2021/07/22

クライマー憲章(案)



 子どもは安心して生きるため、次の権利を保障されます

1)命が守られ、平和で安全な環境のもとに暮らすこと

2)愛情をもって大切に育てられること

3)健康的な生活を送り、適切な医療を受けられること

4)いかなる差別、および、不当な不利益も受けないこと

5)困っていること、不安に思っていることを相談すること

6)虐待、体罰、いじめから心身を守られること

7)プライバシー及び誇りが守られること


これをクライマーバージョンに直すと?


1)命が守られ、平和で安全な岩場のもとに登れること

2)誠実さをもって安心安全にビレイされること

3)健康的なクライミング生活を送り、適切なレスキューを受けられること

4)クライマーであることで、いかなる差別、および、不当な不利益も受けないこと

5)クライミングで困っていること、不安に思っていることを相談する先があること

6)クライミングにおいて、無理強いされたリード、体力をはるかに超えるトレーニング、支点ビレイやお座りビレイ等の非常識な行為、から心身を守られること

7)社会生活などのプライバシー及び、個人の誇りが守られること


どうでしょうか?どの項目も、あまり達成はされていない現状のように思います。

とくに、昔、あまり社会的に容認されない不実な過去を作ってしまった先人たちのせいで、仮にクライマーの印象が非常に悪いとすれば、4)が難しくなってしまっているかもしれません…

つまり、後世のクライマーは、より品行方正を求められる、マイナスからのスタートと言うことになってしまいますね…

なんだか、その気配が濃厚だったのですが。

余罪が出てこないか、心配です


■ 五輪終コン

五輪が終コンっていうのは、すでに地位を確立したプロクライマーがオリンピックなどでないと表明していることで分かるのですが…

五輪憲章に書いてあることを主催者側がここまで軽視、無視していることが露骨にあらわになった五輪もホント、すごいな…

五輪ってホントにお金儲けだけの活動だったんだな、って改めて言うまでもないことが、ここまで明らかになると、すっかり覚めますね…分かっていたことですが、確認した、みたいな…。

最近、こどもたちにクライミングを教える機会があるので、子供時代の自分がどういう風に物事を理解したか…ということを考える機会があります。だいたい12歳くらいになれば、大人と同じことが理解できると言われていますが、それ以下の子どもは発達の差が大きく、どういってあげると分かるかなぁと思っているからです。その思い出しついでに、自分の過酷だった子供時代を思い出すこともあり、今、まさにそのような目に会っている子供がいたら、助けないとなぁ…と思ったので、子供の権利オンブスマン活動、という講演会に最近出かけてきました。

…結論から言えば、とても残念な会でした。やろうとしていることは、素晴らしいのですが、活動が自己目的化し、そして、子供のための活動というより、大人のための活動になっていました…(><)。

自殺に追い詰められるほど子供が追い詰められている
救わねばならない
組織を立ち上げないといけない
定期的な活動をしないといけない
活動費が必要
活動場所が必要
お金がないから活動ができない

と問題のすげ替えが起こっていました…。若い男性が中心になって活動しているようでしたが、周囲の年配者たちがほとんどその男性の応援者で、子供たちが困った時に、多くの大人に窓口があるほうが有利である、というようなことは、まったく気も付かないようでした。

結果、こどもオンブスマン活動では、大人が”補助金で”食うために、”いじめられて自殺に追い込まれそうになっている困っている子供”が必要になっていました。

五輪憲章を理解していない主催者側がお金儲けのために、スポコンお涙頂戴アスリートが必要、みたいな構図とフラクタルですね。

五輪は運と長い間続いた活動なので、活動している人たちからすると、本音が五輪憲章にないことは、公然の秘密、みたいになってしまい、それでやってきたのでしょうが…、今回はそうしたことを外部にも、究極に証明してしまったような??

五輪ドタバタ喜劇…森さんの失言から始まり、障碍者への犯罪行為の開き直り…

はぁ…です。もう日本は、これ以上ないまでに、恥部というか本音というか、さらけ出し過ぎです…。

■ アクセス問題 = 不実な過去

私が不安なのは、

岩場のリボルトやアクセス問題の解消というようなことも、正面から取り組み始めたら、このようなことになるのではないでしょうか…

ということです。

不実な過去が清算…されたら、ありあまる余罪が出てきたりして、目も覆うような状況なんじゃないか?と、不安になってきた…。

最近、『我々はいかに…』を再読してみましたが…これを読んだら、行政のアクセス問題担当者は、クライマーに岩場の使用許可を出すことを、さらに躊躇するのではないだろうか?という内容でした…。

まずは、命の大事さを、という基礎教育から必要なのがクライマー業界なのかもしれません。

ロープワーク技術が大事なのは、それが、クライマー本人の命を守るから、です。

決して、事故を起こして他者に迷惑をかけるのが良くない、からではないですよ。

基本的な命の尊厳、ということを教えないと、他人の目を伺い、人が見ていなければ、人道に外れるようなことでもしてしまって良いというメッセージを子供に与えてしまいます。

2021/07/21

528 Hzポジティブトランスフォーメーション、感情的および肉体的治癒、抗不安、再生

露悪(サイコパス)が社会的に許されない件について

■ いじめそのものより露悪が悪い

今回は、小山田圭吾さんの過去の愚かな過ちはともかく、それを露悪的(自慢げで悪いことをしても開き直っていること)に語ったことが、結局、長年、過去の過ちについて、罪悪感すらない、という人間性、つまりサイコパスであること、が露呈して、オリンピックへの関与が取りやめになったほか、彼の社会的生命は、これで断たれたも同然ですが、それが

 国民のうちから出た批判…つまり自浄作用によるもの

で…良かったのではないでしょうか? 

これを文化などと評して受け入れるようになってしまっては、日本社会は、かなりお粗末です…。他国の民度を笑っている場合ではありません。

■ 過去だからと言って、チャラにならない

現在52歳とこのことで、イジメていたのは中学生だとすると、すでに40年近く前。露悪的行為で雑誌のインタビューに答えていたのは、30年近く前、

…だそうですが、それでも、ほとんど犯罪と言える、その行為とその悪質さについての自覚の無さ…は、社会的に許されず、成功は剥奪されました。

それは日本社会が、善悪の判断を失っていないということで良いことのように思います。

■ 他山の石

同じことでクライマー達も、いかに昔の事だったにせよ、例えば、那智の滝を登ってそれを宣伝に使った過去とか、谷川岳行くのにキセル当然したとか、小川山のレタスを盗んだ、とか、反省というか、反省しているのなら、恥ずかしそうにしたほうがいいですよね…。露悪ではなく…。

まぁ、こういう事件に限らず、露悪的な趣味で、

 岩場を汚したり、

 わざとランナウトして、相手を恐怖に陥れそれを見て楽しんだり、

 挑発したり

 ロープを軽視して命を軽んじるようなことをしたり、

そして、それらを統合して、それを武勇伝としたりする精神

は、今後はクライマー業界内から自発的に自浄作用として、きれいにしていった方がいい…

そうすることが賢い選択となるだろう、と言うことが分かったのが、この小山田圭吾事件です。

■ うるさ方

クライミング業界では、現在、ボルトが危ないよ、とか声を上げているクライマーは、私と井上D助さんくらいで、一般クライマーのほうは、ゆでガエル状態です。

新しくクライマー業界へ入ってきた現代新人クライマー達への教育的要素がある資料もないので、リスクに気がつくことがそもそもできない。海外で登れば気がつきますが、それ以外に気がつく方法がない…ので、多くの人は、何をそんなに…大げさな、という状態です。

…が、日本の岩場はまじ世界的に見てもヤバいレベル感ですよ。分からないのは、無知だからの一点です。

バブル崩壊も、私の大学の先生は、”今に恐慌が来る”と予言していたんですよね…経済学的指標で普通に予見できた未来だったのでした…バブル崩壊。どうもリーマンショックも同じで、予見していた人は予見していました…。同じようなことだと思うんですよね。

色々な事実を精査してみれば、あちゃー!という状態にあることが分かるけれど、誰もこのボルト何年に打たれたもの?と問うてみないから、無知という状態で心の平穏があるだけです。

小山田圭吾さんも40年近くもの間、誰からもとがめられていなかった。今の岩場と同じですね。

それは、誰も彼がそんなひどいインタビューを世に出したことを気にも止めていなかったからです。

本人は、世間を舐めていたんでしょう…許されると確信していない限り、堂々と障碍者を笑って見せる、などという言ことは起こらないはずなので。

つまり、アンダーグランドだから大丈夫と思っているクライマー業界と同じ構図です。見つからなきゃ悪いことをしても大丈夫って心理ですね。

クライマーも小山田圭吾さんの事例を他山の石として、これまでの

 現実逃避&露悪趣味&見つからなきゃ大丈夫主義

について、改めて行ってもらいたいものです。

これを行政の人が読んだら、余計岩場の使用許可は、降りなくなるであろうと思われる名著


2021/07/20

小山田圭吾さんの障碍者イジメ事件

■ 悲しいな…

小山田圭吾さんの障碍者イジメ事件…で沢田君という障害のある青年が、いじめられてもなお、小山田さんを友達だと認識していたらしい言動がうかがえること…とても切なく、悲しい。お母さんの身になったら、なおさらだ…。

敵を味方と間違える…ってこと…。

子どものころ、学校に江崎君と言って、奇行したりする子がいた。金魚の餌を食べたり、自分の爪や鼻くそを食べたり、お母さんが入院中でお父さんだけなので、世話が行き届かず、制服も洗われていない… 私は級長だったので、いつも席替えでは江崎君の近くに配置され、いじめられないよう見張る担当だった。

江崎君は知恵遅れも少しあった。というか、たぶん、幼児退行…。休んだ時には、プリントを持って行ってあげる担当で、ある時は江崎君の家が余りに汚いので、掃除して帰ったことがあるくらいな家の様子だった。

そんな江崎君も、中学高校になると、数学の才能を発揮するようになった。江崎君は、熊本では、成績の良い第二高校に進んだ。女子校から、共学に変更になった年だった。

通学方面が似ていたので、ある時、江崎君と通学でばったり会った。江崎君は、「ねぇ共通模試何点だった?」

その言葉に何しろびっくりした。なぜなら、私は江崎君がかすりも届きもしない圧倒的な優等生の地位を中学では築いており…ダントツの生徒だったからだが…その私と張り合うという発想が…驚いたのだが、それに驚いた自分にも恥じた… 私ってば、江崎君を下だと思っていた、ということだったからだ。

たしかに、低学年のころから見ており、学校でうんち漏らしたり、おしっこ漏らしたりしているのを知っていたんだが…。でも大きくなったら、数学はすごくよくできる子だったんだよな…

私は、ほかの障害がある子も時々助けてあげることがあり、異様に背が小さくて、病気のためにお腹が出た子だったんだが…ある時、幸せそうな姿を見て、本当に反省したというか… 障害があってもなくても、人は存在だけで価値があるというか、価値がない、かわいそう、という価値観を植え付けられていたために、良い子気取りで自分は彼女の世話を買って出ていたんだと思った…恥ずべきは私の方で、彼女のほうではない…。いつもいじめにあわないか、心配して見ていんだが、その行為はすごく傲慢だったってことだ…。

そんなことを思い出した今日のオリンピックイジメ事件… 子どものころに恥ずかしいことをするのは、普通のことだ。子供なんだから。

私は水が怖くて、うつむきで髪を洗うのが長いことできなかった。水泳も恐怖で泳げず、それを乗り越えたのは、つい最近…去年に過ぎない…。

子ども時代は、誰でも間違いを犯すものだが、人として健全な心を培う以前に、いじめをしてしまうのは仕方がないかもしれない…が、その後、それを露悪的に自慢してしまうのは… 

やった行為以上に、その後の救いの無さ… 犯した罪以上に大きいような気がする事件だった。


ネットの誹謗中傷は、どうも私もされているらしく、親切な人が時々コメントで忠告してくるんだが… 人の苦労や痛みを見て、喜んでいる人がいるとすれば、それは

サイコパス

という心理らしいですよ。

https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1?fbclid=IwAR1IL4prVGdtx2lQ8e1wZzV1xYw0mMl0_PF0SaCZHoIHy8XFLK5n_A0wVgo

https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210719-00248671

https://biz-journal.jp/2021/07/post_238746_3.html

Climber Stewardという言葉を広めよう!

■ クライマースチュアードという役職名を確立させよう!

Climber Stewardという言葉を今日知りました。

インディアンクリークに2名のクライマースチュアードが就任しました、という記事です。


■クライマースチュアードとは?

岩場の案内係、誘導係です。

例えば、初めて岩場に行くなら、5.9くらいの人はこれを登って、5.12くらい登る人はこれを登って…とグレードに適した課題の案内をしたり、〇〇の支点は微妙だから3点目を取ってください、とアドバイスしたり、真夏は〇〇エリアは暑いですよ、とアドバイスしたり、そもそもアプローチの案内をしたりする人のことです。

私は日向神について、自然に県外クライマーのクライマースチュアードをしていた、ということになりますね~

今までは、開拓者と大体混同されていたり、岩場に詳しい人、というおおざっぱな感じだったと思いますが、役割、として認知されるくらいに、クライミングが大衆化してきた、と言うことだと思います。

元祖 クライマースチュアードは、北山真さんになるのかなぁ…。百岩場、書いた人なので。

2021/07/18

Trust But Check

 

■Trust But Check

うのみは良くないと言う師匠が、良い師匠。


このブログでも何度も言っていますが…

噂話や世間体

で目の前にいる人を判断するような人とは登らないに限ります。

人としての信頼性にもとります…

世界を敵に回しても、友でいてくれる人が真の友であり、時流に流されて都合の良い時だけ一緒に登りたがる人にいのちを預けて良いわけがありませんね。






2021/07/17

アメリカアクセスファンド協会の会議のお知らせ

 https://accessfundconference.secure-platform.com/a

Registration is now open for Access Fund’s 2021 Climbing Advocacy Conference. We’re calling all climbing advocates and local climbing organizations to join us virtually on October 8 and 9 to celebrate access victories and learn from fellow climbing conservationists across the country.

Registrants can look forward to:

    Presentation of the 2020 Climbing Advocate Awards

    A virtual roundtable to introduce participants and their organizations

    Panels and workshops on stewardship, working with land managers, land acquisitions, LCO development, JEDI programming, rebolting, low-impact climbing awareness, and much more 

    Access to inspiring, action-packed documentaries from Mountainfilm on Tour

    Recordings of all sessions

Registration is free, but space is limited so secure your spot soon. You can view a draft agenda at the link below to see what’s in store for this year’s conference.

※ Justice, Equity, Diversity, Inclusion (JEDI)

リンク先にある動画が秀逸で、こんな風になったらいいなと思いましたが、どうもコピペで張ることができない仕様なので、リンク先に飛んで行ってみてもらいたいです。


2021/07/15

打ち付ける雨を眺めつつ…

ついに雨が降ってきました…大荒れです

子どものころ、親の不在の家で、弟と二人、不安に思いながら、ベランダで、驚きつつ、光る稲妻を眺めていたことを思い出します…濡れるのも気にせず。

母親代わりのお姉ちゃんとしてではなく、普通の子ども時代が送りたかった。弟と普通に兄弟として遊ぶ時間が欲しかった。弟を亡くして、そうしたことは一切叶わなくなった。気が付いた時には、弟はすでに亡くなっていました。

クライミングは子供時代のやり直しみたいな活動で、弟の遊びに混ぜてもらう姉ちゃん、でした。

しかし、いくらみんなが優しくて一緒に遊んでくれても、弟ではないし、また子供時代の無邪気さで遊べるわけではない。

いくら私が相手に弟を投影したところで、あくまで違う人だし、無邪気に遊びたいと思ったところで、もう大人だし…。

それだけ、子供時代というのは、貴重な時代だということです。

子どもから、子供時代を奪うのは、非常に残酷なことだな。

私の母のようにやむを得ない事情があったとしても、その残酷さは変わらぬわけなので、子供が子供らしくいられる社会になってほしい、と思います。

現代は、特殊な事情がない家庭でも、子供から子供時代を奪っているんではないだろうか?

子どもとしての子ども時代を喪失した子供は、大人になって、大人として子供時代を再演する…そのためにクライミングという活動が大人に許されているのかもしれません。

ラオスでジュマが取ってくれた写真


【栄養学】コーヒーは決してこの3点を無視して飲まないでください。

交流分析手法でクライマー集団を見てみたら

 ■ 交流分析とは?

人間の自我を 

P=ペアレント

A=アダルト

C=チャイルド

という3つの自己に便宜的に分けて、交流が並行的交流(発信者が、△と投げたら、受信者も△と受け取る)と非並行的交流(発信者が△と投げたら、なぜか受信者は×と受け取る)を分析表現したものです。

■ クライミング業界に多い定年退職者のPACバランスとは?!

次の写真は一般的な老人のPACバランスです。なんと… アダルト、すごく小さい…



右の1)は、一般的な老人のPACバランスで、ペアレント(親)としての保護者的な自我が大きいです。しかし、社会人として実務処理の能力をつかさどるA(アダルト、大人)としての働き…分析能力や判断能力、実行力、は、まぁ当然ですが、現役並み、とは言えないわけですね。知恵は出せるけど、実績は出せない。ということです。まぁ、当然のことなので、特に驚くには値しないです。

さらに左の2)では、幼児帰りした老人の姿となっています。身体的能力も衰えてくると、人に頼らざるを得ません。

これらの自我が一般的な、”おじいちゃん”の自我とすると、特徴は、Aが非常に小さいことです。


■ 若者の自我

こちらが、思春期の自我です。これは、拡大解釈して、クライミングでは、若者、という大まかなくくりで、この自我が見受けられるように思います。


例えば、私の最初のパートナーのS田さんは、アルパイン初心者でしたが、ジムで5.11が登れたので、そのまま北岳バットレス四尾根に行って良いと思っていたようでしたが…つまり、A、アダルトとしての分析力が経験不足からない、発揮できない状態です。

これは、本人の意識としては、俺はもっとできる!と思っている状態ですが… まぁ、思春期と同じで、正常な発達段階というか…痛い目に合って理解するか?最初から理解するか?は人に拠りますが、大体は通る道というか、そんな感じです。


■ 現代初心者と高齢者という組み合わせ

そして、この現代初心者と高齢者という組み合わせが、岩場で一番多い関係性のように思われます。特に山岳会。今は、クライミングを教わる機関がありませんので、大体の人が山岳会などに行かざるを得ないわけですが… 最も必要な、アダルト、大人として

・クライミングを評価し、・分析し、・何がセーフクライミングに必要な要素か?

と考える自我が…

揃い難し…

ということが、岩場の人口動態から言えてしまうわけです。なにしろ、40代、とか岩場では非常に少ないです。

ちなみに山岳遭難で最も多い人口は、65歳以上及び20代です… 

クライミングは、童心に帰れて楽しい活動ですが、本当に童心に帰ったら…ロープも結ばないで、怖いもの知らず自慢みたいになってしまいます…それは童心に帰る行為ではなく、たんなる、幼稚な行為。

そんなことすら、アダルト=大人としての冷静な視点が欠如すると、客観的に指摘してくれる人がいないという結末になりえます。

そもそも、大人という自我が、岩場には得難い自我である、という話でした。

 定年退職者+現代初心者 = アダルト自我不在で危険が多い組み合わせ

 定年退職者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ

 現代初心者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ

参考図書: 池見酉次郎著 『セルフコントロール』https://amzn.to/2UboSek

2021/07/14

ヒマラヤの山岳史が過去20年間進化していないことについて…

■ ヒマラヤ史

山野井さんのヒマラヤの記事を読んで、そうなのかぁ…と思った。

第三回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_3_special/?fbclid=IwAR1WQMUnQfzlE3xtSN7w_ieUGiFFYvkAknaahX1vpoh6VRmgz4L_fAvpJ04

第二回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_2_special/

第一回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_1_special/

とはいえ、どんなメディアにこれが載っているか?ということが意味深い…。

■ サブカル系文系雑誌

本来、文登研の『登山研修』にでも載せるべき記事だが…、残念というか、世相を表しているというか、サブカル系の文系雑誌に載っている…。

血の気の多いイケイケ男子がいるとしたら…というか私が知る限り周囲の男性クライマーはみんなそういう体育会系だったが…、最も手に取ることがなさそうな雑誌である。

…男性社会の間では、”文系男子”と”体育会系男子”の亀裂は、女子のそれより深い。

男らしさの根幹…自分の存在のアイデンティティの根拠のところ…で、違う発想をしているせいだろう。互いにいがみ合うというか、否定しあっている相克の関係性だ。

女子にはそれはないので、女性の目からは、にわかには分かりづらいのだが…。

ヒマラヤで命を賭したアルパインスタイルの山(つまり、厳冬期のマイナス〇〇度という山で、しかも極地法ではなく、少人数や悪くすると、ソロ)という山をするのは…

 今、一体どれくらいの人が指向しているんだろうか?

■ ボルダー

ボルダーは、要するに、男性の体力燃焼のお気軽バージョン、とでもいうような行為という側面が強い。

高度経済成長期の父親不在の家庭が大多数になった日本で、ママボーイの男性が一般家庭においてすら増え、なおかつ肉体労働の必要のなくなった現代社会で、あふれ、余った、体力を気軽に燃焼できる、健全な場、という趣だ…。なにしろ、ジムなんかにいくより、タダ、だし。そこにはあんまり思想的な奥深いものはない。

(念のため言っておくと、まぁ、トップクラスの人ではなく、市民レベルの話で。ママボーイというのは、まぁ悪環境に耐えれない人がやるスタイルだからだ。例えば、岩場にいるのに、除菌シート持ってくるみたいなタイプ。冷暖房完備を望むタイプ)

アルパインクライミングの主たる舞台は、パタゴニアに移動したのかなぁ…と、祐介さんの記録などから、思っていたんだが…。

ヒマラヤが終コンなのではなく、単に、ママボーイが増えて、ヒマラヤ的環境に耐えれない、耐える価値を見出せないってだけなのかもしれない…。

山でも実は人材難、なのかなぁ…。