2024/07/01

【クライミング心理学】ちゃっかりする=盗みだった(汗)


開拓者になればオンサイトはない
もちゃっかり栄誉が得れる一例か?


ずっと日本の登山界を説明するのに、ちゃっかり、がキーワードだと思っていました。



今日は動画視聴で、ちゃっかりというのは、盗みなのだ、ということが分かりました。

■ ナルシストのちゃっかりを引き付ける登山界の実力主義の不透明さ

この動画を見て分かりました。

https://www.youtube.com/watch?v=zNj5hSgFnG0

 ”ちゃっかり” = 盗み
Stealing
is the act to obtain something without earning, unjustly, unfairly.
Killing, is to kill your personality. Devalue you. you have no voice. so you can not take it back.


盗みとは?
不正に、不当に、稼がずに何かを手に入れる行為である。


■ 現実的な努力を伴わずに賞賛を得ることができるチャンスと登山が見なされている


特に高所遠足になってしまったエベレストですね。700万円払えれば、誰でも山頂に立てるものになってしまった…。


参考: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/053100315/


すごい行列になってしまい、行列にいること自体が滞在時間の長さになって、長いことで、死が近くなるという悪循環にあるようです。


■ 一般登山では、難易度でグレーディングされており、その難易度に向けて皆が競争しています


特に、競争好きな、団塊世代…。


ロッククライミングでは、5.12など、数値が付けられ、競争が分かりやすいので、さらに競争マインドが強く、みんな、数字の追っかけに魅せられてしまい、山のほうの難易度を上げることはお留守になっていますね…


本当に好きなのは、山ではなくて、競争のほうなんだろうな。特に、勝ちやすい土俵だな、と感じた人が多そうです。


登山もクライミングも、モノサシが一般の人に分かりづらいので、


 自分はすごいです!


と自己申告すれば、そうなんですね、と受け入れられやすい土壌になっていると思われます。


■ 栗城さんのように、すごくない人もすごい扱いを修正されない


世間の無理解が深刻なので、本当にはすごくない実力アッピールも、評価する側がそうと分からず、すごくなくてもすごいってことになってしまうという世間の流れがあります。


みんなそういうので、成果を競っていますよね。


なので、クライミングの歴史できちんとした成果を歴史に刻み続けようと思ったら、ある程度トップに立ったクライマーが、きちんと、栗城さんなら栗城さんを評価し、声明を出すと彼の死は防げたのかもしれません。


まぁ言っても聞かないでしょうが。なんせ、ナルシストは、失敗した山でも、あそこまでぎりぎりに迫っても死ななかったという逆の解釈をしてしまい、失敗の要因について、反省して次回はつぶしてくる、ってことはないのです。


そんなことしていたら、人生終わってしまうほど、長い長い努力が必要になる、と分かってしまいますし…。


例えば、私なら、私が一年発起したところで、一生、5.14RXを登るようになるか?絶対にならないですよね。なりたいとも全く思いませんが…。


男性クライマーでナルシスト型の人は、ここがちょっと違い、俺だって…と思っている時間が長いです。


まぁ頑張ることは副次的に健康に良いと思うので、50代でも、60代でも、5.14を目指してがんばれはいいし、実際、60代の5.13クライマーはいますが…。


逆に体が軽くなって登りやすいみたいな現象も起きます。


しかし、それだけで、達成→賞賛、だけで、終わることは、人としての人格形成の発達段階の、学童期みたいなところで終わったって意味です。


親から、「よく頑張ったね~」「できたね」と言ってもらいたいというエネルギーを大人で持ち越しているって意味だからです。


■ 承認欲求の山


日本では、夏山の富士山が煩悩の山。槍もそうですね。あとは、ジャンダルム、でしょうか?


結局、日本の登山者人口の9割以上は、
 
 人的成熟的に小学生の段階の人たち


ってことになってしまいます。そういうインチャを満たすためにやっているってことですね。


もしかしたら、お前は、ダメだ、ダメだという脳内の親の声があるのかもしれません。


劔は、富山の人にとっては、赤岳が山梨の人にとって日帰りの山であったり、北岳が日帰りの山であるように、日帰りの山のようです。


結局、日本の山って、縦走しない限りは、体力的にはそうすごいのはない、ということだと思います。


もちろん、富士山だって、0合目から歩く、というように…つまり海水の標高ゼロから歩くということですが、難易度はいくらでもあげられるのですが、誰もそんなことしませんよね。


■ 山には一番長い尾根を登ってご挨拶する、と言った師匠


私は初期に、師匠から、山に登るときは、一番長い尾根からご挨拶するもんだ、という風に教わりました。


なので、金峰山を大弛峠から登るとか、すごく軽蔑して、そうした登り方を受け入れることができるようになるまで時間がかかりました。


しかし、ガイディングする側になると、相手の体力を考慮してコースを選ぶ必要があるので、初心者を山に連れていくときは、体力度が、相手の体力を超えないように工夫します。


そうすると、自分の日常でも、


・2-3時間空いたってときは、短縮コース
・丸一日使えるなら?ロングコース


などと、山に接する回数にバリエーションが付けられるようになりました。より山に多面的にかかわれるようになった。


・自転車で山に登れば、同じ簡単ルートでも大変ですし…
・ランにすれば簡単な山でも、軽量化を追求できる…


すべて、そう、すごくはない日本の山を楽しむ工夫、です。


・ベアフットにすれば、超簡単ゲレンデも難しい


ですし… なんなら


・ザック付きで登って見たら、易しいルートでも大変


です。


■ ”ちゃっかり名誉”より、”楽しみ方をたくさん持つ”


人間の創造性の方角として、


 ちゃっかり賞賛ゲット


っていうのは、さもしい…。


そんなことせず、楽しみ方をたくさん持つ…ほうが豊かな生き方ではないですかね?


そういう豊かさを提案できる人であるというのは、素敵なことですね。