2025/11/21

回想録…クライマーとクルマ

 さてと、続きを書きますかね…

物産にいたのが山梨に行く前で、山梨では仕事が見つからず、私の仕事は東京にしかないと言われて、東京と山梨の二点居住もしてみたんですが、体力的に無理すぎました。それで山梨ではヨガの先生をすることにしました。

その前には流産もしており、山梨には趣味で習っていたバレエの良い教室も見つけられず、結局、できることが、ヨガの先生業くらいしかなかったのです。

バレエのおかげで体はすでに柔軟で、ヨガの理論を覚えればいいだけでしたが、それが資格ビジネスになっているので、安くはない資格取得代で、読めばわかるような内容の資格を取りましたが、それでは心もとないと思ったので、ケンハラクマ先生の資格も持っていますが、どちらも、私自身がバレエを学ぶ中で身に着けた知識に劣る内容でした。

ので、私のヨガクラスは、私のオリジナルです。

それで、スタジオでは売り上げが一番良い先生になりました。

しかし、それだけでは暇なので、情熱を傾けたのが雪の山に登ることでした。

なぜ、雪の山が気に入ったかというと、やはり美しいからです。

ほかに、山梨は日照時間が長く、私の鬱っぽい性格には、天候があっていました。

今は福岡にいますが、福岡は天候が悪いので鬱再発したのかもしれません。

そうして、福岡から山梨へ、山梨から福岡に戻ったわけですが、驚いたのは外国人政策の結果を見たことでした。

外国人が爆増していました。山梨でも外国人との接点はありました。たとえば、千代田湖の脇に住んでいたデイビッドとは友達で、ときどきホームパーティに呼ばれて行っていました。

しかし、本当に住み始めてすぐはカルチャーショックでした。まず甲府では、身延線の改札がイコカが使えない。電車のドアはボタンを押さないと開かない。などなど…。

はじめは車もなかったので、どうやってユニクロに行くのか?って感じでした。駅の周辺には何もなく、完全にクルマ社会なので、一人一台要る感じで、結局2代目をうちも買いました。

福岡に戻るときは良いクルマのほうを維持して、古い軽自動車のほうは人にあげてきたのですが…

この人にあげるという行為で、面白い出来事がありました。

ある若いクライマー、という都会方面から、山梨に移住してくるクライマーに車を差し上げようとしたのですが、私たちが出なくてはならない3月31日までに車を引きとれないというのです。

それで、車を引き取ってくれないなら渡せない。なぜなら、契約的に4月1日には、駐車場をカラにしないといけないからです。私たちはもう現場からいなくなるのでどんなに遅くても、3月31日までに引き取ってくれないと困ります。

それで友人という人を送り込んできたのですがそれで車をどうするの?というと、鍵だけもらって、後で引き取るっていうのです…そんなの、ダメに決まってるじゃん。

私たちは契約で何が何でも4月1日には駐車場をカラにしないといけないんですよ…。

で、困り果てていたら、近所の整備工場が引き取ってくれました。無料で。マジ助かりました。

なんで、その時差分の日数をどこかほかのところに駐車場を借りて、そこに止めるとかしなかったんでしょう?いくら貧乏でもそれくらいのことはできるはずです。しかも山梨駐車場激安どころか、無料でもいくつもあるくらいなのに。

そんな事件があって、クライマーって詰めが甘いんだよ、みたいな感想を持ちました。

社会人として大丈夫?みたいなことです。

親元からバイトして登っています、みたいな人は基本的に社会人としての自立がまだってことで、クライミングで自立自立って言っても、そもそも社会人として自立していないのではないかと疑ったりしてしまいます。

まぁ、私自身がやたら早くに経済的自立を迫られる人生を送ったので、そのため、やっかみですかね?

しかし、それにしても、山梨県民は自宅から出ない人が多く、結婚するにも、男女の出会いがないみたいでした。

それで、私のヨガのクラスから、3人も結婚した人が出たのは喜ばしいことであり、また自分の生徒さんの役に立ったという、誇らしい出来事で、山梨時代の成果の一つです。