2016/10/07

自己変革の歴史をふと振り返る

■信念

最近、

 信念

というものをよく考える。望むにしろ、望まないにしろ、人は信念に突き動かされて生きている、というように思うのだ・・・ ただそれを具体的に表現するのが難しいだけで。

私はヨガを教えるようになった。教えるときの方針は

 1)体型は変えられる

 2)その人らしい体型が、もっともその人らしい美しさ

 3)頭では分からなくても、体は分かっている

 4)それぞれ違って、それぞれ皆美しい

 5)ヨガの上達とは、一つのポーズからより多くを受け取れるようになることである

自然界に、肥満の動物はいない。肥満は人間にとって不自然であり、自然ではない。したがって、より、その人本来の自然体に近づくことで、肥満は解消されるはずだ。

私自身、今より15kgほど重い時代があったが、かなり不自然な生活を自分に強いた時期だった。健康を犠牲にして勉強していたり、働いたり、など。

うら若い女性にとって、肥満は本当に悲しい。だから、スタジオに来てくれる、若い彼女たちの気持ちがすごく分かる。応援団というところだ。

”体型”をそのまま、”生き方”に入れ替えたら、信念と言えるかもしれない。

■ 成長して行ける環境

もともと私は成長志向性が非常に強く、いつも成長したい、と言う思いが強い。

ときどき、野心家と間違われるのだが、経済的成功を成長の目安には、していないのである。

(…とはいえ、瞬間風速で年収800万円程度なら、記録したことはある。これは経済的成功を追い求めないためのノルマという感じだった。一度は到達しておかないと、求めていないと言っても、セリフに信憑性がない)

だから、成長していける環境が最も幸せな環境。

振り返ると、変わった部分と変わらない部分とがある。

■ 肉体的な自己変革

クライミングは、かなり大きな自己変革だ。というのは、子供の頃、もっとも苦手だったことが、うんてい、だからだ。これは親からの負の遺産。

一方で、変わらない点もある。ギムナスティクな運動・・・体操・・・は、子供のころから得意だったのだ。マット運動、跳び箱、平均台、そういう運動は得意で、模範演技をすることも多かったし、陸上やボールを使った球技は苦手だった。

ただそういう運動で体を痛めることも多かった。元がスポーツマンでないからだろう。体を鍛えに鍛えていた弟との違いだった。

今、じっくり体を作っているのは、それが私には必要だからだろう。指とか繊細すぎて、ちょっと頑張っただけで、すぐ壊れてしまう。基礎的な筋力が弱いのだろう。

だから、最初私にはクライミングはイラナイな~とか思ってしまったんだな。ハッキリ言って不可能感があったが、今は、筋力の問題だと言うことが分かるし、筋力は順調にアップしているらしいことがデータで確かめられて、確実な成長の実感を持っている。

■ 文系 → 体育会系? ・・・インドアからアウトドアへ

アウトドアアクティビティを志向する、ということ自体、かなり私には、大きな自己変革。

なにしろ、文系。休日は映画や美術館博物館めぐりが趣味、というような人だったからだ。

アウトドアって、かなり私の人生には遠かった。

ただ、伏線はあり、学生の頃、住んだのは、なんとサンフランシスコ郊外の高級住宅地。ヨセミテへ年に一度のキャンプへ出かけるのが、あちらのアッパーミドルクラスの家庭では定番だった。

当時、BFのデイビッドとアメリカ横断の旅へ出かける予定もあった。旅好きは、もともと。そこにアウトドアのスキルが加わったということになる。憧れは、ルート66だったが、今ではアメリカでのクライミングに興味がある。

3つのとき、一人で近所のパン屋に出かけたこともあり、もともと冒険心が豊富なほうなようである。

■ メンタルな自己変革 ・・・内向的性格から、外向的性格へ

甲府へ来る前は、会社で成長していた。もっとも変わったのは、外向的な性格に塗り替えたことだ。

今でこそ新規開拓営業向きな性格だが、1回で成功したわけではない。

実は、市場調査、医療翻訳者、商社の3つを経てやっと、性格が外向的になった。うち2つは挫折だ。

海外市場調査部にいたときは、もう出社拒否したいような苦しい時代・・・仕事自体は、興味深かったし、レポートの作成は得意中の得意なのだが、何しろ、人と会うのが苦手だったのだ。

あるとき、ベトナムに調査で飛んだら、ベトナムのエネルギー省のお役人が出迎えてくれたのだが、帰りの飛行機で何気にタイム誌を読んでいると・・・ その人が表紙だった・・・(汗)。あの人、大臣だったんだ~(汗)。

当時28歳の小娘に会ってくれたのは、名刺と国籍の力である。「この若さで、こんなことをしては、傲慢な勘違い人間になってしまうかもしれない・・・」と、本気で思った・・・。

もう少し自分だけの世界に入れる仕事を、ということで、外資の医療翻訳の仕事についた。脊椎外科である。そこで解剖学を覚えたが、この仕事は所長から、しつこく営業に誘われ、辟易して退職。

外資の営業は、あからさまな競争があり、営業成績上位者は、ホテルの会場で、スポットライトを浴びてお披露目を受ける・・・というような、非常にアメリカンな会社で、ちょっと私には合わないと思っていたのだが、向こうはラブラブと言う訳だった。

一方、当時、トレーニングで受けた、解剖学の方は、分析的な性格に合っていて、今もかなり役立っている。

営業に同行して通訳したりするのは平気だった。それで、営業向きと思われてしまうのだが・・・なんとかして営業へ、という所長の思いが重くて、期待に応えられないことが苦しくなり、退社。

その後は、古巣のソフトウェア業界へ戻り、小さな会社で幸せ満喫したが、転勤により、新事業開発室へ。運命は、しつこく私を外向的な職に誘う・・・新事業開発は、成績を問われない営業のようなもので、企業間の社交担当。

毎週のように異業種交流会や経済セミナーに出席して、名刺を配って回る。自分でスケジュールを埋めることができる人でないと、仕事にならない。夜の接待も必修で、そのために店を選ぶのが上手でないと務まらない。博多一本締めだって覚えた。

そういえば、ラオスの経済セミナーにも出席したことがある。ラオス大使館主催・経産省共催、というようなもの。

新事業開発部での経験が、登山に生きているのは言うまでもない。すぐに人と知り合いになる力が開花しているのは、なんと趣味において、である(失笑)。

■ スキル?

語学も学生時代は、苦手だったが、海外に飛び込んでいくことで克服した。

ソフトウェアやITスキルは、独学。14歳から、キーボードを打っている。

18で始めたバレエは、体重も今よりも15kgは重かったから、大きな自己変革だった。

登山は、なんだろう?まだ良く理解できない。なぜ登山だったのだろうか?登山と言うより、雪が好きなだけなんだが。

クライミングは何なのだろうか?

かつては、仕事で冷や冷やしていたので、その代替えとして、リスクに身をさらして、冷や冷やしたい?のかなぁ?と思わないでもないが・・・。

いわゆる自立は、精神的なものも、経済的なものも、非常に早期に達成してしまった。より難しいのは、むしろ相手を頼ること。なので、きっと今クライミングをしないといけないのである。

”長靴下のピッピ”というパーソナリティが、途中から、どうも”ジェーン・エア”に代わってしまったかもしれない・・・。最近、再読して、ハッとした。

が、ジェーン・エアというパーソナリティに、あまり満足していない。よりベターなロールモデルを探している。

正直、登山での成長や出会いの内容の素晴らしさ・・・については、非常に驚いているのである。

■ まとめ

変わったこと vs 変わらないこと

うんてい苦手    ギムナスティックなことが好き・体が繊細
外向的な性格へ   一人でいるのが好き・読書好き
英語          音から入る
アウトドア好きへ   ニセモノは嫌い・非日常・旅好き・冒険好き
体型          文化・芸術への愛
登山好きへ      本好き・コーヒーが好き・木が好き
クライミング      ヨセミテ・カウンターカルチャー
アイスクライミング  寒いのが好き 白が好き
肉体的なリスクをとる  リスクを取る
ITスキル        カウンターカルチャー