私のように、40代からクライミングをスタートした人には、
傾斜が0度の水平面から、緩やかな坂になる15度は歩き、30度になるとストックをついて歩き、45度になると手が必要で、60度になるともはやクライミング、80度になるともう壁で、フリークライミングをやっていない人にはどうしたらいいのか意味不明、90度では、大抵の人が大変困難と感じ、それ以上、オーバーハングになると?腕力勝負。ムーブも必要、
…というのは、別に理解するのが難しくない感じです。
しかし、昔の登山家たちは、傾斜がゼロ度~60度、70度くらいまでが守備範囲で、80度、90度なんて、雲の上の話、オーバーハングなんて、どうしたらいいのか?道具を出して登るしかない、という世界の住人だったのかもしれません…。
そういう人と、今の時代の、ボルダリングジムって最初っから前傾壁でしょう?おのずと登り方が変わってきてしまいますよね。
ボルダーでスタートした人は、基本的には、ぜんぶかぶっていますから、振りを使わないと登れないはずです。
■ 登り方だけでなく、ビレイも全然違う
昔のアルパインクライマーがフリークライマー業界から排除される理由は
ビレイが超遠い
から、かもしれませんね。2mも3mも壁から離れていて、それで何の問題があるのか?分かっていない。ということは、
落ちたクライマーをキャッチした経験がない
のではないか?と思う。
今までヒマラヤ行ってきました!雪崩で生き延びました!って人とも、組んでみたけど、超・離れたビレイで、こんなんでフリークライミングのルートが登れるわけがない、って感じでした…。
■ スポーツクライミングしか知らない人もダメ
逆にスポーツクライミング上がりの人は、外の岩で、
岩の形状
…テラスになっているところで出し過ぎると激突します…や、
体重差
を考慮せずに、俺、流して止めてあげるよ~とか…。
ビレイヤーのほうが小さく軽い場合は、流さなくても勝手に体が浮いて、流したのと同じショックアブゾーバーになります。
自分が落ちる側をやっていないクライマーは、ビレイの体重差の関係性が理解できないので、でっかい人は、小さいクライマーの墜落をとめるときに
パッツンビレイ
なので、登っている私の衝撃が大きく、体に負担で大変です。
■ 共感力の欠如
クライミング界では、このように、大体大まかに分けて
・アルパイン族(山で登る)
・フリークライミング族(リード族)
・スポーツクライミング族(人工壁)
・ボルダリング族(ロープを使わない)
と4つくらいの種族がいます。
しかも、それぞれの種族が、自分たちの種族内部での常識をクライマー界全体の常識だ!と主張し合っているので、大体は、話し合っても話がかみ合わないことが多いです。
ややこしいのは、クラッギングと言われる外の岩場を登る種族が、大体縦横無尽に各種続巻を出たり入った入りしていることです。
年に一度には大きな山に行ってクライミングし、普段の週末はリード族と同じように岩場に通い、平日はボルダリングジムに通って鍛えている、という人がほとんどなのです。
そして、全員が自分のクライミング観が唯一絶対の正解だ、という前提で、相手に同じ常識を期待するのです。
そうなると、4種類の人種がいる中なので、平均的に人口が分割されているという大雑把な前提で、言っても、
4回に3回は、自分の種族外の人
です。例えば、ボルダリング族の人が、「あのさ、最近、クライミングで~」というときに、4回中3人の頭の中に浮かんでいる景色は
一人は、山のクライミング → リスク多大。けど、簡単。
一人は、近所の岩場のクライミング → リスクはあるけど、大体安全。けど難しい。
一人は、近所の人工壁のクライミング → リスク全然ない。超・難しい。
という感じなわけです。全然、互いに思っている中身が違う。しかも、その話している人が、「最近のクライミング」で意味していることが、”外ボルダー”だったりした日には…
どの人も全く違う想像しちゃってるとなります。
しかも、大体クライマー族って、ボルダラーだったらボルダー以外のクライミングについて無関心なので、相手の言葉の意味を取り違えてしまいます。
アルパインの人が「へぇ、どの山行ってきたの?何ピッチ?」と聞いたら、は?!となるし
フリークライミングの人が、「へぇ、どこの岩場?混んでた?」と聞いても、は?!となるし
スポーツクライミングの人が、「あの新しいボテ、悪いよね~」と言っても、は?!ってなるんですよ。
その、”は?!”って空気を出すのは、その人の世界が狭いから…なんですよ。
でも、新人さんには、そのことは分かりませんから、
は?!って空気感を出された側は心に傷を負うことになります…
例えば、今まで人工壁でクライミングしてきた人を、アルパインのルートに連れて行ったりしたときに、アルパインでは支点が十分に強固だと判断したら、1点でバックアップを取らずに懸垂下降して降りてしまうこともあります。そんな話になっているとは知らない、その新人君は、恐怖体験、ってことになります。しかも、その時に「お前はこんな程度で怖いのか」とか言われちゃったら、人によっては、もう二度とその会に来ないでしょう…
そうではなく、「ここは、一点で降りるけど、ほら、こんなに強固で崩れることは考えられないから。」「体重をかけてみ。」「懸垂下降には、1~2kNの強度しかいらないんだよ。中間支点には、最低12,3kN必要だけどね」とか説明したほうがいいのです。
現代の整備されたフリークライミングのルートで必要な中間支点(ランニング)の強度は25kNですが、カラビナの強度が22kNですから、先にカラビナが壊れてしまいますよね。だれですか、10年も、20年もカラビナ買い替えていない人は…?
古いカラビナを見る度に、私などは、「アルパインの人は落ちないからなぁ…カラビナって、まぁほんとに保険で実用ではないよなぁ」と思って、古くても目をつぶることにしています(笑)。
しかし、バンバン墜落することが前提のスポーツクライミングで、人工壁の登りをもし私が再開するならば、ペツルのジンアクシスあたりを新たに新調することでしょう…もうバンバン落ちますからね…
そんな感じで、それぞれの墜落頻度や、それぞれの危険の度合い、そして、クライミングそのものの難しさの度合いが、みな違うのに、みんなが一つの言葉
クライミング
ってだけを使って話をし、その前についている、”〇〇クライミング”の○○のところを端折って語るので、お互いがお互いを誤解しあって、結局、その誤解により
対立
しているのが、現在のクライミング業界のありさま、という気がします。
■ 想像力と共感力が必要な世界になっています
こういうことになっていることを誰かに初期に教えてもらえば、想像力と共感力を使って、異なるクライミング派閥の人ともお友達になれると思いますが、現実はその正反対。
しかも、フリークライミング派閥の内部には、もっと詳細なグループ分けがあり
・花崗岩派
・石灰岩派
・トラッド派
とかなり異なるクライミングを繰り広げています。その上、最近はトラッド派にも、ワイド派、開拓派、などと異なる派閥が生まれつつあり、トラッドとひとくくりにできなくなりました。
しかも、この中のどれにも属しがたい、
・アイスクライミング派
もいますし、そのアイスクライミング派の中にも
・ミックス派
・コンペ派
と別れてしまい、さらにゲテモノ的なもので
・渓谷登攀
みたいな、沢登りの中でもクライミング要素が強いものを特化したクライミングも生まれています。
…ということになっています。
昔は、クライミングと言えば、アルパインクライミング以外なく、ほとんど全員が、同じステップアップの仕方をしたのちに、それぞれの派閥に分化していったのですが、そういう同じ流れが、クライミングジムの登場により、なくなり、ジム上がりの人は、
新人教育
と言われるものがゼロのまま、いきなり分化した派閥にそれぞれ属すことになってしまった、というのが現状です。
なので、小川山でクライミングしよーってときも、それぞれの派閥で全然スタイルが違います。例えば、アルパイン族は、山岳用テントで過ごすのが当然です。ところがフリークライミング族は、テーブルに椅子に、とお遊びモード… びっくりですね。
要するに、想像力や共感力がより必要な現状なのです…。
ところが、伝統的人種…ここではアルパイン族のことですが…は、もともと社会に優遇されてきた男性たちが多いので、こうした現状について、客観的にメタ認知できない人が多いのです…。
説明しても、? のままの男性が多い…つまり、同質性の中でしか、生きてきていない…んだろうなぁ・・・という事態になっています。
その同質性の中で、俺一番!になりたいというのがこれまでのクライミングの世界観だったわけですが、クライミングの世界が多様化して、”俺一番”の分野も多様になり、一番の人が何人もいる世界になりました。
例えば、平山ユージさんは、フリークライミング界の”一番”ですが、冬山やるか?というと?やらない。アイスクライミングやるか?というとやらない。
じゃ、楢崎さんがK2北壁やるか?というとやらない。
じゃ、小山田大さんが、渓谷登攀でヒマラヤの谷に行くか?というと行かない
じゃ、門田ギハード君がボルダーで5段のに行くか?というと行かない
結局、みんな好きなクライミングをしていいのです…
なんで、私だけが、瞑想を目的に、クライミングしていることを間違いだ、そんなのクライミングじゃない、という扱いを受けないといけないのか?みたいな気持ちです。
同じような、気持ちになったことがある人はいっぱいいるんじゃないですかね?
40代でスタートした人でも3年やれば、10Aくらいはマスターでリードできるようになります。そういう人が安全に登れる岩場は、ただし、日本にはほとんどありません。