私はクライミングをスタートして以来、相手を理解できず、なぜこういう行動をするのだろうか?ということで、苦悩することが増えたので、毎朝、仏教の説話を聞いています。
■ お別れの質
お別れが来たとき、ホッとするか?それとも残念に思うか…
ホッとする ⇒ 悪い縁だった印
残念 ⇒ 良い縁だった印
未練がないお別れに、薄情という印象を持つ人もいるのだそうです。しかし、仏教ではそうではなく、人の縁は流れゆくものだ、諸行無常を体得している=未練がない、そういうことだそうです。
私はクライミングをスタートして以来、相手を理解できず、なぜこういう行動をするのだろうか?ということで、苦悩することが増えたので、毎朝、仏教の説話を聞いています。
■ お別れの質
お別れが来たとき、ホッとするか?それとも残念に思うか…
ホッとする ⇒ 悪い縁だった印
残念 ⇒ 良い縁だった印
未練がないお別れに、薄情という印象を持つ人もいるのだそうです。しかし、仏教ではそうではなく、人の縁は流れゆくものだ、諸行無常を体得している=未練がない、そういうことだそうです。
■資材調達×リボルト職人育成
何があったのか、分かりませんが…。
「資材の手配をCWでできなければ、JFAのリボルトに協力しない」
か…。リボルト職人だけの日当では、生活や会社を維持するのに、十分なマージンがないんだろうと推測。
リボルト職人制度も大幅に変わるのだそうです…。たしかに現行の制度では、職人育成にかかかるコストが、大赤字でしたでしょう…何回受けても2万円という破格値では…。
リボルト職人と対照的なのは、セッターですね。どちらも高度な職人技なのに、リボルト職人は不人気商売、セッターは人気商売です。
■ ご縁と心理的拘束
私の最も強い資質のうち、責任感という資質はこのような資質です。
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あなたは責任感という資質により、自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます。それが大きかろうと小さかろうと、あなたは完了するまでそれをやり遂げることに心理的に拘束されます。(中略)人が新しい責任を誰かに任せる時、まずあなたに目を向けるでしょう。あなたがその責任を必ず果たすことを知っているからです。人々があなたに助けを求めてくるとき――すぐにそうなるでしょうが――あなたは選ぶ目を持たなければなりません。進んで事に当たろうとするあまり、できる範囲以上に仕事を引受けてしまう場合もあるからです。
ーーーーーーーーーーーー
クライミングは、私にとって、バレエの代替えとなるもの、で、健康を維持するために行いうる、安価で自然にやさしい活動、ということです。
当然、趣味の範囲。しかし、日本のクライミング業界が、”群盲、象を評す”状態だということに気が付いてしまいました。
さらに、きちんとしたクライミング教育がない、ということにも気が付いたのです…。
きちんと書かれた教科書的なもので、世界的水準を満たすものがない、というのは、UIAAのアルパインサマーの出版契機を作ったことで、運よく達成できました…。これで、やっとクライミング卒業できる…という気持ちでした。
心理的に拘束されていたんですね。
■ 岩場本来の在り方
日本人の一般的傾向として、対処療法、目先のことに走り勝ち、というのがあると思います。
実際、全国で岩場のリボルトが待たれているのは事実ですが…そもそも論として誰がリボルトすべきか?っていうと?もちろん、初登者たちなわけですよね。
本来の在り方的には、岩場は、その岩場を利用するクライマーにとって愛着を持たれ、メンテナンスされるべき、ものでしょう。利用者負担の原則です。
今の現状では、リボルトが進まないですが…
本来は、一つの岩場と想定すると、
1)日本インストラクター協会のような、きちんとしたクライミング教育で、クライマーが育って、
2)色々登っている間に開拓したくなり…、課題を作り…
3)そして、年老いて自分の作った課題をリボルトする
というのが、あるべき流れです。
そうなっていないで、ある意味、他人の問題を肩代わりしているともいえるのが現体制。
■今ある問題
今ある問題は、ボルトが古くなって登るにはあぶないということです。ある意味、作品性を主張する人から、依頼を受けて、やったら筋が通るのに…。
人の作ったルートをリボルトするから、初登者の権利の尊重、とか訳の分からないことを言っている人におべっか使わなくてはならなくなるわけです…。もし初登者に、”ほかのやつにはリボルトさせない”と言う権利を認めるのであれば、
・きちんと地元の地権者に許可を取ったり、
・使ったボルトの品質を一般公開したり、
・経年劣化したボルトは打ち換える、
・あるいは、明らかにランナウトのルートで死者も出ているなら、賠償責任だって出てくる
かもしれません…。
そうした”義務”もセット販売だったはずです。権利あるところ義務あり、なのです。
そう枕を高くして、えらぶっている資格が初登者にあるか?というと、資格がある開拓者は、ほんの一部の方なのではないでしょうか。現在の岩場の地権者関係の様子からすると。
昔は責任より、開拓者としては、”作品作り”、”俺の名を後世に残すチャンス”と思っていただろうと思います…。
■ 不毛なリボルト
一方で不毛なのがリボルト… 地権者許可は、取り直しだし、資材は公的なお金を使ったものなので、責任重大。技術も生半可なものでは、許されまじ、と考えてしまいますよね…。
井上さんは、非常に厳しい方でしたが、それも全国から集めた皆のお金でやっている、という責任感ゆえ。許してあげなくては、と思える環境の厳しさと不毛さです。やっていることは、人の尻拭いなのです。
■ 情報の公開で無知の解消を
しかし、一方で、なぜか情報公開がお好きでないようで、それは謎でした。
リボルト職人の職人芸を例えばYouTubeで公開しても、誰も真似して、タダでやり始めるってないように思うんですよね… なぜなら、リボルトだからです、新規開拓ではなく…。
先日、タイの開拓者の友人、タオから、動画でリボルト風景が回ってきましたが…、普通に大変そうでした。あれを見て、簡単!俺もできる!と真似する奴はいないだろうと思いました。資材の公表とかも同じで、もっと情報を出していった方が、議論が盛んになって良いのではないかと思ったりします。
私はHiltiのボルトを購入しようとして、選択肢が多すぎて挫折した経験があるので。むしろ、JFAが販売窓口になってくれたら、楽に買えたかもです。JFA推奨の資材で開拓したい開拓クライマーはたくさんいるのではないでしょうかね?
今後のJFAに臨むことは、そうした核心的情報の公開です。
そうしないと、ローカルの開拓者は、トンデモ支点をホームセンター資材で作り続けることになるでしょう…
(事例:https://allnevery.blogspot.com/2018/11/bad-anchor.html)
それくらいだったら、初めから何もない岩だけのほうがマシ、ですから…
参考記事:
ボルトの安全性情報が少ない
経緯が分かる報告書がどこにも上がっていないようで、九州クライマー連絡会にきたものを転載します。
--------転載-------------
1) 2018年12月9日日曜日
クライミングをスタートして、バレエ時代には発生しなかったような、数々の不可解な事件、が起こるので…ドラマと英語では言いますが…心理劇という意味です。そのようなドラマが続くと疲れるので、なんとかそうしたものが起こらない関係性を目指していましたが、男性の行動原理について、なんでそうなるの?疑問だなぁ…と思うことが多く、勝手にテーマが立ってしまっていました。
最近、14歳の中学生の男の子3人に、子どもクライミング体験をしたのですが、彼らを見て、対照として役立ったというか、
なんだ~単なる、お母さんに甘やかされた子供だっただけなんだ~
と分かりました。男の子は、母親に甘やかされると、自分中心に世界が動いてしまうので、集団の中で自分が置かれた立場が客観視できなくなります。
つまり、社会全体を見渡して、あれ、俺って強い一番強い?と言うことに気がつけない。
■ パートナーへの期待は母の愛
男の子は母の愛を疑わない
と、子育て本に書いてあり、クライミングで私に起こった奇妙な出来事はコレだ!と思いました(笑)。
というのは、自分がランチを持ってくるのを忘れたときに、なぜか「頂戴」と言われたり…(え?私のがなくなるんですけど!)、あるいは、クライミングは代わりばんこなのに、変わりばんこではなく、なんか私が登りたいところは登れない。あるいは、人のロープでリードして悪びれていない… はぁ?自立って言葉知ってます?
あるいは、貸したもの…返してもらおうとしたら、返事がない、あるいは、私の方の解釈では、貸すときに念を入れて「これは貸すのであって上げるのではないと釘を刺したハズ」なのに、相手は「あのいい方だったら貰っていいって意味でしょう」。
しかも、返事をしないので、仕方なく、共通の知り合いに間に入ってもらったら、逆ギレ…。なんでこういう受け取りになるのかなぁ…と純粋に疑問でした…。
ごく普通の人に同じことをしたら、「ありがとうございました」というお礼と粗品がセットになって返送されてきました。
そうだよなぁ…これが普通の返礼の仕方だよなぁ…。
なんでそうなるの?!って思っていたところに回答がきた!みたいな、14歳男子とのクライミングデーだった。
息子君は、14歳でも、まだ8歳の私の自覚力以下で、母親がくたびれ果てているのに全く気が付かない…息子君は母の愛を信じて何も疑っていないのです…母親が全能の神であるかのように…ので、なるほどなぁ、と。
私に起こっていたのはこれなのでした…。
私は長女で頼りがいがあるように見えるので、いつでも俺のためにスタンバってくれる人と思っていたんだろうなぁ…。まぁ、暇だったので大体はそうでしたが…けっこう無理して付き合ってあげていたので、それは理解されていなかったんだということが分かったのでした(笑)。怪我につながる、がむしゃらに頑張る系のクライミングには興味がありません。
…というので、
子育て中の母親みたいな立場のクライミング
は辞めようと思います(笑)。師匠とも、海外では子育て中の母親型クライミング、でしたしね。
私と組もうと言ってやってきたクライマーをその人に奪われたこと2回目、その上、何も罪悪感がない…。まぁ、パートナーと言うのは、水物で、いるときはいるし、いないときはいない、というただの水の流れみたいなものですので、別にいいですけど…。(余談ですが、お金も同じで、ある時はあるけど、ないときはないってものです。)
クライミングは、命がかかる危険な遊びですが、それはアルパインクライミング、の場合で、フリークライミングで命がけっていうのは、
単にパートナーが愚鈍、
って意味です。
ということなので、基本、愚鈍な人を避ける、が基本戦略…なので、収まるべきところに収まっているだけなのかも…。
男性のメタ認知ですが、男性の場合、女性が信じられないようなレベルでメタ認知力が低いです…。
65歳以上の男性でも、かっこつけたいという見栄のほうが、安全を上回る場合が結構あります。
なので、男性と登る場合に見極めるべきは、その人が何のために登っているか?
俺が強い男だということを証明しようと登っている場合は、一緒に登らない方がいいかもです…
一般市民クライマーの99%は趣味のクライマー。趣味のクライミングで競争するのは、ティーンネイジャーの原理であり、大人でそれをやっているってことは、そもそも精神の年齢が低いって意味なのかもしれません。
教わったことしか、次の人に教えなかったら、教える内容はずっと固定化され、進化しないままです。教わっていなくても、自分が分かっていることで相手が分かっていないことは教えるべきです。その理由は、教そわった以上に教えないと、何も進化しないから、それだけです。
教わっていないから教えないはエゴの声。エゴの声で登る人たちに真のクライミングはありません。
グージョンからケミカルへの更新
になったボルトの写真です。これはタイの開拓者である友人から回ってきたものです。ご参考までに。実際の投稿ではリボルト中の動画まで回ってきています。一見正常に見えるボルトでも外してみるとこのような状態です。またタイでは、カットアンカーからグージョンへの打ち替えではなく、グージョンからケミカルへの打ち替えの時代です。ご参考まで。
■ 説明力=リーダーシップ
今日は、外国人の友人2名と見晴らし岩でクライミング。
”説明力”こそがリーダーシップの源泉だということをしみじみと感じました。
■ 説明する手法
クライミングの掟:
登ったら、降りないといけない
=ビレイヤーがコントロールするローワーダウンを平地で教える
=同じ手法でグリグリで自分でコントロールするローワーダウンを教える(つまりラッペル)
=同じことをATCで教える
全部平地で。まずは、ギアに対する信頼とロープに対する信頼を覚える。
(ギアの信頼の量)>(見せかけの恐怖) ということを納得するのが大事です。
今日は、登る前にローワーダウンを覚えてもらいました。平地で。それで、上に行っても十分上手にローワーダウンできました。
その後少し登って、さらに最後に、見晴らしの良い場所で高度感がある程度あるところから、ラッペルをしたのですが…すでに道具への信頼やロープへの信頼が出来ているので、ラッペル大丈夫だった。ここで、セルフを2か所取る、というのも教えました。
リアリティがある設定でないとセルフの大事さは、なんとなくしか、分かりません。
今日の達成:ローワーダウン、ラッペル、セルフ
まずは、自分が岩場で、快適に怖がらずに過ごせないと、ビレイなど人の分の命の責任を持つことなど、不可能でしょう。
■登るほう
登るほうは、5.6とか5.7の段々の多いところの方が初めてのクライマーには難しく、5.9の難しいところの方がホールドが限られているので、易しいようでした。
だいぶエイドしましたけど…。
私は初心者には、技術的な習得を求めさせるべきで、登攀の出来はどうでもいいと思っているので、どんどんしたがるままに、エイドしてもらいました。どんどんエイドを少なくするように訓練したらいいだけですし…。
初心者には見晴らし岩は、やっぱり登攀自体がとても難しいエリアだということが分かりました…
全国的な標準グレードで言ったら、どうなるのかなぁ…。
易しいところは別の技術が必要な気がしますし、傾斜がないので落ちれないですし…。なんだか、色々ニッキーが説明してくれたことに納得。
ルートは個別の特性があって、グレードできれいに並んでいる者ではないですね。彼女も平面の5.9のほうが登りやすく、段々が一杯の易しいエリアは苦手なようでした。
■説明しすぎ の苦情について
私はあまり丁寧な説明を受けたことがないと思うので、色々と自学自習したため、自分の後の人には、色々こまかく言うほうですが…アップアップになるか、ならないか?は、相手の側の問題かもなぁと思ったりしました。
今日は楽しく登れました。
とりあえず、5.9がまだノーテンで登れてよかった。
季節の花は藤。スミレは終わっていました。風が強い日だったけど、佐賀県側は、ぽかぽかでした~
■ニッキーの感想
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Today was my first time rock climbing out in actual nature (aka not in a climbing gym)! It was easier than I expected, and a lot of fun. Kinny was a great instructor.We drove to Mt. Sefuri in Saga, and came across a few monkeys along the way (a VERY rare sight - I honestly didnt even know we had monkeys down here!!)
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ラッキーアイテムは、おさるとの遭遇!
資料
https://docs.google.com/presentation/d/183awD4b2puYIKpJjs0B8aBHS3YgoareXnLVViGUpSqk/edit?usp=sharing
■今日の引用
「成長」だけを見ていては、成長が止まった時に新しい発想が出てこない。そこで衰退の中で、もがきながら新しい何かを生み出そうとする動きに着目するわけです。」私は菊池の生まれで、母と父の代では、菊池では知らない人がいなかった名誉市民の家の出でしたが、母と父の代で没落しました…。
私は、主に母が配偶者の選択を誤ったことが、母の悲運…3人子供を作った夫に捨てられる…を招いたのだと、クライミングを通じて普通の男性を観察することで、謎解きして分かったのですが…。
結論的に、気の毒なお母さん、と思っています。
なので、菊池と言う土地は、なんだかなぁ…気の毒な女性…主にシングルマザーたち…のことについつい思いを馳せてしまう…。つまり、複雑な気分になるのですが…。
とはいえ、先日、夫と結婚当初に祖母に夫の顔を見せるために出かけた九州旅行で訪問した以来の、20年ぶりの菊池渓谷を訪問しましたが(ほかの訪問目的があったので)、子供のころに魅了されたほどの素晴らしい自然は、もはや残っていないことの確認、と言うか、水の美しさも、山梨のほら貝のゴルジュのほうがきれいだしなぁ~ 沢の大きさやナメ床も、東沢釜の沢のほうがきれいだしなぁ~とか思ってしまいました。つまり、家族で出かけた夏休みイベントに郷愁を感じる、ということはなく…。
むしろ、なんとなく、自然の本当の姿を知らない、あの頃は、こんなちっぽけな場所でも偉大に感じたんだったんだよなぁ~と、自分が歩んだ道の偉大さの方が目につきました…。
私の過ごした2013~2016までの登攀での成長は、やっている本人は、きちんとしたクライミングパートナーさえいれば、もっと高度な成長ができると自分では感じていましたが、人工壁で3mで落ちているスタート段階から、甲斐駒積雪期単独登攀、阿弥陀北稜積雪期の単独登攀、荒船山ミックスセカンド、インスボンセカンド、ラオス登攀単独、台湾登攀単独…韓国アイスクライミング、って、ものすごい成長の急カーブです…そうじゃない人を九州で見て分かりました。
■ 運命のスイッチが切り替わる瞬間=責任を引き受けた時
みんなの躓きポイントは、ビレイです。
ビレイをマスターしようという気がない人は、3年経っても、そのまんま…。
たぶん、ビレイというクライマーなら誰でも引き受けなくてはならない責任を引き受けよう、と覚悟ができたら、その時点で、何か、運命のスイッチが切り替わるんだと思います。
昨日、子ども体験クライミングで初めてクライミングした14歳の信二君は、運命のスイッチが切り替わっており、私にはそれが見えました。
彼、他の子にエイトノットが教えられるようになったんですよ。ハーネスも丁寧に他の子につけてあげるし…
今日は、コロナで行き詰まった人の話が回ってきたのですが…行き詰まり=スイッチ切り替えタイミング…
ここは、いっちょやるぜ!とやる気を出すタイミングです。そういうピンチの時に、やる気、ではなく、むしろ、引きこもる、と言うタイプの受発色の人がいますが、そういう人にはどうしたらいいのか?
凄く謎です…でも、最終的に自分のことは、やっぱり自分しか分からないので、他の人に、”そうじゃない、こういうふうにして、そうじゃない、ああいう風にして”と、要求を出しても、決して100%満足することはできないんですよね…。最も的確に自分を満足させられることは、自己満足、です。
それを自覚というか、心底納得したら、
”そうか、自分での足で歩くしか、100%満足する方法はないんだ”と思うと思いますが…遅かれ早かれ…
なかなか、自立、自分起点で物事を実行するということに頭が切り替わるのは、大人になってしまった後だと難しいみたいですね…
話がそれましたが、菊池渓谷に行き、母を愛しそして愛され返されなかったという気持ち…業、が枯れつつあるなぁと思った今回でした。
業を燃やしたのは、クライミングでの成長、です。