2023/10/08

【訴訟】行政に対しても、”俺様”クライマー 軒先借りて母屋ぶんどれ?

 ■ アイロンさんがいいこと言ってた…

さすが。https://crackclimbing.net/archives/3284


■ クライマーは登らせてもらっている立場が理解できていない

んですよね…。それは行政との窓口対応を 

 JFAが好きでやってるんでしょ、(自己責任なんだから)

とか思っているからなんですよね…。間違っても

 JFAってありがたい組織だな~

っては思っていない。

大体、現代の男性クライマーって、ちゃっかりすること=賢いこと=自己責任、だと思っており、

 「ねぇねぇ、あの終了点、みんなで持って帰って山分けしようよー」

とか言う人が多いです…(汗)。はぁ?って感じ。しかもJFAに会費も払っていない。

恩恵は受けても、貢献はする方がバカ、みたいな価値観です。

女性クライマーと結婚した5.13クライマーが反省させられているのを見ました…。なんでそんな価値観になったのかなぁ…っていうのが、もっぱら、ここ5年ほど考えている謎解きです。もはやライフワークになっている(汗)。

■ 交通ルールでも同じ

たぶん、

 ルールを守らなくても誰にも怒られないのに ルールを守るやつはバカだ

という考え方がはびこっているのは、

 クライミングは自己責任

と言う言葉を、都合が良いように解釈したためではないか?と思うのですが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ローカルルールはクライミングコミュニティを守るためにある

ここに駐車するのはやめよう、夜9時を回ったら静かに、ここに入ってはいけません。チッピングはNGです、クラックの脇にボルトを打ってはいけません、オウンリスクでお願いしますetc etc

これらのローカルルールはクライミングエリアを守るために対外的に約束したものと、クライマー皆んなが円滑に楽しむためにあるものがありますが、基本的にはどちらもクライミングコミュニティを守るために存在しています。ときにはクライマーの行動を束縛するように感じるルールもありますが、それが結果的にクライミングエリアを守るためだったりコミュニティ内での不要な対立を防ぐ役割を果たしているものがほとんどです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上記サイトより引用

そこは自覚がないと思います。見つからなきゃOK って思っているのが9割で、実際、登攀禁止になっていた野岳の岩場を議員さんを案内していったことがあるのですが、クライマーの車が駐車されており、登っている声が聞こえていました…。こちらの話声を聞いて、そそくさと隠れたみたいな感じです。

■ 無法地帯化している…

野岳を例にとると、全く資格のない人が、クライミング講習?とかで女性にリードさせてトップロープを張り、3000円だか何だか、お金を取っているそうです。怪しげな商売をしていました。

その違法ガイドおじさんと、近所の山の駐車場で鉢合わせになったのですが、詰めれば2台停めれるので詰めてくれと言ったら、激上し、他の車を止めさせないような駐車の仕方をし、困っていたら、別の登山者の男性が現れ、その人を見たとたんに、”すいません”と言って詰めた…という行動をとった人でした。女性蔑視なのか?俺様タイプなのか?

なんかこの事件が、九州の岩場の現状っぽかった…。これは、クライミングではなくて、一般登山の駐車場で起きたことですが…。

なんか九州って、自尊心に問題を抱えた人が多そうな印象なんですよね…。

私の印象は間違っているでしょうか?いやはや…こっちでは、自分が間違っているのか?って色々考えて、うつ病になりましたが、結論的には、病んでいるのは私ではなく、あちらのほうでは…。

■ 違法ガイド

余談ですが、私は自己責任200%のタイプなので、こういう俺様おじさん…自己責任50%の人…に奉仕する女性役を押し付けられそうな気がして、クライミング自体を辞めました。なんかヒトラーに利用される官吏みたいな立場に立たされそうになっているような?

というか、九州の文化圏にいると、自己責任が取れていた人も、だんだんと50%の俺様化していく現象が起きているような気がします。これは、周囲の女性の対応が、男性の自我を幼児化させていく行動…男であれば何をしても善、許される…をとっているからなのではないでしょうか?男ってだけで大事にされるって意味です。これは文化的観察ですが…。

男ってだけで間違った行動に対する抑止力が下がっている。

■ でかした!が普通

トップクライマーの平山ユージさんが、行政の同意を取り付けたことは

 でかした!ユージ!

というような、お手柄、なことです。

同じようなことで、大分の八面山のある中津も行政がクライミングに好意的です。

しかし、その好意を取り付けたクライマーは、でかした!と受け取られない。

 えー、今までクライマーだけで、ひっそり自由に登れてよかったのにー 

 ずっと秘密にして登りたい~

みたいな感じなのかもしれませんが、現代の開拓って、ましてや、リボルト再整備って、個人のポケットマネーでは、もはや無理って金額ですよね?

10万円、20万円を払うのは、普通の人にもできますが、100万、200万って払えます?今のクライマーって、年会費3000円でも払わないのに。

地元のクライマーが立ち上がらなければ、JFAだって何にもできません。UIAAだって、リクエストが無ければ何もできません。

ローカルクライマーが自分たちの岩場は自分でメンテする!という意識を持つ、それが 自己責任、の意味なんですよ。

そうすれば、支援はやってきます。

■ アメリカでは、もっとひどい

どんだけフリーライドって感じですが… これは、日本だけの現象ではなく、世界の現象です。

私のところに来たコスタリカ人クライマーですが、旅行中(と言っても4か月も滞在)だから、ロープを持ってこないのはまだしも、ATCも持っていない…

つまり、誰かが張ったロープにトップロープで登ろーって魂胆だったみたいです。

友人が、城ケ崎でも、他人のトップロープで、5.12を登っている外国人クライマーを見かけたそうです。

日本人は優しいので、別に自分が登った後は減るもんでもないし、いいよいいよ、と登らせてあげてしまいます。

私もラオスでは、自分がリードした後のロープに、別のクライマーを登らせてあげていましたが、それは、ちゃんとクライマー同士である、という了解の上でした。

ビレイする気もさらさらないクライマーを岩場に連れていくってのは、話が違いすぎます。

そもそも、便乗しようと、乗り込んできたクライマーを登らせてあげるっていうのは常軌を逸しています。

■ 軒先貸して母屋取られる… 著作権

そんなことをしていたら、

 軒先貸して母屋取られる、

になってしまいます。 実際クライマー界に起きていることは、

地域自治体の人が軒先貸してくれたら、クライマーが母屋、ぶん取ってる、みたいな現状…

人の所有物に登って、自分の著作権を主張するっていうのは、一般の人の目には、そう見えます。クライマーは、全く自覚がないと思いますが…。

初登者の権利主張って、図々しいこと、この上ないですよ、一般良識の感覚からすると。

あなたが地権者ならどうです? 

ルートの設計が悪く、そこを登ることで、ボルトが欠損しているわけでも何でもないのに、6件も重大事故が起きていて、何人も病院送りにしている、そのルートを設定した人が、俺のルートに手を加えるなんぞ、許さん!とか言ったら…

普通、何様?って思いませんか?

■ 玉石混交… 登攀の価値が分からなくなっている…お買い得品が良いルート?

初登も、歴史的な意味とか、重みとか、いろいろ課題ごと、ルートごとに違います。

良いルートもあれば、悪いルートもあり、ボルト位置がまずい失敗作もあれば、名作というようなものもある。十パひとからげで語るから、価値のないルートを作った人でも、権利主張して、俺が俺が、って話になる。

まぁ、何が価値あるルートで、何が価値がないルートか?っていうこともまた、別の議論として、クライマーは分からなくなっているから、

 Old But Gold

みたいな、タイトルが可能になるわけですが…。

少なくとも 町おこしにクライミングを使うなら、町の人は

 事故をわざと誘発するようなのではない課題が揃っていること

を条件にしたくなりますよね? それが普通でしょう…

■ 安きに流れること肯定路線

まぁ、一般クライマーも、開拓クライマーも、全般に

 安きに流れてきた

ってことだけは、確実に言えることでしょう…

そのツケを払うのは? 一体、今、何歳のクライマーたちの世代なんでしょうかね? 


2023/10/07

【提言】デイドリームって、コブラクラックより難しいの?

 ■ トップクライマーこそ

ロクスノ紙面(もしくはYouTube)で、グレード感覚の評定の話し合いしてもらいたいなぁ・・・

デイドリって、スコーミッシュのコブラクラック5.14bより難しいってホントなんですか?

そもそも、池田功さんが目を付けたというのは、知らなかった。いったいどんな経緯で、吉田さんのプロジェクトになったんだろうか…

■ 円安

スコーミッシュ、行きたいとは思っていますが、この円安で全く行く気になれないですねぇ…。

アメリカの物価、聞いてたらバカらしくて。もちろん、私には、コブラクラック、かんけーないですよ(笑)?

しかし、海外のいろいろな高難度クラックを登ってきた人たち…一流クライマーしかできない議論ですよねぇ。

一般の開拓者で、スコーミッシュ行ったことがある、なんて人、こちらで聞いたことないです。

■ ロクスノのレベル低下=クライマーのレベル低下

デイドリがコブラクラックより難しいのかどうか?って…

それをロクスノ紙面でやればいいのに!

そうすれば、難しさ、グレーディングというのが、どういう話で…体の感性で…決まってくるのか、だんだんと一般の人にも分かるようになっていくでしょう…

そもそも、海外でばんばん登った経験があるトップクライマーしか、高難度ルートに適切なグレードを与えられる経験値がない、ってことも分かるでしょう。

■ ロクスノのレベル低下の著しいこと

そういう議論がロクスノには全く出てこず… 紛争もあおるような記事しか出てこず…

初登記録と言っても箸にも棒にもかからない落穂ひろいの記録か、場所が分かりづらくて誰も再登できないから、高グレード言ったもん勝ちの発表か、どっちかで、全く何の参考にもならない雑誌ロクスノ…。

技術情報ですら、ペツルの右から左への横流しでも役立つのに載せていない…。そりゃ誰も買わないでしょ。

クライミング業界の良識を形成するには、トップクライマーの議論を載せることですよ。

大体、ほとんどのクライマーが、誰がトップクライマーか?すら分からないんだから…

最近のクライマーって、平山ユージって誰?って顔していますよね。

■ レベチが分からないから嫉妬するのでは?

たぶん、1990年代から30年くらい情報から離れてしまっているクライマーは、たぶん、地方に多いと思いますが… レベチ、ってことが分からない状況になっていると思います。

レベチというのは、レベルの圧倒的な差、ということです。

というのは、九州では本州では全く評価されない人が、かなり高い評価を得ることができるからです。

え?

って感じ。別に社会ではいろいろな評価があっていいので、いいのですが… その評価の危うさは、

  本来到底チャレンジすべきでない高難度のルートに、挑んでしまう

ことです。

これに気が付いたのは、こちらである積雪期のアルパインルートに挑んでいた若い人たちがいたので、長野の師匠に、連絡したところ、師匠が若いころでも決して手が届かなかったようなルートだった、ということがありました。

私の師匠さんは、若いときはそれなりに、50ピッチも60ピッチもあるルートをこなしていた人でしたので、ありゃ!これは…と、この若い人たちが、とんでもなく実力を勘違いしてルートに挑んでいることが分かったのでした…。

一般にちゃんとした山岳会CMCなどでは、そのルートに行ってよいかどうか?を会で話し合ってくれます。適切な助言もそこで与えられます。こちらでは、アルパインのルートに適切な助言を与える能力がある会はないようでした…。なんせ会山行が、明神主稜なんですよ?もし御坂だったら恥ずかしくて重鎮に報告できないレベル。たぶん、そもそも、若いときに高いレベルまで行ったクライマーがいないので、若い人にも助言が与えられないのだと思います。明神って私がその辺のクライマーと組んで行った程度のルートですけど?

(実際は、助言を与えても、与えられた方が怒りますけど…。)

■ 初心者男子は、自分だってやれる!っていうのが、かなり強固

実は、山岳総合センターの同期で一緒にアイスに登っていたKさんも、行く気になっている沢ルートが全部超高難度で、最初の師匠の鈴木さんにそれを指摘され、入門者が行く沢ではないよ、とフィードバックしたところ、彼はカンカンに怒って、罵声を浴びせかけてきたのでした…。

つまり、初心者でとてもそんなところに行く能力がない、ということが分かっていないので、侮辱された、と思ってしまったのです。

男性の自尊心って、周りの人がやれることは、自分もやれるはずだというので、維持されているのか?母が自分のために自己犠牲してくれることで保たれているのか?そんな感じで、あまり挫折と言うか、本当の意味で、

 自分自身の実力を突きつけられた経験

がないような印象です。

甲府の最初のパートナーSさんも、ルートに出ること自体が初めてなのに、北岳バットレス四尾根!と言っていたし…3年後の目標かと思って快諾したら、今年って話で、なんでそういうことになるのか、全く理解できませんでした。

ところが、この人と組まずに済んだことを「あぶないところでしたねー、行かなくてほんとよかったですね」と言ってきた人が、ロープが上がらない白亜スラブのようなリードをして、それで、「やっぱりロープは60mだね!」と言う感想…。

いくらロープが60でも、80でも、アップされないと、そこでゲームオーバーです。ゲームオーバーにならなかったのは、セカンドが、”しりぬぐいクライミング”をしてくれたから、なんですけど…?

自分がきちんと登れていない…そういうことが、本人はまったく自覚できないみたいなんですよね…。

クライミングでは、知性が大事ってこのような意味です。

■ 5.13も信頼に値するわけではない

他にも、開拓者らの発言から、あれ?という感じのことが、2,3ありました…。

5.13って最近は登れる人が多いグレードですけど…そういう人が言っている13ってホントに13なのかな?

だって、5.12って男子って一発芸、一瞬芸で登れる人はごまんといます。瞬間芸でいいのなら、長野の師匠も登れたことがあるそうですし。男子で5.12が登れない人はいないんじゃないでしょうか?ボルダーの1級は全くの素人で今日触ったような人でも登れますし。

■ お買い得を探すとどんどんレベル低下を招く

奥村さんも書いていましたが、グレードには幅があっていいのですが…つまり、簡単な12と難しい12があっていいのですが…その簡単なほうに自分を合わせるクライマーのほうが、たぶん人情上、多いですよね?

すると、原理的には、どんどんグレードが低レベル化していくということになると思います。大体の男子は、お買い得品を目を皿のようにして探すって感じなので。それは、周囲の人に認められるため、です。

甲府でも、どこかよそのところからやってきたクライマーが、「あいつ、5.12登れるって言ってたけど、登れねーじゃん」みたいな評価を受けていましたが、どうも自己申告が、たまたま登れた瞬間芸を申告、みたいな感じなんですよね…。

それは、何発も打ち込んで、二か月後にやっと登れました…、みたいな報告が、一言二言しか載らない初登記録を読んだら、模倣してそうなるだろうと思いますが…。

5.14登るのに2か月かかり、私は5.14クライマーですと言ってイイのなら、5.13登るのに2か月かかり、それで、私は5.13クライマーです、と言ってイイのだし、ならば、5.12登るのに2か月かかり、私は5.12登れます、と言ってイイ、と思ってしまいますよね?

ならば、5.9を登るのに2か月かかり、5.9クライマーです、と言ってイイということになります。ここまでくると、ん?って思いますよね。

■ 初級ルートに必要なゆとりが理解されていない

だとすると、私は初めて取りついたときから瞬間芸なら5.9登れていました…。(小川山ストーリーは登れていた)しかし、ナインがオンサイトができるのに、2年半くらいかかりました。

ナインなら絶対落ちないレベルになるというのがリードの許可みたいな感じでしたが、その辺の機微が一般クライマーには理解されていないのではないかと思います。

もし現代クライマーのやり方でやれば、瞬間芸で落っこちまくっている時代から、5.9にリードで取りつかなくてはならなくなり、それだとアップアップすぎます。

というのは、日本の5.9は本当には5.9ではないことが多いからです。ボルト位置もプロテクションとしてまっとうに機能していないようなことが多いです。

■ アルパインクライマーの能力の高レベル化も知られていない

…とまぁ、これらのことは、九州に限らず、自分の実力が正確に見極められないクライマー全般の話で、たぶん、年配の人も同じだと思います。

というのは昔の教え方が延々と変わらずづ付けられ、変わったのは、山に行く時間だけ…現代の山岳部で年間130日山に行っている人たちいるでしょうか?いないですよね?50日でもやっとこさ、です。すなわち、成長のスピードは3分の1になっているのに、行くルートの困難さは同じのが求められていて危険です。(例:大学山岳部が北岳バットレスに行く)

今は、アルパインのクライマーですら、5.12がオンサイト出来る人が、一流って時代なんですけど… みな分かっていないで、昔と同じでレッドポイントやエイドで登っていると思っているから、あいつだけ、いい目、見て許せん!となるわけだろう…と思うんですが?

太ってしまって今では、私がすいすい登れる5.9ですら、登れない人が、「俺だって運が良ければ佐藤ユースケ」って言っていました…。多分、佐藤ユースケになるための努力を端折っていると思うんですけど…本人は全く気が付かない、ってことになります。

人の成功をうらやむ人は、大体は事実関係の誤認がある、と思っています。つまり、努力に対して全く注目していないってことです。

■ スポーツクライミングで名を挙げても評価されない

アイスクライマーのギンちゃんは、私は素晴らしいクライマーだと思いますが、九州ではひよっこ扱いされていました…(笑)。

山梨でてんで、箸にも棒にもかからないクライマーが、”特待生扱い”で、世界のトップレベルクライマーがひよっこ扱い(笑)。

たぶん、誰も現代アイスのレベルを分かっていないと思います。まぁ、これについては、環境の上からも、九州のクライマーが分からなくても仕方ないと思いますが…。

鉱泉アイスフェスに行けば、その辺の一般アイスクライマー女子でも、一昔前のアックステンションクライマーには想像もできないようなムーブ出していますよ…。

あれ見たら、一発で分かると思うんだけどなぁ… ギンちゃんの大会での活動しか知らないからそうなるんでしょうなぁ。

スポートで評価されないのはアルパインのクライマーからすると仕方ない、って気になりますが、スポートで磨いた技術を外岩に持ち込んでD15、なんてのが今のトップクライマーなんですが、実際の姿を見てないと分からないですよね…

■ 這っても黒豆

勉強不足であるとか、実力が足りていないとか、そういうことが、女性たちの

 男を立てる文化、

で、うまーくオブラートに包まれ、あまり自覚せずに、自分のエゴを拡大させてきたとしたら…?

そりゃ、這っても黒豆、って言いますよねぇ?

這っても黒豆は、メタ認知力がない人のたとえです。あれは黒豆か?虫か?という議論があったとき、その物体が動き始めて、虫だということが分かったのに、黒豆、と主張を譲らない人のセリフです。

たぶん、クライミング界は、全体的に

 這っても黒豆状態

に陥っています。

■ 不適正なボルト位置

適切にビレイしても、落ちたらケガをする位置にある支点は、無駄なボルトです。

ミニマムボルトの原則に反しています。墜落時の保険に役立たないなら、ボルトの意味がない。それでも、自分の著作権にこだわるって、俺のエゴが勝っているって意味です。まさに這っても黒豆。

そのエゴが入門ルート程度のグレードで引っ込められないのは、時代錯誤したレベル感…当時は自分はトップレベルのクライマーだったという自負があるからでしょう…

現在のレベル感で自分を測ることがあれば、入門ルートの入門ルート足る位置づけも分かるでしょう…

分かれば、自然とどのようなルート設計がふさわしいかも自覚できるでしょう…

そうした自覚(メタ認知)が全く失われるようになってしまったのは…

 デイドリは、コブラクラックより難しいのか?

みたいな議論が掲載されなくなり、トップクライマーのありようを多くの人が共有できなくなったためです。

こんな体たらく、世紀末的事情になっているのは日本だけで、私には、「あの8Cはどこにあるのか?再登者は出ていてグレードは確実なのか?」と海外のサイト運営者から、問い合わせが来ますよ。

           ああ~楽しかったあの頃に戻りたい…






2023/10/06

【心理学】憤怒のチャイルド

■ 自己愛性と境界性 

これだな~というのが来ました。

南ゆうたさんのメマガより引用。

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あなたの周りには、劣等感に触れられると激怒する人はいませんか?

または、見捨てられ不安を感じると激しい攻撃に転じる人はいませんか?

そのような状態に陥る人の心には、「憤怒のチャイルド」が住んでいるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーー

憤怒のチャイルドは、劣等感や恥、寂しさや不安が刺激されたときに出てくるチャイルドです。

牙をむいて威嚇するかのように、攻撃性や怒りでもって相手に向かっていきます。

あまりに強烈で激しい怒りで、しかも自らの正当性を一ミリも疑わないので、歯止めが効きません。

憤怒のチャイルドの背景には何かしらの怖れが見つかることがあります。怖れていることが表面化しそうだから、怒りで何とかしようとするのです。

たとえば、自分の恥ずかしい部分が人にバレるのを心底怖れている人は、憤怒のチャイルドになって誰かに責任転嫁し、「お前のせいでこうなった!」と当たり散らしてしまうかもしれません。

自分の致命的な欠陥をまざまざと意識しそうになると、代わりに憤怒のチャイルドが出て来て他責や攻撃やこき下ろしを始めることもあります。

または、見捨てられ不安を感じると、理想化していたところから一転、相手への攻撃やこき下ろしを始める場合もあります。

健康な怒りと憤怒のチャイルドが違う点は、前者は自分を受容できており、相手に何をしてほしいかが明確で、後者には自己否定や劣等感などの苦痛な感情から何とかして身を守りたいという気持ちがあるという点です。

憤怒のチャイルドは、「あいつのせいでこうなった!」と復讐に燃え、被害者のポジションから抜け出せなくなることもあります。

憤怒のチャイルドは、自己愛性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティー障害の人がよく抱えているチャイルドです。

一般的な傾向として…

自己愛性の人は、劣等感を刺激されると憤怒のチャイルド化します。

境界性の人は、見捨てられ不安を感じると憤怒のチャイルド化します。

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■ クライミングのパートナーシップにも、心理学が必要

と感じたのは、師匠との韓国クライミングで、

 私がクライマーとして成長する = 師匠が見捨てられ不安に陥る 

みたいなことが、再三、起きたからです。

ラオスで成長して帰ってくるとそれが気に食わないみたいだったんですよねぇ…。なんで?

ふつーに考えて変ですよねぇ? 自分が教えている人が成長したら、ふつーはうれしくないです?私だったら、後輩が、自分のロープ買いました!とか、○○に行ったら登れました!とか報告してくれたら。うれしいけどなぁ。

まぁ、心の傷はひとそれぞれ。私にはてんで意味不明だったので、心理学を勉強しようという気になったので良かったのかもしれない。

■ クライミングには、安定的な愛着関係が必要

詳細は省きますが、

 安心安全のクライミング

は、

 安定したメンタル基盤の上

に育まれるもの。 私のクライミングが上達する度に、あるいは男性の仲間を連れてくるたびに、

 お前とはもう登らない!!

と脅すような人だと、どうやって安定した関係を築いたらいいのだろうか?ということです。

■ 憤怒のチャイルド対策?

このメマガの話では、どう対策したらいいのか分かりませんが、

   一般的にはインナーチャイルドを癒す

という手段が有効です。どう見ても過剰反応しているときは、

   相方の中のインナーチャイルド癒し

が必要ですが、問題は、

自己愛性や境界性の人は、自分を顧みる力がかなり弱い、ってことなんですよね…

■ 治療

1)証法的行動療法

週1回の個人およびグループセッション。ストレスに対処する、より適切な方法を患者が見つけるのをサポート。怒りのコントロールに効果的。

2)システムズトレーニング(STEPPS)

週1回のグループセッションを20週間行う。自分の感情をコントロールし、否定的な予想の正当化を疑い、自分自身を適切に対処。

3)メンタライゼーション(メタ認知)

人が自分や他者の心の状態について考え、理解する能力をメンタライゼーションと言う。自分と周りの人の感情や思考などを理解し、それらが自分と他人の行為にどう影響を与えるか、距離を置くかトレーニングする。

4)転移焦点化精神療法

患者と精神療法家の交流に重点を置く。質問を行い、患者の非現実的な自己像や歪められた思考に対して、どう対処するかサポート。患者が自分と他者について、安定した現実的な感覚が育める。

5)スキーマ療法

生涯身についた思考、感情、行動、対処法に関する、不適応なパターンを明らかにし、健全なものに置き換える。少なくとも週1~2回、3年間のセッションが必要。

6)一般的な精神医学的管理

一般医向けにデザインされた療法。患者の自立心を高めるために、人間関係の構築する能力を優先的に治療。

です。クライミングって、ほんと、心の比重が大きいスポーツですよねぇ…

【心理学】反省力がないのは父性愛の欠如のせいなのか?

 ■ トライアル&エラー

青ちゃんは、「山は傾向と対策」と言っていたと思いますが…

山に限らず、人生は、トライアル&エラーの繰り返し、です。

昨日の学習によると、

 母性愛 → 失敗しても、あなたはいい子よ、いいよと全面肯定する愛

 父性愛 → でも、次はこうしよう、ああしよう、と現実的に教える愛

なのだそうです。自己肯定感は

 母性が先で、父性が後。

だということでしたが、なんか、母性愛しか受け取っていない生い立ちの人が多いから、何年登っていても全くトライアル&エラーのフィードバック回路が働いていない人が見受けられるのかもしれません。

■ なんか父性愛過剰なワタクシ

なんだか、母性愛的自己受容よりも、父性愛的自己受容のほうが、強固に発達していそうな私ですが…

我が家は母がメンヘラチックで、私は母の親役というよりも、あとで考えたら、母の夫役を母には期待されて大きくなったのかもしれないと考えるようになりました。

それは、母は、兄弟げんかがあるときに、裁判官役を私に求めてきた、からです。

すごく嫌だった。うまく行かないに決まっているからです。

というので、結局、私が父性…合理的思考力…が強く育ったのは、何の影響なのか?

読書でいろいろな本を読んだことくらいしか、思いつかないですが…。

■ クライミングでも読書しましょう

一般的に、男性クライマーたちの様子を見ていると、本を読んでさえいれば分かるというようなことも知らなかったりし、私に師匠がいた、という特権的条件とは関係がないような気がします。

例えば、九州で、結び変えを教えず、カラビナにロープをじかに掛けて降りるのがローカルルール…っていうのは、普通にペツルのクライミングに関する項目…スリングの解説書やドローの解説書を見ていたら、分かることです。

一番正確な技術解説書は、クライミングギアの取説です。大体、みんな取説、読んできていないですよねぇ?

ビレイ器だって、取説にきちんと使い方書いてありますけど、取説を参考にせず、隣の人だの、友達だのを参考にしているから間違うんじゃないでしょうか?

  みんなと同じにしていたら大丈夫

っていう人生訓がそもそも、もはや機能していないのに、しがみついているような気がしますが。

■ みんなの真似してうまく行く人はいない

なぜなら、

 もしみんなの真似でうまく行くなら、今はみんなうまく行っていないといけない

からです。

 みんながうまく行っている 

ということが、みんなの真似をしてよい、という前提条件ですが、

 そこはそもそも崩れています

模倣は学習の基本なので、別に模倣してもいいのですが、するならば、

 うまく行っている人の真似をして、そうでない人の真似はしない、

が、大事なことですね。

まぁ、言われたら当然のことですが、なんかうまく行っているの定義がおかしいのかもしれないですね。

■ 父親不在家庭

戦後70年、経済成長だけに身を捧げ、両親揃っていたとしても、実質的には父親不在の家庭が多かった日本社会。

そこで育った男性たちがママボーイに育つのは必然かもしれません。

そう思えば、トンデモクライマーたち、みな、も、

 みな社会の被害者

お気の毒な境遇は共通ということなのかもしれませんね。




            年配の人でも、ちゃんとしたビレイ

2023/10/05

【リーダーシップ】フリークライミングインストラクター協会の会長奥村晃史さんのリーダーシップ

こんなのが回ってきたので、アップします。

ーーーーーーーー文字起こしさんによる文字起こしーーーーーーーー

二子を見て思うこと

奥村晃史

二子で起こっていることに、ローカルでもないのにどうかとは思うが、私なりに思うところを整理して誌面の許すかぎり書いてみたい。

「ROCK&SNOW」 での記事の取り扱い

今回の 『ROCK & SNOW」 での記事の取り扱いには大きな失望を禁じ得ない。 ローカルクライマに対しては一方的で公平性に欠けるし、協会に対しては後出し的で卑怯と読者に映り、なかには不愉快な集団だと思われた方も多いのではないか。 結果的にこの記事の取り扱いと編集が、 問題をよりこじらせている原因の一つであることは間違いない。 あのような編集や記事の取り扱いはいかがなものか。 「ROCK&SNOW」 には今後、唯一の専門誌として自覚をもった誌面づくりをお願いしたい。

協会とローカルクライマーの協調

私は協会の運営に対してとやかく言うつもりはない。 私が言いたいのは、協会の方針はあくまで二子に集うクライマーのなかの一意見でしかないということだ。その協会の方針を提案とするのであれば、ローカルクライマーとの議論は必須だろう。 私は今回の件でなぜ議論が行なわれないのか不思議でならないし、 多くのクライマーが傍観していることも残念に思う。 しかし、議論をといっても、必然的に大きな影響力をもってしまう協会に向かって意見を唱えるというのは相当なものである。 協会はその影響力というところをよく考え、相当の配慮をする必要があるだろう。

今回の問題は、協会が協会の意向や方針を、ローカルクライマーの意見も聞かず強権的に押し通そうとしているように見えるところにある。 クライミングはそれを行なう一人一人の主体性をもっまた活動の積み重ねでつくられていくもので、 鶴の一声でつくられるものではないはずだ。 今後は協会とローカルクライマーとで真摯に議論して二子のクライミングをよりよい方向に向けてもらいたいと思う。

グレード体系の改革とリグレード

私はフレンチグレードのみの表記には反対だ。

グレードはその国や地域のクライミング文化の大きな要素でもある。 「今後デシマル表記はしない」というのは狂信的で性急すぎるように思うし、現実的にも極めて不便だ。

また、フレンチに変えても世界からたくさんの人が来るとは思わないし、そこまで喜ぶとも思えない。 記録の発信についても、 オリジナルなグレードと自国 (または発表国)のグレードに置き換えたものを併記することが世界でも一般的だろう。

モデルケースとしてイギリスでの例を挙げているが、そもそもトラッドに特化したグレード体系しかもたなかったイギリスは今回のモデルケースにはならない (詳しくは「ROCK&SNOW」077号参照)。 

またフェイスにはフレンチ、 トラッドにはデシマルと言っているが、すでにクライマーの間でグレード感の認識ができていると感じるため、その必要性も感じない。むしろトラッドに対してのデシマル+αについて考えるべきだろう。

とはいうものの、協会の言うこともわかる。 私は現時点ではデシマルの横にフレンチをカッコ書きで併記し、あとはクライマー社会のなかでの自然の成り行きに委ねることがよいように思う。

リグレードについても然り。 今は世界中のクライマーがカタルーニャを訪れているが、この流れもいつかは変わるだろう。 そうなればそれに合わせて変えていくのか。 そうなるとかえって尺度としての機能が果たせない。 確かに既存のグレードが逸脱している場合は是正も必要だ。 しかし二子の従来グレードはそんなに辛く逸脱しているのか。

私は二子に数回しか行ったことがないが、そのときは、 関西と比較すると二子のグレードは少し甘いと感じた。一般的な換算表を基に私の経験でドイツやフランスと比較しても、総じて甘い印象だ。確かにカタルーニャと比べると全体的には辛めだが、 彼の地でも辛いルートはたくさんあるので、そこまで逸脱した感じはしない。 ギリシャのレオニディオタイなどのリゾートクライミングで人気のエリアと比べればかなり辛いとは思うが、私はそれらのほうが特別であると認識している (レオニディオは最新のトポでグレードが見直され、以前に比べてグレードダウンしている)。

多分このようなグレード感は、経験を積んだ多くのクライマーと共有できるのではないだろうか。 私は毎年のようにヨーロッパへクライミングに出かけ、 カタルーニャでも毎年のように登っているが、 ヨーロッパの国々の間やカタルーニャでもバラつきがあり、その辺は日本と変わらないように感じる。これは同じデシマルを使っているアメリカでも同じだ。 仮に二子のグレードが辛いと感じるのであれば、それはフランスやドイツなどを訪れた開拓者たちが彼の地にインスパイアされたものではないか。 グレードが間違っているということではなく日本のスポートクライミングの歴史的背景なのだと思う。

グレードはいくら均一化をめざしたとしても、主観的であるためにバラつきは必ず出るだろう。

このバラつきはクライマーが常に議論提唱することで自然に抑制され、 大抵の場合はクライマー的許容範囲に収まっている。そしてクライマーはそのクライマー的許容範囲のバラつきを容認し、エリアやルートごとにグレード感をつかんで登っている。

このグレードの曖昧さを楽しむことも醍醐味であり、その地のクライミング文化やメンタリティを感じるところでもある。 そう思うと、二子の従来グレードもおおむねクライマー的許容範囲にあり、逸脱しているルートも少ないのではないかと思う。

しかし今回協会の行なったリグレードを見ると、 ローカルクライマーとの議論やその意見が反映されているのか、クライマー的許容範囲を逸脱したルートがあるのではないかといった不安が残る。 特にグレードの変化に対して私が危惧するのは、仮にクライマー的許容範囲を超えた甘いグレードになっていたとしたら、クライマーがそれに成果を見いだし始めることだ。 もちろん辛すぎるグレードも問題ではあるが、 逆の慎重さも必要だろう。

余談ではあるが、 私はクライマー的許容範囲のなかで下よりも上に合わせる心意気がクライマーにとって自然な姿だと思う。 昭和的かもしれないが 「クライマーたるもの」というメンタリティをそのようなものだと思うのは私だけなのであろうか。

いずれにせよ、 リグレードが必要なら検証を含め、その必要性を二子に集うローカルクライマーに説き、互いが協力して作業を行なう必要があるのではないだろうか。 そして協会だけでなく二子に集うクライマーが真摯に議論を尽くすほかない。その結果が今後の日本のモデルケースとなってほしいと切に願う。

サバージュの件

事情がよくわからない。 「補強」 というには少し無理があるらしい。 「削れているから埋めておこう」と何の意図もなくやったことが騒ぎになって、いろいろ言い訳をした結果、 泥沼にはまっている・・・・・・とも思いたいが、今のところそれも難しい。 仮に、 世間で騒がれているように「新しいムーブを封じ込めるために埋めた」 となると言葉もないし、 それはチッピングと同じで、誰が見てもよくない。

いずれにせよ、発表公開後にホールドの欠損や発見によって初登時のラインやムーブが変わることはままあるし、自然の流れでそうなっていくこともある。 初登者だけでなく再登者でも、思い入れのあるラインでそういうことが起こると大変残念に思う気持ちはわかるが、それはそれとして受け入れ、自然の流れに任すべきだと思う。 私はクライミングとはそういうものだと思っている。

真実がわからないし解決策も具体的にはわからないが、兎も角にも、この問題が早く解決されるのをただただ祈るばかりだ。

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■ 右往左往している印象

個人的に小鹿野のクライマーを知っていますが、ローカルクライマーに文句を言われれば、流され、こうしたらいいと、どこかから言われれば流され、

 よって立つものがない、

印象を持っています。ビジョンが確立する前に…つまり十分な議論が行われる前に走り出した上に、そうした議論に手間暇をかけるマンパワーがないと、大体はこうなりますよね…

■ 小鹿野町のビジョン制定のほうが大事

小鹿野町は、もしクライミングの町として自我を確立するなら、町民自らが、どのようなクライマーを歓迎するのか?というビジョンを制定しないといけません。それは、クライマーが勝手に議論して決めればいいでしょ、というのでは、待ちの姿勢で、これまでと同じく、成果は町には落ちてこず、クライマーに搾取されて終わりになるということです。

小鹿野クライミング協会よりも、小鹿野町の人々がクライミングの町小鹿野をどうしたいか?どんな町になってほしいか?というそっちの方が大事な議論です。

なんせ町の将来がかかっている議論なんですから…。

■ クライマー界は伝統的に便乗者

まぁ、歴史的に仕方がなかった側面がありますが、クライマー界自体が、歴史的に便乗者的です。

エベレスト登山の歴史を見ても、地元の人そっちのけ、で、勝手に登って勝手に世界一を打ち立て、自分たちの価値観で切った張ったとやっている、その成果は地元(例:シェルパ族)には落ちないみたいなのが普通ですよね?

それは、すでに先住民がいるアメリカ大陸に行って、「発見した!」とか言った侵略者の思想です…(汗)。

登攀禁止になっている岩場にせよ、コソコソ登っていて、バレて登攀禁止、って流れが多いですが、それは、その侵略者の思想に疑問を持たないで行動してしまうせいです。

クライマー界では、むしろ、そういう風にコッソリ勝手に登る、ということをしないほうがバカみたいな風潮がありますよね。特に、登攀禁止の岩場に登りに行く人たち…バレなければOKって思想が強いです。

今回の騒動で、一番迷惑しているのは、誰か?小鹿野町の人たちではないんでしょうかね?

従って、クライマーの伝統さえ守れば、万事OKの姿勢は、まずいです。

それじゃ早晩、日本中の自治体から、こんなアウトドア活動要らない、と引導を渡されて終わりになるでしょう…っていうか、渡されてますよねぇ?城ケ崎の状態を見る限り。

いつまでクライマー界は反省しないつもりなんでしょうか?

ローカル住民の忍耐の緒を、フリークライミング協会が平謝りに謝ることで、なんとか切れないで保ってもらっているみたいな、綱渡り状態ですよね?

■ リーダーシップがない船

しかし、クライミング界自体が、私がクライミングをスタートした2013年ごろでも、すでに、

 リーダーシップ不在

状態でした。私は内藤さんは素晴らしいリーダーだと思いますが、例えば、内藤直哉さんが整備した瑞牆は、素晴らしいトポが出ましたが、ローカルクライマーの元祖?集団である、山梨県の白鳳会…山梨では一番ちゃんとした”登れる”過去の実績があるクライマーが集まっている会です…は、

 「俺らに無断で許さん」

と言ったとか言わないとか…。ただの噂話のレベルですので、本気にしないでほしいですが、そもそも

 ローカルクライマーって誰問題

があります。その岩場でローカルクライマーの会を結成していることがほとんどなく、合ったとしても、年に一回の清掃クライミングがうざいとかで、参加しないクライマーもいます。

要するに、クライマー自身の自治の精神、って、かなりお留守です。

みんな仕事が忙しいだのなんだので、共同体への参加、逃げ回っている。

■ 無法状態

逆にローカルクライマーって誰なのかな?っていうので、九州ではかなり探しましたが、見つかることのほうが難しく、ほとんど中東のゲリラ戦争状態みたいな感じで、すっごく簡単に見つけることができる百岩場に名前が載っているような開拓者にでも、

 無断で勝手に開拓

しちゃって、

 「それが何か?」

と言っているような状態です。

 社会人としての常識自体がそもそも崩壊

しているような印象を受けました。

■ 何とかするにはどうしたらいいか?

良識あるクライミングっていうのが、たぶん、模倣されていないので、ほっとくと非良識的クライミングがはびこることになるんではないですかね?

すべての発端はトップクライマーの様子を見ることができる人が限られていることでは?

私は運よく、良識的クライマー、トップクライマー、の在り方的なものを、すぐそばで垣間見ることができましたが、一般のジムクライマーと言うのは、そうした機会が与えられても、チャンス自体に気が付かないレベルの意識状態です。

チャンスって、それがチャンスだと受け取れる人にとってしかチャンスではない、って意味です。

例えば、奥村さんの講習って、滋賀のジムまで行って、私はジムの価格を払ってビレイをチェックされましたが、佐賀県で行われた講習会って、その半額以下の価格で、一日目は座学、二日目は実習と、

破格の安値

でした。それ、九州で出会った山岳会の皆さん全員に声を掛けましたが、

 「オリンピックのボランティアでビレイは習ったから、私にはいりません」

とか言う返事で、過去に私と組んだ人は、誰一人も来ませんでした…。

そもそも、指導者レベルの人は教わる気で講習なんて参加するものではなく、自分が後進に教えるときに、教え方・・つまり、指導法の打ち手を増やすために出るもの、です。

そこが分からないレベルに加えて、この件では、オリンピックのビレイと外岩のビレイって全く違いますよね…。わざと流すビレイがオリンピックのビレイなんですよ?そんなことも分からないのに、自分には要らない、と判定してしまうんですよね。

それはわざわざ、良識あるクライミングを避けているということに結果としてなります。

■ 名誉欲

結局のところ、そうしたクライミングの機微に関する無理解が起こるのは、クライマーの伝統的な流れとつながっている人が著しく減って少数派となり、グレードを上げるためにコーチのビレイで登って自分は登るだけ、の登攀マシーンを作ることが第一に優先されてきたからではないでしょうかね?

私が良く知るバレエの世界でも、自分が一流プリマになり損ねた人が次にやることは、なんとしても、自分の教え子をコンクールで勝たせ、コーチとしての名声を勝ち取ることです。そうなると、踊る喜びとかそっちのけで、スパルタ教育に走ることになり、結果、踊れても、あっという間に体を壊すダンサーばかりになりますし、内発的動機で踊っているのではないため、表現力がない、と言われたら、?となって終わりになります。

クライミングも同じことで、登りたいところを登る、登りたいという内発的動機の生まれるルートを登る…ということが大事です。

■ もっと発信を

欧米では、アレックス・オノルド君とトニー・コードウェルがクライミングのオンラインコースを開いています。

オンラインだから、受講生は勝手に動画を見て学習してくれます。

現代のクライマーに不足しているのは、圧倒的に座学、です。ジムがあるのでクライマーたちは勝手に上達してきます。

一方、「自分のロープで登るもんだ」とか、「ロープドラッグがあると登れなくなる」とか、ストッパーノットの結び忘れですっぽ抜けて落ちた、とか、教えられないと気が付かない盲点のようになっている事例がいっぱいあります。

それは、昔はのーんびり、5年は師匠について回るということで、OJTで学んでいたわけですが、最近の若い人は、OJTしても、メタ認知力が弱すぎて、全然学ばない訳です。

10年以上登って、5.12が登れ、40kgくらいは平気で担げても、私がセカンドを務めた白亜スラブみたいなリードしかできないんですよ?それだけでなく、まずいリードだったなぁと思わず、俺ってやっぱすごいなーってに感想なってしまう認知力。

これは彼だけの問題ではなく、平均的男性クライマーに言えるようです。

昔の大学山岳部エリートとは、今のクライマーは違うんですよ。そうした現代クライマーの現実を見つめた新しいクライミング教育を作らないといけないってことです。

とりあえず、ただ登れるだけ、を推進してきた山岳上位団体が作り出した現実とは、このような内容である、ということです。



2023/10/04

【盲点】 カテゴリー問題 アルパインvsフリー の区分では区分できないルートが出る ロッククライミング

 ■ 山下さんも指摘しているが…

日本ガイド協会の会長の山下さんもご自身のブログで指摘されていましたが、日本の登山の世界が、伝統的に

 アルパイン、スポーツ、フリー

と区分してきたこの区分だと、バンバン落ちていいのかどうか分からないルートが出てくるんですよね。

■ 白亜スラブや比叡は、フリーなのかアルパインなのか問題

関東で言えば、三つ峠。関東では、伝統的にアルパインクライマーの練習用ゲレンデという認識がされていて、本チャン、と言えば、三つ峠のことではなく、北アや南アの登山を数時間こなしてから、たどり着くルートのことです。

三つ峠も本チャンも落ちてはいけない、アルパイン”ロック”のルートです。

しかし、九州では、なんか 白亜スラブは、本チャンみたいな扱いなんですよねぇ。

でも、とりつきは徒歩5分(汗)。(めちゃ甘?)

新しいトポに、歩かない九州人っていうセリフがありましたが、そんな文化が分かるほど九州の人と登っていませんが、その程度しか一緒にいなくても分かったことは、

 白亜スラブに登ることが憧れらしい

ってことですが、みんなボルトを追っかける山しかしていないのに、これが登れることがすごいことだという価値観は、どこで形成されたんだろうかな?な感じです。

ってことなので、アルパインvsフリーで、白亜スラブはどっちなんでしょうかね?

というか、この区分がまずいんではないですかね?

■ ロッククライミングと言う括りでくくり直しが必要

なんせ、こっちの人は、40年経過したボルトであっても、バンバン落ちろ落ちろ、と言いますから…。

たぶん、白亜スラブのボルトがカットアンカーで信頼性が低いことも、九州人自ら知らなかったんじゃないかなぁ?

というのは、日向神で、開拓者とある会の指導者に進められて登ったルートがありました。

『大蛇山』

です。私は、てっきり、開拓者おすすめってことは、これは、安全なルートだと思っていました。それでも、ピンが遠い箇所があり、長ぬんを垂らしてもらって、2,3便でRP。

一回目は登れなかったので、降りた。ヨーヨースタイルです。地上で心を静めて、核心へ再トライしたら登れました。

すると…後日… 

後日と言っても数か月程度ですが…

なんと、大蛇山はリボルト対象だったんですよ…(汗)

開拓者と会の指導者自らが、リボルト寸前の課題を、その岩場に詳しくないと明らかなクライマーに進めてくるって…(汗) 何?

一体どう考えたらいいんでしょうかね?

尻尾が三角で黒いやつ?それとも、単なる無知?

まかりなりとも、その岩場で開拓している人から勧められたわけですから…登るほうは相手を普通に信頼しているでしょう…

しっかし、その問題となっている開拓者への開拓手法に関する助言は、言いたくないことを言うというババ引きのババで、誰からも行かなかったみたいです。

もうこの事件で、九州の指導者クラスへの信頼は、樋口先生を除いては、誰も信頼できなくなりました。

もう考えていないとしか思えない。

ボルト=フリークライミング、スポートルートと考えると、1ピン目から落ちていい、となりますが、日本の岩場の現状は、全然表せない。

もう、この時点で私の命の危険への恐怖はマックスで、自分のリミット超えました。

■ 山梨でのスタンダード教育

 ・外岩では3ピン目を取るまでは決して落ちてはいけない

 ・マルチピッチ=落ちてはいけない

 ・アルパイン=支点は手作り 山に支点はきのこのように生えているわけではない

でした。

 ・初心者はボルトがしっかりした落ちてもよいルート

 ・初心者は、直上の素直なルート 

 ・初心者は、下部核心ではないルート

というルート選択も、当然のルートの選び方でした。

そういうロッククライミングの括りで、当然のことが、フリークライミングの原則で教えると、抜け落ちてしまいます。

なんせ、日本のフリークライミング、特に日向神のルートなんて、ほぼほぼエイドルートのフリー置き換え、で、エイドの理論で作られたルートなんで、フリークライミングの理論では最初から作られていないんですよ。

エイドっていうのは、大昔のアルパインクライミングって意味です。

そこにフリーの原則を当てはめれば、危険になるに決まっています。

■ ロッククライミングの括りで教科書を書く

何か教科書的なものを書いてくださる方は、

 ロッククライミング

という括りでやってくれると、もれなく、抜けなく、のMECEが達成できると思います。

今のアルパインvsフリーの区分では、

 盲点だらけ

になってしまいます。

例えば、いつだって水がかかってボルトの腐食が加速すること必須の沢にボルトを打って、

 スポートルートみたいな沢ルート 

とか言ってしまうんですよ?それって、

 ロシアンルーレットみたいなルート

って方が正しいです。そんなところにリスク認知せず、たった二人で行って来たら?って勧めるなんぞ、指導者のすることとは思えません。

沢だったら、最低3人以上いないと、どうやってレスキューするんです?日本のほとんどの沢では、携帯電波届かないのに。

これらは、全部、

 区分が盲点を作っている事例

だと思います。


 ペツルって刻印があるけど、危険なカットアンカー

2023/10/03

【心理学】九州男児のドミナントストーリーを乗り越えろ

■ 相方のドミナントストーリー

ナラティブ心理学という心理学があります。

相方は、私に九州の男女関係における彼自身のドミナント・ストーリーを押し付けてきていました。

  女性は男性を優先させてくれるものだ

です。

なぜか頼んでもないのに、ルートを

  おれが味見クライミングしてあげよう

となっていました…。それが分かったのは、私はそのルート登れると分かっていて、取りつくと

  「え?俺が先に登って見せなくていいの?」

と言ったからです…。 

守ってあげようという気持ちは、ありがたいけど、”それはクライミングパートナーだから、互いの安全を見守りあおう、お互い様だから”、というコンパニオンシップよりも、女性だから、という意識に根付いているようでした。

なぜなら、私は、相方に女性としての特別扱いをお願いしたことはないからです。

むしろ、ロープもって上げるよ、なんて男性はきもくてイヤ、です。元がアイスクライマーなんだから、別に自分で担げますし。

まぁ普段私がしていた親切を何らかの形でお返ししたいと思ってくれたのかもしれませんので、だとしたら、ありがとう、ですが。

■ 外岩ではグレーディングがいい加減

というのは、

 登ってみないと正確にグレードが分からない 

と言う意味です。 決して、

 男性が女性が登る前に毒見してあげるべき

ではないです。

そんなことをしたらオンサイトではなく、フラッシュになっちゃいますよね?

一般的にそれは、クライマーからすると、有難迷惑…って奴。

■ 家の介護は嫁の仕事?

相方の女性観が歪んでいることに気が付いたのは、世間話で、

  親も年取ってきたし、介護してくれる嫁が欲しい

的な話題になった時です。完全に、恋人、愛する対象の妻が欲しいという話ではなく、家の用事である介護を担ってくれる嫁がいたら、俺の人生も完璧なんだけどなーって話でした…(汗)。

それで彼がお婿に行けない訳を悟った(笑)。

昭和がはるか遠くになりつつある今、自分の親でもない人の親の介護をするために嫁…妻ではなく…の立場に立ってくれる女性がいると思います??? 

文字にすると、時代錯誤も甚だしいと分かりますが、親世代の古い価値観の世界に毎日さらされていると、どうもわからなくなるようですね。

九州では、今でも、儒教思想による女性差別は根強いです。

多世帯同居は私は、年齢差のある人間のさまざまな人生の在り方が分かるので賛成派ですが、親の考えを一方的に受け入れる子供の俺・私、と言う立場を崩せないままの同居では、全く世間とかけ離れた考えを受け入れてしまうことになります。

現役の社会人である息子の立場として、「そんな考えはもう古いんだよ、お母さん」と言えなくてはならないということです。親の考えに従うという行動原則から、自立しなくてはならないということですが、彼とは自立できていないとうかがえる事件が数回ありました。

親に反対されたから〇〇を取りやめる、ということが何度もありました。

■ ガスライティング

その上、ガスライティングも始まりました。

・怪我をしてフルパワーでは登れない、

・九州のボルトが40年前のカットアンカーであることが判明している、

という理由によって、「迷ったらハードプッシュ」という男性向けの方法論が、

 ・そもそも女性である私には全く合理的戦略でない上、命の危険もある

ということで、非常に

  用心深くなっている

だけの私に向かって、「中学のころキャプテン?信じられないね、今ではこんなに…」と、私の自尊心をわざと傷つけようとする発言が目立ち始めていました。

そもそも、失礼ですが、失礼なことを言ってもOKだと思い始めたのは九州という環境に置かれてからのようです。彼は、山梨のころはもっと女性には、自分が安全なクライマーだということをPRしようとしていました。例えば、意中の女性を沢に誘って断られたりしていたようですが、それは、沢では外岩以上の安全管理能力が必要だからですが、彼にはその安全管理能力が見当たらない感じがありました。

白亜スラブのころの彼は、ほんとに天狗になっていたと思います…。なんせ、あの登攀で、成功だ、と感じられる、ということなので…。あれは誰が見ても、失敗の記録です。

■ 失敗の記録を成功と勘違いする自己肯定感はホンモノか?

しかし、その彼の様子を見て、これは彼だけの問題ではないようだ、と分かりました。そして、

 大体のアルパイン系男性クライマーの登攀記録が、自分に都合の悪いことは書いていないだけ

の可能性があることが分かりました。というのは、私にとって、矢筈岳マスターズルーフでは、登攀の成功体験よりも、

 ・クライマーが支点ビレイされていて怖かった

 ・たった10cなのに、普段5.12が登れまーすという30代ピチピチ?クライマー君が2時間半もかかっていた

ということがかなり強烈な印象だったからです…。登攀もエイド祭りですし。

10cって言えば、故・吉田和正さんが私に登らせようとしていたアダモくらいのグレード…当時、私はやっとこさ5.9が登れているような具合でしたが… ということは、え?彼そのレベルなの?ってことです。

あとからその矢筈の記録を調べてみると、案の定、楽しい!やったー!って内容しか書かれていませんでした(汗)。

■ 読んだ人はどう思うか?

すると読んだ人は、

 最近の若い奴は、頼もしいなぁ。俺ん時は5.12なんて、雲上人だったけどなー 将来楽しみ楽しみ

と思ってしまいます…。いや、記録からはそう読み取れてしまいます…。

そういう人のドミナントストーリーは、もしかすると、何をやっても、いい子ね、と親から言われ続けてきた、と言うだけのことかもしれません(汗)。

それは子育てとしてはいいかもしれませんが…本人にとっても幸福なことでしょうが…当人の客観的な実力の判断に役立つか?というと?

かなり疑問ですよね?

自分をものすごく上位にランキングしてしまいそうです… まぁ、別に人のことなんでいいんですけど…。

他人事でないのは、その人をリードクライマーにしてしまい、自分がセカンドとしてしりぬぐいクライミングをしてやらないといけない場合です。

下手したら一蓮托生で、相手の些細な自信過剰によるミスで、さよーならーです。

■ 女性のエンパワーメントとしてのクライミング

クライミングは実は男女の差が特にリードだと開かないスポーツです。

なので女性のエンパワーメントに使えます。

ーーーーーーーーーーーー

フェミニストカウンセリングについて、『フェミニストカウンセリングの実践』では以下のように書かれています。

このような(家父長制的な価値観が強く、ジェンダーギャップが大きい日本における ※筆者補記)社会的状況を反映したフェミニストカウンセリングは、

 ・女性クライエントの心理的困難や問題の原因を、その女性の生得的な個人的欠陥でも、生育歴の問題でもなく、むしろ

 家父長制的社会における社会文化的要因に帰すべきだと考えている。

女性の心理的発達や精神衛生を理解するためには、この男性中心社会において劣位に置かれた女性の政治的・経済的・社会的地位にその焦点をあてなければならない。

フェミニストカウンセリングの基本理念である「個人的な問題は政治的な問題である(the personal is political)」は、このような認識の表明でもある。

こうした考えに基づき、フェミニストカウンセリングでは女性をエンパワメントすることに重きを置いています。

そして、問題の解決においては、『女性差別的な家父長的社会に「適応」することによって問題解決を果たすのを援助することではない』と筆者の井上は述べています。

ーーーーーーーーーーhttps://note.com/murata_peony/n/n930e83a182fc より引用

つまり、

  男なんてハイハイ、と立てておけばOK

  男は掌で転がしておけばOK 

は、解決案ではないということです。良く女性同士でも、こうしたアドバイスをしがちですが。そういう指南本も多いです。

■ 女性のエンパワーメントは男性の開放

女性のエンパワーメントは、実は、非マジョリティの男性のエンパワーメントでもあります。

非マジョリティの男性は女性をイジメるほうになぜか注力しがちですが…。

私も、チェーンソーの講習で、できないおじさんからマウンティングされたりしました。

その集団内での自分の地位を脅かす、と思うみたいなんですよね。

しかし、それは、その人が序列思考だからです。

世界は序列、ヒエラルキーの世界ではなく、多様性の価値、を認める社会に変容しつつあります。

それは、男性、女性、若い人、老いた人、子供、性的マイノリティ、障碍者、誰にとっても幸せなクライミング界を作ろう!と言う話で合って、決して

 クライマーだけど、ロープなし、ATCなしでーす!がオッケー

って世界ではありません。そのようなクライマーこそが唾棄すべき存在で、きちんと努力を積み上げて登ってきている女性クライマーを排除しようと、チッピングする、などというのは、本末転倒です。そんなことをするから、あなた自身も生きづらくなるんですよ。

「俺は男だ!」とやれば、「男のくせに、こんなところも登れないの!」とやり返されることになりますよね???

■ 参考

悩みの突破口を開くカギは物語にあった!【不登校とナラティブセラピー】

https://www.youtube.com/watch?v=-PVe2a2_CuM


【リーダーシップ】フリークライマーだってレスキュー講習

 ■ フリークライマーだってレスキュー講習

現役日本人クライマーの中で、ダントツの世界的知名度の平山ユージさんのFB投稿が回ってきたので、シェアします。

ユージさんと言えば、日本フリークライミング界のエース、星として、長い間、輝き続けてきた人でした。(現代はたくさんの若手がいます)

その偉大なクライマーが、レスキュー講習をインストラクター技能講習で、再講習受けている姿です。


■ アルパインクライミングには、レスキューが必要だけど、フリーには要らない

というのが、長く、

 フリークライミングでスポートルートしかしないクライマーがレスキューを端折っている言い訳

でした。

なんせ、アルパインクライミングをする場所って、北アなどの山の中、なので、基本的に携帯電話の電波が入らない、が前提です。

しかし、フリークライミングの岩場って、車が横付けできる場所がほとんどなんですよ。

なので、もともと山をやっていた人にとっては、”安全地帯”って感じです。

その安全地帯感覚が一般フリークライマーに模倣されたのか?

 事故ったら、119番すればいいや

っていうのが、一般フリークライマーの考え方でした。

■ 安易な119番はしない慣行

もちろん、もともと山岳会や個人的に師匠に弟子入りするなどして、教育を受けたクライマーは、事故なんて起こそうものなら、その岩場が登攀禁止になってしまい、他のクライマーに大迷惑をかけてしまうので、事故報告なんてする人はいません…。

私が前にいた御坂山岳会では、足首骨折したのに這って帰ってきた、つわものがいました…。

私自身も、ビレイ失敗して落とされて頭の傷7針、とか、肉離れして痛くて立つのもしんどいのに、自力で5時間運転して帰る、とか、アキレスけん断裂したのに自力歩行で医者にいったとか、そんなです。

■ レスキュー講習に、登り返しやリードクライマーレスキューが入っている

安易な119番はしないにしても、別に車で病院に搬送するからいい、っていうのがおそらく

 9割がたの安易な外岩フリークライマーの発想

なんですが… グリグリで登る方法とか、アッセンダーの使い方とか、落ちたクライマーと二人で懸垂下降する方法、とか、が基本的には、

 エイド技術 を基本とするもの

なので、

 20mくらいの岩場をハングドッグでうんうん唸りながら、RPして解決して最高グレード5.12を達成する

という内容のクライミング活動を何日続けていても、ヨセミテビッグウォールを登るために必要な技術、っていうのは身につかないんですよねぇ…。

そのために必要なエイド技術は、レスキュー講習が教えてくれるんですよ?

都岳連の岩場講習でも教えていました。そこが一般フリークライマー、特にスポーツのインドアクライミング上がりの人には、てんで想像もつかないみたいなんです。

たぶん、

 リードで落ちたクライマーが意識を喪失した、というトラブルシナリオ自体が思い浮かばない

んじゃないでしょうか?

■ インスボンでは振り子トラバースがありますよ

普通にフリークライミングのルートにカテゴライズされているルートを登るにしても、エイド技術が必要な場合があります。

例えば、インスボンには、振り子トラバースがあるルートがありました。

そういうのをヨセミテに行きたい人は、練習としてやらないといけないんですが…、普通の岩場で振り子トラバース出てきます?出てきませんよね?

そういうことが、なんか分からないみたいなんですよね。

フリークライミングの世界で、グレード信奉の世界にどっぷり漬かっていると。

エイドだって、練習がないと、エイドこそ、うっかりミスで死んでしまいますよ。

フリーなら、迷ったら”ハードプッシュ”でなんとか切り抜けられても、エイドでは知性がないと解決できません。

■ ロープにセンシティブになれる

人のロープで登るのに何の問題があるの?

というクライマーが9割だった、海外のクライマーたち…

も、その無神経さから、レスキュー講習とは無縁の方々だったことがうかがえます。

なんせ、レスキューの講習を受けていると、自分のロープでマッチしているプルージックが人のロープでは回転数が合わなくて、使いづらかったりします。

私のプルージックコードはケブラーですが、自分のロープだと2巻きでちょうどよくプルージックできるのに、人のだと、最初に何巻き必要かチャックしないといけないです。

マルチに行く前に、ダブルのロープなら細系のコードが必要になります。

そんな機微も分からないレベルの人が、人のロープで登りたい、という人たちです。

そんな ノー天気120%クライマーがいくら集まってきても、クライミング仲間っていうより、ただのリスク増加要因

人のロープをガンガン痛めることだけして、たぶん、ありがとうの一言も言わないです。

だいたい山岳会の新人の様子がそのような様子です。人のロープを使っても、当然だと思っているでしょう…。

■アウトドアツーリズム上の課題

ちゃっかりすること…それが海外における、自己責任の世界のようです。

となるとそれに備えるアウトドアツーリズムが必要で、結局は、

   たくさんのクライミングガイドが必要になる

ってことです。

要するに、クライミングにおける安全は、日本人か、外国人か、で分けられるのではなく、

 きちんとリスクを考えて、行動できる思考力があるか、ないか?

と言うようなことです。

ない人たちには、啓蒙を続けるしかなく、いくら水を飲ませようとしても馬が飲みたくないのであれば、水を飲まないのと一緒です。

クライミング界は、魚の釣り方を教えるのではなく、魚そのものだけ上げ続けてきてしまった…楽しみだけを上げ続けてしまい、モンスターカスタマーを作ってしまった…という現状にある、ということです。

そのような中で、模を示す意味で、ユージさんのレスキュー講習参加情報は、かなり意味のあることだと思ました。

Let’s safe climbing!


関連記事

ジム上がりクライマーが登り返し技術がない

https://allnevery.blogspot.com/2023/07/blog-post_8.html


2023/10/02

【リーダーシップ】 東さんの開拓におけるリーダーシップ

 ■ 開拓者を訴えるクライマー?

岩場の事故を受けて、大開拓者の東さんから、通達?案内文が来ていたのでアップします。

たぶん、フリークライミングの世界では、個人化が進み、山岳団体と接点があるクライマーがあまりいません。

スポーツクライミングの世界とも、アルパインクライミングや登山をするための組織の山岳会とも、接点がないので、普通に外岩でクライミングしていても、どこの組織ともつながらない、ということになる。

その上、ネットをしないSNSをしない人だと、てんで、情報が流れてこず、

 見様見真似、

が広まる結果になっているんではないですかね? 九州の一時代前の支点を見る限り。

その見様見真似した相手がまっとうな人ならいいけど、”友達”とか、だからなぁ… 

それで、まったく頓珍漢な結末になるんではないだろうか?というのが、”周囲の人から学習しているクライマーたち”を観察して思った結果です。

ひどい人だと、トップロープノーテンで登って、”オンサイト!”とか言ってる。

マシな人でも、ロープドラッグしてまともなビレイになっていないのに、オンサイト!とか言っています。

昔の人でも、その周囲の人たちの偉い人1名が間違えば(カットアンカーを現代のリボルトに使おうとすれば)、その人を参照する全員(九州の開拓者全員)が間違う、と言う流れになっている。

■トップクライマーが情報発信しないと、ピンキリのキリの人がすることになる事例

クライミング界というか、日本人全般かもしれませんが、情報発信をしてリーダーシップをとる…例えば、世界のリン:ヒルのように…ことがなく、待ちの姿勢で、誰かから盛り立てられることを待っている傾向があり(謙虚さの美徳?)、その結果、ちゃんとしたクライマーほど陰に隠れ、実績が認められず、全く実績が頓珍漢な、栗城さんやら南谷さんやらが、自己主張するので、メディアに大々的に取り上げられる…という顛末になっているような気がします。

余談ですが、野口さんなんて、栗城さんが出てちゃんとしたほうに入れてもらえるようになった感じで、野口さんですら、お坊ちゃんクライマーとしてアルパインクライマーの世界では全然認められていない感じでした。

フリークライマーの世界では、奥村さんやら、菊池さんやら、北山真さんやらのプレゼンスが薄い。

それは、なぜなのか分かりませんが、ユージさんが花形なので、譲っているのでしょうか?そこは分かりませんが、アルパインも誤解がひどい世界ですが、フリークライミングは輪をかけて勘違いが横行しています。

私が言いたいことは、

ちゃんとしている人たちが積極的に情報発信してリーダーシップを取っていかないと、トンデモがトンデモと気づかれないまま、はびこり、何も知らない新人クライマーにとっては、異常が普通のことになる…。

ということです。事例としては、カットアンカーで二点が水平に二つ並んだハンガーのない終了点を見ても、それが変な終了点だということがまったく気が付かず、常態化している、ということが挙げられます。終了点で気が付かなければ、ランニング支点で気が付くはずがないでしょう。

正しい情報が入ってこない…が長く続いたのは、山岳会が形骸化して〇十年… 『高みへのステップ』にも、間違った支点が掲載されている事態になっていました。

九州では、私が来た時には、すでにそういう事態になってから、〇十年が経過していた…、ということだと思います。







文字起こしさんによる結果
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クライミングルートと支点

1. 支点と責任
クライミングの支点にはどのような責任範囲になるのか整理してみました。

1) ナチュラルプロテクション (クラックルート)
トラッドクライミングで使用するプロテクションには 「アクティブプロテクション(カム等)」と「パッシブプロテクション(ナッツ等)」 があります。 

これらはクライマーが独自にセットする場合が多く、 墜落の時に外れた場合は製品の構造的な欠陥を除いてセットした本人が責任を負うことになると思います。

2) アルパイン・クライミング
基本的には 「墜落しないこと」 が前提のクライミングです。 また残置ハーケンや残置ボルトを使用して外れた場合でも、 支点を設置したクライマーの責任を問うことはまずないと思います。 設置から年数が経過して腐食などで耐力が無くなっていることも考えられます。またアルパインの場合はナチプロをセットすることも多く、 支点構築もクライミング行為の一つであり、 残置支点ならその強度の有無を観察する能力も問われます。支点に強度がないと判断した場合は何らかの対応をする必要があります。

3) クライミングウォール
ヨーロッパでは欧州規格 (EN12572-1) に 「人工的な登攀施設」の強度や仕様が規定されています。 またクライミング競技に使用するクライミングウォールでは「競技規則」にこの欧州規格を批准するように規定されています。

この強度規格は汎用的な存在になってきたため、 管理されたクライミング施設や営業クライミングウォールでは設計・施工・保守管理に於いてこの規定に沿うことが求められると思います。 なお欧州規格ではハンガーの強度は試験荷重・ 使用荷重は670kg、破壊荷重は2,000kgとなっています。

4) 自然の岩場 (シングルピッチクライミング、スポーツクライミングルート)
このジャンルのクライミングでは難度の高いルートを目的なので、 「積極的な墜落」が前提となります。 このためクライミングウォールと同程度の支点強度があることが理想的です。 

またリピートクライマーはそれぞれのハンガーの強度をテストすることなく、既設のハンガーの強度を信用して登っているのが現実です。

ルート開拓者はそのことを鑑み、強度のある支点の設置を心掛けていると思いますが、岩の状態や開拓からの経年によって所定の強度がない可能性もあります。


①設定場所の問題
アンカーボルトはハンマーで打診して岩が硬く締まっている場所に打ちます。 ただし中間支点の割付け上、 どうしても岩の状態が良好でない場所があり、その中の最適箇所を選ばざるを得ない状況もあります。

また以下のような部分にはハンガーは設置できません。

a. カラビナを掛けると岩角に対してカラビナにテコ状の力が働く。
b.クイックドローに掛けたロープが岩との干渉でギロチン状になる。
c. 墜落すると緩傾斜部やバンドに当たる可能性がある場所。
d. アクシスに対して、一つ下の中間支点からロープが横断するような形になり、墜
落するとロープと交錯して危険な部分。
e. ロープがカンテやバルジを越えるような形になり、ロープの流れが悪くなるようなところ。

これらクライミングする上で危険な状態が予想される場合は、 ハンガーを設置する場所に制約を受けることがあります。

②岩場や岩質の問題
ルート開拓者はアンカーを打つときにハンマーで打診して、岩が脆くなく、ひび割れなどない状態の箇所にボルトを打ちます。 ただしハンマーでの打診音が良好でも岩の崩壊の規模が大きすぎる場合は予想できないと思います。

a.御在所岳中尾根バットレスではマイクロバス程度の大きさの岩が抜けた。
b. 城ヶ崎の 「キャデラックランチ」 周辺の岩が崩壊して、 数ルートが消滅した。
c.雪彦山(兵庫県) でボルトを打っていたタタミ畳くらいのフレークが剥離して、クライマーが巻き込まれた。

③ 特殊な問題

a. 応力腐食割れ
近年UIAA(国際山岳連盟) ではアンカーボルトの「応力腐食割れ」を問題視しています。 これはステンレス鋼などの耐腐食性の高い製品にもみられる事象です。 拡張式アンカーのようにボルト内に常に引っ張り荷重が働いている部材に対し数カ月から数年の比較的短期間に亀裂が発生することがあるようです。

b.ひび割れの拡充
石灰岩にはひび割れ部分に石灰成分が浸潤して接着剤のように再固着させているような箇所があります。 そこをハンマーで打診しても異常な音がしない場合もあります。 ただしハンマードリルの振動や拡張式アンカーによる圧力によって微細なクラックが生じることがあるかもしれません。 またこのクラックに水分が入り、 氷結するとクラックを押し広げて岩塊の固着力を緩めることが考えられます。 ここに打たれたハンガーに墜落衝撃がかかると岩が
剥がれる可能性があります。 ただしルート開拓時にこのことを判断するのは
非常に困難です。

C. リボルトの問題
リボルトの原則は 「オリジナルルートの尊重」 であり、ルートのアクシスやボルト位置によってルートの性格を変えることは慎まれています。 このため付近の岩の状態が悪くても、その中で「最適状態」の場所にアンカーを設置するしかない場合があると思います。

2.開拓者の責任範囲
自然の岩場でもスポーツクライミングルートは、支点に一定の強度があることが前提となっています。 また慣例上それぞれのクライマーは残置支点の強度を確認せず使用しています。

開拓者は誰もそのルートでケガをされたくありませんので、考えうる最適な場所にボルトを打っています。

もしそのボルトが抜けてケガをしたクライマーから訴えられ場合、すべての開拓者は以下の2通りの案内するしかなくなります。

① 私の設定したルートでケガや死亡があっても訴えない人だけ登ってください。
②私の設定したルートは強度に責任が持てませんので、ルートの上に回ってそれぞれの支点の強度を確認して、自己の責任に於いて登ってください。

自然の岩場ではクライミング前にルートの点検をすることは事実上困難です。 このため支点に関するトラブルがあっても開拓者には責任が及ばないことがクライミング界の不文律になっていると思います。

※道理上だれがみても危険な状態の支点や墜落一回で抜けた支点に対して、 開拓者に一切の責任がないとはいえません。 ここでは一定の期間や一定量の墜落でも異常がなかった支点のことをいっています。

また支点に異常があった場合はクライマー自身が補修するか、 告知や周知を行なうことがすべてのクライマーの安全につながる大切なことだと思います。

再度繰り返しますが、 開拓者は事故を無くすため、可能な限り安全に配慮したルート作りをすることが大前提です。 ルート開拓は労多く、費用がかかり、文句を言われることが多々あります。 それでもルートなくしてクライミングはありません。 今後もクライミング界に貢献できるよう同志の方々、頑張っていきましょう。
--------------- 太字、赤字当方

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2023/10/01

【心理学】 Stephan Gilligans workshop

■エリクソン・カンファレンス2023の感想

これまで出た、どのような心理カウンセリングよりも、まともだった…(汗)。

日本の精神医学の学会とか、ちゃんと機能していない、と言う意味なんじゃないだろうか・・・(汗)?

もう30年前になるが、若いとき、カリフォルニアに住みこみで働いており、そこの家のお母さんは女性教授だったので、ある時スタンフォードに勉強しに来ている日本人教授を家に招いてパーティをしたんだが、その人、ただの箔漬けに来ているらしくて、大学院にいても本当にただいるだけだそうで、同僚の女性が、ベビーシッターをしていた私にこっそり”あなたの英語のほうがうんといいわ。日本人って彼みたいな人しか勉強しに来ないわよ”と告げ口?してきた…。その真意は、あなたのほうが歓迎よ、頑張れば勝てる、みたいな感じだったんだよなぁ…。

どうも日本の既存の権威団体って、その席に座っているだけで、本当に社会をよくするようなことは何もしていなくて、結局、それは、海外の人の目には、バレバレでバレているような感じなのだった…

UIAAのアルパインサマーの出版契機を、ただの一クライマーに過ぎない、私が作ったことに関しても、実際同じことが起きたんじゃないだろうか?

30年たって、精神医学を大学で学んだ正統派権威ではなく、個人でセピストとして研鑽を積んできた人が、エリクソンカンファレンスを主宰し、米国を代表すると言えるような真摯なセラピストたちを日本に紹介しているという、この事態…

うーん。30年前は、私に言われても…と思っていたんだが、クライミングに関して、私が日本の仲間たちにしてあげられることは、アルパインサマーの翻訳契機を作ったこと以外に何かができるのだろうか??

たしかに日本のクライミングは、世界の40年遅れなんだが…。というか、日本のクライミングというより、日本全体が20~30年遅れている印象なんだが…。

例えば、アメリカで、父権社会が主流だったのは、1950年代だそうで、現在の日本はそれが崩れつつあり、育メンの若い人が出てきた…ちょうど1970年代には米国社会もそうなっていたそうで、だとすると、50年遅れなんだよなぁ…。

■ 帰国の意味付け

日本がこんなに世界から置いてけぼりになってしまったのは、私が本当はカリフォルニアに変える予定で帰国したのに、そのまま日本にいついてしまい、海外で暮らすことで、日本の在り方をアップデートする力になり損ねたから…みたいなことはないと思うが、あんまり日本社会のアップデートに貢献している実感が少ない…。

帰国してきたのは、日本を応援したいと思ったからなんだけど…。しかし、結局のところ、日本の既得権を持っている人たちは、何が自分たちのため、国のため、なのか、その視点が根本的に欠如しているんじゃないだろうか?そもそも。

クライミング界の上位団体や役員を務めている人たちの評価をクライミング関係の弁護士で有名な方が評価していたが、それを聞く限り、ガバナンスの問題、だそうで、結局、ガバナンスの問題というのは、俺が俺がに陥っているって意味なので、そこで判断する限り、結局、上に立つ者の役目をはたしていない、と、そういう意味なんだよなぁ…。

だからと言ってこっちに振られても、みたいな感じはあるよなぁ。

■Stephan Gilligans workshop

I am joining's Erisksonian psychotherapist's workshop now. 

The suffering comes from the mismatch of inner world and outer world does not matched to one's life.  

For example, 

I wants to be a climber but being irresponsible is the least thing that I want to be. 

I'm wanting to live in a world that I take a full responsibility of my own well being, so being irresponsible to a landlord or the local community of a crag is the least matching to my ideal. 

That stops me and that is because my integrity is threaten, in this past 5 years.


2023/09/30

【心理学】 心理的安全のない場所vsある場所

■心理的安全性

最近、モビトレクリニックののち、初〇負〇ジムに行って、分かったこと。

心理的安全のないジムのほうは、入会したときから、「最近、会員が入ってこなくて困っているんです、どうしたらいいんでしょうか?」と相談される…(汗)。全く人気なし…。

しばらく通ったのだが、結局、目の前のマシンに偶然座ったヤツと無言の競争をおっぱじめるような世界観だった…。無言で、”奴は20kgか、ならこっちは25kgだ!”とか、そんな感じだ。空気はいや~な感じだった。

なので、最小単位が2か月なので、通わなくて済むようになり、ほっとした(笑)。いや~もうお金を払ってしまったら、通わない訳には行かないというので通ったが…我慢の勝利です。

”この空気の悪さ”は、残っている人は分からない。

ほかを知らない子供が、アル中のお父さんでも、親は親なのと同じで、他の世界があるとは想像がつかないのかもしれない。ジムの人に空気が割るかどうか?聞いても、残っている人に、分かるはずがない…。

残っている人は、そんな嫌な空気の場所でも平気でいられる、”神経の図太い人”だけだからだ。

■ モビトレは思いやりの世界観で良かった

ここでも紹介したモビトレクリニックが使っていたホグレルマシンは、リハビリ用だが、クライマーの円背の矯正にも良いと思う。

初〇負〇は、マシンの性能うんぬんより、運営が…もう、いや~な空気が流れているのである…それは、一般ジムでも、競争心の強く、ナルシズムの強い男性が黙々と筋肉を見つめているような環境では、同じかもしれない、アレ、である。

献身とか、努力とか、そういうものとは、全く別のもののような気がするんだが…。

心理的安全性は、競争社会の中にないことが、よく分かる世界観だった。

 学校に行かなくてはならない。→ 行きたくないなら行かなくてよい。

 会社に行かなくてはならない。→ 行きたくないなら行かなくて良い。

それしか、社会がホワイト化する方法はないと思う。

日本社会がブラック化するのは、儒教文化の押しつけを一般常識として他人に押し付けるときである。

女性を家に入る道具のように思っていたり…女性は女性で、”女は耐えるもの”、”目下の者は耐えるのが美徳”とされ、リーダーの間違いを間違っていても、指摘するのが倫理違反になるような文化だと、例えば、炎天下で水を飲まなければならない、みたいな生理的欲求ですら、リーダーへの服従のため、に抑圧される。

みんなが自分に合わせてくれ、自分を持ち上げてくれる環境で成長できますかね?

できないでしょう…

大きくは、その姿が今の日本の政治ってことになっている…っていうので、

 結局、弱者が声を上げないこと=現状維持、

になってしまうって意味です。

本来は、弱者の声が拾われてこそ、民主主義であるので、モビトレとの違いから、集団が違えば、世界観がこんなにも違うのか、ということが分かった今回の経験だった。

良かったのは、

  嫌な集団からは離れることが大事だ、

ということが分かったことかな? なんせモビトレはとっても良い感じのトレーニングジムでした。

院長の光安先生は、サッカー出身だそうですが、運動理論が私のアキレス腱に会っているということで初動負荷を進めてくれましたが、初動負荷は運動理論がどうこうと言うより、カルチャーが全くダメ、でした…。


2023/09/28

【心理学】グレード至上主義は、大事なことを見落とさせる

■ 無自覚のトラウマ解消欲求?

弟が亡くなったのは、もうずいぶん前で、25年前です。

弟は突然死で、24歳で亡くなりましたが、余りに急だったので、よく分からないまま、平常の日常に、彼の死は埋もれて行きました…。私も若くて、結婚前だったので、とても忙しく、まだロボット事業部にいる頃でした。

40代になり、クライミングを趣味でするようになってから、特に九州の命知らず自慢をわざと行い、命を軽んじるような言動を繰り返す、若いクライマーたちに、ものすごい違和感を感じるようになりました。

もともと私は優等生タイプなので、粋がりなどで、命を落とすような ”幼稚さ” や ”あほくささ” とは、相性が悪く、弟の死がなくても、そのようなメンタリティとは無縁のタイプです。

問題は、そのような自分を守る盾になっていた自分の本来の資質が、弟の死、によって、生かされなくなったということです…。

罪悪感

が原因です。

私の周りには、弟思いの私の思いに 

 ちゃっかり便乗、

したいという人が集まるようになりました。

■ 自頭で考える 地頭で考える

本来、山やになるには、やらなくてはならないことは、本人が考えられます。

雪の山に行くのに、雪崩講習を受けずに行けば、当然、その人は雪崩に喰われるリスクは、高くなりますよね。

岩の山に行くのに、ロープワークの講習を受けずに行けば、当然、その人は墜落リスクは、高くなりますよね。

この当然の公式が分からないみたいで、どうも

 周りの同じくらいのグレード人が登っているなら俺も行けるだろう、と行く

という行動原則が多いです。

■ 自分ではなく相手を危険にさらす

クライミングをするのに、ビレイの講習を受けずに行けば、危険にさらすのは、相手であり、自分は人を殺す可能性があります。

これは、ショートの岩場では、誰でも分かるリスクなので、かなり無責任な山岳会でも、口やかましく言われると思いますが…盲点は

 リードクライマーがセカンド(を含むパーティ全体)を危険にさらすリスク

です。このリスクが顕在化したものが、白亜スラブでの私たちパーティの登攀ですね。

■ 本来あるべき姿から離れる=なあなあ主義=甘え

そういう本来習得しなければならないステップを端折ってしまうこと…

これがグレード至上主義の盲点であり、クライミングを含む登山にとって一番のリスクです。

例えば、阿弥陀北稜の学習院大学山岳部の遭難も、本来であれば、

積雪期 八ヶ岳赤岳
積雪期 八ヶ岳赤岳横岳縦走
積雪期 八ヶ岳全山縦走
積雪期 阿弥陀ノーマルルート
積雪期 阿弥陀御小屋尾根と阿弥陀中央稜


という最低5つくらいは終わった人が行くものです。これは積雪期ですので、無雪期に当然のように、八ヶ岳全山縦走は、楽勝で終わっておかないといけないです。一年で全部行けちゃいますよね。

これは、ステップアップの前に、道迷いリスク(山頂から別のところに降りてしまうリスク)を避けるための措置です。これは、普通にルートガイドを難易度順に並べても分かると思いますが…要するに周辺のピークを見ただけで、あれが〇〇岳と分かる程度の、土地勘はできた人が行くもの、なんです。

そうでないと、道をロストしたとき、なんか変だな…と気が付けませんよね??

ところが、現在では、登山関係者でも、人工壁で、5.11が登れるから、無雪期および積雪期の経験が欠如していても、「まぁ大丈夫だろう」という思考が顕著です。

というのは、指導者自身が、

 阿弥陀北稜を登れるレベルにない、
 自力で登山判断してきた経験がない、

から判断がつかない、のかもしれません。

人工壁で5.11が登れることと、山というアウトドアのリスク管理には何の相関関係もありません。

そこは、「歩き」と「登攀」という二本立てで、登山者のスキルを測るという思考回路が登山界では主流であることから、盲点になってしまうのです。

「歩き」の中には、「積雪期歩行(アイゼン歩行ということ)」「その山域でピーク名をすべて言えるだけの地形理解」「南北エラーを起こさないための、その山域での方向感覚」「下れば早いか、登り返しがベターか判断できるだけの地形理解」を含まないといけません。

ところが、現在は、そうした機微が理解されず、

 登攀グレード
 歩き = 若さ

で安全か安全でないか、が判断されてしまいます。”たぶん、だいじょうぶやろ”、です。

ほとんどの指導者が、本当は合理的判断でジャッジメントを下しているにも関わらず、

 古タヌキ的な経験値による判断力

などという、他者が理解しようもない言語化をしてしまうので、登山の合理的判断が、ミステリアス化されています。

逆に、年を取った人でも、その人の体力に合わせたプランニングすれば、その山旅は安全になります。

アメリカでは90代の女性がフリークライミングしているくらい、フリークライミングは体力は要らず、安全なものです。

■ 名誉だけ得たい

昨今のグレード至上主義には、副作用として 

 名誉だけを得たい

という人が集まるようになっています。例として、

・5.11がクライミングジムで登れるから、北岳バットレス四尾根に行けるはずだ
・5.12が登れるから、白亜スラブは登れるはずだ
・3級しか登れないのに、2段のボルダーをノーマットで登りたい
・5.11が登れます、というのにATC持ってこない

こうした人たちは、リスクよりも、

 自分を証明したい思い、認められたい思い

に駆られているもの、と思われます。それにほだされてしまうと

 殺されるかもしれない、という恐怖

が生まれるようになりました。しかし、登山の歴史を振り返る限り、この恐怖はあながち根拠のない恐怖ではないように思います。

お買い得5.12など、お買い得品を求める人はその傾向があるということですから、かなり要注意です。