私はクライミングをスタートして以来、相手を理解できず、なぜこういう行動をするのだろうか?ということで、苦悩することが増えたので、毎朝、仏教の説話を聞いています。
■ お別れの質
お別れが来たとき、ホッとするか?それとも残念に思うか…
ホッとする ⇒ 悪い縁だった印
残念 ⇒ 良い縁だった印
未練がないお別れに、薄情という印象を持つ人もいるのだそうです。しかし、仏教ではそうではなく、人の縁は流れゆくものだ、諸行無常を体得している=未練がない、そういうことだそうです。
■ この法則を当てはめると?
ホッとする = もはやリスク管理に気を張っていなくて良い
残念に思う = 楽しく登れていたということ
かなぁ…と思ったりしました。
■ 支点&ロープワークの共有
クライミングインストラクター協会の奥村さんによると、クライミング技術という言葉自体にそもそも、誤解があって、
ムーブとかの上手に登る技術がクライミング技術なのではなく、支点、ロープワーク、その他をクライミング技術と言う
のだそうです…。みんな、誤解、そこからですもんね…。
私は、リスク管理から考えて、自分で自分のケツが拭けるクライマーになることを最初から目指していたので… まずは技術を確実にしよう、と考えていました…。ので、ベテランの師匠、青ちゃんと登るのは、私にとっては、観察から得るものが多かったです。登攀スキルは低くても、ベテランはリスク管理やロープの処理が大変美しいです。
私が若いクライマーに伝えたかったこと…それは、これです。若いクライマー君たちは、登れる技術を見せてくれて、”どうだ!”とデモンストレーションしてくれますが…、そこじゃないんですよ… 安心して一緒に登れるかどうか?は。なにしろ、まったくクライミング経験ゼロの男性でも、手が届けば、私より登れてしまうのは普通のことなので…。
ロープワークの汚さ、雑さ、そういうものが、核心化してしまうんです。ゲレンデ以外で、時間が核心になるようなマルチピッチでは…。セカンドにロープをまとめさせているようでは…。もちろん、セカンドは、トップを助けようとしているのですが…。
これを伝えたいと思って行ったのが、最後のインスボンでした。
(インスボンは東洋のヨセミテ。下手すると宮崎に行くより快適で安く行けるので、おススメです。最近はボルトも最新のに整備されていますし…。)
私がトップの時にも、ロープの始末が雑で、手間取ったことがありますが、それが核心化しないような時間の配分とか、そういうものを見込んで十分ゆとりがある計画を立てます。
インスボンでは、私が膝の脱臼で動けなかったことから、ベテランと先輩に組んで登ってもらいましたが、結局のところ、師匠の青ちゃんの手際の良さは、若いクライマーには理解できなかったかもしれません… そこが、唯一残念と言うか…。
というのは、私にとって、白亜スラブは、”失敗した登攀”だったのですが…、相方にとっては、自信をつけた登攀だったためです。
私にとっては、大失敗のヒヤリハット体験
トップを登ったクライマーにとっては、成功体験
その前に行ったマルチでも、失敗につながるような、雑なロープワークは見ていたのですが、私がうっかりしていて、それに対して反省を促すような流れが作れていなかったのです。
■ベテランと若手では、失敗につながるポイントが違います…
ベテラン ⇒ 情報不足、物忘れ、女性蔑視、古いリーダー観、がリスク
若手 ⇒ 雑なロープワーク、登攀能力への過信、フェールセーフの不在
ということがリスクになります。敗退の想定無しシナリオのロープシステムで行く、なんてことや、ギアが不足する、と言うようなことは、ベテランと行く場合は、考えにくいのです。ギアが不足した場合にも、どうしたらより良いか?というオプションが多いのです。
一方、若い方は、登攀そのものの、能力は高いのですが… 普段フリークライミングだけをしていたら、どう転んでも、ロープへの慣れは、蓄積していかない訳なのです。いわんや、ボルダー。ボルダラーにロープの知識を求めるわけにはいきません…
結果、こんがらがったロープをほどく時間のほうが、登攀そのものよりも時間がかかる羽目になります。
そうしたことが、伝わらなかったのではないか?と思う、それだけが残念、というか、自分の発信力の限界と言うか、伝えそこなったなぁと思う唯一の点です。