私は菊池の生まれで、母と父の代では、菊池では知らない人がいなかった名誉市民の家の出でしたが、母と父の代で没落しました…。
私は、主に母が配偶者の選択を誤ったことが、母の悲運…3人子供を作った夫に捨てられる…を招いたのだと、クライミングを通じて普通の男性を観察することで、謎解きして分かったのですが…。
結論的に、気の毒なお母さん、と思っています。
なので、菊池と言う土地は、なんだかなぁ…気の毒な女性…主にシングルマザーたち…のことについつい思いを馳せてしまう…。つまり、複雑な気分になるのですが…。
とはいえ、先日、夫と結婚当初に祖母に夫の顔を見せるために出かけた九州旅行で訪問した以来の、20年ぶりの菊池渓谷を訪問しましたが(ほかの訪問目的があったので)、子供のころに魅了されたほどの素晴らしい自然は、もはや残っていないことの確認、と言うか、水の美しさも、山梨のほら貝のゴルジュのほうがきれいだしなぁ~ 沢の大きさやナメ床も、東沢釜の沢のほうがきれいだしなぁ~とか思ってしまいました。つまり、家族で出かけた夏休みイベントに郷愁を感じる、ということはなく…。
むしろ、なんとなく、自然の本当の姿を知らない、あの頃は、こんなちっぽけな場所でも偉大に感じたんだったんだよなぁ~と、自分が歩んだ道の偉大さの方が目につきました…。
私の過ごした2013~2016までの登攀での成長は、やっている本人は、きちんとしたクライミングパートナーさえいれば、もっと高度な成長ができると自分では感じていましたが、人工壁で3mで落ちているスタート段階から、甲斐駒積雪期単独登攀、阿弥陀北稜積雪期の単独登攀、荒船山ミックスセカンド、インスボンセカンド、ラオス登攀単独、台湾登攀単独…韓国アイスクライミング、って、ものすごい成長の急カーブです…そうじゃない人を九州で見て分かりました。
■ 運命のスイッチが切り替わる瞬間=責任を引き受けた時
みんなの躓きポイントは、ビレイです。
ビレイをマスターしようという気がない人は、3年経っても、そのまんま…。
たぶん、ビレイというクライマーなら誰でも引き受けなくてはならない責任を引き受けよう、と覚悟ができたら、その時点で、何か、運命のスイッチが切り替わるんだと思います。
昨日、子ども体験クライミングで初めてクライミングした14歳の信二君は、運命のスイッチが切り替わっており、私にはそれが見えました。
彼、他の子にエイトノットが教えられるようになったんですよ。ハーネスも丁寧に他の子につけてあげるし…
今日は、コロナで行き詰まった人の話が回ってきたのですが…行き詰まり=スイッチ切り替えタイミング…
ここは、いっちょやるぜ!とやる気を出すタイミングです。そういうピンチの時に、やる気、ではなく、むしろ、引きこもる、と言うタイプの受発色の人がいますが、そういう人にはどうしたらいいのか?
凄く謎です…でも、最終的に自分のことは、やっぱり自分しか分からないので、他の人に、”そうじゃない、こういうふうにして、そうじゃない、ああいう風にして”と、要求を出しても、決して100%満足することはできないんですよね…。最も的確に自分を満足させられることは、自己満足、です。
それを自覚というか、心底納得したら、
”そうか、自分での足で歩くしか、100%満足する方法はないんだ”と思うと思いますが…遅かれ早かれ…
なかなか、自立、自分起点で物事を実行するということに頭が切り替わるのは、大人になってしまった後だと難しいみたいですね…
話がそれましたが、菊池渓谷に行き、母を愛しそして愛され返されなかったという気持ち…業、が枯れつつあるなぁと思った今回でした。
業を燃やしたのは、クライミングでの成長、です。