教わったことしか、次の人に教えなかったら、教える内容はずっと固定化され、進化しないままです。教わっていなくても、自分が分かっていることで相手が分かっていないことは教えるべきです。その理由は、教そわった以上に教えないと、何も進化しないから、それだけです。
教わっていないから教えないはエゴの声。エゴの声で登る人たちに真のクライミングはありません。
教わったことしか、次の人に教えなかったら、教える内容はずっと固定化され、進化しないままです。教わっていなくても、自分が分かっていることで相手が分かっていないことは教えるべきです。その理由は、教そわった以上に教えないと、何も進化しないから、それだけです。
教わっていないから教えないはエゴの声。エゴの声で登る人たちに真のクライミングはありません。
グージョンからケミカルへの更新
になったボルトの写真です。これはタイの開拓者である友人から回ってきたものです。ご参考までに。実際の投稿ではリボルト中の動画まで回ってきています。一見正常に見えるボルトでも外してみるとこのような状態です。またタイでは、カットアンカーからグージョンへの打ち替えではなく、グージョンからケミカルへの打ち替えの時代です。ご参考まで。
■ 説明力=リーダーシップ
今日は、外国人の友人2名と見晴らし岩でクライミング。
”説明力”こそがリーダーシップの源泉だということをしみじみと感じました。
■ 説明する手法
クライミングの掟:
登ったら、降りないといけない
=ビレイヤーがコントロールするローワーダウンを平地で教える
=同じ手法でグリグリで自分でコントロールするローワーダウンを教える(つまりラッペル)
=同じことをATCで教える
全部平地で。まずは、ギアに対する信頼とロープに対する信頼を覚える。
(ギアの信頼の量)>(見せかけの恐怖) ということを納得するのが大事です。
今日は、登る前にローワーダウンを覚えてもらいました。平地で。それで、上に行っても十分上手にローワーダウンできました。
その後少し登って、さらに最後に、見晴らしの良い場所で高度感がある程度あるところから、ラッペルをしたのですが…すでに道具への信頼やロープへの信頼が出来ているので、ラッペル大丈夫だった。ここで、セルフを2か所取る、というのも教えました。
リアリティがある設定でないとセルフの大事さは、なんとなくしか、分かりません。
今日の達成:ローワーダウン、ラッペル、セルフ
まずは、自分が岩場で、快適に怖がらずに過ごせないと、ビレイなど人の分の命の責任を持つことなど、不可能でしょう。
■登るほう
登るほうは、5.6とか5.7の段々の多いところの方が初めてのクライマーには難しく、5.9の難しいところの方がホールドが限られているので、易しいようでした。
だいぶエイドしましたけど…。
私は初心者には、技術的な習得を求めさせるべきで、登攀の出来はどうでもいいと思っているので、どんどんしたがるままに、エイドしてもらいました。どんどんエイドを少なくするように訓練したらいいだけですし…。
初心者には見晴らし岩は、やっぱり登攀自体がとても難しいエリアだということが分かりました…
全国的な標準グレードで言ったら、どうなるのかなぁ…。
易しいところは別の技術が必要な気がしますし、傾斜がないので落ちれないですし…。なんだか、色々ニッキーが説明してくれたことに納得。
ルートは個別の特性があって、グレードできれいに並んでいる者ではないですね。彼女も平面の5.9のほうが登りやすく、段々が一杯の易しいエリアは苦手なようでした。
■説明しすぎ の苦情について
私はあまり丁寧な説明を受けたことがないと思うので、色々と自学自習したため、自分の後の人には、色々こまかく言うほうですが…アップアップになるか、ならないか?は、相手の側の問題かもなぁと思ったりしました。
今日は楽しく登れました。
とりあえず、5.9がまだノーテンで登れてよかった。
季節の花は藤。スミレは終わっていました。風が強い日だったけど、佐賀県側は、ぽかぽかでした~
■ニッキーの感想
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Today was my first time rock climbing out in actual nature (aka not in a climbing gym)! It was easier than I expected, and a lot of fun. Kinny was a great instructor.We drove to Mt. Sefuri in Saga, and came across a few monkeys along the way (a VERY rare sight - I honestly didnt even know we had monkeys down here!!)
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ラッキーアイテムは、おさるとの遭遇!
資料
https://docs.google.com/presentation/d/183awD4b2puYIKpJjs0B8aBHS3YgoareXnLVViGUpSqk/edit?usp=sharing
■今日の引用
「成長」だけを見ていては、成長が止まった時に新しい発想が出てこない。そこで衰退の中で、もがきながら新しい何かを生み出そうとする動きに着目するわけです。」私は菊池の生まれで、母と父の代では、菊池では知らない人がいなかった名誉市民の家の出でしたが、母と父の代で没落しました…。
私は、主に母が配偶者の選択を誤ったことが、母の悲運…3人子供を作った夫に捨てられる…を招いたのだと、クライミングを通じて普通の男性を観察することで、謎解きして分かったのですが…。
結論的に、気の毒なお母さん、と思っています。
なので、菊池と言う土地は、なんだかなぁ…気の毒な女性…主にシングルマザーたち…のことについつい思いを馳せてしまう…。つまり、複雑な気分になるのですが…。
とはいえ、先日、夫と結婚当初に祖母に夫の顔を見せるために出かけた九州旅行で訪問した以来の、20年ぶりの菊池渓谷を訪問しましたが(ほかの訪問目的があったので)、子供のころに魅了されたほどの素晴らしい自然は、もはや残っていないことの確認、と言うか、水の美しさも、山梨のほら貝のゴルジュのほうがきれいだしなぁ~ 沢の大きさやナメ床も、東沢釜の沢のほうがきれいだしなぁ~とか思ってしまいました。つまり、家族で出かけた夏休みイベントに郷愁を感じる、ということはなく…。
むしろ、なんとなく、自然の本当の姿を知らない、あの頃は、こんなちっぽけな場所でも偉大に感じたんだったんだよなぁ~と、自分が歩んだ道の偉大さの方が目につきました…。
私の過ごした2013~2016までの登攀での成長は、やっている本人は、きちんとしたクライミングパートナーさえいれば、もっと高度な成長ができると自分では感じていましたが、人工壁で3mで落ちているスタート段階から、甲斐駒積雪期単独登攀、阿弥陀北稜積雪期の単独登攀、荒船山ミックスセカンド、インスボンセカンド、ラオス登攀単独、台湾登攀単独…韓国アイスクライミング、って、ものすごい成長の急カーブです…そうじゃない人を九州で見て分かりました。
■ 運命のスイッチが切り替わる瞬間=責任を引き受けた時
みんなの躓きポイントは、ビレイです。
ビレイをマスターしようという気がない人は、3年経っても、そのまんま…。
たぶん、ビレイというクライマーなら誰でも引き受けなくてはならない責任を引き受けよう、と覚悟ができたら、その時点で、何か、運命のスイッチが切り替わるんだと思います。
昨日、子ども体験クライミングで初めてクライミングした14歳の信二君は、運命のスイッチが切り替わっており、私にはそれが見えました。
彼、他の子にエイトノットが教えられるようになったんですよ。ハーネスも丁寧に他の子につけてあげるし…
今日は、コロナで行き詰まった人の話が回ってきたのですが…行き詰まり=スイッチ切り替えタイミング…
ここは、いっちょやるぜ!とやる気を出すタイミングです。そういうピンチの時に、やる気、ではなく、むしろ、引きこもる、と言うタイプの受発色の人がいますが、そういう人にはどうしたらいいのか?
凄く謎です…でも、最終的に自分のことは、やっぱり自分しか分からないので、他の人に、”そうじゃない、こういうふうにして、そうじゃない、ああいう風にして”と、要求を出しても、決して100%満足することはできないんですよね…。最も的確に自分を満足させられることは、自己満足、です。
それを自覚というか、心底納得したら、
”そうか、自分での足で歩くしか、100%満足する方法はないんだ”と思うと思いますが…遅かれ早かれ…
なかなか、自立、自分起点で物事を実行するということに頭が切り替わるのは、大人になってしまった後だと難しいみたいですね…
話がそれましたが、菊池渓谷に行き、母を愛しそして愛され返されなかったという気持ち…業、が枯れつつあるなぁと思った今回でした。
業を燃やしたのは、クライミングでの成長、です。
ボルトを追いかける登り
⇒
ボルトがあってもなくても、
カム、ナッツ、ハーケンなど、適切なプロテクションを自由自在に組み合わせて、自分に適した安全マージンを確保できる
(ボルト依存)型クライミングから、
(プロテクション自由自在&自立)型クライミングへ。
1)◎◎山岳会の○○です
ときちんと名乗れる、雲隠れリスクがない人と登るのが大事です。
そうでないと、貸したものを返さず、ドロンする人が昨今います。ビジネスでも名刺を配るのはそのためです。
2)会に属していなくても、住所氏名をきっちりと出してくれる人とのみ登る
初めて会ったとき、住所氏名をきちんと書いて渡してくれた師匠…
最近の若いクライマーはそうでない人が大変多く、それは、自分が粗相した時用に雲隠れしたいという願望が残っている気がします。思い違いかもしれませんが。
しかし、長年一緒に登ってきた人が住所すら知らせて来ない…
私は大体いつも、登ってくれる人とは夫に会ってもらっているのですが、それもそう言えばやっていなかったなぁ…。
色々考えて、今後そういう人は、無責任な体質を自己正当化している人が多いと思うので、用心の一つとして登らないことにしたいと思います。
■アイスにはグレードがないのがアイスの良さ
アイスにはデシマルのグレードがないです。ので、基本的に登る最初から、グレードは分からない状態で、
自分が登れそうか登れなさそうか?の判断
になります。それがアイスの良さ。 基本的に難易度は傾斜で決まっていますが、傾斜がきつくなると当然ですが難しくなり、桁違いの難しさが始まるのが90度。60度なんて初日で誰でも登れます。(登れてもノーザイルでは下れないです、アイスは明白にそのことが分かるのが良さです)
90度以上のアイスが6級ですが、6級になるとムーブの習得が必要で、具体的には、フリ、とかツイスト、とか側体、と言われるムーブで、後はフラッギングです。国際大会ではヒールフック禁止。理由は簡単になりすぎるから。
6級を登ろう、というのの中身が、到達目標として
1)垂壁を登れる
2)側体を覚える
3)フラッギングを覚える
4)振られ止めを覚える
5)登るラインを見極められる(シャンデリアを避けることを覚える)
6)適切にプロテクションを打て、レスト出来る
ということになっており、ここにはどこにも、数値目標、は入っていません。
それが大事なことかも?
習得した技術が、身に付いたかどうか?は、自動化、で計っていました。
自動化には、反復練習が必要です。自動化が起きる反復練習の量、というのは、個人によって違うと思います。
そこを待てないというせっかちが最も指導者が陥りがちな、悪習慣、だと思います。
■ まとめ
グレードを見ずに自分が登れるか登れないかの判断で登る
数値目標は入れない
習得したかどうか?は自動化で計る
自動化が起こる速さは個人で異なる
■ 太ったバレリーナ
今日は、太ったバレエダンサーのビデオに朝から感動しました。
クライミングの何が嫌気が指してきたか、分かった。
みんなが私にグレード(結果)を求めてくることです…。
■ バレエでのこと
20年続けたバレエですが、私はバレエそのものが好きで、19歳でスタートしているため、60代でスタートする一般成人と比べると、すぐ上達してしまったのですが、当然、3歳からやるバレエの世界の人と肩を並べることはできませんし、したくもありません。
3歳からやっている人は、18歳で自分は世界クラスのバレリーナにはなれないと分かったら、バレエを辞めて、二度とバレエをしないです。プロでないなら、やらない。ダメの烙印を押された、挫折した大人が量産されています。
一方、大人からバレエを習っている人にも発表会があります。大人からやっている人の下手さ具合は、10ランクくらい下なので、その下手さ加減の中で、主役の踊りができる人は…となると、私のような人…、”大人の中では”の条件のかっこ付きの中で、上手な人が手ごろだったわけですね…。
■ 発表会に追いまくられて踊るのはいや…
でも、私は発表会に追いまくられて、踊るのは嫌だったのです。
自分がやっているバレエの探求、ができなくなるから…。私がやっていたのは、探求学習、とでもいうようなもので、バレエでは、ずっとプリエの探求をしていました…。最初の先生が、バレエの神髄はプリエだといったからです。
それができなくなる発表会に追いまくられるスタイル…なんて…。
上級クラスにも出てはいましたが、私は一生、初級クラスでもいいって思っていました。
初級クラスには初級クラスでないとできないことがある。じっくり動きを探求するには初級クラスが向いています。今でもバレエの音楽を聞けば、自動化で動きが勝手に出てくるので、たまにやっています。(というか、再開しようかな?)
同じことでクライミングも…私はグレードを今、登っているグレードから上げたくないのです。グレードが上がることは、私のモチベーションに全くならないのです…。むしろ、怖くなって、私には、気分下げ要因です。自分が登れるだろうと思ったものを確実に登れることが、私にとっての自信の根拠なので。
■ 言葉尻に現れる蔑視
グレードが上がることが楽しい人が自分と同じだと発想して、私にお買い得品を登らせてくれましたが…。笠間ピンキーとか、野岳の11とか…。
”◎◎さんでも登れる奴”、とか言って、もうその時点で、下に見ている用語… ”でも”って何よ、でもって…。
■ 同じグレードでも難易度は人それぞれ
同じ5.9だったら、小さい人が登ったほうが、ムーブなしで手が届くボディサイズの人が登るより、高度なテクニックが必要になります。
届かない=デッドが必要だったり、ランジが必要だったら、それは、5.9ではなく、10Aです。
なので、私がもし11を登れるとしたら、そこらの普通の体格のクライマーよりも、高度なスキルが必要です。
これは体のでかい師匠を観察して分かりました。彼にとっては、ムーブなしで登れるところが私にはムーブが必要だったからです。
つまり、同じグレードが登れるなら、彼より私の方がスキルを磨かないと、同じグレードに入れません。
■ 楽しんだ結果=グレードであるべき
また私は自分のクライミングの向上は、趣味であるので
楽しんだ結果
であって、上達を求めて何かする、結果を求めて頑張る、という世界は、一生好きになれません。
教育において、熟考ではなく、速読や即反応、つまり、スピードを求めることは、
思考停止を求める活動
だからです。私は、子供のころからテスト向け勉強なんてしたことありません。
お受験ですら、単なる手段で、文章題を考えに考える機会と言うだけでした。自学自習でお受験の勉強をしていました…。
(上達)と(その結果)が…例えば100点取った、とか…が、自分自身の自信になるという場合は、何か深いところで人間の価値について、誤解がある、ということだと思います。
■ リーチがない私を認めてください
私は背が低いからリーチがない、それを認めてもらいたいのに、認められないのは、男性標準体重標準身長の人に適した物差し、で私を計るからです。
これくらいならできるはず、という物差しが、18歳大学生男子なら、これくらいはできるはず、というモノサシと言うことですね。
明らかに、私は18歳男子の基準からは離れた人ですので、そんな理不尽な要求されても、困ります…。
誰がおばあさんと若者を比べて、お前は出来損ないだ!と言います? 同じことです。
43歳が23歳と登れば、23歳が強いのが当然のことです。
そんなモノサシに合わせて私が凄くなくても、私自身がクライミングを楽しむ分には、何も困らないですから…。
それは、ラオスで、あるいは台湾で証明してきました…。日本人みたいに、
5.9が登れない奴は糞、
という文化はありません。フリーでも多様化の時代です。
■ ナイン以上がフリークライミングの領域です
むろん、これはフリークライミングが、そもそも5.9より上から始まるということを否定するものではありません。ナインアンダーは、まだフリーのクライマーとは言えないです。
が、だからと言って、クライマーではないということではありません。フリークライマーと言えるのは、絶対値で5.9から上です。
とはいえ、その下のグレードの時代は誰にでもあるものですし、それが蔑視の対象になるのはおかしなことです。
5.9でひいひい言っている人を馬鹿にする文化は世界にはありません。
5.9でひいひい言っているときの心情と5.15でひいひい言っているときの心情は同じです。
それが分からず、5.15が上だと思っているのは日本人だけですよ。
しかも、日本的事情で、地域の5.9は、本当の5.9ではなく、10cあたりまで5.9とされています。
■ 趣味で楽しむ
私は自分のペースで楽しみながら成長していきたいので、それができない場合は、そもそもクライミングをしなくていい、ということだと思います。
指を犠牲にしたり、生活を犠牲にしたりと言う世界は、それで喰っている世界の人ならいいかもしれませんが、犠牲がある、と言うこと自体が、楽しんでいるわけではない、ということになります。
■クライマータイプ分け
タイプ1)
一つは競技がメインのコンペティター
タイプ2)
スポンサードを受け、国内外の外壁・外岩を登ることを生業とするプロフリークライマー
タイプ3)
三つ目が趣味としてクライミングをするエンジョイクライマー
■ 99%がタイプ3ですよ!
遅くとも、高校生までにクライミングに出会わなければ、よほどの才能がない限り、1)も2)もなく、3)ですよ!
クライミングというのは、”走る”や”歩く”と違い、全く ”非日常的” な運動ですので、それをどれだけ日常にしたか?が、上達には大きく関与します。
と言うことは、子供で接すれば接するほど有利ということです。
選手やプロが結果を残すことを問われるのは当然です。それで食べている訳ですから。
しかし、99%の趣味でクライミングを愛好する、愛好者人口、エンジョイクライミングの人たちに関しては、違います。
★登る人に応じた課題やルートを自由に、楽しく登ればいい。
★リードを強制したり、されたりするものではない。
山岳会のリーダー程度の人は世の中ごまんといます。変なプライドで登らないようにしないと、自分自身を危険に陥れてしまいます。