■ 見捨てられ不安の人を大量生産してしまう、スポ根クライミング界
以前のクライミングパートナーが、私のほうがその人よりも登れるようになったり、クライマーとして自立したりするようになると、すぐに「もう君とは登らない」とか、「お前を捨てる」とかいう人で、結構めんどくさかった…。
そういう人の心理…心のことわり、は、この動画を見れば分かります。
要するに、
ダメな自分を抑圧して、
頭の中で、こんな俺はダメだ、登れない俺はダメだ、
と言い続けていたんだということらしいです。なんとなく、予想はできていたけど…。
だから、私のほうが上手に登ってしまったりすると、脳内で
”「こんなところも登れないあなたとは、もう登らない」と私が言うだろう…”と思ってしまっていたんでしょうね…
これって、登れる俺をブイブイ言わせる=賞賛エネルギーをもとに登る、かっこいいから登る、褒められるから登る、という心理的弊害ですね…。
内的動機付けで登らないとこうなります。
多分、男性のクライミング社会で
登れる奴が常に上だ → 登れない俺には価値がない
転換が起きてしまうのです。登れる奴が上だ、という価値観が強いことの弊害なのでは…?
つまるところ、スポーツクライミングの弊害では?
すると、したくもない貢献も続けないといけなくなりますし…
■ ジャンボさんですら、トラウマちっく
錫杖の「注文の多い料理店」のハーケンを抜いて、それで、ジャンボさんは、登れる者のエゴ、と批判されている、もしくは、いるように感じたとすれば、それは脳内の声である可能性もあり、トップクライマーである彼すら、そんな声に悩まされるのであれば、他の多くのクライマーも同じであり、別にクライミングだけが人生じゃないよ、と言ってあげたくなりますね…
心の病を作り上げるためにクライミングがあるのではなく、人生を楽しむためにあるのだし…
■ 俺を見て見て系
昨日はクライミングジムに行ったら、バイトのセッターなのに、仕事に注力せず、このルート俺の最高傑作、とか、うーん、悪い、とか、うぉーとか、うるさいクライマーがいて、それを後ろからはやし立て、悪いですねぇとか言っている別の男性クライマーがいた。
めんどくさ感満載だった…。
ピラの室井さんがそんな存在感をアッピールしていたことはなかったし、ピオレドール賞の佐藤さんもそうで、初心者の時、そういう人と知らずにハーネス借りちゃったけどなぁ…
この俺アッピールクライマーの真のニーズは何か?というと
俺を認めてほしい
ではないかと思いますが…。要するに、お母さんに、俺を見てほしい、という奴ですね。賞賛を求めている。周囲で、はやし立てるクライマーは、フライングモンキーと呼ばれる人たちです。
■ やっぱり承認欲求なのでは?
認める認めないって実態は、あってないようなものだと思う。
男性社会では顕著だが…それって、なんか傷ついた心、つまり、トラウマを将来に残すようなので、やめたらいいのに。
「あなたってホントに登れる人ですね」と承認されても、内なる自分が、「でも、俺はあいつのクライミングについて行っただけだ、本当の賞賛に値するのはあいつだ」と言えば、自分で自分が認められず、他者からの評価が、自己評価とかけ離れていくだけだし…。
そうなると、非ナルシストな人にとっては苦しいだけ。
一方、ナルシストな人にとっては、賞賛がエネルギーなので、お調子者ということで、どんどん、もっと言って、もっと褒めて、ってことになります。こういう人はおだてられると、木に登ってしまいますが、ほのぼのとしているので、誰も気に留めない。
しかし、総合的に言って
承認欲求みたいなことに囚われるより、楽しく登る事のほうが大事だと思う。
■ トラウマ系ジムと非トラウマ系ジム
昨日は登りに行ったら、ナルナルちゃんのセッターで俺を見てオーラ全開だったので、かなり、めんどくさく感じた。
一方、ニシキタウォールのお兄さんみたいなのは、全然トラウマ発動しない…。登り方もアドバイスしてくれるし…。
俺を見て系 → 非安心系クライミングジム
こうやって登ればいいよ → 安心系クライミングジム
という類型が私の中で出来ることを発見した。 ジムの常連さんって、大体ナルナルしているか、競争しているか、なんで、こんなのも登れないの、というか、スポ根だけがクライミングと思っているか、みたいな気がするんだが、偏見だといいなぁ…
なんせ、楽しくないと意味がないんですよ、趣味なんですから。
それにしても、賞賛が楽勝で得られる場として、クライミングがナルシストに目をつけられてしまった、というのは痛い。
栗城劇場もこれだし、マリン何とかさんもそうで、ただのナルナル賞賛が欲しいだけの人と真実の冒険家の区別がつかない世間…=マスコミ。
その世間の知性の低下よって簡単に賞賛というエネルギーが得られることに気が付いたナルシストから、高所登山は目をつけられているってことだ。
特にやばいのが、リスクフリーだということがまだバレていない分野。
高所登山とか、スポーツクライミング、ボルダリング。俺でも一発逆転して、皆が俺を賞賛してくれるんだ、ちやほやしてもらえるんだ、という幻想を描きがちなのかもしれない?
結局、楽に一等賞になれる世界を皆が求めているらしい…