために、良い子気取りで自分は彼女の世話を買って出ていたんだと思った…恥ずべきは私の方で、彼女のほうではない…。いつもいじめにあわないか、心配して見ていんだが、その行為はすごく傲慢だったってことだ…。
そんなことを思い出した今日のオリンピックイジメ事件… 子どものころに恥ずかしいことをするのは、普通のことだ。子供なんだから。
私は水が怖くて、うつむきで髪を洗うのが長いことできなかった。水泳も恐怖で泳げず、それを乗り越えたのは、つい最近…去年に過ぎない…。
子ども時代は、誰でも間違いを犯すものだが、人として健全な心を培う以前に、いじめをしてしまうのは仕方がないかもしれない…が、その後、それを露悪的に自慢してしまうのは…
やった行為以上に、その後の救いの無さ… 犯した罪以上に大きいような気がする事件だった。
ネットの誹謗中傷は、どうも私もされているらしく、親切な人が時々コメントで忠告してくるんだが… 人の苦労や痛みを見て、喜んでいる人がいるとすれば、それは
サイコパス
という心理らしいですよ。
https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1?fbclid=IwAR1IL4prVGdtx2lQ8e1wZzV1xYw0mMl0_PF0SaCZHoIHy8XFLK5n_A0wVgo
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210719-00248671
https://biz-journal.jp/2021/07/post_238746_3.html
Climber Stewardという言葉を広めよう!
Climber Stewardという言葉を今日知りました。
■クライマースチュアードとは?
私は日向神について、自然に県外クライマーのクライマースチュアードをしていた、ということになりますね~
2021/07/18
Trust But Check
■Trust But Check
うのみは良くないと言う師匠が、良い師匠。
このブログでも何度も言っていますが…
噂話や世間体
で目の前にいる人を判断するような人とは登らないに限ります。
人としての信頼性にもとります…
世界を敵に回しても、友でいてくれる人が真の友であり、時流に流されて都合の良い時だけ一緒に登りたがる人にいのちを預けて良いわけがありませんね。
2021/07/17
アメリカアクセスファンド協会の会議のお知らせ
https://accessfundconference.secure-platform.com/a
Registration is now open for Access Fund’s 2021 Climbing Advocacy Conference. We’re calling all climbing advocates and local climbing organizations to join us virtually on October 8 and 9 to celebrate access victories and learn from fellow climbing conservationists across the country.
Registrants can look forward to:
Presentation of the 2020 Climbing Advocate Awards
A virtual roundtable to introduce participants and their organizations
Panels and workshops on stewardship, working with land managers, land acquisitions, LCO development, JEDI programming, rebolting, low-impact climbing awareness, and much more
Access to inspiring, action-packed documentaries from Mountainfilm on Tour
Recordings of all sessions
Registration is free, but space is limited so secure your spot soon. You can view a draft agenda at the link below to see what’s in store for this year’s conference.
※ Justice, Equity, Diversity, Inclusion (JEDI)
リンク先にある動画が秀逸で、こんな風になったらいいなと思いましたが、どうもコピペで張ることができない仕様なので、リンク先に飛んで行ってみてもらいたいです。
2021/07/15
打ち付ける雨を眺めつつ…
子どものころ、親の不在の家で、弟と二人、不安に思いながら、ベランダで、驚きつつ、光る稲妻を眺めていたことを思い出します…濡れるのも気にせず。
母親代わりのお姉ちゃんとしてではなく、普通の子ども時代が送りたかった。弟と普通に兄弟として遊ぶ時間が欲しかった。弟を亡くして、そうしたことは一切叶わなくなった。気が付いた時には、弟はすでに亡くなっていました。
クライミングは子供時代のやり直しみたいな活動で、弟の遊びに混ぜてもらう姉ちゃん、でした。
しかし、いくらみんなが優しくて一緒に遊んでくれても、弟ではないし、また子供時代の無邪気さで遊べるわけではない。
いくら私が相手に弟を投影したところで、あくまで違う人だし、無邪気に遊びたいと思ったところで、もう大人だし…。
それだけ、子供時代というのは、貴重な時代だということです。
子どもから、子供時代を奪うのは、非常に残酷なことだな。
私の母のようにやむを得ない事情があったとしても、その残酷さは変わらぬわけなので、子供が子供らしくいられる社会になってほしい、と思います。
現代は、特殊な事情がない家庭でも、子供から子供時代を奪っているんではないだろうか?
ラオスでジュマが取ってくれた写真 |
交流分析手法でクライマー集団を見てみたら
■ 交流分析とは?
人間の自我を
P=ペアレント
A=アダルト
C=チャイルド
という3つの自己に便宜的に分けて、交流が並行的交流(発信者が、△と投げたら、受信者も△と受け取る)と非並行的交流(発信者が△と投げたら、なぜか受信者は×と受け取る)を分析表現したものです。
■ クライミング業界に多い定年退職者のPACバランスとは?!
次の写真は一般的な老人のPACバランスです。なんと… アダルト、すごく小さい…
そして、この現代初心者と高齢者という組み合わせが、岩場で一番多い関係性のように思われます。特に山岳会。今は、クライミングを教わる機関がありませんので、大体の人が山岳会などに行かざるを得ないわけですが… 最も必要な、アダルト、大人として
・クライミングを評価し、・分析し、・何がセーフクライミングに必要な要素か?
と考える自我が…
揃い難し…
ということが、岩場の人口動態から言えてしまうわけです。なにしろ、40代、とか岩場では非常に少ないです。
ちなみに山岳遭難で最も多い人口は、65歳以上及び20代です…
クライミングは、童心に帰れて楽しい活動ですが、本当に童心に帰ったら…ロープも結ばないで、怖いもの知らず自慢みたいになってしまいます…それは童心に帰る行為ではなく、たんなる、幼稚な行為。
そんなことすら、アダルト=大人としての冷静な視点が欠如すると、客観的に指摘してくれる人がいないという結末になりえます。
そもそも、大人という自我が、岩場には得難い自我である、という話でした。
定年退職者+現代初心者 = アダルト自我不在で危険が多い組み合わせ
定年退職者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ
現代初心者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ
参考図書: 池見酉次郎著 『セルフコントロール』https://amzn.to/2UboSek
2021/07/14
ヒマラヤの山岳史が過去20年間進化していないことについて…
■ ヒマラヤ史
山野井さんのヒマラヤの記事を読んで、そうなのかぁ…と思った。
第三回
第二回
http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_2_special/
第一回
http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_1_special/
とはいえ、どんなメディアにこれが載っているか?ということが意味深い…。
■ サブカル系文系雑誌
本来、文登研の『登山研修』にでも載せるべき記事だが…、残念というか、世相を表しているというか、サブカル系の文系雑誌に載っている…。
血の気の多いイケイケ男子がいるとしたら…というか私が知る限り周囲の男性クライマーはみんなそういう体育会系だったが…、最も手に取ることがなさそうな雑誌である。
…男性社会の間では、”文系男子”と”体育会系男子”の亀裂は、女子のそれより深い。
男らしさの根幹…自分の存在のアイデンティティの根拠のところ…で、違う発想をしているせいだろう。互いにいがみ合うというか、否定しあっている相克の関係性だ。
女子にはそれはないので、女性の目からは、にわかには分かりづらいのだが…。
ヒマラヤで命を賭したアルパインスタイルの山(つまり、厳冬期のマイナス〇〇度という山で、しかも極地法ではなく、少人数や悪くすると、ソロ)という山をするのは…
今、一体どれくらいの人が指向しているんだろうか?
■ ボルダー
ボルダーは、要するに、男性の体力燃焼のお気軽バージョン、とでもいうような行為という側面が強い。
高度経済成長期の父親不在の家庭が大多数になった日本で、ママボーイの男性が一般家庭においてすら増え、なおかつ肉体労働の必要のなくなった現代社会で、あふれ、余った、体力を気軽に燃焼できる、健全な場、という趣だ…。なにしろ、ジムなんかにいくより、タダ、だし。そこにはあんまり思想的な奥深いものはない。
(念のため言っておくと、まぁ、トップクラスの人ではなく、市民レベルの話で。ママボーイというのは、まぁ悪環境に耐えれない人がやるスタイルだからだ。例えば、岩場にいるのに、除菌シート持ってくるみたいなタイプ。冷暖房完備を望むタイプ)
アルパインクライミングの主たる舞台は、パタゴニアに移動したのかなぁ…と、祐介さんの記録などから、思っていたんだが…。
ヒマラヤが終コンなのではなく、単に、ママボーイが増えて、ヒマラヤ的環境に耐えれない、耐える価値を見出せないってだけなのかもしれない…。
山でも実は人材難、なのかなぁ…。
2021/07/13
向き合い力… 社会に対する恐怖を乗り越える
■低い社会性=向き合い力の低さ?
向き合い力がない…
というのが、
クライマーあるある
の弱点なんじゃないかなぁ…。公共のマナーが悪いとか、それ以前に。
■素人クライマーじゃなくても分かりにくいですよ
私と先輩の荒木さんは、クライミングの本場山梨から来ているクライマーで、素人クライマーでも、初心者クライマーでもない。
そんなクライマーが転地してきて、登っても、”この支点、何製なのかなぁ?”と思っても、一体どこの誰に問い合わせしたらいいのか、にわかには判別できなかったしなぁ…
やっぱり日本百岩場に載っている岩場を順繰りにたどるしかなかったよなぁ。要するにローカルクライマーの顔が見えないってこと。窓口がない。
別にこれは九州の岩場に限った話ではないが。
というので、結局、アクセス問題ということを考えると、
クライマー側が未組織であること
で、責任から、逃げに逃げまくり、かれこれ40年、みたいな状況なわけだ。
アクセス問題に真っ向から向き合った、向き合い力があった人って
井上D助さん
一択なんですかね??? 私はホームベースの岩場としては、あとは昇仙峡しか知らないが…。 昇仙峡は、名だたるクライマーが登っていた。佐藤祐介さんが今では有名かな。ガイド講習会を募集しているくらいだ。
そんな有名クライマーが使っている岩場でも、
既成事実を積み上げて、なんとなく、事後承認を得る
という方法論しか誰もやっていない。
例えば、ガイドの三上浩文さん、佐藤祐介さん、故人だが吉田和正さんなど、何十年も登っていたり、世界に名をとどろかせたピオレドール受賞者であっても、自ら矢面に立つということをしていない… 社会的な地位があってもやっていない。自分の役目ではないことになっている。
地元の山岳会は見て見ぬふりをしている。(富士山は御坂山岳会の管轄だが、甲府の山岳会、特に老舗の白鳳会など、おひざ元の昇仙峡のことはやっていない)
山梨ですらそう…というより、山梨近辺のほうが問題は複雑だ。
九州は、米澤さんが関わってきた岩場である限りは、開拓前にきちんと許可関係が取られている…そんな丁寧に作り上げてきた、許可付きの岩場…なのにね…。ボルトが悪いとか、知識がアップデートされていない程度のことで、知識を得たら一瞬で解消されるような問題なのに、誰もが向き合って来なかった結果が日向神みたいな感じだ。
結局のところ、誰もが、アクセス問題に向き合うという、めんどくさい役をほかの誰かに押し付け合っているのである。
つまり、アクセス問題に携わる=ババ抜きのババ。
アクセス問題にきちんと向き合う人にこそ、クライマーとしての栄誉を与えるべきだ。