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2024/11/02

【クライミング心理学】フリークライマーにセルフコンパッションを

”もっと、もっと”のグレード追っかけフリークライミングには、あんまりどころか、全然そそられなかったんだよなぁ…

そして、今では、”完全に避けている”。

もう、これがガン細胞だと発覚した、みたいな感じかなぁ…

なんで、私が、山好きになったか?というと…このような理由からです。

1)人間がしゃちほこばって頑張っても、山のほうがもともと偉大だし、強いから

2)1のことを理解した結果、人間は謙虚にならざるを得ない、から

3)山(自然)は、人をそもそも区別しないから

4)その結果、平等に”結果”がもたらされるから。悪因悪果、善因善果

5)その結果、真実の実力が試されるから。真の自分を磨くことができるから。

6)その結果、山の実力には嘘がないから。

7)その結果、真の自信=自然農でいうところの大安心が身につくから。

なんだけどなぁ…。九州時代はつらかった。

嘘と虚構で出来たアルパインクライミングが、一体どのようにして、作られるのか?という機序を知ることになった…つまり、エイドクライミングというズルが偽の実力や自信を作り、日本全国、どのルートを登っても、四級A1となった。(その結果、クライマーは、困ったらエイドすればいいだけだ、と傲慢になったのだろう…)

そして、ボルト連打というのは、マクドでハンバーガーとシェイクで太りまくって糖尿病になった、みたいな感じだ。つまり、初登の名誉欲という欲望にまみれた結果、起ることなのだ。

エイドでしか登れないなら、いくら登りたくても(名誉が欲しくても)、登らずに後世に置いておくのが良いと思う。結局のところ、そこは将来フリー化され、そして、ボルトの位置やルートの選択も、より洗練されたムーブが選ばれ、最終的にはより洗練されたフリーのルートとして確立するのだ。

つまり、エイド→フリー化→洗練されたフリールートという流れは、絵画に例えると、写真を撮る→ラフスケッチ→名作、みたいな流れで、そもそも写真に撮る段階で、駄作、と分かるようなルートが、現代では未踏として残されているだけだ。特に登山大系に載っているところ。だから、

落穂ひろい

として、昔から揶揄されているのだから…。今は時代の試練を経て、多くのルートが、ラフから名作への一歩を踏み出したい、という時点にいる。それを阻止しようとしているのが、ラフを手放さない著作権主張者みたいな感じだなぁ、と思う。

そして、次に起こっているのが、5.12波状攻撃登りで、つまり、何日もかけて1本でも5.12が登れたら、5.12クライマーです!っていう話。これは、ケーキの土台は端折って、トップのイチゴだけを食べるような話だ。そして、ケーキ全体を食べてます、って言うけれど、実は全然、ケーキの味は知らないのだ。

…という実態を知ることになった九州での山の経験だった。

付け焼刃と金メッキで出来ていた…

おまえらの人間のメッキもぐるっと丸ごと剥がれて、お見通しだぞ!と言いたくなったよなぁ…

終わってせいせいした!

■ 瑞牆

友人のタイ人のクライマーが瑞牆に来たので、歴史的な経緯を教えてやろうと思ったが、分からないかもしれないなぁ…。

あの瑞牆のトポの書き方では…。

歴史も何もない、アメリカの国を模倣したトポになっているからなぁ…

こちらは、金峰・瑞牆・小川山エリアの私の記録の一つだが…

御岳新道という古い古道からのアプローチだと、金峰山山頂に行くのに丸二日、人によっては3日かかる。

https://stps2snwmt.blogspot.com/2013/03/blog-post_3494.html


このエリアでは、読図の山もやったし、雪もやったし、沢もやったし、アイスも登った、ロングルートのラッセル三昧の金峰山もこなした。

そこで、つまり、こうした金峰山エリアへの愛‥‥段階的なステップアップがあって、故・吉田和正さんと登った昇仙峡のクライミングが、意味を持つのである。











故・吉田さんとのクライミングは、ケーキのイチゴである。

一つの山のエリアを愛する、というのは、そういう縦糸を紡ぐことであり、100名山やワールドツアーというような、スタンプラリーとは異なる。もちろん、他の山、他の岩場を知ることで、ホームの山、ホームの岩場の価値も分かるようになるから、どちらもいるが、深く知るということを捨て去っているのが、グレード一点豪華主義クライマーたちだ。

その時どきで、ふさわしい山というのが、そのときどきに与えられることに、喜びと、運命の不思議さを感じながら、登るのが山だ。

みんなの山は、なんでそうなっていないのかなぁ…それが不思議。

たぶん、そもそも、生きている土台が、何か全く違うところに基づいているのだろう。

■ 山梨時代は一体何に守られていたのか?

私は、2009年以降に山梨に来たので、クライミング史をリアルタイムで生きていない。

だから、全くその嘘と虚構を知らずに済んでいた、というのが山梨時代の真実なのでしょう。

でも、さ~ 嘘と虚構で固めて賞賛を得ても、ですよ?

そのことは自分にはバレているわけで、そんなんで自信になるんかいな?

■ そんな自信のない君たちを救いたいよ?

これは、セルフコンパッションのクラスの主催者からのお知らせだ。

ーーーーーーーーーーーーーー 中尾さんのFBよりーーーーーー
<セルフコンパッションを育む8週間 0回目 オープニング>

自分らしく生きるためには、休み方を学ぶ必要がある。
私たちは教育やしつけの中で、自分に厳しくする方法ばかり教わってきた。
もっと頑張れ!もっとできるだろ!大丈夫、お前ならできる!
という励ましや声援を受けて育った私たちは、自分自身に対しても同じように接する。
これを自己奮励という。
これがダメなわけでも、悪いわけでもない。
自己奮励はパワーを生み出し、空を飛ぶための翼になる。
これがパワーの翼。
だけれども、鳥はずっと飛び続けることができない。
必ずどこかに止まって休む必要がある。
自分らしさの羅針盤を合わせて、推進力を養う。
ここをラブの止まり木という。

私たちはそのラブの止まり木を学んでこなかった。

頑張ること、忙しいこと、困難に立ち向かうことばかりを良いことと教えられてきたから
心が、身体が悲鳴をあげるまで休むことをしてこなかった。
だから、いつも苦しさが常に隣にいた。

セルフコンパッションは自分を甘やかすわけではない。自分勝手に振る舞うわけでもない。
自分らしく生きるために必要なエネルギーを養い、自分らしさの羅針盤の針を合わせてくれる。
このラブの止まり木を学び、使いこなすことができれば
心や身体がダメになる前に、休み、またパワーの翼で飛び立てる。

また8週間を共に旅する仲間に出逢えた。
自分自身が、仲間たちがどんな体験を通してセルフコンパッションを育んでいくのか。
それが楽しみでならない。

今回はオープニングということで簡単なワークの実践と説明だけだったのに
多くの人が共感の世界に引き込まれていました。
ほんと不思議な時間がただただ流れていく。

ネガティブな経験を無かったことにしたり、隠したり、抑圧したりせずに
ただただ、あるがままにそこにあることを認めてあげる。

たったそれだけで、何も解決はしないのだけれども、心が満たされて余裕が生まれる。
場が和む。
たった5分でも、30分でも良い。

今まで外側ばかりに向けていた意識を、優しく自分自身に向けてあげると思ってもいなかった宝物に出会える。
奇跡がはじまる。

ほんとうに共感は心の護心術。
仲間たちとともにゆっくりじっくり学んでいきたいと思います♪
ーーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーー

休み方を知らないと、強制終了が訪れます。

一つは鬱。一つは死、です。

私は倉上慶大さんは、ラブの止まり木を学ばなかったために死んだのだと思うんですよね…

後でどんな山に行く予定だったのか分かったんだが…

https://www.climbing-net.com/news/ryushin_20240928/

心臓悪い人に高緯度の山って…。そりゃハンデにさらにハンデをつけ足すような山だと思わなかったのだろうか…。どういう経緯でグリーンランドだったのかは知る由もないが。

もっともっと…

5.14という高難度で、RやXを登っても、もっと上を目指せと、許されず、もっと、もっとと要求され続ける…ということの

 絶望感


これと同じものが、私が鬱に陥るときの絶望感なんだが…

これは、みんなには共感できない部分なんだろうか?

まだ10代なら、自分はまだまだ成長期にある実感があって、5.15でも、5.16でも登れそうな気がしているのなら、絶望もしないかもしれないが…

これは、バレエでも見た光景だ。3歳から踊りはじめ、親や先生の期待をいっぱい受け、やれ、三羽の白鳥だ、今度はオデットだ、次はオディールだ、留学だとなっても、大体みんな18歳でやめます。エトワールにはなれなかった、から…。そして、二度とバレエに戻ってこない… 深く傷ついたからです。お前は才能がない奴だと。あんなに大好きだったバレエなのに…。

でも、大人からスタートしたバレエダンサーなら、最初から競争のスタートラインにすら立てていないので、全く無関係に話は進んでいきます。

私は19歳で駅前の小さなバレエスタジオからバレエを始め、20年続けました。途中、アメリカでもクラスを取ったし、メルボルンでもクラスを取りました。本場おフランスには初期のころに行って、オペラ座でバレエ鑑賞し、最盛期でバレエレッスンは週4,5クラス取っていたので、本職のバレエダンサー並み(毎日)とはいかなくても、ダンサーみたいな生き方でした。そんな生活をしているOLさんは大阪には一杯います。福岡にもいっぱいいました。

大阪ではバレエスタジオミューズの先生だったので、その先生の名前を出すと、東京でもスターダンスバレエ団の男性の先生が良くしてくれ、福岡でも、ああ、ミューズの人なの~というわけで良くしてくれ、最近は、誰が先生か?とも聞かれず、プロでヨーロッパで踊ってきた先生からも、分かってるね、扱いでした。14年ぶりにレッスン受けましたが。

先生たちの様子から、内輪。また、いつでもおいで~状態です。初心者の人だと、もう~分かってないなーってなります。今コンテのクラス、探していますが…

バレエとクライミング。クライミング界では、普通に、普通の人が、エトワールを降りて、自分の等身大のクライミング人生を生きることがなんかできていないような?

それは、クライミングがマネタイズできないからではないか?と思いますが…。だって、スポンサーされても、スポンサー本人も何で収入源にするんです?

やっぱりクライミングを教えたり、ジムを運営したり、と、自らクライマーが工夫して、何かマネタイズしないといけないのでは?

ちなみにバレエ界では、お教室運営が基本的には、王道です。そこから、また強い選手が育っていけば、指導者としての名声が待っています。

しかし、そのせいで犠牲になっているのは子供で、早すぎるコンクール出場で体をダメにしてしまうために、肝心の18歳で、他国のダンサーとの競争に負けてしまうっていうのが、日本の規定路線です。

日本人は早期教育に詰め込みすぎるのです。ほとんど親とか先生とかの執念みたいになっています。これでは国内競争に勝てても、国際競争に勝てない。

思えば、我が母も、幼稚園お受験、小学校お受験、中学校お受験、と私に期待だけはよせたくせに塾には行ったことがないのでしたが…ほんと塾なんて行かなくてよかった☆ 

いっていれば、自分で考える、という最大のギフトは得られなかったでしょう。

たぶん、ユージさんも、倉上さんも、若い間に海外に出て、日本型の詰め込み教育から逃れたことが勝因なのではないかと思います。

才能はつぶすのではなく、育成しましょう。




2024/08/13

【クライミングによる地域おこし】 提言!本当に地域のためになる観光開発を!

■ 私の発想が一般の人の発想力を超えているのか?

最近、もしかしたら、普通の人は、私が考えていることが理解できないので、私の考えを誤解しているのではないか?と思い始めました。

人は自分がエゴで動くタイプだと、相手もそうだ、と思うのです。日本では行き過ぎた個人主義により、自分さえよければいいという行動指針で動く人が増え、それがデフォルトになっているので、自分さえよければいいという自己中で私が動いているという誤解を受けているんではないか?と考えるようになりました。

ので、クライミングによる地域おこしについて、私が大事だと思っている点を書きます。

大事な点: 

・一般の地域の人が、クライミングとクライマーを理解すること。

・地域の合意の上に、クライマーはクライミング活動をすること。

・クライマーは地域に貢献すること。

■ クライミングによる地域おこしが必要な背景

日本では、クライミングの町がまだない。

しかし、日本はアジアの中で、比較的岩資源に恵まれ、なおかつ先進国で生活インフラも整っている方である。

岩場に行くのに車でアプローチできない場合は日本では少ない。

また海外では、岩場がある町をめがけて、数珠つなぎに世界中を回る、クライミングによる世界ツアーをしている者、同じようにスキーツアーをしている者、サーフィンでつないでいる者、など、アウトドアアドベンチャーによる海外ツアー、世界ツアーは、一般的で、一般大衆も行っている。また滞在は、基本的に一週間以上の長期である。

同様に、お茶産地、米産地、ワイン産地なども、ワールドツアー化できる。

しかし、日本国民はそのことに無知であるだけでなく、その恩恵も享受していない。

一般的な、神社仏閣、世界遺産による一般観光の大衆向けツアーから脱却できていない。

ちなみに、登山界のアカデミー賞と言われるピオレドール賞を受賞したクライマーが5人も日本には住んでいる(いた)。

また、場合によっては岩場(サーフィンのポイント、スキーの山)が気に入り、移住者がコミュニティを作ることは珍しくない。それは、すでにニセコで具現化されている。

日本の地元(ローカル)経済は、これらの事実から全く恩恵を得ていない。

むしろ、場合によっては日本乗っ取り、と受け取られかねない。

■ ”地域おこし”である重要性

以上のような理由で、クライミングによる地域おこしが、日本のアウトドアツーリズムの強みとして活用できる可能性が非常に高い。

海外には、クライミングの町、となった都市が多数存在する。

いずれ、どこかの町が、海外クライマーにも著名なクライマーの町として名をはせることになるだろう。

それが、小鹿野になるのか?川上村になるのか?城ケ崎なのか?現在では、誰も名乗りを上げていない。状況に流される形になっている、ともいえる。

■ これまで地域にメリットが全くなかった理由

クライミングが世の中に健全なスポーツとして認知されていなかったため、クライマーの側も、世間から隠れて登る必要があった。

地元の人が、クライマーの事故、マナー違反、迷惑駐車、その他の地域に有利にならない行為に怒り、岩場を禁止にすることを、アクセス問題という。

アクセス問題は、クライマー界にとって、クライミング禁止になる、という本質にかかわる問題で、この恐れがあったため、クライマー側としては、コソコソと隠れて登るしかなかった。

■ インバウンド収入による地域経済、生き残りの道

政府による長年のインバウンド誘致が功を奏し、浅草、京都、福岡、ニセコ、立山など各地でインバウンドによる収入増、が起っているが、一方で、京都や富士山に代表されるような、オーバーツーリズム、迷惑の落としもの、のニュースも多い。

こうした点を避け、受け入れ側は、

・イージーマネーに目の色を変えた無節操な受け入れ (例:民泊業者の荒稼ぎ)

を避け、来訪側は、

・その場限り、一回だけ、自分さえよければいいというエゴ

を避け、

日本の岩場と、日本人クライマーを含む世界のクライマー人口との良好な関係を築いていく

ことを第一の目的とした地域おこしが望まれている。

”軒先貸して、母屋取られる”とはニセコのことである。日本に第二のニセコを作ってはならない。

■ クライマーによる地域おこし成功事例

1)岐阜県下呂

鈴木亘さん(元・地域おこし協力隊)のFB参照のこと

https://www.facebook.com/wataru.suzuki.7524

映画『笠置ロック』 https://www.kasagirock.com/

2)失敗事例

宮崎県 日之影町 比叡の岩場 箱ものを建てただけでソフトウェアがない

3)取り組み中

埼玉県 小鹿野町 

県議の高橋議員が世界的クライマーの平山ユージさんの提唱に応じる形で行っているが、地元クライマーの反発などで、苦戦中。クライマーも一枚岩ではない。

https://www.youtube.com/watch?v=DzWgOYi2lds

その他、ローカルクライマー自らが、地域おこしに取り組んだら、活性化可能な地域がいくつかあるが、地域おこし協力隊の業務が確立していないため、前例のない業務を遂行する能力不足の現代の若者には手に余ることになっている。

■ 山岳会や古いクライミング界について概要

老舗山岳会も高齢化し、整備など手が回らない。情報も持っておらず、古い知識しか持たないが、その基準は、すでに古いというより陳腐化ということになっている。むろん、だからと言って、過去の偉業や栄光について、敬意を欠いてよいというわけではない。

一方、東京・大阪などの都会のクライミングジム出身のクライミングチームが、地元山岳会への断りなく、岩場を開拓したり…というトラブルも散見される。

そうなると、開拓チーム間で小競り合いが生じ、複数の開拓チームがいると、グレードの統一もままならなくなり、岩場としてグランドデザインを欠いたもの、ちぐはぐなもの、になる。(小鹿野談)

若手チームが再整備し、トポを英語版を含めて再販したり、などでグレード改定が行われたり、海外への発信が行われることで、古いクライマーの思いを踏みにじることもある。

どちらにせよ、コミュニケーション上の相互理解を端折ることで、小さな紛争や心理的わだかまりの元になっている。そして、勝ち組と負け組に分かれると、今度は反目が始まる。

円安の折、友人の台湾クライミングガイドも日本遠征に来たり、世界のクライマーからの、日本の岩場への注目は、今、スタート期にある。

今後の増加に当たって備え、世界的なクライマーの町として一歩を踏み出す好機にある。

先手必勝で早急にコミュニケーションの場づくりに努めるべきである。

■ なぜ小川山ではだめなのか?

小川山は、すでに全国区でクライマーの町として確立しており、全国から多数のクライマーが訪ね、週末ともなれば、駐車場は満タンである。もともと金峰山の登山基地でもある。

おがわやまだより

https://www.facebook.com/ogawayamadayori

すでに飽和状態にあり、また、フリークライミングの岩場として入門的位置づけなので、クライマーの倫理的な態度については、緩めである上、わざわざ海外から訪れるメリットもない。

アメリカでいえば、ジョシュアツリーのような、クライミングの倫理観に厳しい岩場、クライマーの倫理観を提示していく岩場が必要とされている。

また、そういうポリシーに貫かれた岩場こそが、わざわざ訪ねる甲斐があろうというもの。

厳しい倫理観で大衆を導いていく立場の岩場がないと、人はどんどんと安きに流れていき、ひいては、外岩クライミング自体が、インドアクライミングとなんら変わらぬものになってしまう。

余談だが、その現場を九州で見た思いがする。自然岩に人工ホールドが付いていた。

■ 昨今のクライミングブームについて

現在オリンピック中だが、オリンピックで行われているクライミングは、スポーツクライミングと呼ばれるもので、全く命の危険はない。かなり安全なスポーツである。

クライミング界は、言葉の混乱があり、登山の延長であるアルパインクライミング、標高の低い岩場をできるだけ道具を使わず登るフリークライミング、リスクがないスポーツクライミングが混在して、クライミングの一言で表現されている。

異なるリスクのクライミング形態が、”クライミング”の一言で済まされてしまうため、門外漢である地元の人には、違いが分からない。そこで誤解が生まれたり、逆手に取られて、不利益を被るなどの、行き違いが生まれている。

このうち、外岩、と言われ、アウトドアツーリズムに使用するのは、フリークライミングというカテゴリーである。比較的命の危険はないが、技術的にスキル未満の者が行うと、致命的事故につながる。この点は、運転と同じである。誰でも運転はできるが、いい加減な取り組みで、いい加減な運転をする人は、すぐに事故を起こすものだ。現在、岩場で多発しているのは、いうなれば、無免許運転ドライバーによる事故である。

この20年ほど、都会にあるクライミングジムで、リスクのないインドアでのスポーツクライミングを覚えただけのクライマーが、アウトドアの岩場に来て、事故を起こすという流れにある。

新しいトポ(ガイドブック)が発行されたことで、この流れは加速している。

ところが、地元の人々は、クライミングについて無知なので、言葉は悪いが、その隙に、スキルが未熟なまま押し寄せるクライマー側に岩場を濫用されることになっている。

本来、岩場がある山々を整備し、守ってきたのは、地域の地元の人々なので、地域おこしとなるべきだ。また、岩場の利用によるメリットは、クライマーが独り占めせず、本来、地域経済に還元されるべき。

■ 外岩事故について

標高が低い岩場で、クライミングだけを行うクライミングのことを海外ではクラッギングというが、これによる事故は、地元行政に登攀禁止にされることを恐れて、日本では、隠蔽されている。

これは不健全なので、地元の了承とバックアップを得た、適正なクライミングを推進することで、地元との関係改善によるメリットを、地元、クライマー共に得ることが大事だと考える。

地元のメリット: 

・クライマーによる有名地化、

・観光収入

・地元の誇り

クライマーのメリット: 

・クライミング活動を理解してもらえる、

・事故時の対応、事故原因の照査による再発防止、

・宿泊、飲食、送迎等のベーシックニーズの支援

■ 地域おこしである重要性

クライミングが世の中に認知されてこなかったという歴史的経緯から、これまで日本では、クライミングは、こそこそと隠れて行われてきた。今は時代の変わり目にある。

地域おこしとして活用しないと、どうなるか? 人間はクライマーに限らず、惰性の生き物であるので、これまで通りの活動を続けるというエネルギーが働く。

つまり、状況に流されるままになり、充分、外岩訓練を積まないまま、インドアでクライミングを教わっただけのクライマーたちが、岩場に押し寄せ、事故が多発し、これまでの良い山のイメージはなくなり、谷川岳同様、死の山として人々の記憶に残ることになるだろう。

逆に世界的と言える記録も、ほとんど誰にも知られぬまま、ということになる。

例:倉上慶大、千日の瑠璃。昇仙峡、デイドリーム。ハンノキ滝冬期単独初登。

■ 観光開発には時間がかかる

また、このような活動は、成果が出るまでに時間がかかり、コスト回収が遅いので、個人の開業事業としては不適切である。

取り組む人は行政から給与を支払われるのが適切だと考える。

■ 地域おこし協力隊就任イメージ 

1年目:

・周辺住民に対する個別の説明、及び、アーリーアダプタークライマーへの利便提供

・世界のトップクライマーに岩場を評価してもらう。

2年目:

地域住民全体で、地域としてどのようなクライマーの受け入れをしていきたいか?地域の憲章のような宣言を作る。ビジョンをまとめる。

 例:事故はやむを得ないが、事故をわざと起こすような準備不足のクライミングを行うクライマーは遠慮願いたい、など。例:カムの設置力が未熟。

 例:次の写真を参照 これはクライマー間の話し合いで作られたものと思われる。


 例:RX(死の危険があるルート)のルートを登るクライマーは、3名のトップクライマーの許可をもらってもらうなど。町として挑戦を応援するために、広報として現地カメラマンを用意する。

 例:NHKサフィラ 世界最難のアイスクライミング課題

3年目:

トップクライマーによるデモや、歴代クライマーのトークショーなどのイベントを開催。地域住民参加無料など。特にクライミング教育に注力

■ 地元への説明努力が8割

地域を置いてきぼりにしない、クライミングによる地域おこし

は、地元への説明会努力が8割です。

もともと全くクライミングに興味がない地域住民に、クライミングの話をするのですから、非常に大きな労力がかかることは予想できます。

これを避けてきた結果が、現代の登攀禁止エリアの多発です。

住民への説明努力や理解を得る段階をサボって前に進むと、企画が進んだときに、成功しても失敗しても、地元は聞いていない、こんなはずではない、ということになり、齟齬が生まれ、関係解消となるリスクがあります。

■ 地域おこし協力隊制度の利用 取り組む人に職位を与える

この企画を推進するにあたり、

・該当地域での地域おこし協力隊への就任

が必須です。

職位がないと無報酬の仕事になり、誰にとっても推奨できかねます。

一度、前例ができれば、全国各地で同様の活動を行えばよく、モデルケースとなる。

クライミングによる地域おこしは、岩場ありきであり、岩場に近い物件ありき、なので、岩場のすぐそばで物件が見つからない限り、行政に話を持っていく以上の活動はしにくいため、です。

行政側にクライマーがいることもあるが、その人はクライミング以外に行政内部での仕事を持っているので、観光開発に取り組むことはできないことが多いです。

岩場のことがローカル住民に充分、認知されれば、地域には必要な資源はあります。

例えば、岩場まで歩いていける民家をクライマーの臨時雑魚寝ハウスにする(宿泊費1000円程度の簡易宿泊)などは、たくさんあります。日之影町は公民館をそのように使っています。

しかし、地元住民の認知を広めるための活動拠点になる場所は、僻地の公民館ではなく、行政拠点をおいてほかなく、できれば、〇〇町役場や〇〇支所などあれば、そこを拠点にした信頼関係構築のための活動が好ましいと思います。

■ 活動イメージ

週休2日週5日勤務と想定

・週2日外勤:

町内の各家庭を訪問、困りごとのヒヤリング、クライミングによる地域おこしの説明、各情報提供者、重要クライマーとのMTG、など外回り

・週2日内勤:

レポーティング、企画立案、情報共有と情報の発信、クライマー界への協力要請などの事務方仕事

・週1日岩場勤:

岩場の情報収集(偵察)、クライマーコーヒーなどでの現地クライマーとのコミュニケーションによる情報収集、リスク喚起、岩場の危険個所整備、清掃、その他の岩場関連の仕事。

例:近くの関連施設に顔を出す (売店との連携、宿泊施設との連携)など

実際には、岩場には、シーズンがあり、大体の目安としてください。シーズンの目安は以下です。無雪期には岩場対応が多く、閑散期の12月以降に地域対応とするのが良いと思います。

1月 閑散期であるので、地域とのコミュニケーションを優先

2月 閑散期

3月 閑散期

4月 岩場のスタート時期 大体、例年第二週

5月 岩場ベストシーズン 海外クライマー対応

6月 シーズン 雨で登れないことが多いので臨機応変

7月 シーズン 雨次第

8月 暑いのでクライマーは減りますが来ます

9月 同様 台風シーズンで登れないことが多い

10月 ベストシーズン 海外クライマー対応

11月 シリアスクライマーのみ来る

12月 同様 第2週くらいから、雪や寒さで登れなくなりそうです。

■ 誰にでもはできない

これは、誰でもできる活動ではなく、

・クライミングをオールラウンドに理解しており、(普通の登りたいだけの若者では無理)

・地域全体の向かうべき方向性を、地域の人を置いてきぼりにせずに伴走し、考えることができる人間で、(地域の観光開発の経験やビジョンが必要)

・なおかつ英語が堪能 (インバウンド対応)

でないと、できないので、公募型では無理です。

2024/05/06

【クライミング心理学】 HSPはクライミング向き & 間違っている指導に敏感

 いや~今日は、朝から幹也先生の動画ドクターラマ二のHSP動画が湧いてきました。

キッカケは、みさきじゅりさん、です。

クライミングでトラウマのフラッシュバックが起きるようになり、心理学絶賛取り組み中です。

■ 九州で殺されそうになった私に起こったこと 水泳で再現中

私は、アキレス腱を断裂したので、水泳でリハビリすることになり、水恐怖症なのに、ついに習得する運びになりましたが…

やっと見つけた水泳のコーチが、最近、私の個性に合っていない指導をする、ので、なんか変だな~と思っていました。

ーーーーーーーーこうなっていますーーーーーーーーー

その理由1)泳がせたら、なんだ、上手じゃん 

 内実: 実際、上手なんだが、水が怖いのと運動神経がいいのは別。本人は怖がってる。

その理由2)昔ながらの競泳指導 スピード命!

 内実:本人の内的感覚を無視した、勝つことだけを至上主義とした時代の指導

その結果) 50m競泳プールで泳いだら?など…水恐怖症の人にとってありえない提案が出てくる

 内実: …(汗)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

あるいはこういう風にも言えます。

ーーーーーーーーーー

スタート: 先生、水怖いです、水泳、教えてください (接近)

⇒ 教える、上手になる (教師:生徒=Win:Win) 

 バラ色期 先生もハッピー、生徒もハッピー

⇒ 先生、欲が出る。この子、教えたら、めちゃ上手になるんじゃ…?

⇒ 水怖い人だということを無視した指導 (誤解)

⇒ 選手は恐怖を感じる (危険予知)

⇒ 間違った指導法でも相手に配慮して我慢して従う (我慢)

⇒ 停滞  (Win:Lose)

⇒ なんでなんだよ!と指導者が拗ねる 実は指導者の無理解が原因 (無理解)

⇒ 選手の側は拗ねられても… (裏切り、もしくは、失望)

⇒ 選手は委縮する (当惑)

⇒ 指導無いほうがいいな…誰かほかにいないかな… (無意識の回避行動)

⇒ よし、先生のクラスでは、言うとおりにして指導されているフリして、自習でがんばろ (無理に合わせている)

⇒ (指導者)あの子はちょっと上達したら、言うことを聞かない、わがままだ (誤解)

⇒ 反逆児のレッテル張りをされる (誤解 もともとあっていない指導をする方が悪い)

⇒ 決裂(Lose:Lose)

ーーーーーーーーーーーー

ーーーークライミングバージョンーーーーーー

スタート: クライミング、教えてくださーい (接近)

⇒ 教える、上手になる (師匠:生徒=Win:Win) 

 バラ色期 先生もハッピー、生徒もハッピー

⇒ 師匠、欲が出る。この子、教えたら、めちゃ上手になるんじゃ…?

⇒ 40代&女性だ、ということを無視した指導 (誤解)

⇒ クライマーは恐怖を感じる (危険予知)

⇒ 間違った指導法でも師匠に配慮して我慢して従う (我慢)

⇒ 停滞  (Win:Lose)

⇒ なんでなんだよ!と師匠が拗ねる 実は師匠の無理解が原因 (無理解)

⇒ クライマーの側は拗ねられても… (裏切り、もしくは、失望)

⇒ クライマーは鬱になる (鬱&被害妄想、このままいけば殺される~)

⇒ 指導無いほうがいいな…誰かほかにいないかな… (無意識の回避行動)

⇒ よし、とりあえず、一緒にクライミングしているときには、言うとおりにして指導されているフリして、コソ練でがんばろ (無理に合わせている)

⇒ (師匠)あの子は言うことを聞かない、わがままだ、理解できない (誤解)

⇒ 反逆児のレッテル張り (誤解 もともとあっていない指導をする方が悪い)

⇒ 決裂 (Lose:Lose)

ーーーーーーーーーーーー

■ もうできるじゃん誤解

私はヨガの講師をしていたくらいなので、たぶん、運動神経は一般の人より良いのです。少なくとも、悪いほうではないでしょう。アスリートと行かなくても、準くらいなんではないですかね…40代でクライミングをマスターするくらいなんで。

そういうことなので、水泳も、教えれば、すぐ指導が吸収される。エンパスだから吸収能力が高いわけです。そうなると、教える先生としては面白いわけです。

しかし、その内容が…。

私は初期の指導以外は、水泳指導でも違和感を感じ始め、YouTubeでいろいろ模索して、自己努力、つまり独学…を始めました。これは無意識です。

今思うと、合っていない指導についての違和感が、「誰かほかに教わる人いないかな~」となったわけです。

最近お気に入りは、トモキン先生とせりかちゃんですが、海外選手の動画でこれだ!と思いました。

こうして自分の泳法に合うスタイルの選手を見つけてきて、また上達の軌道に乗ったので、昨日は、プールが空いていたこともあって、あっという間に上達しました。

  楽しい ⇒ 夢中 ⇒ 結果的に努力となる ⇒ めちゃ上達 ⇒ 自信

多分、バタフライは、最初から生徒全員の前で泳がされたくらいなので、何も指導が入らなくても上手に見えていたとおもうのですが、先生の指導通りやると、競泳スタイルで、スピード重視の泳ぎになってしまう…、腕めっちゃ早回し!です。そりゃ、これを長年やれば、逆三角体形になるよな、って感じ。

でも、私、それはやりたくなくて、

 長く疲れないで泳ぐ、気分はイルカ!なスタイル

のほうが好きなんですよね… なんせ、50代から選手、目指します?目指しませんよね。

元々、水恐怖症の克服 っていう理由で水泳しているんだし。

そこがいつの間にか、指導者から、

  目的の取り違え

が起こる。別に今から、競泳選手になるとか、ありませんので。大会も出る気ないし。

■ たとえ選手でも…

そもそも、たとえ、まだ子供で、競技選手になるってケースであっても、効率が良い成長っていうのは、楽しく努力して、スピードは、その結果としてついてくる、ってものです。

私は、英語、ビジネスレベルですけど、そういう努力しかしたことありません。TOEICスコアなどの結果を求める勉強したことないけど、ほとんど満点です。

アイスクライミングも同じで、普通に丁寧に登っていたら、気が付いたらスイスイ登るようになる…実際、アイスクライミングではそうなりました。

40代からスタートして、国内コンペで5位って、それなりにすごい記録と思いますけど。

そういうことなんで、一言でいえば、価値観が違う指導者に、ああしろ、こうしろ、って余計な指導はしないで、ほっといて!って感じに結果としてなりますよねぇ。そうなると決裂です。

違和感の元は、指導者の側にある、行き過ぎた競争意識、結果至上主義、です。

指導者は無意識で、それしか指導法教わっていないから、それしか教えられないんだと思いますけど。

別に、クライミングでも、水泳でも、今からオリンピック選手になるわけないじゃないですか?なのになんで、ジュニア選手向けの指導をするんですかね??

コミュニケーションのすれ違いと理解することもできますが、背景には、勝利至上主義があります。

大人の生徒に競技を指導をする、その発想のほうが、非現実的だと思いますが、指導者ってそのことに無自覚みたいなんですよね。

これがクライミング版で、九州でも起きました。

■ クライミングで間違った指導をされると殺されることになる

3年で、外岩5.10ノーマル、5.11a初オンサイト…ってのは、成人クライマーの普通の成長スピードです。女性の場合だと、むしろ、早いくらいです。

特に外岩では、リーチが問題になり、リーチの無い女性のほうが多くのリスクを背負い、なおかつグレードによるステップアップは意味がないです。

もちろん、猛者ぞろいのクライマーに混じると見劣りはしますが、40代からスタートした人を大学山岳部や高校山岳部でスタートした人と比べるほうがおかしいですよね。

趣味のスイマーに、競技スイミングを強要するってのが、変だと分かる人が、クライミングになると分からなくなるんだよなぁ。なぜですかね?

水泳で個人に適していない競泳指導をしても、変だなーとなるだけですが、同じことでも、クライミングでやると、死に直結しますからね。

特に小さい人には、グレード全く参考にならないです。これは海外岩場でも同じです。

しかし、特に日本の岩場では、誰にとってもグレードそのものが参考にならない作りが岩場ではされています。

みんなは私が自信がないからチャレンジを躊躇しているんだと思っていたと思いますが、それは間違いで、本当に殺されそうだから、しないんですよ。私はチャレンジを恐れる人間じゃなくて、むしろ、しすぎな人間です。2万円しか財布になくて、海外で放浪生活します?しないでしょ、っていうか、できないでしょ、みんなは。

人工壁で5.12を登っている男子でも、5.9と題された、実は、5.10cで、うんうん唸って2時間半くらいかかったんですよ? 私は昇仙峡でアダモ10cを10aと騙されて登っていましたが、2時間もかかったことないよ? 私は人工壁、5.11までしか登れません。

グレードは背と握力の結果なので、この5.12男子と5.1150大女子の私が直面している壁は内容としては全く同じです。結果として現れるグレードが違うだけで。男子が5.13に挑むのと、女子が5.12に挑むのは同じですからね。

特に、背の低い人にとっては、5.9ノーマルになって以降は、外岩ではまったくグレード関係ないです。

男子は、一般市民の無知や誤解に基づく賞賛を受けても、ナルシズムが充足してうれしいのかもしれませんが、私は全くその逆です。

この賞賛で、相手の期待値が非現実的に上がってしまい、自分の登攀レベルだと、命の危険があるルートを登らさせられる羽目になったらどうしよう…と想像して、むしろ、真っ青になります。

師匠の青ちゃんもそうみたいでしたよ? 想像ってだけでなく、現実にも実際起こりましたからね。比叡で。マルチピッチで、初見で、全装で、知らないビレイヤーでリードって…。そんなの普通やらせないですよ、初対面の人に。もう、ほとんどイジメか、子供だったら虐待経験、ですね。

■ 男子向け指導は、女子には非現実的

標準身長がある男子クライマーと同じように、5.10aが4本登れたら、5.10bね、っていうグレードのステップを上がらせよう、という指導など、全く意味がないです。

人工壁のグレーディングってムーブでは決まっておらず、単にホールドが遠くて、だんだん小さくなっていくだけ、傾斜がきつくなるだけ、のことです。

一方、外岩では、グレードは開拓者の主観なので、てんでバラバラ。

ボルト位置が遠ければ、背の低い人にとっては、クリップできないので、簡単なルートでも、命がけ、です。

ちなみにラオスのこのルーフは、初心者向けです。私が登れるくらいなんで、誰でも登れますけど、一般の人が見たら、ユージさんのこっちと区別がつかないですからね(笑)。

          5c(5.10a) レベルのルーフ =一般クライマー


             5.12bの傾斜

無知な一般の人から賞賛受けても、全く意味なしですからね…。

■ ルーフのこと

余談になりますが、私がルーフで分かったことは、リードか?フォローか?全くカンケー無いってことでした。

ロープが前から出ているか、後ろから出ているかの差だけなんです。上下関係、なし。

なんで一度は初心者でもルーフやってみたらいいですよ。

落ちたら、最初からやり直しです。

ヨーヨースタイルが意義あるスタイルなんだなって分かると思いますよ。

ハングドッグスタイルって、最初からやり直しではなく、落ちたとこからスタートなので、結構ズルなんですよ。ハングドッグってカッコ悪~。

そのことが分かるでしょう…

2024/04/11

【クライミングによる地域おこし】熊本五木・天狗岩 について考察

■ 故・飯山健司さん

熊本五木天狗岩は、

 あの故・飯山健司さんが

「おれ、ここに住む!」

と言ったほどの、石灰岩で、石灰岩の岩場としては日本最大級と目されている岩場です。

しかし…ある場所がなぁ。五木。

五木と言えば、五木の子守歌で知られる、熊本の平家の落人の里で、まぁ辺境・奥地です。

日本で辺境と言えば、めっちゃ不便な場所にあるってこと。

つまり、ローカルの人も、え…五木かぁ…と躊躇するような遠隔地にあります。

しかし、素晴らしい岩場であることは間違いないようです。

ただ、当然ながら、地元行政は、五木天狗岩の可能性に気が付けるクライミングリテラシーがあるか?ないですよねぇ…。

例えば、ギリシャのカリノモス程度でも、行ったことがある日本人は超少なく、結局、日本人にとってのクライミングって、外岩ではなく、人工壁のことで、勝った負けたの切り貼りのことです。つまらん。お受験と同じです。そんなつまらん価値観は、小学生で卒業したぞ?

さて、その五木ですが…。

■ 最悪のケース

五木の地元行政に開拓許可が取れる。

しかし、その一方を聞いた途端に、開拓技術の未熟な全国の開拓者が一斉に岩場に集まって、岩場全体としてのグランドデザインがゼロのまま、なし崩し的に開拓がはじまり…それは結局、誰が一番難しいルートを引くか競争なので、結局、その岩場の個性は無視され、岩場としての整合性より、無理に難易度を上げたルートばかりになり、結局のところ、他の全国の岩場と同じ、5.11~5.12に収まり、せっかくの岩場が台無しになる。

オマケに違法駐車で、全国から集まったクライマーがみな浮浪者みたいな様子なので、地元住民は、その様子を見て、上野のホームレス炊き出しみたいになるんじゃないか?と超不安に。

ルートも混みこみぎゅうぎゅうで、見つけづらく、あるルートを登ったつもりだったら、上部で他のルートに行ってしまっていた…ということが頻繁に起こり、ナチュラルなラインになっていない。

誰もがこぞって開拓したいと大急ぎで開拓するため、安物ボルトを使って、なおかつボルト数を節約する。

その結果、ボルトも遠く、とても、5.9を登る人が5.9とつけられた課題に取り付ける状況にない。

当然のごとく、死亡事故が起こって、登攀禁止になる。

■ 最善のケース

五木の地元行政に開拓許可が取れる。

そして、地元行政は、開拓許可の代わりに以下のような条件を付ける。

・決して事故を起こさないこと

・事故を未然に防ぐこと

・近隣住民の迷惑になる行為は現に慎むこと

・環境破壊につながるような行為は、事前に町に相談すること

・クライマーの責任と行政の責任をきちんと線引きすること

これを受けてクライマーたちは、

・事故を誘発しない作りの岩場の開拓に何が必要か?と思案し、墜落に耐える適正ボルト間隔墜落に耐える強度のある適正ボルトを使う。

・安全性を第一に考えた結果、混みこみぎゅうぎゅうは、ビレイの関係からも不適切と判断される

・石灰岩のどっかぶりであるので、その石灰岩の適正に見合った開拓が指向される

・佐久の岩場のように、プリクリップが必要な課題にはトポにそう記載される。


■ 石灰岩の開拓は、花崗岩の開拓のような見栄っ張りができない

花崗岩って、見栄、張れちゃいますよね…。ほんとは怖いのに、いや俺は怖くねぇ!って、こんなところでボルト打ったら、弱虫って思われるかなぁ?とか思っちゃって、ボルト打つのは、あと1m先にしよ~、とかなっちゃいませんか?

だから、花崗岩って、結構、見栄っ張り路線なんですよ。

■ 下手くそリードを見て参考になった

見栄っ張りリードと言えば、アイスクライミングで相沢大滝に行ったときのことがありました。連れて行ったビレイヤーが、私がリードすると言ったにもかかわらず、心配して、「いや俺がリードするよ」と言ったので、そんなに自信があるなら、してもらおうか…となったのですが…

あちゃー!ってリードでした…。

・まず、トータルの登攀ラインを見ていない。

・次に、見栄っ張りで、強点に取り付いた (下は難しいライン)

・しかし、登りながら弱気になって、弱点に流れて行った (上は簡単ライン)

・そのせいで、ルートが屈曲し、ロープが90度近くに屈曲

・結果、くねくねしたリードラインになった

ね?経験の浅いクライマーにリードさせると、どうなるか?こうなるんですよ。

もしかしたら、これがスタートだけが難しくて上に行くほど簡単になるルートの起源かもしれませんね?

アイスクライミングなら、まだ岩は傷つきません。氷はアイススクリューでリードするので、失敗しても自然界は無傷です。

しかし、岩に取り付いて、上記のようなリードしたら??? 

それでも初登は初登とか言って、このヘンテコなリードラインを保存します?したくないですよね?だって、最初から失敗丸見えなんですよ?

アイスクライミングは、クライミング自体は簡単です。なので、出来の良しあしというのはリードラインの美しさの勝負なんですよ。

これは僭越ですが、わたくしのリードライン 教育をきちんと受けていると分かるラインだと思う


そういうことを分からないで10年以上の時を過ごすことができるっていうのが、そもそも不思議ちゃん、なんですが…。たぶん、ジムで正解ムーブを見つけることを課題にしているとそうなりますね。

つまり、何年経験を積んでも、自分でリードし、正しい師匠から教わらない限り、岩や氷との対話については分からないってことです。私が青ちゃんと組んだのは、たった1年、それもアイスは登れる季節が短いので、3か月だけですからね。

こないだ小鹿野のクライマーズトークで宴会に出たら、クライマーと一杯、喋れて楽しかった♪

みんなこんな話してるんですよ… 

どうりで、このヘンテコリードした人とクライミングの話題で話が盛り上がらない…と思ったんですよね。

だって、私、クライマーでも相手によっては無限にクライミングの話で盛り上がれるんですよ。洋の東西を問わず。

こないだも、ギンちゃんやサチさんにいろいろ教えてもらってうれしかった。

■ 私の個人的な意見

花崗岩ではなく、石灰岩を開拓するなら、ギリシャのカリノモスみたいな、ジム上がりクライマーが外岩クライマーになるのに、易しいルート、5Cから、9Aまで、一通りそろっているような、そんな岩場になったら、ジムクライマーばかり増えて糞詰まり状態になっている、日本の閉塞したクライミング状況の突破口になるかもしれないと思います。

日本にはジム出身クライマーが安全に楽しめる岩場がほとんどない。

沖縄の岩場の開拓が参考になるかもしれない。

石灰岩をきちんと岩と対話しつつ開拓できるトップクライマーって、

ユージさんくらいなんじゃないんでしょうか?

だって、アルパインのクライマーは、フリークライミングは、花崗岩止まりの方がほとんどです。石灰岩は無理そう…なんせ被っているから、今日本に存在する平均的なアルパインクライマーの思考回路では、被ったとたんにエイド出しそうです。

アイスクライミングですら、トップのクライミングは、どっかぶっていて、アックステンションはしないで、それにスクリュー打つんですよ? 腕力の関係で、そんなに頻繁にはプロテクションを出せないのでロングフォール前提です。師匠が教えてくれました。

しかし…40年前に時を止めた九州のクライミングシーン…そして、ボルダラーの人は、ロープにぶら下がってボルト打つとか、できないんじゃないですかね?

私は九州出身のクライマー、叶うなら熊本の人が開拓のグランドデザインをするのがいいとは思いますが、人材いないような気がします。

私が見た中ではユージさんがグランドデザインを引くのが、一番岩場の個性を生かすことになると思います。

ユージさん、昇仙峡の11C、11Cとつける、心のやさしさ。

故・吉田さんは、あれ、私に11bと言って触らせていたんで…吉田さんは、グレード厳しめだったみたいです。

ユージさんは若いときからヨーロッパ中で登って、ヨーロッパグレードを体感しておられるので、

”こんなの、俺にとっては11bなんだよ!”というエゴの声ではなく、

”俺には簡単だだけど、これって客観的に見て、11cだよね~、普通の人にとっては”

って声の方を選んでグレードつけると思います。

11bを触るのは何とも思わないけど、11cって言った途端に、わたしなんかは、最初から登れるわけない!と思って敗退しちゃいますから、11cを11bと言ったのは、吉田さんの思いやりだったのかもしれませんが…。

という以上のような考察でした。

心のないクライマーの餌食に、熊本・五木の岩場が食い物にされないことを祈っています。

         故・吉田さんと過ごした昇仙峡の春 8年前の今頃



2024/04/09

【クライミングによる地域おこし】岩場は、”地域”の資源ですよ? 

■ 混みこみぎゅうぎゅうの岩場の原因

あちゃー… これが、混みこみ、ぎゅうぎゅうの岩場の原因か‥(ため息)

ここからの引用は、ある業界重鎮のセリフです。リーダーがこんな考えだから、今、混乱した岩場で、クライミング教育は欠如し、人工壁の登り方で若い人は腐ったボルトにバンバン落ちる羽目になっているんですね。

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 クライミングはあくまで個人の自由意思によるもの

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なら、ボルトを抜きましょう…。自然界にボルトあります?ないっすよね?

朽ちていくボルト…登りたい人が勝手に打ち換えればいい…んじゃなくて、山にうんこを残置してはいけないように、ボルトも残置してはいけないんですよ。特にアルパインの倫理観ではそうです。懸垂支点など、仕方ない場合も、仕方がない、という認知です。

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 岩場も管理されたものではなく、また管理すべきものでもありません

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まったくの事実誤認です。

太古の昔から、日本の里山は管理されています。高い標高の奥山(北アや南ア)もとっくの昔に管理されています。

岩場も、基本的に誰かのもの、です。放置されているじゃないか!管理されていないじゃないか!という方は林業をちゃんと勉強していないのでしょう… 

岩場は地権者のもの、地域の財産です。間違ってもクライマーのものではないですよ?

木の1本から資産として、数えられて、ちゃんと管理されているんですよ。

ひとんちの壁に落書きして、それに著作権を主張しますか?しないですよね?

たぶん、そこんところをクライミング界は全員で誤解してしまっています。

著作権がないのと、素晴らしいルートを引く能力があって、そのルートが素晴らしいことは別の話です。権利主張と賞賛は別ってことですよ?

賞賛されてもいいけど、権利は主張できないってことです。なんせ人の、なんですから。

そういえば、佐藤さん、「ルートは別に俺のモノじゃないし…」っておっしゃっていました。ですよね。

なんでか知らんが、一部の人が、自分に権利がないものを権利主張することになって、再整備も進まない上、腐った残置だらけになってしまっている日米の岩場。

国立公園、国定公園、ならなおさら。国や県、地方自治体に管理されています。

アメリカでは、残置禁止になりそうなそうです…そりゃそうだろう…。もともと残置しないのが美学なのに、いつのまにかボルトで100%安全に落ちながら登るのが権利化している…。

自然界は管理されていない、というのは、あたかもそう感じる、レベルの幻想です。たぶん、雨風が管理できないので、近所の裏山も管理されていないと感じるのだと思いますが、実際は、違います。

ボルトを打つなら、打った人が責任をもって管理する必要があります。なぜならボルトは人工物でキノコのように生えてくるものではないからです。

管理責任が負えないのであれば、打たなければいいのです。それでも初登(FA)はできます。

FAは、トップロープによる試登で現在は行われているんですよ?したがってボルトレスで可能です。

発表すれば、誰かがホントに9Aあるのか?登りに来るでしょう… 

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昔はそのあたりのことは皆わかっていて、モラルというか、紳士協定みたいなものが成立していたのですが、今はどうなんでしょう?

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私は小鹿野の初期の開拓者4人のご様子や甲府の昇仙峡しか分かりませんが、1980年代の昔から、紳士協定なんてなかったみたいな感じでした(笑)。ともかく、誰か一人でも開拓許可を取ったら、他の人は、当然許可は取れているもの、として、我も我も!と開拓に押し掛けたので、ルート混みこみ、でとなりと1mも離れていない…という結果になったっぽい話しぶりでした。

開拓に割り込んでいいか?聞くと言っても、自分が引きたいラインの隣の開拓者に、ここ、いいっすか?とまるで映画館の席に座るように、開拓しちゃっただけみたいでした…。

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あくまで各人の裁量で、開拓するかどうかは決めればよいのではないでしょうか? 

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問い)開拓する能力がない人が開拓すれば?

答え)危険なルートが出来上がります。

これが、1980年代に才能がない人が開拓した結果、3ピン目でランナウトした課題で2018年に人が腰椎骨折をする理由です。

参考:https://allnevery.blogspot.com/2022/01/blog-post.html

下手くそクライマーのリードの仕方 https://allnevery.blogspot.com/2024/04/blog-post_23.html

残念ながら、登る能力と、開拓能力はセット販売じゃないんですよ。

5.12登れてもロープワークお留守のクライマーが9割なのと同じで、人工壁をいくら登っても開拓能力はつかない。

人工壁のルートセッターは高度な職業とされています。

外の岩場の開拓は、同じかそれ以上の能力がいるのに、誰もその人の能力を問わず、誰でもできる。

そんな、お得な、誰でも得れる栄誉、ちゃっかりもらっちゃおー♪と思わない自己愛性パーソナリティ障害の人がいるとは思えない。

自己愛性パーソナリティ障害の人なら、必ず、ちゃっかり俺様欲求を満たすチャンスにしますね。

この目で見ました!!

ここからは私の考えですが、私の考えによれば、ホワイトクライマー(例:故・飯山健司さんとか横山ジャンボさんとか)が弱体化すればするほど、きちんとルートも引けないクライマーが、名誉欲だけの理由で変なところにボルトを打って、それが永遠に残る結果になっています…。 それを擁護するのが、初登者権利論。

岩場にまったくグランドデザインというものがなく、しっちゃかめっちゃかになった理由はこれですね… 超・納得。

2024/04/08

【クライミングで愛を紡ぐ】上野

■ 上野

分子栄養学のディプロマ授与式が日本橋だったので、近くに宿を探した。

今回の宿は、HostelOwl 小さな手作りカプセルだが、たったの2500円で銭湯の隣にあり、快適に過ごせた。東京方面に登りに行くクライマーにはお勧めだと思う。

https://www.hotel-owl.co.jp/

寝るだけの用事に、ビジネスホテルに泊まっている日本代表クライマーたちはクライマーにしては甘やかされている。

以前は仕事で、ウェリントンに一か月いたときはインターコンチネンタルに泊まり、カンザスにいたときは、CandlewoodSuiteに一か月いた。

https://www.ihg.com/candlewood/hotels/us/en/overland-park/mkcgv/hoteldetail

そりゃ一日中、ホテルに缶詰で、デスクで16時間仕事するんだから、多少払っても価値があると思う。

そこから、山の中のテント泊で、ー25度の寒さの中でも一人で完結できるほどに成長した。

この写真は、ちなみに11月で、-25はない。どちらかというと楽勝系テント泊だ。

実際には、私は2月の八ヶ岳で雨の中、テン泊している。

思えば、遠くに来たもんだ。

 


■ 誰にも奪えない自信

ただどこかに宿泊する、ということだけをとっても、これだけの

 経験の幅

がある。そのことで広がる視野がある。

その知見だけは誰にも動かすことができない、揺らぐことがない自信だ。

それが大人として、経験をもち、知見を増やすということの意味だ、と思う。

宿泊なら、ホテルなら、雪の中のキャンプから、高級ホテルに1か月。

■ 思い出の上野

今回は、ディプロマ授与式の後、クライマーの友人と上野でご飯を食べた。

一番うれしかったのは、その年上の先輩クライマーに、ご飯をごちそうすることができたこと。

私は、愛が余っていて、私の愛を利用されることなく、愛する対象が欲しいだけなのだ。

その先輩クライマーには、恩義があった。

クライミングでは、ここぞ!というときに登場してもらった…

私のアルパインクライマーとして区切りになるルート、旗立岩中央稜に行ったときは、セカンドを務めてもらった。

あそこは、アルパインの精神をミニチュア版で味わえるルートで、懸垂で始まるが、ルートファインディングから必要で、きわどい登攀のあとは、山頂では一般登山者と合流する。

今でも、私の人生の誇らしい瞬間として、大事に写真にとってある。もし私が死ぬことがあれば、その瞬間を回想し、一緒に登ってもらった大事な人として、彼を思い出すだろう。

■ 上野

上野は、桜はまだだった。そういえば、大学のころ、ジョージア・オキーフの展覧会を見るために上野の美術館に大阪からやってきたことを思い出した。

私の子供時代は、美術館通いの日々だった。母が東京女子美卒だったので、大きな展覧会が来ると、抜け目なく見に行くのが我が家の伝統だった。だから、美術館とそれに付属した森は、自分ちのようになっていた。

大学1年生のあの頃、私は東京に憧れており、一ツ橋大学に進学した中学の同級生を訪ねたが、東京とは名ばかりの遠くの郊外(町田)にワンルームマンションがあり、驚いたのだった…。

早稲田に進学した友達の家は、豊島園近くの下宿で、ワンルームですらなく、トイレも共同だったので、さらにあまりの田舎具合?に驚いた…。

それを見て、大阪でも、電車の最終駅からバス1時間の箕面の学生寮に住んでいた私は、東京方面って言っても、私が大阪の、外に住まわされているのと同じで、全然、都会は遠いのだ…、と思ったのだった。

オキーフのその展覧会を見たのち、私は、その後、すぐにアメリカに働きに行くことになったため、その後は、すっかり東京や、大都会への憧憬は無くなってしまった…。

アメリカ合衆国という大きな世界を見て、すっかり興味を失ったのだった。

今となっては東京は行くだけでもめんどくさいな~って感じだ。

まるで、ラオスや龍洞に行った後に、小川山やまして、日向神、に興味がなくなったように。

その、もともとはあこがれの対象だった上野に、また舞い戻って、そして、世話になった先輩にごちそうができる…。

そんな自分の、遠く、長かった道のりを思って、すっかり大人として、自分が成長していることを感じた。

そう、もう、おとーさーん!と言って泣きつく年齢は終わったのだ。

もちろん、先輩はいろいろな人生の助言をくれる。

とくに私自身も、老いがスタートする年齢になり、どう、岩と向き合っていくか…そういうことは当然だが、先に行っている先輩たちが教えてくれる。

前からそう思っているが、フリークライミングってアルパインから見れば、引退後のEnjoyClimbingなんですよね(笑)。

■ 若い男性が写真を撮ってくれた

桜がまだ開花していない上野公園で、一本だけ桜が咲いているところがあった。

そこで、うろうろしていた…のは、誰か記念の写真を撮ってくれないかしら?そう思っていたからだった。

すると、それを察してくれたのが、20代のいかにもチャラ男そうな若い男性だった…その男性は、見た目によらず、すっと察して、「写真を撮りましょうか?」と言ってくれたので、その言い方が、いかにも私の心にすっと入ってくる、気取りのない言い方で、とても配慮のある男性だということが分かった。

人は人を見た目で判断し、そのことを大人時代に学ぶが…もちろんスーツ姿で丸の内を闊歩したOL時代を経て、人は見た目で左右され、良いサービスを得たかったら良いスーツを着ていないといけないと学ぶわけだが…そして、大人になれば、人は見た目に寄らないということを学ぶわけだ…。

■ 内なる父なるもの、内なる母なるもの

私のお父さんは、私を育てた奥秩父の山々、南アルプスや前穂北尾根。そして、昇仙峡の日々…。三つ峠の登攀。岩っちゃんと登った奥秩父や小川山。故・吉田さんとの時間。インスボンでのマルチ三昧。そしてアイスクライミングの日々。

私のお母さんは、ヨガで私についてきてくれた生徒さんたちだ。


2024/04/04

福岡に帰りました☆

 ■ 帰ったら桜満開でした

夜行バスの選択が悪く、しょっちゅう停車する停車地が多いのを選んでしまったようで今回の大阪からの帰宅は疲れた…。

バスは、3列シートだとやっぱり比較的快適です。

■ 今回の目的

今回の目的は、オーソモレキュラー栄養医学のディプロマ授与式の式典に出ることでした。

日本橋のベルサールであり、それは立派な建物でした。豪華な建物というのは、こういう努力の結果たどり着く式典で使うべきで、正しい用途だ…と思ったりした。会場費、高そうだったので…。

以前、メドトロニックソファモアダネックというアメリカの医療機器の会社に勤めており、営業の成績を表彰式で年に一回やるのだが、場所がリッツカールトンの宴会場…。成績No1営業は、スターダムに上り詰めるように、スポットライトと音楽で表彰され、ほめたたえる側の社員たちは全員、礼服着用という日で、中には着物で来る社員もいたんですよね…

今回のディプロマ表彰式は、医師の集まりで、一応、平服でOKだったが、ちゃんとスーツを着て行って、ほんとに良かったなと思いました。

それで気が付いたんですが、クライマーが地域の人たちから大事に扱われないのは、ものすごく小汚い格好しているからなんではないですかね?? スーツ着ていたら、飛行機でも大事にされるし、町でも、喫茶店でも大事にされ、超快適旅行が出来ました。そう、そういえばそうだった…と、OL時代を思い出しました。

特に開拓してたら、もうコケだらけ泥だらけで、どうせ汚れるから、高いウエア着たくないし、工事のおっちゃんみたいな感じになりますが…私もタオルぐるぐる巻きで岩場のコケ落としとかしていましたけど…。

地元の人の好印象のために、岩場帰りには温泉に入って、小ぎれいにさっぱりしてから地元の人には会うようにしたらいいのかも?

■ 志、のないクライミング業界

小鹿野では、開拓者のトークを聞きました。

その後、医師の集まりであるディプロマ授与式典に出かけたので、違いが際立った。今回、印象的だったのは、こころざし、の有無。

オーソモレキュラー医学を世の中に進めようとしている医師の先生たちは

 

を持ってオーソモレキュラー栄養医学を広めている。医師たちは、世の中の人々を救い、健康を良くすること、その志に愛着を持っている。

このような人たちの思考とクライマーの思考は、水と油、と言ってよい差があった。

式典が31日だったので、30日に、ついでで、二子のクライマーズトークに出たが、世界的クライマーユージさんのクライミングによる地域おこしの地で、議員の高橋さんが頑張っている。しかし、地域おこしをするにしても、本人がクライマーでないと自分で登りに海外に行くわけでもなく、そもそも知見も限られてしまうだろうと思っていました…。

海外には、クライマーの町というのがちゃんとある。アルコもそうだし、ラオスではターケークがそうだ。地域の産業として、立派に機能している。

海外のクライマーは、休暇が長い。1か月、2か月という人はざらで、ネパールにトレッキングに行った後に、韓国でクライミングし、ちょっと台湾に立ち寄って、その後はタイで登っています…なんてクライマーは、ざらにいる。

そうした、国際岩場ツアーに日本の岩場が入っていない。入っていても、湯河原幕岩。

実はラオスの登攀に行く前に、湯河原幕岩で外人さんに会い、ラオスの岩場のことを教えてもらった。

それでは、日本の岩場資源は、もったいないので、日本もぜひ、そういう国際回遊魚クライミングの輪に入ったらいいと思う。ちなみに、スキーやサーファーもそういう世界だ。

あちこちの外国人クライマーに話を聞いたが、どうも、日本でのボトルネックはレンタカー代が高いことだそうだった。

だよなぁ。彼らは、空港でレンタカーする気だからな。例えば、成田でレンタカーして瑞牆で登る気ってことだが、日本のレンタカーはそういう仕組みになっていない。田舎で借りたほうが価格も当然安い。そこを教えないといけない。

あ、話がずれたが、小鹿野は、まだ地域おこしに志を持って取り組むという段階にはいないことが分かった。

基本、日本人クライマーの視野は、隣の開拓者との小競り合い、で、隣の岩場との小競り合い。それは、日本人サラリーマンが業界内の競争に終始しているのと同じである。

サラリーマン業界でも、勝っている人たちは世界的な視野で見て動いている。例えば、前述のメドトロ…社は、脊椎医療のロッド販売だが、世界的な高齢化を売り上げの背景にしているのである。

私自身もクライミングによる地域おこしは、日本の観光としてのアウトドアアドベンチャーツーリズムに将来性があり、海外の岩場では世界を流れているクライマーが、今日はネパールあすは、韓国、次は台湾、そしてタイと旅する中で、日本だけがその流れに乗れていない、と思うし、そこに載る岩場としては、小川山の次に二子山がいいのかなぁとおもうが…。まぁ、それを可能にするベータを出すクライマーがいないかもしれないなぁ‥。

しかし、問題点はそこではない。

そもそも、各岩場で起っていることは、まったくそのような視点とは違う。開拓者は

 自分の岩との対話

以外のことは全く視野の外だということが分かった。

その歌、詩、というものは、再登者がでないと、聞くことができない。すごいルートだ!と思っても、他の人もすごいルートだ!と思わないと、興味を引かないということだ。

ユージさんがデイドリを登ったのは、中嶋渉さんが面白いと言ったから(笑)

デイドリほどの課題でも、有名クライマーの誰かが登るから課題になるのであり、それほどのルートでも、誰にも登られなければ、埋もれたまま、眠ることになるのである。

クライマーの行動原理は、岩場とのきずなではなく隣のクライマーが面白いと言ったのを登る、ということになっているわけだ。

愛着のもちかたが全く違う。面白ければ、どこにあってもよいのである。

当然だが、岩場による地域おこしと言う志に愛着があるわけではない。

さらに、岩場自体に愛着を持っているわけでもない。

■一般クライマーは、岩の歌すら聞けない

ジム上がりクライマーでは、グレードおっかけの登れたか?登れないか?の達成感の世界にまだおり、せっかくの岩場の傑作も、その課題が語り掛けてくる歌自体をみな、聞けない。

課題を語り合うときに、3世代が同じ課題を登った感想、あそこのムーブが難しかったとか、手が小さければ、あのカチが持てるけど、持てない人は難しい、みたいなクライミングについてのクライミングリテラシーは、誰も使わない…使えない。そもそも、自分自身以外に興味がない。

ジムみたいな内容を外の岩場に期待するようになってしまって、結局、岩の歌については蚊帳の外みたいな感じなんだよな。

福岡に来て以来、岩の語りが、心から遠くなった…。

それは、過剰な競争心だけで登るスポーツクライミングの登り方、人工壁の登り方を外の岩場で強要する現代的指導にあることが分かった。

外の岩でそんなことをしたら、早晩、死んじゃうよ?

まぁ、ついでに言えば、私が初級クライマーであるのにも関わらず、開拓者向きであることが分かった。

小さな岩場が身近にあるので、そこでコツコツ登ろうかな。

まぁ、アイスを登るような人は、毎回、オンサイトしながらスクリューを打つわけで、開拓者寄りの思考回路を運命づけられていると思う。

それがあらかじめ、分かるから吉田さんも昇仙峡を私と登ったわけなんだろう。

俺、5.13を登るんだぜ!と自慢する男子より、岩の歌が聴ける人のほうが開拓者は好きなんである。

色々な人が、私みたいなおばちゃんがなんで?と思うらしいんだが、別にえこひいきされてきたわけではない。

私の山の記録、アルパインの記録、フリーの記録を読んだら、そこの自然界との対話が語られているから、それで山ヤであり、岩ヤであり、クライマーだ、ということがわかるからなんです。別に高グレードが登れなくても。

■ まとめ

小鹿野は、小川山の花崗岩クライミングよりも、日本で海外クライマーが立ち寄る岩場としては最適そうに見えた。

ただし、岩場までの車移動がボトルネック。行きだけタクシーで行って、帰りはローカルクライマーに送ってもらって秩父のゲストハウスに泊まるっていうのがありそうなラインに思えた。

雑魚寝ハウスもあるらしいが、公開するわけにもいくまい。




2024/03/24

【Trad】I love Trad Climbing

I'm passionate about various forms of climbing, from free climbing on sport routes to indoor sport climbing. 

However, my heart truly belongs to trad climbing above all else. 

The concept of free climbing resonates deeply with me. 

While bolt-and-climb sport climbing has gained popularity in recent years, it's disheartening that many modern climbers are unfamiliar with its roots. 

I hope that the climbers in both competitive and sport climbing realms reconsider the essence of climbing itself. 

This shift in perspective holds immense value for climbers, prompting them to delve into the rich history of this adventurous pursuit.

They just think sport route is all about climbing, that is a huge mistake. 

Without facing risks by yourself, you know nothing about climbing... sort of you are before B.C.... if you only climb risk free bolted sport routes.

The list of my trad climbing

2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック  クラック入門 TR

2015年5月29・30日 小川山クラック 龍の子太郎 屋根岩2峰 (セカンド)

2015年7月20・21日 小川山 クラック 入門 TR

2015年9月19日 瑞牆 入口岩クラック TR

2015年10月12・13日 小川山 クラック TR

2015年10月28日 小川山 クラック (案内役) リード

2015年11月21・22日 湯河原幕岩 菊地敏之さんの講習 TR

2015年12月27日 昇仙峡クラック 吉田和正さんの講習 他5名 

2015年12月28日 昇仙峡 クラック 他2名 

2016年 1月2日 昇仙峡 クラック 他2名 TR

2016年 1月25日 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 2月4日(木) 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 3月30日 近所の岩場 クラック&フェイス&スラブ 末端壁 2名 TR

2016年 4月1日 兜岩 クラック  2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 9月6日 小川山 カサブランカ&ブラックシープ 2名 カサブランカ3回目

2016年 9月7日 小川山 レイバック5.9 ピンクポイント 2名

2016年 10月15・16日 小川山ソラマメ&瑞牆ツルカメランド 頂上への階段5.8 (クラック) OS 3名

2016年 10月25日(火) 湯川 デゲンナー5.8 RP 2名

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

2017年 5月14~22日 インスボン  初インスボン

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

以後九州

2018年6月 竜頭泉 クラック

2018年7月 モツクラック5.9 OS、狸 5.10A ついに登れた
2018年7月10日 小川山レイバック5.9  やっとマスタースタイルで登れた
         笠間ピンキー 5.10c RP 2撃

2018年10月7日 矢筈岳マスターズルーフ 5.9TR

2018年11月4-6 三倉  first time Nyumon crack 5.9 x

2019年9月22日~10月1日 韓国インスボン遠征

202010月23日 竜頭泉クラック ニューエリア

20202月10~13日 大堂海岸 2泊3日 おまつりクラック5.8、スーパークラック5.9、ぐいの実5.8





2024/03/20

【クライミングによる地域おこし】クライミングの価値とは?

■ 自己顕示欲だけではないクライミングの価値とは?

 1)その土地の提供する楽しいラインを登り、(岩場の地域愛)

 2)地のモノを食べ、(食の地域愛)

 3)クライミングの話で盛り上がり、(共通言語)

 4)健康的に過ごす

 5)心の成長

です。

■ 同じルートは二つとない=ルートの個別性

デイドリとコブラクラックは、同じグレードでも、まったく別個の物語を持つ課題です。

課題(ルート)には、個別性があり、その個別のストーリーを知ること…が、クライマーを魅了するのです。

私はクライミングをもっと広い地域性(山全体)でとらえていたので、昇仙峡の中には、徒歩で登れる中津森から、沢登りの板敷渓谷や伝上沢、金峰山の御岳新道でのラッセルといろいろな山の表情をつかむことに関心がありました…

二子山のある、小鹿野も同じだと思います。

https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=344

地域おこしに、クライミングを取り込むなら、クライマー自身がクライミングだけに話を最小化させず、一般の登山も行って、山全体の全体像をしっかりと捉えていることが必要です。

そうすれば、クライマーだけがエライという態度は取れず、

・一般ハイキングを行うハイカー (最大人口)

・沢登りを行う沢ややお魚釣りのおじさん (マイナー人口)

・もしかしたら、マウンテンバイクの人たちや、トレイルランの人々(さらにマイナー人口)

を取り込んで、その土地の恵みをすべての人で分かち合い、土地の楽しみを味わい尽くすことができるかもしれません。

現在のところ、ハイカー、クライマー、沢ヤ、釣り人、マウンテンバイカー、トレイルランナーは、全員排他的に互いに排除しあっています。

■ 地のものをみなで食べる

その地にあるものを食べる… これこそ、すべての人が共通で楽しめる楽しみなんですが…結局、クライマーはコンビニ。

かなり悲しいことになっていますよね。

その土地の物を食べると言っても、贅沢をする必要はなく、

 楽しく、みんなでご飯を食べていたらいい

んですよ。

普通に地元のスーパーで手に入るものを買って。大事なのは、その土地で楽しい思いをすることで、その思いがその土地に対する愛着を作るわけです。

嫌な思い出がある土地に愛着を持ちたいと思うと思いますか?思わないですよね?

つまり、クライマーが愛着を持てる、ということは、逆に言えば、楽しい仲間がそこにいるってことなんですよ。嫌な奴らがいる場所に愛着を持つ人がいる訳ないですよね?

だから、海外から訪問クライマーが来たら、一般の人、クライマーじゃない人の家に泊まってもらって、そこでおもてなしを受ける、というのは良い考えだと思います。

一般の人にとって見れば、クライマーって嫌な奴らじゃないんだ~という発見になります(笑)。

トレランの人や、MTBの人たちも、同じような立場で、一般ハイカーから排除の憂き目にあっていますが…それは、人数を盾に着た民主主義の暴力、に陥っているということです。

多数決は民主主義ではないですよ?

多数決が通るなら、日本は老人ばっかりなので、老人だけが善となってしまいます。

■ クライミングの話で盛り上がる

クライミングは、世界共通言語なので、クライミングさえ分かっていれば、英語が話せなくても、全く問題なく、通じ合えます。

大体、8の字を結び始めると、片方はビレイ器にロープを通します。それ普通でしょう?

そして、しっかり通っていると見せる。

これで分からないクライマーはいません。分かっていなかったらその人はまだクライマーではない。

それより、もっと大事なのは、”クライミングスチュワード”という職位です。

例えば、中根穂高さんは、カラファテでクライミングスチュワード的な役割を果たされています。

私は初めてのロープはカラファテまで買いに行ったのですが…その時は4時間くらい中根里話していました。あの時買ったロープクランプはほんとに役立ち、ロープアップされないときは、プルージック2本で上がっていたのが、ロープクランプ一個で上がれるようになり、ほんと良いお買い物でした。

初めての岩場でどこのエリアからスタートするのがいいか?どの課題から登るか?

そんな相談ができるのが、クライミングスチュワードという立場で、きちんとクライミングしてきていない人はこれができない。初心者に下部核心の課題とかを勧めてしまいます。

その岩場に特別詳しい人である必要があります。

この職位は、相談を受ける立場なので、一時間当たりいくらなり、なんなり、コンサルティングフィーを取れるようにしてやるのが、正当な報酬であると思います。

今は心あるクライマーの、ボランティア活動になっており、最近私も、瑞牆に3月に行こうとしていたクライマーに城ケ崎に変えるようにアドバイスしました。

本来は、すでに役職給をもらっているどこかの団体の役員がやればいいことのような気がしないでもないです。

■ 健康に過ごす

クライミングは、大人と同じだけの判断力ができる6年生くらいから、80代の老女までできる生涯スポーツです。

名誉欲に偏ると、25歳男子以外は居場所がなくなります。

そんなスポーツ、楽しいです? 日本では、コンペ主義、コンクール主義が他のスポーツでも強く、そのため、多くの人がスポーツをしたせいで自尊心に傷を抱える羽目になっています。

本来のスポーツの良さを打ち消してしまい、逆に運動嫌いを作っている…

それにさらに拍車をかけているのが、スポ根によるスポーツ虐待です。

身体を死の危険にさらされると、それは体と心に刻まれ、いくら時間がたったとしても消えないトラウマと呼ばれる症状を作ります。

体の傷跡が一生消えないように、心の傷跡も消えることがありません。

それもこれも、ほんの小さな、境界線の侵害…愛と言う名の支配によってスタートするのです。

上手になることが健康より勝るとき…それは支配です。

一番大事なのは、健康=つまり命なんですよ。

誰ですか?嫌がっている人にリードを無理強いして、40mランナウトを俺は登るのが嫌だから、あいつにリードさせよう、ともくろんでいるのは? あなたが登るの嫌なところは、他の人だって登るの嫌でしょうよ。

そんな小さな、過去の遺物となった見栄のために、

 生涯スポーツとして楽しめるフリークライミングの奥深さ

を多くの人に伝えそこない、クライミングってただの肝試しゲームでしょ、とおもわせているなんて、なんてもったいないでしょうか?

■ 心の成長

生涯スポーツであるからには、心の成長がうかがえる内容を、年を取れば登れるはずです。

登れなくなった俺、ではなく、

心でルートを味わえるようになった俺

を表現しましょう。



2024/03/12

【クライミングによる地域おこし】 自己愛性パーソナリティ障害と戦え!

 ■ 小鹿野のクライマーズトーク


これにもし、入れ知恵をするなら、小鹿野町の 一般住民の皆様 に案内状を回します。

一般住民の方々が一番上座で、来賓扱いで、案内状を回すべきです。当然、参加費は無料です。

クライマー自身の等身大の姿を見せるのが大事です。中には理解者も現れるでしょう。

そして、このトークの動画を撮影しておき、市役所等の市の広報の場で公開します。もちろん、YouTubeに小鹿野のサイトがあってもOKです。

最も大事なお客様は、小鹿野一般市民で、クライマーではない、ということが分かるようにしておくのが大事なことです。

なんせ、クライマーは、岩場で登らせていただいている、ということを、油断したらすぐ忘れる人種が7~8割なのですから…。

登らせていただいている、という感謝の気持ちをすぐ忘れて、”俺が登ったんだ!”とか、”登ってやったんだ!”という言葉を使い始めるってことです。

■ クライマー側は理解者を利用しようとしてはならない!

自己愛性パーソナリティー障害の人がやりがちな、道徳違反、倫理違反があります。

もちろん、クライマー内にも普通の人もいますが、2,3割と少数派なので、クライマー内でも、なぜ同僚のクライマーがそんな行動をとるのか分からないのです。

それも当然で、自己愛性パーソナリティ障害というのは、病気なのです。しかも、本人は自覚が薄く、精神科を訪れることはほとんどなく、周りの人だけが、? となっていることが多いのです。

以下にリストを挙げます。

■ 自己愛性パーソナリティ障害の人が行いがちな人道的過ちリスト

1)「お前、階段、何段飛べる?」系の競争を持ち込む

2)自画自賛

3)無責任:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの」

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

5)相手を自分の評価を上げるための道具として使う

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

7)非共感性:相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

8)貸したものを返さない (バウンダリーが緩い)

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする (自己誇大妄想)

10)倫理的に間違ったこと…誰かのピンハネをしたとか…をどうどうと自慢する

です。以下詳細。

1)「お前、階段、何段飛べる?俺9段!」系の競争をクライミングに持ち込む

 → 速攻、クライミングが事故だらけになります。

これをやっているから、今までアクセス問題の歴史が積みあがった。

これはアルピニズムでも何でもありません。

2)自分で自分を褒める 

例:「俺ってこんなにきれいに登っていたの?」「おれ、4段は15で登れた」、SNS自撮り、雄たけび映像だけ見せる、努力している姿は見せないで結果だけ見せる 

→ 一般的な価値観の人は、スゲー!っては思わないです。これで、すげーって思うのは、自己愛性パーソナリティ障害を持つ、ほかのクライマーだけであって、一般の人は、「こんな自己顕示欲だけの活動には、町のお金や公費を費やす意味はない」と結論します。なぜあなたの個人的自己PRに公費を費やさねばならないのでしょうか?

町おこしにクライミングを、と思っているなら、冷静になり、町の人にとって魅力があるクライミングとは何か?を冷静に判断しましょう。

3)逆ギレする

例:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの!(怒)」

例:岩が剥がれて落ちたのに、町が管理責任取れ!

→ ボルトが抜けなくても、岩ごと剥がれるのは自然の摂理。

 俺のせいじゃない!俺のせいじゃないなら誰のせいだ?→ 町のせいだ! 

の思考回路の結果、何にも関係のない町を訴える。

これに自己正当性がある、と結論してしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害なのです。

管理責任は町にある、というなら、町の人が、クライマーに登る許可を出すでしょうか?

そんなの、1秒、考えたら分かりますよね??

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

→ 例えば、上記の事例で訴訟を起こし、弁護士を雇うとか…。よほど自分のほうに理屈が通っているという自信がない限りしないでしょう。

町や地権者としては、寛大にも登るのを許可してあげているのに、逆ギレして訴えてくるなら、管理なんかよけいな義務を負わされるんであれば、登れなくても地権者としては痛くもかゆくもないんで、登攀禁止にして、一件落着です。地権者はクライマーでも何でもないのに、管理責任なんて負わされるくらいなら、普通に禁止にしますよ。

管理するとして、あなたなら、いくらなら俺が管理してもいい、と思うでしょうか?年間100万円?1000万円? 管理者責任を主張するなら、それ相応の金銭による対価が発生するのが応分で、その額を日割り×頭割りすれば、一人当たりクライマーの個人負担額が出ます。

例えば、1000万円の管理費が、月100人の来訪者がある岩場にコストとしてかかるとすれば、一人当たり1000÷100×12万円…概算1万円の管理費がかかるってことですよ。訴訟されるとしたら年1000万円の管理費は安いと言えると思います。で、クライマーは、一人当たり、月1万払え!と言われて払えます?

払えないからボランティアで運営し、地権者の好意にすがってタダで登らせてもらっているんですよね?

自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分の立場をすぐ忘れる大天才です。

5)岩場を自分の名誉を上げる道具にする

自己愛性パーソナリティ障害の親は子供を自分の評価を上げる手段・道具として使います。

その応用で、彼は、その岩場の〇〇っていうルートを登ったことを俺の自己評価を上げる道具として使うでしょう。町を盛り上げずに自分を盛り上げるということです。

その岩場の〇〇っていうルートを登った俺はすごいという自己宣伝に岩場を使うということです。

町の人から見たら、そのルートのすごさは関係なく、町にいっぱいお金を落としてくれ、産業を作ってくれる人が偉い人なんですよ?

個人のすごさ(無謀さ)をPRするっていうのがアルパインクライミングの本質だ、と思ってしまっている古参のクライマーが多いので、誤解を解くのが大変です。

”俺のすごさ”ではなく、努力のプロセスの尊さを教習してください。

例えば、あなたが半年に一回しか行かない店で店主があなたの好みを覚えていてくれたら、どうですか?その人が驚異的な記憶力を持っていることを示したことになりますよね?

実力とはそのようにして示すものです。

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

”瑞牆のトポが出たとき、白鳳会の人が「俺らに無断でトポを出すとはけしからん」と言った、という話(A)”を若いクライマーから聞きました。その話をしたら、”「おれらの話を信頼しちゃだめだよ」”とその当人が言ってきました(B)。 

(A)の時点では、古いクライマーを敵に回した発言をする方が相手に取り入ることができ、(B)の時点では、古いクライマー側についたほうが相手に取り入ることができる、と判断したってことですね。

(A)の裏面交流は、”私は古いクライマーには賛同していません”であり

(B)はその逆だからです。

つまり、その人は日和見主義で、目先の損得だけで動いているよ、と(B)の裏面交流で述べたってことです。

そのような人たちを地域の人々が素敵なクライマーだ!クライミングって人格形成に価値がある!信頼ができる!と思うと思いますか?

7)相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

「へぇ~、家が家が貧乏だったんだ」「へぇ~〇〇大学しか行けなかったんだ」などなど、自己開示と言う一般的には人に話さないようなことを話したときに、わざと傷に塩を塗るようなことをするのが自己愛性パーソナリティー障害の人です。

それは、その人が本当の意味での自信はもっておらず、相手を下げることで自分を上げることを常套手段にしているため、自己開示と言うのは相手が弱みをさらけだしてきたということなので、相手を貶め、自分のコントロールを高めるチャンスだ!という風に、自己愛性パーソナリティー障害の人には見えるからです。ガスライティングと言う名前がついています。

岩場の地権者に、「ここには古い祠があってね…」なんて話されたときに、そこでおしっこする、とか、自己愛性パーソナリティー障害の人は平気でやりますから、気を付けてください。

みんなが共同で使っている川辺の共同の湯に、「さっき放尿しました!」と放尿動画を上げるとか…

岩場にある、有名課題で女性クライマーたちが使っているホールドを、「俺は初登者だが、俺はこのホールドを使わなかったから削った」などど自慢げにアップするようなことがあるかもしれません。

あるいは、小山田大さんのような人気のある特定の人物に向けて、私怨でその人が初登したルート狙いで執拗にチッピングを続け、証拠が出ていないから、訴えられないのをいいことに嫌がらせを続けるかもしれません。

このように、”一般の思考回路では理解ができない行動”をとるのが自己愛性パーソナリティー障害なのです。

8)貸したものを返さない

人のロープで登ったり、貸したギアを返さないのは、境界線侵害の明らかな例ですが、岩場はタダで使わせてもらって当然だというクライマー界の伝統的前提にも、境界線に関する、自己規律の弱さが表れています。

たとえば、トップロープ張りっぱなしにして、課題を独占するクライミングガイドは、素敵なクライマーでしょうか?

このような行為が、自己中を表すということを町の人が理解すれば、

 〇〇町では、トップロープを張りっぱなしにしてルートを占領するクライミングガイドによる岩場利用をお断りします

と発表することができます。

同様に、特定の人気ルートに人数制限を設けたり、時間制限を設けたりすることも可能です。

 例: 屋〇岩2峰のセレクションは人気が高く、日没の時間を過ぎて、下降になるクライマーによる事故が後を絶たないため、〇〇町では、一日5パーティのみ、登攀開始時間を朝9時以前に取り付けるパーティのみに限定しています。

 例: 〇〇フリーウェイはロングルートであり、隔絶されているので、村内では人的資源の点から、事故や遭難があったとしても、レスキュー隊の派遣が迅速にできません。したがって、12ピッチを〇〇時間内で登れた実績のあるパーティにのみ、登攀を許可しますので、登攀申請時には登攀実績を出してください。少なくともパーティ内の一名は、危急時の心得があることを分かるような内容で提出してください。

 例:カサ〇ランカは人気ルートですので、独占を避けるため、土日祝日のガイド講習での利用を禁止します。

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする

大体のクライマー男性で初心者の方は、自分の実力を客観視する能力に欠けています。

一方で親に甘やかされて育っていることが昨今は多いため、俺様自我が発達しており、とんでもなく難しいルートを自分が登れると思っています。

例としては、3級しか登れないのに2段をノーマットで登る!というボルダラーや、ジムで5.11が登れたから、バットレス四尾根に登る!と発言するなどです。ロープドラッグやカム位置不全によるスタック、60mのピッチを50mロープで登ろうとするなど、10年やっていてもやらかします。

つまり、現代クライマーは年数があっても、瞬間風速グレードしかなく、経験の厚みはありません。

無謀で危険なのですが、それを指摘すると、逆ギレします。ビレイも同じです。

そして、自分が登れたルートは、初級ルートだったり、エイドで登っていたりで、今の時代には、全く何の自慢にも何にもならないものをロクスノに自慢話として掲載したりしてしまいます。

普通のクライマーはその記録掲載が、自慢であるより恥さらしであることが自明なので、正直に教えると相手のメンツをつぶしてしまうと思い、遠慮して黙っています。すると図に乗って再度掲載する、という繰り返しが起きます。これが栗城モンスターが出来上がった仕組みです。

今の時代では、その記録が意味をなさないことを誰かが指摘してやらないといけないですが、一般の人は価値が分からないので、俺は〇〇を登った!と言えば、よく分からないので、とりあえず、「すごいですね~」というでしょう。その賞賛が自己愛性パーソナリティ障害の人にとっての狙いです。

したがって、町の人に、その町にある地域の岩場で、どこがどうすごいルートなのか?なんとなしでも、分かってもらっていることが大事です。

同じ昇仙峡を登った!という事実でも、私のように入門者で「ジャムジャム84をリードするのが目標です!」ってクライマーと、「デイドリームを第5登しました」ってクライマーの差をローカルクライマーは分かりやすく、町の一般ピープルに説明できなくてはなりません。それがローカルクライマーの役割です。

そうでなければ、どうでもいいクライマーがやってきて、「俺だって、時が時なら、ユージ(ユースケ)になれたんだぜ」と言い始め、町のえらいさんとしては、それが本当かどうか分からないので、そうかもしれないと思い、そのどうでもいいクライマーの名前を冠した講演会を開いてしまいます。

”現代の平〇○”などと、その土地に古くから伝わる偉人の名を転用したりして、威光を高めようとしていることがあります。そういう講演会は、ちゃんちゃらおかしいので、山を分かっている山岳会の人は来ない。一方、山のすごさを判定する能力がない一般市民がいっぱいです。

ところが、その人がクライマー内部で何をしているか?というと撮影クルーの荷物運びに、富士山のボッカに呼ばれる程度のことです。

一般市民を味方につけると、どういうことが起こるか分かりますか?栗城さんです。

クライマー内で実力が認知されたり、賞賛されていない人を、内部事情が分からない対外的な人だけが賞賛している、という分かりやすい事例が、栗城さんです。

あのようなことの相似形がミニチュア版で各地で起こっています。例えば福岡では、なんとかマリンさんを一流クライマーとして山岳協会が主催する、講演会開いていました。は?あの人、阿弥陀北稜程度をガイド登山で行って、落ちて遭難した人ですよね?

それは、結局、持ち上げられている人が自己愛性パーソナリティ障害であることを示す傍証です。普通は現代登山を理解していたら、自慢にならないことを自慢するなど、できないからです。それを持ち上げている事務局長などの立場の人は、無知な登山を世の中に広める片棒を担がされているということになります。

10)倫理的に間違ったことを堂々と自慢する

例えば、自分が募った公募隊員でいくら儲かったか、後日雑誌で、ピンハネ自慢を披露したりします。普通、自分がピンハネしたら、そんなこと対談で話しますか?

それを堂々と自慢しているのを見た、若いクライマーが、この業界はそれでいいんだ、と思って自己愛性パーソナリティー障害を発症するという負のサイクルをクライマー界は量産しています。

そのようなブラック産業になり下がったクライマー界を擁することを、町の人が誇りに思え、クライミングを推進することを擁護しようとすると思いますか?

たぶん、現在は、クライマー界の7~8割は自己愛性パーソナリティ障害のある人ってことになっていると思います。

そういうところに、エンパス(共感性が高い人)が行くと、自己愛性パーソナリティ―傷害の人は「俺がいかにかわいそうか」を延々と説きます。許してもらえた、という利得の経験がそうさせるからです。

理性が発達していない人は、かわいそう…と騙されてしまいます。

地権者にも、やられた人がいるでしょう。

例えば、御坂山岳会にいるときに、阿弥陀北稜で凍傷者を当会から3人も出した先輩は子供が6人いるから、いかに俺がかわいそうか、を私に納得させようとしたんですが…。それって、その人がかわいそうだから、一升瓶を代わりに背負ってあげるべきだってなりますか?

小学生でも分かりますよね?

そういう感じのことが起きます。 

一般的に見て、どこがかわいそうなのかなぁ?って感じのことをかなりくどく主張します。

それを女の人にお股を開いてもらう口実にする人もいます。

私の経験した事例では、パソコンが苦手な理由を、大昔に社内LANのスイッチを入れるのを失敗したことを盾に、理解してもらおうとし、一緒に行く海外登攀で、私がすべての渡航手配をするのに自分は便乗しようとします。おれアホなんだから、やってくれて当然でしょ、って手です。

これには後日談があり、話を深く聞いていたら、結局そういう人って、誰かの便乗で、これまでも山岳会でうまい汁吸ってやってきたみたいなんです(汗)。

昔はアルパインルートって、リードが取れるまで5年でも短いほう、と言われていたそうです。

そういうエリートコースと、現代のクライマーの成長の仕方…5.7のスラブ3ピッチの春の戻り雪でリードするのを同列に語ると混乱します。

昔は、ルートも先輩にリードされてセカンドで行ったのを暗記し、何度もパートナーと登りなおしてロープの流れを良くして、スムーズに登れるまで復習する。

そして、最後に、それに後輩を連れていく。そういう風に事が運んでいたわけですが、現代は、ランクをだいぶ下げて、一度、春の戻り雪に先輩に連れて行ってもらったら、あとは、当人同士で納得いき、登攀時間が短くなり、楽勝と感じられるまで登るわけです。

ほんとにだいぶランクは下がりましたよね?

このようなルートは、例えば、積雪期アルパインなら阿弥陀北稜とかです。大体、登攀自体を学ぶところではなく、慣れたらフリーソロでも登れるけれど、岩場のあれやこれやを学ぶところが多いルートです。登攀自体は登れない人がいないくらい簡単です。

その段階のことを学ばないでグレードだけ上げているクライマーが事故をするわけです。

誰かの便乗で自分の登攀人生を創ってきた人は、オンサイトというのは、実際、ほとんどしていません。オンサイトではなくエイドの時代の人なんですから…。

しかし、そういう人でも、そのあと後輩を連れていくことで復習山行はしてくれますから、面倒見がいい人と誤解されて、その誤解は当人が自己評価を上げるのにうまく利用しています。

分かります?この感じ…。

ただ自分の都合の良いことをしているだけなのに、なんかいい人のように解釈されちゃっていますよね?周囲の人に。

しかし、その人と深く付き合っている人…例:当人の奥さん、なんかは、とっくの昔に愛想つかして、離れて暮らしていたりするんですよ…。なんせ、一番近い人にとっては、行動原理が丸見えなので。

私も分かるまで、時間がかかりました。

こういう人はクライマー界には非常に多く、動機を肯定的な方向に、方向付けをしてやることが大事です。 

クライミングの価値観の中で、良いものを与えるということです。

例えば、

”レスキューはすごいことなんだ!”、とか、

”人命を第一に考えるんだよ!”、とか、

そうじゃないと、

どうやって自分がすごいことを示すか?ということに心身ともに魅了されている

ので、全然すごくないこと・・・例えば、俺は〇〇人の女と寝たんだぜ!とか、東京都の水源地で放尿してやったぜ!とか、古いピトンをつかんで登り落ちたことがある…、とか、全く自慢にならないことを自慢し始めてしまうんですよ。

これがチッピングが止まない理由です。

注目が欲しい。

だいぶ長いこと心理学を勉強して、ようやっとわかるようになりました。

クライミングを地域おこしに使うということは、このような人たちを良い方向に動機づけし、クライマーと言う人種が、社会不適合者ではなく、地域の貢献者となる手助けを行うという、崇高な仕事なんですね。

小鹿野にはぜひ頑張ってほしいと思っています。

2024/03/11

【クライミングが既得権になった経緯】利得を持っているために手放せない

 ■ 無責任×自己中

クライマーとしての在り方が

 ただの無責任 × 自己中心

になってしまったこと。

まさにこれが日本のクライミング界の問題点です。

つまり、アクセス問題と事故対策の欠如の原因は、無責任×自己中心、です。

■ よそ者排除意識を上手に使う

アクセス問題がある岩場は多い。しかし、それを改善するモチベーションは小さい。

しかし、よそ者を排除したい!よそ者に取られるくらいなら自分でやる!ということが、リボルトやローカルクライマーの結束のモチベーションになることがある。

例えば、よそ者を排除したい!という気持ちが勝った結果、八面という岩場は、古参の女性がリボルトの音頭取りをする羽目になりました(笑)。そうしないと、やばい!誰かに取られる!有料になる!という気持ち?が、岩場のローカルクライマーを動かしたみたいでした。

一般に、岩場がある過疎地の地方行政は、岩場による地域振興に好意的です。

しかし、ローカルクライマーの側は、行政に黙っていて、今まで好き勝手していたので、好き勝手できなくなる!と思うだけで、誰もまだ何も言っていないのに、例えば、ただ中津の市役所の人を紹介しただけでそうなりました…(笑)。つまり、行政からの監視の目がある、という思いが、好き勝手やってることがばれたらヤバイ!という気持ちにつながり、自主的なリボルトにつながるのです。

家の留守番で散らかしていたのに、親が家に帰ってくるというので、片付け始める子供みたいな感じですね。

なので、地域行政が自分の地域資源、現金獲得の資源である岩場に意識的である、というのはクライマーたち自身の安全性のためにも必要なことなのです。

■ 内輪だけで楽しみたい

一般に、岩場ではローカルクライマー内での内輪で、コッソリ一般の人には、黙って楽しみたい、という気持ち…が強いです。というのは、岩場の使い方を初心者に教えるとか、超面倒な仕事なので、やりたくないからです。

そんなことは分かっている人だけで、登りたい。

そうすれば空いているし。

…という、仲間だけの秘密主義、がはびこっていると思います。

まぁ、小川山の混雑を見ると分からないでもありませんよね?

■ トップクライマーでも、自己中…

奥多摩の小鹿野ですが、トップクライマーの平山ユージさん率いる団体でも、古参のクライマーに文句を言われたら安易になびいてしまって、腰抜けです(笑)。

それは、ユージさんの戦略的に、町の一般住民のコンセンサスというのは取られていないからです。小鹿野のクライマーのコミュニティが頑張っても、外野の古参クライマーが文句を言えば、容易に靡いてしまって、結局町の利益を守れない…。

根拠希薄なクライミングエシックを振りかざすトップクライマーの論法に翻弄されてしまって、結局のところ、何が大事な価値だったのか?が分からなくなってしまうということに陥ってしまったのが去年でした。

町の一般住民が、クライミングを町起こしとして、利活用したい!という認識や認知なしに、クライマーだけで事を勧めようとしてもこうなるっていう事例です。

まぁ失敗して、良い方法を見つけるわけですから、失敗は良いことです。

誰のための岩場なのか? 地域住民のためだし、適切なバウンダリーが必要です。

それがない人は、古いクライミングエシックを悪用して、クライマーの自己中心的で社会性のない行動を擁護します。那智の滝の事例に明らかでしょう。

結局、ユージさん単体がすごいクライマーというか、素敵なクライマーってだけで、奥多摩地方の岩場は、もう悲惨ですよね…日本のアクセス問題発祥の地みたいな感じです。

まぁそういう問題を作った同時代人たちが片付けていくのが順当な順番だと思います。

■ アウトドアクライマーの流れ

私の結論的には、アウトドアアドベンチャーツーリズムにアウトドアクライミングを活用するには、日本のクライミング界自体が幼稚すぎ、時期尚早というか…

私は内心、城ケ崎はウェールズを参考にすればいいのではないか?と思い、トポを取り寄せましたが、まぁ私が私費を投じてウェールズに行っても、仕方ないよなぁと思っていたら、ユージさんが行っていたのを見て良かったです。

終了点もないようなくらいにきちんとしたクライミングを城ケ崎はするべきで、ウェールズのクライマーとしての倫理観の高さを見習うべきです。

だいたい日本のクライマーが堕落しすぎているのが、問題なのです。残置いっぱい残す悪習慣を辞めるのは、古いアルパインクライミングのエイドクライミングの名残を捨てるということです。懸垂下降を習得しないで来るクライマーは歩いておりましょう。

■ 問題を作り出した人が問題を解決するのが、人的成長であり成熟

クライミング界はアクセス問題を作った人がアクセス問題を解決すべきというか、東京の古参のクライマーがことに当たるべきだと思います。

というのは、男性が男性のケツを拭くとなると、当事者意識が湧くからです。

男性しか住んでいない家では、「男性も座っておしっこしてください」とトイレに書かれています(笑)。

要するに、ジブンゴトとならない限り、自分の行動の異常さが理解できないということなのです。

誰かがこぼしたおしっこを拭きたい人います?いないですよね?

誰かが作ったアクセス問題で、自分はそこに生まれてもいないのに叱られたい人いると思います?

いないですよね?

と思います。

■ 開拓の偵察なら、無許可で岩場にボルトを打っていいのか?

最初の偵察で、五木の岩場にボルトを打つと言われたときは

目が点

になりました。たしかに岩肌を偵察するだけでも、頂上からの懸垂下降が必要で、ロープは長くてもせいぜい100mですから、懸垂で降りるとせいぜい50mしか降りれません。

支点がそこになければ、マルチプル懸垂はできないので、打たない限り、さらに降りるって無理・・・岩間に生えた立木なんて信頼できたものではないですし…

しかし、そこで、ボルト一本でも無断で打ったら、町の人から得られたはずのクライマー社会に対する信頼、もうゼロですよね?

そこで町の人に対する説明とか、理解を端折ってはダメなんですよ…

最初から嘘ついてきた人をあなたは信頼しますか?しませんよね?

■ 既得権者のプライベート岩場化の機序

熊本の五木の岩場は日本最大の石灰岩の岩場で、手つかずなので、昨今のジム出身のクライマーが、外岩デビューするのにふさわしい岩場だと私は思います。

しかし、行政や町の一般住民に対する説明責任を充分推し進めないまま、少数の人だけが了解する形で、開拓許可を取り、それを駐車や岩場のマナー、初歩的なロープワーク教育などの必要な措置を講じずに…つまり、これまで通りのやり方で、ですが…公開した場合、公開一年後に閉鎖になる可能性が高いですよね。

開拓者の名誉だけが残り、肝心の地域には、何のメリットもお金も落ちませんね。

そして後世のクライマーに残せる岩場資源はすでに著名人になった人たちの、いまさら追加されたところでインパクトのない名誉や楽しみに使われるということです。

初めて開拓する、ということがもたらす岩との会話はどれほどの”岩知性”をそのクライマーにもたらすことができるでしょう?アイスのリードでは、それを皆、行っているわけですが。

■ 岩場閉鎖の利得

実はローカルクライマーには、岩場閉鎖になったとしても、メリットがあります。

いったん開拓されて、そして誰も来ないとなると、プライベートビーチならぬ、プライベート岩場です。

結局また、アクセス問題を繰り返して、メンテされず、危険なボルトでも登る方法を知っている人だけがコッソリ登るという繰り返しになります。将来にツケを回すという作戦ですよね。

これはたぶん、分かっていてやっているんではないでしょうか…?

確信犯というか、知能犯というか、このうまみの作り方をこの70年で覚えたというか…。

■ 傍証

なぜなら、地域山岳会って結構そうだからです。

山岳会の入会者にしか教えない秘密の岩場がどこの会にもあります。堂々とネットでそういう岩場での訓練を上げている会が多いです。

ということなので、いったい誰が国家の利益、地域の利益を、我が懐に入れているか?という視点でみると、そういうタイプの開拓者クライマーたちなのではないかと思います。

いや、お金はもらっていない!というかもしれませんが、結局、名誉は手に入れて、そして後世の人々から岩場資源を奪っている、ということは事実ですよね?

今のクライマーが開拓すれば、適正ボルトになったかもしれないルートを、アルパインのクライマーがエイドで登って、できるだけ遠くにボルトを打つ、という論理で開拓すると、フリークライミングとは似ても似つかない危険ルートが作られてしまい、その危険ルートは開拓者権利に守られて、ボルト位置の改定すら許されない、という有様になってしまいます。

そんな変な位置にボルト打つくらいなら(機能不全ボルト)、最初から開拓しないで、そっとしておいてくれたほうが…と若い世代なら誰でも思うでしょう。

■ 結局のところ、狭い仲間の内輪内での名誉争い

結局は、開拓は名誉があるからするが、メンテはしない…という立場で明白になるのは、その人が持っている動機が何か?ということです。

開拓 は、自分のために行うもの。

メンテ は、みんなのために行うもの。

と明白です。

九州の岩場は、一向にカットアンカーから更新される気配ないです。一方で開拓だけは進む。

いくら自腹でボルト代持っているからと言っても、だから偉い、とは言えない。上司面したいためにおごってくれる上司はいっぱいいますよね?

開拓者の質の是非は、開拓した内容を、質を問うべきです。そして、管理責任を持つべきです。

名誉だけを得て、責任を取らない、というのは、子供を産ませるだけ産ませて、その子の父親であることを誇り、その子の養育費は出さない、というようなものです。

日本の開拓者を盲目的に保護する文化は、男性のセックスの喜びが一番優先される日本のセックス文化に似ています。周りの人のことを全く考えていない、一発出して終わり、って奴です。相手がいることを考慮していない。

岩場のある地域の人は、何か知らんがクライマーが来ている…なんだろう?という謎の状態に長年置かれて、知らない間に托卵させられていたカッコウみたいなことになります。

本当にクライミング界のことを思っていたら、すでに開拓本数100本です!と自慢する老兵による開拓より若い人に栄誉を譲るのでは?

少なくとも、故・吉田和正さんは、私へのクライミング指導の中で、昇仙峡のスラブで私に開拓の醍醐味を感じてもらおうと思っていたと思います。そうすれば、どれほどの意欲を新しいクライマーに与え、岩との対話について、実施で教えることができるでしょう?

結局、開拓には、至りませんでしたけど。

多くの市町村は、市として町として、村として、クライマーの受け入れに好意的でした。こちらでかなり多くの自治体の観光行政側、あるいは議員などに会いましたが、それでもそんなんで、ローカルクライマーの側が、こうした行政との取り持ちをするクライマーに対しては、否定的反応を自動反応として行います。

つまり、その排除の姿勢こそが、既得権を示しています。今まで自分のモノだったおもちゃが、幼稚園全員に属して貸してあげなきゃいけないと言われた幼稚園児は、最初にどんな反応をするでしょうか?言わなくても分かりますよね?

要するにこれは、業界ぐるみの国益や地域利益の搾取構造…いわゆる戦後、日本国民をアメリカに売り飛ばした財閥や国賊と同じ構造なんではないか?と思います。

全体の利益より、自分の個人の利益。ってことです。売国奴は誰か?ということです。

大体の地方は、大雨で災害になってくれないと道路のメンテナンス費用すら、出せないほど地方財政は悪化しています。地域が自立しようという意欲はない場所も多く、災害が起こってくれてホッとしているっていうのが地方の現実です。

そんな中でクライミングによる地域おこしの可能性を聞かされた議員はどう思うでしょう?

このインバウンドでにぎわう時世をみて? 

よし!と思い、未来に希望を抱くでしょう…

しかし、その希望は、日本人同士の内輪から打ち砕かれるのです…

ローカルクライマーだと自称する人たちから、有料化はけしからん!だとか、駐車場代を払うなんてトンデモだ!とか言い出すだけでなく、町のお金を使って、整備してくれ、と言い出す始末…

ならば、と整備してやっても、その何億か?は有効利用されないまま、箱もの行政として、閉じていくわけです・・

行政が悪い? 

行政の担当官が海外にトポ発信して海外クライマーを呼び寄せるとかできると思いますか?

クライマーですらできない人がほとんどなのに、できる訳ないですよね?

■ 那智の滝事件ですら、身内擁護する身内主義

高い倫理観で右に出る者はいない、日本の誇るアルパインクライマーの山野井さんですが、那智の滝事件が起きたとき、もしかしたら、声明などを出されていたら良かったのではないかと思います。

トップクライマーとしての義務は、倫理面などでリーダーシップを取ることで、これはトップクライマーにしかできません。

だって、男子、お母さんの言うこと聞きます?先生の言うこと聞きます?聞かないですよね?

でも自分の憧れのヒーローの言うことなら聞く。

それが男の子ってことに日本ではなっているんです。文化的に。人は文化的奴隷です。

山野井さんも、結局は古いクライマーなので、社会性と先鋭的冒険の線引きを若い世代に示す、見せるということはできないのかもしれません。

現に現在のお住まいは、城ケ崎、以前は奥多摩。どっちもアクセス問題の火種で有名な土地というか、そこに引っ越して行ったら、かなり深くかかわる、ということは確実だなぁって場所です。そういう場所で日常的に登ってきたということは、その岩場がある地域住民には恩がある。

私は自然は多くの人の共有財産と言う面もあり、私有物ではないので、場所によっては秘密の岩場をこっそり登るのも、それでも良いと思いますが…。例えば、誰の私有物でもない国立公園内の岩場など、ガラガラだったりします。

例えば、温泉が湧く川辺とか、地域の人だけが知っていて、使っている、ってのは、九州では多くて、誰の管理もされていない…そういうので自分だけの秘密の場所を持つのもアリだと思います。まぁ同じところに誰かが来ても、先着順ではありませんよね。分かち合いでしょう。

私は、私しか行かないようなところを行ってくれるクライマーがいたらうれしいです。通だなぁっていうかね。特に破線のコースです。山梨なら板敷渓谷とか面白かったですよ。

さて、しかし、開拓者として名前を世に上げ、岩場を公開するからには、それに伴う

 準備条件:アクセス問題の回避

を行わないといけないです。

これがない人が、アクセス問題を作ってしまう開拓者です。

たぶん、開拓する → アクセス問題起きる → 禁止される → 東京の人は来れず、内輪だけで登れてラッキー 

という循環にあるので、懲りない。

本人らは、名誉だけ得て、岩場は秘密になり、誰も来れないだけだからです。

しかも、

”おれらは被害者なんだよ、迷惑クライマーが多いんだよ”

という都合の良いスタンスを取り続けることができる(=偽善者ペルソナ)を着れば、このサイクルが温存される。

という循環にあると思います。

上手いこと、考えられた手ですよね!あっぱれではありませんか?

そもそも、わざとトポにどう駐車したらよいのか書かないのかもしれないですよね?罠に入れるために。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、こういうことを考える天才が多いです。

■ ネット動画を上げても人が来ない理由

〇〇を開拓しました!と、特に新人クライマーにとって教育的でも、インフォーマティブでもない登攀姿をただ一方的にネットに動画上げるのも、効果がない上、オンサイトができなくなるので、辞めたらどうでしょうか?

ユージさんが大西さんと上げていたデイドリーム動画は、多少、教育的配慮がされていました。

大西さんがスリングに落ちて、皆さんもお気をつけて、とか言っていましたよね(笑)。

大西さんほどのトップクライマーでも、解除忘れて登り、スリングに落ちて、コマネチ状態になって痛い痛いって言ってるんですよ(笑)?

ちなみにビレイヤーに遠慮して、途中でスリングにセルフ取るのは日本だけのクライミング習慣で海外ではそんなことしません。

むしろビレイヤーがクライマーを見なくなるので、悪習慣である可能性もあります。

さて、動画の質が教育的でも、インフォーマティブでもない、つまり見る人にメリットがない動画を上げている動機は何でしょうか?

名誉欲、以外ないですよね?

まぁ、開拓クライマーは死ぬまで開拓し続ける、がん細胞みたいなものかもしれません。

一方、40年前のアルパインしかフォローしていないアルパインクライマーの情弱ぶりは、カットアンカーのルートを、再度、カットアンカーでリボルトしようとするほどです。

もう全体に日本の男性社会というのが、私が父親を知らずに育ち、そのために理想の父親をクライマーに投影しているから期待値が高すぎる、とか、に寄らず、

 誰が見ても、もう目を覆いたくなるような低レベル

と言えます。これが客観的事実で、私の側の期待が高すぎるとか、理想が高すぎるという問題ではありません。

■ 海外クライマーも日本の上を行っている

じゃ、海外が違うか?というとそういうこともないようです。

なんせUIAAの事務局長ですら、ロープを持ってこないクライマーの何が問題なのか、分からないくらいです。

ロープは個人装備です。

共同装備に入れて登るのは、まだ一人では岩場を安全にこなすことができない段階の、今から、クライマーになるところの人です。

たぶん、ラオスが特別にうまく行った事例かもしれません。そういうレベルのクライマーも、ロープを自分で持ってくるクライマーも楽しく登れるようになっていました。

私は特別クライミング自体には思い入れはなく、

 クライミングをすることでゾーンに入れる、ということが私の目的

です。

しかし、九州クライミングで、嘘を教えているクライミング教育を見て、「これは…」と絶句した、というのが真実です。

全国的な視点で見れば、現在のままの岩場でも、日本100岩場に載っている、小さな岩場をつないで

 ジャパンツアーを組める

ようにしてやれば、現在の岩場状況でも、日本一周を企画する外国人クライマーが岩場をめぐって全国を徘徊することで、海外のマネーが日本の僻地に収入をもたらすと思います。

バムされてしまうと飲食費しか落ちません。クライマーが徘徊することで儲かるのは石油産業だけ、ということになってしまいますね(笑)。

■ 日本人クライマーたちは、シェアの精神は持ち合わせていない

日本のクライマー界自体が、それを受け入れたいという気持ちはないと思います。

まずクライマーという人種は嫉妬深いのです…他人が楽しむために情報提供するか?しないでしょう…

そもそも、クライマーは、岩場がある地域を、

 搾取するための対象、

つまり、

 地域の人に許してもらってタダで登る…

と思っていて、それに不思議さを感じていないからです。

タダって搾取ですよね? 与えずに受け取ることを搾取と言います。

クライマーは貧乏だから…

ってホント?だって、クライマーが人工壁で登っているホールド、一個4000円とかで、ボルト代より高いですよね?

ジム代に毎月1万円くらい払っていますよね?なんで駐車場代の300円が高いのかなぁ?

それは、地域経済にクライマーの側が貢献する、とは全く思っていないからです…

出来れば税金払いたくない、っていう寄生虫みたいなのとメンタルとしては似ています。

■ アウトドアクライミングも観光産業ですよ

いわゆるクライミングを観光産業とはとらえていない、ということです。

逆にニュージーランドなど、観光産業と捉えているので、歩くだけのミルフォードサウンドですら、有料です。

もちろん、めちゃ安いですけど。

しかし、そうしないと、誰でも彼でも来てしまい、多くの人に踏破されて、自然破壊が起こりますし、コントロールが効かないです。

料金徴収が、そのルートに入る人の名簿にもなるので、遭難した場合の対処もしやすいですし、要するに入場者数をコントロールをするための手段でしかないので、額そのものは安いわけです。

今時は、ネットで応募できます。ミルフォードサウンドとかそうなっています。

同じような仕組みが日本にもあれば、当然それは大きな収入を地方行政にもたらし感謝されることになると思います。

特に富士山ですね。

岩場では、人数が多い奥多摩や山梨、静岡の岩場ですね。長野まで東京人が足を延ばしていくことは少ないように思います。

それには古参のクライマーが得ている既得権の返上が必要ですよね。

というわけで、たぶん、

 意識改革も、含め、

なんというか、クライマー集合体の業界としての人間的成熟性の問題が絡んでいるように思います。

いまだに、水源地に放尿するようなのを自慢する人を業界トップらが擁護するような論説を出しているわけなので、精神的成熟は遠い、ということが客観的に言えると思います。

2024/02/21

【自己理解】周囲への期待が高すぎる件‥‥

■周りの人が自分の期待より、情弱(レベルが低い)という事情

福岡に来て思うのは、

井の中の蛙

を今現在進行形で継続中の福岡の人って、井の中の蛙状態に気が付かないので、自分たちの古い常識に非常に強い正義感を持っていること。

そして気が付いた側の人は、他の人全員が気が付いていない、という前提で、ものすごく他者を見下してくること。

 A)井の中の蛙に気が付いていない人 = 自信満タン

 B)井の中の蛙に気が付いた人 = 他者見下し系

例えば、

    Google先生に何でも聞く、

ってことは、もう10年前の山梨で普通の一般の人がやっていることでした。福岡では、Google自体を使いこなしている人がいない(Aの人材)。

で、使いこなしている若い人(B)の人材は、すべての人を見下してくるので、私なんて、28くらいからGoogle使っているし、プロのプログラマーとしてコーディングが可能だが、IT音痴だと思われて、めちゃくちゃ見下してくる。

福岡の若い男性の他者見下し路線は、いったいなぜ?と言うくらい強い。おまえら分かってねーだろ、俺なんか時代の最先端を行ってるんだぜ感がオシオシである。

でもそれって、マジただのフツーですけど?

■ A人材・B人材と同じ土俵に載ったら負け

私と夫は、山梨に行ったとき、大阪と比べて世間が30年遅れている!と思って、びっくりしたのでした。

その頃は一般登山を二人でしていましたが、GPSで登山した軌跡が取れますが、それをしただけで、ものすごくハイテク人材扱いでした。え?ヤマレコで出てるよ?

っていうか九州ではヤマレコ知らず、ヤマップが一番最先端だと思っている…。ヤマレコは、アメリカのマウンテンプロジェクトの物まね、です。ヤマップはヤマレコの物まねです。

でも、山梨では、普通に、教えたらありがたがられました。あるいは、私たち夫婦がやっていることを真似て、自分は真似ているのに、まるで前から知ってるみたいな感じでやっている人がいて、ちゃっかりしてんなーと思ったりしたのでした。

 C)素直に真似る

 D)教えてもらってありがとうと言う姿勢がなく、ちゃっかり自分の手柄にする

山梨は30年遅れと感じたが、それでも、C人材か、D人材でした。私が御坂山岳会に参加したときは、私はリーダー講習の出たことは話をして出たので、先輩たちは、「ぜひ当会へ」という姿勢でしたが、「え、今時はムンターっていうの?へぇ~クローブヒッチ?昔は半固定と固定とか、インクノットとか言ったんだよ~」と時代のすり合わせを最初からしてきていました。

だれも、「は?クローブヒッチ?なんだよ、それ!」とか言いません。この自分の古い知識が絶対的正解だ感は、九州独自で、ただ井の中の蛙だっただけではなく、

 俺が正しい!

が半端なく強い。なんで? 

いやノットの名前くらいだったら、別になんて読んでもいいのですが、

 支点ビレイ

 危険個所でロープを出さない

 明らかに間違ったパッツンビレイ

 明らかに間違ったビレイの立ち位置

 明らかに使うべきでないボルト

などの、命のリスクが直接的にかかる危険行為に関してもそうなのです。ある会のメンバーなどは、

「易しいところではセルフをとらない!」

と叫んでいましたが、

「動くものに道標をつける」

「2人を1人がビレイする」

「エイドをアルパインロッククライミングにそうと記述しない」

「フリーで登れていなくても、全く意に介していない」

などなどで、”?”となりました。”?”となっただけではなく、そのままやれば、死に直結。

まとめると、

 A人材=自分が(古くて)間違ったことをしていても自信が満タン

 B人材=自分が(誰でもやっている)普通のことをしても自信が満タン

でした。その自信が謎。

そこはさらっと、新しい情報にしていけばいいだけなのではないでしょうか?例えば、最近はジム上がりのクライマーが主体なのだから、ジムでビレイを教え、ある位程度…例えば5級がすいすい登れた時点で、外岩に連れていくとか。

っていうか、アルパインでリーダーをやっている山岳会の指導者たちは、ジムの5級登れるんですかね?もしかして登れないんじゃないですかね?

九州クライミング界・登山界は、40年遅れのA人材が主体で、そして、A人材は、自分たちが時代から取り残されて遅れていることにまったく気が付かない上、ものすごく自分のやり方だけが正解なのだ感がある。

たしかに古い技術は役に立つことが多いです。私も、カラビナで懸垂下降する方法を3つ以上知っています。なんせ、新人はビレイ器を落とすことがあり、山で落としたら、まず見つかりません。その時カラビナ懸垂ができないと、家に帰れないですよね?カラビナ懸垂だけでなく、肩がらみや腰がらみも教わりましたが、垂直でやる気になります?しかも、ゴアテックスの高級ウエアで?

でも、普通に外岩を集団で登っているときに、腰がらみなんて要らないし、カラビナ懸垂を知らなくても別に困りません。それより先に覚えることがあるだろ、って感じ。ビレイの体重差の話が分かっているとか。

繰り返しになりますが、40年遅れの人は、遅れている自分たちが正解だという感じがものすごく強い。

間違ったビレイでもそれが正解だと主張したりする。

分かっていないのは、”おめーだろ感”で、ものすごい張ってきます。

でも、本当に分かっていないのは古い人のほうです。

■ トリック?恥ずかしい目に合わされている若い人?

さて、現代の新人君が、そうした古い考えに接すると、圧倒的正解感で先輩は教えてくれるわけなので、一般的な人は相手を疑うことができません。言うとおりにして、その基準をも受け入れる。しかし、その基準…40年前のトップクラス。

40年前の山岳会のトップクライマーって、現代ではただのその辺の人と同じスキルです。

逆に言えば、現代でその基準を適用すれば、ただのその辺の人が、え?俺ってもしかしてトップクラス?って思えてしまいます。

米澤先生は、私と野北の岩場で登った時、私がカムで登るので、「昔はあなたがやっていることができるだけで山岳会のトップリードだったんだよ」でした。実際、今でも九州ではアルパイン系の人は、フリーのリード能力5.7止まり。

40代スタートの私がリードできるようなところって、実際、入門者から初級者クラスの課題です。野北で登った課題は、小川山や昇仙峡で登っていたころと比べると、まぁ楽勝感ありました。

インスボンだって、小川山と比べると楽勝なんですもん。登りやすい。楽で長いです。もちろん、当時、私は登り慣れが必要な時期だったので、それで充実した登攀ができたのですが、まさか、簡単で長い課題を登ったことが、困難の克服をメインの価値判断の基準とするフリークライミングの世界で、自慢話になるとは思っても見ませんでした。ので、別に自慢していないと思います。

アイスクライミングに関しても、時代錯誤が顕著です。現代となっては、アイスの5級なんて、”あのー、その日、初めてアックス持った素人でも登れるんですけど?”みたいなグレード。壊れそうなアイスを登る行為は、まぁ基本、考えていない人のやることです。

コンペで、解け解けのスカスカ氷になった部分を見ては、

 「アックスサクサク刺さってめっちゃ登るの簡単だけど、リードはいやだよね~」

と皆で言いあいます。それで分かりますよね?あんなのが、目の前に出てきた滝で起こっていたら、まぁ基本登らないです。

師匠の青ちゃんなんて、高い標高の八ヶ岳にあったとしても、南面のは登らないくらい慎重です。摩利支天に行ったときも、ベテランの俺のほうが分かってるのは当然なのですから、私が登りたくて取り付こうとすると、制止してきました。これくらい登れよ、とあおられたことはありません。九州の指導者はあおり系で、事故を起こすクライマーを作っています。

以上を総合すると、誰も登ってなかった課題の初登…それは簡単なのに危険って意味で、すごさの表現じゃなくてバカさの表現ではないんでしょうかね?

九州男児の底力を見せてやる!

なんて、

 簡単だけど、ものすごい危険なルートで張り切って登って見せてくれる

のは、今ではどちらかというと、

 子供っぽくて可愛らしい行為、

なのではないでしょうか? 男らしい行為っていうより。

今日、アイスクライミングのワールドカップのギンちゃんの動画を見て、そう思いました…。ギンちゃんは大分出身のクライマーなのに、全く九州で無名。スルーされている。

本来なら今こそ祝杯ですよ。九州男児よくやった!って。別に九州男児だから、すごいってわけではありませんけど、ほんとすごいです。そのすごさが分かっていないって話。でもって、すごくない記録をすごいすごいとあがめているって話。

ギンちゃんと一緒に練習したことがありますが、めちゃ丁寧にいろいろ教えてくれました。

つまり、えばっていない。なんで、九州では、男子なら登れて当然の5.12がやっとこさのしょぼい人がえばってるの?

だって、5.12で一般標準男子なら、なんとか登れるってのに、5.12をつけていたって話ですからね。

クライミングの世界はまだ人口が少ないので、初心者でもトップクライマーとの接点がすぐ起きます。

しかし、九州ではそういう恩恵がないので、ただA人材がいうことを黙って聞くしか、若い人はクライミングを知る機会がないのかもしれません。気の毒ではありませすが、情報化時代、普通の情報力があれば、気が付きますよね。

福岡出身のクライマーで、本州で活躍している人に話をしてもらえばいいだけだと思いますけどね…

あまりにスポーツクライミングとしてのアイスクライミングが発展したので、別のものになってしまって、外で氷を登るアイスと競技の間に落ち込んだ、

 技術的つながり、歴史的つながり

が全く見えなくなってきてしまっているんでしょうね… 今では6級の氷柱だって、趣味で登ってるだけで競技はしないクライマーが登ってる時代に5級で自慢していたら…自慢ではなく無知の露呈ではないでしょうか?

逆にスポーツクライミングしか知らないで、カットアンカーのボルトにバンバン落ちている、なんてのも、無知の所産です。外岩はフリーであっても、ドカ落ちないように登るもの、という教育を受けました。ボルトが衝撃に耐えれる保証はないからです。そのほうが岩場の現実を反映した登り方です。

ホント、クライミングも知性が必要です。

もっと悲しいのは、最初から山梨・長野で、現代の価値基準をインストールされたはずの人が、周囲からの賞賛欲しさに、A人材の言うとおりにしてしまうことです。

王様は裸だと分かっている人が、裸の王様を見て

 素敵なお召し物ですね、って言っているようなもの

ですよ。

これらの件に関しては、

 私の側の問題=私がクライミング界に持っている期待が高すぎる、

と言うことではなく、

 周囲のレベルが明らかに低すぎる、

という結論に達しました。

私がすごいのではなく、周囲の人が時代遅れすぎる、のです。

まともな思考能力の新人の側が付き合ってられんのは、生命保存の法則から当然です。

2023/05/19

【クライミング指導法】昭和のスポ根からの脱却

 こちらは、バレエの教授法の愛先生のポッドキャスト

https://youtu.be/xupGFajouLw

題して、スポ根からの脱却。

私が思うには、昨今の若い男性クライマーは、スポ根とは真反対のようである。

まず、血のにじむ努力して頑張る、ということはダサくて流行っていないような気がする。

■  

1)新人時代にまわりにサポートしてくれる人がいない

2)クライミングすることが自分を守ること

 ・失敗したら怒られる

 ・賞が取れなかったら怒られる

 ・泣いたら怒られる

 ・怪我をしているとバレたら自己責任と言われ、無能の烙印を押される

=PTSD

ということで、ダンサーには、自虐系トラウマを持つ人が多いそうですが、これってまんま、クライミングでは?

バレエは大人のレッスンに行けば、誰もコンクールで優勝!とか言っていません(笑)。

ジムでは、なんか知らないけど、しっかり競争社会を形作っていますが、そんなのに大人が参加しても…

■ 教師が加害者

バレエでは、まぁ大体先生が加害者ですね(笑)

というのも、先生がそういう風に育ったから…

  スポ根=成功体験=教え子にもスポ根

という流れで、次なるスポ根が作られる。

クライミングでも同じで、指導する側が加害者。

しかし、指導する側が前提にしている、

   18歳男子

という体力がすでに前提でなくなり、

   小川山レイバックは、入門ではなく、上級…という扱い(笑)

■ え?!上級?!

えーじゃ、小川山レイバックが1回目から、マントル以外は、登れていた私って結構上手だったって意味なんじゃないの?

昇仙峡のワイドも2度目でRPだし… ジャムジャム84の3p目核心だって、2度めには登ったんだけど…

というので、なんか… 色々、考えるよなぁ。

誰かが、四角い私を 丸い穴に当てはめようとしていただけだよなぁ?

 



2023/04/02

アルパインクライミング=エイドクライミングだったダークな?過去

 ■ なるほどね~ なコメントをもらいました

古いクライマーから、なるほどなーてコメントをもらいました。

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若い頃は、がむしゃらに能力も無いのに高みを目指していた。
まだ、8環、トロールのシットハーネス、ハーネス、アブミの雰囲気が残っていて、谷川に通っていた。明神にマニフェストなどのハードフリールートを作った頃だな。

自分はアブミの掛け替えでそれらのルートに取り付いていた。

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心のなかで、わ!ハードフリー、出た!と思っちゃった。

「昔はフリークライミングのことをハードフリーって言ってたんだよ~」って、師匠もいっていましたっけ?

現代のフリークライミングと同じものなんだろうと思っていました。違いがわかりません。

 で、この方は、アブミの掛け替えで、そういうのに登っていたそうです。

そういえば、西湖の岩場で、会の先輩に、「エイドを教えてください」と言ったら、「日本のエイドでいいの?」とか言われたんですよね?

エイドクライミングに、日本のエイドとそれ以外のがあるということすら、普通、新人さんは知りません。本を読んで知っている世界です。

なので、本を読まない普通の人は、もっと知らず、クライミングの中に、エイドクライミングというものがあるということすら知らない。

今のアルパインルートでも、フリークライミングの基礎力がない人は、連れて行かないので、エイドって、エイドルートという特別なルートってことになっています。例えば、瑞垣の大ヤスリ岩とか。

 エイドルートこそ、中間支点依存なので、支点がボロかったら、死活問題なんじゃないですかね? まぁ、衝撃荷重こそ、かかりませんが。

■ 九州の現状

この会話で気がついたのですが、九州では、アルパインクライミング=エイドクライミングなのかもしれません。

というのは、OldButGoldは、フリークライミングのルートとして、OldだがGoldなルートという意味だと思いますが、その1つとしてでかけた矢筈岳のマスターズルーフ、1P目が5.9ということになっている実は、5.10cですが…若い男性がエイドで2時間半もかかって登ったんですよね…

私も落ちるよりは、別にフリーにこだわらずにエイド出していいと思うけど…最初からエイド前提。1ピッチ登るだけに2時間半って、初めて会った!くらい、めちゃ遅い登攀でした。

10cなんて、アルパインでは出て来ない、と言える難易度ではない…。

もちろん、私が行くような易しいルートには出てきませんけど、私が昇仙峡で登っていたアダモの上のクラックは、吉田さんには10Aと言われていたけど、後で5.13登れる人と行ったら、5.10cでした。ハンドジャム効くところ、2箇所しかなく、私の手のサイズではスカスカ。

それで、なかなか登れず、手間取っていたら、彼は不満そうで、その人からすると、えー、これくらい登ってよ、みたいなグレードらしかったです…それで10c。 

当時、5.9がやっとでーす、という下手くその私に対してすら、そんな要求度だったので、俺、5.12って言っている人が、エイド、しかも、二時間半ってのも驚いた。それで、許されるんだ~みたいな驚きです。

山梨で一緒に登ってくれた5.13クライマーだったら、もう二度と付き合ってくれないレベルかも知れません。その人、カムエイドなら簡単だよーと言いながら、登ったんですよね。

カムを引っ張りながら登るにせよ、ボルトにアブミをかけるにせよ、エイドで登ったら、エイドでしかなく、なんというか、日々、フリーを練習しているのは何のため?的な感じがどうしてもしてしまうので、現代クライマーにとっては、残念感というか、そういうものがあります。

昔の人は、その残念感がないんですかね? そういえば、矢筈のその若い人もなかったよなぁ…と気が付きました。 だから、記録には、達成感と楽しさしか書いてありません。

あれを読んだら、普通の人は、普通にフリーで登れたんだろうと思ってしまうよなぁ…。

というのは、現代のアルパインクライミングって、一応前提がオールフリーだからです。フリーじゃなくなったときは、断っておく。

そのことが古いクライマーには認知されていないので、どんな高難度なアルパインルートをフリークライミングというスタイルで成功しても、その成功の価値が認知されないのかもしれません。つまり、みんなエイド時代の頭なので。 

現代のトップクラスの、アルパインクライミングって、しつこいようですが、スーパー赤蜘蛛フリーソロレベルなんですよ?

現代のフリークライミングの基礎力をベースにしたアルパインクライミングは、ニューアルピニズム、とでも名前をつけて、別のもの、と区別したほうがいいのでは?

■ リーダーが墜落して恥ずかしいと思っていない

だから、山岳会を率いるリーダーレベルの人が、

「残置に足をかけて、ルートを探ったら、その残置が崩壊して落ちて大怪我しました」

と恥ずかしさを感じずに言ってしまえるのかもしれません。

このときは、ほんとにびっくりして、え?!と思いました。

  山の中の残置を信頼してはだめだ、

というのは、本当に、アルパインの初日に、言われるようなことだからです。

立ち木で支点を取るときも、木の太さやら根張やら、吟味しますし、アルパインって一応、高い山って意味なので、一番の基本は、雪にあるっていうか… 私も初めて教わったのは雪上確保で、スノーバーとか、スノーボラートの作り方からでした。その後、立ち木だったり、灌木を束ねて強度を出すメザシだったり、でした。

実際、ルートに出るようになると、初心者は、易しいルートからなので、三つ峠でもすでに支点があったりはするのですが、それはあくまで、落ちないためではなく、マルチの手順を覚えるため、みたいな感じでした。猫の頭みたいな、でっかい巨大な鉄製支点を指して、

「こんなん信用したらあかんで!!」

と師匠は叫んでいました。どうせ使わない支点でも、です。

それでも、しょぼいオンボロ支点しかエイドに使えないときように、細めのケブラーでタイオフする裏ワザとか、ナッツでタイオフする方法とか、絶対使いたくないような技を、念のため、教わっておくのが、そういう初期のころでした。今でも持っています。

どれもこれも、フリークライミング、と言えるグレード感の登攀がまだできないから、仕方ない場合はこうしなさい、みたいな、しぶしぶというか、やむを得ない場合の手段という感じでした。

ので、私はそんな危ない話なら、さっさとそんな危険な橋を渡るのは辞めて、フリークライミングの能力をあげるほうが楽しい上に安全だな、と私は、エイドを教わった初日に思ったんですよね。

■ もし、矢筈岳のあの登攀が成功した登攀と数えられるなら…

私の、おっかなびっくり登った、2度目の小川山レイバックとか、ほとんど全部カムエイドだった三倉の入門クラックとか、みんな、成功した登攀になっちゃいますね… 

私の感覚によれば、カムにテンションしただけで挫折感、みたいな感じですが…。

たぶん、城ケ崎では普通の感性だと思うんだけどなぁ… 

どうも、九州では、エイドを失敗とみなさないみたいなんですよね…

たぶん、そのために、

 支点がボロい=受け入れる=未だに制動確保(流して止める)

を受け入れて、”ビレイは流す” を基本にしている上、スポーツクライミングの影響で

 クライマーは、平気でポロポロ落ちる

という最悪の条件が重なっているような気がします。

それじゃ事故は減らないし、別にランナウトしていなくても、グランドフォールになります。

現代のクライミングでは、制動確保は終わって20年くらいたっているし、外岩では、人口壁のようにポロポロ落ちてはいけない、少なくとも3ピン取るまでは落ちない、というのが常識です。

エイドによる残置利用を当然と考える前提じゃなかったら、会を率いるような立場の人が

 ”山のルートで残置利用して落ちた”、

なんて、普通は恥ずかしくて誰にもいえません。

フリークライミングの領域ですら、ラクを掴んで落ちたのですら、誰にも同情してもらえないものですよ…。

なんせアルパインのルートでは、岩は叩きながら、ゆるくないか確認しながら登るものですから。フリーだって、開拓直後の岩場など、そうします。

それに、前述のように、今どきだと、アルパインのルートでも一流クライマーは、みんなフリーで登っています。リードする人がフリー(ということはオンサイト)なのは、当然のようなのですが、フォローも、チーム全員がフリーで抜けることで、その登攀の価値が高まるようですよね。

そういう価値観でしか、アルパインのルートも見ていなかったので、エイドでしか登れなかったことが

 達成感になる & 自慢の種になる

っていう世界が全く初めてでした。九州では今でもそうなのではないでしょうかね?

 

初心者の頃のアブミの練習



2023/02/09

吉田パンケーキ これが作れなければ、バムクライマーじゃない!

 ■ 吉田さんがつないでくれた縁 トニー

クライミングは、ご縁繋がり。

ラオスに初めて行ったとき、私は到着してすぐで、一服したい、というタイミングなのに、いきなり登らされ、翌日は寝て、元気になって、”さぁ、登るぞー!”となったら、今度は、「町を見ますか?」と昨日通り過ぎたところに戻らされ、やれやれ…といった調子で、パートナーとの意思疎通がチグハグだった。せっかく遊びに来ているのに、いやいやながらリードさせられている…という有様。

それを見ていたアメリカ人クライマーがいた…Tony。

私が余りに可哀そうだったので、声をかけてくれたのがTony。非言語コミュニケーションが苦手なのは昨今外国人ではなく、日本人男性。

結局、スイスから来たリディアと3人で一緒に登ることになったんだよな。大体、登りたいグレードが似ていたから…。

で、Tonyは、なんと北海道の紋別というめちゃマイナーな町で登っていたクライマーだった。

吉田さんのビレイヤーを昇仙峡でしていた…と私が話したら、なんと!吉田さんを知っていた!!のである。

Tonyのおかげで、ラオスでは楽しく登れた♪ 吉田さんが繋いでくれたご縁だった。

あんまり楽しかったんで、2回目は一人で行ったんだが、問題なく、外国人の人たちと組んで登れた☆ 初日だけ大阪のクライマーがビレイしてくれて、下地作り(笑)。あの時はありがたかったなぁ…

その後3回目のラオスに行きたいんだが、私は膝を亜脱臼してしまった怪我の治りが非常に悪く、2年経っても治り切れておらず、とても思い切った登りは、実はできない…。

海外では、ボルトが良くて、日本で登るみたいなびくびくした登り方(大墜落ではなく、テンション程度にしておく)は、しなくて良く、伸び伸び登れるのが、だいご味なのに…。

膝は、クライマーの大事なアイテム…ということでせっかく二年前に誘ってもらったのに、行くことはできなかった…。膝の方が大事。

海外では怪我できない。特にラオスの医療って…2度目に行ったときは、医療関係者が知り合いにいたけど、結構すごそうだった…。ラオスで怪我するのは嫌だ。

で、なかなかラオス3回目を決行できないでいる…という現在地。

■ トニー 旭川行くけど、どこのジム行ったらいいの?

そういうわけで、Tonyとは今でも、友達なんだが、旭川行くので、どこに行ったらいいのか?と聞いて、出てきたジムが…

ガッツウォール 

正式名称はとっても長かった(笑)。https://themoeru0213.amebaownd.com/

その上、森林計画を立案されている役場の方がクライマーだったので、その方に聞いても、ガッツウォール。アサヒカワライドの杉浦さんに聞いてもガッツウォール。

ということで、ほんとにガッツウォールは素晴らしいジムみたいな感じだ。

■ 誠実なオーナー

オーナーの岩瀬さんにお会いして、セットの作り方…私は、外岩をたくさん登っていないと良いセットはできないと聞いているんだが…そうなのかな?と、最近のフリークライミングは、自然界からは、かけ離れて違う方向に行っているような気がするんだが…

私は自然の岩が好きで、あまりプラスチックは好きでないので…どちらを向けばいいのだろう…と実は悩んでいる…を相談したら、僕も分からないんです…という答えだった。

で、なんだか共感した…そうだよねぇ…これって考え続ける系の奴かな… 

吉田さんみたいなクライマーにしか、この答えは出せないかも…?

もしかすると、吉田さんは外岩だけを登ってトップクライマーになることができた、幸福な時代に生きたのかもしれない?

今の時代なら、もうプラスチックなしに14を登ることはできないのかもです。

■ 到達困難度高し!

ただガッツウオールはなかなか、到達が困難なジムでした…。一番近いバス停に泊るバスが一時間に一本しかなく、帰りが困難。

それでオーナーさんの配慮で、帰りは登っていたクライマーで同じ方向の人が送ってくれました。久保田さんだったかな。

しかも、そのバス停の案内も、上級テクみたいで、Google先生でトライしましたが、バス停Aに案内され到着すると、今度はバス停Bに行くように指示され、Bにつくと今度はCと…これは、永遠にキリがない、と自覚しました。雪国は、バスが遅れるので、情報が更新されることがネックになる。想定より歩きに時間がかかるので、1分先のところに行くにも5分かかったら、歩いているうちに違うバスの方が早いみたいなことになります。

で、初日は挫折。しかも、旭川は空気が重たいのか、排気ガス濃密なんです…あっという間に頭が排気ガスで痛くなった…。旭川には住めないなーと思いました。

一人一台なんでしょうね…甲府と同じだな。日本国中の小さな田舎町が、一人一台の車所有を前提にしていない町の設計で、朝夕に大渋滞ですよね…。夫は甲府時代は渋滞を避けるためにめちゃ早起きして会社に行っていました。

ガッツウォールに行く案内は、バス会社のお姉さん…つまりプロ…が、15分くらいうなって見つけてくれました。

■ 吉田ホールド&吉田日記

そんなこんなで、苦労して、やっとたどり着いたガッツウォール。行って良かった…。

吉田ホールドがあり、ご年配で吉田さんのビレイを長くされていた大先輩の方と、お会いすることができました。深謝!

すでにご病気を患っておられるそうだったので、吉田さんの思い出を分かち合いたい人は、早く出かけたほうが良いかもしれません。

吉田さんが残した日記を見せてもらいました。 

本州のクライマーで、無雪期に名寄の見晴岩に車で行きたい人いれば、一緒に行きたいです。

■ 日本で最初のフルタイムクライマー(バムクライマー)=嫉妬サバイバル

私は女性なので、男性の嫉妬の世界は、よく分からないのです…

でも、吉田さんの言動から、吉田さんが一身に男性クライマーの嫉妬を受けているのだろうということはうかがわれました。

九州に来て、嫉妬の総攻撃に会うということがどういうことか?ということが分かった。

ただのおばちゃんで、へっぽこクライマーの私ですら、そんな攻撃を浴びるのですから、吉田さんはどれほどだったかと思うと…なんだか気の毒感が募ります…。(嫉妬についての考察はこちら

吉田さんは、クライミングと引き換えに、世間の幸福と言われるものをすべて投げ出した人、というので有名でした…。

吉田さんが言った言葉で、印象に残っているのが

 軒先貸して母屋取られる

です。まさにクライマー業界を表している。 

 ビレイ貸して命取られる 

です。しかも、クライミングは自己責任という免罪符で、加害者は責任を問われない。

その投げだしたもの…母屋取られたもの…の中には、知名度、経済的幸福、一つの家庭を作り上げる喜び、結婚、そして、最後は健康まで…入っていたのかも? 

吉田さんはキャリア上の成功すらも、譲って、名を成すこと…89年のMarsを5.14で登録する…より、実を取り、登り続けた…その記録が吉田日記なのです。

でも、案外、日記の中の吉田さんは、失ったもののことは気にしていない様子です。

それが嬉しかった。

■ 吉田パンケーキ!

 

クライミングバム…って70年代の流行だったんですね。私は72年生まれなので、知らない。

《吉田パンケーキ》

・小麦粉 ふくらし粉 (アメリカなら、”オールパーポスフラワー”にはすでに入っている)

・スキムミルク

・水

・プロテインパウダー ※ 吉田さん、プロテイン入れていたんですね!いいなぁ!

・レーズン 

焼いて、バターとジャムをかけて、シナモンを振る。

■ 日本の小麦は鉄が添加されていない…

私も最近、分子栄養学を勉強して、米国の市販小麦粉には、葉酸と鉄が添加されていることを知りました。

アレックス・オノルド君はビーガンですが、それは小麦粉が日本のとは違うからです。

なので、卵とプロテインパウダーが入っているところが、クライマーっぽさというか、アスリートに必要な栄養があるところです。

海外だとこれに鉄も葉酸も入っているんで、日本なら、強化したほうがいいかもです。

吉田さんも実は栄養学的に欠損があったんじゃないかな‥と思ったりします。悪性リンパ種ということでしたが、ガンとも言われました。血液のガン、が悪性リンパ腫ですよね…

それは長年のカツカツに切り詰めたバム生活から、起こったものなのかもしれません。

■ 貧乏は自由の同義語!

でも、

 貧乏は自由の同義語、

なのです。今でも。

ジャンボさんだって、奥村さんだって、伊藤さんだって、ユースケさんだって、みんなカツカツです。ただ、今では、”貧乏”という言葉を使わず、

 シンプルライフ

っていうんですよ!

吉田さんの病気は、本来、なくても良かったような気がしました…。もし、日本の小麦にアメリカ並みに鉄が添加されていれば…。もちろん、これは私の仮説ですが。

現代のバムクライマーは、分子栄養学で、自己防衛しましょう☆

そして、バンバン吉田さんの後に続いて、バム生活を楽しみましょう!

《参考》
 https://www.cochrane.org/ja/CD011302/PUBHLTH_xiao-mai-fen-nitie-wojia-erutopin-xie-gajian-riyi-ban-noren-demotie-gazeng-erunoka

https://hakuraidou.com/blog/92772/