■ 九州ではごっちゃ
九州では、アルパインクライミングの価値観…このくらいの登攀困難度ならロープいらないから、一本も中間支点取らない、とかで支点の数が決まっているフリークライミングのルートの作られ方で、ひえ~ヤダなぁと思ったのですが、それ以外にも、
フリークライミング に アルパインの思想や倫理を持ち込む弊害
が出ている事例が、トップクライマーから警鈴がならされているので、紹介します。
■ ルール作りとトポの整備が大事
ここにも書いてありますが、ルールをきっちり作り、それを周知できる仕組み作り、が必要です。
九州では雪は大して降らないので、一体どこで、雪になれる気なんだろう?という感じです。こちらの若い人の会を見ていても、GWに七倉沢で、雪上訓練を受ける(滑落停止)とか、雪崩講習会を受ける、とか、12月の第2週の富士山5合目でアイゼントレして、ついでに宿泊もして寒気に慣れる、とかしないで、唐突感ありありで、冬山合宿計画が立てられており、それで塩見とか言われても行く気になれないです…。
一般登山者レベルの人(つまり、雪のトレーニングゼロで、ピッケルも持っているだけの飾りで滑落しても使い方を知らないレベル)なら、11月最終週の燕岳とか、正月の鳳凰三山で小屋止まりとか、テント泊とかは、行けますから、何も訓練しないのであれば、そういうのに行っておけばいいのではないか?と思います。
九州では、天候判断もいらない山しかない。ので、天候判断の習慣が身についていません。ので、上記のような優しい冬山では、天候とか、雪上生活を、小屋があるという安全ネット付きで学ぶということです。何にも冬用の訓練しないのでしたら、その程度しか行けないですよね…。
まぁ、安全ネットがあるので、別に個人でも行けるって意味ですが。でも、九州で仲間とつるむ意味は、交通費割り勘、にあるのでいいのではないですかね?
■ アイゼントレをフリーのルートでしてはいけない
さて、アイゼントレですが、本州では、やっていいところと悪いところが、はっきりしています。
誰でも分かることですが、フリーのルートでやる人はいません。やってはいけません。
しかし、九州ではその辺はあいまいなのかもしれません。九州の登山界はどうなっているのか不明ですが、九州から本州に来た人の様子を個人的経験から想像すると、フリークライミング歴5年とか言っても入会したのに、何も教わっていなかった人が思い浮かびます。フリークライミング歴5年という話だったのに、行ったことがあるルートは比叡でのセカンドだけだった。なんか比叡ってフリーですかね?って気もしますよね。その人は全部Aゼロで、本州のフリーのルートを不思議とも思わずに登っていました。(当然ですが、その人より私の方が最初から登攀力では上でした)
なにせ、九州に限らず、
フリーのルートを開拓している=エイドの技術がある=元アルパインのエイドクライマー
という図式になっており、イマイチ、フリークライミングらしいルートづくりという意味では、世界的に後塵を期しているようですし、なんだか、昔の人の自信たっぷりぶりが強すぎて、現代の若い人は、リードエリアから追い出されてしまい、九州では、ボルダー以外出来ないように追いやられてしまっているような気がします。
安全面からも、若い人がリードに進もうにも、ボルト40年物か、新品でも使ってはいけないカットアンカーとかで、外岩で安心して登れるという環境にない。
そうなると、人工壁しか登れないですし。そうなると、スポートクライミングの事しか分かるようにならない…という悪循環が働いて、結果的には、リードエリアでの事故多発、となっているような気がします。
なにもかも、アルパインクライミングとフリークライミングがきちんと区別されていないために起こっていることです。ついでに、スポーツクライミングとフリークライミングも、九州では、峻別されていません。
■ そもそもフリークライミングの教科書がない
アルパインクライミングには、UIAAの出している『総合登山技術ハンドブック』が出ています。
内容はペツルが出していた取説を充実させたようなものです。ペツルが紙での提供を辞めたので、新人に渡すガイドブックが無くて困っている状態が数年続いていましたが、これが出たので解消したものの、市販されておらず、一般の登山者の手に取りやすいか?というと、これもまた流通上の問題があります。
ちなみに、韓国の登山用品店では、誰でも買えるように普通に登山ショップに置いていました。
これと同等のフリークライミングの倫理観や歴史的流れ、経緯について書かれたものはほとんどありません。
結果、『岩と雪』同時代人しか、事情が分からないということになっています。
■ アルパインの岩場
私がアイゼントレに使っていたのは、関東だと、越沢、三つ峠、西湖の岩場の右の岩塔です。
あきらかにフリーのレベルのルートでアイゼンで登る人がいるとは思えません。
■ ドラツー仲間はトップクライマー揃いです
ドライツーリングで登れる人は、小山田さんが危惧するような初心者であることは、ほとんどなく、トップクラス中のトップクラスですので、フリーのルートをアイゼンで登るという言ことはないだろうと思います。
なにせ、国内有数のトップクライマーしか、現在ドラツーで外で登るスキルはありませんから(笑)。
彼らが登って記録を作っているのは、ワールドカップ参加のついで、です。
■ クライミングの良心的グループに入ろうとしない人たちがいる
ただ、私が不安に思うのは、こういうトップクラスの倫理観がしっかり確立した人たちに接する機会があっても、入らない人たちがいるということです。
事例
・ギリギリボーイズの方と宴会する機会があり、知り合いの若い男子には全部声をかけたが誰も来なかった
・ダウラギリに登った人と宴会する機会があり、同様に誰も来なかった
・井上D介さんと知り合いになる機会があり、男子に声をかけたが誰も来たがらなかった
・トップクライマーの故・吉田和正さんをビレイする機会があり、知り合いに声をかけたが、俺なんて、という返事で来ない
・海外遡行同人に参加する機会があったが、声をかけても誰も来なかった。
・天野和明さんの主催する読図講習会に呼んでも誰も来なかった
・日之影町に移住するほど、日之影命の初心者ボルダラーに小山田さんが日之影の話題をFBにあげているからフォローしたら?と教えたら、「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」という返事がきて、おったまげた…。
・奥村さんのビレイ講習会が格安で開催されるので、知り合い前部に声をかけたが誰も来なかった
・横山ジャンボさんと倉上慶太さんの講演会、九州で知っている顔はゼロ人だった
どうも男性クライマーは、
「俺なんて」という心と、「俺だって」の心で揺れ動いており、
きちんとした技術情報や、クライミングのベータ(周辺情報)が来たとしても、それを受け取らない方向に心が閉じているようなんですよね…。
なにかやましいところでもあるのでしょうか…?そこらへんは、私は女性なので、理解が難しく、どういう心理なのか分かりません。私は、ホイホイ、山の先輩のありがたい話が聞ける会には顔を出すので。 海外遡行同人にすら臆せず出ていました。
それで、結局、機会があっても、
正しいクライミングの知識を得る機会をスルーする結果
になるのです。一般男子クライマーは。なんせ、あの奥村さんの講習会に誘っても来ません(汗)。理由は、”俺、もうできるから…”とか、です。
でも、その判断は、主観ですよね?主観とは自分に都合の良いものです。
実際は、もう出来る、というのは本人の判断で、客観的判断とは異なることが多いです。
■ 同等慢は、正しい知識があれば、治る
このような「俺なんて」=卑下慢、「俺だって」=高慢、の害というのは、正しく自分を評価できる客観的な視点があれば、克服できるのではないか?と思います。
ところが、これが現代では難しいのです。
一般に、5.12が今の時代は一応の男性クライマーのプライドが満足できるレベル…俺は普通と同等の能力がある、と感じられるレベルのようですが、普通と感じられることを、同等慢、と言います。
同等慢は、子供のころによく親が使います。
「〇〇ちゃんにやれたんだから、あなたにもできます」
です。これは、真実ではありません。特にクライミングでは、真実ではなく、トップクライマーになるには、基本的に要件があります。
1)一般的にどんな物事でも、一流になるには、一万時間の練習時間が必要だと言われています。
2)また、一般的に、8歳~18歳がゴールデンエイジと言われ、その頃に習得したことは、オンリーワン化することができると言われています。
3)また、クライミングは一般の人では、知識的にも、安全教育的にも、大衆化が発展途上であるため、知識の面でも、親がもともとトップクライマーレベルで、知識伝達ができる必要があります。
歴史的に見ても、芸事と言われることは、みな世襲制で幼少期から特訓しているでしょう。
このような事例が、室井登喜男さんにも、奥村さんの息子さんにも、樋口先生の息子さんにも、中嶋岳志さんの息子さんたちの事例にも言えます。つまり、知識や環境という面は親子の世襲制で現在のところカバーされています。山岳会の代わりです。
一般の人で言えば、それをカバーするのは、山岳会でしたが、それは現在機能していません。
その次の選択肢と言えば、師弟制度ですが、それは師匠の側が弟子を選ぶので、選ばれる弟子でない限り、師匠が現れるということはあまり期待できません。
唯一、クライミングのそのもののスキルは、他者との比較で測ることができますが、アルパインの人は、スポーツのコンペに出たがりません。アイスではコンペが盛んで、ある程度、自分の実力を客観的に見ることができます。
私は岩根アイスカップには一度しか出たことがありませんが、師匠クラスが非常に登れる、と判断する登攀能力が、現代のレベルでは、非常に初歩の登攀力に過ぎないことを知りました。ちなみに私のアイスは、そこらのアルパイン男子より上です。九州で一緒に登っていた先輩、5.12RPの方…より、上だという師匠の判断です。
同じことが、普通のフリークライミングにも言え、5.12=俺は普通だ(同等慢)と思っても、その中身は、5.12がレッドポイントレベルなのか?オンサイトレベルなのか?はたまたフリーソロレベルなのか?で、スキルの中身は全く違います。
現代のアルパインクライマーですら、フリークライミングや人工壁により、レベル向上の恩恵を受けて、5.12がレッドポイント出来るレベルではなく、フリーソロができるレベルに至っています。
しかし、40年前の価値観で自分を測ると、5.12レッドポイントのレベルで、よし!お前がリーダーだ!と言われてしまいます。なんせ、現代でアルパインクライミングを志向してやってくる若者…山岳会の新人像、というのは、このような岩場でロープを出してやらないといけないレベル…非常に低レベルという意味です。
私の会に来た新人男性(30代)がどのような登攀能力だったかを端的に示す写真。ここでロープがいるような登攀レベルの人が、昨今は主流です。
そりゃ、こんなレベルの人が来たら、私ですらリーダーレベルですよね…。ちなみに私はフリーの外岩は、5.11までしか登れません。
■ 古い基準で自分を測ると間違う
このように、現代は、アルパインクライミングが廃れて悲しい、とは言われますが、アルパインの方向性を向いても、きちんとしたレベルが判定できるわけではありませんし、逆にスポーツの方を見たら、とんでもなくレベルが高騰しており、5.11がジムに来たその日に登れるという人は珍しくはありません。5.13が一週間で登れた人にも、師匠はあったことがあるそうでした。
このように、底辺は、一般のハイカーレベルの登攀能力、アルパインの4級でもロープを出さないといけないレベルから、トップは5.12はフリーソロ出来たり、5.15が数便で登れたりするピンのレベルまで、非常に幅広く、その内容は、他のリスクによっても条件付けが異なり、統一のグレードで測ること自体が無意味なことになってしまっています。
そのグレードの前提になっている条件を検討することなしに、端的にグレードだけでクライマー同士がコミュニケーションをとることは不可能ということです。
それにも関わらず、グレードにとって変わる、能力を知る目安、というものがないので、現在でも、グレードによって相手を推し量る以外ないかもしれません。
■ フリーではチッピングは侮蔑ですよ
翻ってアイゼントレですが、アイゼンで岩を登る=岩を壊す、という行為は、
フリークライミングの人にとっては、単なる破壊行為以上の、侮蔑に当たる行為
です。
■ フリーのクライマーもフリークライミングの価値観を表現できていない
フリークライミングの価値観というのは、どのようなクライマーの書いたものを読んでも、的確に語られている様子はありません。
最近、ニンジャ5.14を登った若い現代アンバサダーの記録を拝読しましたが、
僕、頑張った、
以外の価値観には触れられておらず、ニンジャがどのような歴史的経緯があり、どのように初登者と岩を介して、コミュニケーションをしたのか?というようなことは一切わかりませんでした。結局、ニンジャがステファン・グロバッツの初登だ、ということにすら、触れられていませんでしたね…
なので、頑張っただけの価値しか表現できないのならば、それは、一般クライマーが頑張った価値となんら変わらず、です。
故・吉田和正さんは、執着心で頑張ることの価値を世の中に示した最初の日本人フリークライマーではないか? と思いますが、それから時代はすでにだいぶ経過しています。
フリークライミングの分野でも、新たな価値観へのステップアップが、滞っているという、閉塞感がありますが、現在、それを打破しているのは、コンペクライマーが技術を外岩に持ち込んで、困難度を高度化しているだけのものです。したがって、当代の一流クライミングというのは、一般クライマーには手が届かないところにあります。
未知→ 困難度 → ???
と 次の価値観がまだ表れていないということです。
結果、いまだに
なんだ、頑張ることが価値なのか?と一般クライマーが誤解
してしまえば、100回トライしたほうが、10回のトライで登れる人より上ということにもなってしまいかねません。当然ですが、同じルートなら、10回で登れる人のほうが強いですよね?
もちろん、頑張ることは価値ですが、みんなもう頑張っていますので…(笑)。他者と比べて自慢になる話ではありません。
■ 自己満足は、一般クライマーの特権
ま、”山は自己満足” と伝統的に言われますから、登山史の形成と関係のない一般クライマーは、そのような物差しではなく、自分の中の前年比、でがんばればいいのです。
しかし、男性クライマーは、そうもいかないのか、もしくは、古いクライマーにお前は登れると言われて勘違いしてしまったのか、で、歴史に名を刻みたい!という気持を捨てられない人もいるようですから、その場合は、
出した記録が、現代的基準で見て、本当に登攀史的価値があるかどうか?
は、客観的に判断できる能力がないと、
長所を自慢しているつもりで欠点を披露している
ということにもなりかねません。
最後、少し違う話になってしまいましたが、アルパインをやる人は、くれぐれも、フリーのルートでアイゼントレなど、なさらないよう。
それをやるくらいなら、ベアフットクライミングにでもトライしたらよろしいでしょう。