■ 岩場過密問題=駐車場問題
ロクスノに岩場を公開したら、多くの人が来れます。
しかし、多くの人を迎え入れるのなら、それなりの用意をしてから、というのが順序だと思います。
それがないために起きているのが、アクセス問題。
準備が整う前に公開したい、というのは、エゴの声ですかね?
私は多くの人がクライミングに親しむのは賛成なのですが、親しむ前に
・必要な安全に関する知識を授け、
・駐車マナーやトイレットマナーの徹底、
・自然環境への保護意識、
・自分さえよければよいという現在のクライミングカルチャーを改めること
は必要だと思います。
■ 岩場が足りない!問題
問題は岩場が少なく、クライマーが多すぎるってことです。
その問題をどうするか?については、クライマーたち自身が自ら検討しないといけません。
一つの課題に10人も行列を作るような混雑は、混雑ってだけで危険ですし、そんな課題でじくり岩と駆け引きすることはできないですし、ビレイもできようはずがありません。
駐車問題も、混雑問題の結果としての駐車問題ですよね?
ラオスでは、ゲストハウス収容人数=適正人数、になっているのです。ですから、異様に混雑するということはないです。
クライマーはトゥクトゥクで来るので駐車は問題にならず、10ドルの相乗り代に文句をいう奴はいません。
■ 秘密にしておけば済む?
混雑を避けるために、現在行われている慣行は、若者に不利です。
すでにクライミングに対して十分知識がある往年クライマーだけが、許可されていない、公開されていない、秘密の岩場を、俺らは知っているからという理由で、こっそり登って楽しむ…これは、若い世代に対して公平ではないと思います。
大体、お魚釣りと同じです。みんなが競争して秘密の川に行くので、お魚資源が枯渇してしまいました…魚釣りのおじさんのエゴとお魚の量で、魚釣りのおじさんのエゴが勝ってしまった。
クライミング界はこれを他山の石として、公平に皆が遊べ、なおかつ事故を防ぐような仕組みを考案することが必要です。
■ トポに記述すべき内容=ムーブを書いたら、正解がバレるだけでオンサイトの邪魔になりますよね?
公開トポに、
岩場の利用の作法
駐車の仕方
ただしいビレー方法
懸垂下降の方法
ロワーダウン・終了点の利用の仕方、
終了点作成
トップロープ張りっぱなしはダメなどの基礎的マナー
などが載っているというのは大変重要だと思います。海外のトポはそうなっています。
クライマーなら言わなくても分かってるだろ、という前提がもう有効でない時代です。
いつまでも昔と同じを求めていないで、現実的になりましょう。
■ ロクスノはオピニオンリーダーとしての自覚を持て
ロクスノが、トポ掲載時にこれら情報の掲載を義務付けるべきだと思います。
実質ロクスノだけが、クライマーの共通のメディアだからです。メディアとしてのリーダーシップが弱いため、九州などは、誰もロクスノにトポを出さず、普通に、ネットに上げています。
クライミングマナーの向上や岩場問題についての討論掲載は、ロクスノが編集室として、方針にすれば済むことです。
岩場の収容人数や、収容駐車台数、停めれなかったときどうするか?トイレをどうするか?などの、記述がないトポは扱わないと言えばいいだけです。
トポの公開は、基本、シェア精神ではなく、たぶん、開拓者側の名誉欲の発露だと思います。
かといって岩場を秘密にして、ローカルクライマーのもの、とするのは、私はおかしいと思います。
岩場は、地域のもので、地域資源として、地域の経済活動に寄与すべきです。
実際、岩場とクライマー観光客がWinWinの関係を構築している岩場は、海外ではそうなっており、それらの岩場を見習った設計が日本でもできるはずです。
ユージさんは、ウェールズの石灰岩の岩場に行っていました。私もウエールズには目をつけており、トポを取り寄せたところでした。
これまでの花崗岩クライミングと石灰岩クライミングで、クライミングエシックが違うのは当然です。傾斜が全く違うので、リスク管理の内容が違うはずです。
■ 事故の原因を取り違える
トップロープソロで事故が起こったそうです。
たぶん、クライマー界は、クライマー自身に原因が行かないように、論理を捻じ曲げる天才になっていると思います。
トップロープソロでの墜落で死んだ場合、ノーヘル・上裸が悪いのではなく、シングルストランドで一つの器具だけに全生命を預けるシステムが間違っています。
アルパインの基本は冗長です。トップロープソロも私は、ダブルストランドで自分を確保して行います。バックアップが常にあるということです。
むしろ問題は、それができるリスク管理の実力がないのに、ノーヘル・上裸を決行するのがカッコイイという価値観で、それに負けていることが変なんです。
■ 13はもはやチヤホヤを意味しない…チヤホヤされたいあなたへ
13が登れてチヤホヤされたのは、もはや20年前の価値です。
たしかに13が登れたら、立派なフリークライマーと称してよいと思いますが、現代のトップクライミングは14以上なので、もう13は、上級者ではあっても、特別扱いを他者に期待できるグレードではないかもです。
そもそも、特別扱いは、誰にとっても不都合です。特別扱いされる人には、ノブレスオブリッジ=責任が生まれます。
私は、TOEIC925点を21歳の時に取っていますが、それを自慢しようとは、はっきり言って思わないです。通訳でTOEIC自慢しているしている人はいませんので(笑)。
ところが自慢しないといけなくなったのは、TOEIC500点も、まともに取れない人が、同類だと主張して、私の足を引っ張るためです。悪しからず。
同じことで、自分自身のクライミングを一人で完結できない未熟なクライマーのために命を取られそうになったため、私は山岳総合センターで教育を受けています、とか、村上先生の弟子ですとか、いろいろ言わないといけなくなりましたが、もう超めんどくさかったです。
九州の方は、リスクがない山しか九州管内には存在しないので、リスク管理はぞんざいです。それは私のせいではなく、私が九州クライミングの、リスク管理の甘さを指摘したことを逆恨みされても困ります。
視野が狭いのは自分の置かれた環境に無自覚なせいで、指摘している私の問題ではありません。
■ クライマーは死亡事故から学ばない
日本のクライマー界は、死亡事故から学びません。
そもそも、クライマーズウィロストもなく、AACが出しているような事故事例集も文登研から出されていません。つまり、トップクラスがサボって何十年、って状態です。日本の政治と同じです。
だれですか?こんな状態にしてふんぞり返っているのは? どこが偉いんですか?
しかし、文化的に、日本では死んだら全員、聖人です。死者への弔いマナーとして、死者の間違いやミスを指摘するのは難しく、実現可能性としては下だと思います。
一方、生きている人は失敗を語ってくれるのではないかと思います。私は生きている人で、致命的事故になった人は、彼らの経験を語ってくれる可能性があると思います。
大体、死を美化する特攻隊の伝統から、九州は抜け切れていません。基本的に合理精神が低いほど、イメージから、抜けきれないのではないかと思います。
■ 檜谷清…トップクライマーの倫理観、継承の歴史
ユージさんの師匠さんは、檜谷さんのようです。しかし、檜谷さんは何も書いたものを残しておられないような感じで、ユージさんが代弁し、継承するしかないと思います。
中嶋兄弟は、中島岳志さんの子供さんたちです。なので、お父さんから英才教育を受けたクライマーだと思います。
現代でまともなクライマーは全員2世クライマーです。
私は非常に弱いつながりで、つながっていて、山岳総合センターの初代所長だったそうです。村上先生のことも知っているようでした。
ただ山岳総合センターもクライミング教育で成功しているわけではなく、講師が生徒を連れて行った涸沢岳西尾根では死亡事故を起こしています。
クラスメートが早々に死ぬという場を私は目撃しています。こうした目撃事件の経験は良い経験のように思います。
クライミングは死と隣り合わせ。それが魅力でもあるので、身近なクライマーの死を経験しないで、自分のクライミングが進んでいくことで、無謀で自信過剰のナルシストクライマーが形成されます。
死を語らないことで、死が、想像上のものになってしまうからでしょう…死を美化する風潮は、男性のナルシズムから来ています。
歴史的に、男性のナルシズムは、都合よく、軍隊主義者に利用されてきたことを知るべきでしょう。
つまり、ナルシストで死を美化する人…は、単におめでたい人ということです。
為政者に利用されているってことにすら気が付かずに死んでいった若い人たち…その無念にこそ思いをはせるべきで、かっこがいい、というのとは正反対の犬死だと思います。
一体どんな歴史教育を受ければ、そうなるんですかね??
■ 成功事例
現在、クライマーの教育に成功しているのは、個人的に自分がトップレベルの1世クライマーで、自分の子供に個人的にエリートクライミング教育を施した人だけだと思います。
私はクライミングを始めたとき子供ではありませんが、父娘のように清高さんや青ちゃんと登り、ラッキーだったと思っています。
青ちゃんが組む前に何をしたか?レスキューの復習・ロープ合わせですよ。