2024/11/20

【クライミング心理学】ランナウト自慢=自己愛の傷つき

■ 未処理の恥の感覚

やっぱり、地方の課題が、グレードが辛くて、なおかつランナウトをわざとしているようなのは、(未処理の恥の感覚)=自己愛の傷つき、のためではないでしょうかね?

自尊心が傷つきやすい人への処方箋 【自己愛の傷の癒し方】


■ 小川山だって相当ランナウト

小川山もひどいよね~という話を、最近ジムの店長さんとしました。

女性の店長さんと男性の店長さんでは、ずいぶんと感想が違い、

大阪のジムの男性店長さん=小川山の話をしてもスルー。たぶん行っていない。関西の超怖いランナウト課題は、グレードが低いので登ったことがなく、自分でヌンチャクが掛けられるような距離感にないことを知らない。たぶん、最初からボルトが近い5.12程度から上しか取り付いていないから、低グレードの課題では、落ちれない配置になっていることに気が付いていないのだろう。

女性のジム店長さんが持ち出した課題は、小川山物語…え?!この課題、私がまだ5.8をやっとこさでオンサイトした時期から、登るだけなら簡単だったし、1本目はプリクリ決定だたっただけで、ムーブは簡単だったけどなぁ… 2本目も遠いって言っていたけど…。そうだったかどうか、覚えていない…

という結果になり、女性と男性で、ランナウトに対する認知が大きく異なることが分かった。

男女差が大きいので、男女で組んで登るときは、当然ランナウトのリスクが少ないほうが先にリードしたほうが安全である。

なんで、180㎝の人と登って、私がリードしてあげる羽目になったのか?謎だなぁ。

しかし、自分で自分のケツが拭けないのに、なんで男性は、いつも、これくらい行ける、と思うのか?ということは分かった。

単純な足し算ができないくらいしか、そもそも、考えていない、目の前のことに手いっぱいで、行動した結果、どういう悲惨な結末になるか、ということを考えていない。

それは、たぶん、小川山で、広場の駐車場が一杯開いているのに、転回用のスペースに車を止めてしまって、非常に迷惑である車に乗っている人と同じで、

 前の前の欲 vs 行動の結果

を比較検討する機能が弱く、目の前の欲、を深い考えもなく優先するからだろう。

そういう人は

・ルールを守ることに対する精神的な強度も低いし、
・倫理的な行為への精神的強度も低いし、
・必要なら赤信号無視で突っ走る
・例えば、性欲に負けてしまう = 子供が6人
・かと言えば、今晩の宿がない程度で右往左往
・ちょっとした距離を歩くだけでも、文句たらたら
・「めんどくさい」
・残置のカラビナは、ねぇみんなで山分けしようよ、という

ような気がする。そして、大体はナルシストであるような気がするんだが、

 賞賛

を与えてしまうことが、こうした犯罪行為に近しい行為の栄養、となっている。(と目撃した)

こうした行為を目撃したことが、私の人生にどういう意味を与えるのか?というと…

こういう”おじさん”文化には、女性の人生を破壊するだけの破壊力がある、ということだ。

このような人たちが、かわいそうか?気の毒か?というと、そこは疑問であろう…

■ 子どもを産ませて女性を捨てた男性がかわいそうか、どうか?って問題

しかし、なぜ、可愛そう、気の毒ということで丸めようと子供の私がしたのか?というと、それは、親というのは自分の一部だからである。

母もそうだし、父もそう。

母のことも、父のことも、かわいそうだから、ということで相手の責任を肩代わりしてあげる理由にしていたんだろうと思います。

実際に、両方の遺伝子からしか子供はできないのであるから。

しかし、一番かわいそうで、一番苦労しているのは、どう考えても、子供であった私のほうであろう…。

■振り返り

私は、放蕩息子の父と裕福なお嬢様育ちの母の間に生まれた長女である。

結局、そうなると、どうなるか?
 
親が頼りない=子が自立する以外ない、ということになる。

私には弟と妹がいる。すると、弟と妹は年下で、子供時代の2歳差は顕著な差なので、一番先に、成長する=一番先に頼りがいがある存在になる、ということだ。

結局、この構図だと、家族の中で、唯一、現実処理能力がある、ということになる。

この子供時代に、さらに、学校生活でまで、人の世話をやらされていたんだからなぁ。

大変だった。

■ 経済的な苦難

そもそも母子家庭で、大学に進学する費用が出ると思います?

誰が考えても、でませんよぇ。

私はトップ進学校に進学したので、学校前に”補講”じゃなくて朝バイトして自分の授業料をねん出した高校生でした。

そういう人が、可愛そうって、親のお金で大学を出た人に、こちらが自己犠牲してあげるって変だよなぁ…

それで、大学は自分のお金で出ました。夜学です。受験費用も自腹。お昼代をケチって頑張ったおかげです。

でも、世の中のほとんどの人は、お金の面で私をうらやむようです。自分が仕事して稼いだお金なのに?

それが嫌なんです。

クライミングの面でも同じで、なんか謎だった。

私が自分で努力して得た成果なのに? 山岳総合センターに行って、雪上確保やスタカットを先生から学んだ人は、私であって、パートナーじゃないですよね…で、その私にしりぬぐいクライミングをしてもらった山行がなんで、すごいね、って賞賛の対象になるのか?謎。

海外に行っていいわね、とか、国立大に行っているからリッチなんだね、とか、親に学費出してもらった人が言うんです…けど、

 なら、自分でやって見ろよ!

って思いますけど…。

私はいい人だから言えない。言わない。

っていうか、言ったほうが相手のためになるんだろうか?

■ 弱者っているの?

私は大きな成功は望んでいないのですが、貧しい人を助けたいと思い、なぜなら自分が、食べ物に飢えた子供時代を過ごしたから、なんですが…

探しても探しても、どうも、”飢えている子”は、いないみたいだったんですよ。日本には。

学生時代には、ネパールの子供に毎月5000円の支援をしており、日本でも、と思ったので、部落の子供向けの家庭教を無料で引き受けたことがあるのですが… そもそも、勉強したくないって言うし…。したくないんだから、できないのは当然ですよねぇ…。

私は勉強したくても、させてもらえないで育ったのに…。

サンフランシスコ時代は、教会で炊き出しのボランティアもしたんですが、黒人の女性に一晩の宿代をねだられたので、彼女の生活が整うまで、私の部屋で寝泊まりしていいよ、というと、断られた‥え?今晩泊まるところないんじゃないの…?みたいな感じでした。

日本では、実はお金余りなんですよね…。物産時代はベンチャーキャピタルと仕事して、垣間見ました。それに、インパクト投資と言って、社会的に弱者救済になるベンチャーキャピタルの投資もみてきたんですが…温かいお金という言い方をしたりします…しかし、昨今、弱者と言える人たちがいなく、投資先がなくて困っているんですよ…。投資だからね、消費ではなく。

貧しい人を助けよう、と思って私も大きくなりましたが、助けようとすればするほど、詐欺とか変なのに、ひっかかって、自分がむしり取られる=むさぼられるばかりで、なんだかな~と思って、ヨイ子病は悪人が付け込みやすいのだと、ここ7年くらいで学習しました。

クライマー業界はヤバイ。ただの甘えん坊が自分は弱者だ!と主張している…

男性に手柄を持っていかれるなんて言うのはしょっちゅうで、OL時代も同じ問題がありました。実際に仕事しているのは私で、賞賛は男性が持って行ってしまう。持っていかせないと、

男を立てろ

とか言われる… ナニ、コレ?

■ お姉ちゃんだけずるいという人がずるいのでは?

ほんとは全然かわいそうではない人に、おねえちゃんだけずるい、と言われているような?

弟と妹が、私より幼くて、理解ができないことを気の毒だなぁとは思って大きくなりました。

頭が悪いから、理解ができない…ってことは弟との関係性で頻発… 例えば、長ぬん使うべし!ということを分かっていない、5.12クライマーとか…。ランディングがボルダリングの安全管理のミソだと分かっていないクライマーとか。

そういう人に対しては、気の毒観がある。理解力が不足して、大事なことが理解できないのだろうと。

そうなると、私だけ分かっていて悪いなぁ、となる=罪悪感。

分かっている人が知識を広めるべきだ=義務感。

という構造かもしれません。

これは、周囲の大人が、自分たちがサボタージュするのに都合よく、優等生を利用する仕組みです。先生が、先生として機能せずに、「〇〇さん、解法を板書して見せなさい」と先生が私ともう一人、優秀だった子に、数学を教える日を作ったことがあった。あれは一日だけだったので、思考回路の差が分かって興味深かったけど…。

でも、学級の運営が楽になるから、顧問って…先生のやるべきことを私が肩代わりしていたと言えるかもしれないです。

クライミングでも同じことが起きようとしていた…特に九州では。

■ 日本全体のクライミング界の行方を見る立場

日本全体で、こうも危険予知や、リスク管理についての教育が、登山界から消えてしまったのは、
 
 行き過ぎた結果主義

の影響でしょう。グレードだけで、結果さえ出せれば、あとは問わない、という教育の結果でしょう…

それを正常に正すには、やっぱり、

 山の記録を誠実に書く習慣

が大事だと思います。山の中身が評価の対象で、結果ではない、ということにしないと、リスク管理ゼロのクライマーを、どの分野でも量産するだけになってしまいます。

どの分野でも、というのは、スポーツやコンペだけではなく、フリークライミングやアルパインクライミングでも、という意味です。

■ ヨイ子病を利用しようとしている大人社会が透けて見える

私は自分がした苦労の価値がイマイチ分からない、という弱みがあると確かに思います。

私と同じような、夜学出身の人も、私と同様に、ヨイ子病をわずらって、私のアトピーなどより深刻な病気である、ガンをやったり、親の介護で、気が付いたら、また人のために生きる人生になってしまっていたり…、ヨイ子病から抜けるのが難しいようです。

一体どうすれば、ヨイ子病から抜け出て、クライミング界に多いナルシスト男性に搾取されず、自分の望みを軸に人生が組み立てられるのか?ってことが課題かなぁ…

生きることはそもそも、自分の望みをかなえていくプロセス、です。

実際にそのようにプレゼンシングしてきたのに、なぜか果実を他者が取って行こう、盗んでいこうとし、そして、それを阻止することができない…というのが悩みです。

私だけ幸せになってはいけない、という禁止令なのかもしれません。