2025/06/12

私にとってのクライミングとは

 私にとってのクライミングとは

私にとってクライミングとは、自然界との対話です。

岩には、敬意を払っています。

だから、ちょっとムーブが思いつかないからといって、

簡単にロープにぶら下がったりはしません

ムーブが分からなくて焦ったら、とりあえずクライムダウンします。

これは、読図で現在地が分からなくなったら、わかる場所まで戻るのと同じです。

そうやって、再度登ってみたら、思いもがけず、ムーブが出てきます。

これが面白くてやめられない!

自分の体から、無意識にムーブが引き出される瞬間があります。

これが、岩と自分の体がどう重なれるかを時間をかけて探るということ

それは、競争でも、征服でもない。

岩と向き合い、自分自身とも向き合う時間なのです。

だからこそ、わざと命知らずを煽るような登り方や、

「これくらいも登れないのか」という登り方はしません。

これは、言ってくる人の自己愛の傷つきの投影同一視なんです。

つまり、こう言ってくる人は、こういわれて育った人。

そんなやり方は、私の辞書では、そもそもクライミングとは呼べないものです

クライミングは、やっているうちに無意識が機能して、ある日突然できるようになる。

そこが面白さであり、醍醐味なのです。