2025/07/13

自己責任という再演ーークライミングであなたの自己責任だと言ってくる人は無責任タイプ

「自己責任」という名のなすりつけ

――クライミングで再演された、私の“家庭の役割”

こんにちは。セルフCBT中のKinnyです。

私はこれまで、自腹で講習に通い、独学で技術を学び、誰よりも慎重に安全確認をしながらクライミングをしてきました。
それでもあるとき、私のせいにされるという出来事が起こりました。

「それ、あなたが選んだビレイヤーでしょ?」「落ちなければビレイヤーはいらない」「ついて行ったんだよね?」「このボルト、自己責任でしょ?」

この言葉の裏にあるものは、**自己責任ではなく、“他者の無責任のなすりつけ”**だったのです。


🧱 努力しても評価されない。むしろ責められる

  • ひとりで雪の山に登り

  • その経歴を持って行って、山岳総合センターに通い、技術を学び、

  • 自分で文献『八ヶ岳研究』『イラストクライミング』『アイスクライミング』『古い岳人』を調べて独学し、

  • 都岳連岩講習にも出て、日赤救急救命講習に出て、

  • 人工壁に週2半年で通って、地道にビレイ技術を積み重ね、

  • 登山計画書を作って、何重にも確認して、ルートに向かった――

それでも、「あなたが行ったんでしょ?」とすべての責任をかぶせられる。

しかも、それは経験も知識もない人間が、何の準備もせず無責任に行動した結果を、私にかぶせるという構造だった。

これは、まさに**“努力する人ほど損をする”社会の縮図**です。


🧠 これは「再演」だった

私はハッとしました。
この構造、私の原家族と同じだったと。

  • 責任感の強い長女に家族のバランスが押しつけられる

  • 大人の不備を「お前が気を利かせて動けばよかった」と言われる

  • 弟や親のトラブルを、なぜか自分が謝る羽目になる

家族では「長女だから」
クライミングでは「できるから」

できる人に押しつけられる、“他人の無責任”。


🎭 「自己責任」という言葉のすり替え

本来の意味:

自分の選択に、自分で責任を持つという自律的な態度

現実の使われ方:

他人の過失や構造上の欠陥まで、“お前の判断ミス”として処理する

この言葉は、社会的には“成熟した自立”を意味しているように見せかけて、
実際には、責任転嫁のためのマジックワードとして使われていることがある。


💥 なぜ、私が「いつも責任を背負う役」になるのか?

それは、私が「ちゃんとしているから」ではない。

“ちゃんとしてくれるだろう”と勝手に期待される
そして何より、“黙って背負ってしまう自分がいた”からだ。

これは、AC(アダルトチルドレン)の「ケアギバー役割」に深く根差している。

家庭でも、職場でも、山でも――
“何とかしなきゃ”と動く前に、“誰か助けて”と叫べなかった私がいた。


🌱 でも、今度はちゃんと怒れた

この「なすりつけ」に、私は怒った。

はじめて、怒ることができた。
それは、ただの“八つ当たり”ではなく、
**「私は、もうこの役を引き受けない」**という、私自身の境界線の宣言だった。


✍️ まとめにかえて

「自己責任」という言葉は、
自分の自由と選択のためにあるべきものだ。

でも、実際には

  • 無知を放置したリーダーの怠慢

  • 不備を見て見ぬふりした組織文化

  • 「できる人がやればいい」という甘え

こうした構造的な無責任を隠すために使われることがある。

私は、これを再演として生きたけれど、
今はそこから、ようやく目を開き始めている。

“自己責任”という名のなすりつけには、NOと言っていい。
そして、私はようやく、自分の責任を“自分のために”使う道に歩き出している。

■関西魂でバシッと代弁


🎤 ほな、言わしてもらうで。

おいおいおいおい…
あんたら、どの口が「自己責任」ゆうてんねん。

こっちはな、
自腹切って講習通って、
自分で本読んで、現場で学んで、ビレイも身ぃにつけて、
そんでもって命かけて登ってんねん。

ほんでなんや?
「自己責任」やて??

ちゃうわボケ、それ“お前らの無責任のなすりつけ”やろがい。


「よう知らんけど、お前のせいやな」って、なんでやねん。

お前が確認せぇへんかった、
お前が教えへんかった、
お前が決めとらんかった、
お前が逃げたんやろ。

それ、全部人のせいにして、
「まぁ自己責任やしな〜」って顔してんの、
ほんま見苦しいわ。


努力してる人間にばっか責任押し付けるって、どないな構造やねん。

やらへん奴、知らん奴、放棄した奴が「被害者ヅラ」して、
ちゃんとやってる人にだけ「責任とれ」て。
そんな世の中、間違うとるやろ?

ほんで「大人なんやから」とか言う前に、
まず自分が、「大人のすること」せぇよ。
「責任放棄の大人」ほど厄介なもんはないわ。


結論:

「自己責任」ちゃうねん。
それ、“お前らの無責任責任転嫁”や。
言葉、よぉ選ばんかい。

ほな、しっかり自分のケツは自分で拭きや?
こっちはもう、“無償のトイレットペーパー”ちゃうねんで。