■ 自分だけで何もかも面倒見る必要はないよ?
クライミングによる地域おこしという提言を行っていますが、たぶん、外野の人からは、
口で言うばかりで何もしないじゃないか~みたいな批判をもらっているんじゃないですかね?
ふと、そう思ったので、その前提で文章を起草してみることにしました。
セルフコンパッション活動の一環です。
■ 反論1 物事は3度実現する
ビジョンは語らないと実現しない、って意味です。語ること自体が大事なんですよ。
■ 反論2 いっぱい行動している
九州に来て以来、良い岩場、私が取り組んでいた岩場が遠くなったので、そのような境遇で出来ることは何か?と考えて、九州の岩場がある自治体に
アウトドアツーリズムでロッククライミングと言う活動が使えますよ
と教えたり、
カットアンカーは時代遅れのボルトですよ
と示したり、
終了点直掛けで降りるローカルルールは、一般的でないクライミング習慣ですよ
と指摘したり、
新人クライマーに必要な危険予知はなんだろうか?
と研究したりする活動をしていました。
■ 反論3 九州では成長できない
・九州にはクラックの岩場が少ない
・九州では正しいビレイが普及していない
・九州ではボルトルートも危険で、周囲の人も危険を認知していない
以上の理由で、自分自身がクライマーとして成長する喜びを紡いでいく、っていうのが難しくなりました。
なんせボルトルートは、チビにはむしろ危険です。というのは、一緒に登る人たちが、小さいクライマー特有のリスクを認知できないので、周囲の人に危険な羽目に追い込まれる、という別のリスクが浮上してしまいます。
しかも、ランナウトのリスクがないとしても、九州では、ボルトがカットアンカーで強度が危うい上、更新されず、ビレイも2時代、3時代も前の遠ーい、スタイルで、そんなビレイで、俺のビレイに落ちろ落ちろと、山岳会に参加したりしたら、言われるわけで、え~、殺されるぅ!となりました。幻想ではなく、現実でした…(汗)。
たしかに一般論で言えば、私がクライマーとして成長するためには、落ちる能力は、必須なのですが、だからと言って、九州の、この環境で言われるがままに落ちれるか?というと落ちれないし、九州じゃなくても、ルートのどこでも落ちていいか、というと?
良くない。
まぁ、そういうわけで、私のクライマーとしての成長は、ヒト、岩場含め、環境悪化という要因のため、この5年ほど一時停止中です。
成長には、安全安心な環境は大事ですね♪
というか、登っていないから、体力もムーブ能力も落ちていると思われ、なんか能力の回復のほうが必要な具合です(汗)。こないだも岩場に行ってみましたけど、登攀スキル自体は後退していないみたいでした。普通に確保も、懸垂もできました。
■ 反論4 すでに成果をいっぱい出している
しかし、ただ何もしないでいたのではなく、その間に、福岡八女、長崎大村、大分八面、宮崎日之影と、いくつかの地方自治体に、クライミングによる地域おこしの可能性を教えるという三井物産新事業開発室時代のプロボノ活動をして、いくつかの自治体からは、結構、満足のいく成果が出ました。
私のような活動をしたクライマーは、これまでにいなかったのではないか?と思います。
あ、いました…。平山ユージさんです。ユージさんが先駆者で、小鹿野では高橋議員がユージさんの提言に賛同する形で、小鹿野ではクライミングによる地域おこしが行われており、頼もしいなぁ、うれしいなぁと思っていつも見ています。
というわけで、真似をして後に続くような人が出たらいいなぁ…と思っています。
■ 反論5 自分でしなくてもいい活動をしないのは大事
例えば、福岡の八女は、奥日向神キャンプ場というのがあって、私が最初に出かけたときは、誰も使っていない放置されたキャンプ場でしたが、久留米の非クライマーが取得して、経営をスタートしています。
そこは歩いて岩場に行ける。
しかも、地元のクライマーも、歩いて岩場に行けるキャンプ地は、小川山みたいな可能性があるわけなのは、みんな知っているので、地域おこしに岩場を使うなら、そのキャンプ場をクライマーがごひいきにしたらいいだけのことなんですよね。
経営者がクライマーでなくても、普通に商売している人なら、特定の種類のお客さんが増えたら、この人たちにもっと喜んでもらうにはどうしたらいいだろう?と普通に発想するだけのことです。
キャンプ場を運営しないのは、県外者や海外クライマーが来たときに、落ちるはずの外貨が落ちないということで、もったいないことなので、頼まなくてもやってくれる人が出て、よかったな~という経験でした。
これは岩場のあるほかの地域でも同じです。既存の施設で、クライマーが宿泊に使える施設があるなら、クライミングのことを解説して経営者に分かってもらい、あとはその人たちにゆだねる、自然の流れに任せるほうが結果的にはうまくいくでしょう…
例えば、日向神は、課題数も多いので、県外や海外の人が訪ねてきても十分楽しめると思いますが、
・支点がカットアンカーだったり、
・リスクが高いランナウトがトポに記載されずに放置されている、
という2点から、小鹿野のようなローカルクライマー組織の結成による、改善や対策がないまま、積極的にクライミング観光をPRすると、事故が増えるだけなのではないか?と思えました。
何も知らない人が無邪気にクライミングによる地域おこしが儲かる、と踏んで、ゼニに目がくらんで取り組んでも、結局、クライミングではそんなにもうからないという結果になった時に、人のせいにして終わりになるのではないでしょうかね?
私も何人か外国人を日向神には連れて行っていますが、連れて行った相手にとっては、
手取り足取りの大名クライミング、
です。私だってやってもらっていないような、ギアも貸し、トップロープ限定でビレイもさせないという、内容の手厚いクライミングで、そうしないと、初心者には危険だと思います。
■ 反論6 できる人を知っていればそれでよい
私が思うには、インドアクライマーを外岩に安全に導入する手段を確立する、こと、が今のアウトドアクライミング界に求められていることだと思います。
各岩場に、クライマーハウスがあれば、そこを拠点として、地元外クライマーへのベータ提供ができる。
地域貢献活動である、岩場の整備活動もできる。
他にも、例えば、トポなど、共有することで、節約できる貴重資料は、そこに保管できる…。
1000円で寝泊まりすることにしても、経年で、それなりに活動費がまとまれば、例えば、
- ボルトの購入費
- 岩場のフィックスロープ整備費用
- 新トポ製作費
- クライマー・ウィ・ロスト(死者の追悼記事)の製作費
- クライミング事故情報まとめサイトの製作費
- 地権者への謝礼(固定資産税程度)
- クライマーコーヒーなどのクライマーの事故防止啓発活動
- 一人身クライマーのパートナーマッチング
など、様々な共通のメリットがある費用の補填に使えてよいと思います。
これまで、こうした費用は、クライミングジムの運営で、成功したトップクライマーや地元のクライミングガイドが担ってきたのではないでしょうかね?
例えば、瑞牆のトポは、内藤さんの出資だと思いますし、岩場に貼ってあるアプローチ用のフィックスロープは、大体は、地元のガイドさんの古い使い古しのロープだと思います。
例えば、奥日向神キャンプ場の経営者が、これらのことが出来なくても、できる人を知っていれば、別に良いわけです。
逆に言えば、地元の古いクライマーらが自ら名乗り出て、そうした活動に取り組めばよい、ということになります。
今の日向神でのクライマー個人の活動は、俺があそこに登ったここに登った、という内容だけで、何か社会を良くしようという意図を持ったもの、というより、自己礼賛、みたいな感じかなと思います。
■ 反論7 新人クライマーへの岩場導入…誰か必要です…外人は良く私のところに来ます
日本にかぎらず、岩場は、いろいろな方針で、いろいろなカラーがあります。
ベガスの近くのレッドロックスとジョシュアの違いを語っていて、面白い動画。
こんな風に岩場には違いがあるにも関わらず、日本では、あんまりベータにその旨書かれていないことが多いです。どういう経緯や発想で作られた岩場か?ということですね。
たぶん、今までのクライミング界を作ってきたトップクライマー、エリートクライマーたちの世界観は、ちょっと古くなっているのではないかと思います。というのは、昔はホントにすごい人たちばかりですが、そういう人たちが、今私が山に連れて行っている若者を見たら、箸にも棒にもかからん、と言いそうだからです…。
昔の人はホントエリートぞろいだったんですよ。
そういうエリートが作った岩場…若い人はついていけない、というのが起こっていることなのかもしれません。
例えば、福岡の四阿屋という岩場は、2グレード位辛いと言われているそうでした…。そんなこととはつゆ知らず、出かけて、びっくり仰天、初日にグランドフォール事故を見ました。
どうも古いクライマーというのは、リスク認知の感性がマヒしていて、そのグランドフォールを見て、思うところ、考えるところがあったクライマーは、その場では、私だけみたいだったのですが… まさか、3ピン取るまでにランナウトしているとは…でした。
というのは、3ピン目までは落ちてはいけない、と私は山梨で習ってきており、その意味を考えると、3ピンまではグランドフォールの危険がある、という認知がその言葉にすでに含まれているという意味だと思えたからです。つまり、3ピン目までは開拓するほうも、グランドフォールしないように意識しながら作っているはず、という意味です。まぁ、あきらかにそうなっていなかった、ってわけですが。
しかも、5.10dが5.10bとグレーディングされていたら… 普通に登れると思って、誰でも気軽にアップで取りついちゃいますよねぇ…
つまり、事故防止には、ベータが大事ということが分かったのでした。
しかし、この岩場は、ランナウトが激しく、グレードは2グレード辛いです、と自分で自分のトポに書きます?書きませんよね?
なので、岩場の評判やレーティングというのは、第三者がやらないと適正な表現はされないってことです。
余談ですが、このスチュアードの役割、すでに外国人向けに何人か私は果たしています。英語ができるクライマーの務めかな、と思って無償でやっています。
比叡だって、『宮崎の岩場』というトポが出ていますが、どこにも、大ランナウトが核心です、っては書いてありません(笑)。そんなこと書いたら、クライマー、来ます?来ませんよね? でも、正直に書いたほうがいいと思いますけど…。
なんせ、そういうのが好き、というのも、クライマー業界では大あり、なので。そういうのが好きな人が、分かっていて登るのは、別にいいんではないでしょうか? 私はわざとランナウトして粋がるようなクライマーとは、違いますけど。
例えば、ジョシュアなどは、倫理的に厳しいみたいですよね。でも、そう公言しているから、それでいいのでは?
たぶん、日本人は、何か自分が良くないことをしているという自覚が、そこはかとなく、無意識であるので、率直さを欠き、自分の岩場の特徴を正確に自己申告できていないトポ、という現実に投影されているのではないか?と思います。
課題がランナウトしていたら、ランナウトしているので落ちない人だけ登ってくださいと書いても、別にその岩場の方針だと示されていれば、それで問題ないように思いますが、そうなっていない… 結果として、騙しになっている、そこが問題なわけですが、問題を問題であると認知したくない、という心が古いクライマーにはありそうです。
そんなの書いてなくてもクライマーなら分かってるだろ!
みたいなことになっていますよね?
というわけで、誰かがオフレコで、適切に岩場に導入してあげないと、クライミングジムで登っているクライマーは、無意識に刷り込みがあります。
・課題に付与されているグレードはあっているし、
・ボルトルートは安全なんだ、という無意識の前提を疑わない
という状態で、岩場にやってきてしまいます。当然、人工壁はランナウトしていないですし。
- グレードがあっていない
- ランナウトしていてどこでも落ちれるわけではない
- 初心者向けの落ちても保険が付いているルートはこれですよ
くらいは、誰かが教えてやらないと、クライミング界では新人の間に殺されてしまいそうです。それを教える人のことを、クライミングスチュアードと言いますが、日本では全く存在が認知されていない。
というか、クライマーならこれくらい自分で分かれ、って態度だと思いますけど、私の白亜スラブの先輩のクライミングを見たでしょう?
25+35=60が計算できないのが、立派なクライマーだ、頑張れ、と特待生として厚遇されるレベル感が、現代クライマーのレベル感なんですよ?
それに、普通に、観光でホテルに泊まっても、「この辺でおすすめのレストランってありますか?」って聞きますよね?そして、その情報、そのホテルはオフレコ以外では出せませんよね?だって出したら、他のレストランに、はばかりがあります。
初めて行く岩場で、どの課題を登ったらいいか?みたいなことは、近所のおすすめレストランと同じような程度のことです。
そんな御大層にもったいぶって、クライマーなら自分で登る課題を選べ…と古いクライマーが意固地にいえば、いうほど、事故は増えるって寸法です。
言ってる当人だって、最初は先輩に連れられて岩場に行って、この課題は面白いよ、と教えてもらっただろうのに…。遠い昔のことは忘れちゃったんですかね…?
ぶっちゃけ、栗城劇場と同じで、現代のクライマーは、自分がその課題をきちんと登れていなくても…カムスタックしたり、ロープドラッグしたり…、終了点に何とかたどり着けばOK認定してしまうのです…。
現代のクライマーは死ななかったという事実だけで、たとえ、そのクライミングが30点の評価しかもらえないような内容でも、次回はよりリスクを吊り上げて難しい課題に挑んでしまいます。このようになるので、死ぬまでリスクを吊り上げることになっている。これは、ナルシシズムの特徴です。
栗城さんのようなショービニスト的な劇場人ではなくても、例えば、一般市民の例で言うと、1点のボルトに二人でぶら下がった白亜スラブは、リードクライマーにとっては自信が付いた山になってしまっていました…。
そういう思考回路だということは、私にも理解が難しかったくらいなので、昔のエリートクライマーにはなおさら理解が難しいでしょう。
これも、フラクタルで、ダイハツの不祥事がありましたけど、似ていますね。
上の人が現場を全然理解していない&経営理念が絵にかいた餅ってことです。
https://youtu.be/e0vWe3d4ano?si=eMSWbFhIoq49CHsE
昔のクライマーは、ほんと選ばれたエリートしかクライマーにそもそもなれなかったと思いますが、今の人は、クライミングジムで登ってから来るので、偏差値50の人も、誰も師匠がいない人も、一回も都岳連の岩講習を受けたことがない人も、来ます。できるのはムーブだけで、他は何にもない白紙ってことですよ。
なので、安全に岩場に慣れていくステップアップ法をある程度、特定の岩場に即した形で、導入してあげないと、つまり、
あれを登りなさい、これを登りなさい
と指南してあげないと、登れないってことですよ。何を登ったらいいか?ということも分からない。だからウェブザベなわけですし。
もちろん、長く通っている、通なクライマーは、俺はアレが一番好き、これが良かった、こっちが面白い、と、どの課題がどんなに楽しいか?というのは、好きに議論していればいいのです。そういうのが酒の魚で飲めるってのが、クライマーの楽しみです。
今の人は、ウェブザベ世代なので、みんなが登る人気の課題に登りたがりますが、それは、そうしたクライミング談義に自分も参加したいから、なのではないでしょうかね? 要するに、仲間に入りたい。
人が登らないような、誰にも知られていないところを登る、辺クラみたいなクライミングだと、そこ行った行った~とかいう共感トークできませんよね?ウェブザベもできないし。
ちなみに私は辺クラタイプなので、誰も登っていないようなのに吸い込まれそうになるので、クライミングではよけいに危険で、好みの面から、マイナー好きなタイプの人は、普通のクライマーより、要注意です…。
話がそれてしまいましたが…
■ 反論8 利益を広く分散するのなら、運営も取得も一人でしなくてもいい
私は、クライマー界から事故を減らすにはどうしたらいいか?という発想でやっています。
ので、紹介する自治体がぜんぶ、私に来てほしがるのが、いまいち理解できないのですが…。
例えば、八面の岩場がある、八面山には、すでにクライマーが宿泊できる公共の宿があります。だから、そこの宿泊施設の管理人が、この山には、クライマーが登りに来るんだな~と理解して、
・雑誌の『山と渓谷』だの、
・八面のトポが載っているロクスノだのを置いたり、
・クライマー歓迎のために、クラッシュパッドを貸し出すとか(その際に、石舞台は登攀禁止だとクライマーたちに知らせる)
今やっている業務の範囲内で、クライミングを認知し、事故を減らすような活動に向いて行けばいいだけのことです。
年に一回くらい、地元のためにゴミ拾いしたり、クライミングの講習会を開いたりすれば、もっといいですが、こんな活動だって、別にクライミングの素養はイラナイ。
クライマーに来てほしいなら、地域おこし協力隊の業務募集をすればいいだけです。
どうも地元自治体はこうしたことすら発想できないみたいなんですよね…。こんなの、別にクライマーじゃなくても誰でもできますし…。
たぶん、自治体が思うのは、クライマー愛好家が大挙して押し寄せてくる、って図なんではないかと思いますが、人口減少時代の今、そういうことが起こるはずがないですよね。
たぶん、昔のスキー場開発みたいなのを夢見て施設作っていそうです…いや~勘違いというか、頭がお花畑と言うか…
日之影のほうで出していた、北方パーク構想などは、箱もの行政の最たる失敗事例かと思いました…お金余りニッポンって感じです。
八面では、地域の人の目には価値がないと分かっている山を都会の人が買って、プライベートキャンプ地にするというのが、絵にかいた餅にありそうでした。
地域の人は無知な都会人により高額買取をもくろみがちです。都会人が二束三文の土地に、何百万か払ってくれるというのが、たぶん、地元が思い描いている成功の図式だと思います。
でも、そのようなことが、負動産時代に、そもそも起こりそうにはないです。
なんせクライミングジムも淘汰されている時代です。時の人気の上下に乗っかって、その時だけ儲ける、みたいな商売の仕方は、インバウンド大量流入の都会でのみ成立可能です。
すでに過疎化して、人口が出ていく側の地域は、人口がゼロにならない、現在地に踏みとどまっているだけで、成功という意味ですよ。
地域おこしの成功が何か? この数年、大阪の空堀と福岡を行き来して、結局、町が亡くならなければ成功なのだ、と分かりました。
私のいる空堀は、町おこしの先進事例で、町のマップなどが作られてきましたが、結局、濡れ手に粟でウハウハ状態になったのは、2020年ごろの民泊業者だけでした。その民泊業者も、民泊新法以来、鳴りを潜めています。
一方、地方では、林業が再度盛り上がって、フォワーダ導入で伐採だけをバッサバッサやっている人たちはポルシェが買えるくらい儲かっています。
しかし、持続可能な林業だったり、災害防止型の産業だったりするか?というと、疑問ですね…こうした林業が地域に役立つ林業なのか?というと疑問ですし、それは現行の農業も同じです。
というわけで、クライミングと言う活動で、ポルシェが買える成功を手にする時代は、当の昔に終わっているような気がします。そもそも、クライミングで金持ちになるってのは、自己矛盾する価値観のような気がしますしね。
世界クラスでの偉業を成し遂げても、スポンサードされて、クライミングに必要なシューズが無料化するくらいのことしか得られないのではないでしょうか?
その辺は私には図り知れませんが…。
親の世代が夢見たような、世界の最高難度を登って有名になり、その有名になったことを使って、テレビCMでぼろ儲けしたりするってのは、世界のアレックス君でも、そうそうなかったみたいです(笑)。
と以上、8点の反論を上げてみました。