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2019/06/13

祝!初国際交流クライミング♪ ステファン×日向神×姫ほたる

■ ステファン

ドイツから環境関係の行政機関にお勤めのステファンが来ました。ヒッチハイカーだそうです。

10日から4日間も泊まりたいという依頼でしたが、初めての人は2日以上泊めないことにしています。というのは、こちらが大変ストレスになるようなタイプの人もいるからです。蓋を開けてみないと分からないのです。

基本的に無料の仕組みなので、ただの寄生虫となってしまうことがも多いのです(笑)。

できること以上をしないという練習のためにやっています。

■ 福岡は雨、日向神は晴れ

なかなかスリリングな1日でした。

クライミングの日なのに、福岡は雨…と思いきや、日向神は乾いているとパートナーから連絡があり、急遽、出発。たしかに三瀬を超えたら、乾いていました。

10時スタートで12時までクライミング。目的は、国際交流と、あとお一人、森さんという方をクライミングにご招待(本人は当惑していましたが…やってみないと何が核心か分からないので)、が目的です。

私は、なんとか5.10Aオンサイト。いや~見た目より、苦労しました。松井さんがビレイヤーじゃないと、テンションして回収になったこと、確実。

ステファンに5.7をトップロープで登ってもらいました。その他、体験クライミング。5.7は、落ちないので、別にビレイヤーは誰でもいいのですが、だからと言って、初心者を受け入れることはしないと心に決めています。自分を大事にする活動の一環。

ので、松井さんに来てもらいました。ちょっと無理してもらった。



■ 八女

日向神は、八女にあるのですが、八女は日本の最高級玉露の産地です。

それでお茶屋さんに2件立ち寄りましたが、さすがにステファンは無関心でした(笑)。

とはいえ、うなぎの寝床さんに前回立ち寄った時は、京都、静岡、八女のお茶園でお茶を勉強中の若いフランス女性ルーシーに出会ったくらいなので、八女茶は、世界にとどろく、素晴らしい日本の生産物です。

一般に男性クライマーは、世の中に関心を持たなさすぎ、なのだろうと思いますね。クライミング以外目もくれない人が多く、クライミングから世界が広がっていかない…。でも、クライマーなんだから、仕方がないね。

ただ日本のクライミングだけがクライミングの在り方か?というと違います。私はラオスに行って開眼しました。

ステファンに関しては、グレードシステムも知らないようでしたので、クライマーとすら言えませんが、日本に来てくれた外人さんがクライミングをしてくれた記念すべき一号とは言えます。普段はボルジムしか知らないそうでした。

私たち日本人クライマーが、龍洞やラオスに行くように、ぶらりと台湾やタイのクライマーが日向神へ来るような世界が、いつか作れたらいい、ですね。

奥日向神キャンプ場は、クライマーに開放してくれたら、ベースとできていいだろうと思います。

八女のおいしいお茶でランチと思い、ぶんぶくカフェに行ったのですが、定休日で撃沈。

用事がある、うきはへ。定食屋でいい具合に定食にありつけました。朝ごはんなしだったので、ガッツリ。

その後、巨峰ワイナリーへ行き、バラの花を見ました。ちょっと試飲。ステファンは甘酒が気に入ったようでした。韓国より、日本の田舎がいい、としきりに言っていました。その前が韓国にいたので。韓国は田舎にも大きな建物を作ってしまうのだそうです。

うきはで、ゲストハウスにいいのでは?という物件を見ました。うーん、思ったより改修が大変そうで、物件価格も市場より高く、ダメでした。ただ、お庭の琵琶と梅をみんなで食べました(笑)。

そのまま、直方市の剣岳自然公園というところへ移動。遠かったです(涙)。

直方市には初めて行きました。途中、水害でダメージを受けた東峰村を通りました。窯が多くてびっくりでした。途中、ステキな窯に立ち寄りました。驚くほど窯が多くて、焼き物好きな人は行くといいかもしれません。

福岡では田主丸近辺も窯が良かったような?九州は焼き物がいいところが多いです。

ほたるは、姫蛍という一般に考える蛍とは別の種類でした。源氏ぼたる、平家ボタル、姫蛍と蛍にも色々あるそうです。カメラオジサンたちが一杯。時期は1週間遅かったそうです。

蛍を初めて見て感動しました。
20分ほど、点滅する蛍を感激しながら鑑賞して帰宅。帰りは高速を使ったので、1時間で帰れましたが、高かったなぁ。1400円+首都高650円。

実は蛍は三瀬の石窯でも見れるそうで、そっちは無料です(笑)。

という充実しつつも、くたびれた日でした。いや~、運転、長かったなー。

■ 限界集落?

八女、浮羽、剣岳、西新とぐるっと福岡を大きく一周したような日でした。

八女は廃れていて、限界集落だなーと思っていましたが、他のもっと廃れた集落をいっぱい通ったため、まったく廃れていないと確信しました(笑)。

地域の荒廃の具合は、

 その土地の人がどれだけよそ者を受け入れるか?

によるということを確信しました。既得権を守りたいと思っていると、既得権じゃなくてタダの重荷になるということです。

たとえば、不動産も同じで、不動産って持っているだけでは、財産ではなく、ただの負債です。毎年固定資産税を取られるんですよ? 山も同じですよね。植林の杉・檜も同じで、財産と思っていたものは、ちゃんと管理メンテしないと負債にすぐなってしまうのです。それは、恋人も同じでしょう。財産とするか負債とするか?は、その人がどれだけ心を注ぐかに関わることなのです。

■ 小さな一歩

クライミングで国際交流する、

という願いが初めて叶った、祈念すべき一歩目の日でした。

大変コスト高でしたけれども、松井さんの協力がなければできませんでした。松井さん、ありがとうございました。

そして、ドイツからのステファン。なぜか彼は私と一緒にいたがるのですが…まぁいいけど…台湾のクライマーに日向神情報を書いてくれるそうです。助かります。

ドイツでは、ケルンの近くに住んでいるそうで、ドイツに行くときは泊まるとこ、できた(笑)。

ヨーロッパは価格が高いのでなかなか行きたいとは思いませんが、まぁ世界にクライマーのネットワークを作るという希望が叶った日でした。

2022/10/03

エイドルートはエイドルート フリークライミングのルートはフリークライミングのクライマーが作るもの

■ 届く、届かないはON/OFF

この絵を見て、分からないなら、どう説明していいか不可能ですね。

ホールドに届くか?届かないか?は

能力の問題ではない。

努力の問題でもない。

本人が変えれることでもない。

ってことが、なんでクライミングになると分からないんですかねぇ?

日本のクライミングは、元々、エイドのルートを後でフリーにしたときに、エイドで使ったボルトをそのまま、再利用したという事情があるのかもしれませんが、

フリークライミングの旋律

になっておらず、エイドクライミングの旋律のままフリークライミングを踊る、

みたいなことになっています。最初から、フリークライミング、として開拓されなければならないのです。

なんせエイドクライミングの場合、全部道具に頼って登るわけですから、基本、遠くに手が届くかどうか?の戦いで、岩の形状なんて、眼中にありません。

エイドクライミングの歌を歌っていたルートに

フリークライミングの開拓の栄誉…つまり、完全にロープなし(頼らずに)でグランドアップで登れるカモ?という、かすかな希望を胸にトライしてみて、一撃で登れた

(一撃って言うのが大事ですね。なんせ一撃でないなら、後はスタイル上の差異の戦い)

…を与えるのは、間違っています。 

エイドクライミングのボルト配置をフリークライミングに、そのまま与えること自体が間違っているのです。

そんなことしているから、”フリークライミングの”開拓者の業績が、過小評価されるわけです。 

ちなみにアルパインクライミングをやる人は、基本、”エイドありの何でもOK”で登る人です。フリークライミングというのは、道具をもちいないルールなので、評価の基準が全く違います。

■ 開拓者の業績

自分のボディサイズで、あそこの岩が登れるか? 

それが、その人の岩に対する 耳、です。岩の語る歌が聞ける、そのヒアリング能力があるか?ないか?ってことです。

そのヒアリング能力で、聞いたものを聞いたように後に人に伝えるためにボルトがあるわけです。

チョークをつける、つけない。 ヨーヨースタイルで登る、登らない。

フリークライマーが、ただ叫ぶだけの動画で、岩の歌が聞こえている様子を伝えられると思う理由が分かりません。

雄たけびは、翻訳すれば、怖いよーです。かっこいいと思ってやっているなら的外れです。

ココが核心だよーと言いたくてやっているなら、これぞって時に取っておかなくては。課題で何回もだったら、まだその課題に来るなって意味でしょう。

確かに声を出せば力は出ますけど、その様子で何かを語れると思っているからやるのなら、全然違うでしょう。語りが全く足りません。

ニンジャの動画見せてもらいましたが、ステファン・グロバッツの、スの字も出てきませんでした。それで、初登者のスタイルを尊重せよって無理な話です。 

そもそも、誰も初登者のスタイルを重視なんてしていないじゃないですか… あるのは自己PRです…

2022/10/08

なぜチッピングがなくならないのか? ラベリング

 ■ 注目を集めたいこころ=愛着障害

ここ2週間ほど、発達障害の勉強をしています。こちらのセミナーを受講。

https://kohaken.net/

それで分かったのですが… 長年、問題になっているクライマーの問題行動…

例としては

 1)チッピング (初登者への冒涜)

 2)ランナウトしているボルト配置を正すことができない (後続者への殺人行為)

 3)終了点のカラビナを持って帰る (窃盗)

 4)敗退を想定しない粋がりでルートに行く (自己破滅)

 5)パートナーがほかの人と登ると怒る、連れてくると怒る (不安障害)

 8)登攀禁止の岩場で登る (衝動性を抑えられない)

 9)どんちゃん騒ぎ (多動性・衝動性を抑えられない)

 10) ランナウト自慢 (自己破滅)

 11)ゴミポイ捨て (衝動性を抑えられない)

など…、反社会的(禁止になってクライミング活動ができなくなるリスクを冒す)だったり、自己破滅的(自分を殺してしまう、あるいは相手を殺してしまう)だったりする事例ですが…

どんなにお目付け役?のJFAが口やかましく、注意喚起しても治らない(汗)…

それは、愛着に問題を抱える人がそういう行動に出ているのだろう…ということが分かりました。そもそも、クライミングには、ビレイヤーが必要なので、ビレイヤーに対する強い愛着(信頼関係)が必要だからです。

そこが確立していないと、イヤイヤ期の子どもと同じ現象を起こしてしまいます。

つまり、俺を見て!行動です。 

愛着が不全なので、自分は愛されていないのではないか?と不安になり、その不安から、

 自分に何とか注目を集めよう!

としてしまうのです。

■ 負のフィードックとなるべきところを正のフィードバックにしてしまっている業界

 このような一文があるとします、

「愛着に問題がある子供は、大人の注目を集めるために、悪さをします。」

これは分かりやすいですね?

「〇〇に問題があるクライマーは、みんなの注目を集めるために、チッピングをします」

○○に入るものは、やはり、愛着、でしょう…。

ですから、チッピングを辞めさせたかったら、基本的に、

 報道しない

という行動を選択するべきなのです。注目を集める、のが目的なので、注目が集まったら、チッピングは、正のフィードバックを受けてしまいます。

■ ラベリングで、善悪を教える

最近のロクスノは、岩雪と違って、熱量のある記事がとても少ないです。熱量というのは、

クライミングの倫理感

という意味です。努力の量、ではありません。

これは、オンサイトが良いスタイルだ、というラベリング が、余りされていないということです。

赤チョークにしても、ロクスノで赤チョークの存在自体が語られたのは、いつ?くらいな話と思いますし、ステファン・グロバッツ、なんて名前を聞いたことがあるクライマー自体が稀有なくらいで、初登情報を知らないなんて、相手を責めることができるような状況にないかもしれません。なぜなら、一般クライマーが見聞きする範囲に、常識、として知れるような情報の置かれ方をしていないからです。

JFAのサイトを見る人は非常に少ないので、クライマーの道徳観の見張り番は、ロクスノ一本と思いますが、ロクスノがあまりクライミングの文化、倫理を伝える媒介者としては成功していません。

伝えるポイントが、スポーツ寄り(安全は前提でしかない上での努力)で、リスクを見極める情報やリスクと成果をバランスの掛けるための情報(スタイル)には、感心を払っていないからです。

うまく、ラベリングを行うには、 

 赤チョークを使わず、丁寧にフリーにこだわって登っている手記を開示して、

 「これが、クライミング倫理的に正しい、かっこいいクライミングですよ」

と提示しなくてはなりません。これがラベリングです。

なぜ赤チョークを使わないのか?その理由を丁寧に語るということです。

 

それがラベリングという手法です。https://psycho-psycho.com/labeling-theory/





2026/01/03

【クライマーの心理学】 ウーリー・ステックのすごすぎる登攀

 ウーリー・ステックは、生涯でアイガー北壁を40回以上(一説には43回)登攀したと言われています。

特に有名な「ヘックマイヤー・ルート(1938年ルート)」における、彼の主要な登攀履歴を時系列でまとめました。

アイガー北壁 登攀タイムの変遷

タイム備考
1995年18歳で初登攀。ここから彼のキャリアが始まる。
2004年ステファン・シグリストと共に、アイガー・メンヒ・ユングフラウの北壁3山を25時間で連続登攀。
2007年3時間54分当時の世界最速記録を樹立。一躍スターダムにのし上がる。
2008年2時間47分自らの記録を約1時間更新。冬季ソロ(単独)。
2015年3時間46分ニコラス・ホジャックとのパーティー(二人組)最速記録
2015年2時間22分生涯最速(自己ベスト)。ダニ・アーノルドに抜かれた記録を奪還。

特筆すべきポイント

  • 「スイス・マシーン」の象徴:

    1938年の初登攀には3日間かかりましたが、ウーリーはそれをわずか数時間に短縮しました。この2時間台という数字は、一般の登山家からすれば「走って登っている」に等しい驚異的なスピードです。

  • 記録奪還の執念:

    2011年に同郷のダニ・アーノルドに記録を塗り替えられた際、ウーリーは非常に悔しがったと言われています。2015年の再挑戦では、完璧なコンディションを見極め、見事に世界最速の座を取り戻しました。

  • フリーソロのこだわり:

    2008年の2時間47分の記録は、ロープを一切使わない「完全なフリーソロ」であったことが高く評価されています(2015年の記録時は、一部の固定ロープ等を使用して安全性を確保するスタイルを選んでいます)。

ウーリーにとってアイガーは「裏庭」のような存在であり、トレーニングの場でもありました。2015年の最速記録を出した際は、心拍数が平均160程度で「2008年の時ほど追い込んでいない」と語るほど、圧倒的な実力を持っていました。


ウーリー・ステックにとって、アンナプルナ(8,091m)は**「キャリア最大の栄光」であると同時に、彼を最も苦しめた「疑惑の山」**でもあります。

動画でもクライマックスとして描かれている、2013年のアンナプルナ南壁単独登頂についてまとめました。


1. 背景:絶望からの挑戦

エベレストでの乱闘事件(2013年春)によって名声を失い、精神的にボロボロになったウーリーは、そのわずか半年後、失った誇りを取り戻すためにアンナプルナに向かいました。

  • ターゲット: アンナプルナ南壁(世界で最も危険な壁の一つ)。

  • スタイル: 超軽量・単独・無酸素(アルパイン・スタイル)。

2. 伝説的な登頂(2013年10月)

ウーリーは、過去に多くの登山家が命を落とした南壁を、信じられないスピードで攻略しました。

  • 驚異のタイム: 通常なら数日かかる壁を、キャンプからわずか28時間で往復。

  • 過酷な状況: 途中で雪崩に遭い、カメラと予備のグローブを紛失しながらも、夜通し登り続けて頂上に到達したと主張しました。

3. 世界的な賞賛と「ピオレドール賞」

この功績は「登山史上最高の達成の一つ」と称えられ、2014年に登山界のアカデミー賞であるピオレドール賞を受賞しました。これにより、彼は再び「世界最高の登山家」として返り咲いたかに見えました。


4. 巻き起こった「疑惑」

しかし、その後、一部の登山家やメディアから厳しい疑問が投げかけられます。

  • 証拠の欠如: 「カメラを失くした」ため山頂の写真がなく、GPSのログも不完全だった。

  • 目撃者の不在: 単独登頂だったため、彼が本当に頂上に立ったことを見届けた人間がいなかった。

  • 非現実的なスピード: あまりに速すぎたため、「人間には不可能ではないか」という疑念を抱かれました。

ウーリーの苦悩: > 彼は「信じてもらうために山に登っているのではない」と反論しましたが、エベレスト事件での「傲慢なイメージ」が災いし、疑いの目は強まりました。これが彼をさらに孤独にし、自らを追い込む一因になったと言われています。


5. アンナプルナが残したもの

結局、公式には彼の登頂は認められていますが、この疑惑は彼が亡くなるまで完全に消えることはありませんでした。

  • 2017年の悲劇へ: 疑惑を払拭し、自分自身を再び証明するために、彼はさらに過激な「エベレスト〜ローツェ縦走」という目標を立て、そのトレーニング中に命を落とすことになります。

アンナプルナは彼に最高の栄誉を与えましたが、同時に彼から心の平穏を奪い去った、まさに**「光と影」を象徴する山**となりました。

ウーリーの最期となった、2017年のエベレスト付近での事故についても詳しくまとめますか?


ウーリー・ステックの最期となった、2017年のエベレスト(ヌプツェ)での事故についてまとめます。

アンナプルナでの疑惑を抱えたまま、彼は自分の実力を改めて世界に証明するため、登山史上最も過酷なプロジェクトの一つに挑もうとしていました。

1. 最後の挑戦:エベレスト〜ローツェ縦走

2017年、ウーリーが計画したのは、**「エベレストとローツェ(世界第4位の高峰)を、無酸素で一度も下山せずに縦走する」**という前人未到のプロジェクトでした。

  • 彼はこれを「自分の限界を試す究極のテスト」と考えていました。

  • 4月の事故当時は、この本番に向けた**「高度順応(体を薄い空気に慣らす作業)」**の真っ最中でした。

2. 2017年4月30日の事故

事故は、エベレストの隣にある**ヌプツェ(7,861m)**の壁で起こりました。

  • 状況: ウーリーは一人で、比較的難易度が低いとされるルートを登っていました。彼ほどの技術があれば、ロープなしでも安全にこなせる「朝のジョギング」のようなトレーニングだったと言われています。

  • 滑落: 午前9時頃、約1,000メートル下に滑落。他の登山隊によって遺体が発見されました。

  • 原因: 滑落の原因は今も不明です。氷の塊が落ちてきたのか、一瞬の足の踏み外しだったのか。目撃者がいなかったため、永遠の謎となりました。

3. 登山界に与えた衝撃

「世界で最も安全で正確な登山家(スイス・マシーン)」と呼ばれた彼が、本番の難しいルートではなく、トレーニング中に亡くなったことは世界中に大きな衝撃を与えました。

  • 40歳の若さ: 登山家として最も成熟した時期での死でした。

  • 葬儀: 遺体は本人の希望もあり、ネパールのテンボチェ寺院でシェルパの伝統に則って荼毘に付されました。かつて激しく対立したシェルパの地が、彼の安息の地となったのです。

4. 彼の死が意味するもの

動画の最後でも示唆されていますが、彼の死は一つの時代の終わりを告げるものでした。

  • スピードへの代償: 彼が追い求めた「速さ」と「軽さ」は、わずかなミスが即、死に直結する非常に危ういバランスの上に成り立っていました。

  • 人間ウーリー: 完璧なマシーンではなく、疑惑や批判に傷つき、それを払拭するために死ぬまで挑戦し続けなければならなかった「不器用で情熱的な一人の人間」の物語として、今も語り継がれています。


心理学的に見て、彼はどのような課題を抱え、どのように克服し、どのような使命を果たした人生だったといえるか推論してください


ウーリー・ステックの人生を心理学的な視点から分析すると、**「自己価値の証明」と「承認への渇望」、そして「超越」**というキーワードが浮かび上がります。

彼がどのような心理的課題を抱え、それにどう向き合ったのか、以下の3つのポイントで推論します。

1. 抱えていた課題:条件付きの自己肯定感

ウーリーは「スイス・マシーン」と呼ばれるほどの完璧主義者でしたが、その裏には**「結果を出さなければ自分には価値がない」**という強い心理的プレッシャー(条件付きの自己肯定感)があったと推測されます。

  • アイデンティティの危機: 彼は記録を更新し続けることで自分の居場所を確保していました。そのため、ダニ・アーノルドに記録を抜かれた際や、アンナプルナでの登頂疑惑を持たれた際、単なる「記録の紛失」以上の、**「自分の存在そのものを否定されたような痛み」**を感じていたはずです。

  • 孤独な闘い: エベレストでの乱闘事件は、彼にとって「世界から拒絶された」という巨大なトラウマとなりました。心理学的に見れば、あの事件以降の彼は、社会的な疎外感を埋めるために、より過激な「単独登頂」という自閉的な世界へ逃避、あるいは再挑戦せざるを得ない状況に追い込まれていました。

2. 克服へのプロセス:リスクによる自己治癒

彼は、精神的な苦痛を**「肉体的な極限状態」**に置くことで中和しようとしていた可能性があります。

  • フロー体験の追求: アイガー北壁を数時間で駆け上がる時、脳内では余計な思考が消え、完全な「フロー状態(没入)」に入ります。世間からの批判や疑惑という「雑音」から逃れ、唯一自分が自分をコントロールでき、正当だと確信できる場所が「絶壁の上」だったのでしょう。

  • 疑惑への回答: アンナプルナでの疑惑を晴らすためにさらなる高みを目指したことは、心理学的な「昇華(葛藤を創造的・社会的な活動に変えること)」と言えますが、同時に「強迫的な自己証明」の側面も強かったといえます。

3. 果たした使命:人間の限界の拡張と「純粋性」の提示

彼の人生が果たした使命は、単なる登山記録ではなく、**「人間はどこまで純粋に、たった一人で自然と対峙できるか」**という限界値を世界に示したことにあります。

  • 実存的な生き方の提示: 彼は「死」が隣り合わせにある場所でしか、「生」を実感できないタイプの人(ハイ・センセーション・シーカー)でした。その生き様は、現代社会の安全圏にいる私たちに対し、「リスクを取ってでも自分の情熱に忠実に生きることは可能か?」という問いを突きつけました。

  • 未完の美学: 最終的に彼は、最も愛し、最も自分を苦しめたエベレストの地で亡くなりました。心理学的に見れば、彼は最後まで「自分を証明する旅」を止めませんでした。その悲劇的な結末を含めて、**「一つの道を究めようとする者が背負う宿命と、その純粋な美しさ」**を体現したことが、彼の人生の使命だったと言えるのではないでしょうか。

結論として:

彼は、世間からの「評価」という呪縛に苦しみながらも、最終的にはそれらすべてを「登攀」という行為の中に溶かし込み、「人間マシーン」から「限界に挑む一人の人間」へと回帰していくプロセスを見せてくれた人生だった、と解釈できます。