現在のクライミングって、
1)ロッククライミング、のインストラクターズマニュアルが存在せず
2)プラスチッククライミング、の登り方で、みんなが岩場に来る、ために、
岩場でのリスク管理ゼロ
状態で、みんなが岩場に来てしまい、
危険回避能力がない
ってのが問題です。
さらに、
1)ロッククライミングでスタートした人は、プラスチッククライミングが苦手
であるため
2)クライマー階級社会から否定的&屈辱的扱いを受ける
ってことになっています。
まー、インドアで5.12とか、岩場で5.12が登れても、山にある5.9もとい10cで二時間半ってのが、プラスチック出身の若い男性の真実の姿であり、その上、それでも俺イケてるって思うみたいなんで、なんか、双方向に誤解がかなり激しい事態なんである…。
最近、統計おねえさんのサトマイさんが、子供たちの学力低下、語彙力低下を指摘しているんだが…。
クライマー界にもありそう…。https://www.youtube.com/watch?v=Et1KYbVhYLA
セルフ取りました、でセルフを解除してしまうという誤解が定番だが、そういう、ちょっとした言葉の綾程度で死んでしまうような事例が、もうほんとに、たくさんあるんである。
■ 解釈は内なる自分の投影…Foodのアップは、女子力PRと思っていた相方
私の相方(1年程度しか組んでいないが)は、私が食事をアップすると、
女子力PR
と思っていたそうである(汗)。私は、
アウトプット命
と思っていただけである。
勉強でも、運動でも、アウトプットしないと定着しないというのは、独学が身についている人なら、誰でも知っている事柄である。ので、別に自己PRではない。
バレエも同じで、彼は、女性のナルシズムの表現と思っていたそうである。驚いた。バレエを雑念滅却以外の要素でとらえたことがなかったためだ。バレエってのは、一日休めば自分に分かり、二日休めば先生に分かり、3日休めば観客に分かるという…活動だ。したがって、大体バレエ好きな女性というのは、派手さと無縁の質素な生活、修行的な生活を好む人だ。
クライミングが修行僧であるのと同じだと思っていたが…。
どうも彼の中では違ったらしい。
■ 人は、自分の内にある心を相手に投影している
ここからが心理学の出番で、
相手がしていることの解釈=本人の心の投影
であることは、別に心理学の勉強を詳しくしていなくても、分かる。
つまり、この男性は
クライミングをナルシズムの表現としてやっていた
ってことが逆説的に証明されてしまったってことだ。
そして、それを言葉で聞くまで、私には、彼が自己PRとして登っているということが、理解ができなかったので、私はそうした発想自体を持っていなかったってことだ。私の中にはナルシズムは強く存在しない。
■ なんでそう反応するのかな?なことが多かったオールドクライマー
師匠と組んだときは、鈴木さんでも青ちゃんでも、なんでそう考えるのかなーと私にとっては謎なことが多かった。
例は、湯川で、一緒に明神主稜に行った男性クライマーとアイスを楽しもうということになり、私が彼を終了点に案内したら、青ちゃんは激昂したのであった…
これは、あとからメールで説明したら、なぜか理由は分からないが、機嫌が直ったが…。
終了点には一人だけだと言っただろ!みたいな怒りで、でも、終了点を教えないと、トップロープ支点を作って彼が別の仲間を連れてゲレンデに来るって、できないのだし…と思った。
自立するように促すのが、先輩クライマーの私の務めであると思っているのだが、古いクライマーは、支点のことも含め、他人に教えたがらない。なぜなのだろう…
そこらへんに文化の差がありそうだ。
昔は、特定のリーダー候補、幹部候補とみなされた人にしか終了点を作る技術、いうなれば、リードクライミング技術を教えなかったのだろうか?と思っているんだが…その辺は歴史的な経緯に属すので、私には分からない。
しかし、そう考えなければ、青ちゃんの反応が説明できない。
クライマーとして自立するための、肝心かなめの情報、どうやってトップロープ支点にたどり着くか?みたいなことを教えないため、若いクライマーは自律的に成長していくことができないんじゃないかと思うんだけど…
■ 念のため情報
大体のトップロープ支点は、危険な場所にあります。なので、立木から懸垂下降、もしくはローワーダウンで、ロープを張りたいトップロープ支点にアプローチしてください。
男子は大体、ノーザイルでそこへ行きたがります。がダメです。なぜなら、クライミングの対象となる崖より、”崖っぷち”のほうが、もろく崩れやすいからです。
要点: トップロープ支点に行くときに落ちる事故が多い。行くときは懸垂でいく。
■ エボカティブ(喚起的)すぎる
このような、コミュニケーションは、結局のところ
前提としている知識・状態
が違いすぎて
新旧のクライマー同士がすれ違いすぎている
と思われ、これを
エボカティブなコミュニケーション
と言ってイイのか?はてな?って感じだ。
ジェフ先生は、ジェスチャーなどが意味するところの文化的意味合いには注意が必要、と言っていたが、日本人クライマーたちは、昔のクライマーの常識と現代のクライマーの常識の
すり合わせ
が、全くゼロのまま、互いに
これがクライミングってものだろー
と主張しあって、全くかみ合わないでいる、みたいに思える。
そもそも、言語化をさぼっていることが、ミスコミュニケーションの原因なのではないか?と思うんだが…。
エボカティブなコミュニケーションが本来は最強のコミュニケーションだが、現在のクライマー業界で、何をエボカティブにコミュニケーションしてしまっているか?というと
登れないお前には価値がない
って価値観になってしまっている…だから、足の引っ張り合いになるんだろう。