2025/11/22

これでファイナルかなぁ・・・まだ出てきたりして。その14。

 さて、以上のような事情で福岡に来てから、急速に、クライミングは私にとって魅力がない活動になりました。

やったことがあるか、しょぼいか、価値を感じられない、

みたいな感じ。まぁ、最初から期待していたわけではありませんし、ジムもそもそもそんなに好きでないわけで、自然が好きなんですから、どうでもいい活動になって行ったんですよね…。

いやはやクライミング好きの皆さん、ディスってすいません。

それで、大阪に行きました。まぁ、福岡がまずいのかもしれん、と思ったわけです。大阪でもまずかったです。

たぶん、西日本があれなんでは?よくわからなんが、北アについて書かれた書物の量を見ると、だいぶ違うので、山の文化が乏しいということなのではないだろうかと思いました。

関西では、修験の山が伝統かなぁと思って和歌山にも行ってみました。那智勝沼。那智の滝は見たことがなかったから。

関西で有名なクライマー、南裏健康さんの幼馴染という方の家に泊まりました。でも和歌山にはクライミング資源なさそうでした。

あと湿度がすごく高いので私は耐えきれませんでした。カラッとした空気のところが好きなのでやっぱり内陸かなぁ。

大阪の中央区当たりのジムもいろいろ言っては見ましたが、なんか違うなって感じでした。

関西全体が、イケイケっぽい感じなのではないだろうか?と空想。しらないので、空想の範囲です。

大阪では、アイススケートをして、すごく上達しました。子供のころからアイススケートには憧れていたので、おもわぬラッキーで通えてうれしかったです。

大阪市がアイススケーターの育成に力を入れているとは知らなんだでした。大人から習得した人がたくさんいて、先人に学ぶこともできるし、ちびっこスケーターにモテモテでした。

一般にお母さんとなると自分は滑らない、登らない、泳がない、で女性自体がスポーツと縁遠いみたいなんですが、それは女性に不利ですね。女性だって哺乳類で動物なんですから、適度に運動しないと、健康維持できないですよね。

ということで、老後は、自分の好きなスポーツが格安でできる土地に住むのが健康のカギではないかと思いました。登山でもいいし、クライミングでもよく、スケートでもよく、なんなら、水泳でも。ともかく、持続可能なレベルの支出で継続できる生涯スポーツを持つことが大事です。

ちなみにヨガはスポーツには入らないと思います。私は指導者だったので、よくわかりますが、ヨガはもちろんしたほうがいいですが、週23メッツをヨガで稼ぐとなると、8時間もやらないといけないんですよ。全然運動量として足りません。

さて、そろそろ、話をまとめに入りたいのですが…、以上のような経験をして、クライミング界で何が起こっているのか?ということが分かるようになったと思っています。

つまり、今のクライミング指導では、ぜんぜん、セーフクライマーの育成になっておらず、現状では、どのクライマーも独学だということです。

ちゃんとしたクライマーに慣れている人は、自分で学習してそこまで行っているので、後進の育成なんて無理です。だって、なんでこんなこと、自分で勉強してから来ないんだろう?って思っちゃうんですよ。私だって思います。

しかも、ド素人レベルの人が、一発だけの瞬間風速で5.12が登れるからという理由で、こちらを見下してきて、苦労して身に着けたスキルや知識にフリーライドして、岩場に連れていけってのが業界スタンダードなんですから。

いやでしょ、そんなの、誰でも。


●教育体系が存在しない
●ほとんどのクライマーは“独学”
●安全の基準が曖昧
●知識が伝承されない
●身につけた人は“勝手に学んだだけ”なので教えられない
●初心者が教わるべき場所がない
●技術や知識より“瞬間的なグレード”が評価される
●基礎的な知識や技術が漏れたままクライミング時間だけが積みあがる


名付けて、日本の「瞬間風速クライマー問題」。、外から見るよりずっと病的で、日本のアルパイン界の停滞の根幹でもあるのでは?

ド素人が瞬間的に5.12登れたからといって他者を見下し
経験者の知識にフリーライドして岩場へ連れて行け、もしくは
おべっか使って懐柔して連れて行ってもらい、
5.12波状攻撃が業界スタンダード。
よくて、5.13波状攻撃。

これは本当に“あるある”で、そして深刻です。深刻っていうのは、アルパインクライミングの未来にとって深刻っていうのであって、別に生涯スポーツとしてのクライミングをしている人にはそうではないです。

だって、生涯スポーツとしてクライミングするってのは、健康のため、ですから。

ただその健康のためっていうクライミングと同じことを、育成コースつまり、エリートコースの人がやるのは変だし、それで、

ブイブイ言わせる=エリートコース気取り

って、何を血迷っているんですか?って感じです。ちゃんちゃらおかしい。

私が将来ある若者だなーと見ていて好きなのは、

けんじりくん。面識あるけど素直な人のようでした。辺クラ最高!
ぎんちゃん。アイスで世界的記録を登る。

日本のアルパイン界が古いから誰も気がつかなかっただねー、実はアイスは5.13を落とせなくてもトップに躍り出れることを。

ほんと、自分のスタイルを見つけてそれを極めるっていうのが問われているんだと思うよ、トップのクライマーでも。

奥村さんによれば、記録を丹念に読み解けば、いまでもスタイルの微妙なアップデートによって、記録的クライミングを行うことは可能なようです。が、それには、知性がいるよなぁ。スタイルをきちんと理解するだけの。

これまでの経過を見ると、それが日本人クライマーには無理って話みたいです。

チームフリーとか、ワンプッシュ、ワンディとかいろいろ、スタイルの新語が出ていますが、そういう世界の流れについていっていないですよね。日本。

なんでなんだろうなぁ。まぁ、私は世界のクライマー側ではなく、一般人向けの生涯スポーツとして、登山やクライミングには取り組んだのですが、

阿弥陀北稜一つとっても、大学山岳部でも、ちゃんと登れないところが出てくるし、基本的な考え方、山の捉え方、山に対する経緯や構えという、昔からの伝統が亡くなってしまいましたよね。

瑞牆の家の件では、北原さんに折角私が見つけた家なので活用してもらおうかと思って、相談を持ち掛けましたが、なんとクライマーハウスにするために、畑をつぶして駐車場にするとか言われありえない!と思いました。

畑をつぶして駐車場に?
クライマーハウスにするために地域の生活を犠牲に?

これは「クライミング以前の問題」で、

地域文化の尊重という“登山者として最低限の倫理”が欠如しているんですが?

妙子さんや山野井さんの在り方とは真逆だよね。

じゃどうやって、地域の人との共通の思いを育むつもりなんだ?

妙子さんや山野井さんの在り方から、一般クライマーは何も学んでいないようです。

これが、一般登山の時から、ふもとの山の文化や民俗を学ばない学ばせせていないという結果なんでしょうね。

技術だけでは“スタイル”は理解できない。
スタイルはTechniqueじゃなく、おそらくPhilosophyの領域でしょう。

山の文化や民俗史の話だけではなく、

世界のトップが議論する…Team Free、One Push、One Day、Ground Up、Flash Attempt…

そういうのも、全部「思想の延長」ですよね?

つまり、ピオレドールの話ですが…日本がそこに入れないのは、クライミングになる以前に、そもそも、山登りの段階で、山を哲学として扱う文化が消えたから、なんでは?

それの発露が、百名山スタンプラリー登山で、その文化のまま、クライマーになってもお買い得品の5.12を登って、満足してしまうクライマーになるだけで、クライミングツアーでは、行くのは地元のセブンだけ。

文化的なものが何もない。ってことになるんではないかと思いました。

そもそも、地域への愛がないっていうことです。

「山を含め、そこにすでにあるものに敬意を払う」
「自分の活動のために、何ひとつ壊さない」
「受け取るより、返す」

なのに、日本のクライマー文化は「消費するだけ」。

返さない。
壊す。
自分の都合だけ。

っていうことで、違和感を覚えるどころか、忌避感すら覚えました。