2024/07/02

【クライミング心理学】軒先貸して母屋取られないクライマーになる


5 Ways a Super Empath Destroys a Narcissist

1”. A Super empath destroys a Narcissists sense of entitlement

・質問を使う。
「被害者の権利は踏みにじられていいのですか?」
「この状況で、もっともかわいそうなのは誰ですか?」

2.A Super empath sees through a Narcissists mind games

 ・被害者のフリに騙されない
 ・”シンパシーバンパイア”という言葉を知る
 ・ナルシストの常套手段について知る
 
3. A Super empath destroys a Narcissist ego
 ・ナルシストには、賞賛やバリデーションが必要だが、それを与えない
 
4. A Super empath does not take anything a Narcissist says seriously
 ・Blame sifting =責任転嫁に騙されない

5. Super empaths fight a Narcissist real hard
 ・相手の行動が予想できるので良く戦える

 ■ 期待に応える人生はしんどい

倉上慶大さんの業績と死を考えていて、期待に応える人生は、大変だということを改めて考えていました。

クライミングで、クライミング史上誰にも成し遂げられなかったことをしたのに、それでも、不満で、もっと!もっと!とクライミング界が彼に求めたことが、彼の死の遠い原因だったんではないかと思います。

こちらにロビン・ウィリアムズの死について述べている心理分析があります。

https://youtu.be/uARqjJb1tc4?si=epofyX5caT2_QhkJ

私は梯谷先生の、”息子、やったな”論を支持しているというか、直接の原因は病死でも、わざわざ心停止を招くような、富士山をやっての死なので、自分自身で期待された死だったのではないかと思います。

■ 期待に応える=エンパス 期待が理解できる人&能力がそもそも高い人

私はもともと、エンパスであるために、6歳で、母が困っているということが分かりました。(普通の子は14歳でも分からない)

エンパスであるために、本で読む内容がすごく理解できたのだと思います。エンパス能力は共感力であり、本に書かれたことを共感する力=理解力なのです。

そして、親の期待は、大体は子供の幸福を願ってのことなので、私は相手の期待を

 善意だと勘違いする癖

があります。これは、気が付いたので改めて行こうと思います。

善意ではなく、悪意のことがあります。

■ 例) 相手の期待をすぐ善意の期待に勘違いする癖 

例えば、白亜スラブの時は、

あ、私が一人で龍洞に行くと言っているから、応援で、クラックを登らせてくれようとしているんだな…

と相手の意図を善意に勘違いしてしまい…

実際は、殺されそうになった…(><)

なので、私の解釈がかなり歪んでいる、という問題があります。

おそらく一般の人は、同じ人が同じように言っても、ひっかからないのではないかと思います。

原因としては、私が、愛情にあふれた、良い生い立ちで、周りがいい人ばかりだったということなのかもしれませんが…。愛されて育ったということです。

逆に感謝体質だったのが良くないのかもしれません。

子どもには与えられて当然の愛にも、感謝してきたということです。

相手の意図が、全部、善意に見える、っていうのは、どういう病なのでしょうね?

■ 父にも愛されたという前提で生きたかった

あ、分かった。私は愛されて生まれてきた、と思いたかったのですね…。

実際は、父に、2歳でプールに突き落とされ、子供として、”父親への信頼と愛を裏切られた”のですが…、それを実感するのは、後回しと言うか…父は実際のところ、いないほうがよかったような父だったのです。なので、子供時代の本音は、あんな父ならいらない、でした。

父親に愛されなかったという事実はつらすぎるので、受け入れたくなかったがために、

 あれは、私のためを思ってやったのだ

と思いたかったんですね…。しかし、完全にナルシズムの勝利でした。

子ども相手だから、勝って当然ですね。

逆に私が大人になってからは、私を打ち負かすことはできない、という証明に、青ちゃんとの関係がなってしまったかもしれません。父へ報復する代わりに、青ちゃんにしてしまったかもですねぇ…

■ エンドレスに求めてくる人=共感吸血鬼=シンパシーバンパイア

母に始まり、子供時代の弟、妹、祖母、そして元クライミング・パートナーに至るまで、彼らは、私がいくら与えても、もっともっとと求め続ける......。そんな感じでした。

ありがとう、はなし…。

クライミングでは、一人一個しかない私の命を奪われそうになった。

それでもありがとうはなく、最後は暴言を吐かれました。全く感謝がないし、反省もゼロだったみたいだった。彼らがナルシストかどうかの試験は、例えば、貸したものを返さない、ロクスノを返さないとか、そういうことでも分かります。

あとは、犯罪への抑止力が超弱いです。残置のカラビナ、ねえねぇ一緒に山分けしようよ、って感じです。逆に、貢献への意欲は低く、JFAの井上さんが訪ねてきてくれた時は、一緒に会おうと誘いましたが、嫌がってきませんでした。ので、せっかく良い仲間が出来たかもしれない可能性の芽が摘まれました。逆にいえば、私の善のエネルギーより、彼の悪のエネルギーが勝っていたから、彼は組みたかったのです。

私の命は、彼のエゴより重要ではなかった。彼にとって、クライミング・パートナーの命は、ナルシストの人にとっては、ものすごく軽い。自分がかっこつけるために、相手の命は軽んじてよいと言語化して思っているわけではないだろうが、行動の結果は、そう示しています。

エンパスがナルシストに主導権を渡しているフリをするのは、めんどくさいからです。うまくこちらが従うふりをして御したほうが、正面から対決するより楽、と思ってしまうのです。

たとえば、なぜ、実際にマルチピッチに行く前に、ロープの計画を立てないといけないのか?なぜロープは2本なのか、説明する手間が…始めると一から十まで説明してやらないといけなくなります。

相手はそうしたことをマスターしてからクライミングに来るのがマナーだ、とは考えておらず、来ましたー、俺、どうですかーでOKだと思っているのです。

特にクライミング界自体が、「クライミングは自己責任」という標語で、無知で無学の上でパートナーを殺してしまう側の権利を擁護して、不当に殺されてしまった側に、自己防衛できなかったのは、「自己責任だから仕方ない」を押し付けている。

ある意味、それこそが、ナルシストにとってクライミングが魅力的である理由なのです。

かれらから見れば、チャンス!と映ります。自己責任って「人にせいにしていいって意味ですよね」としか聞こえないのです。

死んでしまうほどのことがあるのだから、きちんと勉強してから挑め、という意味には聞こえていません。

その上、業界的な文化的後進性が彼らの態度を後押しし、正当性を与えています。

これは、彼のナルシズムが山梨では抑えられ、九州で炸裂したことで伺えます。

要するに元から赤でしたが、朱に混じれば赤くなるの、赤が、濃くなるってことです。悪い人でも、良い環境にいれば、悪さはできないですが、悪い環境にいれば、やっていいんだーと抑制が外れるって意味です。

■ 自分への課題

日本のクライミングコミュニティで、私がクライミングを続けるためには、白亜スラブのようなことが、私に二度と起こらないように、予防し、防御しなければならない。

■ ナルシストから身を守る

倉上さんは、秀でることで、世間から自分を守ろうとしたのではないか?というのが私の読みであり、それは、私自身の戦略が、初期にそうだったからです。

強くなりたい… 母を守れるほど…

強くなりたい… 家族を守れるほど…

それが私の子供時代の強い願いだったので、神は私に試練をもたらしたが…

試練から帰ってみると、強さとは、孤独のことであり、弱者であると主張する人たちからエンドレスに搾取され続ける人だということが分かった。

その上、大人になれば各自自分を守れるのです。守ってもらわなくても。

■ もっともっとの名誉搾取

もっと成果を、もっと名誉を、もっとメダルを、の”もっともっと”は、スポーツ界に顕著に言える。ぼろぼろになって、引退するまで、搾取され、続ける選手たち。結局、もうかっているのは、企業であるスポンサー。アスリートは使い捨て、です。

クライミング界においては、クライマーは、集客力がないのが、そこそも幸いしているのではないだろうか?エンドレスな搾取は、まだ聞いていない。

スポンサーは、金をくれてやっていると思っていると思う。

しかし、お金をもらう側は、魂まで売り渡していないか、気を付けなくてはなりません。

優れた選手になれば、スポンサーがついて、クライミング三昧できると思うだろうが、そのお金はひも付きであり、人であることを超えるほどの挑戦をしても、さらなる挑戦を追いかけることが前提の金だ。無理です…は、許されない。

そんな苦しい立場に自分を追い込みたいです? 戦略的に脆弱性があることは、予見できますよね?

■ 14歳の時 ライオンズクラブの奨学金を断りました

私は、上記と同じ理由で、14歳の時、月3万円のライオンズクラブの奨学金を断ったことがあります。

魂を売り渡すのはいやだったんですよね…

それで相当貧しい生活を潜り抜けることになりましたが…今でもよかったと思っています。

クライマーも同じで、

スポンサードされて羨ましいなぁ

ではなく、自分の足で立って、そしてクライミングしていくということのほうが、よほど立派ではないでしょうかね?

人生はだれのものか?あなたのものですよね?スポンサー企業のものではなく…

その独立を守るカギは、お金。だから、伝統的にクライマーは超ビンボーを受け入れて、クライミングしてきたのでしょう…。

その伝統に立ち返ったほうが強い。山野井さんは、人にお金をつけてもらわないクライマーで有名です。