2021/04/23

フリークライミングは余禄の山

■ 余禄、オマケの扱い = フリー

私は自分だけで登れる雪山、雪稜として、リーダー講習の到達目標である

 阿弥陀北稜の厳冬期の単独登攀

は終わってから、九州に来たので、九州での登攀は、まぁ基本的には、蛇足の山、というか、

 ・フリーでグレードを追いかけても仕方ないし、
 ・ただごく普通に楽しく登れたらいいだけ

なのです…。もはやフリークライミングというのは、クライミング人生全体での位置づけとしては、後世、何かを達成した後の、余禄、なので…

■ 安全に楽しく

この簡単そうに見える、”安全” も ”楽しく” も実現されないのが、偶然にも既存の九州クライミングの在り方でした…そこで齟齬を生んでいますが…まぁ、どうしてか?という因果律を考えると、
 
・グレードが上の者の言うことを聞くのが正しい
・年配者の言うことを聞くのが正しい

という発言権の序列のためではないかと思います。でも、普通に考えて、クライミング技術(ビレイや支点、ロープワーク)を登攀グレードが上の人が知っているか?というと、グレードと関係ないですし…、年配の人が知っているか?というと、長年やっていれば知っている可能性は濃厚でも、情報不足である可能性もあるわけです…。特に、ネットで情報を入手するように切り替わってから、つまり2000年以降の情報というのは、入手されていない可能性も濃厚です。

この2つの行動規範が、九州のアキレス腱…あべこべの価値観を生む元凶、になっています。

物事はフラクタルなので、クライミングに限らず、すべての面で同じではないかなと思います。

別に九州に限らず、どんな場合でも、先生は神ではなく、先生や親であっても、あなたにとっての正解…が分かるとは限りません。お母さんはいつも子供がやってほしいと思うようなことをやってくれる、という信念が出来上がっていると、裏切られた気分になるかもしれませんが、もともと別の人間なのですから、どんなにお母さんが考えてくれても、本人しか最善の道は分からない…

そこで母子分離が出来ていない子供みたいに、

 ”なんで、俺の(あるいは私の)ニーズが分かってくれないのか?”

と口を尖らせたところで… そんなの、自分でニーズは満たすことになっているのですから…。

大事なことは、どんなときにも、トラストButチェック、です。