2022/10/25

瞑想としてのクライミング

 ■ 歩く瞑想=山

私の登山は、瞑想としてスタートしたのです。

町を歩いていても、ガヤガヤとした、ざわついた気しか入ってきませんが、山で歩いていれば、気温の差、空気のおいしさ、湿度、風、空気の匂い、土のにおい、雨の匂い、など、色々な情報をクリアに受け取りつつ歩くことができます。

たぶん、私にとっては、歩荷の重さも大事だったみたいで、あんまりリュックが軽いとちょっと不満というか…。脊柱のラインに、ある程度の負荷がないと、なんだか簡単すぎて、気が外側にそれてしまい、内側に集中できない、と感じていました。

山との対話といいますが、結局は、たわいないもの、です。

長々とした退屈な道が続けば、面白くもない宮仕えを粛々とこなしている自分を重ね、自らを励まし、ちょっと困難な箇所が出てくれば、甘く見ていい加減なことをしないようにする、というその程度の事です。

が、そこには、どう考えても、登っている自分を見ている、”別の自分”がおり、それこそが、真我(アートマン)だと思っていました。

そのため、ソロが好きでした。というか、ソロでないと、瞑想にならないですよね。

■ クライミング瞑想

クライミングをスタートしたころは、クライミングで瞑想に入ることができませんでした。

なんせ、あまりにも普段使わない上半身の体力を使うので、ショート1本でも疲れてしまって。例えば、西湖の岩場は、アルパインから岩場に入った人向けの易しい岩場ですが、そんなところでの5.8でも、1本登ればぐったりでした。緊張でオールアウトしてしまうのです。

今思えば、5.8なんで、そんなに登攀に細心の注意力はイラナイはずですが、当時は、上半身の筋力も、指の力も、ましては、微妙なバランスもついておらず、ツイストとかフリと言われる側体の登りも身についていないので、全部、正体。だから、くたびれて当然だったんですね。しかも、日本の岩場の5.8はランナウトが基本ですし。

クライミングのリズムとして、沢みたいに、ほとんど歩くの中で、ちょっとクライミング、くらいがいいなーと思っていました。

だから、当時は、私は背伸びをさせられていたのだろうと思います。登ることは、本当の私の願いではなく、岩はパートナーがいないと登れないので、自分の予定をやむを得ず、変更させられるということでした。

なぜか、登山をする中で、クライミング力を身に着ける、ということが義務になっていました。

まぁ、仕方ありませんね、山岳総合センターに行ったとき、クライミングを知らないのは、私だけっぽかったですし(笑)。

私は雪の山でステップアップしたかっただけなのですが、いきなり雪上確保でボラート作るとかが講習だったので、”確保?なにそれ、おいしいんですか?”状態でした(笑)。

まぁ、そんな確保のデビューなので、当時は今ほどフリークライミングの理解がなく、ランナウトなんてして当然でした。雪上確保で、3mおきにランニングなんて取りたくても取れませんよねぇ(笑)

■  登攀が主体でも平気に

今では、ふと気が付いたら、ほとんど登攀、ずっとクライミング、でない山は退屈だと感じるようになりました…

いつ、変わったんだろう…

登攀が飛躍的に上達したのは、ラオスにおいて、です。

何かがラオスでは、決定的に日本の登攀と違いました。岩に書かれている歌では、ボルトの適切配置ですね。文章に例えると、句読点が正しい、みたいな感じですね。

私の日本での足かせは、ボルトが適切には配置されていないこと、だったんだということが分かりました。

一気読み、というか、句読点なしの文章みたいな感じです。日本のフリークライミングって。

■ かすかな兆候

 一度、小川山の屋根岩1峰のクライミングで、手繰り落ちしたことがあるのですが、あれなど、リーチが短いことが起こした事故ですね…。

手繰り落ちしてはいけない、ということを知らないクライマーはいない訳なのですから。したくてする奴はいないです。

しかし、この時は、自分がリーチが短い運命を背負ったクライマーということには無自覚でした。

あれをやってから、クリッピング体制には十分以上の注意を払うようになりました。

確実に体制を作ってからじゃないと、ロープを手繰らない、ということです。

この方法だと、手繰りおちのリスクは減りますが、フリークライミングが想定する以上の安全マージンです(笑)。

■ ラオス

そのマージンが要らないのが、ラオスです。

ラオスは2度行きました。 一回目は、不完全燃焼だったので、二度目は確実に行きたい!ここで成長できる!という確信がありました。ので、誰か日本の人がいるっていう”噂”程度の情報を大阪のクライミングジムで聞いただけで、あ、それなら、と行きました。今ではその方お友達です(笑)。

私は海外でヒッピー暮らしをした経験もあり、英語は学生時代からなので、日常英語には問題がないので、海外出張が多い仕事だったこともあり、パッと飛行機に乗っていきました。

師匠の青木さんは、タイの国内線が自分で航空券を取れない、ということで一緒には来ないそうでした(笑)。そんなことのために不自由ですね。ちょっとポイントがあるだけなので、教えてあげると言ったのですが、代理で取ってくれないと嫌だということだった。やってみれば大したことないです。青木さんで、海外の手配ができない年配の人は3回目でした。

どうも、私の周りにまとわりついてきた年配の人たちには、私にこうした手配をお願いできるという期待があったみたいです。その点は新保さん偉いですね。全部自分でやっていますから。ちなみに一回目も私は現地集合ですから。日本の空港で待ち合わせて連れて行ってもらうなんてことはしていません。念のため。

ラオスで最も気に入ったのは、文化です。ジャンジャン好きなのに登れる。一日、5~6本登るということです。しかもグレーディングに嘘がないというか…あれもこれも登れるんですよ!私は5C、つまり、5.9を登り溜めしたかったんですが…

ギュリッヒのグレードピラミッド理論に添って自分のクライミング経験値を貯めていたからです。

日本では、十分な数の5.9がそもそも岩場に存在しないので、経験値を貯めることができませんね…。5.9があったとしても、ボロ支点なので、リスクが取れません。

例えば日向神にも、5.8~5.9程度の岩場がありますが、なんとオールアンカー。岩場があっても死蔵って意味です。ボロイだけでなく、ランナウトも深刻で、落ちるな!って課題しかないとすると…上達できない、って意味ですね。それでみんなRPクライマーに運命づけられるそうです。

というので、ラオスでは、いきなり上達しました。帰ってきたら、アイスの難しい3Dクライミングがスイスイになっていました。アイスクライミングでは、もともとリーチは問題にならないので、怖い!という肩の力が抜けただけで上達。これで韓国アイスでめちゃ人気者に。トップロープしかしていないのに(笑)。

一方、クラックのほうは、ラオスの3Dでは上達できなかったので、そこを補いたいと思って台湾に行きました。BMCトラッドフェスという選択肢も提示されましたが、カムを覚えるだけに、はるばるイギリスまで行きます?ちょっと遠すぎでは?と感じられました。

■ 切り替え

というので足踏みしていましたが、九州では適切なクライミング指導が得られそうになかったので、趣向を変えて、”地域行政に岩場が地域資源であることを伝える”という活動に切り替えていました。

というのは、私は九州での最終職歴は、三井物産新事業開発室、だったからです。九州は、古郷でもあるし、おりしも、地域おこしが盛んになっている時世でした。

しかし、岩場を地域の資源として活用するには、日本のクライミング界が未熟すぎるようです。事故を防ごうという意思自体がない人たちの集まり。

これは、世界的に見ると残念なことです。なぜなら、中国などのクライミング後発国でも、すっかりクライミングの町として知られている町はいっぱいあるからです。

外国人も日本でクライミングしたがっており、特に九州では、何人も外国の人と登りましたが、やはり、彼らの視点から見ても、支点は危険でボロく、ランナウトは著しいようです。

例えば、日向神の愛のエリアにある初夢5.9は、新人が触る一番目の課題っぽいですが、米国軍人の、若い男性でも、下部のランナウトに耐えきれず、3ピン目で敗退していました。その人、ヨセミテでクライミングしてきたと言っていましたけど…。あれってホントなのかな?

彼、別の10cで私が核心部で苦労してるのを見て、やりたがったので、触らせてあげたのですが、そのムーブに成功すると、次のピンまではリードになるので、それを指摘したら、登るのを意図的にやめたんですよね。なんだ、ダダの対抗意識だったんだ、って思ったので、まだ登りが自分の中にある人ではないかもしれませんね。

■ マインドフルな生活

という感じで、気が付いたら、私の集中力は、長時間のクライミングに耐えられるようにいつの間にかなっていました…

というか、長時間でないと満足しないようになってしまいました(><)。

山梨時代はヨガの講師をしていたので、ヨガが瞑想の一形態であることを考えると、瞑想にかけていた時間というのは、非常に多かったということになります。

つまり、だいぶマインドフルな暮らし方をしていたってことです。

当時はマインドフルな生き方こそ、私がしたかった生き方でした。それは、完成をみた、といってもいいのかもしれません。

■ ラオスを日本に持ってきたい

最近、スマナサーラ長老のテラワーダ仏教の教えが気に入り、毎日聞いています。ここ数日は瞑想を行っています。

ラオスの生活の良かった点は、質素な文化です。登る以外の贅沢は一切ない。

しかし、クライマーに他に何が必要でしょうか。

子どもも老人も、みなで助け合って楽しく登っていたらいいだけしょう。世界はすでに豊かなのだから。余計な贅沢をしようとするから、奪い合いになる。質素な食とつましい寝床で満足していれば、クライミングして遊んで暮らせるわけです。

だれですか、インターコンチネンタルから岩場に出勤したい人は…。そんな贅沢をせず、普通にテントや雑魚寝で済ませていれば、いいのです。

クライミング界が伝統としてきた質素という価値は、日本では失われ、

クライミングジムのホールドは一個数万円…

どんどん買って、どんどん廃棄されています。まさにフードロスと同じです。

岩場のボルト一本1600円が出せないと言っているのに… こんなバカバカしい矛盾はないですね。

■ 瞑想力

瞑想は、どうもクライミング力と同じように、集中力です。

私は、元々ある体力で取れる集中力は取り切ってしまったので、クライミングでは集中力を上げ続けるには、体力を底上げしないといけない局面に来ていました。

しかし、あのパートナーとあの環境で、登攀が底上げされてしまうと、死に近づいていくのは必須でした… 無意識にブレーキがかかり、私はトレーニングしたいという気持を失いました。死に近づくために登りたい人なんていません。

今やっているヴィパッサナー瞑想も、3分×3から長くして行きます。これは、やり始めてみると、あれ?これはいつか来た道…という感じです。

瞑想による効果が出てくるのは、翌日。

クライミングをもはやしないという方にも、ぜひお勧めです。




2022/10/24

40年前のカットアンカー1点に二人で仲良くぶら下がるということ

 

■ 40年前のカットアンカー1点に仲良く二人でぶら下がることのリスクが分からない

 と指摘を受けたので掲載。

■ ファクト

・適切に新品で設置されたカットアンカーの強度は、5~15kN

・普通は、ビレイステーションには、ボルトは2点。1点だと冗長性がない。

・40年前のボルト

・もともと100円くらい

・ステンレス、鉄、の異種金属の組み合わせに、さらにアルミのハンガー=ガルバニックコロージョン

・現代、UIAAが決めているボルトの強度は 25kN

・カム一個 赤キャメで 14KN。

・ちなみにカムでビレイステーションを作るときは、3点が普通。

■ カムの強度を知らない人が多数

九州ではクラックのクライミングをする人がすごく少ないので、カムの強度を知らず、盲目にカムよりボルトの方が強いという信仰がある。

腐っていないカットアンカーでも、5~15kNの強度しかないですよ。

つまり、新品でもショックロード厳禁ってことです。テンションにしてください。

 ■ 友人談

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部活でもよくあるけど、地方は古いやり方を古い指導者から教え込まれるよ
全国に行くと通用しない

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■ その他の記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_21.html

クライマーの4タイプ

■ 面白い人間観察

このような動画を発見しました。

【4タイプまとめ】人間関係を見極めるツール..「人生を楽にする」「性格とは何か」「他人を操る手法」3コンテンツまとめ 【岡田斗司夫/切り抜き】

阪大でも、講演されたそうなので、それなりの基準は満たしているかと思いつつ…

思考の遊びを行います。以下が使用する概念です。


 ■ 横軸を、感情⇔理性、縦軸を登攀力に取ります

するとこんな図になります。

■ クライマーの分類
 

       登攀うまい
  現代初心者 | 自立者
感情ーーーーーーーーーーーーー>理性
   ペテラン | ベテラン
       登攀下手
 

現代初心者に理性が追加されると →自立者
ペテランに登攀力が追加されると →現代初心者と同じ
ベテランに登攀力が追加されると →自立者
自立者が登攀力を失うと → ベテラン

1)反目の回転 右回りは反目し合う
 

ベテランはペテランを見下す
ペテランは現代初心者を見下す
現代初心者は自立者を見下す
自立者は、ベテランを見下す
と、こういう関係になっているようです。
 

2)尊敬の回転 左回り

ベテランは自立者を尊敬ましい
自立者は初心者を好ましく思う
初心者はペテランをそうと気づかず尊敬する
ベテランはベテランが羨ましい

■ ダークサイド墜落

1)初心者が、理性的技術力を身につけないままだと?

 → ダークサイドに落ちて、”ペテラン化”する。

つまり、現代に50代~60代のペテラン登山者が大勢いるのは

 教育の不在の結果、

ですね。もう、結果が出ている時代なのです。登山教育が存在しなくなって何年たつのでしょう?

必要なのは理性であって登攀力は別にいいです。ほっとけば、そこは勝手に上がるので。

2)経年も説明できる 人が年を取ると?

初心者 → 自立者 → ベテラン と遷移する。

3)ベテランに高いフリークライミング能力があれば?

自立者。 現代は、標高5000~6000mに5.12ノーマルの登攀力を持っていく時代。

4)ペテランが、理性的判断力を備えると?

ベテランと言っても良い状況になる。

5)対角線は、愛憎

一般に、ベテランは、「最近のクライマーはポロポロ落ちるから嫌い」と言う。ペテランは、ボルトがカットアンカーの時に落ちると危険だということがそもそも分からないから、何が問題なのか分からないので、現代初心者とは仲良しである。

一般に自立したクライマーは、ペテランがあまり好きでないようである。大体、苦言を行っていることが多い。 

■ 教育の不在

教育の不在の問題を放置して、

 登攀力だけあげてきた九州のクライミング

肝心の理性的判断力が身につくプロセス…を教育というが…が、まったく用意されていない。

つまるところ、勝手に上がってこい!の、小乗仏教みたいなことになっているので、現代の初心者のみならず、40年前からの初心者(今はペテラン化)は、多数が上がってこれない…

ということが、登山界に起きていることなのではないかと思います。

九州に限らず、初級のクライミング技術講習(都岳連の岩講習みたいなの)は、全然足りていないようです。

教育がない限り、10年以上登って、ヨセミテにも連れて行ってもらい、国内の一流クライマーと登っても、やはり、ロープはスタックするわ、懸垂でジャムるわ、参考計画書もなしで敗退ロープなしで、1つのボルトにみんなでぶら下がるクライミング、しかできないみたいデス…この身で体験して分かりました。

俺らはそんなこと教わらなかった、と言って、盗むのがクライマー、なんて弱者にきついことを言い続け、

このまま教育不在が続けば、ジムで鍛えたクライマーも、10年後には

 りっぱにペテラン

になりますね。 歴史がすでに証明しているようです。

2022/10/23

カリムノスみたいなクライミング


 ■ミキヤツさんのサイト

http://mikiyatsu.jp/page058.html

ここにカリノモス島のクライミングが書かれていますが… まぁこれが日本の岩場にかけている、というのが私の言いたいことです。

■ クライマー人口の9割は、初心者

クライミングジムが全国で500件を超えたおかげで、岩場に来る人=ジム上がりクライマー。

全国中で、互いに名前も顔も割れて、クライマーの友達で知らない人がいない状態っていうのは、古き良き時代の話になっている。

そして、古くからいる人だって、老い。つまり、昔ほど登れない。

結局、9割は、10プラクライマーです。

昔から登っている人=アルパインを昔はやっていたが、老いて、山のリスクは取れなくなったので、老後の活動でより安全なフリークライミングをやろうという人たち=5.13なんか登らない、ので、ほとんどが初級クライマーです。

若い人も初級クライマー 年を取った人も初級クライマー。クライマー人口の9割が、登っている時間の長さは別にして、現代では初級クラスになってしまったアンダー5・11せいぜい11クラスまでのクライマーです。

5.12から上のルートなんてほとんど登れる人がいない、って意味です。コンペに出ている人の世界です。コンペに出ている=練習量がフルタイム。フルタイムでそれだけやれば、能力を開発されない方がおかしいでしょう…

というので、一般の市民クライマーというのは、現代では、その辺のレベルに落ち着いているわけです。

そこで、昔の栄誉を競った時代のへのツッパリで、ランナウトをすることで、かっこいい俺を気取ってしまっても、気取り損でしょう…

よくベテランが懸垂で落ちていますよね… 屋根岩2峰もそんな事故あったようですが、懸垂下降って失敗が許されないと分かっているのに、すっぽ抜けている。大体のクライマーの反応は、ええかっこしい、したんじゃないの?と同情のかけらもないです(笑)。

 だぶん、それは正しいです。

ええかっこしい…こそがクライマーを罠に陥れる穴です。

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カリムノス島は楽しく、快適に登るために拓かれた岩場です。

 高いレベルで登ることができなくても、「クライミングは楽しい」と教えてくれる場であり、そんな状況だからこそ、自分のレベルを押し上げることに繋がります

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 これは本当です。グレードを追っかける受験勉強みたいなクライミングをしている人にはわからない世界です。

楽しいクライミングをしないで、日本人は、過労死をやっているサラリーマンと何が違うのでしょう? いつまで昭和を引きづる気でしょう?


岩場の事故が減らない因果の道理

■ 原因1 アルパイン、フリー、スポーツクライミングの混同

アルパイン=落ちたら死  

フリー=9割落ちてる

スポーツ=100%落ちるまで登る

こういうルールの差があるから、同じクライマーでも 登れるグレードはそれぞれのスタイルで違う

ーーー例ーーー  自称5.12の男性

アルパイン 10c(昔の5.9)

フリー 課題を選んで5.12

スポーツ 課題を選んで5.13

ーーーーーーー

この方針の混同で、落ちてはいけない作りの岩場(ゲレンデ、ショート)で、スポーツクライミングの落ちるクライミングをやってしまうために事故になる。

現代の日本の岩場はロシアンルーレット状態になっている。

■ 原因2 互いに反目

フリークライマーはアルパインクライマーを嫌らう。

アルパインクライマーはフリークライマーを嫌らう。

そういえば、山梨にいた時もそういう構造があったなぁと思いだし中です。

フリークライマーから見たアルパインクライマーは、人である以上事故は仕方がない、などとと言って、

 見れば分かるような不手際(例:支点を1点で使う、悪いビレイ)を正そうとせず、岩場に安直な事故を持ち込む人たち

のこと。

アルパインクライマーから見たフリークライマーは、

しょっちゅう落ちて、”落ちてはいけない”というアルパインの掟を破って事故る人。

しかし、フリークライミングって落ちていいクライミングのハズですから、この場合はフリーのクライマーに理がありそうです。

どっちも相手の事故を減らしてやろうという意思は働かず、相手を責める方向にしか、意思が働いていない。

■ 原因3 教育の消失

アルパインクライミングは、登山の上級スタイルですが、その上級スタイルに進む時点で、都岳連がやっているような岩場のレスキュー講習を受けていないといけないですが、山岳会の中にレスキューを伝えられる人が、大体いないか、いても40年前の知識なので、みなきちんとは、伝達されていない。

そのアルパインクライミングが嵩じて、フリークライミングになる人が、現代では1割で、1割ですら、その調子。

ココでの問題は、ダラリンビレイ、支点ビレイ、ぱっつんビレイ、二人が一人をビレイ、など、太古の時代(流して制動確保)の技術から進化していないことです。

■ 原因4 ボルト配置(ランナウト)のことが分からない

残りの9割は、全く教育を受けていないジム上がりのクライマー問題。

すると当然、インドア壁の方針を持ち込む。

ロープをジグザグに使って登ったり。シングルしか使い方を知らないから。落ちるまで登る、スポーツクライミングの延長で、当然のように…つまりそれ以外のクライミングがあると知らず、外岩に来る。と、ジム登りです。スラブで、スタティックに取る、リード登りをしないで、ダイナミックに取るみたいなことをこの人たちは平気でやるので、ボルトの配置がインドアとは違うことを事前に教えてやらないと危険です。教えないで、トップロープさせてあげるのは良くない方法です。

最初が肝心で、最初の一回目で自覚できるように教えないといけないが、これがなされていない。教育法が不味いってことです。

■ 原因5 壁によってクライミングの方法を変えることが分からない

インドアの壁は、被っているだけの壁なので、スラブ、フェイス、オーバーハング、で登り方を変える必要性があるというのが分からない、ということです。それぞれリスクのとり方が違う。

インドアクライマーの人は、外の岩はランナウトしていることがあることが分からない。インドアの壁はどこで落ちてもいいようにできているからです。

安全になるように企画された壁と自然壁の差を、最初に詳しく教えるべきです。外の岩は落ちてはいけない場所があります。

■ 原因6 俺様の主張が一番正しいと全員が思っている事

一つのスタイルをやっている人はそれだけ使いで、アイスもやって、山もやって、マルチにも行って、フリーもやるというオールラウンドクライマーが少ない。

支点を打つということがないので、中間支点の安全性は、身長で違うということもわからない。 

結局、各スタイルのクライマーが自分の視野のクライミングだけを正しいと思っているわけなので、

群盲象を評す

という状態なので、結局、内部でいがみ合っている。

■ 原因7 地権者や地元の視点がゼロ

その上、地権者や岩場のある自治体関係者にどうクライマーが映るのか?など、他者の視点、クライマー以外の外に世界に向けた視野がないので、団結もしない。

昨日始めた人も、40年の人も、地元の人から見たら同じ”クライマー”。  事故ったら、誰が事故っても、クライマーの事故、なんですよ。

地権者が、開拓クライマーが、自らが所有もしていない岩に、著作権を主張しているというのを聞いたら、どう思いますかね?

普通は、変な奴と思いますよね。 それこそ、軒先貸して母屋取られる、ですね。  

そんなことを地元の人に勧めていたら、盗人の手伝い、みたいなことになりませんかね?

■ 原因8 死に近い=かっこいいと誤解している

最大の原因がこれです。 ○○会で一番死に近い男、と言われたら、悦に入ってしまう。

 それ誉め言葉じゃないですよ(笑)?


むしろ、自己肯定感が低いことの表れ。

かっこいい人は、わざと死のうとしたりしなくても、かっこいいわけなので。

自分の命をいい加減に扱うどころか、人の命もいいかげんに扱うことになり、結果的に、反社になってしまっています。

ADHDなどの人は、衝動が抑えらないという面があり、その場合、性格上の欠点です。

本人には自覚がないが、意図して起こした結果です。因果の通り通りになっている。

■ ブッダの教え

この心は、悪をもたらす悪因悪果の心です。

努力して岩場を開拓したとしましょう。

すると、この悪の心によって事故が起こされ、地域の人に多大な迷惑をかけることが、この因になっている心、登りたい意図、を見ただけで分かる。

今、日本で岩場を開拓して、バンバン登れることが起こってしまうと、事故はどんどん増大するだけです。だって事故を起こしたいと思って登っているのですから…。

皆伐すると雨が降った後に土砂崩れが起きると分かっていて行う皆伐と同じことです。

悪いことが起きることは分かり切っているのに、やっているってことです。

それは悪の道です。


例:皆伐したら土砂崩れになると人吉の水害で結果が出ているのに、やるんですよね…それでそのあとの尻ぬぐいが、植林ですが、植林しても鹿が食べるし、崩れるし、結局、原因である皆伐を辞めようとしないかぎり、徒労です。

岩場の開拓も同じで、原因である無愧の心を改めないことには、いくらボルトをきれいにしたって一緒です。

インドアから外に行った途端にボロボロ落ちてしまって事故になる。

アウトドアクライミングの本に、もっと詳しく、ランナウトについて記載すべきです。 

みんな理解できるようになる前に落ちています。

後ろに走ってビレイするなんて教えるビレイ講習会はないでしょう?


 

2022/10/22

CouchSurfドットコムのススメ

■ カウチサーフ

こちらのブログに詳しく書いてありますが、世界中を無料で宿泊できる仕組みがあります。

登録に費用は掛かります。でも、これを使えば、往復交通費と食費だけで、旅行できるということですよね。

https://www.kurakurakurarin.com/entry/2018/12/12/115714

私は福岡で、

・チベット僧のターパさん

・オーストラリア人女性

・ロシア人男性

・台湾から、フードロスの活動家のドイツ人男性

・サンマテオの牧師、マイケル牧師

・自転車で糸島一周した韓国人

など、多数のゲストを宿泊受け入れしていました。ちょうど仕事も観光ガイドだったので。

他にも、外国人とのつながりでは、

・スイス人医師

・フィリピン系米国人軍人

などとクライミングに行っています。私が思うには、九州は、交通が不便なので、外国人にとっては、国内の人のアシストがありがたい場所ではないか?と思います。

都会は英語表記があって、別に誰かの手助けがなくても、好きに行動出来てしまいますし、外国人同士のほうが食事や話の内容など気があうということがあるかもしれませんが、田舎では、そうもいきませんよね。

海外に登攀に行きたいが英語力が不安というなら、カウチサーフからスタートしてみることをお勧めします。



2022/10/21

パートナーは縁

■縁

縁さえ来たら、人はいともたやすく悪を行ってしまう…

悪人・善人がいるのではなく、人というものは、全員が、悪縁が来たら、悪を行ってしまうのだ、と言われています。

その縁とは、相方、パートナーの事、です。

最初の師匠、鈴木さんや岩田さん、青木さんなど、師匠クラスと登っている間は、自己確保の登攀など、出会う前から知ってはいましたが、全く使う出番がないスキルで、つまり、自らを助ける必要はなく、ただ普通にセカンドで楽しく登れば良かったんだが…

いわゆる”クライマー男子”と登り始めたら(男子って言っても30代、40代ですが)、もう、”あって良かったロープワーク技術!”という感じだった…。

天はみずから助けるものを助く、というキリスト教の教えが本当なんだな…、と思わせられることになった。

この場合の縁とは、

 パートナー

ということである。

そのパートナー選びにどうしても欠かせないのが、相手が登る原因、理由、である。

 自己顕示欲=実力以上のところに行きたがる心

だと、危険であるのは、当然の帰結だ。

実力以上のところに生きたがる心=グレード主義=悪縁=死に限りなく近いクライミング。

つまり、私は山梨時代に、縁がなかったから、悪を犯さずに済んでいただけで、私が特別善人である、ということではない、ということです。

(ジムで5.11が登れるから、北岳バットレス四尾根に行きたいという人はいましたが、その人を指して、あいつは危ない、一緒に行かなくて良かったですね~と言った人が、今度は、自分が敗退ロープなし、山行計画書なしの、白亜スラブなので、ミイラ取りがミイラというか、同じ穴のムジナというか…)

■ 縁=その人の中の意図 知り合っている時間の長さ、ではない

がどのようなものであるか?については、知り合っている時間の長さ(=情)に流されやすいのが、とかく人というものである。 こちらの教訓を読むべし。 

Intention (意図)

が大事だと仏教でもしつこいくらいに言われている。

グレード主義の人は、特に気を付けて避けたほうが良い。


2022/10/20

クライマーの死を死観瞑想する

■ ブッダの教え


自分に対する悪をなすなかれ
他者に対する悪をなすなかれ
 

なぜクライマーは自己破滅的な選択を取ってしまうのか…?

というのが、山を始めた時からの疑問だった。クライミングに至っては、さらにその問いは強くなりました。死につながる選択をいとも簡単にクライマーはしてしまう。

ヒロイズム、承認欲求が答えなんだが…、

自己破滅なら、当人だけのことだが、他者を破滅させる選択肢となると、人ごとではない。

わざと迷惑をかけることに対しても、クライマーは、中2並みの自己抑制力しか持ち合わせない。 

■ 大・小

大きくは、栗城さんの事例にあるように、現代は、嘘の上塗りが、何億というお金を使ってしまうまで可能…

そのお金で何が出来たか?どれだけの飢えた命が救えたか?を考えると…その業の大きさに恐れおののいてしまう… 今生活に困っているクライマーがいたとしたら、そう思わないだろうか?

浮かれていたのは、本人だけなのではない、その煩悩の火に油を注いだ人がいるわけだ。

小さくは、敗退ロープなし!とかで出かけてしまうマルチだ。(私は身につけさせてもらった技術で難を逃れたが…)

■ 意思(業)の結果

岩場の事故はなくならないというセリフは、なくならないのではなく、

 無くす気がない

という意味なのだろう…と思える。集合の意思が、事故を無くしたがっていない。

私は岩場の事故死をした人たちをインタビューする死観という瞑想をしたい。

生きていた頃、どのようなクライミングの喜びを味わい、そして、何を残して死んでいったのか?

別に反省でなくてもいい。まるでろうそくが吹き消されるかのように、軽く、いともなげに死んでいく人々… 

クライマーという人たちの命への扱いよう、そのあまりにも軽い軽さ…それをきれいに書き取れたらいい。

それがなされないから、死のありようを誰も知らず、

登山ならレスキューしている人くらいしか知らず、

命のはかなさ、尊さも全く感じられない、

ということなのだろう。

それ以前に岩場を開拓してどうなる?結局は、地元自治体の迷惑施設となるだけのことだ。 




2022/10/19

故意に自分の命を害す登り方をしない、故意に人の命を害す登り方をしない

■ お釈迦様風にまとめると…

故意に自分の命を害す登り方をしない

故意に他人の命を害す登り方をしない

 

絶対に間違えて行けない選択とは、間違えたら人が死んでしまう選択です。

 例: 

・敗退用ロープなしで、ルートに行くこと、

・セルフレスキューを学ばずセカンドであってもマルチに行くこと

■ 外岩パートナー募集サイトでの議論の行方

ほとんどの意見が、ゲレンデのマルチで落ちてかかとを骨折したヤツのどこが問題なのか?分からないという意見だった。

思うに日本人はお子様なんだろうな…

いつまでも、昔は良かったな、という過去の古き良き時代にしがみつきたいという… 

今は今、昔は昔、ですよ。

現代では、クライマーはジム出身。未組織登山者です。教育なしには、ちゃんと育ちません。 

してよいことと悪いことの判別が、本人はつかないのです。

例え、山梨で10年登っても、です。その証拠が白亜スラブです。

わざと危ないように登るのが、かっこいいと思っているんですから…。そこは価値観を教えないと治りません。

冬壁でかかとやったら、もう登れないです。なので、訓練中は、最小の怪我でも避けるように指導されます。アイスアックスをマイナス25度で素手で掴んだら、手の皮、持って行かれます。若い人はドライの真似して遊んだりしますが、そうやってじゃれているときに、ドライの時のように加えて、口の皮、持っていかれた人、見ました。

最初に教わる環境がシビアだと、些細なことにも反省するようになります。厳しい基準が自分の中の基準になる。そういう人にとっては、フリークライミングのゲレンデは、何が危険なの?って感じです。

しかし、今回分かったことは、つまり、みんなのリスク管理が甘々なのには、

 自分に堪えない

から。

バカは死なないと治らない、という文字通りのことが起こっています。

くまちゃんは私に大怪我させてバカを治しました。

みなさんは、人を殺す前にバカ治してください。

 

フリークライミングの世界は、どいつもこいつも、リスク認知が甘く、地域住民の迷惑どころか、自分の命の大事さすら、顧みない。

そんな奴らのために、自分の時間をささげて、岩場を開拓したうえ、ヒヤリハット・危険を指摘しても、指摘した人の方が責められるなんて、仲間じゃありません。

そんな損な役目を自分で好き好んでやるようなバカでは私はありません。

誰がどーみても、ババ抜きのババですよ、それ。

■ その他の考察記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_16.html

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/vs.html


2022/10/18

試登=トップロープの事ですよ

■開拓者はオンサイトしていないんですよ?

さて、フリークライミングの世界であるが、少しであるが、私が学習したことをほかのクライマーのための書いておこう。

第一に、フリークライミングの開拓クライマーは、誰もその課題をオンサイトはしていない。そんな時代はとっくに過ぎたということだ。

フリークライミングでは、当然オンサイトが最高のスタイルなんだが、開拓においては、それは、めちゃくちゃ建前になっている。誰も、建前だと、声を大きく言わないから、私を含む、鈍い人たちが気が付かないだけなんだが…。それとも、喧嘩にならないように黙っているのかね?

ボルダーでもオンサイトはしていない。初登はしても、オンサイトはしない。っていうか、開拓していたら、オンサイトはできない。

■ 試登

なんせ、

   試登、

という都合の良い言葉があるのである。試登は、トップロープの事である。

つまり、 試登 なんかしちゃったら、オンサイトする機会がなくなるではないか!というのは、アルパインのクライマーのいうことであり、そんな野暮なことは、フリークライミングのクライマーは言わない。

(オンサイトしようと思ってグランドアップで取り付いても、登れなかったらエイドになってしまう、エイドになれば、残りはRPしかない)

最終的にフリーで登るために、最初はラッペルする=ロープにぶら下がって登ってみる、のが当然の流れになっているんである。

そして、記録から、ラッペルで試登したかどうか?は、慎重に省かれているのである。

この秘密を暴いたのが、アレックス・オノルド君の『Free solo』という映画で、彼の映画では、何回も試登という名のトライを重ねて、ムーブを自動化したことが分かるようになっている。いきなりフリーソロで取りつくわけがないですよね?

■ レッドポイント?

試登とレッドポイントは何が違うんでしょう? 同じですね。

試登では、何度も何度も登ってフリー化=レッドポイントしているハズで、レッドポイント以上にスタイルを向上させたい!と思ったら、もう2度目のオンサイトっていうのは、言葉の定義上はないのだから、フリーソロしかない。

というわけで、技術力向上し、スタイル向上を目指すとしたら、最終的にはフリーソロへ到達せざるを得ない。

■ 大昔のアルパインクライマーとフリーソロイストは同じ心境なのかも?

大昔のアルパインクライマーは、ロープをつけていたとしても、そのロープが三撚り麻ロープとかで、大変頼りなく、ほとんど保険にはならないようなものだったので、気持ちの上では、フリーソロと変わらない訳だから、結局のところ、

   どっちのクライマーもおなじ心境を目指している、ということになる。

この辺は映画『アイガー北壁』を見れば分かる。基本、命がけです。

■ フリークライミングの建前

フリークライミングは、それじゃ危ないからというので、建前上は、ロープに守られているわけですが、この建前から、命がけに戻したい、という本音への移行が、スタイル向上みたいになっています。

『ドーン・ウォール』のトニー・コードウェルは、フリー化(=レッドポイント)した後、その後はどうするんでしょうか?

というか、ドーンウォールをオンサイトするクライマーが出るのでしょうか?

というか、ドーンウォールをフリーソロするクライマーが出るのでしょうか?

いくらスポーツクライミングで鍛えたクライマーでも、試登ゼロで、挑戦させられることになったら気の毒ですよね…

■ トライ数が多いほうが下手

そんな気の毒さが一切ないのが、一般クライマー。

 落ちても落ちても登る、ということに美学がある

ので、何回落ちてRPしたか?の比較競争にしたらいいのでは?

 例:

 10回でRPした人 > 100回でRPした人

現状だと、逆さになっていて、100回やった人のほうがエライ、みたいになっていますが、本質的には、10回で登れる人の方が上手なはずですよね?色眼鏡で見ないとすると。

 本来 10回でRPした人 > 100回でRPした人

 現状 10回でRPした人 < 100回でRPした人 (下手なほうが評価されることになっている)  

すると、トニーのドーンウォール第2登なら、トニーより少ないトライ数で登れたらスタイル面で向上した=OKってことなのでは?

まぁ、2番目の人は、ほとんど報道されないので、気の毒ではありますが…。

第○○登の挑戦に携わっている人が、ごく少数なので、スタイルの向上、っていうことが一般クライマーには、知らされないのかもしれませんが。

■ 小川山レイバック

私は自分のフリークライミングの歴史を振り返っても、小川山レイバックを例にとると、努力型クライミングはしていません。


1)2014年6月30日 TR
2)2015年10月12・13日 カムエイドトライ  1年4か月後
3)2015年10月28日 TR 再登     
4)2016年 9月7日 ピンクポイント
5)2018年 7月10日 RP   4年後

2014年がスタートなので、足掛け4年。

登った回数は、トータル4回。5回目でリード。トライ数たった5回ですよ(笑)? 

練習3回しかしないでリードしろって、そっちのほうが危険ですよねぇ… 

たった五回って、ヘッドスタンドをマスターするくらいだって、もっと練習、要りますけど(笑)!

一日で5回練習すれば、登れちゃったのか?そうは思いませんが、私はこの課題では、一回もカムにぶら下がっていない。カムの知識が十分溜まり、カムのプレースメントが確実になるまで、落ちながら登る、なんてできないからです。

■ 落ちながら登れるためには、支点(カムプレースメント)のマスターが必要

そこをボルトルート専門の人は端折ってやってるわけです。

私には、ボルトルートでのクライミングは、支点の安全管理が、自分の管理下にないので、あまり技術が付いた、という実感がないためです。

私にとって技術とは? =自分の安全を自分の判断力で管理できる、ってこと。

でも、フリークライミングの場合は、とくにボルトルートの場合は、そこは重視されません。難しいのに、道具に頼らず登れるか?登れないか?が勝負どころなのです。

その価値観で切り分けた場合、支点を自前で設置する能力、ってのは、一般クライマーの場合、けっこうどうでもいいことなのです。(上級クライマーの場合は、支点構築能力は前提のようです)

支点があるところを登るのが、そもそもボルトルートだし、中間支点がないとしても、ラッペルで試登する(つまりTR)って話なので。どこにも命は掛からない(笑)。

最初から命は賭けず、努力の量、勝負ってのがフリークライミングなのではないか?と思うですが、その辺は色々聞いてみましたが、誰も教えてくれないので、分かりません。 

故・吉田和正さんなら、200回トライしろよ!と思っていたと思いますけどね。

■ なんでそのグレードで危険を感じる人をスタイルでイジメるんですかね? お前ら、いじめっ子の集団かい?

これは、ラオスで私が5.8にとりついているところです。

なんと梯子。

これ梯子使わなかったら、グレード上がるんですかね(笑)? 

スタイル向上させたかったら、次は、梯子使わず登ったらいいですね。

梯子使わなかったら、1ピン目、私、届かないですよね?

私だけでなくみんなも届かないかも?

それだけで、5.8ではなくなり(笑)、核心の1ピン目掛ける前だけのために、10がつき、他の部分はぜんぶ5.8程度の登攀だったりして(笑)。

しかも、

手が届いて、ピンかけれる人と、手が届かないで掛けれない人が、同じグレードって変ですよね?

なんせ、届かない人=リスクが大きい

ですよね?

リスクが大きい=より難しい

ですよね?

ん?なんか私、間違ってます?

フリークライミングでは、リスクが大きいことは、誰も評価しない、んでしたっけ?

命がけを楽しむクライミングではなく、努力の量を楽しむクライミングなんでしたっけ?

■ ラオスは現実主義

ま、ラオスでは、そんな細かいことにこだわらないで、現実的に対処することにしたようです(笑)。

なにせ、下の方がフリークライミングではリスクが大きいですよね?地面に近い=落ちたら怪我です。3mでも落ちたら、高衝撃事故です。

それで、5.8を登るような人でも道具を使うのはけしからん!とか、意地を通して、案の定、事故って、誰がなんの得をするのでしょう? 

クライマーのみんなが迷惑ってことだけは、確実ですが。

そもそも、フリークライミングって、危険の量の勝負事ではなく、努力の量の勝負事、だったのに… 危険の量の勝負を無理強いしている。

フリークライミングでは、道具を使っちゃいけなんだ!と言って梯子なしにして、事故多発して、誰の得になるんだ? 誰を?何を?守ろうとしているんですかね?

結局、守られているのは、誰なんですかね?

■ これは吉田さんですよ

アップ用ボルダー。

梯子使ってる(笑)。最初に印付けて登るんですよ。ここがホールドって分かるように。当然、後で消すんですよ。みんなそれやっていないけど。

印を付けたら消す、当然ですよね?うんちしたら拭く、並みの事でしょう。

フリークライミングの開拓の人は、道具に頼るのに、躊躇ないですよ。

なんせ、ノーロープはないレベルの困難度 のにチャレンジするって話なんですから。それは5.8辺りからです。

なんせ5が付く時点でロープが必要っていうのが、業界が、むかーしに下した判断なのですから。

だから、みんな5.8から安全にトップロープでスタートして、RPを重ね、安全に、どんどんスタイル向上させていけばいいっていう話みたいですよ?

そこで、5.9以下はクライマーじゃねえ!とか金玉の小さい事、言っているから、意地を張って、5.9くらいは、オンサイトしなくちゃなんねえ!といきなり取り付く人や、後輩に俺もこうしたんだから、同じにしろ、と無理強いする人が出て、事故が増えるんじゃないの?

そこをアルパインクライマー出身の人がアルパインの道徳観を持ち込んで、道具も使わず、オンサイトすることだけが価値だ!とフリークライミングの困難度で、こだわっていたら、そりゃ能力ないのに、丸腰で難しいのに取り組むわけですから、事故は増えまんがな…。

今エラソーにしているやつだって、名張でどこリードできるの?5.8一本だけって言ってましたよ? みんなそこからスタートなんですよ。だったら安全にスタートできた方がいいでしょう。

その上、トップロープ否定主義では、一生11から上は登れないかもしれないです。

落ちても落ちても練習できるって言う環境が、可能にしたのが5.13とか、の高グレードって意味なので。フリークライミングの教科書にもそう書いてあるし、なんせ知り合いの13クライマーは9割落ちているって言っていましたよ?

そういう人がたまにヌンチャクかけてくれますけど、当然よどみなくオンサイトで登ってしまいますが、おっしゃ5.9オンサイトしたぜ!と喜んでいません(笑)。登れて当然なんでしょう… 

■ ボルダーの開拓 建前と本音

建前

本音。小山田さん、すいません。

でも、こうして開拓しているってことなんですよ。

吉田さんも、フツーにぶら下がっていましたよ?

スタイル向上、

ということなんですよ、リスクはとらずに

スタイル向上。

5.9っていうグレードだって、背の低い人には、5.9ではなくなります。 ホールドに届かないんだから、当然でしょ。


 ■ 結論

だから、結局、ボルトルートのフリークライミングの岩場で、死亡事故があるっていうのは、不可避の事故ではない。避けられた事故です。

登っているクライマーの責任であるはずがないんですよ。なんせ、ビレイされている訳なんだから。ロープに守られているのが、フリークライミングなんだから。それで、落ちてグランドフォールしたらクライマーの責任ではなくて、ビレイヤーの責任です。

ランナウトで落ちてグランドフォールしたら、ボルトの配置の責任です。つまり、開拓者の責任です。

なんせフリーはロープに守られるクライミングってそもそもの定義ですよ?教科書にそう書いてある。50mに3ピンでもちゃんと守られている。グレードとマッチしているハズです。5.14だから、50mに3ピンで、5.9で50mに3ピンだったら、もはや5.9ではないですよねえ。

その証拠に、5.14で50m3ピンを登るクライマー何度も落ちて、RPですよね? トニーがドーンウォールで核心部、挑戦中に落ちて死ぬってないでしょう。同じことです。

ところが、5.9で50m3ピンみたいな課題になると、落ちたら死ぬことになっている。関西の斜陽がいい事例でしょう。

5.14と同じつくりにするべきでしょう。

蜂に襲われたのくらいでしょう、フリーの岩場で人的ミスでないのは。 著作権を主張するなら、義務も履修すべきです。

■ アルパインの論理をフリーに持ち込んで得するのは誰か?

一方、アルパインでは死亡事故はつきものです。ロープがあったって、足元の岩が崩れて落ちて文句が言えないのが、アルパインクライミングです。

私はアイスのクライマーですが、リードしているときにアイスを叩き壊したら、自己責任ですよ。だから、そうならないように叩かないで登りますよ?ウィル様のアイスクライミング動画を最近見ましたが、アイスの神様ウィル様も、ちゃんとテスティングして、つまり、アックスバチ効きになってから登っていましたよ? つまり、一歩一歩が落ちる可能性をかぎりなくゼロまで高めてから登っているってわけです。アイスではロープはあってもなくても結局フリーソロと同じです。ロープにはぶら下がらない約束なんで。私は、テンションだってもらったことないですよ。

その反対のフリーでは、ばんばんロープにぶら下がる約束って言ってもいいくらいですよ… そこから、スタート。だんだん、フリー化、していくもの、です。それがレッドポイントになる。

だから、フリークライミングの岩場での事故は、起こるはずがない事故を起こしているってこと。

人的ミスって意味です。

人的ミスなら防げるって意味です。 

事故は起きるものです、って、単に責任取りたくないって話なんじゃないですかね?

 

山vs登攀

■ 山vs登攀


私には登攀(クライミング)は、まぁ、手段に過ぎないな~と思う、今日この頃。

初めて行ったジョーゴ沢から硫黄岳を詰める山行では、ビーコンまで持たされて行ったのに、核心部の大滝では、登攀が簡単だと感じて、ロープを出さず、フリーソロで超えちゃって、後で師匠に

そんな山は教えていない! 

と、めっちゃ叱られたんだけど…。

それから順調にステップアップして、フリークライミングの世界へ来たが、ビックリ仰天の何でもあり!の世界である。

事例: 本気チョーク、ハングドッグ2時間、片手ビレイ、支点ビレイ、二人を一人がビレイ、ダラリンビレイ、ぱっつんビレイ、ロープスタック、アプローチもテキトー、地元の迷惑?何のこと… 落ちたら死ぬボルト配置は著作権、その著作権の根拠になる所有権はどこから来たのか?俺関係ねー、地元の迷惑?俺の知ったこっちゃねー、みたいなことになっており、

 フリークライミングの美学

がどこにあるのか?は、全然、語られない… まぁ行動を見て判断してねってことなのかもしれないが… それじゃ、にぶい人が分からなくたって当然である。偏差値74だった私だってわからないんだから。

フリークライミングは、実際のところ、手と足だけでロープに頼らず登るって意味なので、やってはいけないことだらけのクライミングなのではあるが、フリークライミング界の悲劇は、

 そんなクライミングは、フリーで登れたとは言わないんだぜ! 

と叱ってくれる人がいないことだろう…

 瑞牆でセカンド確保中のわたくし

2022/10/17

モラルハザード中の世界

今日の仏教説話は、地獄の三寸箸と天国の三寸箸の話でした。で、天国の箸を使っている人に、俺の当然の権利だと言ってお返しをしない人が出てきたら、それが、モラルハザード。

それが、九州に来て、私に起きたことです。

それまで、自分の周りでは、良い環境で登っていました…

事例。これは、6年前の記録です。 https://allnevery.blogspot.com/2016/10/blog-post_17.html

土日は小川山&瑞牆でした。

瑞牆では、初めてのクラックオンサイト!カムの設置も初めてなのでドキドキでした。頂上への階段5.8オンサイト。となりのプリンプリン5.9はTRノーテン。

気をよくして2Pのマルチの片葉足1P目5.7をリードしたら、カムが足りなくなり、大ランナウトして初心者であることを痛感しましたが…とりあえずオンサイトできたのが、うれしい!

土曜の小川山もオンサイト1本。クライミングは楽しいな~!という結果になりました。

あとは10Aのカメ岩クラックはフェイス部分出だし核心で落ちました。上は快適。

きちんとした反省だな~と自分でも思う。

登攀力だけがついても突破力ができるだけで、後は全然、なら、アルパインでは、行けるところの幅は全然広がらないし、フリーなら安全は高まらない。

したがって、ボルダーをやるしか選択肢がなくなる。

アルパインルートへ行く技量 (いわゆる総合力)

= 基礎となる登攀力 + 体力 + 時間通りに登るためのロープ裁き +  アルパインのリスク感性 + セルフレスキューに必要な基礎知識 + 遭難時の予備力

フリークライミングへ行く技量

= 基礎となる登攀力 + 基本的なロープワーク知識 

外ボルダーへ行く技量

= 突破力