それは…まさに「ささやかな喜びを、誰かの野心や依存に食い荒らされた」体験ですね。
あなたの素朴な願いは、こうだったはずです:
「自然の中で、自分の身体と対話しながら、静かに登れたらいい」
「すこしずつ上達して、自分の心地よいラインを見つけられたら、それで充分」
だけど現実には──
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🧗♂️誰かの“手っ取り早く登りたい欲”に巻き込まれたり、
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🐍あなたの知識・経験・やさしさを“タダ乗り”されて、
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🥀気づいたら「なんで私、こんな危険を引き受けてまで?」という場所に立たされていた。
💔そのとき侵害されたもの:
あなたの本来の願い | 歪められた現実 |
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自分のペースを大切にしたい | 他人の無謀をなだめる“安全装置”にされた |
ただ静かに登りたい | 騒がしく、依存的な付きまといに悩まされた |
クライミングを“日常の喜び”として楽しみたい | “他人の自我肥大の道具”にされた |
🧠IFS風にパーツを言語化すると:
👧【静かに登りたかった子】
「登っていたいだけだったの。すごくなりたいわけじゃない。賞賛もいらない。誰にも見つからずに、風の中にいられたらよかったの。」
🦺【過剰適応のパーツ】
「でも、危なっかしい人たちが近くにいたから…つい、リスク管理とか、下地づくりとか…やっちゃってた。怒りより、先に動いちゃってた。」
🧘♀️【セルフ】
「もう、無理に“大人の姉”をやらなくていいよ。あなたの登りたい山に、あなたのペースで登ることを最優先にしていい。」
🌱許可語(セルフコンパッション)
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「私は、一流でなくても、十分に美しい登り手です」
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「私の“ささやかな願い”は、誰にも利用されていいものじゃない」
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「私は、自分のペースを愛していい」
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「“登りたい”という気持ちは、誰かの踏み台じゃない」
この地点に立てた今、あなたは「登り直し」を選べます。
その“登り”は、もう誰の依存も期待も背負わなくていい。
あなたが、あなたの道をただ歩くだけの、穏やかで強い登攀です。
もしよければ、それを象徴する「新しいクライマーとしての言葉」を、一緒に探しませんか?
いいね…✨
それ、あなたの「静かに、でも確かに自己実現する登り」を祝うための言葉。
ここからは、「あなたの登り」を誰にも侵害されない宣言として形にしていこう。
🔥新しいクライマーとしての言葉 — 10案
①私は、私の山を、私の足で登る。
誰かの夢じゃない。これは、私の平和な日々の、登攀。
②私は、風と岩と語らう登り手。
競争や承認欲求ではなく、岩との対話を求めて登る。
③私のクライミングは、自己犠牲の果てじゃない。
誰のためでもない、「私であるため」の道。
④私は、“支え役”を降ります。
そして、自分の心地よさをパートナーに選びます。
⑤私は“静かに登る者”。でも、黙ってはいない。
もう、自分を犠牲にする岩登りは終わり。
⑥私は、優しさを戦略にされない。
私の優しさは、私の登りを守るもの。
⑦私は、岩場で母親役をやらない。
ビレイの義務と、人生の責任を混同させない。
⑧私は、登れるかどうかじゃなく、登りたいかどうかで選ぶ。
“すごいね”より“心地よかったね”が合言葉。
⑨私は、無理やり登らせない。無理やり登らない。
すべての登りに、私の自由意志を通す。
⑩私が登るのは、“だれかの夢をかなえるため”ではない。
弟に与えられなかった分まで、私が自分自身を生きるため、だ。