2024/11/06

【成功の法則】潜在意識を活用して、自分らしい生き方を作る

■ 親の親

子供時代に親の親をしていた。そんな子供時代は、エライ疲れたので、晴れて18歳、大人になった時は、もうこれからは、好きにやるぞー!と思っていました。

それでまず手始め?にバレエを習い始めました。駅前の小さなお教室なので、子供と一緒に習っていたけど、まぁ19歳なので、まだ子供みたいなものだしなぁ…なじんでいました。

そんな風にやりたかったことをして、気が付いたら、確かに他の人が来れないような到達点に来てしまった。

バレエは、その後、アメリカやオーストラリアを含め、20年続け、大阪でも、福岡でも習ったので、世界的コリオグラファーのジョン・ノイマイヤー氏が『人魚姫』という作品を日本で来日公演したときに、通訳をしたことがあります。

同様にバレエのためにスタートしていたヨガのほうでは、山梨時代に、声の出演でYBS山梨のラジオに一年出演していました…。この時は、私のクラスの生徒さんがYBSの方でした。出演料など何ももらっていないですが。でも公共放送ですからね。身内のロクスノに載るのとは意味が違う。

同じようなことで、クライミングでは、韓国に行ったとき、アルパインサマーと言う登山の教科書を見たので、日本語版を出してくれとUIAAにメールを書いたら、事務局長さんが返事をくれました…。

すべて、なんで私?と思って面食らっていますが…。というのは、私個人の意識の中では、子供の意識で

 ただ遊んでいるだけ

だからです。 やっていることは、すべて、”ついで”。

その地位を得るために何らかの努力をしたということではないですから…。

でも、才能の発露というのは、本人にとっては、易しいこと、のことが多いのではないでしょうか?

しかし、クライミングでは、九州に来て、いろいろな人から嫉妬を受ける経験をし、そんな遠慮…私でいいんですか?の必要は、なかったのだ、と、最近になって、梯谷玲奈先生の、カウンセリングを受けて、反省しています。

なぜ?自分の夢や希望が、実現しそうになると、足を止めてしまうのか?

小さいながらも、”成功”を積み上げてきた…。掴んできた…。

(便宜的に成功と名前を付けますね、これらは潜在意識活用による成功)

なぜ、UIAAに誘ってもらったトラッドフェスに行けなかったのか?

なぜなら、それが怖くなっちゃったんです… 成功に伴う責任、が、です。

当時私は、自分より年下の登れる男子を探していました。その子を連れて行ければ、そうすれば、広く浅くクライミング界への貢献となるからです。

■ トラウマの存在

この恐怖には、子供時代のトラウマ体験があります。

孤独の傷というか、羨望の傷というか…。

私には弟も妹もいます。そして、日本社会は、ジェラシーには甘い社会なのです。やきもちを焼かれる側とやきもちを焼く側。大体はやきもちを焼く側の味方です。出る杭は打たれるという言葉があるくらいですから。努力した人の足を引っ張ることに社会的にも罪悪感はないのです。

小さなところでは、弟や妹は、お姉ちゃんだけずるいというし、小学校の頃の同級生は、”〇〇ちゃんがどんどん遠くに行く”、と言ってきました…。

弟や妹という立場の人にとって、特に私個人の弟や妹でなくても、”お姉ちゃんだけずるい”という非難文句は、お姉ちゃんがやった努力をしないで、お姉ちゃんと同じだけの成果をもらう、常套手段なのです。

例えば、お姉ちゃんが掃除をして、親が飴ちゃんをくれたとしましょう。お姉ちゃんは掃除をしたのに、そこで、何もしていない弟や妹は、「お姉ちゃんだけずるい」と言います。すると親はめんどくさいので、弟や妹に、飴をあげます。もしくは、姉に向かって「お姉ちゃんでしょう、分けてあげなさい」と言います。

もうこれは、10人親がいたら、どんなに良い親でも、9人はこんな行動です。普通の親ですよね。

お姉ちゃんは?内心、何も努力をしないで同じ成果を得た弟や妹を「ずるいなぁ」と思っています。でも、結局、弟や妹に 本当の力 は、ついていないのを知っているのです。だって、掃除しているのは自分なので。

このケースでは飴をもらったかどうか?に関係なく、

自分が何を行ったか?

そこを分かっている。それが本当の自信です。やったことが他者に評価された、ということ。飴はついで。

弟と妹の立場の人が覚えたのは、上手に、人の努力に、ただ乗りする方法です。

これと同じ感じがしたのが、最後のクライミングパートナー(アラーキーのケース)でした。彼、うまいことやったよなぁ。

でも、自分の努力でない成果で、山を自慢しようと思っても、”山の名前”で判断するのではなく、”山の内容”で判断する人には、バレてしまう…。そんな山が白亜スラブでした。

私がこれに行ってしまったのは、「お姉ちゃんでしょう、分けてあげなさい」の弊害って感じです。

当時私は台湾のクラックに友人のデイビッドと行く直前でした。

■ 生徒会 〇〇ちゃんが遠くに行く…

私は親の親を家ではやらなくてはならず、クラスメートのリーダーを学校ではやらないといけない多忙を極める子供時代を過ごしました。別に好きで生徒会していたわけではなく、私以外の人が級長をやると、なぜかクラスが荒れてしまうので、先生が級長は3回は連続できない決まりなので、わざわざ顧問という役職を作ってくれて、級長を別の子がするときも、学級顧問ってのをやっていました…。すると、クラスが、なぜか安定するのです。

いつも私の隣には、体が弱い子、臭い子、イジメられている子、を先生は座らせていました。それでいつも、おどおどしてしまう子が安心みたいな感じで、他の子供にいじわるをされても、自分で撃退できるのです。誰が登場しなくても。

心理的安全という、今はやりの言葉ですが、それを作るのが私は得意でした…。家で親がいないので、弟と妹にはそれが必要で…。親代わりは、お姉ちゃんしかいません。それで、作り慣れていました。

でも、お姉ちゃんの私の心理的安全基地には誰がなってくれるというのでしょう?

誰もいません…。

子供時代もいなかったし、大人になってクライミングをスタートしてからもいない感じです。

子供時代は通学路に一本の木があり、その木の在り方を見て、どんなに強い風が吹いてもしなり、あのように強くありたい、と願っていました。

クライミングでは、心理的に追い込まれました…。かなりすり減り、鬱を発症しましたし、身体的な怪我も続きましたが、あれは、今思うと、クライミングをしなくて良いようにするための手段でした。

さて、この心理的安全基地を作り出す… いわゆる頼りがい、みたいなものですね…、その得意技のために、これまで、いろいろな人が私が作り出す、安心の泉に、小鳥が泉で水を飲んで羽を休めるように、次々とやってきて、そして、旅立って行ったような気がします…。

しかし、私には? それが私の苦境の原因なのです。

私にも何か心理的な愛着を持てる対象が必要です。

■ 私の最も大きな成功体験

ヨガで起きたことなのですが、クラスの最後のシャバーサナで、いつも自律訓練法をしていたら、人生が上手く行き始める人が多数出てきて、驚きました。私のクラスで、3人も、「先生のおかげで結婚できました」という報告をしてくれた人がいました。

これが私の人生で、一番の成功経験、です。ある意味のコーチング。

自己実現というのは、個々人によって、かなえたい現実が異なります。

ですので、自己実現を成功と捉えると、万人向けの成功というのは存在しない。

何が良いクライミングか?というのも、個々人によって違うものです。全員同じ価値観と言うことはない。

よりベターなスタイルであろう、というのがあると思いますが…例えば、アレックス君のエルキャップフリーソロを小山田さんが、褒めていましたが…

フリーソロって究極の自動化なんで、オンサイトを最善とする価値観からすると?正反対の価値観ってことになります。

初見で一撃って言うのが、オンサイトなので。暗記なし、です。

一方、1000回登って暗記ってのがフリーソロの世界です。みんなだって、クライミングジムの課題、登り慣れてしまって、もう考えなくても、勝手に体が動くよ、みたいな課題あるでしょう。落ちないですよね。

■ 学生時代のトラウマ

学生時代に、権威に屈服させられたトラウマがあります。

中学の時、生理中もプールに入らないといけないという体育の先生のルールで、変だとは思っていたのですが、生徒会から、生徒会連盟の仕事へ幅が広がり、他校ではそんなことやっていないと気が付き、このルールの廃止運動をしたことがあるのです。

署名と医師の先生のアドバイス、他校の実態調査を添えて先生に出すというものなんですが… 内申書を悪く書くぞ、と脅されて辞めさせられたことがあります。

その脅しを使って私を屈服させた先生が、私にとっては父親代わりで慕っている先生だったので、心の傷になった。正しくないことを、将来を人質にして脅す。それって、人間としてあるべき姿なのかなぁ…。これでかなり、人間不信というか、失望しました。

以上のような経験から、

  成功を手にしたくない、という強いトラウマ反応

があります。

手に入る、というところで、すっと辞める。

これは自動反応なので、本人には気が付くことができないのです。

よほど真剣に考えていないと…。

いつも、ここ、というところで背を向けているなぁ…。と、気が付きました。

例えば、大山北壁、青ちゃんと二人でも言っておけばよかったなぁ…。

あの時は私一人では、セカンドの責任が負えない、と思ったんですよね。あと一人来たら行けたんだけど…。2名ではトップが行動不能になった時、保険ゼロと同じでしょう…。まぁ、あとから大山に行って、あのサイズなら私一人でも下山可能だなと思ったんですが。行く前は知らないしねぇ。

■ 不本意な進路変更

この中学の事件のあと、私は進みたくない進学校を先生に薦められ、この先生の名誉欲のために、熊本高校に行くことになったのですが…本当は家庭が経済的に苦しいので、高校高専に行ってすぐ就職したかったんです…でも、熊本高校…。

こんな経緯で入ったので、進学校トップ高校といえども、私にとっては、セカンドベストのチョイスでした。

私にとってのベストチョイスではなかったのです。

したがって、私には、大学進学しか進む道が残されておらず…本来しなくてよかったはずの苦労をする羽目になりました。

その苦労とは、国立大学に進学しながら、学費を稼がなければならないという二重苦です。ほんと大変でした…。またあれをやるのかと思うと、思っただけで、ぐったりです。

親のお金で大学に行った人が、学歴をやっかんでくると、あなたも自分のお金で大学を出てみてから云ってほしいわ、と言い返したくなります。

しかも、こっちは生活が懸かっているので、受かるところしか受けませんしね。

同じことで、自分のお金で、山岳総合センターのリーダー講習には行きましたけど…、あんたばかり、なんでそんな良い目に遭っているのだ、と言ってきた人がクライマーにもいますが、九州で会った女性クライマーだけど…今はクライミングガイドです… 自分の努力で得た成果を何も努力をしていない人がうらやんでいるようにしか感じられず。

センターの講習って雪山歴を出すんですよ、だから雪の山に最低でも登っていないと参加すらできないですし。その上、35人のうち女性は5人で、初日に脱落して、2人しかいなかったですよ。

うらやんできた人はグレード的に言えば、私よりうんと登れる人でしたが、全く、とんだお門違いな羨望だと思っていました。

きっと、妹病、なのでしょう…。つまり、お姉ちゃんの持っているものは、なんでも羨ましい、欲しいという病気です。

働きながら大学を出たのと同じで、リーダー講習に出るのに、山小屋にバイトに行きましたけどねぇ… 一生分の皿を洗い、一生分の布団をたたんだけどなぁ。

ああ、つらかった。

■ 大学は行って良かったです、苦労したけど…

と言っても、経済的問題以外は、学生生活は、7人もの文学少女ばっかりの先輩たちに囲まれて愉快に過ごしました…。あれは、入寮できてホントに良かったです。通いの学生をしていた級友は、ぼろぼろと大量に退学して行きました。一般社会では、学業よりも、仕事のほうが要求度が高いからです。

私は仕事選びでも主体性を発揮し、図書館に自ら履歴書を持っていきました。外大図書館に4年勤務しましたが、図書館の人たちはみな親切で、学生が学業を優先するのを許してくれ、仕事は半人前でも許されました。確かに給料も半人前だったけど…。

しかし、私は貸し出しではなく、整理係と言って、特殊外国語を扱っていたので、結構、仕事内容は大変だったような気がしますが。フィンランド語とか辞書を引きながら、何について書いてある本なのか調べるのが仕事。(←やっぱりたいへんだったんじゃんか!の突込み)

しかし、こうしたことができたのは、子供時代があまりにも苦しかったので、出て行っただけで幸せ☆だったからです。

苦しみの子供時代があったからこそ、大人時代のスタートがどんなに大変でも、歯を食いしばって頑張ることができたわけですね。まじ大変でした。

夜学でも自分で学費を出していない人もいましたが、自腹で学費を払っている人で、卒業までこぎつけることができる人は、大変な少数派です。これは誇ってよいこと、大変な努力が必要なことですが、お金がなかったんだね、貧乏な家出身だね、と言って、わざわざ貶めて来る人もいます。

そういう人は、ガスライティングをしてくる人です。サイコパスやナルシストのような自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高いです。

■ アメリカ

その後は、さらに潜在意識の具現化で、アメリカに行くことになりました。

これもただのラッキー話と思って、私が感謝を伝える話をすると、単純に羨ましがる人が多いのですが…その前に、大学は英語科に進学しているんですからね(笑)。英検4級は中1で、3級は2年生で、準1は18歳でとっくの昔にお受験英語は終わり、小学生時代からラジオ英会話の習慣でした。それでも、英語を話す能力は身につかない!と思っていたので、わざわざ自分を荒海に投げ込んだんですよ。だって、泳げるようになるには泳ぐしかないのです。

喋れるようになるにはしゃべるしかないんですよ。

知らないことにチャレンジするのは、誰だって怖いものです。

でも、日本語学校に日本人います? 英語学校に、アメリカ人います?いないですよね?

行って分かったのは多くの日本人が、アメリカで英語学校に行き、アメリカ人がいないって文句を言っていたことです。そんなの行く前から分かるじゃん? 怖さに挫折して、誰かに助けてもらいたいと思った人が損をするだけです。

登山学校できちんと有料でお金を払って教えてもらうのではなく、タダで山を教えてもらおうというので、山岳会に行く人って、同じこと起こっていますよね?山岳会に登山の先生います?いないですよね?

登山の本場でもない九州で登山学校をやっていなくても文句は言えない訳だし…。教わりたければ、自腹で、自分の力で、教わりに行きましょう。多くの人が長野や山梨にわざわざそのために引っ越してきているんですよ。無理、だったら、九州に講師を招待すればいいだけなのです。その集客?生徒集めのために地元の人はいるんですよ?

私は、なじみがないことをするのは、怖いから…と躊躇している人の背中を押してあげる親切な人の側です。私自身が怖さがないタイプだからです。

ちょっと前に、クライミングで、8cという世界的記録を登る10代の男の子のお父さんに、海外のサイトに息子の記録をアップする方法を教えたのですが、教えたら、あまりにあっけない所作にびっくりされて、俺は何をビビっていたのだろう…ってお顔をされていました(笑)。

海外のサイトにクライミング記録を登録するのは簡単です。フリークライミングの場合、第二登が出ないと、グレードすら確定しないのですから、発表は重要ですし、第2登できる人っていうのが、ものすごく少ない…のですから、海外を含めて発表しないと、日本だけガラパゴスになってしまいます。

色々語ってしまいましたが、自分こそは当代の稀有のクライマーだ!と思う人は、記録の海外サイトへの登録も、考えてみてくださいね。

そうすれば、狭い世界で俺一等賞!という世界の意味が正確に位置付けられるでしょう。

■ 直観に従う

さてと、私はフットワーク軽いです。

行動力は抜群系かな?

これは、直観に従って行動するためです。

先日、朝の日課で、神社をサンボしていたら、竹割ボランティアを偶然することになったのですが…、そこで、出会った人が、西宮の話をしてくれました。

あれ?西宮が出てきたのは2度目だな… そう思って、ニシキタウォールには行ったんですよね。

こんな感じで、行動を作ります。

インスボンもそんな感じだったし、台湾もそうでした。ラオスもかなぁ。

ラオスでは、母子衛生のボランティア活動をしている女性に出会い、その女性の事業にグロービスのインパクト投資から出資することになった。こうしたセレンディピティを発揮するのが、私の本領という感じです。

いつも、お姉ちゃんばっかりずるい、と言われるので、解説を試みました。

 辛いことから逃げてばかりいても、棚ぼたでラッキーは来ないですよ?

というのをクライマーバージョンに翻訳すると

 ロープワークから逃げてばかりいたら、マルチピッチは来ないですよ?

とか

 クラックから逃げてばかりいたら、ビッグウォールは来ないですよ?

みたいな翻訳結果になりますよ?

頑張っていたら、そのうち、良いことが起る、というのが、私の経験則であり、その頑張るの中身は、スポコンではないです。

むしろ、自分の身の程を知って適切な努力をする、何が必要なのか自分で具体的に考え、それを実践行動に落とし込むってことです。

努力は合理的にしなくては。

私のクライミングでの成功は、たいした成功ではありません。むしろ、誰でもできて当然のことだと思う。

が、他の数々の成功体験と作り方は同じです。

したいことをまずは定め、それが実現するのに必要な技能をスモールステップで長年かけて身に着ける、です。

思いが行動を作り、行動が成果を作る。

行動を作らずに、想念だけで実現しようとするのは間違いです。