2024/07/19

【近況】アデノウイルスとの闘いつつ、大阪の街を眺める日々

 ■ アデノウイルスと闘いつつ…大阪の街を眺める日々

10年ぶりくらいな感じで、風邪(プール熱)をもらってしまい、楽しい夏山小屋バイトが延期中…です(汗)。

アデノウイルスはしつこい。気管支の病気なので、運動再開が微妙で、じっとしている分には、頭痛や発熱もなく、元気と言えば元気なのですが、治ったかな~と思って外出してみると、ちょっと石段を上がっただけで、ゼーハー言ってしまい、

”こりゃ、山道歩いて小屋までたどり着く前に伸びちゃうよ”

というので、サンダーバードの予約を入れるに入れにくい感じで、固まっています。ほんとは早めに入れると少し安くなるんですが…。

今回は、福岡のプールで、子どもたちから、バイ菌もらったな…実感があります。

しかたないので、大阪に待機していますが…あってよかった大阪の家。これ、この家なかったら、たとえ、一泊1000円でも、もう10泊目くらいですから、1万円。えらいこっちゃ。

■ 私の大阪… 青春の町

私にとって、大阪は、ほろ苦い青春の町、です。18歳で進学で大阪に来たのですが…進学っていうより、どっちかというと、決戦だ!サバイバル!な感じで来たんですよねぇ…。

文字通り、”生活”が懸かっていた…ので、大阪外大で1回生の時は、学業、後回し(笑)。何が何でも稼がねば!って感じで、目が三角に吊り上がっていたと思います(笑)。なんせ種銭の17万円以外は、まったく経済的見通しがなく、学生寮3000円だったから、首がつながったけど… バイト=仕事って、働き始めても最初の1か月は、お給料出ませんよねぇ?なんで、めちゃスレスレライフだったのでした。

入学式で浮かれている、その辺の新入生とおなじにせえへんといて!みたいな感じでした(笑)。

さらに、3年後にアメリカに行く話が降ってわいたのは、ラッキーなのですが、その後、帰国したら、同じことを今度は、種銭5万円で、学生寮無しで繰り返す羽目になった…(汗)ので…。

懐かしの豊津…トイレ共同風呂無しの長屋で楽しく学生生活していましたが…アメリカから、恋人のデイビッドが来たりして一緒に暮らすことになり、さらに彼はスミノフの空き瓶をいっぱい部屋に隠して、救急車で緊急帰国することになったり…と、あれやこれやと破天荒な出来事?目白押しな大阪生活だったのでした。当時、私の長屋は、エスニック風インテリアで、みんなのたまり場みたいになっていました。

たくさんの人が集まる家にしたい、というのが当初の私の願いでした。

豊津の長屋には、ロボット開発室時代も、まだ暮らしていましたが…その後、富士経済に仕事を得て、福島へ転居。その頃、自殺未遂で伸びてしまった妹を大阪に引き取ったら、妹が、私のOL戦闘服を勝手に着たり、戦闘用ハイヒールを勝手に履いて伸ばしてしまったり…てんやわんやの大阪ライフでした。富士経済、今思えば、もっと長く勤めればよかった。レポートを書く仕事なので、私に適していました。Googleは富士経済時代に使い始めました。

学生時代だって、マイナススタートで、自活して大変なのに、卒業と同時に育英奨学金400万円の返済を抱えて、ハンデが付いているOL生活の上、大阪は家賃が高く、こんな高額家賃を払い続けたら、一生大変だ!と思える賃貸マンション家賃だったよなぁ… 長屋の時代は月3万円でよかったのですが。収入と釣り合った家賃は、3万と思えました。

で、中古で購入したのが、今いる空堀の家です。中はやり替えて、とても美しい家に仕上がっています。ので、空堀の、この家にいるだけで、アートな気分になれる…

こんな家なんですよ☆

アートなおうち。

そんな、ほんとのほんとのゼロ…どころか、マイナスから作り上げた、大阪の自宅マンション…

と言っても、転勤流浪中の身で、この美しい家に住む時間がない、っていうのが悩みの種なのですが…。

今はベッドを2台だけ入れて、夫と私が休暇?を過ごせるようにしています。

でも、福岡みたいな都会に暮らしていたら、休暇は田舎に行きたいかも(笑)?

というので、出番がない家、という結論になっているのが、悲しい…。

しかし、この家にいると、良いデザインってホントに価値があるなぁ~と感じます。いるだけで気分が良くなるから、です。

以前は、製造業で働いていて、例えば、ロボット開発室って、美と全く無関係な無機質空間なんで、こういう木の家で心を休めたかったんですよね。

でも、転勤で鍛えられ、不本意な安普請の家に住まわされる間に、どんな住まいでも、それなりに美しくしつらえて、心地よく暮らせるようには、なってきました。成長したなぁ、と思います。

”住まいを与えておいて、それを奪う”っていう神の残酷なる試練? その試練に屈せず、どんな場所でも、たくましく生きよう!って感じですかね?

そういえば、Goodデザインな店というつながり、では、空堀にさつま芋をコンセプトにしたカフェができていました☆ 店舗デザインに同類を感じました☆

https://www.ufu-sweets.jp/cafe/20240430itadaki/

■ 高津の宮さんの夏祭り

高津と書いて、こうづ、と読むのですが、夏祭りがあったので、二日とも出かけてきました。

金魚すくい

                   浴衣の少女たち

4歳~6歳くらいの、小さな子供たちが、みな、じんべえさんや浴衣を着せてもらって、可愛く髪をゆってもらい、大人にだっこされたり、手を引かれて、夜店でお菓子を買ってもらったり、金魚すくいやら、命中ゲームやらをさせてもらっていました。大きいお姉ちゃんやお兄ちゃんたちは、友達同士で浴衣着たりして来ていました…

ほほえましい景色… 私自身は、こういう”普通の幸福”をあんまり、味わうことなく大人になったなぁと思って、大阪に来て、改めて、夏祭りって大事だよなぁみたいな感想を持っています。小さい頃って行事が大事ですよね。それは、人間の人生80年の中、子供時代を大事にする、いとおしく扱う、ということなんだよなぁ…と、改めて実感したりしています。人間性の土台ができるのが、子供時代なんですよね。

私は、子どものころ、こういう夜市に限らず、お出かけ自体が、とっても苦手でした…。特に夏。暑くて、騒々しくて、神経に触り、食べ物もおいしくないし、いったいこんなの、何が楽しいの!と思っている子供でした(笑)。というのは、アトピーがあるから、汗をかくと、すぐあせもになって、悪化。混雑で着物もはだけるし、人込みは、できるだけ避けたいと思っている子供でした。たぶん、自分の体のお世話をうまく焼いてもらっていなかったんですね。

そもそも皮膚感覚的に不快だから、大人が遊園地やら、海やら、連れて行ってあげるよーと言っても、ちっとも楽しくないわけですよね。ひたすら不快を避けて家にいたい、という子供時代でした…。

さて、今回、大阪の夏祭りで、テキ屋さんたちは頑張っていましたが、これは小さい子供たちに大人が奉仕する日、だったんだなぁ…と思いました。この不況下で、てきや稼業が基本的に厳しい中、どこかから湧いてきた、怪しげな人たちは、人生の苦悩を顔のしわに刻み、儲かんねー!って顔をしていましたが、それでも、大人の義務、楽しいテキや稼業、頑張っている!と思いました。

私は、ひやしパイナップル200円と牛カルビ600円を購入して貢献しました。通りがかりに、若い人が、「これが今日の夕ご飯…(汗)」と言っていて、”そうだよなぁ…若いころ、私も、夜市に800円歳出するのはつらかったよなぁ…”と思ったりしました。

神社の境内では、町内会の催しみたいな感じで、和太鼓や獅子舞の上演があり、獅子舞が子供にかじりついて、それなりに楽しそうでしたが、その二つ以外は、おじさんが一人壇上で、カラオケを熱唱する…って感じで、それを白けた顔で世間話でもしながら、聞いている高齢者ばかりになり、町内会らしいというか… ここは、大阪の大都会の真ん中ですが、渡る世間ってこんなもんですよねぇ…。たとえ、田舎でも。

お囃子が、踊りがなんか気持ち悪い踊りで、あまり振り付けもないような感じだったので、…もうちょっと盛り上がる、踊りだったらいいのになぁと思ったりしました。

小さな子供がとても可愛かったです。社会の中で、大事にしていきたいもの、No1は子供ではないですかね?

■ MyPeople…いったい誰のために生きたいか?

人々を見ていて、

 こういうのが私の国の人々で、私はこういう国の人々の力になりたいと思う人なんだなぁ、

と思ったりしました。

というのは、地下鉄で、我が物顔の外国人などを見ていると、とてもこの人たちに何かしてあげたいとは思えないというか… 日本人にありえないサイズの巨漢のアジア人女性で刺青だらけの人とか、なんかきもーい!と思ってしまいます…。

海外にも行くたびに、同じような感想を感じます。こんな最悪マナーの、図々しい人たちのために働きたいと思えない!!という感じというか…。そういえば、富士経済時代も市場調査で行ったタイやベトナムでそう思っていたんでした…。

経済的に繁栄して、豊かになり、その先にあるものが、ただの消費や浪費だったりするのが、欧米諸国の幸福って感じ…です。

何十年の労働の結果が、タダの贅沢って…虚しいと思うのは私だけ?プライベートジェット買って、環境汚染する以外、何するんだろうなぁ。

価値ってなんだろ?

ずっと昔に思ったのですが、海外留学でも、エージェントにお仕着せでやると何にも勉強にならないですが、手作りで自分でやると、イチイチ勉強になって世の中が分かって楽しいです。お金があるから、人生がつまらなくなる、というほうが正しいのです。

■ 人と人との心のふれあいが大事

日本では、繁栄とは、幸福をもたらすもので、幸福とは家族が幸せに暮らす、ということなのではないでしょうか? みなが小さな幸せをひとつずつ、みたいな。

風邪で寝ている間、トランプが銃撃されて、結局ほぼトラ路線が固まったりしましたが、暗殺未遂で射殺された若い男性って、いったい何のためにこの世に生まれてきたんだろうなぁ…と思ったりしました。トランプ再選確実を後押しする結果にしかならないで、犬死したわけですが…彼の両親は何のために彼を育てたんだろうか?

結局、アメリカが目指したアメリカンドリームって、なんなんだろうな? 大統領になる?なったってねぇ…。みたいな白けた気持ちになるばかりで、何か尊い価値観をアメリカが体現しているとは考えられなくなりました…。

アメリカ史の学徒としては、民主主義と自由と平等を体現しているのがアメリカだということで、封建的な出る杭は打たれる式の社会の日本で、とても生きづらかった私は、アメリカにいるってだけで、おおー!って昔はやる気になったものでしたが…。今のアメリカの零落具合を見ると…、これが、理想主義のなれの果てかぁ~みたいな気分です。

■ 気分を変えて…

暇な時間に見ている高橋洋一チャネルですが… 

https://youtu.be/WLtzofDDUgg?si=p5VPPht7ObgFNQdP

日本の失われた30年を作った小泉改革が日本の元気のなさの原因かなぁと自己分析していましたが…あれがあってもなくても、日本は、ダメダメ路線を自己修正はできなかったのかもしれん…と考えを変え始めました。

私の高校は、100%進学で、早稲田だの慶応だの、エリート路線に突っ走るクラスメートばかりみたいな学校を出ましたが…当時から日本と言うシステムの破綻は高校生の目にも明らかで、東大東大!と血道を上げる人はおらず、白けムードでしたし、外大にも外務省のリクルーターが来て外務省の様子を先輩が聞かせてくれるなどの計らいがありましたが、官僚システムは、学生に人気がなく、三井物産みたいな商社か、製造業がやっぱりエース、日本の産業を支える仕事だ、として、人気がありましたが…製造業は日本は米国との経済戦争真っただ中で、私がまだ学生の間に、半導体産業などは、コテンパンにやられました…。日本は一人勝ちしすぎて、製造業の成功のために、農業やら、思いやり予算やら、いろいろなものを差し出したのですが… いびつな形はそのまま、持ち越されて、日本社会の歪み、みたいなものは、何十年も放置されてきたなぁと思います。

商社も商社で日本経済を引っ張っている重責を担っているようには、思えず…動く額が大きいので、レバレッジ効いているので、あの仕事は大して何もしなくても、みたいなところはあります。あちらでも、ほんの少数の優秀な人が大勢を食わせていたような気はします。

結局、優秀な人は官僚にはならなかったけど、だからと言って社会の役に立てるような地位にもいきつけなかったのではないかと思ったりします。

例えば、私が商社に残っていたとして何らかの役割が担えたか?とか、開発部に残っていて、日本の製造業の力の歯車の一つに慣れたか?とか、いろいろ想像してみましたが、なんか日本には、目指すべき社会がなくなってしまったのではないか?というような気がします…

結局、我々は誰も漕ぐ人がいない巨大なタンカーにただ乗っているだけで、惰性で運行しているだけ…みたいな感じなのかなぁ…。

そんなことを考えつつ… 大阪の暑い夏をゴホゴホやりつつ、やり過ごしています。

はやく元気になって、山に旅立ちたい!