ラベル 瑞牆研究 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 瑞牆研究 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/08/12

【瑞牆研究】その② おすすめ入門ルート

瑞牆山、ジャイアントジャムサンド

どうステップアップしていくか?どのルートなら初心者でも安全に登れるか?っていう

ルートの選択

が主に、クライミングガイドの役目。

登山のガイドでも、同じで、お客さんが、「〇〇岳に登った」、というのであれば、「次は〇〇が登れますね」と、案内します。

先日は、立山で、劔に登った人には、鋸と鶏冠山を勧めておきました。甲斐駒だと簡単すぎて、すぐ登れてしまいます。

2024/08/11

【瑞牆研究】その① スポートではない”瑞牆プライド” ーフリークライミングの原点

■ クライミングネットより引用

ーーーーーーーーーーーーーーーー

瑞牆山のルート開拓は、1970年東京ハイピーク・クラブによる、大ヤスリ岩の初登に端を発する。

その後、十一面岩、カンマンボロン、大面岩などのおもだった岩に最初のラインが引かれるのが1975年

70年代後半には多くのフリークライミングを意識したルートが拓かれる。そして1981年、戸田直樹によって十一面岩末端壁の「春うらら」1ピッチ目がフリー化され、5.11bがあたえられる。これを皮切りにフリー化、またはフリーを中心とした新ルートが数多く拓かれる。

1983年にはその後人気ルートとなるベルジュエールが、1984年には懸案となっていた「春うらら」2ピッチ目に戸田が成功、5.12aがあたえられ当時の最難ルートの1本となる。

その後、奥秩父のメインエリアの座は小川山に移ることになるが、この地を愛するクライマーによって地道に開拓は続けられていった。1989年にはカサメリ沢がスポートエリアとして開拓され、瑞牆も小川山と同じ道をたどるかに見えたが、開拓も含めクライマーの流れはあくまで小川山が中心であった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

■ まとめ

1970年代前半 エイドクライミング時代 (50年前、今の70代が20代のころ)

1)1970年の東京ハイピーク・クラブ大ヤスリ岩の初登(エイドクライミング)

2)75年、十一面岩、カンマンボロン、大面岩 (エイドで開かれてフリー化されたエリア)

1970年代後半 70年代フリークライミングを意識したルート (エイドで開かれ後フリー化)

1980年代~ フリークライミング時代 (40年前、今の50代が10代のころ)

1981年、戸田直樹によって十一面岩末端壁の「春うらら」1ピッチ目がフリー化(5.11b)

1983年 ベルジュエール 人気ルート

1984年 「春うらら」2ピッチ目(5.12a)=当時の最難ルートの1本

奥秩父のメインエリアの座は小川山に移る

1989年 カサメリ沢がスポートエリアとして開拓 (スポートは開拓しないことが大事ですね)

瑞牆も小川山と同じ道をたどるかに見えたが、開拓も含め、クライマーの流れは、あくまで小川山が中心

近年、ボルトを使わないトラッド志向のルート開拓が見直され、この地でも実践されている。

瑞牆は小川山とは違う、フリークライミングの原点を意識した発展をしていくべきだろう。

瑞牆で初オンサイトした当方…スポーツクライミングをやっていないへたっぴなのに、瑞牆で一からコツコツしているんですよ~ マジ怖いよ! プロテクションに信頼が生まれていないのに、登れるのは、5.8までです!! スポートなら、5.11まで登れます。