■ 太ったバレリーナ
今日は、太ったバレエダンサーのビデオに朝から感動しました。
クライミングの何が嫌気が指してきたか、分かった。
みんなが私にグレード(結果)を求めてくることです…。
■ バレエでのこと
20年続けたバレエですが、私はバレエそのものが好きで、19歳でスタートしているため、60代でスタートする一般成人と比べると、すぐ上達してしまったのですが、当然、3歳からやるバレエの世界の人と肩を並べることはできませんし、したくもありません。
3歳からやっている人は、18歳で自分は世界クラスのバレリーナにはなれないと分かったら、バレエを辞めて、二度とバレエをしないです。プロでないなら、やらない。ダメの烙印を押された、挫折した大人が量産されています。
一方、大人からバレエを習っている人にも発表会があります。大人からやっている人の下手さ具合は、10ランクくらい下なので、その下手さ加減の中で、主役の踊りができる人は…となると、私のような人…、”大人の中では”の条件のかっこ付きの中で、上手な人が手ごろだったわけですね…。
■ 発表会に追いまくられて踊るのはいや…
でも、私は発表会に追いまくられて、踊るのは嫌だったのです。
自分がやっているバレエの探求、ができなくなるから…。私がやっていたのは、探求学習、とでもいうようなもので、バレエでは、ずっとプリエの探求をしていました…。最初の先生が、バレエの神髄はプリエだといったからです。
それができなくなる発表会に追いまくられるスタイル…なんて…。
上級クラスにも出てはいましたが、私は一生、初級クラスでもいいって思っていました。
初級クラスには初級クラスでないとできないことがある。じっくり動きを探求するには初級クラスが向いています。今でもバレエの音楽を聞けば、自動化で動きが勝手に出てくるので、たまにやっています。(というか、再開しようかな?)
同じことでクライミングも…私はグレードを今、登っているグレードから上げたくないのです。グレードが上がることは、私のモチベーションに全くならないのです…。むしろ、怖くなって、私には、気分下げ要因です。自分が登れるだろうと思ったものを確実に登れることが、私にとっての自信の根拠なので。
■ 言葉尻に現れる蔑視
グレードが上がることが楽しい人が自分と同じだと発想して、私にお買い得品を登らせてくれましたが…。笠間ピンキーとか、野岳の11とか…。
”◎◎さんでも登れる奴”、とか言って、もうその時点で、下に見ている用語… ”でも”って何よ、でもって…。
■ 同じグレードでも難易度は人それぞれ
同じ5.9だったら、小さい人が登ったほうが、ムーブなしで手が届くボディサイズの人が登るより、高度なテクニックが必要になります。
届かない=デッドが必要だったり、ランジが必要だったら、それは、5.9ではなく、10Aです。
なので、私がもし11を登れるとしたら、そこらの普通の体格のクライマーよりも、高度なスキルが必要です。
これは体のでかい師匠を観察して分かりました。彼にとっては、ムーブなしで登れるところが私にはムーブが必要だったからです。
つまり、同じグレードが登れるなら、彼より私の方がスキルを磨かないと、同じグレードに入れません。
■ 楽しんだ結果=グレードであるべき
また私は自分のクライミングの向上は、趣味であるので
楽しんだ結果
であって、上達を求めて何かする、結果を求めて頑張る、という世界は、一生好きになれません。
教育において、熟考ではなく、速読や即反応、つまり、スピードを求めることは、
思考停止を求める活動
だからです。私は、子供のころからテスト向け勉強なんてしたことありません。
お受験ですら、単なる手段で、文章題を考えに考える機会と言うだけでした。自学自習でお受験の勉強をしていました…。
(上達)と(その結果)が…例えば100点取った、とか…が、自分自身の自信になるという場合は、何か深いところで人間の価値について、誤解がある、ということだと思います。
■ リーチがない私を認めてください
私は背が低いからリーチがない、それを認めてもらいたいのに、認められないのは、男性標準体重標準身長の人に適した物差し、で私を計るからです。
これくらいならできるはず、という物差しが、18歳大学生男子なら、これくらいはできるはず、というモノサシと言うことですね。
明らかに、私は18歳男子の基準からは離れた人ですので、そんな理不尽な要求されても、困ります…。
誰がおばあさんと若者を比べて、お前は出来損ないだ!と言います? 同じことです。
43歳が23歳と登れば、23歳が強いのが当然のことです。
そんなモノサシに合わせて私が凄くなくても、私自身がクライミングを楽しむ分には、何も困らないですから…。
それは、ラオスで、あるいは台湾で証明してきました…。日本人みたいに、
5.9が登れない奴は糞、
という文化はありません。フリーでも多様化の時代です。
■ ナイン以上がフリークライミングの領域です
むろん、これはフリークライミングが、そもそも5.9より上から始まるということを否定するものではありません。ナインアンダーは、まだフリーのクライマーとは言えないです。
が、だからと言って、クライマーではないということではありません。フリークライマーと言えるのは、絶対値で5.9から上です。
とはいえ、その下のグレードの時代は誰にでもあるものですし、それが蔑視の対象になるのはおかしなことです。
5.9でひいひい言っている人を馬鹿にする文化は世界にはありません。
5.9でひいひい言っているときの心情と5.15でひいひい言っているときの心情は同じです。
それが分からず、5.15が上だと思っているのは日本人だけですよ。
しかも、日本的事情で、地域の5.9は、本当の5.9ではなく、10cあたりまで5.9とされています。
■ 趣味で楽しむ
私は自分のペースで楽しみながら成長していきたいので、それができない場合は、そもそもクライミングをしなくていい、ということだと思います。
指を犠牲にしたり、生活を犠牲にしたりと言う世界は、それで喰っている世界の人ならいいかもしれませんが、犠牲がある、と言うこと自体が、楽しんでいるわけではない、ということになります。