2025/11/23

九州で起きたこと。山の文章の文才は危険だということ…回想録16

 さて、続きを書きます。

まるで、闇を暴く、みたいな路線になってしまい、申し訳ありませんが…

ムーブの高田さんたちとは、数回、四阿屋でのゲレンデクライミングをご一緒しましたが、別の中高年の登山以外は何も知らない新人男性が来て、どうもその人を家来にする方が、魅力が合ったみたいでした。子連れクライミングで、ベビーシッター代わりになるのは、私は嫌ではありませんでしたが、謎だったのは、山口にあるエイドのルートのほうが、野北より価値が上だったのです。野北って、九大の近くなので、ボルトを使わないで登れば、手軽にクラックが登れてよいと思いましたけど、確かに簡単すぎるかもしれません。私でオンサイトで登るくらいな難易度だったので。米澤先生と一回行っただけですので、難度の判定もあやふやですが。

しかし、この山口のルートに誘われたおかげで、ボルトルートをエイドで登るのがこちらの人の本チャンだと分かったわけなんですよ。エイドで鍛えてやるっていわれましたが、エイドルートの難易度って知ってます?

A0=超簡単(ボルトランナー)

A1=初心者OK、確実なギア

A2=中級、少し不安定

A3=上級、テスト必須

A4=極難、リスクあり

A5=命懸け、ほぼ存在しない


Cグレード
C1:簡単、安全、ギアはほぼ確実
C2:やや難しい、落ちても致命的でない
C3:難しい、落ちると怪我の可能性あり
C4:非常に難しい、落ちれば大怪我
C5:極限、落ちればほぼ死ぬ

セーフクライマーは、C1、C2ぐらいまでにとどめておくことでしょう。A0は私も登れなかったらしますけど、残念賞的なクライミングです。わざわざしに行くの?交通費出して?

ってなりました。カムエイドを覚えるなら話は別ですが日本のエイドって…。

ってことで、結局、日本の古いクライミングスタイルについて、ついていけない気持ちになって終わりました。

まぁ年を取ると誰でも登れなくなるのですから、最初はエイドで登り、最後もエイドで登り、フリーで登るのは若い時のご褒美ってことなのかもしれません。

行いが良ければ、年を取ったときに、「○○さん、僕がトップロープを張りますよ」とリードを申し出てくれる若者が出るのではないか?と思いますが、

それが43歳スタートの私というのはなんか違う…と思いました。

お鉢が回ってきたけど、なんか違うよねって…。

まぁ70台から見たら40代はまだぴちぴちギャルなわけですが。(ちがうだろ)

たぶん、山本君がムーブから抜けてしまって新たな若者を欲しがったのかもしれません。

まぁ、私ではなくアラーキーあたりがムーブに行けば、ベテラン高田さんからエイド技術を受け取ることができたのかもしれません。しかし、私は米澤さんのような、ビレイループさえ2重という安全マージンの大きさに魅力を感じるクライマーなので、エイドで鍛えてやるには魅力を感じなかったんです。御坂山岳会でも、私のリクエストでエイドを試みましたが、エイドするのも大変で、こりゃ、フリーで登れるように頑張る方が楽しいのでは?っていうのが結論でした。

というので、なんかなーな感じでした。若者はついていけないから、落ち着いた年配者の会にと思ったら、もっと駄目だった。グラッパの木下さんや山本君とは、二言三言の交流しかありませんが、古典的感性だなぁという感想でした。

青ちゃんが若い時に行けなかったような難しい積雪期のルートに行っていたので、なんか違うんじゃないかとも思いました。

で、その後、あまりすごい登攀と言えないグレードの記録がロクスノの記事になり、なんか世紀の大冒険風だったので驚いた。

その時思い出したのが…山梨時代に、阿弥陀北稜へ一升瓶もっていき、3人も凍傷者を出した先輩が、山の本を書き、それで、なんか文学賞を受賞したことです…

でも、その先輩、メタボで普通の赤岳もまともに今では登れず、息が切れてしまうので、まって~…ってなるんですよ。で、会の足を引っ張る人なのに、外の一般登山の女性たちとは不倫したいんだそう。一緒にテント泊していたら「セッ〇スしたい」とつぶやかれびっくり仰天しました。会の後輩に言います???

しかも、これ、会のメンバーに半ば、押し付けられるようにして、みんなが行って来いっていうから行った山だったんです...。なに、私は人身御供?

北岳に無雪期に一緒に行ったら、白根御池小屋まで行くだけのことに10回くらい休憩しました。ちなみに、私はアルパイン族の中では遅足組ですからね。当然でしょ、40代です。

まぁ、メタボの人が遅足なのも当然ですが。もちろん、山本君も木下さんも、その先輩とは全く違う健全体形の人で、クライミングもばっちりでしたが…。でも、後輩のお守りは嫌だって言ってたよなぁ。

だからと言って、トップクライマーレベルかというと、まぁ違う。普通の若者なのは見て分かりました。

で、そのメタボおじさんは、山への憧れを言語化し、自分の山を素敵に語るのが上手だったってことなんですよ。つまり。

山に登れることと、山の冒険を冒険らしく語れることは別の才能みたいなんですよね。

それで九州では、誤解が生まれているのではないかと思いました。

余談ですが、デイドリームを登ってくれた若い人の記録を見ましたが、あまり大変さは伝わってこない。粘着度の低い記事でした。もっと感動したかった。

でも、普通の人はそうそう粘着質な、山の冒険譚を描けるものでないのが普通ですよね。

新田次郎みたいなのは、要するにフィクションってことなんですよ。

冒険文学のジャンル自体がフィクション的誇張を前提として成立している。ロクスノにそれを持ち込むべきでないですね。

それが確認できたというか、それが、ああ、トップクライマーが評価されないで、記録を描く能力のほうが一般受けする理由なんだなってわかったんですよね。

まぁ私の立場を言わせてもらうと

「若手扱いされるには年齢的に無理、でもベテラン扱いされるほどの経験もない」

です。変でしょ、クライミング歴3年でベテラン扱いって。

でも、登っていれば、誰だって、トップクライマーの記録のすごさが分かるようになると思うんだけど…

ならないのかなぁ…。私はなったけどなぁ。アイスですけど。

アイスでなら、フリーソロで一家と思う理由も分かる。めちゃ確実だから落ちない核心ありますよね。

っていうか、クライマーは、人の記録のことは見ていないのかもしれません。

気ほ転機にクライマーって自分に注目を集めるのには興味があるけれど、人の記録には興味がなさそうな気がします。

まぁ私も人の記録に興味がないですがそれは、トップのクライミングとは関係ないからです。自分と関係がありそうな、ルートやエリアのは見ています。

男山ダイレクトの記録とかめっちゃ見てます。ちなみに、青ちゃんは長野に引っ越してきてすぐだったので、もしかして、周辺のルートについては私の方が詳しかったのではないかと思います。彼もまさか、私が独標登高会の『八ヶ岳全集』を読む人とは思わなかったのかもです。男山は川上村のルートですが。そういえば、小川山のリッジ登攀の代表的ルート、烏帽子岩左岩稜は、取られた感じがありました。これはいける!みたいな得意ルートみたいでした。

あ、話がそれましたが、記録は客観的データ、グレードもですが、エイド出したのかフリーなのか?何時間登ったかとか、プロテクションを何で取るかとか、そういうのを総合しないとすごいのか?すごくないのか?は判定できないよって話です。

まぁ、ずっと、

「なんで私はここに呼ばれたんだろう?」

「なんでこれは“価値があるもの”として扱われるんだろう?」という問い

がぐるぐるするような、居場所のなさがあるのが、私にとってのクライミング活動だったんですよね。

これ女性クライマーはみんなそうなのでは?

ラオスでは楽しく登れたので、私が変ってよりも、文化的な齟齬だと思います。

昭和の文化は昭和生まれだけど苦手です。