■ ヒマラヤをガイドレスで
11年前の情報なので、今も有効なのか分からないが、テンジン・ヒラリートレイルをガイドレスで歩いたことがある男性の話を聞いてきました。
別名:エベレスト街道。
正直、みんなが私にヒマラヤを勧めるので、なんだかなぁ~となっていました。
だって、ヒマラヤって、男のロマン系ですよね?特に登山の文脈では…。やだなぁ、勝ち負けとか名誉欲とか、承認欲求の山…(汗)。
インドもそうで、私は不潔な国は苦手なんだよなぁ、暑い国はちょっとなぁ…って感じでした。
基本、寒いところ好き☆
でも、食わず嫌いせずに、ラオスに行ってみたら、良かったので、ヒマラヤも同じかもしれないなぁと思い、とりあえず話を聞きに。
■ 女性一人でも行ける
ヒマラヤは多くの人に、勧められてきたし、女性一人だけで言ってきました!という人にも、複数のレベルで逢った。別に、山ヤじゃない人も多数。
米澤先生のタサルツェは残念な山だったみたいで、なんだか、ヒマラヤに名誉の初登を求めるのは、かなり、時代錯誤、であると思われたし、他にヒマラヤの価値というか、登山的な意味で、どういうことが期待できるのか分からず、景色がきれいなだけなら、別に日本の山でいいのであったし、むしろ、空気が濃くて景色が良いのであるから、日本の山のほうが優位性がある。
誰かに何かを証明するために人生を生きる、ということほど、つまらない動機はないなと思っており、周りの人が薦めたから、とか、私”だって”行けるから、っていうのでは、まるで、自慢話を作りに行くような話だし、そんなしょぼい行動動機で動機づけられないんだよなぁ…いくら言われても…みたいな感じだった。
しかもガイドレスがダメとは! なら、しゃべりながら歩かされるわけで、そんな山に神はいない。
これまでの2009年から13年、14年に渡る登山活動は、登山者として自立するために学習し、足を鍛え、読図し、クライミングすらマスターしたわけで、その終着点がガイドで登る”高所遠足”とは…。嘆かわしいも、はなはだしい。バカにすんなよ、って訳であった。
そんな技術不要の山、お金持ちと目された日本人が、ただ、カモがネギをしょって行っているだけではないか?
と思えた。
しかし、今回の中尾さんは、上手に、ヒマラヤの良さや価値を表現していた。
■ 警戒音
人間は山が怖いかもしれないが、山(野生動物)のほうでも、人間が怖いんだよ。
日本の山でも同じだが、山に入ると、さっと
気配
が動く。その気配、つまり、気 を変えないように歩くのが、上級者。足音もしないし(猫足だから)、声も出さないし、上手になれば気配だって消せる。
この動画は、私が久住に行ったときのモノだが、しゃべりながら歩いているおばちゃん登山者がこのウサギに逢えると思います?
逢えるわけがないですよね。
これで、カモシカにも会ったし、ツキノワグマにも会ったし、雷鳥は誰でも会えるが、オコジョにもあった。
大体の野生動物には会っている。会いたくない奴は、会わないように、あらかじめ声をかけてから山に入る。
クライミングをスタートして、山から神が去り、
私の山には、なんか満たされない思いが付きまとうようになった。
■ 現代登山者は未知が怖いくせに、ランナウトで命知らず自慢という矛盾を行っている
結局、福岡での登山で分かったこと…。
私の福岡での登山一発目は、脊梁山地の1泊二日の縦走だが… 技術的難易度が低くて退屈なので、帰りに尾根を一つ、読図で降りたら、同行者に「技術的に難度が高すぎて、当会では、みんな怖がってしまう」ということだった…(汗)。
え?!たった尾根一個降りるだけで?!しかも、右にそれても、左にそれても、保険付きの、フェイルセーフ付きの場所で??
そして、つい最近、今年の、最後の山では、カフェで逢った若者3人を連れて行ったが、痩せ尾根を登るのはできるけど、開けた谷間で、消えかけた登山道を使っただけで、
「これって遭難ですよね」
だった…。
つまり、みんながみんな
他人の踏みあとを辿ることしかできなくなっている
のである。
読図で自ら道を見出す、というのが、登山の醍醐味であり、山とお友達になる、って意味で、私が尊敬する山ヤ…米澤先生とか、ガイドの後藤さんとかだが…をなぜ尊敬しているのか?というと、
すべての尾根と谷を歩きつくしていたから
そして
そうしないと見つからないものを見つけていたから
である。岩場とか、水場とか。私なら、なんかの群落。鹿たちの寝床。
私がしたいのは、そういう未知の冒険がある山で、遠くまでわざわざ旅行で行かなくても、その辺の里山にも普通にある。
登山道を歩くなんて、そんな楽勝の山だったら、何も勉強していない人がスタンプラリーをすれば、できる訳なんだから、登山歴〇〇年とか、積雪期ガイドステージⅡなど全くをもって意味をなさない、ってわけなんである。
まぁ、細かいことを言えば、歩き方とかあるが、そんなもの、誰でも教えられなくても、誰でも長い間、登っていれば身につく。
そんなことではなく、山で身につくのは、自然界との対話法、未知のことへの恐怖に遭遇したときに、自ら、生き方を切り開く力の方である。
が、それをそのまま言っても、誰も聞かない。
ので、中尾さんは、上手に表現していたと思う。
■ 宿がないだけで涙目って
韓国クライミングに行ったときのこと…町の中で宿がないだけで、涙目だったよなぁ… 師匠。
そんなの、適当に探せば、あるだろうに…ってので、私がちゃっちゃと見つけてあげたので、私のほうが町でのサバイバルスキルは上だったかもしれないよなぁ…。
山でも、テント泊していないと、家の中に暮らすことになれてしまうと、体力が落ちるし、なんか甘え癖が付いて、一回着いた甘え癖は延々と増長し、甘えつづけることになる。
今年、大日小屋で、私が外でシュラフに絡まって星空の下で寝ていたら、高校生の男子らが、
「あ、テントいらないんだ」
とか言っていた。そりゃそうでしょう、夏山で晴天ならテントむしろ不快。暑くて蒸れる。
そういう小さな一つ一つの誤解…それを解くのが山だ。
寒いって言ったって、寒いおかげで虫がいなくて快適。
雪があるって言ったって、雪のおかげで水を担がなくて済む。
■ マーケティングに踊らさせられている我々
大体の人が、山岳用のたっかーい、ガスカートリッジ使っているんだが、なんとヒマラヤに行った人が、普通に100均に売っているガスのカートリッジで全く問題ないから、と言って、山岳用は使っていなかったのだった。
それで、あの高いガスカートリッジから解放された… 今まで何だったんだ?
山は標高が高いから、みたいな嘘を信じ込まされていたのだろうか?
要するにオーバースペックのモノを、山用ですから、高いんです、と丸め込まれて買わされているんだろう…
というのが日本の山業界の現実だよなぁ…
と思う。
一方、ガイド業界もほんとに、嘘が多い。特にクライミングガイド。トップロープ張るだけガイド。クライミングは危険だと言っても、自分が初心者のビレイで登らなくてはいけないのなら、一番リスクにさらされているのは、ガイド本人で、言っていることとやっていることのつじつまは、全く合っていない。
私も、子供クライミング体験を実施することがあるが、自分はリードせず、トップロープを張れる岩場限定。
登山ガイドも問題がないかというと? そんなところ自分で登ってくださいというような低レベルの山にすら、自分で歩いていくことができない、しない、指示待ち人間に、調べれば分かるようなことをリップサービスをしなくてはならない羽目に自分を陥れるだけのようにしか思えなかった…。
日本中で盛り上がっている煩悩の山の、焚き付け役をするのか…とおもっただけでゲンナリ。
結局、私が山で自分を満たすには、歩き続けるしかないのだろう… 知らない土地を。
だって、何が好き、って未知なこと、冒険が好きなのだから、既知になってしまったら、もう興味はない、ってことになってしまうのである…
損な性格に生まれついたもんだ。