■ いじめそのものより露悪が悪い
今回は、小山田圭吾さんの過去の愚かな過ちはともかく、それを露悪的(自慢げで悪いことをしても開き直っていること)に語ったことが、結局、長年、過去の過ちについて、罪悪感すらない、という人間性、つまりサイコパスであること、が露呈して、オリンピックへの関与が取りやめになったほか、彼の社会的生命は、これで断たれたも同然ですが、それが
国民のうちから出た批判…つまり自浄作用によるもの
で…良かったのではないでしょうか?
これを文化などと評して受け入れるようになってしまっては、日本社会は、かなりお粗末です…。他国の民度を笑っている場合ではありません。
■ 過去だからと言って、チャラにならない
現在52歳とこのことで、イジメていたのは中学生だとすると、すでに40年近く前。露悪的行為で雑誌のインタビューに答えていたのは、30年近く前、
…だそうですが、それでも、ほとんど犯罪と言える、その行為とその悪質さについての自覚の無さ…は、社会的に許されず、成功は剥奪されました。
それは日本社会が、善悪の判断を失っていないということで良いことのように思います。
■ 他山の石
同じことでクライマー達も、いかに昔の事だったにせよ、例えば、那智の滝を登ってそれを宣伝に使った過去とか、谷川岳行くのにキセル当然したとか、小川山のレタスを盗んだ、とか、反省というか、反省しているのなら、恥ずかしそうにしたほうがいいですよね…。露悪ではなく…。
まぁ、こういう事件に限らず、露悪的な趣味で、
岩場を汚したり、
わざとランナウトして、相手を恐怖に陥れそれを見て楽しんだり、
挑発したり
ロープを軽視して命を軽んじるようなことをしたり、
そして、それらを統合して、それを武勇伝としたりする精神
は、今後はクライマー業界内から自発的に自浄作用として、きれいにしていった方がいい…
そうすることが賢い選択となるだろう、と言うことが分かったのが、この小山田圭吾事件です。
■ うるさ方
クライミング業界では、現在、ボルトが危ないよ、とか声を上げているクライマーは、私と井上D助さんくらいで、一般クライマーのほうは、ゆでガエル状態です。
新しくクライマー業界へ入ってきた現代新人クライマー達への教育的要素がある資料もないので、リスクに気がつくことがそもそもできない。海外で登れば気がつきますが、それ以外に気がつく方法がない…ので、多くの人は、何をそんなに…大げさな、という状態です。
…が、日本の岩場はまじ世界的に見てもヤバいレベル感ですよ。分からないのは、無知だからの一点です。
バブル崩壊も、私の大学の先生は、”今に恐慌が来る”と予言していたんですよね…経済学的指標で普通に予見できた未来だったのでした…バブル崩壊。どうもリーマンショックも同じで、予見していた人は予見していました…。同じようなことだと思うんですよね。
色々な事実を精査してみれば、あちゃー!という状態にあることが分かるけれど、誰もこのボルト何年に打たれたもの?と問うてみないから、無知という状態で心の平穏があるだけです。
小山田圭吾さんも40年近くもの間、誰からもとがめられていなかった。今の岩場と同じですね。
それは、誰も彼がそんなひどいインタビューを世に出したことを気にも止めていなかったからです。
本人は、世間を舐めていたんでしょう…許されると確信していない限り、堂々と障碍者を笑って見せる、などという言ことは起こらないはずなので。
つまり、アンダーグランドだから大丈夫と思っているクライマー業界と同じ構図です。見つからなきゃ悪いことをしても大丈夫って心理ですね。
クライマーも小山田圭吾さんの事例を他山の石として、これまでの
現実逃避&露悪趣味&見つからなきゃ大丈夫主義
について、改めて行ってもらいたいものです。
これを行政の人が読んだら、余計岩場の使用許可は、降りなくなるであろうと思われる名著 |